2019年7月30日火曜日

何必館・京都現代美術館「中野弘彦展ー無常ー」を観て

祇園にある何必館・京都現代美術館で、日本画家、中野弘彦の展覧会を観て来
ました。

中野は京都市立美術工芸学校で日本画を学び、その後大学で哲学を専攻した
異色の経歴を持つ日本画家で、2004年に76歳で逝去していますが、本展では
回顧展という形で、藤原定家、鴨長明、松尾芭蕉、種田山頭火の文学に触発され
て、日本人の根本的な美意識である「無常」を主題に、思想の絵画化を試みた
作品を展観しています。

私が本展に興味を持ったのは、この展覧会の副題でもある、「これからの日本画
を考える」というフレーズに惹きつけられたからで、昨今は日展などを観ていても、
日本画の展示室と洋画の展示室が隣接している場合などに、ふとどちらの部屋が
日本画で、一体どちらが洋画であるか分からなくなることがあるぐらいに、両者の
区別が曖昧になり、単に画材の違いだけが二つを分けるような状態となって来て
いるように感じられて、それでは両者を分けるものは何かという疑問が、湧いて来
たからです。

勿論、日本画も洋画も、明治時代以降に生まれた絵画を区別する呼称で、日本人
が描く絵画という点では、どちらにも日本的な要素が含まれるのは間違いないの
ですが、元来日本画にはその根本に、伝統的な美意識を継承するという意味が
あったはずで、逆に洋画には、西洋から導入した美意識を日本的に消化すると
いう意味があったと思われます。

しかし今日、両者の区別が曖昧になって来ているということは、近代化の進行に
伴って、日本人の感性が巷に溢れる表層的で、無思想的な大衆消費文化の
価値観に浸されているからではないかと、私には感じられます。

さてそのような思いを抱いて中野の作品を観ると、その絵画は決して声高には訴え
掛けはしませんが、またその表現方法は、伝統的な日本画の技法を単に踏襲して
いる訳ではありませんが、じっと観ていると何か根源的な部分で、私を郷愁に誘う
ような懐かしさを感じました。

このような日本人が本来持つ美意識を再認識させ、我々は一体何ものかということ
を問い直して来るような思索的な日本画が、このような時代にこそ、多く生まれる
環境が整えられればいいと、本展を観て切に思いました。

そのようなことを色々考えながら、エレベーターで最後の展示スペースである5階に
到着すると、扉が開いた途端に目に飛び込んで来た、この美術館の名物の天井を
円形にくり抜いた明り取りから日の光が降り注ぐ、坪庭が余りに美しく、思わず写真
を撮りました。







2019年7月27日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1521を読んで

2019年7月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1521では
『中勘助詩集』(谷川俊太郎編)から、次のことばが取り上げられています。

   かわいい子よ おおかわいい子よ
   おでんのつゆに きものよごすな
   手のひらに 串のとげたてるな

名作「銀の匙」の作者は、詩においても、その慈愛に満ちた世界を彷彿とさせる
ことばを、紡ぎ出しています。

しかし現代においては、社会の中の人と人の絆が希薄になって、あるいは他者
との関わりを避けようとする個人主義的な考え方が蔓延して、一般の人々の間
の、社会全体で地域の子供を育てようという意識が、希薄になって来ているよう
に感じられます。

そのために公共の場で、幼い子供連れの母親の存在を不快に感じたり、更には
地域に保育園が出来ることに反対運動が行われるような事態が、生じているの
でしょう。そのような社会環境は、若い人々が子供を作らないという選択を、助長
しているようにも、感じられます。

その社会の生きやすさ、暮らしやすの基準は、一人一人の心のありようにおいて
は、精神的な余裕があるかどうかによって決まって来ると、思います。そしてその
精神的なゆとりは、子供を含む社会的に弱い立場にある人々への思いやりや、
対等の関係の存在の中でも、互を尊重し、譲り合う心などに、現れて来るのでは
ないでしょうか?

そのような心の余裕が、どんどん失われて行くような風潮を危惧しながら、私自身
としては、出来ることなら平常心を保ちたいと、念じています。

2019年7月25日木曜日

京都国立近代美術館「世紀末ウィーンのグラフィック」を観て

本展は、アパレルメーカー創業者が蒐集し、京都国立近代美術館が一括で所蔵する
ことになった、ウィーン分離派のグラフィック作品約300点を展観する展覧会です。

ウィーン分離派は、19世紀末ウィーンでグスタフ・クリムト、ヨーゼフ・ホフマンを中心
とする、既存の美術機構に飽き足りない幅広い美術家、芸術家が結集して、分離派
会館での展示会開催、機関紙「ヴェル・サクルム」の発行を両輪に活動した、芸術
運動のグループの呼称です。

分離派では、新しい時代にふさわしい芸術、デザインの模索が行われ、折しも印刷
技術や雑誌メディアの発達に伴って、多くの独創的で優れたグラフィック作品が創造
されました。その成果を一望出来るのが本展です。

さて会場に入ると、この展覧会にふさわしい斬新な会場レイアウトが、まず目を惹き
ます。会場を展覧会の各パートごとに独立的に区切るのではなく、各パートを観て
回りながら一巡出来るように仕切りを少なく、大まかに配置し、しかも各パートにくの
字形の衝立状の展示壁面を設けて展示方法に変化を付け、なおかつ多数の作品
を展示するスペースを確保しています。

また、冊子状のもの、書籍などの作品の表裏を一度に鑑賞することが出来るように、
その作品を半分開いたり、傾けたり、鏡を添えたりの見せる工夫が施されています。

会場で鑑賞者が自由に取ることが出来る、展示作品リストも通常のものより遥かに
大判の表裏印刷された1枚ものの紙で、鑑賞者自らが好きなように折りたたんで、
利用することが可能です。

このような随所に見られる見せる工夫によって、鑑賞者はウィーン分離派の運動の
持つ、革新性、浩瀚さ、熱気を体感することが出来ると、感じられました。

実際に作品を観て行くと、その作品は、絵画、蔵書票、絵葉書、招待状、ポスター、
書籍、日用品、装飾デザイン、建築まで、多岐に渡り、生活に根差した総合芸術の
様相を呈しています。

また、運動の実践者を養成するための工芸学校や、工房も設けられたことが示され
ます。これらの展示を観ていると、現代社会を生きる私たちがイメージする一般的な
芸術観念の根底が、この運動によって醸成されたことが、分かります。

その意味においてこのコレクションが、近代以降の芸術史上大変貴重なものである
ことが十分理解出来ました。

本展と同時開催されている、常設展示の企画も今回は大変充実して見応えがり、私
は今まで知らなかった没後30年であるという、村山槐多と交友のあった洋画家、
水木伸一の館蔵品で構成された小特集の絵の、何とも言えぬたおやかさに感銘を
受けました。このような企画も、美術館にとっては大変重要な活動であると、感じま
した。

2019年7月22日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1516を読んで

2019年7月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1516では
ファッションデザイナー・堀畑裕之の『言葉の服』から、次のことばが取り上げられて
います。

   「始末」とは、文字通り「始まり」と「終わ
  り」のことである。それは物の始まりと終わ
  りに、自分が生活の中で責任をもつことだ。

子供の頃には、よく親から「始末」という言い回しを使って、節約することを奨励された
ものです。

確かに今と比べて、食べ物にしても、衣料品にしても、日用品にしても、はるかにもの
が乏しく、何にしても慈しみながら、食べかつ使用していたと記憶します。

大切にすることから、節約の思想がうまれる。そして上記の「始末」ということばの解説
のように、ものを慈しむことが「始まり」と「終わり」に責任を持つことにつながるので
しょう。

そう考えるとかつては、私たち町暮らしの者でも、食事は素材を購入して、家庭で調理
するものでしたが、現在はスーパーなどで調理済みの食物を買って来て食べる割合
が増えていますし、衣類なども親のお古を更生して子供に着せることが行われていた
のに、今では使い捨てが当たり前です。日用品も、手入れをして長持ちさせる習慣が、
だんだん薄れて来ているように感じられます。

私などは、子供の頃に叩き込まれた習慣が抜けず、自分の持ち物は何でも出来るだけ
長く使わないと気が済まない方ですが、周囲を見ていると、かなり時代遅れの考え方の
ようにも、感じて来ました。

しかしここに至って、古いものを大切にするという習慣は、少しずつ息を吹き返して来て
いるようにも、思われます。例えばリサイクルという考え方は、その最たるものではない
でしょうか?

私たち和装業界のものとしては、その潮流が、伝統衣装である着物の再評価につなが
れば有難いのですが。

2019年7月19日金曜日

祇園祭前祭り宵々山に、杉本家住宅の「屏風飾り展」を訪れて

本年の祇園祭は、私が新しくFacebookの「アート倶楽部(美術館めぐり)」に参加した
こともあり、記事で紹介すべく、近くに住みながらまだ訪れていない重要文化財・
杉本家住宅の「祇園会 屏風飾り展」を観に行きまました。

祇園祭では、山鉾巡行に先立つ各山鉾町での山鉾の披露に合わせて、旧家が所蔵
する屏風や絵画など、美術工芸品を展示する「屏風祭り」が行われますが、杉本家
住宅でも「伯牙山」の山鉾町にあって祭りの中心的な役割を担うと共に、この時期に
合わせて所蔵の美術工芸品の公開が、実施されます。

さて、美しい細目格子の並ぶ、どっしりとした構えの京町家・杉本家住宅に入り、母屋
に上がると、畳敷きの薄暗い室内に、いかにも質の高い絨毯が敷かれて、床の間の
掛け軸、背の低い屏風が、行灯の仄かな光の中に浮かび上がります。まさに全体が
一幅のの絵のようで、美術館で観るのとはまた違う、日本の美術品の本来のあり方で
ある、調度品としての美術工芸品の美を、味わうことが出来ました。

続いて格調高い作りの座敷に移ると、こちらでは3点の屏風が私を迎えてくれて、特に
奥まった光の届きにくいところに設えられた、俵屋宗達「秋草図屏風」は、金地に色味
を抑えたように見えながら、繊細かつ縦横に伸びる秋草が優雅な姿で描き上げられ、
往時の華やかさがしのばれると共に、じっと観ていると吸い込まれそうな感覚に囚わ
れました。

座敷から眺められる庭も広くはありませんが、塀に囲まれ、緑の苔に彩られた、庭木
や蹲、飛び石の配置が見事で、心を落ち着かせてくれます。また夏ということで、
さりげなく置かれた氷柱や、縁側に掛けられた簾の下から覗く金魚鉢が、涼を感じさせ
てくれました。

正に古き良き京都を、堪能することが出来ました。

2019年7月17日水曜日

「龍池ゆかた祭り2019」に参加して

7月15日午後6時30分より、京都国際マンガミュージアム・グラウンドで、「龍池ゆかた
祭り」が開催されました。梅雨のさなかで前日は雨模様、天気が心配されましたが、
当日は曇りがちながら雨は降らず、夕方からは青空も見えて、祇園祭宵々山の祝日
ということもあって、結果昨年より参加者も多く、盛況な催しとなりました。

今回はまず、京都外国語大学南ゼミが制作して下さった、祇園祭の赤い提灯を烏丸
通り側の会場入り口に吊るし、祭り気分を盛り上げると共に、参加者の呼び込みに
活用することにしました。この提灯は宵闇が迫ると仄かに輝いて、結果お囃子の音
に惹きつけられた通りがかりの人々を、会場に誘う役割を十分に果たしてくれたと、
思います。

祭りのアトラクションは和太鼓の演奏と、メインプログラムの鷹山のお囃子で、それ
ぞれ2回づつプログラムが組まれましたが、鷹山囃子方は子供たちに人気の高い
お囃子の体験時間をたっぷりと設け、多くの子供たちが鉦の演奏に挑戦して、楽し
い時間を過ごしました。

このような催しは、祇園祭の地元の子供たちに、小さいうちから祭りやお囃子に親し
んでもらうという効果があると思われますが、他方鷹山の授与品の販売は低調で、
祭りの伝統を若い世代に伝えていくことは容易ではないと、感じました。

同様に門川京都市長が、開会にあたっての挨拶で述べられたように、「ゆかた祭り」
と名うちながら、子供の浴衣姿は多く見られましたが、大人の浴衣着用者は少なく、
着物産業の中心地の地域住民が、まず率先して和装を着用する意識を持つことの
大切さを、痛感しました。

昨年不評だった飲食物の販売コーナーは、今年から業者も代わって味、対応ともに
好評で、これなら安心して任せられると、安堵しました。

今回の盛況を、祇園祭を中心とした地域住民の連帯感の向上に、どのようにつなげ
て行くかが、これからの課題です。

2019年7月14日日曜日

鷲田清一「折々のことば」1510を読んで

2019年7月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1510では
歌人・川野里子の歌集『歓待』から、次のことばが取り上げられています。

  わが母は襁褓とりかえられながら梟のやうに
  尊き目する

襁褓(むつき)は、おしめのことだそうです。私はこの歌で初めて知りました。

作者は老母を看取る過程で、担当の介護職の人々の献身的な世話を目の当たりに
して、感謝の念を持ってこの歌を詠んだそうです。

私もこの歌を読んで、亡き母の介護の日々を思い出しました。母は出来るだけ自宅
で過ごしたいと希望したので、何度も繰り返された入院の後は、リハビリを経て自宅
に帰れるようにしました。

勿論母にそれだけの体力、回復力があり、また最晩年でも自力でベットから起き上が
って排泄をしたり、自分で食事をとることが出来たので、私たちも自営業を営みながら
母の世話をすることが可能でした。その点では十分なことが出来たとは言えません
が、私もある程度母の希望に沿うことがかなって、安堵しています。

しかしその介護を通して、介護職の方々には本当にお世話になったと、感じました。
まだ外出出来た頃は、送り迎えから向こうでの世話もしていただいた、デイケア施設
のスタッフの人々、自宅でのリハビリや訪問整体の担当者の方、訪問入浴の職員の
人々。

それらの方々に介護を受けた後には、母は本当に満足したような様子をしていまし
た。それは静かに衰えゆく単調な日常に、しばしの安らぎを与えてくれる時間であった
ように、今は思います。看取っていただいた医師、看護師も含めて、人は死にゆく瞬間
まで、他者との関わりの中で生かされるものだと感じたことを、思い出しました。

2019年7月12日金曜日

角幡唯介著「極夜行」を読んで

探検家・角幡唯介のノンフィクション作品は、以前にも『空白の五マイル』を読んだこと
がありますが、交通手段、情報網、科学技術が著しく発達した現代の地球環境にあっ
て、わずかに残された秘境や人間の進入を拒む厳しい自然条件の地に、少ない装備
で、しかも単独で果敢に挑み、読む者を心躍らせるところがあります。

今回の探検は、極夜と呼ばれる太陽が昇らない冬の北極を犬一頭と旅する単独行と
いうことで、いやが上にも期待が膨らみました。

さて読み進めて行くと、眼前に広がるのは薄闇に覆われた一面白一色の世界です。
その中でも気象条件は激しく変転し、探検家を翻弄します。また、寒さと共に容易に
は手に入らない食料の確保も切実な問題で、一つ間違えれば凍死、餓死に直結しま
す。

正に死と背中合わせの危険な旅ですが、もし単に行動の記述だけなら、悲しいかな
読者にとっては、延々と続く氷上の道行きという単調な印象を拭えないかも知れませ
ん。そこで本書の最大の魅力であり、著者がこの旅の本質を読者に正確に伝える助
けとなっているのは、彼の行動と思索を並行して記述した部分です。

彼は極夜の中の月の光によって自分が進むべき方向や、行動の決断を誤らせられた
ことから、この時の月光を自らがかつて騙された飲み屋の女に例えます。その比喩
は、彼我の根本的な落差から一見荒唐無稽に思われますが、人工的なものに塗り固
められた現代社会に生きる人間が、むき出しの自然に直面して戸惑う様子を、実にう
まく表現しているのではないかと感じられます。

同様に常に行動を共にしながら、酷寒と食料不足の状況で、飼い主である探検家の
人糞をうまそうに食う犬ーその想い余って主人の肛門をなめようとする描写には、思わ
ず噴き出してしまいましたがーあるいはいよいよ食料が尽きそうになって、彼が餓死
した犬の死肉を食べて自分が生き延びることを想定する部分では、人間と犬の原初的
な出合いの姿が彷彿とされて、同時に冬の北極圏の自然環境の厳しさが、浮かび上が
って来ました。

更には、著者が極夜の終わりに太陽が初めて顔を出す様子を見ることを、今回の旅の
最終目的とした理由を自問して、新生児が正に生まれ出る瞬間に見る光に答えを見出
した記述には、地球における太陽の無限の恩恵を活写していると感じました。

本書は、常人が一生経験することのない冒険を扱いながら、全ての何かに挑戦しようと
する人に勇気を与えてくれる書であると、私は思います。

2019年7月10日水曜日

6月25日付け「天声人語」を読んで

2019年6月25日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、筆者が東京の弥生美術館
で開催された「ニッポン制服百年史」展を見て学んだ、女子学生の制服の変遷に
ついて記していて、興味を覚えました。

それによると、明治の初めは女子の通学服は着物が一般的でしたが、官立学校
はその上に袴着用を勧めたが不評、その後欧化を急いだ時代には一転してドレス
を推奨したが、浸透しなかったということです。

1919年夏、紺色のワンピースに白いエリという画期的な制服が、私立の女学校長
によって考案され、以降洋装が広がったといいます。昭和になるとセーラー服が
主流に、戦時中はもんぺ姿を強いられるも、戦後はブレザーも人気に、そして、
男女平等、性的少数者への配慮などを考慮して、近年では性別を超えて制服の
選択を認める自治体も出て来たということです。

記述を追って行くと、制服は時代とともに日本女性の服装が変化して行く様子を
端的に示す、象徴的存在であるように感じられます。

明治時代から女子の公教育が徐々に浸透して行き、学びの場に相応しいカッコ
よさ、先進性、機能性が求められて行ったのだと、推察されます。また上から強制
された袴やドレス、もんぺなどが、着用する女学生から必ずしも好感されず、本人
たちが気に入った服装が長続きしたということも、制服が風俗の象徴的存在で
あることを、示しているのでしょう。

翻って、私のような和装業に携わる者の立場から見ると、着物が洋装に比べて
機能性という部分では明らかに引け目を持つことは自明で、現代のような合理性
重視の世の中では、着用までのハードルが高いことは、この制服の変遷を見て
いても十分理解できます。

しかし服装というものが単に機能性だけではなく、その国の文化をもまとうもので
あるという観点に立つと、一般人の日常から和装が全く消えてしまうことは、大きな
損失であると、私は思います。

2019年7月8日月曜日

京都文化博物館「横山華山展」を観て

横山華山は江戸時代後期の京都の絵師で、幼少期より曽我蕭白の影響を受け
絵を学び、岸駒に入門、呉春に私淑するなど多彩な画法を身に付け、特定の流派
には属さず多様な画題の絵を描いて人気があり、夏目漱石、岡倉天心に高く評価
されるなど、明治、大正期までよく知られた存在であったようです。

また海外の蒐集家にも評価され、欧米の美術館に名品が多数所蔵されているそう
で、今展でもボストン美術館、大英博物館の収蔵品が数点出品されていました。

しかしそれ以降、我が国では忘れ去られた存在になり、私もこの展覧会の開催に
よって初めてその名を知りましたが、今日に至っているということでした。

さて実際に作品を観ると、画法や画題の多様さとそれぞれの完成度の高さに、
改めて驚かされました。また全体として形にとらわれない自由さ伸びやかさがあり、
その結果と思われる近代性も感じ取れました。

その中でも私の目を惹いた作品は、まず『唐子図屏風』、この屏風は金箔を敷き
詰めた華やかで豪華な下地の上に、鮮やかな色の衣装をまとった唐子たちが無心
に遊ぶ様子が描かれ、何とも言えない上品でたおやかな気分を現出しています。
大丸の初代オーナーが一時所蔵していたことも、うなずけます。

次に明治天皇の御遺物として泉涌寺に下賜された『桃錦雉・蕣花猫図』、一対の
掛け軸の右側には、左下方に枝垂れるピンクの花をつけた桃の枝の上方に、
鮮やかな色彩の錦雉鳥を配し、左側には左下方の二匹の猫にかぶさるように
右上方に伸びる、鮮やかな青い花を咲かせた朝顔の葉と蔓を配して、色彩と構図
の対比の妙を見事に作り出しています。洗練された美を紡ぎ出した名品です。

最後に本展の一つの呼び物でもある、上下巻合わせて約30メートルの大作、『祇園
祭礼図巻』は圧巻でした。この絵巻は、華山存命の時代の祇園祭の様子を、綿密な
取材に基づいて細部に至るまで描写し、当時の祭りの一部始終を生き生きと蘇ら
せています。また縦に長い形状で、本来横に長い絵巻物に描き込むには不向きな
山鉾という題材を、華山は山鉾の上下を大胆にトリミングすることによって、見事に
均整の取れた作品として描き出しています。このあたりにも、彼の近代的な感覚が
感じ取れます。

私たちが「町つくり委員会」で復活を応援する、鷹山のけんそう品の再現のためにも、
この絵巻物の鷹山の描写は大変役に立ったということで、綿密に描かれた絵画は、
時代によっては記録としても有用であることが、改めて認識されたということです。

2019年7月5日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1497を読んで

2019年6月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1497では
作家・片岡義男の短編小説「この珈琲は小説になるか」から、次のことばが取り上げ
られています。

  きっとね。俺たちは呑気なんだよ。人を呑気
  にはさせない世のなかに逆らって生きている

確かに、やれ効率化、利益第一主義、グローバル化、スピードアップと、世の中は
ますます私たちを急き立てます。そのような掛け声に振り回されていると、つい愚痴
の一つもこぼしたくなって来るでしょう。

片岡は若くエネルギッシュなアメリカ文化の紹介者として、ダンディーであり、タフで
なければならず、また同時に作家として、喧騒に満ちた世間を冷めた目で眺める、
傍観者であらねばならなかったのでしょう。

上記のことばは彼のそんな生き方を、含羞や照れを含みながら、端的に表している
と感じられます。

翻って私も、彼とは立場が違いますし、比較して論じるのはおこがましいと承知の上
で敢えて述べると、ますます加速度を増すこの国の生活習慣の変化から、取り残され
つつある産業に従事して、四苦八苦しているところが、世間から見ると、随分呑気に
見えるかもしれません。

こちらは傍観者などではなく、自分では呑気と決して考えていませんが、和装という
扱う商品の性格上からも、先端技術や情報化社会などとある意味一線を画し、旧態
依然の方法で商売をしているので、それこそ忘れ去られつつある業界かも知れま
せん。

しかし、この国の伝統文化を決して廃れさせたくないという想いは、しっかりと持って
いるので、逆境にひるむことなく、ある部分呑気で図太くありたいと考えています。

2019年7月3日水曜日

龍池町つくり委員会 62

7月2日に、第82回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回はまず、間近に迫った「たついけ浴衣まつり」の詳細について、報告及び確認
が行われました。

開催日時は、令和元年7月15日 午後6時30分~午後8時30分、場所は晴天の場合
京都国際マンガミュージアムグラウンド、雨天の場合同AVホールとなります。

既に告知ポスター、チラシは、学区内各町に配布済で、現在掲示、回覧されていると
思われます。

昨年まで何かと問題のあった、会場での飲食物の販売は、今年より食堂の運営業者
が前田コーヒーに代わり、焼きそば等を提供、更に関連業者による鉄板焼き、から
揚げの販売が行われ、学区の体育振興会による恒例のかき氷の配布も予定して
います。

催しとしては、本年より「唐櫃巡行」で祇園祭復帰の第一歩をしるすことになった、
鷹山囃子方の演奏と子供のためのお囃子の体験が行われ、本年は予定が重なって
残念ながら篠笛倶楽部の演奏は実施されませんが、その代わりに鷹山復活の道程
を示す、プロジェクションマッピングが予定されています。

例年ご協力いただく京都外国語大学南ゼミには、南先生による司会進行、学生さん
たちは浴衣での手伝い、また今年は、「京都和文化交流会」という文字の入った
提灯を制作していただき、会場入り口に飾ることになりました。

我々町つくり委員会のメンバーは、午後4時に集合して、学区の消防分団の協力を
得て、テント建て等の準備を行います。

さて今年はどのような「浴衣まつり」になるのか、楽しみです。

2019年7月1日月曜日

細見美術館「世界を変える美しい本 インド・タラブックスの挑戦」を観て

インドの独立系の小さな出版社で、独創的な美しい本を制作することで世界的に
注目されているタラブックスにについては、私は今までまったく知りませんでしたが、
紹介記事で見たその活動に興味を感じ、本展に足を運ぶことにしました。

会場に入ってすぐ目に飛び込んで来る絵本の原画は、色彩も美しく、伸びやかで
創造性に満ち、思わず引き込まれてしまいました。

これらの原画は、伝承や民話をもとに、インドの少数民族の世俗画家とタラブックス
の担当者とが検討を重ねることによって生み出されるということで、それらの原画を
使って、手すき和紙にシルクスクリーンの技法で摺り上げられた上質な絵本が、
制作されているということです。

つまり、そうして出来上がった絵本は、絵本としての品質が優れているだけでは
なく、少数民族の中の伝統的な手仕事に携わる人々に新たな仕事を提供し、その
出版物によってインドの民衆のアイデンティティーをも育むと共に、広く世界に
この国の文化を発信することにもつながる、ということです。

タラブックスの創業者の一人、ギータ・ウォルフ代表は、ドイツで文学を研究し、
帰国後この出版社を立ち上げたということで、グローバル化の中で、いかにして
インドという地域の文化的魅力を世界に伝えていくか、ということに腐心している
ように感じられました。

そのほかにもタラブックスでは、児童教育や社会問題をテーマとする良質な本が
出版され、それぞれのテーマに相応しい、斬新な書籍の形状や装幀が試みられて
いるようです。

また、この出版社の斬新で先駆的な出版方針を堅持すべく、少数精鋭のスタッフ
が、互いに話し合い、また生活のアフターケアまでも考慮した、民主的な運営が
行われたいるようです。

二十一世紀に相応しい、芸術的企業経営であると、感じました。