2018年12月31日月曜日

語り猪田彰郎「イノダアキオさんのコーヒーがおいしい理由」を読んで

私が二十代の頃から通い、また私たちの店で正月に、日頃のご愛顧に感謝してお客
さまに配るチョコレート菓子も用意してもらっている、イノダコーヒ三条店の初代名物
店長・猪田彰郎さんの本が出たので、早速読んでみました。

私が若い時には、この特徴的な円形カウンターがある、重厚な設えのコーヒー店の
椅子に座るのは少し背伸びした感じで、多様な客で賑わい、カウンター内ではスタッフ
たちがコーヒーを淹れるために忙しそうに立ち働いているのに独特の居心地の良さが
あり、その雰囲気を醸し出す象徴とも言える猪田店長が、若い客でも分け隔てなく
愛想よく迎えてくださったものでした。

引退された猪田さんにお目にかからなくなって久しいのですが、この本を手にすると
かつての懐かしい思い出が蘇って来ました。

1章は実践的な美味しいコーヒーの淹れ方、写真も豊富で、分かりやすくまとめられて
います。2章は猪田さんがコーヒー店の店長として店を盛り立て、長く客に愛される
雰囲気を生み出すために心掛けたこと、接客法など、気持ちの持ち方、対人面の
あり方について。単にコーヒー店に限らず、私も同じく商店を営む者として、大いに学ぶ
ところがあると、感じました。

3章は猪田彰郎さんが15歳から働き始めたイノダコーヒ創業の経緯と、38歳で開店と
同時に店長を任された三条店の成り立ちと歴史について。コーヒー文化を京都に
根付かせるために、奮闘する様子が伝わって来ます。

また高倉健をはじめ映画関係者、文化人との交流の様子も印象的で、それらの有名人
が訪れることによって、イノダコーヒのイメージが形作られていったことがうかがわれ
ます。

私自身このコーヒー店には京都らしく落ち着いた気分と、西洋風のハイカラさの見事に
融和した雰囲気があり、それが大きな魅力であると感じて来ましたが、その佇まいが
生まれた秘密の一端を垣間見た思いがしました。

2018年12月29日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1309を読んで

2018年12月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1309では
書家・石川九楊の『書と文字は面白い』から、次のことばが取り上げられています。

  書が、暇をもて余した者の戯技だとは決して
  思わないが、墨を磨る暇と余裕がなければ、
  筆など執らなければよい。

書と高尚に構えるものとは全く無縁ですが、私も呉服悉皆用の渋札を書くのに
しばしば墨と筆を使います。これは加工に回す生地が、染色などの工程で紛失
したり、加工手順が間違わないように、その生地に持ち主や加工の指示を墨で
書き込んだ、和紙を柿渋の液に浸して作るいわゆる渋札を付けるためで、渋札を
使うのも、墨で書くのも、生地が加工の工程で水をくぐったり、蒸気で熱せられた
時にその札が破れたり、文字が見えなくなるのを防ぐためです。

そういう訳で渋札を書くのは、私たちの仕事の上では作業の部類に入ることなの
で、急いでいる時などには墨を磨って文字を書くことが、しばしばもどかしく感じ
られます。

しかしこの作業は、上記の理由から決して間違えてはならないものなので、墨を
磨る、筆で書くという手間がある意味、相違がないかもう一度確認をするための
時間を生み出してくれるとも感じられます。

筆を持つという行為にはある程度慣れていることもあって、字はとても上手とは
言えないので、受け取る人には迷惑かもしれませんが、私は年賀状の宛名だけ
は墨書することにしています。墨を磨り、筆で書くことで、受け手に思いを馳せ、
一年を締めくくるためには、欠かせない行為だと思っています。

2018年12月27日木曜日

ブライアン・シンガー監督映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て

クイーンのリードボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画です。

クイーンの全盛期にあまり洋楽を聴いていなかったので、彼らの曲はほとんど知り
ません。でも晩年のフレディ・マーキュリーの特徴的なルックスと歌唱、そして彼が
エイズで若くして亡くなったことは記憶に残っていて、ヒットしているこの映画を観よう
という気持ちを後押ししてくれました。

そういう訳で、フレディがパキスタン系のイギリス人であることも、この映画で初めて
知りましたが、映画の冒頭の彼は満ち溢れる才能から来る自信や音楽に対する
情熱によって、容姿や出自のコンプレックスを軽々と凌駕していて、彼が当時の音楽
シーンでのし上がる姿は小気味よく、観る者に快感を覚えさせます。

しかし一挙に成功をつかんだ者の悲哀というか、このような軌跡をたどるロック界の
スターは他にも目にしますが、脚光を浴びるほどに、自らが当時まだ差別的な視線を
向けられる存在であったゲイであるコンプレックスに追い詰められて、酒や薬に溺れ
次第に孤立を深めて行きます。

そのような経緯を経て、またその頃は不治の病であったエイズに感染していることを
自覚して、彼の素晴らしいところは、音楽を通して人々を勇気づけることこそが自らの
使命であるという認識に立ち返り、クイーンのメンバーと和解して、世界的なチャリティ
コンサートに臨んだところにあると感じました。

その「ライヴエイド」での伝説のコンサートシーンは、まさに圧巻。それまでの全ての
ストーリーがここに集約されて、大きな感動をもたらします。音響も含め、映画館で
こそ観る映画だと感じました。

この映画がこれほどヒットしているのは、このコンサートシーンの素晴らしさ、フレディ
を彷彿とさせる主演俳優の熱演など、幾つもの要素があると思いますが、中でも
主人公の苦悩が彼自身はスーパースターであるものの、我々普通の人間が生きて
いく上で感じる様々な悩みと決して遠く離れたものではないことを、分かりやすく示して
いるからではないかと、感じました。

最後にこの映画でクイーンの音楽を初めてじっくりと聴いて、その楽曲、歌詞、歌唱に
吟遊詩人にも通じる文学的な抒情性を強く感じました。ロックミュージックでも、優れた
音楽にはそのような要素が内在しているのだと気づき、同時にボブ・ディランが
ノーベル文学賞を受賞したことを思い出しました。

2018年12月25日火曜日

鷲田清一「折々のことば」1304を読んで

2018年12月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1304では
探検家でノンフィクション作家・角幡唯介の探検記『極夜行』から、次のことばが取り
上げられています。

  ぞくぞくした。この永続する不安感は探検が
  うまくいっている証拠なのである。

終日太陽を拝むことのない冬の北極圏を単独で旅した探検家は、死の瀬戸際で
踏みとどまり再び陽光を目にした時、原初的な歓びが体から湧き起こって来るのを
感じます。

文明社会の分厚い鎧に守られた現代人は、人間本来の生のあり方をすっかり忘却
してしまっているのでしょう。秘境と呼ばれるような文明の影響が及ばない地に単独
で降り立った探検家だけが、このような生の本質に直接触れることが出来るのかも
知れません。

そんな覚悟の探検家のノンフィクション作品を読む私たちは、冒険行為の現実の成り
行きと同時に、人間が根源的に持つ野性的な感性や、そこから導き出された始原の
精神的営為を追体験することが出来るようにも思われます。

上記の言葉とそれに添えられた鷲田の注釈を読んで、私はすぐに『極夜行』を読む
ことに決めました。

2018年12月21日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1300を読んで

2018年11月28日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1300では
文化人類学者小川さやかの随想「タンザニアの気づいてもらえる仕組み」から、
次のことばが取り上げられています。

  気づかれないように親切にしたり、助けを求
  めなくても気づいてもらえるような仕組みが
  商売を通じて自然に築かれていく・・・・・

調査のためにタンザニアで長屋暮らしをした文化人類学者は、客と行商人の間で
お金を媒介として思いやりが行き交う姿を懐かしんで、このように記しているそう
です。

そういえばかつては日本でも、近所の馴染み客と個人経営の小さな商店の店主や
従事者の間にも、このような関係があったことを思い出します。

米屋や酒屋が御用聞きに行って注文を取るばかりではなく、それとはなしにその家
の住人の安否を気遣ったり、八百屋や魚屋が来店したお馴染みさんに、その家の
家族の構成や健康状態に適した品を勧めたり、また時にはサービスで余分に
おまけの品物を客に渡したり・・・

そのような関係を通して、庶民の生活が成り立っていたと記憶します。

今日ではコンビニが年中無休で日用品を供給し、スーパーに行けば豊富な取り
揃えの中から自由に商品が選べますが、逆に客と店との間の濃密な人間関係は、
すっかり失われてしまいました。そこには少し寂しさもあります。

私たちの三浦清商店は白生地を販売しているので、今や日用とは縁遠い商品を
扱っていることになりますが、個人商店の端くれとして、出来る範囲でお客さまに
寄り添う商いを心がけています。

2018年12月19日水曜日

中島京子著「長いお別れ」を読んで

父と母の介護を通して、私も認知症と関わって来ました。それで本書を手に取ること
にした訳ですが、認知症を題材とする小説の中でもとりわけこの本を選んだ理由は、
「長いお別れ」という書名によるところが大きかった、と感じます。

というのは、本書の最後に題名の由来が語られますが、ことさら説明を聞かなくても
この言葉が認知症を表すことは一目瞭然であり、認知症のことをこのように柔らかく
表現する言葉が題名に使われている小説には、この症状に苦しむ人のことが共感を
持って描かれているに違いない、と思ったからです。

通読して期待は十分に裏切られず、私自身の経験も踏まえて、人が老いるということ
や、家族の絆について考えさせられるところが多くありましたが、私が特に心惹かれた
のは、認知症になった夫と妻並びに三姉妹である子供の関係性です。

第三者から見れば、どんどん症状が進行していく絶望的な状況で、妻は自分の名前
さえとうに忘れ去られ、自身も老化して夫の介護もままならなくなって来ても、なお夫
に愛情を注ぎ、その世話をしたいと考えます。

その理由として本書では、夫は妻の名前や結婚記念日や、三人の娘を一緒に育てた
こと、二十数年来暮らし続けて来た家の住所や家そのもの、妻や家族という言葉さえ
も忘れてしまったが、それでも夫と妻のコミュニケーションや感情の行き来は保たれて
いると、妻の独白として語らせています。

また娘たちはそれぞれに結婚して、あるいは独立して生活を築いていますが、父を
一人で世話する母親の緊急入院という非常時には、慣れない中でも献身的に父親の
介護をしようとします。そして日頃の母の苦労を知るのですが、これも親子の絆の
なせる業です。

家族の絆とは相手のことを思いやり、多少自分のことを犠牲にしても、無償で相手を
助けたいと思える関係のことだ、と本書を読んで感じました。

とかく暗くなりがちな認知症の人に向き合うことをテーマとするこの小説に、爽やかな
印象を添えているのは、冒頭の認知症の夫が孫ぐらいの年齢の見ず知らずの姉妹
に請われてメリーゴーランドに一緒に乗る場面や、最後に彼の孫がアメリカの公立
中学校で不登校になって校長に呼び出された時、日本で長く校長を務めた彼の祖父
の死をこの校長に話す場面など、死にゆく者とこれから成長する者の魂の交歓を感じ
させる部分です。

ここで著者は悠久の生命の流れをも、表そうとしているのかも知れません。

2018年12月17日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1299を読んで

2018年11月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1299では
ノンフィクション作家久田恵+花げし舎編著『100歳時代の新しい介護哲学』から、
ある有料老人ホームの入居者の次のことばが取り上げられています。

  「あなた、歳をとるってどういうことかわか
  ってる?・・・もう人から年齢しか聞かれなく
  なる、ってことよ」

母親の介護を続けて来て、上記の言葉は実感を持って感じたことです。

母は7年前の父の死去後もしばらくは、まだ健康のためにプールに通っていま
した。プールのお友達との付き合いもあり、また小学校、女学校時代の高齢でも
元気なお友達とも、同窓会などを企画して余生を楽しんでいました。

しかし5年くらい前に脳梗塞で倒れてからは、当初はお友達のお見舞いなどもあり
ましたが、介護が必要な状態になってプールも辞め、自宅に引っ込むようになる
と、友人たちも高齢で健康を損ねられたことなどもあって、次第に交流が途絶えて
行きました。

ここ数年は親族と担当する介護関係者だけが、日常的に母と接触する数少ない
存在という状態になりました。

今日の高齢化社会では、老人はある体調の限度を超えると人との交わりが極端
に少なくなって、社会的にもどんどん孤立化して行く。まさにそれも、深刻な高齢化
問題なのでしょう。

ただ私の母の場合自宅で葬儀をしたこともあって、高齢のご近所の方々が多く
お別れに来てくださったり、喪中の葉書をご覧になってしばらく交流のなかった母
ゆかりの人々からお悔やみの電話やお手紙を頂戴したことは、残された私たち
には、大きな励ましとなりました。

2018年12月14日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1297を読んで

2018年11月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1297では
民衆思想史家・色川大吉の『明治精神史』から、次のことばが取り上げられています。

  人はほとんど自分に関するかぎり、その真の
  動機を知っていない。

一瞬戸惑いますが、そう言われればその通りだと思います。私がどうして三浦清商店
を継ぐことになったのかということも、元をただせばかくとした動機があったとはとても
思えません。

大学を卒業するに当たり、それなりの社会人としての夢を抱き、広告につて学ぶゼミ
に所属していたので広告に力を入れる化粧品会社に就職して、第一ハードルは超え
たと思ったら実際の仕事は思い描いていたものとは違って、やはり家業の方が楽
ぐらいの軽い気持ちで実家に戻りました。

今から考えると我ながらあきれるぐらいの軽い動機でした。でも家業に携わり使い走り
から始まり一から学んで、失敗や恥ずかしい思いも沢山経験しているうちに、次第に
自覚も生まれ店の存在理由などについても考えるようになって、父からバトンを受け
取った時には少なくとも店の名前に恥じない店主になろうと思いました。

果たしてそのような店主の役割を務められているかは、私にはまったく分かりません
が、だからこそ「何を為たか」以上に「いかに為たか」が重要だ、という言葉が琴線に
触れました。

これからも「何を為たか」なんておこがましいことは考えず、「いかに為べきか」、「いか
に為たか」に心を傾注していきたいと思います。

2018年12月12日水曜日

細見美術館「描かれた「わらい」と「こわい」展ー春画・妖怪画の世界ー」を観て

国際日本文化研究センター所蔵の妖怪・春画コレクションにより、〈恐怖と笑いが
地続きで繋がる前近代の豊かな日常〉を鑑賞者に提示しようとする展覧会です。

私は実際に観るまで、当時の日本人にとって「わらい」と「こわい」が、現代の我々
よりずっと親近性のあるものであったことを、春画、妖怪画を通して明らかにする
というこの展覧会の意図が、ほとんど雲をつかむようで実感出来ませんでしたが、
現実に目にして、前近代の人々の精神世界を少し覗き見ることが出来たような、
快感とも懐かしさとも通じる感情を味わうことが出来ました。

恐怖と笑いが地続きであるということは、私たち現代人にとっては、それぞれの
感情を引き起こす要因を理知的に捉えようとする習慣の浸透によって、その差異
が際立たされた結果、とても想像することが出来ないように思われますが、当時
の人々の生の実感では、この二つの感情は親しいものであったのでしょう。その
点については、人間は本来自分の理解を超えたものに対して恐怖や笑いといった
感情や反応を示すという本展での解説によって、納得できる気がしました。

さて実際に展示作品を観て、妖怪画や春画にユーモラスな表現が散見されること、
あるいは妖怪画と春画が混ざり合った作品も見られることなどから、恐怖や笑いや
信仰心、性的感情といったものが当時の人々にとって、日常の精神生活の中で
渾然一体としたものであったことが推察されます。その事実は彼ら彼女らが、合理
的なものの考え方という点では現代人に劣っているとしても、かえってより豊饒な
精神世界を有していたとも言えるのではないかと、感じました。

個別の作品では、鳥居清長の春画「そでのまき」の美しさ、精緻さに強い感銘を
受けました。本展ではこの作品の復刻版の制作過程をも示すことによって、作品
の完成度、魅力を分かりやすく提示していますが、現代の価値観では下に見られ
がちな春画に最高の技巧が用いられていることに、当時の浮世絵師とそれを支え
た職人の心意気、研ぎ澄まされた美的感覚を感じました。

2018年12月10日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1289を読んで

2018年11月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1289では
哲学者・三木清の『哲学と人生』から、次のことばが取り上げられています。

  ひとは孤独を逃れるために独居しさえする

この言葉には、自分の体験を踏まえてうなずかされました。

寂しさに取りつかれ落ち込んでいる時、多くの人が行き交う雑踏の中にいることが
帰って孤独感を助長することがあります。それらの人々から私が全く孤立していて、
自分だけ特殊な人間であるような、仲間外れの存在であるような、そんな気がして、
絶望感がいや増します。

そんな時には、隠れ家というか、誰も人のいないところに閉じこもって、他人の存在
を全く意識しなくてよい場所に一人でいる方が、救われた思いがします。

でも逆に心に余裕のある時は、自らの孤独を確認するために大勢の人がいるところ
に出てみたいと、思うことがあります。そんな場所を一人でさまよっていると、自分が
個を確立した存在であるように感じられて、ある種爽快でさえあります。

そういう風に考えると、人間は他者との関係性を通して寂寥感を感じたり、感じな
かったりするのかも知れません。

ということは、最近の私にとって、孤独は必ずしも忌み嫌うべきものではありません
から、出来ることなら心に十分余裕を持った状態で、孤独と向き合っていきたいと
思います。

2018年12月7日金曜日

大森立嗣監督作品映画「日日是好日」を観て

今年亡くなった樹木希林の出演作ということで、映画館で観ました。茶道の入門編
として、相応しい映画だと感じました。私たちの店には、お茶に係わる方がお客さま
としてお見えになることがありますが、その方々が時折お仲間で語らっておられる
茶道の魅力の一端が、私たち門外漢にも少し理解出来たように感じられる、作品
でした。

キャストから触れると、武田先生の樹木希林は着物の着こなしから佇まいまで、
さすがの存在感。着こなしについては、自分の持つ華美ではなく、趣味の良い着物
を大切に着まわす高齢の女性が、清潔さを失わないように、しかし肩肘張らず
ゆったりと心地よさげに着物を着ている姿が秀逸でした。

武田先生の人間性も、着物の装いと相通じるように、性格は飾らず、お茶の指導は
むやみに押し付けず、それでいて伝えるべきことは的確に伝えるというスタンスで、
弟子への気遣い、愛情も、過不足なくにじみ出ていて、こんな先生なら一度指導を
受けてみたいと、感じさせます。

まだ若いにも関わらず、抑えた感情表現が得意な、主演の黒木華の不器用な典子
との師弟の関係も、付かず離れずの、しかし心の底では典子が先生を慕っている
様子がうまく描き出されていると、感じました。

茶道というものについて、私がこの映画から感じ取ったのは、形から入り、それが
無意識でも出来るようになったところから、味わいが生まれるという部分。現代の
教育ではまず自分の頭で考えるということが重要視されるので、私たちはついつい
理論や方法論に囚われてしまいがちですが、元来人間の行為には外的な要因
との関わりの中で自然に培われて来たものが多くあるはずで、現代人にとっての
茶道の魅力の大きい部分に、そのことを思い起こさせる役割があるのではないか
と、この映画を観て感じました。

2018年12月5日水曜日

龍池町つくり委員会 58

12月4日に、第76回「「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、京都外国語大学南ゼミ企画の「二条薬めぐりスタンプラリー」の結果報告が
行われました。参加者は親子づれが10名、子供だけが5名で、地元出身ではない人
が大部分で、ラリーのポイントである立ち寄り場所での説明を、興味深げに聞いて
おられる方が多かった、ということです。

堺萬さんに提供していただいた古代米のおはぎは、子供たちもよく食べ、薬膳茶も
ある程度味わってもらえたようです。

他方反省点としては、二条通りの薬屋町の成り立ちや、薬まつりの歴史等について
のガイダンスが不十分で、説明をする学生さんの補助に当町つくり委員会のメンバー
など地元民が付いた方がよかったのではないかという意見や、広報用のパンフレット
の配布が行き渡らず、改善すべきところがあるという意見も出ました。

学区内の宿泊施設建設問題では、新町御池下がるの物件の初回の説明会で、最初
に建設業者側の説明を聞くのではなく、こちら側の事情説明と要望を出すようにした
ところ、次回の説明会で業者側も要望に沿った前向きな対応をしたこと、また
建設場所の地元の学区民の関心も高まり、説明会に多くの参加者が集まったこと、
が報告されました。このような事例は、今後の一つのモデルケースになると考えられ
ます。

1月の「町つくり委員会」は休みとなり、次回は2月の第1火曜日に開催されます。

2018年12月3日月曜日

神里達博「月刊安心新聞✙ 自己責任論の思想 「集団内の役割」問う日本」を読んで

2018年11月16日付け朝日新聞朝刊「月刊安心新聞✙」では、「自己責任論の思想
「集団内の役割」問う日本」と題して、シリアで拘束されていた安田純平氏が3年4カ月
ぶりに解放されたことを巡って、日本で「自己責任論」が再燃したという事実に鑑みて、
筆者が我が国における「自由に伴う責任」と「立場と役割に伴う責任」について論じて
います。

つまり日本社会では、欧米のように「責任」が自由との関係で語られることはまれで、
不祥事を起こした会社の社長が「責任を全うする」と主張することに代表されるように、
「立場と役割」に則して責任が語られる場合が多い、と言うのです。

この論によると安田氏の事件の場合は、本人が勝手に危険な紛争地に赴き、拘束
されたのだから、日本政府が国民の税金を使って救出活動をする必要はない、という
ことになります。

即ち彼は日本国民の一員として、他の大多数の国民に対して無用な迷惑をかけては
ならない義務があるにも関わらず、それを破って自分の都合で紛争地帯に行ったの
だから、自ずと身の危険は承知のはずで、そのような人物を何も国が救出する必要は
ない、という論理です。

ここまで読んで来て私は、村社会の延長のように、集団内で与えられた役割という
枠組みでしか物事を捉えられない日本人の偏狭さのみならず、国際問題に目を向け
られない内向きさ、自分たちの卑近の利益のことしか考えられない近視眼性を思い
ました。

このような現象は、経済的には一定水準以上に豊かになっていても、思想としての
民主主義はいまだに定着していない、あるいは経済的にも疲弊が進んで来て、他人
の幸せを喜んでいる余裕がない、ということでしょうか?

いずれにしても、世知辛い世の中です。

2018年12月1日土曜日

自宅での葬儀を済ませて

前回の続きをつづらせていただきます。

母はかねてより、自宅での葬儀を希望していました。最近は葬儀場で行われることが
多く、父の時もそうしたのですが、母は自宅で過ごすことが好きで、最後の入院の時
も早く家に帰りたいとしきりに言っていましたので、希望を入れて自宅で行うことにした
のです。

病院から連絡を入れると、寝台車と共に数人の葬儀社の人がやってきて、自宅で
葬儀を希望と告げると、母の遺体を搬送して、ひとまず生前愛用のベッドに安置し
ました。

葬儀社の担当者が私たちの家の間取りを見て回って、店の東側の通りに面する部分
がガレージ、中庭があって奥が応接間になっている部分を使って、葬儀を行うことに
決まりました。

翌日から設営が始まり、まず奥に続く中庭の飛び石の上に、参列者が歩きやすいよう
に木製の廊下を設置し、応接間には白い幕を巡らせてから、銀の屏風を背景に花で
彩られた祭壇と棺を安置するスペース、菩提寺の住職が着座されるスペースが設け
られました。

会場内一円に白黒の幕が張られて、要所に供花が飾られ、ガレージが受付と待合所
になって準備が整うと、見慣れた自宅が見違えるような葬儀場になりました。

この一連の進行の中で一番印象に残ったのは納棺の儀式で、納棺師が手際よく母の
遺体に気に入りの着物を着せ、死での旅立ちという意味の白の手甲、脚絆は、最後の
ひと結びは私たち近親の者が行いました。遺体が棺に納められると、生前愛用の品、
好物のお菓子などを入れ、周囲を切り花で埋めて儀式は終わりました。切なさが
こみあげて来る瞬間でした。

通夜、告別式にはご近所の方、母と親交のあった人々が駆けつけて下さり、参列者数
はそれほど多くはありませんでしたが、最後の見送りまで残って下さる方の割合も多く、
母の希望通り自宅で葬儀をしてよかったと感じました。

2018年11月29日木曜日

母の死について

この前の日曜日に私の母が亡くなりました。享年90歳でした。

7年前に父が亡くなるまで二人三脚で家業の三浦清商店に携わり、父の死後はやっと
肩の荷を下ろして余生をゆっくりと楽しめるはずでしたが、持病の心臓病もあって
入退院を繰り返すことになりました。

しかし入院するたびに元気に回復して、柔らかい笑顔で感謝の言葉を私たちに与えて
くれました。いつしか母の介護が、仕事と共にある日々の生活の上での、一つの心の
支えになっていたように感じます。

三週間ほど前、店の離れの自室で過ごしていた母がベッドの脇で倒れ、左股関節骨折
で緊急入院することになりました。その時も私たちには、また復活してくれるはずだと
いうほのかな期待がありました。

しかし本来は、骨折部分をつなぎ合わせるための手術を受けるべきところが、心臓が
弱って負担に耐えられないということで手術が見送られることになり、病室のベッドで
安静にしている時間が長くなると、母の食欲がなくなり、体力も急速に衰えて行きました。

そんな日曜日の早朝、病院からの容態悪化の電話に飛び起こされて、急いで病院に
向かいました。ベッドの上に横たわる母はチューブで酸素を口に送り込まれながらも、
まだこちらの言葉には反応して、比較的状態は安定しているように見えました。

ところがその1時間半後、徐々に低くなって来た血圧が急速に下がり始め、それに合わ
せて呼吸も弱々しくなり、モニターの心電図の波形がゆるやかになって来たかと思うと、
静かに目を閉じ、母は息を引き取りました。その間、約10分ほどの出来事だったと思い
ます。

私が母を見守る病室は東向きに窓が設けられ、空が白み始めるてほどなくカーテンを
開けたので、比叡山や東山連峰の峰々が少しづつ朝焼けに染まり、空が青さを増して
行く様子が手に取るように見えました。丁度朝日の輝きと引き換えに、母はこと切れた
ように感じました。

その瞬間、窓外の美しいパノラマを背景にして、命というものが本来持つ荘厳さが立ち
上がって来るのを、私は確かに感じたような気がします。一生忘れられない体験でした。



2018年11月26日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1287を読んで

2018年11月15日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1287では
「別冊太陽/十代目柳家小三治」でのインタビューから、この人気落語家の次のことば
が取り上げられています。

  安心しているときが、一番危ないときだよ。
  迷ってねぇときは、危ない。迷っているとき
  は、もっと危ない。要するにいつも危ない。

彼が師匠の小さんから「お前の噺は面白くねぇな」と、きついだめ出しをされた時、
実感したことのようです。

この言い回しだと、迷ってなくても迷っていても、いつも危ないと取れますが、それ
以前に、安心しきっている時が最大の危機である、ということなのでしょう。

これは自分の身を振り返っても、よく分かる気がします。安心している時には往々に
思考停止が起こって、思い込みをしてしまったり、何も考えずやり過ごしてしまって、
後になってみるとミスを犯していることがあります。

物事に迷っていなくてもその心の状態をちゃんと意識していたり、あるいは迷うことに
よって意識が研ぎ澄まされている時の方が、重大な過ちを犯さない、と言えるのでは
ないでしょうか。

つまり油断大敵、研鑽を惜しまず、問題意識を常に持ち続けることが、何事につけて
も大切なのに違いありません。

しかし、ありきたりのことを噺ているのに、そこは一流の落語家、語りにおかしみと
ウイットが効いています。

2018年11月23日金曜日

堂本印象美術館「徳岡神泉ー深遠なる精神世界ー」を観て

徳岡神泉の名は知っていても、作品はほとんど観たことがありませんでした。それで
本展に足を運ぼうと思ったのですが、この展覧会には私にとってもう一つの楽しみが
あって、それは会場が堂本印象美術館であるということです。

衣笠の立命館大学のほど近く、観光道路とも呼ばれる一条通に面し、その印象自ら
のデザインというユニークな外観が目を引きます。ここも是非訪れてみたいと思って
いたところでした。

美術館の中に入ると、内部も外観にたがわぬ斬新な造りで、内壁、柱、ドアの取っ手
などにも装飾が施され、印象の絵画、造形物が配置良く並べられて、建物全体が
一つの美術作品であるかのような趣きがあります。彼の美術家としての多彩さ、我が
国の画家には珍しいスケールの大きさに、改めて感服しました。

さて徳岡神泉の絵画は、題材はほぼ植物や風景といった身近なものに限られ、しかも
対象の中に没入してその精髄を引き出すような表現方法を用いているため、極めて
私的で、一見華やかさがなく地味な印象を受けますが、じっと見入っていると画面の底
から知らず知らずのうちに、高い精神性や詩情が浮かび上がって来て、忘れがたい
余韻を残します。

その作品が画家自らの心のフィルターをを通して描き上げられた証拠に、描く対象が
一個の蕪であっても、苅田の切り株の情景であっても、雲から覗く富士の高嶺であって
も、それらは皆同列の存在感や佇まいを持って、観る者に語り掛けて来るように感じ
られます。

この世に存在する全てのものに対する畏怖、慈しみの念、その底に秘められた真理を
も解き明かそうとする飽くなき探求心、神泉を絵画制作に突き動かさせた心の働きは
確かに一つ一つの結晶となって、私たちの眼前に差し出されていると感じました。

久々に現代日本画の原点と呼ぶにふさわしい、画業を観ることが出来た展覧会でした。

2018年11月20日火曜日

「呉座勇一の歴史家雑記 「ドラマ「真田丸」の妙」」を読んで

2018年11月13日付け朝日新聞朝刊、「呉座勇一の歴史家雑記」では
「ドラマ「真田丸」の妙」と題して、脚本・三谷幸喜のNHK大河ドラマ第55作「真田丸」
が、主人公・真田信繁(堺雅人)の幼なじみ・きり(長澤まさみ)を現代的な価値観の
人物に設定することによって、巧みに視聴者の感情移入を誘う仕掛けを有している
ことについて、語っています。

私も「真田丸」は、年間通して楽しみました。三谷脚本の歴史ドラマは、底に喜劇的な
面白味があり、登場人物のキャラクター解釈もユニークで、長丁場でも決して視聴者
を飽きさせない魅力があります。

ところで、歴史家としての視点からの筆者のこの指摘に、私ははっとさせられました。
というのは、私はこのドラマを観ていて、きりが、信繁が例え切迫した状況に置かれ
ている時でも、いや、そういう事態の時には余計に、自己主張を通す空気が読めない
女性、性格の悪そうな女性と感じていたからです。

しかし筆者の指摘するように、ドラマのストーリーの流れを脱して、大局的な見地
からきりの言動、振る舞いを見ると、確かに彼女の価値観は現代的かもしれない、と
思い当たります。

私は知らず知らずのうちに、ドラマの中の信繁に感情移入していて、彼の視点と
思しきところから、きりを批評していたのでしょう。その時点で物語の術中にはまり、
その落ち込んだ底から、現代的な価値観を評価していたということは、二重の
レトリックに囚われていたことになります。

つまり、この三谷脚本の歴史ドラマは、風刺的な現代社会批評にもなっている、と
いうことが言えるのでしょう。なかなか、一筋縄では行きません。

2018年11月18日日曜日

河瀬直美監督・樹木希林主演映画「あん」を観て

先日亡くなった女優樹木希林の追悼放映として、BS朝日で放送された2015年の
河瀬監督作品映画「あん」を録画で観ました。

女優樹木希林の老練の演技は言うに及ばず、河瀬作品を観るのも「萌の朱雀」以来
の二作目で、ちょうど河瀬監督が2020年の東京オリンピックの記録映画の監督に
決定したこともあって、観るに当たりいやがうえにも期待が膨らみます。

観終えて、予想にたがわぬ深い余韻が残りました。映像的にはいかにも河瀬作品
らしくトーンを抑えた、夢とも現ともつかぬ満開の桜の描写が美しく、長く記憶に残る
シーンだと感じました。観る者を回顧の情に誘う、独特の間の取り方も健在です。

ストーリーでは、主人公が背負うハンセン病が作品全体の底を流れる重いテーマ
ではありますが、それについて語るのは私には荷が重すぎて、とても務まりません。

しかしもう一つのテーマといえるどら焼きの粒あん作りについては、私も感じるところ
が多かったので、それについて若干語りたいと思います。

どら焼き屋の店長・千太郎(永瀬正敏)はある理由があってその店を任され、どら焼き
の皮を焼くのは得意ですが、あん作りには自身がなく、どら焼き作りにそれほど思い
入れがある訳でもないので、業務ようのあんを使用して済ませています。

ある日店員募集の告知を見てやってきた、老女・徳江(樹木希林)は一見頼りなく感じ
られますが、彼女の炊いた粒あんは絶品で、千太郎は徳江を採用することにします。

私が感銘を受けたのは、彼女がまるで慈しむようにあんの素材となる小豆を取り扱う
姿です。あんを炊くのに手間ひまを惜しまず、出来上がったどら焼きにも愛情を込める
徳江の様子に、次第に千太郎も心を動かされて、彼も自分の仕事に愛着と矜持を
持つようになります。

これらの丁寧な描写の中に、職人仕事の神髄が現わされているようで、強く印象に
残りました。

2018年11月16日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1282を読んで

2018年11月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1282では
毎日新聞記者・小国綾子の『?(疑問符)が!(感嘆符)に変わるとき』から、次の
ことばが取り上げられています。

  迷うのは、自分で選ぼうとしている証拠。自
  分の頭で考えている人だけが得られる「勲
  章」みたいなものだ。

とかく何でもズバズバ決断する人がかっこよく見えて、自分の優柔不断さが歯がゆく
感じられる私にとって、ホットさせられることばです。

でもそんな私にしても、それが正しいとか、常識だと思い込んでしまって、あまり考え
ず、自動的に決断した時などに、得てして間違いや失敗をするものです。

判断がつかず途方に暮れることもあるけれど、自分は分かってないんだと謙虚な
気持ちになって、じっくりと考え、進む方向を決めた時の方が、結果としては正し
かったということが、多いように感じます。

でも現在は、交通手段の発達や、電子情報が飛び交うことによっても象徴される、
飛ぶように時間が経過する社会、うかうかすると取り残されそうで、文字通り
即断即決が期待されているように感じます。

しかしそのような社会環境でも時流に流されず、悩んでもいいことはゆっくりと悩んで、
とことん考えた末に、後々後悔のない決断が出来るように、自らを励ましていきたい
と思います。

2018年11月14日水曜日

ジャン=ジャック・ルソー著「社会契約論」を読んで

兼ねてよりルソーの著作を何か読みたいと思っていたのですが、題名を聞いたこと
があったので、本書を手に取りました。ところが読み始めると、民主主義、共和制に
ついて語る深遠な社会思想の書で、たたみかけるような理知的な論述を私が一体
どこまで理解出来たのか、定かではありません。しかしせっかく読んだので、自分
なりの感想を記してみたいと思います。

著者はギリシャから始めてヨーロッパの政治体制の歴史を紐解き、分析しながら、
来たるべき社会の理想の政治体制として民主主義的共和制を挙げますが、まず
本書が近代的な共和制などいまだ実現の目途も立たなかった、1762年に刊行された
ことが言うまでもなく重要です。それゆえに民主主義の指針ともみなされ、フランス
革命にも多大な影響を与えたのでしょう。

さて現代の日本に生きる私としては、本書を読んで、遠くギリシャから始まる民主的
な社会の歴史に、ヨーロッパの政治の奥深さを感じます。それが例え奴隷制度に
立脚するものであっても、少なくともその頃に、独立した対等な市民の協議によって
政治が動かされていたという事実が、第二次世界大戦後与えられる形で民主主義が
定着した我々日本人と根本から違います。

ではヨーロッパ発祥の民主主義、共和制の近代に相応しい発展形とはいかなるもの
であるべきか?本書はルソーが考えるその制度を示す書でもありますが、彼は人間
が自然状態に近い自由と平等を保持した社会を実現するために、共同体の各構成員
が一旦持っていた権利を共同体に返して、その代わりに身体と財産を守ってもらう
ような「社会契約」を結び、共同体の全体及び各構成員の保存と幸福を目指す「一般
意志」を実現する制度、と考えていたようです。

もしそうであるならば、これを実現するためには共同体(国家)と各構成員(個人)は
深い信頼関係で結ばれていなければならないことになるでしょう。それが現実には
到底実現不可能な理想的社会であるとしても、政治は本来理想を語るべきものである
とするなら、彼の論稿が民主主義のバイブルとなったことは十分に理解できます。

振り返って日本の国家と私たち一人ひとりは、民主主義のいまだ発展途上の状態に
あるばかりではなく、根本として相互の幾ばくかの信頼関係を構築することがまず先決
であると、本書を読んで改めて強く感じました。

2018年11月12日月曜日

加藤典洋著「文学地図 大江と村上と二十年」を読んで

著者の広い読書体験に裏打ちされた、また鋭い洞察を含む、文芸、社会批評は
兼ねてより私に強い刺激を与えてくれました。また彼が朝日新聞紙上で文芸時評
を担当していた時には、しばしば私の読書の指南役にもなってくれました。

それで本書も手に取った訳ですが、加藤が各媒体で発信、掲載した3つの時期の
時評、季評を載せた第一部は、一期が1989年から1990年のバブルの全盛期、
二期が1993年春から1995年秋の湾岸戦争の戦後期、三期が2006年から2008年
の本書が出版された直近の時期と、約20年間の我が国の文芸の動向を大きく
俯瞰する仕立てになっています。

第一部を読んで、著者がそれぞれの時期に誰のどんな小説に興味を示し、その
作品をどのように批評しているか、それが私も読んだものであるなら、私の抱いた
感想とどのように切り結ぶか、というように、個々の時期を思い浮かべながら懐か
しい時間を過ごすことが出来ましたが、本書の特色である文芸界の全体の動き
という観点から見ると、大江健三郎、安部公房という一時代を画した作家から、
村上春樹に代表される新しい書き手にその人気が移行する様を表している、と
思われます。それは同時に時代の移り行きに従って、小説家が作品に問題意識
やリアリティーを籠める方法も変化して来ているということです。

さて以上の前提に立って第二部では、3編の文芸批評が記載されています。

「大江と村上」では、大江と村上がそれぞれの時代の文芸界を代表する存在と
して互いの仕事を牽制する関係にありながら、実際には両者の文学には共通点も
多いことをスリリングな方法で読み解いています。私にはその当否は判断出来ま
せんが、少なくとも2人が最も的確にそれぞれの時代の空気を体現する作家である
と考えるので、作品の相貌はまったく違えど、通底する部分があることに驚きは
ありません。

「『プー』する小説」「関係の原的負荷」は、現代社会において、本書が出版されて
から後の約10年間でさらに進行ししていることですが、益々人と人の関係が希薄に
なり、その結果疎外感が深まり、孤立する個人が増加する状況で、文学はどのよう
な方法でこの問題を捉え、解を求めて行くべきかを考察しています。

本書を読んで文学の力に改めて気づかされると共に、この本に書名が挙がるまだ
私が読んでいない大江と村上の作品を、是非読んでみたくなりました。

2018年11月9日金曜日

「福岡伸一の動的平衡 「自然界の不思議 交差する所」」を読んで

2018年11月1日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では、「自然界の不思議
交差する所」と題して、南方熊楠が和歌山へ行幸した昭和天皇へのご進講で、最初に
現地で「ウガ」と呼ばれる生き物の標本について説明したことを通して、熊楠の「萃点」
という考え方について語っています。

「萃点」とは、様々なものが集まる場所のことで、自然界の不思議もそこに交差する
そうです。私は興味を感じて調べてみましたが、熊楠は、自然界の因果律は必然性と
偶然性により構成されていて、「萃点」はその二つが交わる所と考えていたようです。

ちなみに「ウガ」の正体は、セグロウミヘビの尾の先端にコスジエボシというフジツボが
付着した個体で、まるで爪が生えているかのような奇怪な姿をしたもののようです。
ウミヘビにエボシガイが付着したものは吉兆といわれたそうで、確かにウミヘビの尾に
エボシガイのような甲殻類が付着することは、珍しいことなのでしょう。

丁度カメに藻が付着して、ふさふさした尻尾を付けているように見える蓑亀が、吉兆
といわれたのと同じかもしれません。私たち日本人は、古来より自然の中に偶然現れ
たものに瑞兆を見てきたのでしょう。

自然界の因果律が必然性と偶然性より成るということも、昨今は常識となりつつある
ようですが、科学的法則や自然界の絶対的な原理がしゃにむに探求された時代を経て、
現代では科学的思考も柔軟性を帯びて、成熟してきたということなのでしょう。

そういう意味でも南方熊楠は、時代を先駆ける知の巨人であったのだと、改めて感じ
ました。
 

2018年11月7日水曜日

龍池町つくり委員会 57

11月6日に、第75回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

いよいよ11月11日開催の、京都外国語大学南ゼミ企画の「二条薬めぐりスタンプ
ラリー」が近づき、詳細の説明がありました。

実施時間は13時~15時、参加者はマンガミュージアムで受付を済ませ、父兄同伴
の子供はそのまま、子供だけで参加の場合は学生さんがエスコートして、順次
探索ポイントである、越後屋発祥の地、薬祖神社、東田商店、雨森敬太郎薬房の
両和薬店、二条殿址の5か所を巡って、マンガミュージアムに戻ってもらいます。

薬祖神社と両和薬店では、神社の由来、和薬の歴史等の説明を聞き、ミュージアム
到着後それにちなむクイズを解いて、お土産のクッキーを貰ってもらいます。

受付、到着場所であるミュージアムの自治連会議室では、町つくり委員会の活動を
紹介するパネル展示を行い、併せてケツメイシ、ハトムギと菊茶、ハイビスカスと菊茶
を用いた薬膳茶と、古代米を使用したおはぎの接待を行い、参加者に味わってもらい
ます。

ホスト役は現在、南先生はじめ、学生さんを合わせて約8名が出席予定で、当委員会
のメンバーは、参加者の烏丸通横断の誘導を行います。当日予約なしの参加も可能
ですので、奮っての参加を募っています。

学区内の宿泊施設建設問題では、衣棚御池下るで新たなホテル建設計画が持ち
上がり、中谷委員長が建設側の担当者に、地域の事情を考慮した計画を立てる
ようにと、強く要望を出されたということです。

2018年11月5日月曜日

美術館「えき」KYOTO「渡辺貞一展」を観て

画家渡辺貞一の名前は知りませんでしたが、告知ポスターの「フラメンコの女」と
いう絵に惹きつけられて、展覧会を観に行くことにしました。

国画会で活躍した画家ということで、私は公募展では主に日展の洋画部しか観て
いないので、日展のオーソドックスさとは違う表現に期待が膨らみます。ちなみに、
国画会が出来て今年で90年だそうで、本展はそれを記念した催しでもあり、また
青森出身である渡辺の作品を京都在住のコレクターが蒐集し、青森県七戸町に
寄贈したという経緯から京都開催の運びとなったようで、この地で本展に巡り
合った縁のようなものも感じました。

さて会場に入ると、冒頭の「自画像」からただならぬ不穏な気配を感じました。
通常若い頃の画家の自画像は、これから名を成そうという本人の気概や自負心
が見て取れて、意気軒高としたたたずまいのものが多く見受けられますが、この
作品は憔悴して鬼気迫る雰囲気があります。

作品の説明によると、吐血して生命の危機を感じた時に、その自身の姿を描き
留めようと筆を執った絵ということで、しかもその画を以降常にアトリエに飾って
おくと、心が落ち着いたと本人が述懐していることからも分かるように、渡辺は
「死」と「生」を身近なものとして結び付けて、絵画に表現しようとした画家だった
ということです。

この創作姿勢は、本展に展観されるほとんど全ての作品に現れていて、少年少女
にしても、花にしても、風景や後年の人物にしても、主題が漆黒を思わせる闇の
背景からほのかに浮かび上がり、深い精神性を感じさせます。

また深々とした暗闇の黒と対比される、白や赤やブルーの色彩がとても鮮やかで、
観る者を幻想的な世界に誘います。重厚でありかつモダン、独特の洗練された
表現に魅了されました。

この画家の雪深い北国の出自からにじみ出たと推察される、作品の中の決して
妥協を許さぬ内省的な部分も私には新鮮で、本展を訪れていいめぐり逢いをする
ことが出来たと、しみじみと感じました。

2018年11月2日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1269を読んで

2018年10月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1269では
夏目漱石の講演「道楽と職業」から、次のことばが取り上げられています。

  昔の職業というものは大まかで、何でも含ん
  でいる。

明治時代にすでに、漱石はそんなことを語っていたのですね!先見の明に今更
ながら驚かされると共に、現代では彼が考えていた以上の職業の細分化が進んで
いて、彼もこの現実を目にしたらあきれるだろうなと思います。

何も職業だけに限らず、学問にしても、趣味の領域にしても、食べ物や服装の嗜好
にしても、今は色々な分野で細分化が進んでいるように感じます。専門性の深化、
個性の重視ということでしょうか?見方によっては、人間性からますます曖昧なもの
が排除されて、隙なく窮屈になって来ているようにも、思われます。現代社会の堅苦
しさと無縁ではないのかもしれません。

さて職業に限ってみると、私の子供時代でさえ、境界の曖昧な職種があったと感じ
ます。子供の頃のことなので自分でも分かりやすい例を挙げると、当てもの屋など
その最たるものではないでしょうか?私の知っている当てもの屋は、駄菓子も売って
いましたが、主な商売は景品が当たるくじを子供に販売することで、その景品には
おもちゃがあったり、食べ物もあったり、子供にとっては玩具屋と菓子屋とゲーム
センターを兼ねたような店でした。

ここで唐突に話題が飛躍しますが、私たちの三浦清商店は同じ白生地屋ではあり
ながら、京都の一般的な白生地屋が呉服の反物を専門的に商っているのに対して、
色々な種類や生地巾の白生地を反売りだけではなく、切り売りでも販売しています。

それだけお客さまにとっても用途の範囲が広がるということで、多方面の方々に
ご利用いただければと、考えています。

2018年10月31日水曜日

小川糸著「ツバキ文具店」を読んで

小川糸さんの名前は耳にしていましたが、作品を読んだことはありませんでした。
それがこの度、長年ご愛顧頂いている着物雑誌「七緒」の取材で、私たちの
三浦清商店を訪問されることになり、急遽ご著書を読むことにしました。

何がいいかと書店のコーナーで思案して、確かテレビドラマ化もされている本書を
手に取りました。読み始めると若い女性目線で書かれた物語に、還暦を過ぎた男
の私としては戸惑うところもありましたが、次第にほのかな温もりのある独特の
世界に引き込まれていきました。

まず鎌倉というロケーションが、この物語の雰囲気を作り出すのに大きな役割を
担っていると感じました。

生まれも育ちも関西で出無精の私は、行ったことがないのでイメージでしか鎌倉
を語れませんが、私の暮らす京都同様かつて政治の中心であった古い歴史が
あり、神社仏閣も多く落ち着いた印象で親近感が湧き、その上東京から適度な
距離を隔てた位置取りから近代には鎌倉文士と呼ばれた作家が多く在住し、また
映画監督小津安二郎に愛されるなど文化芸術の気分を色濃く残し、おまけに
木々の緑が身近なだけでなく海も近く、自然豊かで開放感がある。観光地として
おいしい食べ物屋やリラックス出来る喫茶店も多い。

私が一度は行ってみたいと夢想する場所のイメージの上に、この若い女性を
主人公とする心温まる人々の交流の物語は展開するのです。

字が書けない人がまだ多くいた時代はともかく、本書のような役割設定の代書屋
が今も存在するのかどうかは知りませんが、この物語を読むと、パソコンで印字
した文字や電子メールが全盛の世の中で、肉筆で手紙を書くことの意味が見えて
来ます。

真心や好意、感謝を本心から相手に伝えたい時に手書きの手紙を送る。しかも
先方を思いやり、細心の注意を払って文字をしたためる。そうすれば印字された
ものやディスプレイ上の文字では表現不可能な真意が相手に伝わるはずです。

また相手への断り状、絶縁状をわざわざ手紙に記して届ける。面と向かって口頭
で伝えるのとは違う、角が立たない、こちらの覚悟を明確に伝えるなどの効果が
あるはずです。

人と人の関係は奥深く複雑です。本書は代書という行為を通して、相手に心を
伝えることの大切さを示しているように感じました。

手紙の書式上の約束事、筆記具、封筒、便箋の用例なども、参考に出来るところ
があると感じました。

2018年10月29日月曜日

幼い頃の逆上がりのこと

新聞紙面の書籍の広告で、幼い頃の小さな成功体験が成長してからのポジティブな
ものの考え方の核となる部分を植え付ける、という内容の本の案内を見つけました。
そこにはその例の一つとして、逆上がりの習得が挙げられていました。

私はこの文章を読んで、唐突に忘れていた幼い日の記憶がよみがえって来るのを
感じました。

小学校低学年の頃の私は虚弱な体質で、幼稚園時代に長期に入院したこともあって
運動が苦手でした。足も遅く、逆上がりが出来ることには憧れながら、到底無理だと
諦めていました。

どんな経緯だったかは分かりませんが、日頃仕事が忙しく、あまり子供を構ってくれ
ない父が、私が逆上がりが出来ないことを知って、近所の鉄製の柵がある家の主人
に使用許可を取ってくれました。その頃の私の背丈なら、その柵の横棒が丁度適当
な鉄棒になったのです。

小学校から帰ると来る日も来る日も、父がアドバイスを送りながら見守る中、逆上がり
の練習をしました。最初は体が全く鉄棒の高さまで上がりませんでしたが、徐々に
接近するようになり、そうすると足を蹴上げるタイミングで腕を折りたむコツも分かって
来て、体が鉄棒に密着するようになったある時、突然に体がくるっと一回転しました。

正直、習得するまでの長い練習期間には、もうやめてしまいたいと思ったことも、一度
や二度ではありませんでした。しかし父が辛抱強く付き合ってくれるので、なかなか
切り出せなかったのです。そして逆上がりが出来た時の達成感、爽快感が、今まさに
まざまざと脳裏に浮かんで来ました。

あの時の父は、それまで出来なかったことが出来た時の喜びを、幼い私に教えて
くれたのだ、と思います。

2018年10月26日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1262を読んで

2018年10月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1262では
お笑いコンビ・オードリーのツッコミ役・若林正恭のエッセー集『ナナメの夕暮れ』から、
次のことばが取り上げられています。

  「共感できないけど一理あるかも」って脳がパ
  ッカーンってなるあの瞬間が好きなのにな。

この頃の日本の社会は確かに余裕がなく、ギスギスしているようにように感じます。
例えば、特に気の張るというほどでなくても他者との交流の場では、SNSなどの
影響もあって建前や正論を語ることが求められ、下手な発言をすると一斉に批判
されかねないという危機感が充満しているように感じられます。

また個人の生活態度にしても、一般にかなり厳しく公序良俗に沿った行動が求め
られ、世間の目の届く領域ではまるで監視されているようなプレッシャーを感じて
しまうことも、ままあります。

どうしてこんな事態になってしまったのかは定かではありませんが、私は一つには
私たちが社会的な自由という場に放り込まれながら、本当の自由の意味がよく
分からず、戸惑っているからではないかと、推測します。

自由に振舞いたくてもどう振舞ったらいいか分からず、逆に他者の身勝手な言動に
は神経を研ぎ澄ます。今度は自由を装おうとして度を越してしまい、他者から非難
を浴びせられ怯えることになる。この悪循環がますます社会を窮屈なものにしている
ように感じるのです。

一見ダメなことも、バカなこともある程度許容される社会、その方が遥かに豊かです
し、私たちは与えられた自由の意味をもう一度噛みしめる必要がある、と感じます。

2018年10月24日水曜日

京都高島屋グランドホール「第65回日本伝統工芸展 京都展」を観て

今回も恒例の伝統工芸展を観て来ました。例の通り染織部門を中心に観て回り
ました。

まず楠光代の花織帯「クリスタル」が目に留まりました。花織という伝統的な技法
を用いながら、美しい藍系の色使いの妙もあり、白い模様とわずかに添えられた
印象的な紅とのコントラストが、宇宙空間を思わせる詩情あふれるモダンな世界
を現出しています。このような清新さは、時代の要請にも十分合致するものだと、
感じました。

次に菅原高幸の友禅訪問着「雨上がり」が印象に残りました。この作品は色彩の
ハーモニーが美しく、最近の友禅作品は全体に硬質な表現が多い中にあって、
柔らかく浮き立つような、それでいて格調を失わない華やぎのある、手書きの
温もりを十分に体感できる訪問着に仕上がっていると、感じました。

武部由紀子の刺繍着物「鉄橋ヲ渡ル」は、染織部門の中でも刺繍作品が少ないと
いうこともあって、継続的に注目して来ましたが、今回の作品は鉄橋の意匠を大胆
にアレンジした図柄に躍動感があり、無地のシンプルな着物の地に抽象的な刺繍
を施すだけではかさを持たせることが難しいという難題を十分に克服した、洗練
された着物になっていると、感じました。

最後に村上良子の紬織着物「風」は、大ぶりの大胆な図柄と、天然染料ならではの
繊細で美しい色彩の微妙なコントラストが絶妙にマッチして、さすがの感覚と技量を
感じました。手織りという多大な手間と時間を要する技術を用いながら、それを感じ
させない軽やかさの表現に、天性の才能が示されているのでしょう。

端正な手仕事の美しい作品を観ることは、一時巷の喧騒や慌ただしい時の流れを
忘れさせてくれます。一般の美術展を観るのとはまた違う充実感を味わわせてくれ
るのも、伝統工芸展の魅力です。



2018年10月22日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1260を読んで

2018年10月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1260では
那覇の公設市場前に小さな古書店を開いた宇田智子の『市場のことば、本の声』
から、次のことばが取り上げられています。

  恋人になると誓うより、仕事への志を語るよ
  り、心を本当に励ましてくれるのは日々の小
  さなできごとだ。

この気持ち、同じく店を営む者として、本当によく分かります。何が心を落ち込ませ
るといって、お客さまが来られないこと、注文、問い合わせの電話がかからないこと
ほど、応えることはないからです。

手持無沙汰にしている時、最初は他の心配事がこまごまと頭に浮かんで来ます。
そして不安を感じたり、後ろ向きな考え方に陥って、心が徐々に暗くなっていくことが
あります。

でもその負の感情を振り払う一番の特効薬は、お客さまとの仕事のやり取りが始ま
ること。注文は勿論、すぐには取引と結び付かない相談事であっても、なにがしかの
端緒が開いて店が活気づくと、私も一気に元気になります。

今年の夏のように自然災害が続くと、いくら興味のある人でも必需品ではない和装の
ことまで気が回らないのは当然とことで、私たちの店でもお客さまとのやり取りが
途絶える静かな時間もありました。

秋の訪れと共に活気を取り戻しつつある店内で、人々の出入り、電話やインターネット
での交流あってこその三浦清商店だという思いを、かみしめています。

2018年10月20日土曜日

是枝裕和監督「三度目の殺人」を観て

私が好きな是枝監督の2017年の映画「三度目の殺人」が、テレビの地上波初放映
ということで、まだ観ていないこともあり早速テレビのチャンネルを合わせました。

これまでの作品とは趣向の違う法廷劇で、凄惨な殺人事件の沈鬱さと何が真実か
わからないもやもや感に包まれたまま、重い余韻と共に映画は終わりました。

過去に殺人を犯したことのある三隅(役所広司)が、首になった工場の社長の殺害
容疑で逮捕され自供、弁護を引き受けた敏腕弁護士重盛(福山雅治)が、死刑が
ほぼ確実と予想されるところを無期懲役に減刑させようと奔走するうちに、三隅の
二転三転する供述から殺人の動機に疑問を感じ・・・。

ざっとこういうストーリー展開の中で、まず、被告の供述を曲げてでも減刑を勝ち
取ろうとする、重盛の強引な法廷戦術が目につきます。それに対抗する検察官の
あくまで対面は守りながら身より実を取ろうとする、両者の虚々実々の駆け引き。

この映画では公正を期するはずの裁判が、弁護側、検察側の思惑の綱引きの結果、
歪んだ判決に至る危険性を示唆しているように感じられます。監督はこういう描写
によって、えん罪事件の存在の可能性や死刑という制度の危うさを、訴えかけている
のではないでしょうか?

殺人を重ねたと思われるにも係わらず、心優しい人物として描かれる三隅のこの
事件の動機を重盛が調べるうちに、三隅が被害者の家族と複雑な関係を持つことが
浮かび上がります。特に身体に障がいを持つ被害者の娘咲江(広瀬すず)は、父親
を殺されたというのに、自身の秘密が公になることも辞さず、法廷で三隅を弁護する
覚悟を持つほどに、彼に好意的です。そのことはどのような真実を示すのか?

三隅、重盛、被害者ともに実の娘との関係が破綻ないしは危機的な状況にあり、
その事実が事件や裁判の行方に濃い影を落とす・・・。この映画は、是枝監督が
主要なテーマとする家族を描く映画でもあります。

拘置所の面会室で三隅と重盛が透明な仕切り板を挟んで対峙する場面、監督は
側壁を取り払って仕切り板の薄い側面を中央に据え、両者の前かがみに向かい合う
顔が、あたかも直接接触するかのように見えるアングルから二人のやり取りを描き、
迫真性、両者の共通点と断絶を表現します。その映像が忘れがたく、強いインパクト
を残す映画でした。

2018年10月17日水曜日

京都高島屋グランドホール「入江明日香展」を観て

注目の若手銅版画家という入江明日香の大規模個展を観て来ました。私は彼女の
作品に触れるのは初めてで、その作風の斬新さが印象に残りました。

初期の抽象的な作品を観ても、文字を中心に据えてそこからイメージを飛翔させて
いくという制作方法が大変ユニークで、心に訴えかけてくる色使いも相まって、後の
才能の開花を予感させます。また逆に、そこから展開する具象的表現にも、初期から
一貫するものが見て取れて、ぶれない制作態度といったものも、感じさせられました。

入江が抽象から、花、昆虫、動物を経て人物の具象表現へと画風、画題を変遷さて
いくにあたり、人物を描きたいと思いながらどのように表現したらよいかと思い悩んで
いる時に、子供がふと、幼いとも大人びたともつかない表情を見せた瞬間に、描き方
のヒントを得たと語っているといいます。

この作者の言葉が、正に彼女らしい人物描写の魅力を凝縮しているというように、
その表現は夢と現実のあわい、過去と現代のあわい、写実とアニメ的な描法のあわい、
といった一点に焦点を合わせることのない、揺れ動くような情動を観る者に喚起させる
と、感じられます。

また彼女の作品が、和紙に銅版画をコラージュし、水彩、墨、箔、胡粉などを施すと
いうミクストメディアの技法を用いて制作されていることも、版画の線のシャープさと
直接描くことによる鮮やかさ、存在感を融合させた独特の質感を生み出していると、
感じました。

伝統的な日本の絵画の美意識を、鋭い感性で現代に移し替えればこのような表現に
なるのではないかと思わせる、刺激的な展観でした。

2018年10月15日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1252を読んで

2018年10月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1252では
先日亡くなった個性豊かな名優・樹木希林の最後の1年を撮ったテレビ番組を観て、
ライター・島崎今日子が3日付けの朝刊のコラム「キュー」に記した、次のことばが
取り上げられています。

  人は生きていたように死んでいく。

樹木希林というと、若い頃から老け役を演じ、歳を重ねては存在感のある老女に
扮して、そのある意味での変わりのなさが、ぶれない女優というイメージを形作って
いた、と感じます。

さて私も最近は、自分がどのように死んでいくのだろうと考えることがあります。中年
に至るまでは、身近に人の衰えから死までを見守ったことがなかったので、死という
ものが実感を伴って心に浮かんでくることがありませんでした。

しかし初めて父の最後を看取り、死というものをある程度具体的にイメージ出来る
ようになり、また自分自身も還暦を過ぎて人生の終盤を意識するようになって、自分
の死ということが気になり出したのだと思います。

確かに父の最後の姿などを見ていると、人は生きて来たことの延長線上に死を迎え
ると感じられる部分がありました。例えば父の死の原因は、長年の生活習慣が導き
出した、いわゆる生活習慣病でしたし、自営業を営んでいたことから、死の間際まで
私たちの店の将来を気にかけていました。

私が今いくら考えても、私自身の死に様はまだ明確な像を結びませんが、良く生きる
ことが即ち良く死ぬことだと思い定めて、これからの人生を生きていく上での目標に
したい、とは思っています。

2018年10月13日土曜日

マーギー・プロイス著「ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂」を読んで

幕末、維新期に日米の懸け橋となった、ジョン万次郎の伝記や物語は幾つも出版
されていますが、アメリカの児童文学者によるそれは私には斬新で、本書を手に取り
ました。

よく知られた話を史実に沿って描いたと謳われているように、まず公正な視点という
ことが印象に残りました。

例えばストーリーの中で私が一番好きな、無人島に漂着した万次郎がアメリカ
の捕鯨船に拾われ、船内で過ごすうちに船長と心を通わせていく場面、日米双方に
偏見や誤解が多く存在する中で、万次郎はアメリカの文明力を目の当たりにして、
それをもっと学びたいと心を開き、他方船長はこの少年の素直さ、勤勉さ、好奇心の
旺盛さが気に入って、アメリカ帰国後は我が子同然に育てることになります。

その過程でも、著者は日米双方の文化やものの考え方を一方に偏ることなく、公正
に描くように努めていると感じられます。万次郎はアメリカの技術力に驚嘆しますが、
同時に几帳面さなど、日本人の方が優れた部分もあると感じていることも、忘れず
描かれています。

万次郎を引き取ることになる船長は、当時のアメリカ人が東洋人の少年を偏見なく、
一人の同じ人間として取り扱い、養育したところに、信仰に基づくアメリカの良心、
先見的な心といった美点を体現しますが、著者は捕鯨船内やアメリカ国内の生活
の中で、万次郎が偏狭な差別に苦しむ様子も、きっちりと描き込んでいます。

またこの描写は史実通りなのかは分かりませんが、万次郎が、アメリカ人の捕鯨の
やり方がクジラの身体の必要部分だけをはぎ取って、肉は捨てるという日本人の
倫理観からは残酷なものであると感じる部分、今日の日米の捕鯨に対する立場の
違いと照らし合わせても、国による価値観の相違ということを、改めて考えさせられ
ました。


2018年10月10日水曜日

京都国立近代美術館「東山魁夷展」を観て

現代を代表する日本画家の一人で、没後20年ぐらいが過ぎても今なお人気の高い
東山魁夷の回顧展を観て来ました。いろいろ事情があってなかなか会場に行けず、
最終日の10月8日に辛うじて滑り込みましたが、開館時間にはすでにチケット売り場
に長い列が出来ていて、改めて作品に触れたい人の多さに驚かされました。

東山の絵画を今まで実際に目にする機会は、私は日展で晩年の作品に出会うことが
多く、その折にも日展日本画の顔として、並みいる作品の中で特別な光彩を放って
いるように感じて来ましたが、今展でその代表作に触れてその素晴らしさに改めて
気づかされました。

例えば代表的な作品の一つ『道』は、図録等ではお馴染みですが、実際に作品の前
に立つと、大きな画面の中央を占める道の褐色を帯びたグレーと、それを縁取る
草叢の表情豊かなグリーンの微妙な諧調やそれぞれの起伏に富む質感、伸びやか
な量感が心地よく、画面上方を絶妙に領する淡い灰青色の空と相まって、絵の中に
吸い込まれて行くような感覚に陥ります。またこの描かれた道は、鑑賞者自身が心の
内で生涯辿る道のようにも感じられました。

このような東山絵画の魅力の秘密は一体どこから来ているのか、と自問しながら
会場を進んで行くと、京都四季習作やスケッチのコーナーに目が留まりました。

これらの作品には彼が京都を題材とする絵画を制作するに当たり、そのエッセンスを
抽出するやり方の跡が残されていて、魅力的と感じる対象に大胆に接近して、その肝
の部分を切り取るような描写法が見受けられました。

また日本の風景を描くにしても、ヨーロッパのそれを描くにしても、それぞれに風土の
特長を示しながらも揺るぎない、彼の絵画特有の普遍的な表現スタイルがあること
にも気づかされました。

これらの特徴から、私は東山の作品では、東洋の伝統や日本的な美意識を残し
ながらも、それを現代的な絵画として洗練させるために、モダンで大胆な構図の画面
作りや西洋的な量感表現を駆使して、独自の表現を生み出していると感じました。

彼こそその頃の日展が標榜した、現代社会に通じる日本画を体現する画家であった
のだと、納得させられました。




2018年10月8日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1249を読んで

2018年10月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1249では
ドラマ「ハゲタカ」(原作・真山仁、脚本・古家和尚)第7話から、主人公のやり手の
投資家・鷲津政彦の次のことばが取り上げられています。

  金や力がなくても、守るべきもののためにあ
  がき続ける人間はいる。そういう人間は夢な
  んて語らない。

何を隠そう私も、このドラマを最終回まで楽しみました。勿論誇張や、都合のいい
ストーリー展開があって、現実はこのように胸がすく結末にはなりませんが、鷲津
役の綾野剛の熱演にも引っ張られて、最後まで目が離せませんでした。

こういうドラマが受けるのは、私たち庶民が常日頃、自分たちの手の届かない
ところで勝手に決定され推し進められる、政治政策や経済運営上の失敗が、私
たちの生活に直接大きな被害やしわ寄せをもたらすと考え、強い憤りを感じている
からで、せめてドラマの中でもうっぷんを晴らしたいと思うからでしょう。そういう思い
は、私たちの生活実感が厳しいほど高まりますので、今なおこの種のドラマが放映
されるのは何をか言わんや、です。

さて現実と照らし合わせても、確かに窮地に陥り投資を請う相手に夢を語るのは、
夢想的に過ぎると私でも感じます。経営において夢を持つことは大切ですが、確
たる裏付けや展望なしにそれを語ることは、絵空事になってしまうでしょう。

私たちも店を続ける上で、ささやかでも夢は持ち続けたいと考えますが、それは
そっと心に秘めて、あくまで現実的な思考法で日常の業務に邁進したいと思い
ます。

  

2018年10月5日金曜日

眉村卓著「妻に捧げた1778話」新潮新書を読んで

作家眉村卓については名前を聞いたことがあるぐらいで、作品を読んだ記憶もあり
ませんが、やはり、死を宣告された妻に毎日一話の物語を作って語り聴かせると
いう、本書の成立の経緯とタイトルに興味を覚えて、ページを開きました。

読み始めてまず、眉村が恐らくショート・ショートを得意とする作家であるとはいえ、
毎日一話の物語を何年にも渡り創作するという、発想力と持続力の途方もなさに
感じさせられましたが、作者が妻のために物語を作ることになった事情の説明や
彼女の闘病の様子、更にはさかのぼって夫婦の来し方の回想のエッセイの間に、
創作日時順に3つのパートに分けて挟み込まれた、実際の一日一話から選び出さ
れた数編の物語と、それぞれの作者自身による解説を読み進めるうちに、小説家
とその妻という彼ら夫婦の絆の強さに感銘を受けました。

記載された一話をパートごとに区切って見ると、眉村も創作過程の前提条件として
説明しているように、第1のパートの初期の数編は、作者自身が妻の病の経過の
衝撃的な事実を知り動揺を禁じ得ず、またそのような絶望的な状況に置かれた
彼女を慰め、励ますための物語として、作者がどんな話を作るのかまだ手探りの
状態で、更には彼女の病状をおもんばかってストーリーに様々の制約を設けていた
ので、相対的に物語に起伏が乏しく、伸びやかさに欠けるように思われます。

第2パートの数編になると、作者も大分この創作方法に手慣れて来て、発想の
面白さやストーリーの大胆な飛躍に読みごたえを感じます。彼の妻も症状の進行の
渦中でも夫の紡ぎ出す物語に、少なからず慰安を与えられたのではないか?
そんなことを思わず想像したくなります。またこのパートの話の中には、作家自身
のこの過酷な現実を何とか転換出来ないかという無意識の願望が垣間見える作品
もありました。

最後の第3パートでは、いよいよ作者の本領発揮、読後考えさせられたり、余韻の
残る作品が見受けられました。眉村は間近に迫る夫人の死を運命として静かに
受け止め、残されたわずかな時間を慈しみを持って妻に寄り添う覚悟を決めたよう
に思われます。

この側々とした感動の伝わって来る本を読み終えて、本書が当初は最愛の夫人の
レクイエムとして編まれながら、結果として作者がこの一日一話の業を成し遂げる
ことによって、自らが妻の死という残酷な試練を克服した記録としても読むことが
出来ると感じます。その意味で優れて著者の内面を掘り下げる好著でした。

2018年10月3日水曜日

龍池町つくり委員会 56

10月2日に、第74回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

この日は珍しく中谷委員長が欠席されたので、学区の宿泊施設建設問題等の
報告はありませんでした。

京都外国語大学のプロジェクトは、開催予定の時期も迫って来たので、南先生
よりの報告、委員会での検討が行われ、今回のテーマである薬祭りにちなみ、
烏丸通りあるいは、東洞院通りから、堀川通りまでの二条通り界隈の、薬祖神社
を中心とする関連のワーキングポイントを巡るスタンプラリーを実施する。ポイント
の候補としては同神社の他に、和薬店、関連の石碑、こぬか薬師などが挙げられ
ました。

出発、到着点である京都国際マンガミュージアムの自治連合会会議室では、
古代米を用いたお菓子と薬草茶(どくだみ茶)を振る舞い、町つくり委員会の活動
のパネル展示も行います。

開催の日時は、11月11日(日)午後1時からと決定しました。この日は午前中に
龍池学区総合防災訓練が同じ場所で開催されますが、外大プロジェクトが日曜日
に実施されるのは初めてのことで、学区の既存の行事の後で開催することに
よって相乗効果も生まれるかという期待もあって、この日時に確定しました。

地域の子供たちの勧誘方法としては、チラシを1,000部用意して、御所南小学校
で配布してもらうことになりました。少なからぬ反響があることを期待しています。

続いて、恒例の新春の着物茶会が、来春はミュージアムで開催予定の行事の
都合で実施出来ないので、その代替となる茶会の検討が行われ、3月31日
午前中の予定で、お花見を兼ねた野点茶会を開催することになりました。
この茶会も、勿論洋服での参加も可能ですが、普段少ない着物を着る機会を提供
しようということで、和服での参加を奨励することになっています。

2018年9月30日日曜日

鷲田清一「折々のことば」1239を読んで

2018年9月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1239では
漫画家宮原るりのコミック『僕らはみんな河合荘』⑪から、次のことばが取り上げ
られています。

  「大人になっても〇をつけてもらいたい時が
  あるの」

ちなみに、〇はマルと読むそうです。「残念な」若者たちの下宿「河合荘」を出て、
田舎に戻り父親の会社に入った元下宿人が、河合荘に遊びに来てぐちを言い
つつ、父親をねぎらう言葉を発した時に、管理人が返したことばです。

確かに私たちもねぎらったり、ほめてもらいたい時がある。それどころか、自分の
存在や働きを誰かに承認してもらいたいために、我々は日々頑張っているのでは
ないか、と思われる節もあります。

分かりやすいように仕事という側面から考えてみると、勿論、自分自身の達成感を
求めて、仕事に精を出すという部分もあるでしょう。何か無からものを作り出す仕事
であれば、なおさらそうかもしれません。

でもたとえそのような仕事であっても、作り出したものが独りよがりであれば、それ
は結局社会の中で生かされないことになってしまうでしょう。

ことに我々の商売のような、仕入れ先や職人とお客さまをつなぐ仕事であれば、
納めた品物を介してお客さまに満足を与え、仕入れ先とはきれいな取引をして、
職人には気持ちよく仕事をしてもらうことが、大切なこととなります。

そうであればさしずめ、それぞれの相手に笑顔を向けられたり、感謝の言葉を
掛けていただくことが、私たちにとっての〇でしょうか?それもじっくりとした人間
関係を築いた上での、心からのものであれば言うことはありません。

2018年9月28日金曜日

京都国立博物館「池大雅 天衣無縫の旅の画家」を観て

江戸時代中期に京都で活躍した画家では、伊藤若冲、円山応挙の作品には展覧会
などでよく親しんで来ましたが、池大雅はその名はよく知るものの、まとまった作品を
目にすることがありませんでした。そのため今回の85年ぶりの大規模回顧展には、
期待を持って会場に足を運びました。

先に記したように、私は池大雅の絵画というものに対する漠然としたイメージさえ
持っていなかったので、全体を通して観て大変新鮮でしたが、大まかな印象として、
山、岩の表現に代表されるように形が柔らかく、伸びやかであること、水墨描写が
主で彩色はあくまで控えめ、何ものにも囚われない流動的な気分を醸し出すこと、
が目につきました。

最近人気の若冲に比べて一見インパクトが少なく、訴求力が乏しいように感じられ
ますが、じっくり観ると自身が画中に佇み、登場人物と一緒に風景を愛で、交友を
楽しむ感興が湧いて来て、当時の絵画の王道はこれではないかと思われて来ます。
それほどに、私たちが積み重ねて来た文化の源流の一地点に立ち返らせてくれる
ような趣きを持つ作品でした。

ではなぜこのような感興が催されるのか考えてみると、大雅が中国の書、絵画に
造詣の深い教養人、いわゆる文人であり、体制の思惑を離れて彼ら文人によって
営まれた文化こそが、当時の一つの主流だったからではないかと思われて来ます。

実際に今展の出品作を観ていると、彼はまず書家として頭角を現し、絵画は中国
伝来の手本を通して研鑽を積みます。彼の画にはしばしば讃と呼ばれるその画を
讃える、あるいは注釈する詩文が添えられていますが、彼の画に親しい文人が讃を
寄せ、仲間の画に彼が讃を返すことによって彼らは交友を重ね、互いに影響し、
知識や技量を高め合っていたと思われます。

私が本展を観てもう一点興味深かったのは、大雅の画に讃を添えた人物や書簡の
宛名などに、当代一流の知識人、文化人の名を見つけたことで、文人の親しい交流
が彷彿とされ、和やかな気分に浸ることが出来ました。

晩年の大雅は画境を一段と深めて行きますが、その主要な要因として、彼が生涯
に渡り旅を重ねたことを忘れることは出来ないでしょう。事実、旅先の風景を描いた
優れた作品を多く残しています。

後期の代表作の稀有壮大さ、悠久の時の現出は、旅によって培われたものと切り
離して考えることは出来ないでしょう。

2018年9月26日水曜日

荻野慎階著「古生物学者、妖怪を掘る」を読んで

古生物学者と妖怪という、一見ミスマッチな取り合わせが面白く感じられて、本書を
手に取りました。

科学的な手法で物の怪や妖怪の正体を探るとでも言うのでしょう。でも、著者の
実際の探求の道筋や結論は説得力があり、多くの点で納得させられる思いが
しました。

怪異や妖怪の正体の多くが、自然現象や古代の生物の化石など、昔の人々に
とって人知の及ばない不可解なものとみなされた現象や物体のことで、そのように
受け止めることで、人々は恐ろしいなりに心の均衡を得ていたのかも知れません。

しかしそのもの自体の正体が分からないなりに人々の観察眼は鋭く、後々の
科学的思考法の萌芽を見る思いがします。昔の人もなかなか侮るなかれ、と感じ
ました。

著者の推論の中で私にとって特に興味深かったのは、古代のゾウの頭部の化石
が一つ目の入道とみなされただろうことと、クジラ、イルカなどの海棲動物の骨格
化石が一本足の妖怪とみなされたのではないか、という部分でした。

目の前に現実にあるものが正体不明で、雲をつかむような存在である時に人は、
一体そこから何を想像するのか、私たちがUFOや宇宙人を思い描くのにも通じる、
人間の空想力に思いが及びました。

さて古生物学者が化石を復元する時にも、このような想像力がものを言うことを
知って、科学というものの根源には夢を見る力が大きく働いていることに、改めて
気づかされる思いがしました。

2018年9月24日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1234を読んで

2018年9月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1234では
文明と接触をもたないアマゾンの先住民「イゾラド」の記録を制作して来たNHK
ディレクター・国分拓の近著『ノモレ』から、先住民の次のことばが取り上げられて
います。

  私は、今とずっと後のことだけを考えてい
  る。だから、明日の約束はできないが、百年
  後の約束ならできる

百年後の約束なんて、私たちには最も不可能な、途方もない約束のように思われ
ます。出来るのはせいぜい、息災で生きていられそうな年月までの約束でしょう。

でも我々の先祖を含め、神仏の功徳を切実に信じていた頃の人々は、後世を頼む
という意味でも、百年後の世界を思い描いていたのかもしれません。

ですが現代の生活状況に則して考えるなら、百年後の約束が出来るということは、
本当に凄いことだと思います。何故ならこの長い年月を見通せるだけの、確固と
した信念と自負を持っているということですから。

私たちは往々に、霞を通したような状態でしか予想の付かない、近い将来のことを
悲観的に考えて不安になったり、気分的に落ち込んだりします。あるいは社会の
移り変わりの激しさを達観して、肯定的な未来を想像することを断念してしまって
いるのかも知れません。

社会システムにしても個人の思いでも、人と人の善意の絆によって受け継がれ、
百年後が思い描ける環境が整うなら、それが今日のような社会でも我々が未来を
信じて生きていける唯一の方策ではないかと、このことばを読んで感じました。

2018年9月21日金曜日

「福岡伸一の動的平衡 「過剰さは効率を凌駕する」」を読んで

2018年9月20日付け朝日新聞朝刊「福岡伸一の動的平衡」では、「過剰さは効率を
凌駕する」と題して、生命現象が〝想定外〟の事態に対していかに対処しているか
ということについて、語っています。

まず免疫システムにおいては、病原細菌、新奇なウイルス、化学物質などの侵入に
対処するため、DNAのランダムな組み換えと積極的な変化によって、百万通り以上
の抗体を準備し、この中のどれかが役に立てばいいという態勢を取っているといい
ます。

またヒトの脳は生まれた後、神経細胞同士がさかんに連合して積極的にシナプス
結合を形成し、過剰なネットワークを作って環境からの入力を待ち構え、よく使われ
たシナプスは残り、使われなかったシナプスは消え、10歳ごろまでにそのシナプス
は半減するということです。

途方もない年月の激しい環境変化に耐え、一見効率が最優先であるかのように思
われる生命現象が、贅沢ともいえる過剰な準備を前提にこのようなシステムを作り
上げていることに、驚かされます。

しかし考えてみれば自然界においても、生命の多様性の上に良好な環境が作られ
ていて、その一つのピースが欠けると環境破壊が進むということも、よく知られて
いる事実です。潤沢に準備して想定外に備えることによって得られる柔軟性は、
生命現象持続の重要なキーワードなのでしょう。

ヒトの脳の幼年期における必要以上のシナプスの準備も、より複雑な環境に順応
出来る能力を醸成するためであることは明らかですし、無駄に見えるものが実は
無駄ではない、ということなのでしょう。

我々現代人は、経済活動などにおいて効率化が至上の価値のようについつい考え
勝ちですが、当の私たちの体内の生命を持続するシステムが、ある意味過剰さを
信奉しているという現実を知って、少し考え方を改めるべきなのかもしれません。

2018年9月19日水曜日

国立国際美術館「プーシキン美術館展ー旅するフランス風景画」を観て

プーシキン美術館が所蔵する、17世紀から20世紀のフランスの風景画65点を展観
する展覧会です。

まずフランス近代風景画と限定してこれだけ充実した展覧会が企画出来る、プーシ
キン美術館のコレクションの質の高さに、改めて驚かされます。

さて風景画というジャンルが、宗教画や肖像画などに比べてかなり遅れて確立された
という影響もあって、17世紀から20世紀までを年代順に括って観て行くと、風景画の
変遷や発展がよく見えるように感じられました。

つまり17世紀の風景画は、かつて風景というものが他の主題の背景に過ぎなかった
名残を残すように、同じ風景画にしても神話の場面や人々の生活、廃墟などを描き
込むことによって、物語性を伴うように表現されているように感じられます。

しかし時代を下るにつれて風景そのものの美しさや抒情が、画家をキャンパスに向か
わせる動機となって行くように思われます。更には近代化の進展が、都市風景を描く
風景画を生み出し、都市郊外を愛でる絵画を生み出して行きます。そして20世紀の
風景画の多くは、画家本人のフィルターを介した独自の作品になって行くように感じ
られました。

各時代に魅力的な風景画が沢山ありましたが、今回とくに私の印象に残ったのは、
20世紀の風景画からアンリ・ルソーの「馬を襲うジャガー」でした。

この独特の絵画は、画家が植物園の情景などから想を得て、想像力だけで熱帯の
ジャングルを描き上げたといいます。そのためか現代のイラストや絵本の世界に
通じるような、一見鮮やかな原色を使った動きの少ない平面的な描写でありながら、
神話的世界のような重厚感、奥行きがあり、一度見ると脳裏に焼き付く作品です。

2018年9月17日月曜日

末木文美士著 ミネルヴァ日本評伝選「親鸞」を読んで

私は浄土真宗の門徒ではありませんが、宗教家としての親鸞には興味があります。
なぜなら彼は、キリスト教におけるプロテスタンティズムの立役者マルティン・ルター
に比肩されることもある日本仏教の改革者と目され、更に彼の創始した浄土真宗
は、現代日本の仏教界で最多の信者を擁するまでに発展を遂げているからです。

また彼の既存仏教改革の意志が体制側の反発を買い、師に当たる法然共々一時
流罪に賦されるなどその起伏に富む生涯が、私の彼の思想への関心を掻き立てる
のかもしれません。

さて本書は、冒頭に記されているように、評伝を著すにあたり親鸞本人の生涯の
記録や著作が少なく、反面親族や後継者の著述が多く残されていることから来る
解釈上の偏りや、また彼を巡る近代以降の言説の合理的な価値観に則した理解
の弊を避けるために、彼の生きた中世という時代に寄り添い、文献は本人との
距離や立場を考慮しながら、出来るだけ客観的な解釈を試みる方法が取られて
います。

それゆえ原典の記述や仏教用語が多用され、古文や仏教の知識が乏しい私には
かなり難解でした。どこまで理解出来たかははなはだ心もとないのですが、以下に
感想を記してみたいと思います。

まず最初に印象に残ったのは、中世の人間にとって夢というものが、生きて行く上で
大きな意味を持っていたということです。親鸞が法然の門下に入るきっかけとなる
六角堂の夢告は、私は従来宗派の開祖に相応しい象徴的な出来事と感じて来まし
たが、中世の人の人生における夢の比重に照らせば、彼自身の将来を確定する
必然的な出来事と納得させられる思いがしました。

私たちが合理的なものの考え方を獲得することによって失った、人間の元来持って
いた無意識の世界との親和性に、しばし思いを馳せました。

仏教の革新ということについても、彼の求めたのは既存仏教の断絶ではなく、新たな
価値を付け加えることであったと思われます。しかし彼の教義が継承される上で、
それぞれの後継者の思惑により、あるいは教団を維持するための時代による要請
が付け加えられて、更には彼の思想を援用する人間の都合の良い解釈が賦与され
て、現代における親鸞のイメージが形作られていると感じられました。

本書を読んで、宗教思想というものが人間の生の長い蓄積の中で変容を遂げるもの
であることを、強く感じさせられました。

2018年9月14日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1225を読んで

2018年9月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1225では
17世紀フランスの哲学者パスカルの『パンセ』から、次のことばが取り上げられて
います。

  わずかのことがわれわれを悲しませるので、
  わずかのことがわれわれを慰める。

確かに私たちの心は、常に揺り動かされています。

例えば、あることを決断したとしても、それが確信のないことであれば、その後
果たしてその選択で良かったのか、と往々に不安が頭をもたげて来ますし、そう
いう場合に得てして決断が揺らぎ、決定を覆して後々後悔することにもなります。

また、私たちの心は絶えず満ち足りた思いや不満、うれしさや悲しさの中に揺れ
動いていて、一点にとどまることがないように思われます。

美味しいものを食べるとか、素晴らしい音楽を聴き、心を動かされるような絵画に
巡り合うなどという、何も特別な体験がなくとも、ちょっとした人の親切や優しい
言葉に触れ心を和ませられ、可憐な花や可愛い小動物の仕草に思わず笑みを
漏らしたり、一瞬のうちに幸福な気分になることがあります。

逆に、心無い言葉を掛けられたり、自分の言動が人を傷つけたのではないか
と感じられたり、何かの拍子に孤立感に囚われると、急に心が沈み、落ち込んで
しまうこともあります。

そのように揺れ動く心をなるべく平静に保つには、出来ることなら少しだけ満ち
足りた思いを持続させられるようにするには、その秘訣はなかなか難しいことでは
ありますが、何事をもポジティブに捉えるように心掛けることではないか、と最近
考えるようになって来ました。

2018年9月12日水曜日

龍池町つくり委員会 55

9月11日に、第73回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、本来当委員会の定期会合は、第一火曜日に開催されることになっています
が、9月の第一火曜4日はご存知のように、台風21号の接近が予想され、京都国際
マンガミュージアムもあらかじめ休館が決定したので、今月の委員会は第二火曜日
の11日に開催される運びとなりました。

この事態は当委員会発足後初めての異例のことで、今年の7、8、9月が近年にない
異常気象であったことが、改めて感じ取れます。地球温暖化に伴って、これからは
夏季にこのような気象状況が続くことも予想され、私たちも認識を新たにしなければ、
と感じさせられました。

中谷委員長の開会挨拶の後、今回は私からまず、学区内の大恩寺町で進めようと
しているプロジェクトの説明と報告を行いました。これは、明治時代初期に当町内に
居住していた、京都を代表する本屋の一つである風月庄左衛門の残した資料が、
京都府立京都学・歴彩館に保管されていて、その中の庄左衛門の日記を現代語に
翻訳して、読解可能にしようという試みです。

今月28日に、町内の有志が歴彩館を訪れ専門家と面会して、具体的な進め方を
話し合い、目途が立てば金銭の問題もあるので、町内住民の承認を得て、実際に
プロジェクトを始める予定であるということです。各委員からも推移を見守りたいと
いう、温かい意見が出ました。

続いて、マンガミュージアムで開催した今年の夏まつりの結果報告に移り、1700名
近くの参加者があり盛況でしたが、あらかじめ食券を販売していた売店での食べ物
の提供がスムーズに行われず、結果的に待ち時間が長かったり、欲しい食べ物が
手に入らない事態が起こった、ということでした。これを教訓として、来年に向けては
新たな方策を考えなければならない、ということになりました。

最初にも述べたように今夏は異常気象で、当学区の災害避難場所でもあるマンガ
ミュージアム内に、避難所開設準備をしなければならない事態も起こりました。この
ような事態は今後も繰り返されることが懸念され、防災という観点からも、人員、
装備も含め、再検討が求められていることを、委員会メンバーで確認しました。

2018年9月9日日曜日

「福岡伸一の動的平衡 「人間が描く”絵空事„」」を読んで

2018年9月6日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「人間が描く”絵空事„」と題して、ルーブル美術館にあるジェリコーの有名な競馬の
絵が、正確さという点では実際の馬の動きの写真のコマ撮り画像と異なっているの
にも関わらず、それ以上に躍動感があるということから説き起こして、機械は延長を
欠いた一点としての現在しか捉えられないが、人間の知性は現在を点ではなく、
未来と過去を同時に含んだ空間として考えることができる、ということについて語って
います。

私は筆者のフェルメールの絵画の解説によって、画家が科学の黎明期にカメラの
前身であるカメラ・オブスクラを使って、自然をより遠近感を伴い鮮明に捉えようと
したということに興味を持ったので、今回の話である意味対照的な、機械の目を超える
人間の目のリアリティーに、改めて感銘を受けました。

最近はAIの発達が目覚ましく、近い将来多くの人間の仕事がAIに取って代わられる
のではないかという危惧が、かまびすしく語られていますが、上記の話は、人間の能力
の再確認にもつながると感じました。

私も含め人間というものは、地球という常に一点にとどまらぬ自転運動を続ける惑星の
上で生活し、自らの肉体もたゆまぬ新陳代謝を繰り返す生命現象によって維持されて
いるにも関わらず、いやそれゆえにか、いつも生存条件の安定や、物事を静止した
状態で認識することを嗜好する存在であるだけに、今日の身の丈を超える急激な科学
技術の発達には、強い危機感や戸惑い抱いているように感じます。

人間が本来持っている想像力を信じて、科学技術に振り回されない生活ビジョンを
再認識すべき時期に、差し掛かっているのかもしれません。

2018年9月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1216を読んで

2018年9月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1216では
『死とはなにか』(F・シュワップ編、原章二訳)から、フランスの哲学者ヴラジミール・
ジャンケレヴィッチの次のことばが取り上げられています。

  死は生に意味を与える無意味なのです。

私は常々、哲学者とは回りくどい物言いをするものだ、と思って来ました。でも確かに
そういう思考法の方がより考えが深まり、普遍性に近づくことになるのでしょう。この
ことばも、正にそんな言葉です。

ガンジーの残した有名な言葉に、ー明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかの
ように学べ。ーというのがあります。人は限られた命であると感じる時、往々に一瞬の
生を燃焼しようと考えるものでしょうし、永遠の時があるのなら、思う存分に学ぼうと
達観するものなのかもしれません。

例えば死後の世界など存在せず、死によってもたらされるのが底なしの虚無であって
も、生きているうちに死を意識することは、その人の人生を意義のあるものにするに
違いありません。そういう点でも死は、我々にとって意味のあるものなのでしょう。

昨今は医療技術の発達や人間関係の希薄化によって、私たちにとってますます死が
見えにくいものになり、それを意識することが難しくなって来ているように思われます。
それは同時にまた命というものの尊さへの想像力をも、奪っているように感じられます。

生きることの実感を得られないということは、せっかくの有限の人生を生きて行く上で、
不幸なことだと思います。私自身もおぼつかないながらも、少しでも死や生について
考える時間を持てれば、と思っています。

2018年9月5日水曜日

京都高島屋7階グランドホール「写真家沢田教一展ーその視線の先に」を観て

私たち及びそれより年上の世代は、ベトナム戦争というと、緊張と不安の入り混じった
形相で、川に身を浸しながら必死で避難する2組のベトナム人の母子を活写した、
カメラマン沢田教一のピュリッツァー賞受賞作「安全への逃避」を、記憶の一つとして
思い浮かべるに違いありません。

しかしその写真は鮮明に焼き付いていながら、沢田の人となりや、まとまった作品は
観たことがなかったので、本展に足を運びました。

まず本展は、彼が写真家を志す過程からを家族提供の記録写真や遺品、そして勿論
彼の写真作品によって辿って行きますが、沢田が写真に係わる人生を実質上スタート
させ、また良き理解者である伴侶を得た場所が、在日米軍の三沢基地の写真店で
あったことに、彼のその後の人生を決定づける運命的なものを感じました。

沢田は裕福な生い立ちではありませんでしたが、写真店に勤務しながらふるさと青森
の原風景や、基地関係者としての特権により米軍施設や軍人家族の写真を撮ること
によって、カメラマンとしての腕を磨いて行きます。

特に厳しい自然環境の中に生を営む青森の漁民や、その家族を優しい眼差しで写し
取った作品には、彼が写真に取り組むスタンスの原点のようなものが感じられて、彼
の作品世界への理解が深まった思いがしました。

東京に出てUPI通信に勤めることになった沢田は、次第にベトナム戦争の戦場撮影
へとのめり込んで行きますが、彼が戦場で有利なポジションで写真を撮影することが
出来たのは、三沢基地時代からのつてで米国系の通信社に勤務していたからという
指摘もあります。

しかし本展で彼の戦闘場面の写真を観ていると、米軍の側から撮影しながらも客観的
なスタンスを保ち、戦争の本質を公平な視点で写し取ろうとする姿勢が感じられます。

このような立場からの写真撮影が許されたのは、当時の米国に戦争を遂行しながらも、
まだ報道に対する公正さや自由が保持されていたからかもしれません。

更に沢田の写真には敵味方の別なく、人間というものへの優しい視点、とりわけ戦争
の一番の犠牲者である名もなき庶民の女性子供への、いとおしさを伴う眼差しがあり
ます。これらの特性ゆえになお、戦争の悲惨さ、愚かしさが鮮やかに浮かび上がるの
です。

最後に戦場を仕事場とした彼の目覚ましい活躍は、彼の妻サタの理解と献身なしには
到底成し得なかったと感じられます。彼の早すぎる死後も彼女の貢献によって、この
ような充実した展覧会が開催されたことを、有難く感じました。

2018年9月3日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1212を読んで

2018年8月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1212では
哲学者・武道家内田樹のツイッターより、次のことばが取り上げられています。

  「存在しないもの」は文化の違いを超えて、
  誰にとっても存在しないので、それがもたら
  す欠落感や悔恨や恐怖や不安は共有できる。

さすがに、我々の日常の思考から一段掘り下げた地点から発せられる、説得力に
富む深い考察だと感じます。

人が生きて行く上で、「本当に大切なものは目に見えない」というけれど、私たちは
そういうものに得てして日頃は無頓着で、でもそれを失ったときに初めて、その大切
さに気づくのに違いありません。

生み出すことは前向きの思考で、喪失は振り返りの思考。とかく前を向くことばかり
求められる今日この頃ですが、このことばは顧みることも大切であると、教えてくれ
ているように感じます。

さて私たち日本人は、「存在しないもの」だけではなく、「存在するもの」、例えば
日常に愛用する道具などにも、使い込む内に心が生じると考えて来たように思い
ます。

そのような感じ方が、道具や日用品を体の一部のようにとらえ、その存在に感謝し、
なお大切に使うという思考を育んで来たのだと感じます。

西洋的な合理主義が浸透して、そんな感覚もだいぶ失われて来ましたが、それこそ
がかつての私たちの美徳の一つであったと、思われてなりません。

2018年8月31日金曜日

2018年8月23日の「天声人語」を読んで

2018年8月23日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、俳優児玉清の群馬の集団
疎開先での記憶として、自分たちの東京の家が空襲で焼けたというショッキングな
先生の報告に、かえってお国の役に立ったと万歳した少年たちの異常な振る舞い
から語り起こして、筆者自身が藤田嗣治の戦争画「アッツ島玉砕」を観ての感想を、
印象深く記しています。

私もかつて藤田の「アッツ島玉砕」を眼前にして、その圧倒的な迫力と存在感に
言葉を失いました。画面を埋め尽くす夥しい数の兵士が折り重なり、入り乱れて、
凄惨な戦い、殺戮を繰り広げています。それは正に修羅場ですが、誤解を恐れず
に言えば、それでいて何か崇高な、人知を超えたような趣きがあります。つまり、
反戦、好戦を超越した、人間の所業を高所から見下ろす神の視点のような・・・。

日本の伝統絵画の合戦図、西洋の歴史画などにおける戦闘場面は数多く目に
して来ましたが、それらの名作にも引けを取らない完成度があるように感じました。

しかし同時に、藤田のこの作品がその制作の経緯から、敗戦後長く、戦争啓発画
として一目に触れないところにとどめられ、ようやく公開が実現するようになった
ことも、厳然たる事実です。

あの戦争の熱狂や混乱のさなかに、藤田がいかなる想いでこの画を描いたかは、
戦後生まれの私には想像だに出来ませんが、少なくともこの作品が単なる戦意
高揚の手段を超えた名画であり、それにも関わらず戦時中には民意を操るために
利用され、敗戦後は政治的思惑から逆に忌避されたことは、戦争というものの
忌まわしさを示す一つの証拠ではないかと、私には思われたのです。

2018年8月29日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1204を読んで

2018年8月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1204では
建築家光嶋裕介の『ぼくらの家。』から、京都市内にある築80年の古民家を光嶋に
リノベートしてもらった出版社主三島邦弘の、次のことばが取り上げられています。

  僕が感じた「気持ちいい」は、この土地に重
  層的に積み重なる歴史のなかに自分がコミッ
  トしはじめた、そのことを感知したから

私たちの店及び自宅は、建築された年も判然としない古民家と言ってもいい京町家
ですが、後から譲ってもらった居住スペースを除き、体裁のいいリノベ―トもしない
ままに、壊れたところを繕い、いくらかは住みやすいように改修して、今日に至ってい
ます。

でも、もし強い地震が来れば保障の限りではありませんが、住めば都、年月が降り
積もった古い柱や建具、飴色に変色した天井板は、私に安らぎと落ち着きを与えて
くれます。私にとってこのような効果は、新築の家ではとても期待できないと感じ
ます。

また母屋と離れの間にある坪庭は、以前にも書いたように剪定、施肥、草引きなど、
何かと手間がかかり、特に今年のような猛暑続きの年は、水をやらなければならない
と、ほとんど強迫観念に近い思いに取りつかれたほどでしたが、その代償と言っては
何ですが、狭いながらも四季折々の風情を楽しむことが出来、気持ちが落ち込んだ
時も、心を和ませてくれます。

結局この家に代々住み続けて、先祖が見守ってくれているという安心感、あるいは
例え肉親ではなくとも、以前に住んだ人々が大切にその家を手入れして来たに違い
ないという信頼感が、今現在住む人の心をも包み込むのではないでしょうか?

2018年8月27日月曜日

椹木野衣著「感性は感動しない」世界思想社を読んで

椹木野衣は既成の価値観に縛られず、我が国の優れた現代美術を積極的に紹介
して来た美術評論家として、私にとって気になる存在です。本書は冒頭に掲げられた
「感性は感動しない」という発表後反響を呼んだ一編を契機として、美術評論家椹木
野衣が生まれるまでの彼の来し方、現在のポリシー、美術の見方や批評の作法を
綴る、著者初の書下ろしエッセイ集です。

当然本書の核は書名にも採られている上記の一編で、著者が「はじめに」の中でも
勧めているように読了後この文章を再読しましたが、扱っているのが感性という
抽象的なものであるだけに、私にはどれだけ理解出来たか確信が持てません。ただ
私の解釈の範囲で述べると、観る者にとってここで言う感性は芸術を享受する心と
思われます。

そのような心は、勉学や訓練で一朝一夕に鍛えられるもものではありません。また
作者の来歴や市場価値などの外部情報に左右されるものでもありません。更には、
思い込みや共感に振り回されるものでもないのです。鑑賞者にとって優れた美術
作品とは周囲に影響されることなく、純粋に喜怒哀楽を伴って心を揺り動かされる
作品なのです。このように読み取れます。

今日の価値観の多様化の中で、美術の枠組みもかつてより遥かにボーダレスなもの
になり、それゆえその鑑賞には本質をつかむことが求められいる時代に、著者の
感性の定義は正に核心を突いているように感じられます。

ではこの感性を養うにはどうすればいいのか?芸術は無論のこと、多くのものを
見て、多くのことを体験し、多くのことを感じ、自己を確立することが肝要であると、
著者の来し方は示唆します。

また彼の美術批評家としての客観的分析力を垣間見せるのは、子供の絵がなぜ
素晴らしいかを解き明かす部分で、子供の身体的特長や能力が図らずもそれを生み
出すことを明らかにして、安易な思い入れや先入観を戒めます。

彼の批評の原点が、学生時代の仲間内での新着レコードや公開映画談義にあると
いうことにも、感銘を受け、納得させられました。新しいものの評価にこそ、その
批評家の真の力が試されるところがあり、著者が現代アート界をけん引する幾多の
才能を見出したことは、彼が卓越した美術批評家であることの証左でしょう。

著者が美術に対する時の人並外れた生真面目さにも、好感を持ちました。

2018年8月23日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1203を読んで

2018年8月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1203では
「天文民俗学」の研究者北尾浩一の『日本の星名辞典』から、次のことばが取り上げ
られています。

  時計と違って止まることのない星が暮らしの
  なかにあった。

「天文民俗学」という学問の分野があることは、知りませんでした。しかし、このことば
を聞くと、星空自体が私たち都会暮らしの人間には、ますます縁遠くなって来ている
ことに、改めて気づかされます。

まず、私の家から見る夜空でも、特別に明るい星以外はほとんど確認できませんし、
月が輝く周辺以外は、空がほの暗い闇に包まれていて、妙に平板に見えます。

ですからたまに、信州の高原などに行って満天の星空を目にすると、息をのむほど
感動します。本来私たち人間は、このような夜空に抱かれて毎夜を過ごしていたの
だと考えると、現代の都会人は何か大切なものを喪失した状態で、日々を過ごして
いるようにも、感じられます。

でも上記のことばは、星空の効用は単に情緒的なものだけではないことを示して
います。星の運行はかつて人々に時の流れを告げ、また航海者は星の位置から
進むべき方角を特定したといいます。

人間は自然から自らを遠ざけて行くに連れて、その恵みを享受する心をも、さび付か
せて行っているのかも、知れません。

2018年8月20日月曜日

深井智朗著「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」を読んで

私自身は仏教徒ですが、カトリック系の幼稚園に通い、中学、高校、大学はプロテス
タント系の学園で学んだので、キリスト教には親近感があります。また、欧米の文化
を知るには、キリスト教についての知識を得ることが必要であると感じているので、
本書を手に取りました。

まず読後の感慨から記しますと、従来の私のプロテスタント理解は紋切り型の表面
的なもので、プロテスタンティズムの発祥から現代社会への影響までを概観する
本書を読んで、キリスト教の長い歴史の中に位置付けられる、プロテスタントへの
理解がぐっと深まったと感じました。

さて、最初に認識を新たにしたのは、宗教改革の創始者と言われるマルティン・ル
ターの歴史上の位置付けです。私の従来の認識では、彼は宗教改革を一人で断行
した立役者で、言わば一夜にして宗教上の既成概念をひっくり返した、スーパース
ターという感覚でした。しかし本書を読むと、ルターが宗教改革の先鞭をつけ、その
結果矢面に立たされたことは事実であるにしても、決して彼一人によってこの運動
が企図され、成し遂げられたのではなく、中世のヨーロッパにおけるキリスト教の
歴史の中で、改革の機が熟され、また当時の政治情勢や工業技術の発達が、この
動きを後押ししたことが見て取れます。

更にプロテスタンティズムのムーブメントは、ルターの企てによって完結したのでは
なく、その後も間断なく改革運動は続けられ、新たな形を生み出していったという
ことです。この経緯を読んで私は改めて、宗教に費やされる人々の膨大なエネル
ギーというものに思いを馳せました。

次に認識を新たにしたのは、著者の語る「古プロテスタンティズム」と「新プロテス
タンティズム」の存在です。「古プロテスタンティズム」はルターの直接の系譜を引く、
カトリックの旧弊に対する改革運動の性格を持ち、一国家一政治体制に一つの
教会という原則の下に、上からの支配という形で運営されたのに対して、そこから
別れた「新プロテスタンティズム」はそのシステムに飽き足らず、信徒自らが教会を
作り、運営するという民主的方法論を信奉します。

このような性格の違いは、前者に体制順応的で保守的な傾向を与え、他方後者に
は革新的で民主的、そして自由主義的な色を強くします。本書では、前者の伝統を
今なお色濃く残す国家としてドイツ共和国を、後者が建国に深く関わった国家として
アメリカ合衆国を取り上げていますが、両国の現代史を見るにつけても、図らずも
両プロテスタンティズムの性格の違いが端的に反映されていて、解説にうなずか
されます。

私のような門外漢にも、欧米のキリスト教の概要が理解できる好著です。

2018年8月16日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1197を読んで

2018年8月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1197では
NHK「仕事ハッケン伝」から、魚屋「魚眞」の代表加世井眞次の次のことばが取り上げ
られています。

  大事なのは作業の半歩先。

自営業を営む人間として、私もこのことばにはうなずくところがありました。確かに昔
ながらの私の日常の仕事は、作業に属するものが多くあります。

生地を倉庫から運び出し、丸巻きをほどきながら検品し、物差しで長さを測って心棒
もしくは巻き板に巻き直して、店戸棚に仕舞う。注文があれば取り出して、生地を
ほどいて必要な長さを測って切る。あるいは各巾の白山紬を正方形に近い風呂敷の
大きさにカットして、たたんで仕付け糸で綴じるなど。これらは単純な作業です。

しかし生地を倉庫から運び出す時に同種の生地の在庫量をチェックし、最近の売れ
行きから後を仕入れるかどうかを考えたり、また店戸棚の品物がどれだけ減った時点
で新しい生地を出すかなど、お客さまが来店された時にあまりお待ちいただくことなく、
円滑に商品を提供できるように工夫をすることは、仕事に属するのではないでしょう
か?

また新しい生地を初めて仕入れる時に、それを使っていただくお客さまの顔を想像
しながら決めることは楽しいことですし、白山紬を一枚づつたとむ時も、その品物が
どのように売れて行くかを考えながら、生地巾による枚数の配分を決めて作業を
進めて行くのも、意味のない時間ではありません。

有意義な仕事を出来るだけ増やし、単なる作業を仕事に転換できるように、これから
も努めて行きたいと思います。

2018年8月13日月曜日

中島岳志著「親鸞と日本主義」を読んで

第二次世界大戦への坂を転げ落ちる過程で、日本が天皇を中心としたナショナリズム
へと急速に染め上げられていったことは、歴史上の事実としてよく知られているところ
です。

しかし敗戦による劇的な価値の転換の後に生を受けた私には、その当時の我が国の
思想情況や人々のものの考え方がいかなるものであったか、なかなか実感として知る
ことが出来ません。でもそれ故に、大変興味深いことです。

例えば政治や教育メディアが、国粋主義に塗り込められていったのは、ある程度想像
がつきます。しかし近代においては神道と一線を画すると思われる仏教が、ナショナリ
ズムの高揚に強い影響を及ぼしたというのは、いかなることなのか?

以前に本で読んだ、満州国建国に重要な役割を果たした石原莞爾が、日蓮宗系の
新興宗教団体国柱会の有力な会員で、彼の思想がこの宗教の色濃い影響を受けて
いたことは知っていましたが、日本仏教の最もポピュラーな宗旨と言える浄土真宗の
教義が、いかにしてナショナリズムの高まりを補強する役割へと変化したかについて
は全く知らなかったので、本書を手に取りました。

この本を通読すると、歌人、小説家、あるいは思想的転向者として出発した人々が、
親鸞の思想を介してナショナリズムを喧伝、補強していく様子が見て取れます。また
浄土真宗大谷派の、ナショナリズムに寄り添う戦時教学の成立過程も示されます。

なぜそのような教義の解釈の変容が起きたかについては、著者が終章で、日本の
ナショナリズムの核をなす国体論が、絶対者の下の全ての者の平等と、絶対者と全て
の者の一体化を志向する国学に依拠し、親鸞思想の「他力」や「本願」が、国体論へと
接続することが容易であったと、結論づけています。

このように浄土真宗の教義は、仏を絶対的な存在として帰依し、世俗のいかなる権威
にもおもねらず、革新的であることを目指す故に、天皇を神と位置付け、全てに超越
すると規定する、国家体制に利用され易かったのでしょう。

しかし共産主義からの転向者が、親鸞思想を介して、ナショナリズムへの180度の転換
を遂げた例からも明らかなように、私たち日本人が、絶対的な存在に依存し易い心象
を持っていることも、また事実でしょう。先の大戦への反省として、私たちはこのことを
肝に銘じなければいけないと、思いました。

2018年8月9日木曜日

「福岡伸一の動的平衡「生命かつ消えかつ結びて」」を読んで

2018年8月2日付け朝日新聞朝刊「福岡伸一の動的平衡」では、「生命かつ消え
かつ結びて」と題して、ノーベル賞学者大隅良典氏のオートファジー研究の話から、
生命現象にとって細胞の合成以上に分解が重要であるということを踏まえ、鴨長明
の「方丈記」の冒頭の記述が、筆者が提唱する「生命の動的平衡」を見事に言い
表しているということについて記しています。

仏教における曼荼羅が、宇宙の構造を先験的に明示しているといわれるように、
先人の叡智は、現代人には測り知れない深いものがあると、感じさせられることが
あります。

鴨長明の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶ
うたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」という有名な文章
も、すぐに「般若心経」を想起させ、日本人の無常観を示すと共に、まさに先人から
受け継がれた叡智を詩的に表現した文章なのでしょう。

そのように考えると、私たち日本人はいにしえより、自然に寄り添う心象を持って
日々の生活を営んで来たように推察されます。むしろ近代以降の科学技術の発達
や資本主義的価値観の浸透によって、本来の叡智が失われたと、言えるのかも
知れません。

しかし、上記のオートファジーの研究や、動的平衡の認知度の向上など、最先端の
生命科学の研究が、生命活動の本質を解き明かすにつれて、再び人類の叡智が
思い起こされつつあるようにも感じます。

そして筆者自身も語るように、科学と芸術の幸福な関係を取り戻すことが、人類の
将来にとって真に有益な学術の向上に、つながるのかも知れません。

2018年8月6日月曜日

京都文化博物館「ターナー展 風景の詩」を観て

イギリスを代表する風景画家として日本でも人気の高いターナーですが、本展を観ると
一口に風景画と言ってもその題材は多様であり、またそれぞれが、彼特有の魅力を
発散していることに驚かされます。

本展は第1章地誌的風景画、第2章海景ー海洋国家に生きて、第3章イタリアー古代
への憧れ、第4章山岳ーあらたな景観美をさがして、第5章ターナーの版画作品、の
5つの章によって構成されています。

第1章の地誌的風景画は、彼がこの主題に取り組んだ当時はまだ写真が普及して
おらず、モニュメンタルな建築物やその場所に特徴的な景観、遺跡などを描き、記録と
して留める絵画の需要があったといいます。従ってこの種の絵画には目に見える風景
を忠実に描くことが求められているのですが、ターナーのの手に掛かるとこのような
絵画であっても穏やかな詩情に溢れ、また景観に小さく描き添えられた人物や動物
などが景色の雄大さや、その場で何事かが起こっていそうな予感を感じさせて、深い
余韻を残します。

第2章の海景は、ターナーの時代のイギリスは、ヨーロッパ列強国の中で海洋国家と
して覇権を握り、それに伴う自信が彼のパトロンにも海景を求めさせたといいます。
彼のこのジャンルの絵画で私の目を引くのは、うねる波、船の風を一杯にはらむ帆、
激しく流れる雲といった躍動感溢れる描写で、正に画面が観る者の眼前で動き震えて
いるような錯覚に囚われます。特に「風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様」では、
荒波に翻弄される小舟の漁師が、ほうほうの体で海から脱出しようとする様子が見事
に活写されていて、自然の中での人間存在の矮小さに思いを致すと共に、迫真的な
描写に感動を覚えます。

第3章イタリアでは、ヨーロッパ北方の人々にとって南のイタリアは芸術発祥の地として
憧憬の対象であるといい、ターナーもその地を訪れ、明るい色調で牧歌的な風景を
描いて、悠久の時の流れも感じさせます。

第4章山岳は、壮大な山岳風景をたおやかに、あるいは急峻な崖や巨大な岩塊を
リアルに存在感を持って描いて、自然の持つ近寄りがたさ、崇高さを表現していると
感じられました。

本展を一巡して私は、ターナーの風景画の魅力は、高い技術に支えられた詩情、
臨場感、物語性にあると、改めて感じました。

2018年8月3日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1182を読んで

2017年7月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1182では
映画監督是枝裕和の『映画を撮りながら考えたこと』から、次のことばが取り上げ
られています。

  初めて取材に来た日、そこにモジモジと座っ
  ているあなたが、見合いをしたときの夫とす
  ごく似ていたの

是枝監督がかつてテレビドキュメンタリー制作のため、公害訴訟で行政と患者の
板挟みになって自殺した、官僚の妻を取材するという非常に難しい体験をした後、
その妻からこう言われて救われた、ということばです。

以上今回は、不謹慎かも知れませんが、ドラマの名場面を観るように、想像を
広げてみました。

その時是枝は、その公害問題の究明に、並々ならぬ使命感を持っていたに違い
ありません。それゆえ、自殺した官僚の妻に話を聞くことは、必須のことだったので
しょう。しかし突然の不幸に見舞われた彼女に、その傷口をほじくるような仕打ちを
することは、慙愧にたえません。実際自分がどういう権限で、彼女にカメラを向け
たり、インタビューをすることが出来るのか、という思いもあったでしょう。

そしてその後、彼女がこの時の取材者の挙措を振り返ったのが、上記のことば
です。

きっと亡くなった官僚も、誠実な人柄だったのでしょう。彼女は見合いの席で、彼の
そういうところに惹かれたのかも知れません。また是枝も、その困難な取材の場で
彼と同じような佇まいを持っていました。彼女はこの人になら、知っていることを
語ろうと決心したのかも知れません。

更には是枝自身も、このことばに、罪を許された思いを味わったに違いありません。

2018年8月1日水曜日

何必館・京都現代美術館「現代風景画の指標 麻田鷹司展」を観て

同じく日本画家で鷹司の父麻田辨自の画を、祖父が気に入っていたという関係から、
私は鷹司の画にも興味を感じていました。しかし、彼が58歳という若さで今から40年
ほど前に亡くなり、なかなか作品を観る機会にも恵まれませんでした。今回、彼と
縁のある何必館で久しぶりに作品展が開催されるということで、期待を持って会場に
向かいました。

そういう訳で、麻田鷹司という名前は知っていても、作品がどのようなものであるかは
全く知らず、何しろ会場に来て風景画が主体の画家であることを知ったぐらいで、
ほとんど先入観なしに彼の画に触れたのですが、じっくりと作品に対するうちに、その
深い精神性を湛えた風景画に魅了されました。

彼の風景画は単に対象の場所の風景をそのままに描写するのではなく、その情景
との深い対話から抽出された、場の本源的に持つ魅力や、そこから喚起され自らの
心に生じる感興を、画面に定着させたものであると、感じました。

その代表的なものが、「天橋雪後図」「松嶋図」「厳嶋図」の日本三景を描いた屏風で、
それぞれの多くの人々が愛でてきた、日本を代表するおなじみの風景が、夾雑物を
はぎ取られた純粋に抽象的な形象にまで還元されながら、それでいてこれらの場所の
本来持つ魅力を余すことなく発散し、観る者に崇高なものに接するような気分を呼び
起こします。

このような表現を可能にするために、彼は箔を張った画面に載せた絵具をこそぎ取る
ことによって絵肌の光沢を浮かび上がらせるような、手間を惜しまぬ方法も用いたと
いいます。その画が放つ深い余韻は、そのようなところから導き出されているので
しょう。

「洛東・月ノ出」も、京都東山に月が出て、山沿いの家々の瓦屋根を仄かに照らして
いる情景から、京都という地の長い歴史が育んだ魅力が一見控えめながら、過不足
なく描き出されていて、好感を持ちました。


2018年7月30日月曜日

「後藤正文の朝からロック 格言集を買ったわけ」を読んで

2018年7月25日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「格言集を
買ったわけ」と題して、「ワンダー 君は太陽」という映画を観て感動したことを
きっかけに、登場人物のブラウン先生の格言をまとめた本を購入した経緯が
記されています。

私は残念ながら、「ワンダー 君は太陽」をまだ観ていません。また、お寺から
いただいたカレンダーに掲載された格言は折に触れて目にして、感銘を受ける
こともありますが、格言集というジャンルの本はいまだ買ったことがありません。

しかし今回の後藤のコラムの末尾に、最近涙もろくなったわけは自分でも分から
ないが、若い頃よりも言葉の力を信じるようになったと思う、と記されていることに
惹きつけられました。

私自身も若い頃には、無論私の言葉自体に重みも何もなかったのですが、言葉を
発することの重大性が分からず、今から考えると無責任なことを言い放ち、相手が
傷つくことも考慮せず、思い付きで発言をするようなところがあったと感じます。

そしてことの重大さに恥ずかしい思いをしたり、相手との関係が気まずくなるような
悲しい体験をして、次第に自分が発する言葉の重みを知って行ったのだと感じ
ます。

また自分自身の経験として言葉の重大さを肌で知ると、周りから発信される言葉
の重要さ、更には言葉というものが持つ普遍的な力にも気づかされて来るのでは
ないか、と思います。

人の思考や他者との交流の大きな部分が言葉を介してなされる以上、言葉の力
を信じることは、人生を豊穣にすると感じます。


2018年7月27日金曜日

京都国立近代美術館「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」を観て

かの高名な画家フィンセント・ファン・ゴッホというと、その波乱に満ちた劇的な生涯
も、作品の衰えぬ人気に大きく寄与していると思われます。しかし私の知る限り、
彼の絵画に対する浮世絵を始めとする日本絵画の影響について、中心に据えて
取り上げた展覧会は今までありませんでした。

本展はオランダのファン・ゴッホ美術館との共同企画として、ゴッホに対するジャポ
ニズムの影響、また彼の没後、彼の生き方や作品に憧れて、その亡骸の眠るパリ
近郊オーヴェールを訪れた日本人の足跡を通して、逆にゴッホの日本の芸術に
与えた影響を明らかにしようとする展覧会です。

まず本展に特徴的なのは、彼の絵画と彼が所持した、あるいは直接影響を受けた
浮世絵作品等を、一緒に並べて展示していることで、この展示方法によって、彼が
いかなる部分において日本美術に魅了され、それを研究し、その結果がいかに
彼の絵画作品に反映されたかを、理解することが出来ます。

このような観点から彼の作品を観ると、彼がパリに出てジャポニズムの洗礼を受け、
その作風を大きく変容させる中で、彼に固有の画法と浮世絵的な視点、色彩表現
が見事に融合して、彼の芸術が花開いたことが分かります。

勿論本邦初公開作品も含め、ゴッホの最盛期の絵画が数多く展示されているのも、
本展の大きな魅力で、一つ一つの作品に強い感動を伴って思わず見入ってしまい
ますが、彼の絵画が我が国でこれほど人気があるのも、一つは日本人の美意識
との親近性によるのではないかと、改めて気づかされました。

パリに滞在後彼は、理想郷として日本に重ね合わせた南仏アルルに向かいます
が、その後の悲劇的な人生や残した絵画にも、彼の日本的なものへの憧憬が
跡づけられています。ゴッホの夢見た日本を現実の日本人として振り返ることも、
本展のミステリアスな感興でした。

他方彼の没後多くの日本人芸術家、文化人が彼に魅入られ、その終焉の地まで
赴いた記録や、彼の絵画の影響の下、里見勝蔵や佐伯祐三が描いた日本人に
よる洋画の名作は、彼と日本の幸福な魂の交歓を感じさせずにはおきません。

人種や国境、地理的距離の壁を軽々と飛び越える、芸術の潜められた力を、まざ
まざと見せてくれる展覧会でした。

2018年7月25日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1175を読んで

2018年7月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1175では
評論家三浦雅士の『孤独の発明』から、次のことばが取り上げられています。

  自己認識とは大なり小なり自分を騙すことな
  のだ。

とても刺激的なことばです。なぜなら、私たちの大多数が、生きていく上での拠り所
としているはずの自己認識が、自分の思い込みや自分の心を偽る思考の所産で
ある、と語られているのですから。

そして私は次に続くことば、ー商業とは、騙されるのを覚悟で「信用」しあうことー
に強く反応しました。

確かに商取引というものは、互いを信用し合う故に成り立つ行為です。特に初めて
の取引の場合、お客は、これから商品を購入する予定の店が間違いのない品物を
提供するのかどうか、確証はないけれど、その店をとりあえず信用して、品物を購入
することになります。

他方店の方も、そのお客が取引形態にもよりますが、代金の支払いなどという点で
信用のおける人かどうかという確証のないままに、商品を納めることになります。
その結果両者が十分に満足出来れば、良い商取引が成立したということにんるで
しょう。

特に私たちの店でも最近増えて来ている、直接に面識のないお客さまとのメールに
よるやり取りでの商品の販売は、お互いの顔が見えないだけに、大変気を使います。

いずれにしても、商売というものが信用によって成り立っているということを、上記の
ことばから、改めて肝に銘じました。


2018年7月23日月曜日

2018年7月20日の「天声人語」を読んで

2018年7月20日付け朝日新聞朝刊一面の「天声人語」では、今回の芥川賞に決定した
高橋弘希の小説「送り火」のストーリーにちなんで、全国的に広がる小中学校の廃校
について取り上げていますが、その中で、廃校後の学校跡地の活用例の一つとして、
恐らく私の居住する地域にある、旧龍池小学校の京都国際マンガミュージアムへの
転用について記されています。

旧京都市街にある私たちの地域の小学校は、番組小学校と呼ばれ、明治初期に全国
に先駆け、住民自治組織単位で、多くの費用を住民の寄付によって賄う形で設立され
た小学校で、それだけに地域住民の愛着は強いものがありました。

しかし地域内の少子化が進み、一つの学区の小学校では児童が十分に集まらなく
なって、1995年に東西の五つの小学校区が統合されて、京都市立御所南小学校が
設立されました。現在に至りこの小学校が人気を博し定員オーバーになったために、
統合学区内の東に位置する旧春日小学校跡に、今年度より御所東小学校が開校する
という結果にもなりましたが、この統合によって、私たちの龍池小学校は長い使命を
終えることとなったのです。

学校跡地をどのように活用するかについては検討が重ねられ、反対意見も根強くあり
ましたが、最終的に京都精華大学が運営する京都国際マンガミュージアムの受け入れ
を決定しました。

ミュージアム内には龍池学区の自治連合会が使用出来る部屋もあり、グラウンドも
区民運動会などの地域の行事の時には、ミュージアム側から利用の便宜を図って
いただいているので、ミュージアムと自治連は友好的な関係を保っています。

マンガミュージアムの入館者数も、日本のマンガ、アニメの国際的な人気という背景も
あって、海外からの来館者も含め増加しているようで、私たち地域住民としては、
地域の拠点の小学校がなくなったこと、地域環境の急激な変化に対し、住民自治と
いう観点から、ミュージアムという存在の利点も活かしながら、いかに対応していくかが、
これからの課題となっています。

2018年7月20日金曜日

是枝裕和監督作品「海街diary」を観て

「そして父になる」と前後しましたが、テレビ放映された是枝監督の「海街diary」を
録画で観ました。家族の絆をじっくりと描く、是枝監督らしい落ち着いた映画でした。

公開当時話題になったという、香田三姉妹、プラス異母妹が、綾瀬はるか、長澤
まさみ、夏帆、広瀬すずという豪華キャスト。しかし是枝監督は、人気女優の
表面的な華やかさをはぎ取り、それぞれの内面からにじみ出る本来の魅力を
見事に引き出す演出を心がけている、と感じました。

それが証拠に女優たちの演技がとても自然で、物語の核でもある本当の姉妹の
ような雰囲気が醸し出されていて、脇を固める同じく手練れの俳優陣とも相まって、
一見淡々としているけれど実は濃密な、家族の物語が画面に現出されています。

父には逃げられ、母にも捨てられてなお旧家を守る三姉妹、皆を束ねるのは
綾瀬演じる長女の幸ですが、三人の中で一番父親の記憶を有し、愛憎も深い
はずの彼女が、父と父を自分から奪った女性の忘れ形見である浅野すずを、
その家に引き入れると決断するところに、すずの容姿や挙措から発散される、
血のつながりというものの持つ吸引力を感じました。

一方すずは、孤独の中ですがりつく思いで三姉妹の下に身を寄せますが、三人
から父親を奪った母の子であるという後ろめたさから、本当の妹のように接して
くれる三人の優しさに触れても、最後のところでなかなか、心を開くことが出来
ません。

映画の終盤、鎌倉の海を望む高台で、幸は、「お父さんのバカ!」と叫び、すずは、
「お母さんのバカ!」と叫んだ時、二人は本当の家族としての姉妹になったのだ、
と確信しました。

海にたたずむ四姉妹のラストシーンは、仲の良い家族がそろう幸福と、同時に
人生においてはそのような満ち足りた時は長続きしないことを暗示しているようで、
いとおしく、切ない気持ちに囚われました。





2018年7月18日水曜日

「龍池ゆかた祭り2018」に参加して

2018年7月16日に本年の「龍池ゆかた祭り」が開催されました。

昨年は雨勝ちのあいにくのお天気でしたが、今年はかなりの晴天、ただし連日の
猛暑でどんどん気温が上がっているので、お客さんの出足が懸念されます。

今回は、町つくり委員会が主催ということになったので、準備にも力が入り、私も
午後3時にマンガミュージアムのグラウンドに集まり、テントの設営を始めました。

会場の設営準備には、マンガミュージアムの関係者はもちろん、龍池学区自治連
から消防団、体育振興会の有志に協力をいただきました。

実際の行事は、今回初めての趣向として、昨年も好評だった祇園篠笛倶楽部の
メンバー14名に、演奏しながら学区内を巡ってもらって、午後6時にグラウンドに
入場していただき、祭り気分を盛り上げます。

午後6時30分開式、京都外国語大学南教授の司会の下、情緒のある篠笛の演奏、
続いて祇園祭鷹山保存会理事長の挨拶、更に鷹山の囃子方の祇園囃子演奏が
行われました。

グラウンドの周りでは、マンガミュージアムによる飲食物の提供、似顔絵コーナー
が設けられ、鷹山グッズの販売も行われました。

他の協力者は、この日のために揃いの浴衣を新調した京都外大南ゼミの学生
さん11名が、篠笛の学区内での演奏と一緒に祭りの告知ビラの配布、グッズ販売
の手伝い、後かたずけに積極的に参加してくれ、京都御池中学有志の8名の生徒
さんが環境美化のボランティアをしてくれました。

会場に集まったお客さんも、グラウンドに敷くシートなどを持ち込んで、じっくりと
演奏を楽しみ、子供たちはグラウンドを駆け回って、祭りを楽しんでいました。
鷹山のお囃子の子供たちによる体験も好評でした。

午後8時20分に中谷委員長の挨拶で閉式、後かたずけを終えて、無事祭りは終了
しました。

2018年7月16日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1166を読んで

2018年7月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1166では
「カーサブルータス」オンライン版のインタビューから、翻訳家寺尾次郎の次のことばが
取り上げられています。

    そのわからなさを持ち帰って自分の中で時間
    をかけて咀嚼してくれたらなと思います。

私自身、映画館で外国映画を観る時には、断然吹き替え版ではなく、字幕がいいと
思っています。

なぜならまず、たとえセリフの全てを把握することが出来ないにしても、演じる俳優の
声、話し方を映像と共に捉えることが出来るので、映画全体の雰囲気を視聴覚一体と
して味わうことが出来る、と感じるからです。

これが家庭のテレビでの視聴だったら、必ずしも字幕にこだわりません。いや逆に
吹き替えの方がリラックスして観られて助かったりします。テレビで映画を観る時は、
あくまで気安さの意識が抜けないのかも知れません。

また、映画の字幕の楽しみは、これこそ上記のことばの内容に通じますが、セリフを
ぎりぎりまで凝縮した上で提示されている、言葉書きの意味を解釈したり、類推する
ところにあると思います。

その例として今私が思いつくのは、ある映画でこれからユーモラスな落ちが準備
されているワンシーン手前で、提示された字幕の文字に忍び込ましてあるヒントから、
私がその落ちを予想して思わず吹き出してしまいそうになった時、周りの観客は
まだ誰も気づいていないので、必死で笑いをこらえた時の可笑しさなどです。

いずれにしても、映画の字幕作成という作業は、とてもクリエイティブな仕事だと
感じます。

2018年7月13日金曜日

吉田健一著「昔話」講談社文芸文庫を読んで

私は正直、吉田健一についてほとんど予備知識もなく本書を読み始めたので、読み
だしてすぐに戸惑いを覚えました。

というのは、彼がこの国の文学史上重要な仕事を残したということは薄々知っていて、
本書の帯の見出しの、本作が最晩年の文明批評で入門書にして到達点、という
キャッチフレーズに惹かれて手にした訳ですが、実際に読んでみると句読点や改行
の大変少ない、立て板に水のような文章の羅列で、内容からも著者の博覧強記は
すぐに見て取れますが、随所に見られる権威主義的で断定調の物言いが引っ掛かり、
また一般に西欧文明を東洋の文明に対して辛口に評しているように感じさせるところ
が、気になったのです。

読みながらあるいは、敗戦後の打ちひしがれた日本人の心を鼓舞する目的で、編ま
れた文明批評ではないかという、うがった考えも浮かびました。

しかしその後本書の解説その他で、彼が外交官で後の首相吉田茂の子息で、父の
任地の関係で中国、フランス、イギリスに育ち、ケンブリッジ大学に学んだことを知り、
そして何より、私も若い日に読んで感動した、かのヴァレリー著「ドガに就いて」の
名翻訳者であることを知って、本書に対する感じ方も変わりました。

つまり、彼は西欧文明を内部から熟知した上で、あえて広範囲を万遍なく見渡す
相対的な視点で、本書を著しているのです。

そう考えると本書は、洋の東西を問わず文明と野蛮の相違は何か。その社会の中で
生きるある人物が、文明を担うひとかどの人間であるためには何が必要か。文明の
興亡を繰り返す人類の歴史の中で、過去と現在をつなぐ時間の意味するものは何か。
という壮大なテーマについて、独自の説得力を持って私たち読者に語り掛けて来る
のです。

本書を通読して私が特に興味を感じたのは、第七章のヨーロッパ文明と東洋文明を
比較するために前者の成り立ちについて語った部分で、吉田は現在に通じる
ヨーロッパは、ギリシア、ローマ文明の衰退後長く野蛮の状態が続き、従って
ヨーロッパ文明は、まだ比較的若い文明であると分析しています。

私たちは学校の世界史の授業で習った影響もあって、またヨーロッパの中で
キリスト教の信仰が、ローマ時代から連綿と受け継がれて来たという事実に鑑みても、
西欧の文明が、ギリシア、ローマの時代から一続きのものだと考え勝ちですが、この
ような歴史解釈に立つ時、ヨーロッパの新たな相貌が立ち上がって来て、その理解の
ために重要な示唆を与えられた思いがしました。

2018年7月11日水曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 異文化って何ですか?」を読んで

2018年7月3日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では、「異文化って
何ですか?」と題して、文化人類学を学ぶ学生を例にとって、我々が往々に、他者との
コミュニケーションの困難さを、「文化」の違いなど後付けの理由に求め勝ちである
ことの、固定観念の弊害について語っています。

若い人々は大分変って来ていると思いますが、確かに私たちは、島国に暮らすという
ことを過剰に意識して、外国や異文化に対して必要以上の過敏な反応を示すのかも
知れません。

外国の流行や情報ををいち早く取り入れ、それでいて実際に外国人と交流するとなると、
どこか構えてしまって本音で付き合うことが出来ない。そのような島国根性的な意識は
今も残っていると感じます。

その逆に日本人同士は、黙っていても分かり合えるような思い込みがあって、このような
意識が、夫婦や家族も含めて、相手とのコミュニケーションをしばしば阻んでいるように
も、思われます。

日本人同士でも個人主義の浸透の結果、性別や世代、生活環境やものの考え方の
違いによって、価値観は多様化し、誰もがが容易にコミュニケーションを取り、合意を得る
ことが出来るとというのは、楽観的に過ぎるでしょう。

他方外国の習慣や文化、価値観については、私たちは、グローバル化や情報化社会の
進展によって、かつてよりも抵抗感少なく受け入れることが出来るかも知れません。

いずれにしても、人と人とは互いに違っていて当たり前、分かり合うためには常に、
コミュニケーションを取る努力を惜しまないことが必要なのでしょう。

2018年7月8日日曜日

大雨で京都国際マンガミュージアムに避難所開設準備

今年は関東地方で早々と梅雨明けが宣言されるなど、非常に期間の短い梅雨と
思われましたが、どっこいそうは問屋が下ろさず、西日本では台風7号が九州に
接近した7月3日以降、梅雨前線が強く刺激され各地で記録的な豪雨となりました。

私たちが住む京都市中京区の龍池学区は、市内を流れる鴨川の整備が進んで
以降、長い年月に渡り幸いにも大きな水害に見舞われずに来ましたが、今回の
豪雨では鴨川も危険水位を突破し、6日の午後3時ごろに、ついに中京区役所から
大雨洪水警報に伴う避難勧告が発せられました。

この勧告は、洪水、土砂崩れなどの危機が差し迫り、自宅にとどまることの危険性
が増した時に、高齢者、社会的弱者を優先して、避難所への避難を促すもので、
私たちの地域では、京都国際マンガミュージアム(旧龍池小学校跡)が避難所に
指定されており、私は学区の自主防災会会長を引き受けているので、中京区の
防災担当者から連絡があり、マンガミュージアムに向かいました。

ミュージアム内の自治連合会が使用する部屋で、既に集まっていただいていた
連合会長、自主防災会役員と相談の上、この学区では現状すぐに避難者が出る
可能性は少ないので、避難勧告解除まで各役員が2名づつ交代で部屋に留まり、
推移を見守ることになりました。

結果から言うと、午前3時ごろに中京区長より避難勧告解除の連絡があり、私たち
は無事お役御免で帰宅することになりました。その間、宵の口には5,6名の学区民
が避難所の様子を見に来られ、それに対応するのが役目といったところでした。

私たちの学区で避難勧告が出されるのは、私が知る限り初めてのことで、この地域
の住民は私も含め水害とは無縁と考えて来ましたが、報道等で各地の豪雨被害に
触れるにつけ、地球温暖化などの原因で気象状況も変化し、これからは認識を新た
にしなければならないのではないか、と今回の避難勧告発令で改めて感じました。



2018年7月6日金曜日

鷲田清一、山極寿一対談「都市と野生の思考」を読んで

哲学者で京都市立芸術大学学長、鷲田清一と霊長類学者で京都大学総長、
山極寿一の対談本です。各人の文章には、新聞掲載のエッセー等で親しみを
持っているので、迷わず手に取りました。

対談なので肩肘張らぬ物言いながら、各々がそれぞれの分野のみならず、
多方面の第一線で活躍する学者で、他方権威ある大学の顔として学内を束ね、
対外的な発言を担う人物ということもあり、話題は文化、芸術、教育と多岐に
渡り、その中には知的好奇心を刺激される発言も、随所に見受けられました。

私が特に興味を覚えたのは、この二人の対談ということもあって、霊長類の
生態から導き出される現代人の生活習慣、行動全般のルーツやあり方の考察
という部分で、-ゴリラから学ぶリーダーシップ-という項では、ゴリラの
グループのリーダーに求められる魅力は、他者を惹きつける魅力と、他者を
許容する魅力であると語り起こし、リーダーは群れの中のメス、子供といった
弱者に人気がなければ務まらず、グループを力で押さえつけるよりも、
コミュニケーション能力が必要であるといいます。

折しも私たち日本人のリーダー像は、高度経済成長期の中で、精力的で有無を
言わさず人を引っ張るのが理想とされるきらいがありましたが、今日の低成長期
においては、ゴリラのリーダーのように、後ろから見守りフォローする
リーダーシップの必要性が増すと結論付けます。

高齢化社会の到来によって、深刻になる老人問題については、老人の容姿が
若い時よりも相対的に親しみやすく変化するのは、孫と交流するためであり、
生活文化は祖父母によって孫世代に継承されるのが本来の姿で、グローバリ
ゼーションや情報化社会化の進行によって、価値観の急速に変化した現代社会
で、老人は成熟の意味をもう一度問い直し、若者との関係を再構築することの
必要性が語られます。

もう一点興味深かったのは、類人猿と人間との間の性と食に対するタブーの
感じ方の違いで、類人猿は、性は繁殖に係わる行為なので、ペアであるオス、
メスの関係性を前面に出しますが、食は個体維持のための行為なので隠す。
対して人間は、性を隠し、食を公にするというように関係が逆転しています。
これは人間が性に対して、種の維持より、個人の欲望の充足に重きを置くように
なったためだ、といいます。

先日赤坂憲雄著「性食考」を読んで、動物としての人間の性と食の関係の近さ
を実感したところなので、生物界の中で、人間という存在のイマジネーション能力
の高さという特異性を、改めて感じさせられた思いがしました。

2018年7月4日水曜日

龍池町つくり委員会 54

7月3日に、第72回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

冒頭の中谷委員長の、学区内のホテル、民泊等の建設問題報告では、御池通
衣棚角に建設予定のホテルは、事業主体がみずほ銀行系で、115室のホテルに
なるということ、一方釜座通押小路のホテル建設現場では、周辺に地盤沈下、
地面のひび割れが発生しているということで、委員会でもこれからの推移を見守って
行くことになりました。

いよいよ開催日が近づいて来た、7月16日の「龍池ゆかた祭」の実施詳細が、京都
国際マンガミュージアムの担当者、ミュージアム内の食堂の責任者の方の臨席の下、
寺村副委員長より報告され、タイムスケジュールは、スタッフは午後3時に準備の
ために集合、まずテント設営や机イスの配置を行い、午後4時から屋台の準備、
午後6時に篠笛が集合して午後6時25分入場、午後6時30分開式、主催者挨拶、
京都市長のコメント、午後6時45分篠笛演奏、夜店開店、午後7時篠笛終了、午後
7時30分より鷹山の祇園囃子演奏、午後8時20分閉式、同30分閉会、後片付け、清掃
をして午後9時終了、となっています。

テントはグラウンドに連合会のテントを2張用意し、1つはマンガミュージアムのグッズ
販売と似顔絵コーナー、もう1つは鷹山の授与品の販売、更に食堂の前にミュージアム
のテント2つを設置して、それぞれで食べ物、飲み物の販売を行います。雨天の場合は
AVホールで催しを行います。

昨年も好評だった篠笛は、お客さんを呼び込むために会場周辺部を演奏しながら練り
歩いてもらい、この日のために揃いの浴衣を新調した、京都外国語大学南ゼミの学生
さんたちには、一緒に付いて歩いてもらうことになりました。

今年度から町つくり委員会が主催することになるので、落ち度なく準備を進め、この祭り
を盛り上げたいと、考えています。

2018年7月2日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1149を読んで

2018年6月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1149では
装幀家菊池信義の『樹の花にて』から、次のことばが取り上げられています。

  技術ってやつも坂道と同じに上るだけではなしに、下ることもできなくては

SPレコードを古い蓄音機で聴くコンサートへ行っての、感想だそうです。

このことばを読んで私はすぐに、以前クレデンザという蓄音機で、フラメンコの
SPレコードを聴く集いに参加した時のことを、思い出しました。詳しくはその時の
ブログの記事に譲りますが、今でもすぐにその印象が鮮明に思い起こされるほど、
感銘深い体験だったのです。

というのは、音自体は最新の機器による再生ほど、クリヤーでも、雑音が混じり込ま
ない訳でもありませんが、その音には得も言われぬ温もりがあり、そして何より、
まるで目の前で実際に歌手が歌っているような、肉声に近い響きがあるのです。

もっと時代が下って、LPレコードがCDに取って代わられた時も、アナログのまろやか
な響きが、デジタルの無味乾燥な音に、主役の座を奪われたことを惜しむオーディオ
ファンが見受けられましたが、私たちは次第に、機械的な音を聴くことに慣らされて
行っているのかも、知れません。

そのような音環境が当たり前の私たちが、突然優れた蓄音機でSPレコードを聴くと、
そのまるで生身から発せられるような声色に、魅了されてしまうのでしょう。

レコードに限らず色々な分野で、現代人は技術の革新を追及しながら、より合理的で
便利なものを生み出し続けていますが、それが本当に以前のものよりも優れたもの
であるとは、一概には言えないのではないか?上記のことばは、そのことを実感を
込めて語っていると、感じさせられました。

2018年6月29日金曜日

是枝裕和監督作品「そして父になる」を観て

是枝監督の「万引き家族」が、今年度のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した
ことを記念してテレビ放映された、第66回同映画祭審査員賞受賞作「そして父になる」
を観ました。

今回の放映作品は、監督の特別編集によると名うたれていたので、公開時とどれほど
相違があるかは分かりません。ただ、当時の映画評等で、おおよそのあらすじは知って
いたのですが、実際に観てみてラストがとても印象的でした。

エリート建築家野々宮良多、みどり夫婦の一人っ子、6歳の慶多と、電気店を営む
斎木雄大、ゆかりの長男琉晴が、二人が生まれた病院で取り違えられていたことから
始まる物語は、一見何不自由ないように見える野々宮家の父子関係の希薄さを
明らかにします。

他方決して裕福とは言えない斎木家の子供たちは、本気で向き合ってくれる両親の
影響もあって、生き生きと育っています。子供にとっては、果たしてどちらが幸せか?

斎木夫婦の言動で、同じく自営業の私が面白く感じたのは、夫婦が良多の面前で
取り違えをした病院に請求する慰謝料のことを、赤裸々に語った部分。それを聞いた
良多が、斎木家が金に困っていると勘ぐるのですが、私の経験上も商売人という
ものは、内輪で金の話しをあけすけにするようでいて、その実内心は家族の絆を
大切に感じているというニュアンスを巧みに表現していて、是枝監督の細部に至る
人間観察力を感じました。

話しをラストに戻すと、ある意味で図式化された野々宮家と斎木家の親子関係の
描写の後で、それでもそれぞれの家庭の親子の愛情と絆の形があり、個々の
家族がかけがえのないものであることを、ひらめきのように思い起こさせてくれる、
唐突ではあるが深い余韻を残すラストが、秀逸であると感じました。

2018年6月27日水曜日

赤坂憲雄著「性食考」を読んで

私が本書を手に取ったのは、私自身が還暦を過ぎて最近とみに、私たちの暮らす
現代社会が、死や生という生物である人間が本質的に背負うものを包み隠し、
あるいは、商品化して表面的、形式的に取り扱おうとしていることに、違和感を感じる
ようになって来たからです。そのような社会を覆う雰囲気は、人生も終盤を迎えた
人間に、何とはいえぬ寂しさを感じさせずにはおかないのです。

また本書のタイトルからも察せられる、性と食を結びつける思考というものも、両者が
我々の宿命的な生の営みの中でも、慣習的にネガとポジの役割を果たさせられて
いる行為でありながら、本質的には直結した関係を持つことを明らかにすることに
よって、人間の失われた野性を掘り起こそうとする試みであることに、大きな魅力を
感じたからです。

さて本書は、民俗学者の著者が我が国、世界の神話、民話から最近の科学的研究に
至るまで丹念に目を通して、人間の性と食の本然的な結びつきを明らかにしようと
するものです。

積み重ねられた論考の中で、私の心に残ったのは3点。まず1点は、中村桂子著
「生命誌とは何か」を巡る、生命誕生の歴史の科学的考察から、生物の生死と性の
結びつきを論じる部分で、原始的存在である単細胞生物には死がなく、多細胞生物に
なって初めて死が生まれる。多細胞生物では個体は死を迎えながら、生命を受け
継いで行くために、生殖活動を営むということです。

正に科学的事実から生と死と性の不可分が説明され、それに引き続き著者は、
各地の創世神話の中に、生物進化との関連性を探ります。文明化以前の人類の
本能的な智恵や直感があらわになるようで、スリリングでした。

2点目は、仏教の教化のために、我が国で一時盛んに描かれた「九相図」の生々しさ
について。これは一人の人間が死に、白骨化するまでを克明に描写し、人の世の無常、
凄惨さを示すことによって、煩悩を断つ必要を教えるための図ですが、そのリアルさを
演出するために、かえって、生と死と性の深い結びつきが図上に現出することが、
感慨深く感じました。

最後に死者に切り花を手向ける行為が、植物の生命を絶ち、その生殖器官である花を
死者に差し出すという意味で、供犠の役割を果たすという記述。死者に花を供える
ことの本来の意味が、実感として理解出来た気がしました。

2018年6月25日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1148を読んで

2018年6月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1148では
評論家渡辺京二の『原発とジャングル』から、次のことばが取り上げられています。
                             
  政治には計算がつきものであるが、つきあいに計算は要らぬ

私は友人があまり多いほうではありませんが、振り返ってみると、小学生時代に
出会った友、中高生時代に巡り合った友、大学生時代に親交を結んだ友が、今でも
付き合いの続く友達になっています。

還暦も過ぎると、小学校時代からの友人は、会えば無条件に童心に帰れる友、話す
うちに気が付けば当時のあだ名で呼び合い、私が私学に進学したこともあって、
小学校卒業後長い期間接点が少なかったので、互いの社会人生活の情報が新鮮で、
話し込むうちに気分がリフレッシュする感覚に囚われます。

中高生時代からの友人は、互いの生活環境も似ていて、社会人になってからも
付き合いがつづき、ある意味腐れ縁的な感じもある友たち。互いの人生の節目にも
関わり、若い頃には遊びが交友の中心でしたが、歳を重ねるうちに、それぞれの
健康上の問題や、社会生活上のトラブルなども起こるようになって、助け合える
ところは助け合い、励ますべきところは励まし合って、さりげなくではありますが、
それぞれの人生にとって欠かせない存在になっているように感じます。

一方大学生時代からの友人は、卒業後各地に散らばり、各々が会社勤め中心の
人生を送り、生活も落ち着き始めてから、青春時代への郷愁も芽生えて、母校の
所在地で同窓会を開くようになり、そこに今なお居住する私も、定期的に会うように
なった友たち。社会人になってから歩んできた人生は、私とはかなり違いますが、
老齢を迎える今後の生き方など共通する話題もあって、集まると話は尽きません。

私は、利害のない友人関係を、これからも大切にして行きたいと思います。

2018年6月22日金曜日

羽二重4匁のこと

ここ数年、全国の個人のお客さまから、羽二重4匁のご注文をいただきます。この
現象は私たちの店三浦清商店では、かつてなかったことです。

羽二重4匁は、詳しい説明はここでは省きますが、当店で扱う絹の羽二重という
種類の白生地の中でも最も薄い生地で、一枚をかざして見ると、生地を通して
向こう側が透けて見えるほど薄く、目方も普通の紙よりも軽くて、薄さゆえに
絹本来の光沢が浮き上がって見える、とても美しい生地です。ただ、余りにも薄い
ので、耐久性には劣る部分があります。

生地の規格は幅が92cmで、長さが46m、当店では1巻売りと、1m単位の切り売り
をしています。

従来は、絞りの着物の裏打ちや刺繍の裏打ちに使用され、そういう用途でこの
生地を求められるお客さまが大半でした。もっとも現在の用途に通じる、かんざし屋
さんからの注文も確かにありました。

さて最近は、布をピンセットでつまんで花びらの形を作り、糊で台に固定して花の
アクセサリーに仕上げる、つまみ細工が流行しています。これはかんざし屋さんの
手法にも通じるものですが、この流行の特徴は、プロではなく一般の人が自分で
好みのアクセサリーを作るというところにあります。いわゆる”もの消費”ではなく、
”こと消費”ということでしょうか。

そして、このつまみ細工に最適の羽二重4匁の白生地を販売しているところが
全国的に少なく、私たちの店に白羽の矢が立ったという訳です。

つまみ細工を一般の人に指導したり、普及のために初心者向けの本を出版して
おられる先生方も、当店を自身がご利用していただくだけではなく、広く紹介して
くださるので、私たちの店で購入していただく一般のお客さまが増えたということ
です。

従来とは違う客層の方々が店を訪れられて、私たちも新鮮な刺激を受けています。

2018年6月20日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1138を読んで

2018年6月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1138では
第76期名人戦で立会人を務めた将棋の森九段が語った、次のことばが取り上げられて
います。

  感想戦は負けた側のためにある。

将棋の対局後の感想戦は、たまにテレビで目にするぐらいですが、このことばを読むと、
その深い意義の一端が感じ取れます。

確かにその勝負に負けた人が、敗因を勝者と一緒に検証することは、敗者にとって
負けた理由を知り、自分の技量を向上させるための最良の方策となるのでしょう。

そういえば将棋とは畑違いですが、かつてプロ野球の名選手で、監督としても名将と謳わ
れた野球解説者が、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、と語っている
のを聞いたことがあります。

つまり思いがけない幸運によって偶然に勝つことはあるけれど、負けた時には必ず明確
な敗因があるという意味で、強くなるためには勝利におごらず、敗因をこそ検証すべきだ、
ということです。この格言は、勝負一般に当てはまることなのかも知れません。

更には、勝者が敗者の心情に寄り添うという点でも、感想戦で負けた人を優先させる
意味はあるでしょう。

互いに知力や技量を尽くした攻防の後、互いの健闘を讃え合う。その時に勝者の側から
敗者に近寄り、相手をねぎらうという姿勢は、その勝負の後に爽やかな余韻を残すの
でしょう。

敗者への敬意、いたわりこそ、その競い合いに格調を添えるに違いありません。

2018年6月18日月曜日

夏目漱石著「草枕」新潮文庫版を読んで

朝日新聞朝刊の一連の連載以来、久しぶりで漱石作品を読みました。初期の作品
ですが、クリエーターなどでこの作品が漱石の中で一番好きと言っている人も多い
ので、一度読んでみたいと思っていました。

さて、ページを開いてみると、彼の深い漢詩、漢文の教養に裏打ちされた饒舌体の
美文のとめどない羅列で、正直面食らうと共に、私自身漢文の素養がないので、
巻末の夥しい数の注解とにらめっこしながらの、たどたどしい読書となりましたが、
本書を読んで漱石作品の文体の独特のリズムが、漢詩の影響によって作り上げ
られていることを再確認し、また私にとって初体験と言ってもいい、漢文からなる
詩的表現の独自の透徹したみずみずしさを、知ることが出来たと感じました。

そして何より、少々くどいとも思わなくはない描写の連続の最後に立ち現れる、
文章表現の生み出すカタルシス!これについてはもう一度、最後に触れたいと
思います。

本書の描き出す場面描写の中で、最後以外で特に強く私の心に残ったのは以下の
二点です。

一つは主人公の画工が入浴している風呂場に、一糸まとわぬ若く美人の宿の出戻り
娘那美が足を踏み入れる場面。湯から発生した蒸気の煙に包まれて、仄かに浮かび
上がる彼女の形が良い裸体のシルエットの詩情を湛えた美しさ。そしてその裸身が
画工の眼前に現れる直前に、彼女が高笑いをしながら引き返し、風呂場を出て行く
というエキセントリックさ!

那美の画工への挑発とも取れるこの描写は、一歩間違えば茶番に陥る危険を
逃れて、詩的情景を現出しています。

もう一点は宿の主人の茶会に誘われた画工が、その席で相客の観海寺の和尚と
共に、主人自慢の端渓の上質の硯を鑑賞する場面。本物の美を見極める能力を
有した人物が集って、優れた骨董品を愛でる情景の優雅さを、見事に描き出している
と感じました。

さて最後の場面に戻ります。美しく充分魅力的なはずなのに、画工が肖像を描くには
何か物足りないと感じていた那美の顔貌が、いとこの外地への出征を見送りに来た
停車場で、思いがけなくいとこと同じ汽車に乗っている別れた元夫を見かけて、憐憫の
情に歪む場面。画工はその顔色の微妙な変化を観て、本当に絵を描きたいと感じます。

ただ単なる人間の外形的な美だけでは不十分で、それに情緒が付加されて初めて、
絵画や文学の対象となりうるということを、漱石は語っているのだと感じました。

2018年6月16日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1131を読んで

2018年6月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1131では
新美南吉の童話「でんでんむしの かなしみ」より、次のことばが取り上げられています。

 わたしの せなかの からの なかには か
 
 なしみが いっぱい つまって いるのです

そういえば南吉の代表作「ごんぎつね」でも、それまでの悪戯のために兵十に誤解された
きつねのごんが、誤って撃ち殺された時、兵十はごんの心の本当のやさしさを知って、
大いに悲しみを感じましたっけ。

南吉は、宮沢賢治や金子みすずと同様に、人の心の悲しみに鋭敏に反応する作家だった
のでしょう。いや悲しみに敏感であるからこそ、人一倍優しい物語や詩を生み出すことが
出来たのに違いありません。

悲しみというのは往々に、人の心に寄り添うことによって生まれる感情なので、思いやりや
優しさに結び付き易いのだと、思います。ちょうどその対極の冷酷が、無慈悲とも表される
ように。

あるいは逆に、聖母や慈母観音といった、無限の大いなる存在によって悲しみを引き受け
てもらうことは、私たちの心に安らぎを与えてくれます。悲しみとは、包容力のある感情
なのだとも、感じます。

私たちが長い人生をたどる上では、喜び以上に多くの悲しい出来事に出会わないわけ
にはいかないでしょう。せめてその悲しみを、その後の人生の糧と転化することが出来る
生き方を通せればと、考えています。



2018年6月14日木曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 村人の顔 浮かぶコーヒー」を読んで

2018年6月5日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「村人の顔 浮かぶコーヒー」と題して、調査でエチオピアを訪れる筆者が、出発する
時にはスーツケースに現地の農民の家族に喜ばれる古着をたくさん詰め、帰りには
お礼にもらった手作りのコーヒー豆や、森でとれた蜂蜜を詰める様子を記して、それに
比べて私たち日本人が、ものを大切にすべきことや、消費する品物がどこから来て、
使用後どう処理されるかについて、余りにも無頓着である現状を語っています。

確かに、戦後余り時を経ない私の幼少の頃には、まだ洋服は貴重品で、父親の服の
着古しを母が利用して私のズボンを作ってくれて、私が得意げに着ていたことを、記憶
しています。

また日本の伝統衣装である着物は、何度も更生して着用することを前提として作られて
おり、直線裁ちで仕立て直しが容易であるという特徴を持っています。

その特徴に合わせて、着物の再更生に携わる和装業界の職種も多く存在し、悉皆や、
貸し見本や、小紋染めや、洗い張りや、練りや、染み落としや等、幾つも挙げることが
出来ます。和装が日常であった時代、私たちは自分の着物を長い年月大切に着用して
いたことが分かります。

他方私たちは現在、食料品をコンビニやスーパーなどで購入し、それが一体どこで産出
されたものであるかを知らず、またゴミとして出したものがどういう経路をたどって処理
されるかを知りません。

私の店並びに住まいの地区には、昔から洛北地域の農家が直接朝に取れた野菜を
売りに来るという慣習があり、私たちもよく購入していますが、そうして手に入れた野菜
は、生産者の顔が直接見え、その季節にふさわしい旬の品なので、安心しておいしく
食べています。

便利さや効率性の優先の裏で、私たちが忘れてしまった大切なことが、色々あると感じ
ます。

2018年6月12日火曜日

「紀元會貯金誓約書」のこと

先日、町内の私の父より少し若い世代の方が私たちの店をのぞかれ、これをちょっと
見てくれと、古い冊子を私にお示しになりました。

手に取って見てみると、白地の和紙を綴じた冊子の中央に、「紀元會貯金誓約書」と
黒々と墨書がされていて、昭和16年(1941年)5月と年号も添えられていました。

その方の語られるところによると、部屋を整理していて偶然にこの冊子を見つけたと
いうことで、何でも昭和16年は第二次世界大戦の開戦の年で、当時臨戦態勢下の
わが国で国民に対して、戦争に備えた貯金が奨励されていたそうで、西隣の町内の
有力な方が音頭を取って、私たちの町内共々有志の者が集まって、共同で貯金を
しようということに決まったらしいのです。

その方のお父さんもその企てに参加され、私の祖父も参加したので、縁のある孫の
私にわざわざ見せに来て下さった、ということでした。

貴重なものをお借りして目を通すと、最初にこの時勢に敢えて共同貯金を行う趣意が
記され、続いて各自が拠出する金額、貯金の預け先、預ける期間等の詳細、また、
貯蓄期間中には子孫に至るまで、何人も決して貯金を引き出してはならないという、
この会の誓約も記述されていました。

その内容は、各人がそれぞれ金10円を出し合い、郵便局に400年間預けると、期間
終了後には当時の利率から計算して1570,344円になるという壮大なもので、面白い
ことにその頃のお金の価値も物価という形で列記され、それによると、当時白米が
1斗当たり4円65銭、白砂糖が1斤30銭、鶏卵が100匁48銭、生糸が100斤1,350円、
純金が1匁14円60銭などです。当時の貨幣価値が彷彿とされます。

冊子の最後には参加者名が自筆で署名され、捺印もされていて、私はその中に、懐か
しい祖父の名前も見つけました。

この冊子を目にして、70年以上の昔と現在の私たちが、決して断絶しているのではなく
地続きであることを、今更ながら感じさせられました。

2018年6月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1122を読んで

2018年5月28日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1122では
生命誌研究者中村桂子の『科学者が人間であること』から、次のことばが取り上げられて
います。

 速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。・・・・・・ありがたいことですが、
   困ったことに、これはいずれも生きものには合いません。

今日の科学技術の発達、高度情報化社会の到来は、合理的な意味での人間生活には
便利で、素晴らしいことですが、私のような古風な人間には、戸惑うことも多々あります。

例えば、飛行機や新幹線で遠隔地に移動できることは、ずいぶん利便性が高いと感じ
ますが、反面目的地へ到達するまでの過程の楽しさ、目的地で宿泊しなければならない
ことによるその地の印象深さや、目的を果たしたこと自体の充実感が、かなり薄められる
と感じます。

また飛行機の離着陸、新幹線が高速ですれ違う時、あるいはトンネルに突入する時など
に一瞬感じる胸騒ぎは、このスピードが人間の身体の許容量の限界ギリギリであるため
に、このような不安が芽生えるのではないかとさえ、感じます。

さらには、パソコンやスマートフォンで瞬時に手に入る情報は、大変便利で、私もついつい
頼ってしまい勝ちですが、その手段で得た情報は、位置情報やイベント情報など、客観性
の高いものを除いて、本当に額面通りに信じて良いのか、懐疑的にならざるを得ない場合
も、多々あります。

またそのような方法で得た情報に、何か温もりのない、薄っぺらなものを感じ、充たされ
ない気分に囚われることも、しばしば思い当たります。

私が仕事柄関心を持つ、伝統工芸品と工業製品との違いにも、この感じは当てはまり、
工業製品の利便性、スタイリッシュさに、手作り品は到底かないませんが、その代わり
そこには人間的な温もりが宿り、使うほどに体や手に馴染む趣きがあります。

手作り品には、上記のことばと逆の作用が働いているのでしょう。


 

2018年6月6日水曜日

龍池町つくり委員会 53

6月5日に、第71回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、ホテル等建設問題では、5月21日にNHKのディレクターが、この地域の民泊問題
について、中谷委員長のところに取材に来られたということで、マスメディアも関心を
寄せていることが分かります。

新たな動きとしては、新町御池角の労金跡に建設されるホテルの地元説明会が、6月
7日に、学区内の下妙覚寺町、西横町、イトーピアの住民を対象に、行われるということ
です。

ホテル建設問題で、地元と建設業者の間に軋轢がある柿本町の町つくり委員から、
京都市内でも住宅地では、ホテル、マンション等が新たに建設される場合、建設業者は
地元自治会に事前に承諾を得ることが求められているのに、商業地ではそういうことは
ないのか、という質問があり、澤野連合会長がその旨市役所に、問い合わせてみること
になりました。

秋の京都外大企画では、先日大原での花見に参加した学生さんたちより、本年の
テーマである「薬祭り」にちなみ、郊外学舎の敷地で薬草の栽培に挑戦することが発表
されました。

「ゆかた祭り」は、7月16日午後6時30分から9時30分までと決定。今回からは町つくり
委員会が単独で主催することになり、準備を進めて行くことになりました。鷹山のお囃子
をメインの出し物として、マンガミュージアム、京都外大の協力も得て、祇園祭を浴衣で
楽しむことを主旨とする楽しい催しになればと、考えています。

ポスターの制作も始まり、キャッチコピーを学生さん等に募集しています。当日はミュージ
アムから、飲食物の提供もしていただけるそうで、お囃子以外のアトラクションも、現在
検討中です。

2018年6月4日月曜日

黒田基樹著「羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩」を読んで

関ヶ原合戦から大坂夏の陣に至る、大坂城陥落、羽柴家の崩壊が、どのような経緯で
進行していったかを、当時の豊臣方の政治を担った秀頼の後見人茶々と、唯一の家老
片桐且元との確執と決裂を通して、明らかにしようとする書です。

本書の特徴は、現存する茶々から且元宛の当時の文書を実際に写真で掲載し、その
文言、内容を逐次丁寧に読み解き、解説することによって、臨場感を持って時代を包む
雰囲気や、当事者の息づかい、相手に対する想いを浮かび上がらせていることです。

その結果読む者は、まるでストーリーを追うように、これからの成り行きに思いを馳せる
ことになります。

私が本書を読もうと思ったのは、NHKの大河ドラマ「真田丸」を視聴し、次第に追い詰め
られて行く豊臣方の人々の心の動きに興味を持ったからで、最初ドラマと著者の関係に
ついての予備知識がなかったこともあって、ドラマの筋が余りにも本書と似通っている
ので、ドラマの脚本家三谷幸喜は、それほど最新の歴史解釈に造詣が深いのかと、驚か
されました。しかしこの本の後書きで、著者が「真田丸」の時代考証を担当したことを
知って、納得しました。

その意味でも本書は、私の当初の欲求を充たしてくれたことになります。

さてこの本の内容の中で、私がもっとも興味を惹かれ、著者も力点を置いているのは、
「方広寺鐘銘問題」発生直後の、且元が羽柴家の意を受けて交渉のために徳川家康の
元に赴き、和解案として秀頼、茶々が大坂城を出て、一大名に成り下がる内容の
「三ヶ条」を持ち帰り、羽柴家が承服しないだけではなく、他の重臣から、徳川方に
寝返ったという疑いを掛けられ、身の危険を感じて大坂城への出仕を取りやめた、慶長
19年9月中旬から、且元の弟の貞隆が大坂を退去した10月初めまでの、茶々と且元の
間の間接的なやり取りや心の動きです。

同じく羽柴家の存続を願いながらも、且元はたとえ大坂城を明け渡してでも、大大名と
して羽柴家が残ることを希求する名より実を選び、他方茶々たちは、あくまで大坂城に
君臨する名誉を選択し、結果滅びることになったのです。

ここらら見えて来るのは、存亡の危機に際して過去の栄光を捨て去ることの難しさ、
指導者として適格に状況に応じた正しい判断を下し、その方向に部下の意見を集約して
行くことの困難、といったところでしょうか。

現在にも通じる、永遠のテーマであるようにも、感じられます。

2018年6月1日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1120を読んで

2018年5月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1120では
作家津村記久子との共著『大阪的』から、大阪語の作法の妙について、編集者・
ライターの江弘毅の次のことばが取り上げられています。

 「ツッコミ」は「拾う」であり、その後のコミュニケーションに接続すること。ぴしゃりと
 一言で「これが正解だ」と示すのではない。

何も大阪に限らず関西の言葉のやり取りには、こういう作法が欠かせないと思います。
まず端的に表されているのは、漫才コンビの「ボケ」と「ツッコミ」です。

ボケ役がとぼけたことを言うと、ツッコミ役がたしなめたり、チャチャを入れたり、混ぜ
返したりする、お客さんの爆笑を誘って、またボケ役がとぼけたことを言う・・・という
具合に、二人の掛け合いで漫才はリズム良く進行します。

漫才コンビのどちらが話しを主導しているかというと、それはコンビによっても違い、
またボケ役とツッコミ役が入れ代わる場合もあるようですが、要するにそれぞれの
キャラクターのアピール度や絡みの話芸の特色から、お客さんに一番受ける
進行方法を選択するということなのでしょう。

ちなみに、一人で場を盛り上げる話芸の達人明石家さんまは、会場の一般人に
突っ込みを入れてその人の面白いところを引き出し、一般人に自分を突っ込ませたり、
自分で自分に突っ込んだり、ツッコミ役とボケ役を一人でこなす八面六臂の活躍で、
いつも感心させられます。

さて笑いのプロとは全然濃度が違いますが、私たちも会話をする時には往々に、
「ボケ」と「ツッコミ」の話しのやり取りの呼吸を求めているように感じます。例えば、
何気ない話の中にわざと冗談やとぼけた要素を入れて、相手から突っ込まれること
を期待するような・・・

私はこれまでそのような話し方の態度は、自分が相手に面白いことを言って受けたい
ためと、単純に考えていましたが、上記のことばを読んで、それは会話がスムーズに
進行するように相手を思いやる態度でもあると気づかされ、納得させられる思いが
しました。

2018年5月30日水曜日

川上弘美著「水声」を読んで

2014年度の読売文学賞受賞作です。読み始めて、あまりにも取り留めがないようで
戸惑いました。しかし登場人物の関係性がミステリアスで、読み進めたら謎が解ける
のかと思われて来て、どんどん先を読みたくなる、私にとってそんな小説でした。

とにかく、家族、夫婦、子供の関係が、まったく社会の規範に囚われていません。
ママとパパは腹違いの兄妹で、主人公の都と弟の陵はママの実の子ではあるけれど、
本当の父親は親しい存在ではあっても、別に家庭を持って生活しているらしいのです。

いや、都と陵も母親は一緒でも、父親は別人かもしれません。しかも都と陵は、ママの
死後一度家を出ながら、もう誰も住まなくなったこの家に再び帰って来て、恋愛感情に
等しい感情を持って、二人で暮らしているのです。

ざっと記すだけで、世間の常識に囚われた私の頭は混乱して来ますが、この複雑な
関係の中でまず私の印象に残ったのは、ママとパパは本当の夫婦ではありません
でしたが、都と陵という二人の子供の存在によって母親と父親の役割を果たし、愛情を
分かち持つ家族を作り上げていたことです。

それに対して都と陵は、ママとパパの関係をなぞるようでいて、二人を仲介する子供が
存在しない故に、二人は純粋に惹かれ合う感情を持って同居しているのではないかと
いうことです。

ここで意味を増すのは、ママの不在とこの疑似家族が暮らして来た家の存在で、ママ
亡き後、この家にはパパがコレクションしした時計が並べられた開かずの部屋が設け
られ、そんな家に都と陵が帰って来ることになります。つまり、ママを巡る記憶の集積
した家に、二人は吸い寄せられるのです。

この家族の関係は、家族とはこうあるべきという社会が求める決まり事から、あまり
にも自由です。自由過ぎてつかみどころがないけれど、その分家族の絆や親子や
男女が愛し合う感情が、純粋な形で描き出されているように感じました。

また人々の心に蓄積する記憶というものもこの小説の大切なテーマで、第二次世界
大戦下の凄まじい空襲の記憶、昭和という懐かしい時代の記憶、東日本大震災を
体験するという筆舌に尽くしがたい記憶、そしてママの記憶、それら悲喜こもごもの
記憶たちが降り積もり、それぞれの人の生き方を規定して行くということを、静かに
語り掛けているように感じられて、染み入るような余韻が残りました。

2018年5月28日月曜日

京都高島屋グランドホール「第47回日本伝統工芸近畿展」を観て

高島屋で恒例の「日本伝統工芸近畿展」を観て来ました。例によって染織を中心に
観ながら、会場を回りました。会期が約1週間、そのうちの日曜日ということもあって、
会場には多くの人出があり、京都ではまだまだ工芸への関心が高いと感じました。

今展では、私は受賞作2点の先染めの紬織着物に注目しました。新人奨励賞の
大塚恵梨香「水のハーモニー」は、紬らしいシンプルな生成りの地色に、藍色を
中心の淡い縦縞、アクセントを成すもう少し濃い藍色が、斜めの点線の繰り返しで
ジグザグ模様を描き出して、あっさりとした表情の中にも、すがすがしい詩情を醸し
出しています。目を凝らすと、藍色の縦縞の間に、ほのかな黄色い線が織り込まれて
いて、微妙なニュアンスを生み出していることに気づかされます。そのような隠れた
技巧に、作者の意気込みと熱意を感じました。

京都新聞賞の津田昭子「花の交響」は、おなじみのベテラン作家の作品、これも縦縞
の着物ですが、地元に産する多彩な植物の天然染料を使用し、縞の色使いを部分に
よって変えてあるのは無論、身頃の染め分け、縞の間に織り込まれた微かな模様が
心地よい表情を生み出し、一見シンプルでありながら、豊饒な雰囲気を感じさせる
作品になっています。それぞれの作品が、手織りならではのぬくもりのある微妙な
ニュアンスを体現していて、手仕事の美を再確認する思いがしました。

いつも駆け足で会場を後にするので、これが初めての試みであるのかは定かでは
ありませんが、今回設けられていることに気づいた展示販売のコーナーでは、
出品作家が制作した陶器、ガラスなどの盃、ぐい吞みなどが販売され、希望があれば
好みの盃で日本酒を試飲することが出来るという企画もあり、またそれらの盃などを
携帯するための同じく出品染織作家、刺繍作家の仕覆なども販売されていて、
なんとかして伝統工芸品を一般の人に身近に使って貰おうという、意図の試行が企て
られていることに、主催団体の工芸の火を消さないための熱意と、危機感を見る思い
がしました。

2018年5月26日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1118を読んで

2018年5月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1118では
岩だらけの荒野の中の一か所の小さな泉という〈恵み〉を、自分たちの思いのままに
領有しようとする人々を諫めた、カナダの司祭トム・ハーパーによる寓話『いのちの水』
から、次のことばが取り上げられています。

 それは、巨大な岩で造られた聖堂の礎石の、はるか深い底から聞こえてくる、流水
 のかすかなこだまだった。

小さな泉の近くにはいつしか大聖堂が築かれ、教派が争う中、泉自身も囲い込まれて
しまったといいます。

このような人間の愚行は、しばしば見受けられると感じます。最初は〈恵み〉への感謝
のしるしであったものが、祭り上げられ、対立を生み、特定の集団によって占有されて
しまうことになる。

人々の潜在的な欲望が集積することによって、独占の意志を生み出すということで
しょうか?

人間は一人一人は善意を持ち合わせていても、ひとたび集団化すると集団の利益を
守るために多勢であることを笠に着たり、あるいは、その集団を隠れ蓑にして勝手
気ままな振る舞いに及ぶことが、往々にあるように思います。また集団内の論理を
世間一般の価値観に優先させて、独善的な行為に至ることも見受けられます。

例え何らかの集団に属していても、自分の確固とした価値基準や、しっかりとした善悪
の判断指標は持ち続けるべきだと、上記のことばを読んで感じました。

2018年5月23日水曜日

京都文化博物館「オットー・ネーベル展」を観て

私は、オットー・ネーベルという画家の作品はもとより、名前も全く知りませんでした。
それで本展も、未知の画家への好奇心も手伝って、訪れてみることにしたのですが、
一目彼の作品を観ると、まず既知の絵画に接するような懐かしさがわいて来て、
正直少し戸惑いました。

でもこの展覧会を順路に従って観て行く内に、やがて私の感慨の理由も、次第に
明らかになって来ました。というのは、ネーベルは私の好きなクレーやカンディンス
キーといったバウハウスと繋がる芸術家と交流も深く、親しい存在の画家だったの
です。

ですからまず驚かされたのは、クレーやカンディンスキーは当時、他の追随を許さ
ない個性的な絵画を制作する画家というイメージを、彼らの作品に親しむ内に、私が
勝手に作り上げてしまっていて、同時代に親交のあったネーベルの絵画に、彼らと
似通ったテーストが感じられたことが、私の予想を超えたものであったからだと、思い
ます。

しかしそのような事実に気づくことによって、彼らの活躍した時代の芸術家たちの
熱気、影響関係などを、新たに知ることが出来て、これからクレーやカンディンスキー
の絵画を観る時の私の鑑賞姿勢も、多少深みを増すように思われて、その点でも
今展を訪れたことは有意義であったと、感じました。またバウハウスに集った芸術家
たちの総合芸術を標ぼうする作品が、再現も含めて立体的に展示されていて、当時
の雰囲気を体感することが出来たことも、私にとっては収穫でした。

さて肝心のネーベルの絵画ですが、一言でいえば繊細で詩的、感情や気分、音楽
など形のないもの、あるいは風景、建物といった目に見えるものを扱っても、それに
対して人が抱く情動を写し取ろうとするような、純粋に形而上的な絵画、思想を
含まぬ抽象絵画、という印象を受けました。

それともう一点特筆すべきは、その卓越した色彩感覚で、私は「イタリヤのカラーアト
ラス(色彩地図帳)」という作品が一番気に入りましたが、色彩で気分や感情を表現
するのみならず、ある国、地方の特質まで描き出す手際には、感服しました。

ネーベルの作品を多く所有するネーベル財団は、ベルンのパウル・クレー美術館に
本拠が置かれているといいます。一度是非訪れたいと思っているこの美術館に
行けば、ネーベルの絵画にもまた再会出来るのでしょうが、彼が今日まで、このよう
な素晴らしい絵画を残しながら、我々にあまり知られてこなかったのは、彼の近しい
存在であったクレーやカンディンスキーが余りにも偉大で、彼はその陰に隠れて
しまったのではないか、そんなことも考えさせられました。

2018年5月21日月曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 葬式の支え合い国内外同じ」を読んで

2018年5月8日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「葬式の支え合い国内外同じ」と題して、筆者が調査して来たエチオピアの村の葬式
事情から、イスラム教徒とキリスト教徒が互いの宗教を尊重し合っている様子を述べ、
更には、親族を亡くした家の服喪の期間には、近隣の葬式組が遺族の世話を行う
習慣が、我が国のかつての村落社会の習慣とも共通することを、語っています。

私などは日々のニュースで、中近東やヨーロッパで、宗教上の対立が激化している
報道に触れない日がないことからも、多宗教の人々が入り混じって暮らす社会では、
宗教上の軋轢はある程度避けられないものというイメージを持ちがちですが、この
エチオピアでの事情に触れると、本来は多宗教の人々が互いを尊重し合う社会が、
自然な姿ではないかと思われて来ます。

さて私たちの国の、特に都市部の葬儀は、最近はもっぱら葬儀場で執り行われる
場合が多く、参列者からは香典を受け取ることを辞退して、親族に対しては葬儀
当日に初七日の法要を合わせて営むなど、葬式の簡略化が進んでいます。

振り返ると私の記憶でも、中学生の頃に母に連れられて行った、滋賀県の都市近郊
の田園地帯の親戚の葬儀では、遺族のために隣近所の人々が集まって朝、昼、晩
の食事を作り、他方喪主は白い裃を着用して、丁寧に一人一人の弔問客に対応し
ながら、感謝の気持ちを伝えていたものでした。

そのことから類推すると、その時代の社会情勢を反映し易い都市部の葬儀では、
遺族に対して奉仕する労力が次第に香典という金銭にとって代わり、遺族の側でも
香典返しの手間を省略するために、香典を受け取らないという方針が主流になって
来ているのでしょう。初七日を葬儀の日に同時に営むということも、親族の時間的
負担を軽減するためなのでしょう。

葬儀の本来の目的である亡くなった人を悼み、困った時の相互扶助としての遺族
への配慮といった習慣が廃れ、人の死を悲しみ、喪失感を抱えた人に心から寄り
添うといった共感力が、今日では希釈化されているように感じます。

もしかしたら、故人を悼む気持ちや、遺族に奉仕する心をお金で代替するように
なったところから、葬式の合理化は始まっているのかも知れません。

2018年5月18日金曜日

細見美術館「永遠の少年ランティーグ、写真は魔法だ!」を観て

今年の京都国際写真祭も、メインプログラムは終わりを迎えました。その間幾つもの
写真展を観て、写真表現の多様さ、その訴求力の強さを改めて認識しましたが、私は
今年度の鑑賞の掉尾に、ランティーグの写真展を選ぶことにしました。

というのは、これまで観て来た写真展では、現代という時代の要請もあって、写真を
デジタル加工した作品、写真家が訴えかけたいものを前面に打ち出した表現が目立ち、
それに対してランティーグの作品は、写真を写すという行為の原点を示してくれると、
思われたからです。

さて実際に本展を観ると、写真機がまだ一般化する以前に、魔法の小箱としてこの道具
を手に入れた裕福な家庭の少年が、家族や周囲との幸福な時間を記録するために、
以降喜々として対象にカメラを向け続ける姿が見えて来ます。そしてその写し取られた
作品を通覧すると、時代の移り行きの中で、社会の醸し出す雰囲気や、カメラや
写真技術の進歩が浮かび上がって来るのです。

改めてランティーグの写真の魅力の源泉を考える時、彼が何にも増して写真が好きで
あったこと、自らも含めた家族の至福の時間を止め置きたいという無償で継続的な想い
を持ち続けたこと、悪戯好きで実験精神に溢れていたこと、そしてたぐいまれな美的
センスに恵まれていたこと、が挙げられると感じます。

個別に見ていくと、私は特にこの頃の作品に好感を持ちますが、ランティーグが
少年時代の家族とのピクニックや遊戯など寛いだ様子、愛犬や愛猫の可愛らしい仕草
を写し取った写真は、観る者をも幸せな気分に浸らせ、心霊写真と称する、白い布を
まとった人物を二重露光と思しい手法でぼんやりと浮かび上がらせた写真などは、
いたずら心に微笑まざるを得ません。

自動車、飛行機などの文明の利器のスピード感にも強い興味を示し、自動車レースや
飛行機の飛翔する姿、また発明家の彼の兄が試作した実際に人が乗れる模型自動車や
飛行機で、兄たちが戯れる様子を躍動的に活写します。

他方今展での公開が、日本では初めてというカラー作品は、光と色の持つ効果を存分に
活用して、輝くような色彩感に溢れ、洗練された構図の愛妻のポートレートなどを写し
取って、彼の写真の新たな魅力を私たちに示してくれます。

2018年5月16日水曜日

京都国際写真祭、深瀬昌久とロミュアル・ハズメの写真展を観て

今回は、昨年も訪れた誉田屋源兵衛会場で、深瀬昌久「遊戯」とロミュアル・ハズメ
「ポルト・ノポへの路上で」の2つの写真展を、観て来ました。

まず竹院の間で開催されている深瀬昌久の写真展。彼は25年前の不幸な事故で
やむなく写真家としての活動を休止、そのまま回復することなく20年前に亡くなった
ということですが、その実験的な作品が近年国際的にも注目されているそうです。

実際に観てみると、今写真祭のチラシの表紙にもなっている、猫の顔のクローズ
アップ写真にピンと糸が張り巡らされたものを更に写真に撮ったインパクトの強い
印象的な作品など、現在から25年以上前に発表された写真とは思えない、前衛的
でスタイリッシュな作品が並んでいます。

今展にも出品されている、二重露光を用いたカラスの写真シリーズなどが代表作
ということですが、私は奥のスペースに展示されている、「私景」という枠でくくられる
写真家自身が登場する「プクプク」「ヒビワレ」「ベロベロ」などのシリーズが一番
印象に残りました。

これらの作品は、この写真家に想起される風景や、心象と重なる路面のヒビなどに
自身のポートレートをダブらせ、その上にコメント、イラストなども描き込んで、彼の
内面を写真として提示するものや、あるいは、風呂の水面に顔の半分までつけて
あぶくを立てる姿を写したセルフポートレート、更には彼と知人が顔を近づけ、舌で
互いをなめ合う様子を写すポートレートなど、一見人を食ったような作品などですが、
それぞれに写真家が自分自身を表現しようとする意図が明確に示されていて、その
茶目っ気と実験性を十分に楽しむことが出来ました。

次に黒蔵で開催されているロミュアル・ハズメの写真展。まず会場1階のこの写真家
の祖国、アフリカ、ペナン共和国の現実をものを通して表現するシリーズでは、この
国の庶民が生活の必要から愛用するポリタンク、大きなガラス瓶や中古のスクーター
を題材に選んで写真を撮るこことによって、彼らの虐げられた歴史、今尚続く厳しい
生活を見事に描き出しています。

会場2階以上は、逆に祭祀を通して彼らの文化の豊かさを表現するシリーズ。
ユニークなオブジェも用いて、観る者をアフリカのエキゾチックさに誘ってくれます。

2018年5月14日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1098を読んで

2018年5月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1098では
平野暁臣著『「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たち』から岡本の次のことばが取り上げられ
ています。

 アメーバなんて嬉しいじゃないか。ひとつになったりふたつに分かれたり・・・変幻自在。
 自由奔放に生きている。素晴らしいじゃないか

大阪の万国博覧会の遺産である「太陽の塔」が、改修された内部の公開も始まり、再び
脚光を浴びています。私はこのトピックが、何だか嬉しく感じます。というのは、「太陽の塔」
は長年、万博公園を象徴するランドマークでありながら、そこにあるのが当たり前、特段
には気に止められない存在として、そこに孤独に佇んでいるように、この公園を訪れる
度に感じて来たからです。

私はかねてから、「太陽の塔」は従来の日本の芸術のスケールを超えた、一種神々しさの
ようなものさえ漂わせる像と感じていました。その意味では、仏像、神像に擬せられるとも
思われるのですが、前衛的芸術家が現代的な素材を用いて作り上げた、近未来的な相貌
を持つ得体の知れない像が、そのような雰囲気を醸し出すことに、人々の理解が深まる
のは一体いつののことになるのかとも、いぶかって来ました。

「太陽の塔」の内部には周知のように、生命の誕生からの進化の歴史を辿る、生命樹が
備え付けられています。内部が再公開されるということは、「太陽の塔」そのものの意味を
人々に感得させる一助になるのではないかと、密かに期待しています。

もう私の記憶も曖昧なところがありますが、晩年の岡本太郎は早く生まれ過ぎた天才と
でもいうように、その才能に見合うだけの評価を得られなかった芸術家、その破天荒さ
のみを好奇の目で見られた奇人という趣きがあったと、感じます。

現在の「太陽の塔」の人気の再沸騰は、彼の天才に我々が追い付いて来たということかも、
知れません。

2018年5月11日金曜日

京都春季非公開文化財特別公開「木島櫻谷旧邸」を訪れて

今春の非公開文化財特別公開で、「木島櫻谷旧邸」を尋ねました。

この屋敷の所在地は、京都の中心から北西の衣笠の地。日本画家木島櫻谷が、私たちの
店の近くの旧宅から、当時衣笠村と呼ばれていたこの土地に移り住んだ大正初期には、
まだ緑の多い景勝地だったそうです。

京都画壇の人気画家であった彼が衣笠村に移ってから、土田麦僊、村上華岳、堂本印象、
小野竹喬ら多くの画家がこの地に移住し、「衣笠絵描き村」と呼ばれるようになったそう
です。そういう経緯も、私がこの旧邸を訪れたいと思った理由の一つでした。

さて実際に尋ねてみると、現地はすっかり市街化して風光明媚の地の面影はなく、洛星
中学高校の校舎に隣接していて、どちらかと言うと瀟洒な住宅地というイメージの場所
でした。

歳月を感じさせる重厚な木造の門から入ると、まず迎えてくれたのは、かつて櫻谷の住居
だった和館で、趣味が良く手の込んだ和風建築、襖絵などにも贅が尽くされ、彼の美意識
が充分に反映されていると、感じました。また当時使用された家具、台所用品などの生活
道具類、愛用された玩具、備品などもそのまま残されていて、大正期から昭和初期に
タイムスリップしたような、懐かしさを伴う感覚も覚えました。

次に訪れた洋館は、大正期の特色を示す和洋折衷建築、螺旋階段が美しく、当時収蔵庫、
展示室として使用され、モダンな面影を残します。私の目を引いたのは櫻谷のコレクション
と思しき伊藤若冲の水墨画が展示されていたことで、彼が早い時期から若冲に注目して
いたことに、画家としての優れた審美眼を見る思いがしました。

庭と畑、後世に造られたであろうテニスコートを通って奥の平屋に赴くと、そこは天井の
高い80畳の大画室になっています。ここでは自身の絵画制作や、画塾として弟子たちの
指導が行われたということです。当時の賑わい、熱気が伝わって来て、美を生み出そうと
苦闘する人々が発散させる緊迫した気配が、今も残るようです。

また画室では、今回の公開に合わせて櫻谷存命中に撮影された、彼と孫と思しき家族が
自宅で憩うモノクロの映像がディスプレイで上映されていて、往時を偲ぶ郷愁を益々
掻き立てられました。