2017年8月30日水曜日

京都芸術センター会場「アジア回廊現代美術展」を観て

日本、中国、韓国の選定された都市が、文化の力で東アジアの相互理解を促進し、
開催都市の更なる発展を目指し、1年を通じて文化芸術の交流を行う事業、「東アジア
文化都市」の2017年の選定都市となった京都の、「アジア回廊現代美術展」京都芸術
センター会場に行って来ました。

旧明倫小学校の校舎、校庭を利用した会場には、多彩なアーチストの様々な作品が
展示され、開放感のある祝祭的な雰囲気を醸し出していますが、特に私の印象に
残った展示について、以下に記して見たいと思います。

まず、オ・インファンの「Reciprocal  Viewing System-2015」という展示。この作品は
校舎の二つの部屋を用いて、監視カメラの画像に死角が存在することを浮かび上がら
せようとする試みで、室内に設置された監視カメラに写り込まない壁面を、濃いピンク
に塗り分けることによって、その存在を視覚化します。その室内に入った鑑賞者は、
壁面の濃いピンク色の部分と、監視カメラの自らが映り込んだ映像を見比べることに
よって、この死角の存在を強く意識させられることになります。

現代の人と人の絆が希薄になった社会、そしてその帰結として公共、私的を問わず、
人の行き来がある空間において監視化が進む社会を象徴する監視カメラにも、
死角が存在することを明らかにする展示は、現代社会に蔓延する疎外感を示し、また、
合理性と完璧さを標榜するかに見えるこの社会にも盲点、あるいはブラックボックスが
口を広げ、一つ間違えると深淵に落ち込むような危機感に、私たちが常に苛まれて
いるのではないかということを、問いかけて来ます。私はこの展示に、軽い衝撃を受け
ました。

他にも、ルー・ヤンの「Lu Yang Gong Tau Kite」と題した、自らの顔をカリカチュアした
大凧が空になびく様子を映像化した作品の、一種名状しがたい悠久感や滑稽さ、
頼りなさ、今村源の会場4階の和室を利用した、何気ない日常の佇まいの中に突然
現れる違和感、落ち着けない感情を呼び覚ます展示に、心がときめかされました。

また、校庭を用いた日独伊の若手建築家による、「建築Symposion」と題する仮設展示
では、それぞれの建造物のユニークさもさることながら、校舎から校庭の上に張り渡さ
れた多数の透明なロープが風に揺れることによって発する音に導かれて、思わず空
を見上げた時のその空の美しさが、印象に残りました。

2017年8月27日日曜日

国立国際美術館「クラーナハ展 500年後の誘惑」を観て

クラーナハというと私がまず思い出すのは、若い頃にウィーンの美術史美術館で
観た、暗い背景の中から浮かび上がる独特のプロポーションで、特異で艶めかしい
ポーズを取る女性の裸体画でした。一度観ると決して忘れられない、強い印象が残る
からでしょう。

他方彼が500年前、宗教改革の時代に活躍した画家であったということは、今展で
初めて知りました。そういえばこの展覧会にも出展されているマルティン・ルターの
肖像画は、何かの図版で目にしたことがあります。

実際に観ると、同時期の裸体画など他の主題の作品と同じような描法で描かれて
いるように見えながら、この肖像画には内から滲み出てく来るような厳粛さが表現され
ているように感じられます。クラーナハの絵画がまとう特異さと、それを支える技量の
確かさを、改めて見る思いがしました。

またこの画家は、本展の目玉ともいえる「ホロフェルネスの首を持つユディト」に代表
されるように、誘惑する女性を描いた絵を多く残しています。彼の裸体画が誘うような
独特の魅力を放つのも、彼のそのような嗜好に起因しているのでしょう。

説明書きを読むと、彼の誘惑というテーマには審美的に魅了するという要素と、誘惑
されることを戒めるという道徳的な要素の相反する二面性があり、それは彼の生きた
時代の要請によって規定される部分が大きいに違いありませんが、画家自身が
重層的で複雑な精神構造を持っていただろうことが、想像されます。

クラーナハの人生を年表から辿ると、彼は神聖ローマ帝国のザクセン選帝侯に宮廷
画家として仕え、宗教改革の嵐が吹き荒れる中、主君に習いルターに理解を示し、
また一人の画家として大成するだけではなく、大規模な工房を構えて作品を量産し、
後にはそれを子に譲って繁栄を継続させる。また同時に政治家、実業家としても
手腕を振るったのです。この彼の一筋縄ではいかない複雑な人間性が、その作品
全体に神秘的な影を宿しているようにも感じられました。

クラーナハとデューラーは、ドイツ・ルネサンスを代表する画家と言われます。本展
では両者の版画作品が、比較出来るように並べて展示されています。こと版画に関し
ては、相対的にデューラーの完成度に一日の長があるように感じられますが、二人が
活躍した華やかな時代が彷彿とされます。

また、クラーナハに影響を受けたピカソやデュシャンの作品も展示されていて、
ヨーロッパの美術の連綿と続く流れを感じさせられました。
                                  (2017年2月18日記)

2017年8月24日木曜日

鷲田清一「折々のことば」852を読んで

2017年8月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」852では
第二次世界大戦後の東西分断の中で、再統一のために尽力した当時のドイツ大統領
リヒャルト・V・ヴァイツゼッカーの演説集「言葉の力」から、次のことばが取り上げられて
います。

 「悪」を名指しにすること・・・・・ではなく、われわれをつなぎ合わせる代わりに引き離し、
 ぶつけ合う「弱さ」が問題なのです。

ナチスの狂気の時代を経ての敗戦後、壊滅的な打撃を受け、東西冷戦という複雑な
国際情勢の最前線となって分断されたドイツを、再び統合するために力を尽くした
優れた政治家で、傑出した演説の名手ヴァイツゼッカーの生き方には、かねてより
興味を持ち、彼の自伝も読みました。

というのは、私たちの日本も第二次大戦ではドイツと同じ枢軸国側に組し、アジアに
おいて多くの周辺国に甚大な被害をもたらしながら、戦後処理という外交分野でまだ、
被害を受けた国々に満足な理解を得る解決を見出していないと、感じるからです。

そのような状況の中で、政治家の果たすべき役割は何か?それがヴァイツゼッカーの
業績から私が幾ばくかでもヒントを得たいと、思ったことでした。

上記のことばで彼は、人の「悪」をあげつらうのではなく、一人一人の「弱さ」をこそ克服
すべきであると、語り掛けています。

あの戦争の歴史を語る多くの記録や書物を読んでみても、行為や結果の悲惨さは言う
までもなく、なぜそのような状況に陥ったかという部分の検証を辿ると、とてもそのような
重大な結果をもたらすとは思われない小さなほころびが、最終的には取り返しのつか
ない事態に至る姿が、しばしば見えて来ます。

恐らく「悪」というものが最初からあるのではなく、私たちはそれを呼び込むこととなる
「弱さ」に打ち勝つ勇気を持つべきであると、彼は語りたかったのでしょう。

2017年8月22日火曜日

「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」中公文庫を読んで

私は元来、第二次世界大戦を軍事戦略論的に見る視点には、あまり興味を感じません
でした。なぜなら、多くの死者と数限りない悲嘆を生み出したあの戦争を、一種ゲーム
感覚の覚めた視線で分析する論に、何か表層をなぞるだけのような感触を持つから
です。

しかしこの論考の、軍事戦略的な視点を用いながら、真摯に日本軍の敗北の本質を
明らかにしようとする姿勢に動かされ、敢えて本書を手に取りました。

日本軍の敗北の原因を考える時、まず第一には圧倒的な国力の差のある米国に対し
てなぜ戦いを選択したのかということが、大前提としてあると思います。しかし本書が
一章で失敗の事例研究として取り上げている6つの戦いの時系列に沿った展開を見て
行くと、彼我の兵器、軍事装備の性能及び物量の大差は已むおえないとしても、個々の
戦闘の局面で一度劣勢に立たされた時、日本軍は作戦上非合理な選択を繰り返し、
大敗に至っていることが分かります。

二章ではこれらの事例に共通する日本軍の失敗の原因を、米軍と比較しながら、
戦略上と組織上の問題点に別けて分析しています。つまり米軍は明確な戦略目的を
持ち、長期的な戦いを視野に入れ、陸海空軍を融合した総合的で柔軟性に富む作戦
計画を有するのに対して、日本軍は戦略目的が不明確で、短期決戦を志向し、陸海軍
の協調は不十分で、場当たり的で硬直した作戦計画しか持ち合わせません。

また兵器、装備においても米軍が技術を標準化して、一定以上の性能のものの量産化
に成功しているのに対して、日本軍は大艦巨砲主義に代表されるような一点豪華主義
に陥っています。

また両組織を比較してみても、米軍が階級制度を柔軟に運用し、その前提として教育を
充実させ、人事考課を合理的に行っているのに対して、日本軍は年功序列の硬直した
階級制度で、幹部候補の教育も机上のものが中心で、人間関係に左右される
温情主義的な人事評価が行われていたといいます。

そして三章ではなぜ日本軍がこのような弊害に陥ったかが探究されていますが、総合
すると日本軍は近代的官僚制組織と集団主義を混合させた不完全な組織であり、その
上に日清、日露戦争の戦勝体験が拍車を掛けて、自己革新を怠る組織になってしまった
ということになります。

この論の結論を読むと、単に軍隊の組織論の枠を超えて、日本という国が明治以降の
西洋的価値の導入による急速な近代化の中で、なお封建的な思想を色濃く残す、
いびつな発展を遂げて来たこと。また更に敗戦後においても、理念や制度の形を受け
入れることには巧みでも、本質を理解し、深い部分からそれを運用することが苦手な、
日本人の気質が見えて来る気がします。

2017年8月19日土曜日

松山大耕「現代のことば 「孤独死」は本当にいけないことか」を読んで

2017年8月17日付け京都新聞夕刊の「現代のことば」では、妙心寺退蔵院副住職の
松山大耕氏が、「「孤独死」は本当にいけないことか」と題して、人の臨終について論じ
ています。私には父母の介護経験を踏まえて、何かと考えさせられるところがあり
ました。

まず「孤独死といわれて亡くなった人のほうが病院で亡くなる人よりも穏やかな死に顔
をされていることが多い。」というある医師の証言から、「生物の一番自然な死に方は
餓死」であり、「単独で死を迎える人はそういう亡くなり方をされる場合が多い」という
結論が導き出されますが、私の父は糖尿病に起因する脳梗塞から嚥下障害を起こし、
最早自力で食べられなくなってからも最後まで、食欲を訴えて亡くなりました。

無論現代の医学の進歩がなかったら、父の命はその状態になる以前に失われていた
のであり、脳梗塞を発症した後症状が一時快方に向かい帰宅した時、少しは食べたい
ものを食べることが出来たことが良い思い出であったと、死の前に父が告白したことが、
看病していた私たち家族の慰めでしたが、私自身その経験から日常の食の節制と
体調管理を改めて肝に銘じたものでした。このことからも、医療に余り依存しない、
自然に食欲が減退して行くような死の迎え方が理想だと、感じて来ました。これは
上述の話にも通じると思います。

「生老病死」の「四苦」の中で、現代社会では「死」より「老い」の苦しみの比重が高まって
いるという指摘も、過度な延命治療や認知症の問題が盛んに取り沙汰される現状を見て
いると、大いに頷けます。

私の母も老いに伴う心臓の疾患と、最近では認知機能の低下も見られ、入退院を繰り
返していますが、私の仕事がある程度時間の融通が利く自営業ということもあって、
入院している時は出来るだけ頻繁に見舞いに訪れ、自宅にいる時には時間の許す限り
話しかけ、寄り添うようにしています。高齢の人が孤独感を感じることは、色々な意味で
症状を進行させると思うからです。きれいごとだけではなく葛藤もありますが、せめて
ある程度以上の満足をもって、家族一人一人が人生を全う出来ればというのが、私の
望みです。

2017年8月16日水曜日

赤瀬川原平著「芸術原論」を読んで

赤瀬川原平の芸術活動というとすぐに思い浮かぶのは、ハイレッド・センターの
ハプニング、梱包芸術、千円札模写、トマソン、路上観察などの一見人を食った
ユーモラスな作品や活動です。しかし本書を読むと、それらの仕事が、彼の深い
芸術的思索の上に成り立っていることが、分かります。

まず彼は観察したものから、鋭い洞察力でその本質を見抜く能力を持った人です。
私が本書でそれを感じさせられたのは、鳥や魚の群れの動きに、一つの有機的な
結合体の活動に近いものを感受したと、記す下りです。

つまり、個々の鳥、魚は単独の個体でありながら、それらが一度群れとなって行動
する時、まるでそれぞれが目に見えぬ意思を伝達し合う糸でつながれているかの
ように、一糸乱れぬ動きを示すことから、自然界の中で個々には非力な小動物たち
が、群れという大きな生命体を構成して生活する様に、生命活動の本質を見出して
いる部分です。

そのような深い洞察力を持って、彼は自らの活動領域である芸術というものを突き
詰め、実践して行きます。

彼の理論によると、芸術家による作品の美への到達が、芸術の概念と一致した
幸福な時期は印象派の時代に最高潮に達し、前衛美術家M・デュシャンの登場に
よって最早、芸術作品に普遍的な価値は見出せなくなったといいます。

それ故赤瀬川は、自らの芸術活動において、一回限りのパフォーマンスや偶然に
目にしたものの中に、芸術性を発見する実験精神に満ちた試みと実践を行うことに
なります。

彼のもう一つの優れた能力は、自らが思考し感じたことを説得力のある分かりやすい
言葉で人に伝える能力で、トマソン、路上観察の活動では、観察し思索する力と、この
書き伝える力が一体となって、彼の考えるところの芸術性を生み出しているといえます。

私の芸術に対する考え方は、美がそれに触れる人の心を動かす力を今だ信じると
いう意味において、彼の美に対して余りにもストイックで、科学的合理性を追求する
考え方とは必ずしも一致しませんが、経済的論理や商業主義的価値観の浸透と共に、
芸術という概念がどんどん曖昧になって来ている今日、彼の提起した鋭い問いかけは、
我々が現代における芸術、美術の在り方を、改めてじっくりと考える起点になると、感じ
られました。

そして芸術の前衛を休みなく走り続け、その活動を分かりやすく、親しみやすい言葉で
発信し続けた、この特異な芸術家の喪失を、再び寂しく感じました。

2017年8月14日月曜日

鷲田清一「折々のことば」842を読んで

2017年8月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」842では
茶道研究家筒井紘一の「利休聞き書き(南方録 覚書)」より、客と亭主は茶会に
どのような心持ちで臨めばよいかと問われた時、利休が答えたという次のことばが
取り上げられています。

 かなふはよし、かないたがるはあしゝ

茶道のことはまったく知らないので、よくご存知の方には一笑に付される暴論かも
しれませんが、私はこのことばに人と人が招き招かれ、一つの場に集った時の
それぞれの心の持ち方として、深い意味があるように感じました。

つまり私の心に響いたのは、”相手の心に叶おうとするのはへつらいにほかなら
ない”という部分です。

私は何でも自分のフィールドに引き付けて考えるので、私たちの三浦清商店に
あるお客さまが目的を持って訪れられた場合を想定すると、我々は何時でも、
可能な限りお客さまの要望にお応えしようと待ち受けていますし、対してそのお客
さまはこの店で自分の思い描く白生地を購入、あるいは誂え染めの品物を注文
しようと、考えておられることになります。

さてその場面での双方の心持ちを推量すると、我々は自分たちのお勧めする生地、
それを染め上げた場合の出来上がりに、品質、それに見合う価格共に一定水準
以上の自信を持って先方にお勧めしているはずですし、一方お客さまは商品を
直に見て、私たちの説明を注意深く聴いて、納得の上で購入、注文されることに
なるはずです。

もしこのような場面で、互いが相手に何らかの迎合や妥協をしてしまったら、幸い
ことがうまく運べばいいのですが、結果として何かの理由でお客さまに満足を与え
られなかった場合、双方に悔いを残すことになります。

我々はお客さまの要望に誠心誠意応えようと心掛けながらも、いたずらにへつらう
ことはかえって、お客さまを失望させることになりかねないと、肝に銘じるべきでは
ないでしょうか。

2017年8月11日金曜日

鷲田清一「折々のことば」837を読んで

2017年8月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」837では
哲学者加藤尚武の「環境倫理学のすすめ」から、次のことばが取り上げられています。

 いかなる世代も未来世代の生存可能性を一方的に制約する権限をもたない。

地球温暖化の問題は、今日では未来の深刻な環境破壊が様々に予測され、私たちも
一応危機感を感じてはいるけれど、差し迫った危険を実感出来ないだけに、目先の
経済的恩恵や生活の便利さ、快適さをついつい優先して、なかなか現状を変えられない
というのが、今直面している現実でしょう。

未来の世代への想像力をもっと働かせることが出来たら、我々の取り組みも随分変わる
に違いありません。

また我が国が直面している財政赤字の問題、国家の債務が過剰に膨らんでいる問題も、
我々一人一人が、未来の世代の引き受けなければならない重い債務に、思いを致す
ことが出来れば、目先の自分たちの利益を犠牲にして、先の世代の負担を軽減する
財政政策にも、もっと理解が広がるかもしれません。

他方私の携わる和装業界について考えるならば、この国の生活習慣の急速な変化など
による着物離れという状況の中で、織屋から呉服店に至るまで、この仕事に携わる人が
著しく減少して、最早存続が危ぶまれる事態に陥り、着物文化を未来に伝えられない
可能性も生まれて来ています。

ここ数年秋に修学旅行で京都に来られる、伝統文化に興味を持つ埼玉大学附属中学の
生徒さんが、私たちの三浦清商店を見学に訪れて下さいますが、先日訪問に先立つ
質問書が届き、その中に伝統工芸を守るために自分たちの出来ることは何かという、
真摯な質問を見つけて、私自身この仕事に携わる者として励まされました。

未来へこの文化をつなぐためにも、微力ながらもうひと頑張りしたいと思います。

2017年8月7日月曜日

星野博美著「みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記」を読んで

若桑みどりの労作「クアトロ・ラガッツィ」をよんでいるので、我が国の約400年前頃の
キリスト教の流布、天正遣欧使節の顛末、キリシタン弾圧という歴史の流れについて
は、ある程度知識を持っているつもりでいます。

さて、その上で本書を読むことにしたのは、この時代の宣教師やキリシタンの様子を
より具体的に知りたいと思ったからです。その意味において、著者が歴史の痕跡を
求めて現地に赴き、文献や資料を渉猟しながら在りし日の彼らに思いを馳せる本書
は、十分に私の期待に応えてくれたと感じました。

まず著者がリュートを習い始めることから、この時代の手触りを探り始めるところが
好ましく感じます。なぜなら、音楽は人間の原初的な表現手段の一つで、その時代の
空気を映す鏡であると、感じられるからです。リュートを通して著者はすんなりと、
あの時代を生きた人々の心に同化して行ったのでしょう。

しかし、このように呼吸を整えた上での著者のキリシタン巡礼は、迫害という厳然たる
現実もあって痕跡が如何にも乏しく、当初彼女を戸惑わせますが、持ち前の行動力
による丹念な探索と、空白部分には想像力を補うことによって、次第に当時の宣教師
や日本人信者の思いを浮かび上がらせて行きます。

予めの歴史的推移は、前述の書で既に知っているので、私が本書から掬い取ること
が出来たのは、弾圧に直面する人々の思いで、またそれに付随して、当時のカトリック
の信仰とは如何なるものであったかということも、漠然とではありますが、知ることが
出来たと感じました。

私にとってとりわけ興味深かったのは、宣教師と信徒、弾圧者とキリシタンの関係で、
まず宣教師は、自分が信仰に導き入れた信者の告解をいつでも聴くという形で、その
信者に責任を持たなければならなかったといいます。それ故宣教師は、国外追放の
命令が出ても自らの信者のために国内に潜伏し、あるいは一旦出国しても再び舞い
戻って、殉教を遂げることになるのです。

またキリシタンには、殉教することが最高の名誉であるという絶対的な価値観があり、
殉教を積極的に受け入れようとするところがあるようです。従って弾圧者が、見せしめ
のためや棄教を促すために、より残酷で、苦しみが続く処刑方法を取り入れても、
かえってそうすることがキリシタンの殉教志望者を増加させることになったそうです。

最近で言えば、イスラム原理主義者の自爆テロが示すように、信仰のために自ら命を
犠牲にするという考え方は、私などには到底理解を超えるものですが、宗教を巡る
時代を超越した普遍的な人間の感情を見る思いがして、しばし考えさせられました。

2017年8月4日金曜日

鷲田清一「折々のことば」830を読んで

2017年8月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」830では
資生堂のPR誌「花椿」のアートディレクターを長年務めたグラフィックデザイナー
中條正義の、雑誌「ブルータス」7月1日号紙上での、次のことばが取り上げられて
います。

 どこか生煮えだったり、あんまり完璧にしすぎないって主義があるもんですから。

私の場合完璧にしようとしても、到底出来ない相談だ、という部分はあるんです
けれども・・・。

でも往々にして、完璧すぎは面白くなかったり、余裕がないように感じられることが
ままあると、感じます。

私の仕事に引き付けて考えると、例えば誂え染めの色ははっきりとしすぎた色よりも
少しくすんだり、微妙なニュアンスがある方が、実際に着用される時に身に添いやすい
ように感じられますし、着物、帯、帯揚、帯締めのコーディネートにしても、余りにも
スキのない取り合わせよりも、少し緩めたところがある方が、傍から見て余裕のある
着こなしのように感じます。

思いますに、どうしても完璧が求められることは別にして、多くの状態、場合において、
完璧ではない瑕疵、隙間の部分に可能性や広がりが生まれるような気がします。
これがいわゆる”遊びの部分”というものでしょうか。

しかし現代社会では、我々はあらゆる場面において完璧さを求められるようになり、
その結果どんどん追い詰められて来ているように感じます。

その原因はいろいろ考えられますけれど、さしあたり最たるものは工業化社会、
情報化社会の到来のように私は思います。

伝統的なもの、手工芸的なものに親しむことによって、このギスギスした社会環境に
よって疲弊した心をしばし癒すことが出来たら・・・。私の希望的観測です。

2017年8月2日水曜日

龍池町つくり委員会 43

8月1日に、第61回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

本日は、7月16日に実施した「たついけ浴衣まつり」の結果報告を中心に、議論が
進められました。

あいにくの雨模様だったにも係わらず、前年同様1200名ぐらいの参加者があったと
いうことで、そこそこの賑わいであったと感じられました。

ただ雨天の場合の今後に向けての反省点として、せっかくのAVホールでの演奏を
マンガミュージアム館内や、グラウンドで聴くことが出来ず、その結果それらの場所で
盛り上がりを欠いたこと、もし演奏音を流すことが出来れば、祇園祭宵山という
シチュエーションからも、もっと多くの参加者を集めることが出来、またグッズ等の
販売も促進出来たのではないかという意見が出ました。

さらに、雨の場合でもグラウンドに大きなテントを張って、野外演奏が出来ないかと
いう意見もありましたが、ミュージアムの設備の問題、テント設営の人員の問題なども
あり、これからの検討課題となりました。

続いて鷹山復興を、龍池学区の町つくり活動に生かすという意味で、学区内の
御池通り以北に祇園祭の山鉾がなく、祭り期間に祇園囃子が奏でられる機会もない
ので、鷹山の巡行復活の折に、各山鉾が宵山に行う、山鉾町から四条寺町の御旅所
までの屋台を用いたお囃子の出張演奏、日和神楽の通り道に、御池以北の学区内を
使用してもらうという案についても、検討がなされました。

鷹山の復興活動にも関わる森委員から、それを実現するためには、少なくとも
鷹山巡行に先立つ唐櫃巡行が実施される予定の再来年までに、学区内各町で
日和神楽を受け入れる意見をまとめ、例えば各家の軒先に祇園祭の提灯を吊るなど
気分を醸成することが大切であるという説明があり、当委員会としては、実現に向けて
学区内に働きかけてみよう、ということになりました。