2020年12月30日水曜日

「佐々木閑 現代のことば  今必要な努力とは」を読んで

2020年12月9日付け京都新聞夕刊、「佐々木閑 現代のことば」では、「今必要な努力とは」 と題して、今の日本の何事においても右下がりの状況に対して、その状態からどのように して脱却するかという、課題解決の仏教的立場からのヒントとして、釈迦が悟りを開くまで の道のりについて、分かりやすく触れています。 曰く、釈迦は「真の安楽を手に入れるためには努力が必要だということは分かっているが、 なにをどう努力すればよいのか分からない」と悩んで、最初は苦行によって忍耐を養うこと を目指しましたが、それでは問題解決に至らず、最後には、世の中を正しく見抜く「智慧」 を身に付けることが必要であると気づき、そのためには「自己の在り方を正しく観察する 洞察力を養うことだ」と考えて、瞑想により「今までの自分の心はどうであったか。今現在 の自分の心はどうなっているか。そしてこれから先、自分の心はどうあるべきか」と分析し、 今ある自分の直すべき欠陥を見つけ出し、それを集中的に直すことによって、ついには悟り を開いたと、いうのです。 確かに私たちは直ぐに解決出来ないような困難に直面した時、まず我慢して耐え忍ぶという 選択をしがちですが、往々にしてそれは根本的な解決にはならず、帰って対策が遅れること によって、その困難を増幅させるという失敗を犯してしまうものです。 今回のコロナ禍においても、政府の対策の遅れの原因の一つとして、このような心の働きが 作用しているように感じられます。 何も上からの通達に限らず、この災厄への私たちの対応においても、自身の感染リスクを 出来るだけ少なくする努力を続けながらも、その制約の中で個々の課題をいかにして改善 していくかということを、冷静に分析し、対策を見つけ出していくことが、今こそ必要で あると、改めて感じます。

2020年12月25日金曜日

山本義隆著「磁力と重力の発見①~③」を読んで

ヨーロッパ文明の古代からの歴史において、磁力、重力といった力の伝わり方が直接目には 見えない遠隔作用的な力が、どのように理解、解釈され、そしてついには、それが近代物理学 の誕生を告げるニュートンによる画期的法則の発見に至るまでを記する、千年の時を紡ぐ浩瀚 な物理学史の書です。 第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を重ねて受賞しています。 物理学の素人である私がこの本に興味を持ったのは、やはり磁力、重力という身近な現象で ありながら、素朴に不思議に感じる力に惹きつけられたからです。そして今回、10日間の入院 という時間を得て、ようやく全巻読破という目的を果たすことが出来たことを、喜びたいと 思います。 本書の内容については、正直専門知識に乏しい私に、どこまで深く理解出来たのかは分かりま せん。しかし、全体を大雑把に概観して感じたところを記すと、まず、古代ギリシャにおける プラトンとアリストテレスは、近代科学の基礎ともいえる当時としては斬新な論理的思考を 展開し、その影響はキリスト教的価値観の蔓延によって一時衰退しながらも、ルネサンスを 迎えるに当たり復活します。 しかし磁力、重力に関しては、これらギリシャの哲学者は明確な答えを持ち合わせていな かったために、これらの力の本格的な探求は、ここから始められることになります。以降、神 の力、魔術に原因を求められながら、最初に実験的手法で磁石と磁針の指北、指南性を証明 したのは、ペトロス・ペレグリヌスでした。 ある現象を証明、測定するために実験を行うということは、正に近代科学の魁をなすもので あり、時を前後して大航海時代の到来と共に、磁石を利用した羅針盤は、爆発的に普及して 行きます。 マゼランによる世界一周航海によって地球の丸さが証明され、コペルニクス地動説、ケプラー 惑星軌道の法則、ガリレイの重力の発見が続き、ニュートンの万有引力の発見、クローンの 磁力における同法則の適用に至ります。 その過程で私の印象に残ったのは、ニュートンは重力の原因の探求をやめ、あくまで法則を 導き出すことによって、その存在そのものを証明したことです。 駆け足で見て来ましたが、ヨーロッパ人がギリシャ哲学で生み出された論理的思考と、ルネ サンスを経て生まれた実験精神、合理的精神と進取の気質によって、近代物理学を打ち立てた ことが分かります。読み応えのある本でした。

2020年12月21日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1997を読んで

2020年11月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1997では 詩人伊藤比呂美の随想集『道行きや』から、次のことばが取り上げられています。    前を向き、頭を上げ、立ち上がって、歩き出    そうとする。ああ、それが尊厳てことか。 コロナ禍のような、理不尽さ、苦境に直面すると、人はついうつむき、自分の中に閉じ こもって、あれこれよからぬこと、後ろ向きのことを、考えてしまうものです。 でも、自分にとってどうすることも出来ないことで、いつまでも思い悩んでいても、 仕方がない。例え虚勢でも前を向こう。そうすれば即座に解決策は見出せなくても、 少なくとも気もちだけは明るくなり、元気も湧いて来るのではないでしょうか? 私はそのように考えようと心掛けていますし、そう出来た時には吹っ切れた気持ちに なれます。そして上記のことばを読んで、このような気持ちの転換は、自分の自尊心が 回復されたということではないかと、感じました。 人は自身の内に尊厳を見出せなければ、充足感を持って生きて行くことは出来ない。 そのことを改めて、感じさせられました。

2020年12月19日土曜日

マックス・ヴェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んで

言わずと知れた経済学の名著です。ずっと読んでみたいと思っていたのですが、腰を据えて じっくりと読める時でないと、と感じて来ました。たまたま短期入院でそういう時間が出来た ので、晴れて手に取りました。 私が本書に興味を持ったのは、キリスト教、なかんずくプロテスタンティズムが持つ自立的な 清貧、禁欲というイメージと、資本主義の弱肉強食、富の集中というイメージが、容易に結び 付かないことです。 しかし、カトリックの中からのプロテスタントの誕生、発展へと進む、本書が丹念に跡付ける キリスト教精神史を読み進めると、次第に近代資本主義の基盤が、プロテスタンティズムの 倫理観によって補強されて来たことが見えて来ます。 すなわちまず、ここで言う資本主義の精神は、我々が直ぐにイメージしがちな高度に情報化、 グローバル化され、成熟したと言われる現在の資本主義の価値観を直接指すのではなくて、 近代資本主義がその勃興期に必要とした、起業家の合理的かつ勤勉で禁欲的な価値観を示すと いうことです。 このことが理解出来ると、当初の資本主義は少なくとも、社会を豊かにするという崇高な目標 を持って企てられたものであることが、見えて来ます。それと同時に、欧米の事業に成功し 巨万の富を得た資産家が、社会貢献活動に熱心である理由も、見えて来ます。 他方、このような資本主義の精神を後押しすることになったプロテスタンティズムの倫理観 とは、カトリック教会の修道院内部の生活における「世俗外的禁欲」から転換した、プロテス タントの神によって与えられた職業(「天職」意識)から導き出された、「世俗内的禁欲」に 基づく、神の承認を得るための勤勉、経済活動への邁進だったのです。 さて、現代の資本主義国である日本に生きる私が、本書から感じたことは2つです。1つは、 資本主義が本来プロテスタントの倫理観に裏打ちされたものである以上、非キリスト教国の 私たちは、この倫理観に代わる倫理を持って、資本主義を遂行しているはずですが、その勤勉 さや職業意識に、宗教的ではなくとも人道の観念を失わないようにしなければならない、と 言うことです。 2つ目は、世界的に見ても、本来宗教的倫理を内包していたはずの資本主義が、人間の欲望に 駆り立てられて、最近とみに非人道の傾向を強めていることです。人間の欲望の業を改めて 感じるとともに、経済的弱者の救済の必要性を、再認識しました。

2020年12月14日月曜日

西川美和監督映画「ゆれる」レンタルDVDを観て

かねてから興味を持っていたこの映画を、ついに観ることができました。 二人の共通の幼馴染である、川端智恵子(真木よう子)のつり橋からの転落死を巡って、 弟早川猛(オダギリジョー)と兄早川稔(香川照之)の葛藤を描く物語です。 智恵子の死の真相に就ても、この映画では決定的な瞬間は描かれておらず、観客の見方、 捉え方に託しているところがあり、様々な解釈が可能ですが、私は、自分自身が家業を 継いだ長男であることもあって、ついつい稔に寄り添った見方をしてしまいました。 東京でカメラマンとして成功し、派手な生活をする猛と、田舎で家業のガソリンスタンド を継ぎ、父親と同居しながら地道な暮らしをする稔。智恵子を巡るさや当てが、彼女の 不慮の死という悲劇を生みますが、私にはその発端として、自分にとっては過去の女で ある智恵子と、稔と彼女が仲睦まじそうな様子に嫉妬して、強引に肉体関係を持った猛の 自分勝手な行為に、原因があると感じました。 稔は長男であるだけに、弟への嫉妬や劣等感を包み隠して、自らの役割を演じているとこ ろがありますが、智恵子に対しては純粋に愛情を抱いていたのではないでしょうか。その 想いが、つり橋の上で智恵子に拒絶された時の反応になったと思われます。 そのように考えて行くと、兄の智恵子殺しの疑惑を巡る裁判の証言台で、猛が稔が故意に 智恵子を橋から突き落とす様子を目撃したと証言したことは、自らの罪悪感から逃れる ための利己的な行為であったと、私は推測しました。 しかし一方稔にも、智恵子が転落する直接の原因を作ったという罪悪感があり、有罪が 確定しての服役は、彼の性格からして彼自身を救ったとも思われますし、他方彼の服役 を通して、猛に兄への愛情を呼び覚まさせたという点でも、意味のあるものであったと 感じました。 男兄弟の普遍的な葛藤、情愛を描く、印象深い映画でした。

2020年12月11日金曜日

白井聡著「武器としての「資本論」」を読んで

私は、もう随分昔ではありますが、大学の経済学部に入り、近代経済学を専攻したので、その 分野の基礎知識は持っているはずです。でも本書は、マルクス経済学の立場から資本主義とは 何かを論じ、私にとっては、大変新鮮でした。 私が大学生の頃、まだマルクス主義を信奉するソビエト連邦を中心とする東側国家群と、資本 主義を掲げるアメリカ合衆国を中心とする西側国家群が対立する、いわゆる東西冷戦は残って いて、しかしアメリカの影響下の日本では、かつては学生、労働者を中心にマルクス主義を 支持する多くの人々がいたにも関わらず、この頃にはそれも下火となって、またその後、ソ連 の社会主義体制が崩壊したこともあって、資本主義が世界経済の主流となりました。 私たちも、高度経済成長による物質文明を謳歌して、この国では資本主義体制が自明のことと 考えられるようになり、今日に至っています。 しかし昨今は、私たちの社会も経済の成熟化を迎え、かつてのような経済成長は望むべくも なく、加えて少子高齢化、グロバリゼーションの進展に伴って国内の貧富の格差は拡大し、 資本主義は曲がり角を迎えています。 さて、その中での本書です。私の従来の認識では資本主義は、自らが経済活動に勤しめば勤し むだけ豊かになる、合理的なシステムでした。それに対してマルクス主義は、原則よく働く人 もそうでない人も同等の所得を得ることが出来るという意味で、平等ではあるが人々の勤労 意欲を高めず、また指導体制が独裁化していって、機能不全を生じて瓦解しました。 加えて資本主義体制は、マルクス主義の弱者救済という良いところを組み込んで、自身の欠点 を補強したはずでした。 しかし今日の現実では、国内は益々中小零細企業が淘汰されて、大企業を中心に経済が動く ようになり、国際経済に目を向けると、アメリカの巨大IT企業の独占的影響力がどんどん 強まっています。 そしてその経済体制内で生きる私たちは、それとは知らず金銭至上主義や、人間関係の希薄化 による疎外感、息苦しさにあえいでいます。 本書の著者は、マルクスの「資本論」に照らして、その原因は資本主義というシステムに内在 する、全てのものを商品化し、余剰価値(利潤)を追求することを至上の目的とする性質に あると、喝破しています。この論法によると、現代社会の抱える諸問題の根幹が見通せるような 気がします。 そうかといって、直ぐに解決方法が見出せるほど話は単純ではありませんが、少なくとも、 資本主義社会を自明のことと考えず、疑ってみる視点は必要でしょう。

2020年12月9日水曜日

藤井道人監督作品映画「新聞記者」レンタルDVDを観て

昨年公開されて話題を呼んだ、東京新聞所属の望月衣塑子原作の映画「新聞記者」を、ようやく 観ることが出来ました。 出演者のセリフも小声の暗いトーンで始まり、それは最後まで終始一貫していましたが、観る ほどに作者が訴えたかったことが、ひしひしと身に染みて来る、印象深い映画でした。 また、この作品が扱うテーマ、政府が行う不正を官僚が隠蔽し、マスコミは権力の顔色を窺って この不都合な事実を告発することに慎重になるということが、我が国で現実に行われている可能 性が高い事実を目の当たりにする昨今、この映画が訴えかけて来るものにはリアリティーがあり、 それだけにこの映画を観る者は、身につまされるやり場のない憤りを禁じ得ないと、感じました。 この国の近年の政治の動向を振り返ると、官僚の専横を排し政治家主導の政策を行わなければ ならないということが一時やかましく宣伝され、事実安倍内閣の長期政権の中で、その方針は 徹底されたと感じられましたが、そうなるとなるで、官僚による政権への忖度が行われるという 弊害が露になった、と言えるでしょう。とかく人間というものは、組織の中で非合理な行動、不正 を行う誘惑に陥りやすいものだと、感じさせられます。 さてこの映画の魅力の大きな部分は、2人の主演俳優、政府の不正を敢然と告発する新聞記者役の シム・ウンギョンと、本来その隠ぺいを担わされる立場の、内閣情報調査室のエリート官僚役の 松坂桃李の切実な掛け合いの描写によると、思われます。 シムは、たどたどしさも残るセリフ回しで、同じく新聞記者で政府の不正を告発しながら、逆に 陰謀により誤報を発したということで失脚した、父親の意志を継ぐために記者になった、外国育ち の若い女性を全身で好演し、対する松阪は、政府を擁護する役回りでありながら、政府の不正の 隠蔽する立場に耐えられなくなった先輩官僚の自死を契機として、シム演じる新聞記者に不正の 証拠を提供するまでの苦悩を好演しています。 映画は、この新聞記者による政府の不正の告発が成功するか否か(失敗に終わることが暗示されて いると思われる)ところで終わりますが、その訴えかけて来るものは深く、久々に骨太の社会派の 作品であると、感じました。

2020年12月4日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1996を読んで

2020年11月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1996では 長編小説『逃亡者』から、作家中村文則の次のことばが取り上げられています。    人の人生には、それぞれのテーマがあるので    はないか そう、何となく生きているよりも、テーマを持って生きることが出来れば、人生 はずっと充実すると感じられます。 例えば私事ですが、私は大学卒業後ある程度の目的と希望を持って企業に就職し、 しかししばらくすると、その情熱も冷めて、実家が自営業を営んでいたことから、 その方が楽であるとか、金銭的にゆとりがあるという安易な理由で、親の後を 継ぐことにしました。 そして以降は、目の前の仕事や家庭を維持することに追われて、あまり自分が この職業に従事する意味を、考えて来ませんでした。 しかし、ある時期から和装離れが進み、私たちが扱う商品が一定量売れるのが 当たり前という時代が終わりを迎え、例え少しの商品でも販売するためには、 かつてないほどの労力が必要になって、また逆に、ものを考える時間は十分に 取れるので、ふと、自分はどういう目的でこの商売を続けているのだろうと考え た時、非力でも和装という文化を守る一助となれれば、というテーマが浮かんで 来ました。 このように目的が想定されると、例え状況は厳しくても、出来る限り続けて行こう という、新たな目標も生まれました。 以上のことから、生きるためのテーマを持つということは、生きる張り合いを生み 出すことでもあると、考える今日この頃です。

2020年12月1日火曜日

末木文美士著「日本思想史」を読んで

世界文明史の中での辺境の地で、他国の影響を多く受けていることから大変複雑であると思われる、 日本の思想史を概観するという試みに興味を持ち、本書を手に取りました。 まず、日本思想史を江戸期までの大伝統、明治維新から第二次世界大戦敗戦までの中伝統、そして 戦後の小伝統に分ける区分と定義に、分かりやすさ、潔さを感じました。 すなわち、大伝統においては、思想構造を両極の王権、神仏に関わるものと、その中間に位置し、 両極の影響を受ける学芸ー生活の分野に分け、その中の王権を中世においては、院ー帝ー摂関と、 将軍ー執権の均衡関係によって成り立ち、近世においては、院ー帝ー摂関の公家階層と、将軍ー 大名の武士階層の均衡関係によって成り立つと捉えます。 このように分類すると、小異例外はあっても、中盤までは中国文明の大きな影響を受け、終盤には 西洋文明の影響を受けた、また権力構造も時々で変化を遂げ、宗教上も在来の神道と、移入された 仏教の間の親和的であったり、反発的であったりする込み入った関係などが織りなす、この時期の 日本思想を、ある程度簡潔に描き出すことが出来ます。 次に中伝統においては、大伝統の両極構造から天皇中心の一元的なピラミッド構造への転換と捉え、 その上で、この構造の世俗的な「顕」の側の頂点の部分には、西洋の新しい思想文化の導入による 大日本帝国憲法の制定、下部には教育勅語に代表される忠孝の道徳倫理を置き、他方宗教的な「冥」 の側の頂点の部分には、天皇の祖先を祀った神道を据え、下部には一般国民が先祖を祀る仏教が 置かれています。このような構造からは、西洋近代的な思想と伝統的な家父長的な価値観のねじれた 併存が見られます。 小伝統においては、伝統的な価値観を棚上げにして、理想的民主主義を導入、しかし実質上は アメリカ依存の歪んだ独立国家状態が続きます。 各区分の詳細は省きますが、この区分方法こそが本書の肝であり、それに沿って俯瞰すると、日本 ではいかなる権力構造の時代にも、天皇の皇統がその一翼を担ったという特殊な事情が見え、また この国は、相対的に他の強力な文明から様々の影響を受けながら、それを自国に適合するように アレンジし、洗練化させる術に長けていることを知り、単に歴史的事象から見えて来る事実だけでは 理解出来ない、地下の思想的水脈の複雑さも、ある程度理解出来るように感じられます。 私のような一般人の目も開いてくれる、好著であると感じました。

2020年11月27日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1989を読んで

2020年11月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1989では 日本美術の研究者でもある、皇族・彬子女王の雑誌「和楽」での連載「イノリノカタチ」から、 次のことばが取り上げられています。    お盆のころに、小さな虫が近くに寄ってき    て、「あ、戻ってきたんだね」と、その虫に亡    くなった人を重ねる人もいらっしゃいます。 私も子供の頃には、お盆には虫取りなどの殺生をしてはいけないと大人に言われて、なるほど と納得しながら、自重したことを覚えています。 それはお盆に亡くなった人が帰って来るから、殺生をしてはいけなかったのか、あるいは、 お盆には全てのものの命を大切にしなければならないから、虫でさえ殺してはいけなかったの か、今ではその理由も定かではありませんが、ただそれが自明のことであるという共通認識が 一般に共有されていたように思います。 そういう共通した認識は、知らず知らずのうちに子供の心にも刷り込まれ、日ごろは表面には 現れなくとも、命や自然に対する漠然とした畏怖のようなものを、植え付けていたはずです。 現代では、そういう慣習も遠ざかって久しく、人の心にはもっと合理的で効率的な考え方が 行き渡っていると思われますが、目には見えないけれど、私たちを包み込んでいるものへの 配慮にも、また目を向けるべき時期に差し掛かっているように、私には感じられます。

2020年11月24日火曜日

バルガス=リョサ著「密林の語り部」を読んで

南米文学の魅力と特徴としてよく語られる、マジック・リアリズムの起源の一つには、この大陸に 今なおアマゾンという広大な未開のジャングルが、残されていることがあるのではないでしょうか? ペルーのノーベル文学賞受賞作家によって生み出されたこの物語は正に、私のそんな思いを強くして くれる作品です。 アマゾンは近年益々文明社会に浸食されて来ているとはいえ、現地の人々にとってその存在は絶大 で、その地域には原始時代以来の生活を営む民族がおり、心ある人は、その落差に向き合わざるを 得ません。 そのような環境にあって、語り手の友人、顔の右半分に大きな痣があり、赤毛で少数派のユダヤ人に 属する、民俗学を志す青年は、アマゾンの未開の人々の文化に魅了されて行きます。 最初はあくまで、文明人の立場からの純粋な学問的興味であったでしょうが、それは次第に、未開 民族に同化する願望へと変わって行きます。その特異な変容には、彼の容姿、置かれた立場が大きく 関わっていると思われますが、同時にアマゾンの未開の文明の豊かさ、それを切り崩して行く文明 社会の罪過が、強く影響していると思われます。 さて凡百の小説なら、文明社会側の視点から、このそれだけでも十分魅力的な物語が、語られるだけ に終わるのではないでしょうか?しかし、本書がより輝きを放つのは、アマゾン原住民社会に同化 したと思われる青年(その確たる証拠は、どこにも記されていません)が、その社会で人々がジャン グルの過酷な環境で生きて行くには欠かせない、語り部の役割を担っており、その語り部が実際に 部落を回って語っている神話や説話、体験談や仲間の消息、周囲の情報などが混然一体となった話 を、恐らく原型を損なわない魅了的な文体で、記載していることです。 物語の進行と入れ子式に、語り部の語りの章が挿入されることによって、原住民の文化とジャングル での生活の豊かさ、更には、原初的な人類の逞しさ、叡智が明らかになります。そして語り部という 役割が、文学というものの始原をなす存在であり、現代の社会においても、人間が生きて行く上で 欠くことの出来ない要素を含むものであることが、見えて来ます。 正に、重層的に織りなされた、人間存在の根本を問う小説です。

2020年11月20日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1984を読んで

2020年11月4日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1984では 哲学者・田中美知太郎の論文集『善と必然との間に』から、次のことばが取り上げられて います。    物指や計りで計ることは誰でもできるけれど    も、目分量や手加減でちょうどその量を当て    ることは、そう誰にでもできることではない。 これこそ、熟練の仕事!考えてみれば、合理化や効率化は、熟練しなくても誰でもが、 一定のレベルの仕事をこなせる方法を編み出すことのようにも、感じられます。 でも、私のような伝統的な仕事に従事する者にとっては、遠回りしても仕事の神髄を体に 覚え込ませて、その仕事に携わっていることが、体から自然ににじみ出てくるように しなければならないと、教え込まれて来ましたし、そう信じても来ました。 つまり、このような考え方自体が、もはや古臭いのかも知れませんし、時代に合っていない のかも知れません。 でも、体に覚え込ませるという直接的な行為は、現代では過去の遺物に近づいているかも 知れませんが、精神的な部分での、仕事へのかかわり方という意味では、今なお大切なこと のように、私には思われます。 テクノロジーはどれだけ進んでも、精神の核という部分では、人はその仕事が本質的に何で あるかを、体に浸み込ませなければならないのではないか?私には、そう思われるのです。

2020年11月17日火曜日

マルクス・ガブリエル著「新実存主義」を読んで

書名に惹かれて、手に取りました。しかし哲学に疎い私が、どれだけ内容を理解出来たか分かりません。 それで以下、本書を読んで私なりに感じたことを記してみたいと思います。 まず、著者が新実存主義の哲学を展開するに当たり、立脚した実存主義の考え方は、以下の2点です。 ①人間は、本質なき存在であるという主張②人間とは、自己理解に照らして自らの在り方を変えること で、自己を決定するものであるという思想。 つまり、私の理解したところによると、現代における自然科学の飛躍的な発展によって、宇宙の起源、 脳を含む人体の構造の解明が格段に進み、私たち人間の間では、将来的に自然界の全ての謎が明らかに なるという気分が、漂っているように感じられる。それに伴って科学の分野でも、人間の心は脳の 物理的機能と構造だけによって形成され、働きを規定されるという考え方が支配的になって来ている。 それが恐らく、哲学における自然科学と呼ばれるのだと思われます。 しかし現実には、宇宙にしても人間の脳にしても、我々がその謎の解明に至った部分は、その広大で 深遠な領域のほんの一部に過ぎず、人間の知力で全容を把握することは到底不可能であり、それと同様 人間の心も、単に脳の機能だけによって生起するものではなく、人類の歩んで来た社会的生活や出来事 の中で、相互の交流ややり取りによって獲得され、あるいは、自己の認識や内省を通しても形成される ものである。そしてその考え方に立つのが、新実存主義であるということです。 もしこの理解が正しければ、私が現実の生活の中で昨今感じるところでも、現在の風潮では、上記医学 も含む自然科学の目覚ましい発展や、情報化社会の進展によって、私たちのものの考え方においても、 身体的な感覚がますます薄れ、代わりに頭脳の働きのみに頼る、仮想的な思考が広がって来ているよう に感じられます。 翻って、今回の新型ウイルス感染症の蔓延と国際的な社会機能の停滞は、人間が生身の肉体を持つ存在 であることを、改めて気づかせました。 新実存主義の考え方は、新たな覚醒を強いるコロナ後の世界に、一石を投じるものであると、私には 感じられました。

2020年11月12日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1979を読んで

2020年10月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1979では 古代ギリシャ哲学研究者・神崎繁の随想集『人生のレシピ』から、次のことばが取り上げ られています。    真夜中、携帯で話しながら通り過ぎてゆく声    を見送りながら、彼もしくは彼女は孤独なの    か、孤独でないのか、判らなくなる。 正に、携帯電話の登場によって、私たちの日常生活は大きく変貌を遂げたと、感じます。 それまでは、人と人のコミュニケーションは、直接に面と向かって会話するには双方が 集うという必須条件があり、手紙もしくは葉書、電報にはタイムラグが存在し、電話での 会話にしても固定電話であったために場所が限定されるという風に、様々な制約があり ました。 しかし携帯電話のコミュニケーションでは、原則としてどこにいても瞬時につながり、 会話が可能という革命的な利便性が獲得されました。 つまり私たちは現在、いつでも携帯電話を通じて人とつながっているという状況にあると も、言えます。 でもそのような環境は、本当に私たちを孤独から解放した、あるいは逆に、孤独な状態に 自らを置くすべを著しく減少させた、と言えるのでしょうか? 実際に、携帯電話での通話やSNSを介したコミュニケーションは、他者との親密さや心を 通じ合わせる機能を果たす場合もありますが、得てして、安易で形式的、あるいは一方的 な意思の表明に終始する傾向があるように、私には感じられます。 そのような場合、携帯電話というツールがあることによって、本当に人は孤独から解放 されたと言えるのかどうか、大いに疑問に感じます。 このように考えると、先端技術の発達が人間の孤独を深めるということも、あながち 間違いではないように、思われて来ます。

2020年11月9日月曜日

福永武彦著「草の花」を読んで

私には惜しむらくも、青春時代にこの小説を読むことが出来たなら、もっと得るところも大きく、 読後深い感動に包まれたに違いないと、感じられます。 この作品が刊行されたのは昭和29年、私の生まれる2年前で、当時は若い人にとって、結核による 死や第二次大戦への応召は、身近な記憶であったでしょうし、私の青年期でさえ、忘れがたい 刻印であったからです。 主人公汐見茂思(しおみしげし)は、自らの結核による差し迫った死を意識しながら、学生時代 から徴兵までに至る、二つの実らなかった恋を手記の形で回想します。 第一の恋は、少年から青年期に向かう時期に特有の同性に対するプラトニックな恋で、この時代 から遥かに歳を重ねた現在の私でも、心情として理解出来るところがありますが、彼の第二の恋 が惜しむらくも第一の恋の延長線上にあることが、この報われない恋愛の前提としてあることに、 私は、やるせなさ、じれったさを感じます。 彼が芸術家的資質の思索的人間で、死が今よりもっと身近で、現実的であった時代に、自らの 存在意義や恋愛の至高の意味を形而上学的に究めようとしたことは、私にとっても想像出来ない ことではありません。 しかし、彼の恋は相手を省みず、余りにも一方的で、結果として相手の心が離れることになり ます。しかし献身的な愛を相手に捧げていると思っている彼は、自分の恋が身勝手であることに 気づきません。おまけに彼は、自分という存在に対する自信のなさから、相手を強気にリード することが出来ません。 その絶望的で深い孤独感。これは思春期から青年期の男子特有の心情であり、今とは比べようの ない過酷な時代の、一個の青年の自己に対して誠実であろうとした生き方を、読者自身の生き方 と重ね合わせて読むべきであるのかも知れません。 しかし、残念ながら現在の読者としての私は、歳を重ね過ぎていて、彼の生き方に共感を持つ ことは出来ませんでした。そこが、心残りではありました。 著者による登場人物の流れるような会話体、詩的な心情描写、美しく抒情的な情景描写は秀逸で、 古き良き時代の文士の残り香を感じました。

2020年11月6日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1976を読んで

2020年10月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1976では 作家森まゆみの『手に職』から、東京・神田のとび職の頭西出幸二の次のことばが取り上げ られています。    惚(ほ)れると惚(ぼ)けるはおんなし字だよ。 森が西出から、高所で命綱もつけずに飛び回る話を聞き、思わず「カッコイイ、惚れちゃう なあ」と声を上げると、間髪おかず返されたことばだそうです。 江戸の流れをくむ職人のいなせさを体現するようなことばですが、ちょっぴり含羞も含まれ ているように感じます。 でも、鷲田のコメントでも語られているように、惚れてもおぼれず、ちょっとすかして冷静 にことに当たることは、生きて行く上での極意の一つかも知れません。 私たちは、ことが上手く運ぶとつい調子に乗ったり、人の言うことを吟味しないで信じ込ん でしまったり、目の前の事実を当たり前のことと思い込んでしまったり、ついついしがち です。 でも、そこで待てよと冷静になり、慎重になれたなら、随分失敗や思い違いも少なくなるの ではないでしょうか? 私も今までの経験から、そうあるべきと自らを戒めているつもりですが、でも石橋を叩いて 渡るだけでは何か物足りないなあ、とも感じます。要は見極めと配分の問題なのでしょうが、 やはり世渡りは難しいものですね。

2020年11月3日火曜日

鶴見俊輔著「限界芸術論」を読んで

本書は、哲学者、思想家・鶴見俊輔による、1950年代から編まれた芸術を巡る論考の集積ですが、 遥かな時を隔てた今読んでも、一部に古色を帯びる感は拭えないにしても、これからの更なる展開 に道を開く意味でも、日本文化の本質を見据えた、創意に富む、優れた論述であると感じます。 まず鶴見は、芸術を分析するに当たり、これを純粋芸術、大衆芸術、限界芸術に分類します。 純粋芸術は、現在多少意味合いが変化してはいますが、クラシック音楽、絵画、和歌などの専門的 な芸術家によって作成され、専門的な享受者を対象とする高尚な芸術で、大衆芸術は、流行歌、 落語、大衆小説などの、職業的芸術家によって作成され、大衆を享受者とする芸術、そしてこれは 鶴見の独創的命名ですが、民謡、童謡、民話、手仕事など、非専門的芸術家によって作成され、 同じく非専門的享受者を対象とするのが限界芸術です。 本書では、そのうち大衆芸術と限界芸術について論じられていますが、限界芸術の分野こそ、これ まであまり顧みられることがなかったけれども、あらゆる芸術の萌芽をはらむものであり、最も 重視されるべきものであると、鶴見は説きます。 そして我が国において、限界芸術の探求に尽くした三人の先人を紹介することを通して、この芸術 がいかなるものであるかを考察したのが、本書の冒頭に置かれた「芸術の発展」であり、文字通り この本の核をなしていると思われます。 まず『限界芸術の研究』では、民俗学を介してこの芸術を研究した、柳田国男が取り上げられます。 彼は、民話の蒐集、民謡、盆栽、川柳などの研究を体系的に行い、各地の小祭こそが限界芸術を 集成したものであるという結論に至り、その復興の必要性を説きます。 次に『限界芸術の批評』では、民芸運動を提唱した柳宗悦が、各地に残る手仕事こそがこの芸術を 体現するものであり、この伝統の中に日本の美を発見し、世界に向けて発信することを企図します。 最後に『限界芸術の創作』では、宮沢賢治が農民の自発的な芸術活動として、この芸術の実践を 奨励し、志半ばで倒れるも、その思想に基づく珠玉の文学作品を残しました。 芸術一般の大衆化が言われて久しい今日、ますます各芸術分野の境界が曖昧になって来ていますが、 その本質としての限界芸術の意味付けは、更に重要になって来ていると思われます。その点に おいても、本書の価値は失われることはないと、感じました。

2020年10月31日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1969を読んで

2020年10月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1969では 石井あらたの『「山奥ニート」やってます。』から、過疎の山村に私費を投じて障害者支援施設を 設立した、元養護学校教諭・山本さんの次のことばが取り上げられています。    靴に足を合わせるんじゃなく、足に靴を合わ    せなきゃいけない。 この言葉は、今日の社会の息苦しさの原因の一つを、端的に言い表していると感じます。 私たちの暮らしが物質的に豊かになり、国の格付けとしてもいわゆる先進国の一つと見なされるように なるにつれて、私たちは、社会的規範に従うことも求められるようになってきましたが、それは意義の あることとしても、今度は逆にまず規範ありきで、私たち自身がそれに縛られていると感じられるよう になったと、私は思います。 その結果、こうでなければならない、このようにふるまわれなければならない、という規範が先行して、 私たちはそれに合わせるために、きゅうきゅうとしているように感じられます。これがこの社会の息苦 しさの要因の一つではないでしょうか? あるいは、社会が成熟して流動性が失われ、人生の過程の一つのところで失敗をすると、もう取り返し が着かないとというような危機感も、このような人の生活を形にはめる社会の在り方と、無縁でない ような気がします。 そのような社会の空気の中で、そこから一歩踏み出すことは、とても勇気のいることではありますが、 でもある意味、このような規範に従うことは、私たち自らが、自分自身をその枠にはめていることでも あると、思われます。 この境界を踏み越える気概を得るために、私も日夜、研鑽を積んで行きたい、と思います。

2020年10月27日火曜日

小暮有紀子著「タイガー理髪店心中」を読んで

表題作で第4回林芙美子文学賞を受賞、この作品で作家デビューした新人の初の著書です。しかし、 新人作品の新鮮さのみならず、その研ぎ澄まされた独特の感性と描写法に、思わずのめり込みそう なほど、引き込まれました。 本書所収の2編に共通するのは、変わらぬ日常を営む老齢の夫婦の間に、ふと兆す心の闇を読者に のぞき込ませることです。そしてその闇の中には、夫婦の根幹をなすものが隠されていることです。 「タイガー理髪店心中」は、二人で理髪店を営む高齢のおしどり夫婦の妻が、認知症を発症する ことを契機として、子供の頃に事故で失った一人息子への哀惜の念を蘇らせ、その過程でこの事故 の原因を作ったのが夫のある行為であることから、夫婦の長年心に秘め鬱屈させていたものが、 一挙に白日の下に晒される話です。 ここで重要なのは、妻がとった常軌を逸する行動は、あくまで日常の精神状態を離れたところに 発するものであり、読者は、ここにあたかも死んだ息子が母を呼ぶような不気味さと、一方、妻の 潜在意識の中に長年堆積して来た、夫へのやり場のない憤懣を同時に感じ、切なさに囚われること です。 他方夫は、息子の死が自分の子供の頃のいじめの行為に、端を発することを知りながら、妻には 隠して来た事実が、他ならぬその妻に暴き出されて、息を呑むと共に、自分の悪意に気づきます。 最後に描かれるのは、これを機に認知症の更に進んだ妻との変わりない日常ですが、この出来事を 切っ掛けに、夫婦の関係性は確実に変わるはずです。 もう1篇「残暑のゆくえ」は、地方の工業地帯の町で、アパートと食堂を営む再婚同士の老夫婦の 生活を妻の視点から描き、夫の日常の行動や妻の幼時の回想などから浮かび上がる、先の大戦の 敗戦時、満州からの引き揚げを巡る凄惨な体験が、この夫婦を深いところで結び付けていること を、妻に気づかせる話です。 この場合、夫の奇怪な行動を妻が許容すことが出来るのは、妻も同様の心の闇を夫と共有している からに他ならないと思われます。この物語の後二人の絆は、更に深まったに違いありません。 2編とも、高齢化社会に向けた老々介護の問題は言うに及ばず、夫婦関係というものが、長年連れ 添いながらも、なお不可解さを残すものであり、それはとりもなおさず、人間存在そのものが謎に 包まれたものであることを、改めて読者に示してくれる話であると、感じられました。

2020年10月23日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1955を読んで

2020年10月5日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1955では 詩人時里二郎の「池内紀さんの戦後二十年」から、独文学者池内が講演の折に語った、 次のことばが取り上げられています。    これほど豊かになって、これほどしあわせに    ならなかった国はめずらしい。 重い言葉であると、感じます。 敗戦後の焼け野原から、文字通り豊かさを求めて、日本人は懸命に働き、この国に今日の 経済的繁栄をもたらしたでしょう。 私も直接に戦争を知らず、衣食住が豊かになるのと轍を同じくして、成長しました。その 過程で、勿論色々な個人的な悩みはあったけれども、相対的には恵まれた時代であったと、 今になては実感します。 でもここに来て周りを見回してみると、経済的には世界における日本の相対的地位の低落 が言われ、少子高齢化による社会的活力の衰退が懸念され、貧富の格差の拡大が囁かれ、 また核家族化や地域社会での人間関係の希薄化による個々人の孤立化が、更には高度情報 化社会となって、ますますその傾向を強め、気が付けば随分息苦しい社会に、私たちは 暮らしているのだと、感じさせられます。 私たちは世界の国々の中で十分に豊かな国となり、そこではたと気付けば、その代償と して多くの伝統や精神的な遺産を失い、そこに輪をかけて、今度は獲得した豊かさを失う ことを恐れている。そのように感じられます。 一朝一日にこの現実を覆すことは出来ないけれども、少なくとも、経済的な豊かさと効率 を至上とする価値の見直しを、進めなければならないと、思われます。

2020年10月19日月曜日

全卓樹著「銀河の片隅で 科学夜話」を読んで

科学的知見に満ち、理路整然としながら、仄かな抒情を湛える、不思議な肌触りの本です。 ほとんどの話が、科学音痴の私にとっては、目から鱗が落ちる思いがしますが、特に印象に残った数編を 以下に記します。 まず、『ベクレル博士のはるかな記憶』、パリ自然史博物館の主席研究官アンリ・ベクレルは、レントゲン の発見したX線が、蛍光物質を塗った紙を光らせることをヒントにして、太陽光を当てると蛍光を発する、 ボヘミアグラスの緑の発色に使われていた、「ウラニウム塩」に注目します。 そして実験を重ねて、ウラニウム塩が自分自身で自然の放射線を放っていること、同じ科学者である父親 からかつて聞いた逸話をヒントに、その放射線は、平行に離れて置かれた感光紙をも、感光させる作用を 及ぼすことに気づきます。こうして彼は、ウラニウム放射能を発見したのです。 後に人類の歴史に、過大かつ取り返しのつかない影響をもたらすことになる放射線が、一人の科学者の 個人的着想、記憶から生み出されたこと、そして彼自身が、放射線強度を示す「ベクレル」という単位に 名を残しながら、放射線の犠牲となって、短い生涯を終えたことが、余韻として残りました。 次に『付和雷同の社会学』、数理物理学的社会学の学者ダンカン・ワッツ博士が、ネット上に音楽ダウン ロードのサイトを作り、約1万5千人を対象に、対象者に気づかれないように9つにグループ分けをして、 18組の新人アーチストグループの48曲を評価してもらう実験を行います。 グループ内の他者の評価ランクが見られない1グループと、見られる8グループを作り、それぞれのグループ の評価結果を見ると、他者の評価が見られないグループより、見られるグループの評価が偏り、しかも全 グループに共通の評価の高い曲、低い曲があるものの、各グループ固有の評価が高い曲があることが分かり ました。 これにより、人は往々に他者の評価が高い曲を好む傾向があり、またその過程で、偶然が作用するという ことが証明されたということです。人間の行動傾向が、数理的な実験で解明されたことに、驚かされました。 最後に、『分子生物学者、遺伝的真実に遭遇す』。ノーベル賞分子生物学者ポール・ナース博士は、 アメリカの永住許可証の申請の折に、自分の出生証明に不備があることを知り、初めて戸籍上の自分の姉が 実の母親であることに、気づきます。姉が未婚の母になることを防ぐために、両親がそのような計らいを したと分かるのです。 遺伝子の研究で多大な業績を上げた博士が、自らの出生の謎を知るために、実の父親探しの新聞広告を出し た、という話です。先端科学では解明出来ない、生身の人間の感情的な営為との対照が、面白かったです。 その他、アリの集団的行動の考察も、興味深く感じました。各話に付されている挿絵も、洗練され、魅力的 でした。

2020年10月15日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1952を読んで

2020年10月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1952では 英国在住のエッセイスト・入江敦彦の『英国ロックダウン100日日記』から、次のことばが取り上げ られています。    経済回せ、経済回せていうけどさ、ない袖は    振れませんがな。倹約しておかないと、それ    でなくとも先行き不安なのに。 少しコロナ禍が落ち着いて来たと思ったら、そういえばいつの間にか、我が国でもgo toキャンペーン を筆頭に、経済回せの声が、次第に大きくなって来ました。 確かに、旧来の日本人のものの考え方では、入江の語るように、まずは倹約して生活防衛でしょう。 それでなくても、さしあたり必要なものは、我々は買い求めているのですから。 しかしそう言われれば、経済回せの掛け声に、さほど違和感を感じない私たちもいます。それはどう してでしょうか? 我々が生活者の視点と経済活動の推進者の視点を、併せ持っているから?そう考えると、私たちは よく言えば以前より視野が広くなったとも言えますし、悪く言えば消費社会に毒された、と言えるの かもしれません。 でもいずれにしても、政府やマスコミの音頭取りに、振り回されていてはいけないでしょう。大切な ことは、コロナ禍の自粛でストレスが蔓延する社会環境の中で、何が本当に必要かを正しく判断して、 倹約しながら賢く消費することが肝要でしょう。 そして私たちのようなものを販売する立場の人間は、このような厳しい状況の中でも、お客様に選んで 頂ける商品を準備出来るように、日々研鑽を積むしかありません。

2020年10月12日月曜日

大木毅著「独ソ戦 絶滅戦争の惨禍」を読んで

第二次世界大戦というと、私たち日本人には日米間の戦い、あるいはアジアでの侵略戦争のイメージが 強く、もう一方の主戦場ヨーロッパについては、ナチスのユダヤ人に対する蛮行の衝撃はあっても、何 か対岸の火事の印象をぬぐえません。それで独ソ戦という、私にとっては新鮮な切り口の本書を手に 取りました。 読み進めると、軍事専門家である著者の、俯瞰的視点から刻々と移り行く目まぐるしい戦局の展開を 丹念に捉え、迫真の描写で戦闘を再現するさすがの筆さばきに思わず息を呑みましたが、次第にこの 史上まれな凄絶な戦争に、怒りと絶望感がこみ上げて来ました。この戦争のイメージは、サブタイトル にもあるように、正に絶滅戦争です。 ヒトラーにとっては、ナチズムを貫徹するための共産主義者撲滅を目指す「世界観戦争」であり、 ナチスを熱狂的に支持するドイツ国民と軍隊を養うための「収奪戦争」でした。他方スターリンに とっては、ナショナリズムと共産主義体制支持を合一させる「大祖国戦争」であったのです。 イデオロギーとイデオロギーのぶつかり合いの凄惨さは、筆舌に尽くしがたいものでした。軍人のみ ならず民間人の皆殺しも辞さず、略奪、破壊の限りを尽くし、戦場は焦土と化す。余りにも救いのない 戦争でした。 では、この絶望的な戦争の起因から結果までで、私たちが学びえることは何でしょう?まず、なぜ狂信 的なナチスがドイツ国民に支持され政権を獲得し、戦争を遂行するに至ったか、です。 第一次世界大戦の敗戦で多額の債務を負い、困窮したドイツ国民にとって、ゲルマン民族の優越を唱え、 ユダヤ人、他国民を犠牲にしても自民族の生活水準を優先するヒトラーの政策は、心地よかったで しょうし、それゆえ国民はこの戦争を支持し、末期に至っても、反戦の機運は生まれなかったので しょう。 他方、強権的な政治でソ連国民を支配していたスターリンは、ドイツに進行されることによって、国民 のナショナリズムとイデオロギーの融合に成功し、反攻後は、戦後の勢力圏の拡大を見越して、容赦ない ドイツ国内への侵略を行使しました。単一のイデオロギーによる国民統合の恐ろしさを、決して忘れては ならないでしょう。 著者は独ソ戦こそが、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の趨勢を決したものであり、この大戦自体を 象徴するものであるという旨のことを語っていますが、大量の兵器が投入され、近代兵器を駆使して、 民間人も含めて、夥しい命が容赦なく奪われたという意味において、正にそうであったでしょう。 我が祖国日本も、東アジアで侵略を繰り返し、この狂気のナチスと同盟を結んだという事実において、 決して他人事ではないと、肝に銘ずるべきです。

2020年10月9日金曜日

朝日新聞「日曜に想う 抗議のマスクと一編の詩」を読んで

2020年9月27日付け朝日新聞朝刊「日曜に想う」では、編集委員福島申二による「抗議のマスクと一編の詩」と 題したコラムが、掲載されています。 これは先日開催されたテニス全米オープンで、大阪なおみ選手が、米国内で警察官などの暴力によって命を 失った、黒人被害者の名前をそれぞれに記した、初戦から決勝戦までの7枚の黒いマスクを用意し、それらを 全て着用して見事に優勝を飾った快挙にちなみ、川崎洋、スーザン・ソンダグ、石川逸子、チャプリンの詩や 著書、映画の中の言葉を絡めて、反差別や人間の尊厳について考察する文章です。 この中で特に私の印象に残ったのは、大阪選手がそれぞれの犠牲者の名前を記したマスクを試合会場で着用し ながら、反差別を声高に主張するのではなく、彼女の姿を観た観衆が各々にその意味を考えてほしいという スタンスで臨んだことで、この抗議の姿勢こそ、観衆にこれらの暴力事件の意味を自らに引き付けて考えること を促し、事態の深刻さを我がこととして省みる契機を与えた、と思われるからです。 今回の黒人に対する一連の暴力事件の抗議活動が、一部で先鋭化、暴徒化して、暴力が暴力を生む事態になって いることを鑑みても、大阪選手の1人1人の犠牲者の名前を挙げた、反差別、反暴力のこの抗議活動は、良識ある 人々の共感を呼ぶものであると、感じました。 同時に日本国民でもある大阪選手が、私たち日本人に米国での黒人差別を、対岸の出来事と他人事に見るのでは なく、だれも目を逸らすことの出来ない普遍的な人権問題として、考える機会を与えてくれたのではないかとも、 感じました。

2020年10月6日火曜日

鷲田清一「折々のことば」1942を読んで

2020年9月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1942では 人類学者ティム・インゴルドの『人類学とは何か』より、次のことばが取り上げられています。    これほど知識が溢れているのに、それが知恵    に結びつかない時代は、実際これまでの歴史    にはなかった。 確かに現代は、パソコンやスマートフォンで検索したら、知らない単語の意味をたちどころに見つけること が出来ますし、色々なものの作り方、道具の使用方法なども、表面的には知ることが出来ます。 しかし、それは往々に一過性の知識になってしまって、右から左へと通り過ぎてしまい、後には残らないと いう現象が、しばしば見られるように感じます。 それはすなわち、これから生きて行く上に必要な、知恵には結びつかない、ということではないでしょうか? なぜこのようなことが起こるかというと、我々はあまりにも簡単に知識が得られるために、その知識そのもの を軽視してしまって、またすぐに手に入れることが出来ると、安易に考えてしまうのが一つ。 もう一つは上の説に密接に結びつきますが、その知識を知恵を絞ってようやく獲得した訳ではないので、 逆説的に当の知識が知恵に結びつかない、とも言えると思います。 更には、膨大な知識が世の中にあふれていて、我々はとてもそれらを処理出来ない、ということもあるのかも 知れません。 やはり知識は、苦労して手に入れた方が生きるための知恵ともなり、更には獲得した知識を繰り返し身内に 刻み込むことによって、血肉となるのではないでしょうか? この言葉を読んで、ついつい分からないことをパソコン等で安易に検索して、事足れりとしている自分の日常 を、反省させられました。

2020年10月3日土曜日

谷崎潤一郎著「痴人の愛」を読んで

谷崎の代表作の一つで、あまりにもよく知られた作品ですが、私は本書を読んで、現代社会に生きる人間と して、巷に伝え聞かされて来たほどのセンセーショナルさは感じませんでした。 勿論この作品が発表されてから、今日まで95年余りの時が経過し、その間に第二次世界大戦の敗戦や高度 経済成長、情報社会化の進展という大きな価値の転換もあって、社会における男女の役割、位置づけも かなり変わって来ているので、当たり前と言えば当たり前なのですが、むしろ悪魔的側面はあるとはいえ、 わがままで自らの欲望に忠実なナオミという女性に、現代的な女性像に内在する、一つの要素を感じたの だと思います。つまり、因習や社会的規範に囚われない、自我を確立しているという意味で。 こういう視点から見ると、彼女に翻弄される主人公河合譲治は、自身の被虐性愛的性向もあって、しかも 経済的に困窮している訳ではないので、ある意味満ち足りているようにも感じられます。従って、この物語 を愛欲の地獄に陥る哀れな男の、結末を描く話として読むのでないとすれば、そこから浮かび上がって来る のは、男女の愛情の変遷を追う物語ということになるでしょう。 15歳のナオミをカフェで見出した譲治が、彼女を自分の好みの女性にするために教育し、ものを買い与え、 当初は保護者と子供のような関係であったものが、彼女が成長して、美しい容貌と官能的な肉体を獲得する に至り、譲治の彼女への恋情は、愛情から崇拝へと変わって行きます。それに合わせてナオミの彼への愛情 は、保護者や尊敬する者に対するそれから、自分に跪拝する者へのそれと、変わって行くのです。 しかし、ここで忘れてはならないのは、このような愛情と力関係の逆転現象が起こっても、彼女もなお、 譲治を愛しているに違いない、ということです。 本書を読んでいて、私が最も惹きつけられたのは、彼に乱行がばれて家を一端追い出された後、ナオミが 悪びれるでもなく戻って来て、あの手この手で彼をじらし、誘惑する場面で、このシーンには、男女の倒錯 した愛情の駆け引きが、美しく官能的に描き出されていると、感じられました。 一見、特異な男女の愛憎の物語でありながら、それが人間の異性間の関係の普遍的な部分まで描き切って いるところに、本作品の不朽の名作たる所以があると、感じました。

2020年9月28日月曜日

大谷義夫著「肺炎を正しく恐れる」を読んで

テレビにも出演して、新型コロナウイルスについて解説する、呼吸器内科医の本です。 私が本書を手に取ったのは、巷にこのウイルスについての言説が氾濫する中でも、一般の人間がどのような 心構えで感染予防の対策を取るべきかということが、今一つ分からないと感じて来たからで、結果として この本を読んで、新型コロナの特徴とそれゆえの対処法の輪郭を、おぼろげながらもつかむことができたと、 感じました。 詳細はここでは省くとして、まず新型コロナウイルスの危険性は、感染者の一部にとって、ダイレクトに 肺炎を引き起こし、短期間で重篤な状態に陥るということで、このウイルスによる死亡者の多くが、この ような症状をたどって、死に至っているということです。 またこのウイルスは、他のコロナウイルス感染症(風邪)とは違って、症状が出る前から感染力が強いと いうことで、陽性者が自覚症状のないうちに、他者に感染させるリスクが高く、結果として感染が広がり やすい特徴を持つということです。 以上の危険性を踏まえて、一般の人間に出来る感染予防法は、マスク着用、手のこまめな消毒、三密(密閉、 密集、密接)を避ける、というシンプルなもので、それに勝る防御法はない、ということです。この事実を 知り、私も今現在行っている、同様の対策を続けることの覚悟が出来た、と感じました。 更に、著者が呼吸器内科医であることによるこの本の特徴として、新型コロナが引き起こす肺炎以外の細菌性 肺炎についても、詳しく説明されていることが挙げられます。曰く我が国の高齢者の死亡原因の多くが、誤嚥 性肺炎によるもので、高齢者はこの肺炎の予防を心がけることによって、健康寿命を今よりも延ばすことが 出来ると、強調されています。 その記述を読むと、今回の新型コロナ感染症による死亡者の数が、高齢者に圧倒的に多いことも含めて、この コロナ禍は我が国の以前からの懸案である、高齢者問題を鮮明にあぶり出すものでもあると、強く感じました。

2020年9月25日金曜日

郡司芽久の「キリン解体新書 同じものを伸ばせば・・・」を読んで

202年9月16日付け朝日新聞朝刊、解剖学者・郡司芽久の「キリン解体新書」では、「同じものを伸ばせば ・・・」と題して、キリンという動物が、見た目は他の哺乳動物と全然違う特異な容姿をしているにも 関わらず、実は基本的な構造はほとんで違わず、長い時間をかけて形態を進化させた結果、現在の容貌 が出来上がったということを、分かりやすく説明しています。 その説明の中でも、私が特に興味を惹かれ、納得させられたのは、あの長い首を持つキリンの首の土台を 形成する骨である「頸椎」の数が、実はヒトを含む他の多くの哺乳類と同じ7個で、つまり、骨の数は同じ ままで、既存の骨の一つひとつが長く伸びることによって、あの長い首が出来上がった、という部分です。 この事実からキリンは、進化の過程で劇的な突然変異によってあの長い首を獲得した訳ではなく、体作り の基本ルールを逸脱することなく、既存の構造をほんの少しづつ変化させ続けることによって、現在の姿 になったことが分かります。 即ちキリンにとって、生息地の地面から高いところに生えている樹木の葉を食べるために、少しでも首を 伸ばして餌にありつこうとする努力を繰り返しているうちに、長い年月の後に一つひとつの首の骨も伸び た、ということなのです。 これはとても分かりやすく、腑に落ちる例えで、最後に郡司は、とっぴなことや型破りなことだけが 「個性」ではない。誰もが持っているものであっても、誰にもまねできないほど伸ばすことで、輝かしい 個性が生まれることがある、とこの文章を結んでいます。 正に私のような、取り立てた特技も、人に勝る才能も持ち合わせていないものにとっても、この金言は 勇気と希望を与えてくれるものであると感じ、肝に銘じました。

2020年9月21日月曜日

黒川創著「鶴見俊輔伝」を読んで

戦後日本を代表する思想家の一人、鶴見俊輔の評伝、大佛次郎賞受賞作です。 鶴見というと私がまず思い浮かべるのは、思想の科学の刊行とべ平連の活動で、思索の人というよりも、 行動する思想家のイメージがありました。また、同志社大学の教授を勤め、後半生の居住地でもあった 京都との縁も深いものがあります。それゆえ、親近感のある存在に感じられて、迷わず本書を手に取り ました。 幼少期から最晩年までを跡付ける、本格的な評伝である本書を読むと、彼の思想が形成される上で、 第二次世界大戦前、戦中のアメリカ留学、日本への引き揚げ体験、一転海軍軍属としての戦争参加が、 大きな影響を持つことが分かります。 この一連の体験によって彼は、自由と民主主義に基づくアメリカの大学の教育システムの利点と、反面 資本主義的覇権国家の負の部分を学び、帰国後は、戦争と日本軍国主義の愚かさを思い知らされたの です。 それゆえ戦後の彼の思想活動は、日本に民主主義を根付かせるために、民衆に思考と行動を促す啓蒙的 な言論活動と、反戦平和主義運動が、中心となったのです。 また彼が、戦後社会に深く関わる活動を行いながら、あくまでリベラルな在野の立場を貫いたところ にも、彼の生い立ちと共に、この影響が感じられます。彼には、多感な時期に日米両交戦国の戦時下を 体験したまれな知識人として、あるべき戦後の日本の姿が、思い描かれていたに違いありません。 また戦後の日本が、政治的にも経済的にも、大きくアメリカに依存する体制になったことも、彼が国民 の目線からこの国の真の自立を志す契機となったはずです。 ベトナム戦争の最中、脱走米兵をかくまい、海外に逃亡させるべ平連の活動は、日米安保体制の下で、 アメリカ政府は言うに及ばず、その影響下にある日本政府に対しても、非暴力のレジスタンス活動で あったでしょう。 しかし、その活動を多くの日本国民が支持し、後年にはアメリカでも反戦運動が高まる中で、日米両国 の民衆が認識を共有する、意義ある活動になったのではないでしょうか。 このように、大衆が自ら考え行動し、より良い社会体制を生み出そうとする運動に先鞭をつけ、結果と して、まだそのような社会は誕生してはいませんが、少なくとも、その可能性を示してくれたところに、 思想家鶴見俊輔の最大の功績があったのではないでしょうか。

2020年9月19日土曜日

村田沙耶香著「コンビニ人間」を読んで

本作が第155回芥川賞を受賞し、社会現象とも捉えられる大きな反響を呼んだ頃から、是非読みたいと 思って来ました。この件の小説を、ようやく読むことが出来ました。 コンビニという、ある意味現代社会を象徴する場所で、長年アルバイト店員として働くことに、生き甲斐 を感じて来た女性の物語です。 社会通念からすると恵まれない人、一種の負け組と受け取られますが、彼女にそんな負い目は全くありま せん。それはそのはずで、彼女には物欲、食欲、色欲、承認欲といった一般人が持つ基本的な欲望が、 全くありません。 また、他者の気持ちを推し量ることも出来ず、そのために子供の頃には、学校で異端児扱いをされました が、大人になって外形的な協調性を身につけなければ、社会からはじき出されかねないことを学んで、 一応人まねをすることによって、かろうじて普通の人間を装っています。そんな彼女にとって、マニュ アル通りに行動していればよいコンビニ店員は、天職なのです。 ここでまず私は、彼女は大多数の人間とは違う特別な人間なのかと、自問します。しかし、どこまでが 正常で、どこまでが異常か?彼女は、普通の人間とは少し生き方やものの考え方が違いますが、コンビニ 店員としては有能な存在であり、何ら周囲に迷惑を掛けている訳でもなく、真面目に暮らしているのです。 誰からも非難される筋合いではありません。 こう見て来ると、現代社会が仕事においても、人間関係においても、極めて複雑で、そこから疎外される 一定数以上の人が存在するのではないか?と思われて来ます。 このような現象は、現代の深刻な社会問題である、貧富の格差の拡大の原因を示しているかも知れません。 しかし、ここではそれ以上は語りません。 また、特別な存在である彼女が、男と同居するという形で一歩普通の人に近づいた途端、周囲の人間が 彼女に好奇心を示し、干渉するようになります。その事実は、日本の現代社会で特に強いと思われる、 同調圧力を端的に表現しているように、思われます。 この部分も、この国で生活することの息苦しさの原因を、はっきりと浮かび上がらせているように、感じ られます。 予期せぬ経緯で、男と同居する羽目になった彼女が、最後に自分の生きる場はコンビニ店にしかないと、 気付く場面。この覚醒によって彼女は、自分の人生に希望を見出し、世間を覆う価値観からも、自由に なったと思われます。 このラストは、優れた小説にはしばしば見受けられる、読者にカタルシスを感じさせる見事な描写である と、感じられました。

2020年9月16日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1921を読んで

2020年8月31日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1921では、NHK・Eテレ「日曜美術館」 (1月5日)から、ブランド「ミナ ペルホネン」を率いるファッションデザイナー・皆川明の次の ことばが取り上げられています。    自分の持ち時間、人生の時間よりも長いこと    を考えたほうがやりやすいなと思って 自分の携わっている仕事が将来も継続されることを願う時、このことばでしめされる考え方は大切 である、と思います。 私も祖父、父から受け継いだこの家業を、和装という文化がこれからも残って行く一助となると いう意味も含めて、出来るだけ長く続けて行きたいと考えているので、皆川のこのことばに共感を 覚えます。しかし現実は、継承の目途が立たないので、自分の力の及ぶ限りは、続けて行けたらと 考えているに過ぎないのですが・・・ しかし実際、人間一人の人生は短く、使命感を持って何かを成し遂げようとする場合には、上記の ことばのような気概や構想が、本当に必要であると思います。それは結果として、この一代で潰える ことになったとしても、最後まであきらめず、力の限り将来への希望をつなぐという意味においても。 だから私はこれからも、決して肩ひじは張らず平常心を保ちながらも、この家業を続けられるように、 最後まであがいて行きたいと、考えています。

2020年9月11日金曜日

山口桂著「美意識の値段」を読んで

私のような一般の美術好きにとっても、オークションは自分が参加することは想像できなくても、気になる世界です。 ましてやつい先日話題になった、伊藤若冲作品で有名な、プライスコレクションの一部の出光美術館への譲渡の橋渡し をしたのが、著名なオークション会社であることを知ると、ますます興味が湧いて来ます。 本書の著者は、正に先ほどの取引を仲介した、世界の二大オークションハウスの一つ、クリスティーズの日本法人社長 で、長年日本美術担当の鑑定、査定の責任者である、スペシャリストを務めて来た人物です。どんな話が飛び出すか、 わくわくする気分でページを繰りました。 著者の経歴からして、やはり実際のオークション出品作品の事例紹介が面白いです。例えば、『伝運慶作 木造大日 如来坐像』。この仏像は、個人が所有しているために、重要文化財に指定はされていなかったのですが、それに匹敵 する秀作で、所有者は匿名でのオークション出品を希望して、最初著者に対しても氏名を明かさないメールでの連絡を 求め、初めて会う時も日時を指定して、その当時この仏像が展示されていた東京国立博物館の当の像の付近で、所有者 から著者に声をかけるという、スパイ映画さながらの展開であったといいます。 そして、ついにクリスティーズのオークションに出品されることが決定した後も、文化財未指定の運慶作の仏像が流出 の恐れ、と新聞に報道されたり、売却反対運動が起こったといいます。それから、オークション出品のために像はニュ ーヨークに渡り、結果として日本の宗教団体に、日本美術品の史上最高価格で落札されて、この国に帰って来たそう です。本当に劇的な顛末に、驚かされました。 また、実際の事例以外の部分で印象に残ったのはまず、日本美術作品を日本人以上に愛し、大切に扱う、外国人コレ クターがいることです。上記のプライス氏にしても、作品のためを思って日本の美術館への一括譲渡を決意したこと からも分かるように、このコレクターの手に渡れば、日本で保存条件の良くないところに放置されるよりも、遥かに 作品は良い状態に保たれるということです。この点は、認識を新たにしなければいけません。 更に、美術作品の善し悪しを見極める能力は、人間のそれを見極める能力にも通じるという、著者の言葉にも感銘を 受けました。ものの本質という部分において、通じ合うところがあるのかも知れません。 美術の価値が、価格のみによって評価されるとは思いませんが、価格の部分だけにおいても、ここまで厳密に公正を 記して行われる取引は、その時点において大きな説得力を持つことに、改めて気づかされました。

2020年9月7日月曜日

「伊藤亜紗の利他事始め 友人の咳いたわれるか」を読んで

2020年8月27日付け朝日新聞朝刊、「伊藤亜紗の利他事始め」では、「友人の咳いたわれるか」と題して、従来は 例え風邪をうつされても平気な関係が友人間にはあったのに、この新型コロナウイルスの流行によって、友人から でも、さすがにこのウイルス感染を避けたいような気風が生まれているのではないかと、問題提起しています。 確かに新型コロナウイルスは、未知の感染症として私たちを脅かして来ましたし、我々はこの感染症に非常に 敏感になっており、例え友人といえどもうつされたくないのが本音でしょう。 あるいは友人であればこそ、自分に発症の兆候があれば、その人には近づかないようにしようとするのが、自然な 感情だと思います。 つまり、コロナウイルスという交友関係を維持する上での新しい障壁が生まれて、私たちはそのことを念頭に置い て、互いに配慮しながら関係を持つようにしなければならない、ということなのでしょう。 またそれに関連して筆者は、社会学者エリアスが「不快感」が文明化にとって、重要な役割を果たしたと指摘して いることを、挙げています。 つまり、「個人」という概念が生まれて、自他の区別のないような行為を不快に感じ、他人との関係に距離を置く ようになったことが、近代化につながった、ということのようです。 このことの延長線上に考えると、コロナ禍は私たちの人間関係をますます希薄にすることになる、のかも知れま せん。 しかし私は、今日のコロナ感染症予防のための、現実のソーシャルディスタンスを求められる生活様式が、我々に 人と人とのぬくもりのある交流を、かえって渇望させていることを鑑みても、私たちはこの感染症のある程度の 終息後、これまで以上に相手に配慮した人間関係を、築くようになるのではないかと、感じています。 果たしてこれは、楽観的な観測でしょうか?

2020年9月3日木曜日

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「砂の本」を読んで

ガルシア・マルケスの小説を通して、マジックリアリズムと呼ばれる、ラテンアメリカ文学に目覚めた時から 興味を持っていた、アルゼンチンの文学者ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編集をついに読みました。 やはり幻想的で、独特の肌触りの短編が並んでいて、ここでは特に印象に残った、数編を取り上げます。 まず、この本の題名にもとられている「砂の本」のパートから、冒頭の作品『他者』。この小説は、1969年 2月、70代の老齢に差し掛かったボルヘスが、アメリカ、ボストンのとある川岸で、当時スイス、ジェネーブ にいたはずの20歳に満たない彼自身に、めぐり逢い対話する物語です。 ここで歳を隔てた二人は、互いの思想信条や文学観を巡り、意見を述べ合います。同じ一人の人間が持って 生まれた資質は保ちながら、年の経過と共に如何に考え方を変えるのか、そして若い彼が老齢の彼を受け入れ ることが出来ず、老齢の彼が若い彼を受容するところに、単に1人の人間の年齢による変容だけではなく、 時間そのものの性質の一端を見る思いがしました。 次に同じく「砂の本」の中から『疲れた男のユートピア』。この物語は、著者自身と思われる主人公が、数千 年後の世界に迷い込んで、未来人と対話する物語です。 その未来世界では、人々は共通語としてのラテン語を話し、政府も都市も博物館、美術館もなく、個人が独立 した自給自足の生活を送りながら芸術、思索にいそしみ、限られた本を繰り返し読み、百歳になると自らの 生死を自分で決定して行動するということで、この物語は、人間に欲望が全く消失した世界を描いていると 思われますが、我々人間の社会活動の本質を暴いているようでもあります。 最後に、世界各地の悪人の行状を短くまとめた「汚辱の世界史」から、『真とは思えぬ山師トム・カストロ』。 イギリスの貧民街で生まれたさえない主人公が、南米での生活を経て、頭のきれる相棒の手引きで、亡くなった イギリス貴族の跡取り息子に成り済まし、彼を可愛がった貴族の母親の死後、相棒も事故で突然失って、悪事 が露見する話。 この物語では、主人公たちは人を騙してはいますが、欺かれた母親はその事実を知らず、あるいは知っていな がら受容していて、当事者に被害をもたらしていないという点において、罪のない事件と思われます。著者の 皮肉交じりの、それでいて人間への根本的な愛情が感じ取れる語り口が、人間の心情の複雑さを、あぶり出し ます。

2020年8月31日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1898を読んで

2020年8月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1898では
民芸の思想家・柳宗悦の『心偈』から、次のことばが取り上げられています。

   今  見ヨ  イツ  見ルモ

日常に使われるものに美を見出す、民芸運動を主導した思想家は、例え既視の
ものでも、常に初めて見るように見ることの大切さを、このように語ったそうです。

確かに初めて見るように見る、という心の持ち方は、美しいものを見出すためには、
必要な見方であると、私も思います。

初めて見た時の驚き、喜びは、何ものにも代えがたく、あるいは、今までは気づか
なかった、そのもののひそめた美しさを再発見する場合などでも、先入観にとらわ
れず見ることが必要である、と思われるからです。

うぶな目で見る、ピュアな心で見る、ということは、美しいものに対する時の、必須
の心がけでしょう。

しかし私たちは、雑念や予備知識、好き嫌いの感情などに判断を曇らされて、得て
して、対象を正しく受け止めることが出来ない場合があります。

ではどうすればいいのか?日々を常に新鮮なものとして受け入れる努力をする
こと。そして美しいものを出来るだけ多く見るようにすること。このように心がける
ことが、必要ではないかと、私は考えています。

2020年8月28日金曜日

赤坂憲雄著「ナウシカ考 風の谷の黙示録」を読んで

私が『風の谷のナウシカ』に初めて触れたのは、若い頃に観た映画でした。従来の
アニメ映画には見出されない、主人公ナウシカの健気な可憐さ、物語の壮大な
スケール、王蟲、巨神兵、腐海といった環境破壊、核戦争を想起させる、豊饒な
イメージに一気に魅せられたのを、つい先日のことのように思い出します。

余勢をかって本屋で見つけたマンガ版『風の谷のナウシカ』全巻を読み通しました
が、そこで初めて、映画がこの長大な物語の一部から構想されたものに過ぎな
かったこと、マンガ版は映画に比べて、遥かに深い哲学的思索を内に含んでいる
ことを、知りました。

しかし当時の私には、この物語の真の意味を理解しようとしても到底歯が立たず、
そのまま打っちゃって今日に至っています。

そこで本書「ナウシカ考」です。著者赤坂憲雄には、「性食考」を読んで、その深い
民俗学的知見に裏打ちされた、鋭い日本文化論に感銘を受けたこともあって、彼が
ナウシカの重厚で難解な物語をどのように読み解くかは、大いに興味のあるところ
でした。

本書の冒頭では、著者自身もこの物語が容易に読解出来るものではないことを、
素直に吐露しています。そしてその大きな要因として、作者宮崎駿が最初からこの
物語の全体を構想して書き上げたのではなく、作者自身も、作品の主要な登場人物
がそれぞれ勝手に考え、行動するのに合わせて、ストーリーを組み立てて行った
からである、と分析しています。

その分析は正に的を射たもので、例えば週刊誌のマンガ連載などでは、マンガ家
は往々に物語の結末から逆算して、予定調和的に筋を決めるのではなく、話の流れ
に沿って次々にストーリーを生み出すという手法を取っていると思われますが、宮崎
の場合、普通のマンガ家とは並外れた哲学的思想やイメージの構想力を所有して
いるために、流れに沿ってストーリーを生み出しながらも、完結した作品は、
大黙示録の相貌を呈するのでしょう。

さて紙幅も少なくなったので、ここここで結論を述べると、赤坂は物語の最後に、
ナウシカは終末的世界において、神のような超越的存在による人間の救済を求め
るのではなく、罪深く汚れた存在としての彼女を含む人間自身が、自らの未来を
切り開く道を選択したと述べています。

過去に比べて、人々の宗教意識が格段に希薄になった現代社会で、私たちが如何
に生きるかの新しい指針を求める場合、この物語の示唆するものは、重要な啓示を
含んでいるのではないか?本書を読んで改めて、『風の谷のナウシカ』の深甚さと、
宮崎駿の天才性を知った気がしました。

2020年8月24日月曜日

「新訳「老人と海」脱・マッチョ」の新聞記事を読んで

2020年7月28位置付け朝日新聞朝刊で、上記見出しの記事を読んで、興味を覚え
ました。

この記事によると、米国の作家アーネスト・ヘミングウェイの代表作「老人と海」の
新訳が、新潮文庫から刊行されたということで、従来の訳は福田恆存翻訳で1966
年に初めて刊行され、122刷で累計499万部が売り上げられ、同文庫全体でも、
夏目漱石「こころ」、太宰治「人間失格」につぐ発行部数を誇るそうです。私も、この
翻訳作品のお世話になりました。

今回なぜ新訳が刊行されることになったかというと、担当編集者は、半世紀前の
翻訳は今よりも格段に情報量が少ない中で行われたこと、どんな名訳であっても、
時代が進むと、必然的に内容が古く感じられてしまうから、と語っているそうです。

新訳を手掛けるのは、70編以上のヘミングウェイ作品を訳して来た高見浩で、動画
などの資料を利用し、舞台になったキューバの村や漁港の雰囲気をつかみ、漁に
まつわる表現の正確を期するために、ベテランの釣り師から助言を受けたそうです。

そして私が興味を覚えたのは、主人公の内面描写を丹念にすくい上げた、という
部分。確かにヘミングウェイには従来冒険的で、ハードボイルドな作家というイメージ
がーおそらく福田の翻訳も、そのイメージを補強することに随分寄与していると感じ
られますがーあって、その先入観のもとに私たちも彼の作品を読んで来たと思われ
ます。

それに比べて福田訳は、情緒的ではない抑え気味の表現で主人公の老人を描いて
いる、ということです。

確かに現代の時代も、マッチョな野生性ではなく、男性に対しても強さ以上の繊細な
優しさを求めているところがあり、事実ヘミングウェイ自身もそういう資質を持ち合わ
せていたようなので、この翻訳が新たな彼の作品の魅力を引き出してくれるのかも
知れないと、感じました。

同時に翻訳文学というものが、翻訳者という存在が読者と作家の間に介在すると
いう宿命のために、時代や時々の価値観などの要因によって、変遷するものである
ことを、改めて感じました。新訳も是非、読んでみたくなりました。

2020年8月10日月曜日

京都国立近代美術館「京のくらしー二十四節気を愉しむ」を観て

日本画、洋画、工芸の館蔵品を、二十四節気に区分して展示した展覧会です。

この美術館の、各分野の収蔵品の充実を改めて実感すると共に、日ごろ見慣れた
作品たちが、季節ごとにまとめられて並べられることによって、何か味わいを増す
とでもいうか、新たな趣を示すように、感じられました。

考えてみれば、日本の芸術品は、元来季節ごとに眺め、あるいは用いられるもので
あったので、その本来の鑑賞方法を思い出させてくれたのかも、知れません。

また、京都という土地が、各季節ごとの行事、見どころの豊富な場所なので、それ
ぞれに即して美術工芸品が生まれ、用いられたということでも、あるでしょう。

本展では、春夏秋冬の別に映像ディスプレイが設置され、この地の各季節の祭り
などの行事、風光明媚な名所を紹介する映像が流され、季節感を演出することに
よって、作品展示に華を添えています。その意味では、京都観光を凝縮したような、
展覧会でもあります。

さて、展覧会の内容も、大変に中身の濃いものですが、今回私は、料理や食材を
扱った日本画に注目しました。それというのも、従来美術館で鑑賞する日本画では、
あまりこのような画題の絵画は目立たないように感じるのですが、今日は何点か
印象に残る作品があったからです。

その筆頭は川端龍子「佳人好在」、これは南禅寺の有名京料理店・瓢亭の名物
朝粥が座敷で供される様子が描かれていて、京料理が味と共に、季節感、場の
雰囲気をも楽しむものであることが、情感を持って描き出されています。

その他にも、食材の新鮮さ、美しさを表す絵画や、簡素な料理の企まざる表現が
あって、日本画のプライベートな側面を、見る思いがしました。

2020年8月7日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1885を読んで

2020年7月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1885では
評論家・吉田秀和がモーツァルトのクラリネット協奏曲について語った、次のことばが
取り上げられています。

   きれいな音であればあるほど、それが何か悲
   しくひびくのはどうしたわけだろう

これは私も、かつてモーツァルトの作品を聴いて、よく感じたことです。

モーツァルトの曲は、とても透明で明るく、楽し気であるのに、なぜか悲しい。どうして
そうなのかと考えてみても、簡単に答えが見つかるわけではないけれど、あまりにも
美しく、均整がとれているからではないかと、思ったことはあります。

あまりにも非の打ちどころがなく、美しく洗練されたものは、人を感動させるけれど、
逆に矛盾や欠点だらけの自身を振り返った時、情けなく、悲しくなるのではないか?

更には、モーツァルトの楽曲の場合、それがどんなに素晴らしい演奏であっても、時
の経過と共に移ろい、やがて消え去る音楽というものの宿命を背負っているために、
はかなさの感情を強調されるのかも知れません。

いずれにしても、モーツァルトの曲を好む人は、私も含め、その音楽に浸り、安らぎを
得たいと同時に、この哀しみも味わいたいのではないでしょうか?なぜならそこに、
人間が生きるということの深淵をも、のぞき込む思いがするから。

かつて『アマデウス』という映画で、軽薄なキャラクターで描かれていたモーツァルト
に、私が当初驚きながら、観ているうちに次第に納得して行ったのは、彼の楽曲に
内在するこの悲しさ故ではなかったか、と今は思います。

その音楽の完璧さに反比例する、彼の人間臭さに救われるような。

2020年8月3日月曜日

吉田秀和著「之を楽しむ者に如かず」を読んで

吉田が「レコード芸術」に連載したクラッシック音楽評、レコード評をまとめた本です。

私が彼の文章を好きになったのは、新聞のコラムや美術評論を読んでのことで、その
博識、思考の柔軟さ、語り口の柔らかさに魅せられたからです。

それゆえ、ジャンルの違う本書も手に取ってみましたが、正直私は、クラッシック音楽
のレコードをたまに聴くぐらいで、音楽の基礎的な知識もありません。従って、この本
について論じるには完全に役不足ですが、以下素人なりに本書からくみ取れたことに
ついて、書いてみたいと思います。

この本の表題は、連載期間に合わせて全体を二つに分けた、第一章の題名から採ら
れていますが、その章の第一節「変わるものと変わらないもの」に、表題の由来の
説明があります。

つまりこの題名は、『論語』の「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を
楽しむ者に如かず。」から採られていて、「之」を「音楽」とすると、音楽を知るだけより
は好む方が良く、更には、好むよりも楽しむ方が味わいが深まる、ということになり
ます。この表題に従って吉田は、単に音楽が好きというにとどまらず、楽しむための
方法を本書で語って行きます。

その解説は、楽譜を添えて説明するなど専門分野に及ぶので、私の理解を超えます
が、感覚的に分かる範囲のことを以下に記すと、例えば「モーツァルトとは誰か?」の
節に、彼が語ろうとすることのニュアンスが比較的平易に示されています。

すなわち、モーツァルトの音楽を聴くにしても、同じレコードを聴き続けているだけでは
飽きてしまう。ソナタから協奏曲、交響曲からオペラと色々な楽曲を聴かなければ、
この作曲家の輪郭をつかむことが出来ない。

しかしこれだけではまだ不十分で、演奏家、指揮者を違えて聴けば、それぞれの解釈
によるモーツァルトを知ることが出来、また時代時代の演奏スタイルや傾向、楽器の
種類、選択などを加味して聴けば、彼の作曲当時の楽譜や実際の演奏がどのような
ものであったかを推測し、現在のそれとを比較分析して、作曲家モーツァルトの相貌を
より深い次元で明らかにすることが出来る。

それに付随して吉田は、作品が古い時代に作曲された楽曲であっても、当時の演奏を
再現することが理想である訳ではなく、その時代、その時代に相応しい演奏があり、
才能ある演奏家は、時代に即して常に新しい演奏スタイルを生み出して行かなければ
ならないと、語っています。

音楽への愛が、あふれる本です。

2020年7月31日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1883を読んで

2020年7月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1883では
独立研究者・森田真生との対談「未来をつくる言葉を語ろう」から、情報学者・ドミニク
・チェンの次のことばが取り上げられています。

   遺言って、実際に書いてみると悲観的な内容
   にならないんですね。

これは私にとって、今まで考えもしなかった視点からのことばなので、我ながらはっと
しました。

確かに人は、自身の亡き後に残された肉親、後継者の未来の姿を想像する時、その
人々が幸福に過ごしていることを願うに違いありません。逆にもし、自分の後を継ぐ
人の不幸を願っているならば、それほどさみしく、悲しいことはないでしょう。

更には、自分がいない未来の視点から、今現在を生きる自らを振り返ってみる時、
今日の自分の考え方や行動が、果たして未来の人々にとって有益であるか、彼らに
将来負担を強いるものではないか、という問いかけも、自ずと生まれて来るはずです。

例えば今日の環境問題が、今の我々には緊急の課題となかなか実感出来なくても、
未来の人々にとっては、生活環境をも脅かされかねない、深刻な問題である、という
ように。

上記のことばを読んで、すでに還暦を過ぎた私も、そろそろ次代の人々を念頭に、
これからの自身の生き方を考えて行かなければならないと、感じました。

2020年7月27日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1877を読んで

2020年7月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1877では
多業種の人々が日々を綴った『仕事本 私たちの緊急事態宣言』から、惣菜店店主
の次のことばが取り上げられています。

   「地味なことは打たれ強い』

近所の居酒屋の大半が休業する中、‟お酒の飲める惣菜屋”を営む夫婦は、テイク
アウトでしのぎ、別の店のそれを買って助けもするそうです。

私たちの店も、和装品という今や不要不急の趣味品を扱うだけに、ご多分に漏れず
ご来店のお客様、電話等での注文の激減に苦しんでいます。このような事態に
なって、私たちが扱う商品が本当にコロナ禍後も必要とされるものなのか、自問自答
する日々でもあります。

しかし他方、このような状況においても、どうしても必要であるということで、従来の
お客様から注文を頂いたり、探している商品について色々なところをあったうえで、
ようやく私たちの店で見つけたという新規のお客様の反応があった時など、この商売
を続けていることに、勇気を与えられることもあります。

そのような事例を受けて、私たちの店の特色は、和装品の中でも各種各巾の白生地
の切り売りを含む販売と、他には例の少ない特殊な形態の商品を扱っていることなの
で、必要の絶対量は少なくとも、確実に求める人は存在すると、意を強くすることも
あります。

このコロナ禍は、いつ終息するかも分かりませんが、とにかく、必要とされるものを
こつこつと販売し続けたいと、思います。

2020年7月25日土曜日

佐川美術館「歌川広重展」「山下清の東海道五十三次」を観て

新型コロナウイルス感染症による、緊急事態宣言明け後初の他府県移動で、滋賀県
の佐川美術館に行って来ました。ほぼ6か月以上ぶりに眼下に、この県の象徴である
豊かな青い水をたたえた琵琶湖を望み、改めて長かった自粛の日々をかみしめました。

まず、「歌川広重展」ですが、これほどまとまった広重の作品を観るのは初めてで、特
に、彼の浮世絵版画の代名詞である、「東海道五拾三次」と「五十三次名所図会」の
全作品が並列して展示してあって、その全容を十分にうかがい知ることが出来ました。

この展示によって感じたことは、「五拾十三次」の方が「名所図会」に比べて、より各々
の描く場所に接近して、そこで生活する人々、旅をする人々を含む情景を、庶民目線
で事細かに、秀逸に描きあげていることで、その結果鑑賞者も一緒に旅をしているよう
な旅情を味わうことが出来ることです。それに比べて、「名所図会」はもっと俯瞰的な
視点で描かれていて、各々の地形的特色は表されていると感じますが、広重らしさと
いう意味でも、「五拾三次」の方が数段優れていると、感じました。

更には、五十三次の全ての場所が55枚の版画によって描きあげられているということ
で、歴史資料的にも当時の人々の生活、習慣、風俗を詳細に知ることが出来、また
両方の作品を比較しながら観ることで、その頃の東海道の宿場町の地理的な分布も、
実感を持って把握することが出来ました。

あるいは、五十三次にとどまらず、「名所江戸百景」では広重の平面を立体的に表現
する構図、技巧のすばらしさ、その他色々なジャンルでの縦横な活躍や、肉筆の高い
技能も知ることが出来て、さながら広重芸術の全容を観る思いがしました。

一方「山下清の東海道五十三次」では、このシリーズは本来彼の得意なちぎり絵で
企画されながら、途中で彼が病で倒れたためにペン画原画が残され、その後その作品
も失われたために、原画に忠実な版画作品での展示ですが、本来の彼のペン画の気
の遠くなるような作業である、丹念な点描のタッチも残され、味わい深い作品となって
います。

この各々の作品には、それを描いた時々の彼の独特の言い回しの言葉も添えられて
いて、山下の純朴で温かい人柄を彷彿とさせると共に、この旅の彼の息遣いも伝わる
ようです。また、色彩の施されない作品であることによって、日ごろは見落としがちな
彼の構図の知的で洗練された特色をうかがい知ることが出来て、彼の芸術の新たな
一面を観る思いがしました。

2020年7月21日火曜日

「賠償金毎月受け取り容認」の新聞記事を読んで

2020年7月10日付け朝日新聞朝刊、1面の上記見出しの記事を読んで、感じるところ
がありましたので、以下に記します。

まず、記事の前文を記してみます。

 交通事故で障害が残った被害者が将来得られるはずだった収入を賠償金と
して保険会社から受け取る場合、実際の取り分が大きく減る一括払いではな
く、取り分が減らないよう毎月受け取る形でもよいか。この点が争われた訴
訟の上告審判決で、最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)は9日、一、二審判
決を支持し、被害者側の意向に沿って毎月受け取ることを認めた。一括払い
を求めた保険会社側の敗訴が確定した。

以上です。

この裁判の背景は、従来保険会社は、交通事故で障害を負った被害者に賠償金を
支払う場合、障害の度合い、年齢などからその被害者が将来得られるはずの収入を
算定し、一時金という形で一括で支払うことになっているそうで、その場合、将来の
利息分として算定額の半分以上差し引かれることもあったそうです。

この裁判を争った被害者の場合、事故当時4歳で、市道に飛び出して大型トラックに
はねられ、重い脳機能障害が残ったそうで、一緒に訴えた両親は、その子供が将来
生きて行く上で必要になる、毎月受け取る形の賠償金を求めたそうです。

私がこの記事に感銘を受けたのは、私も自動車を運転し任意保険にも加入している
ので、万一事故を起こした場合に、その保険で賠償金を支払うという心づもりはある
ものの、被害者側にとって賠償金を受け取る方法が慣行でこのように限定されている
ことを知らず、また被害者の立場によっては、この受け取り方では著しい不利益が
あることを、全く考慮に入れていなかったため、この裁判記事で目を開かれると共に、
法律や慣行の瑕疵は、被害を受けた人のために、常に改善されなければならないと、
改めて感じたからです。

私は素人ながらこの記事で、法律の運用のきめ細かい配慮の必要性を実感し、是非
書き留めておきたいと、思ったのでした。

2020年7月18日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1868を読んで

2020年7月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1868では
17世紀フランスの公爵、ラ・ロシュフコーの『ラ・ロシュフコー箴言集』から、次のことば
が取り上げられています。

   情熱のある最も朴訥な人が、情熱のない最も
   雄弁な人よりもよく相手を承服させる

私は、仕事においても、その他の活動においても、よく商品の内容や自分の意志、
考え方を、お客さまや相手に伝えようとして、それが先方に十分納得の行くように、
上手く伝わっているのか、おぼつかなく感じることがあります。

何かもどかしいような、意を尽くし切れていないような、そんな時には、雄弁で立て板
に水のように話をすることが出来る人に、ある種羨望を感じることがあります。

しかし上記のことばのように、得てして弁の立つ人の話は、表面的な言葉を弄する
にとどまったり、変に情熱を感じさせず冷めていたり、同じ内容を繰り返すばかりで
あったりすることが、しばしば見受けられます。

そのような見聞から、私は、話が上手くなることは半ばあきらめ、むしろそれよりも
話す内容を整理して、先方に伝わりやすいように準備をし、また心を込めて伝える
ことに専念するよう心掛けることによって、見かけよりも実質でコミュニケーション
を図ろうと、思うようになりました。

そのため、相変わらず私の話はぎこちなく、我ながらスマートでないと感じることも
ありますが、内容や意志を伝えることを最優先に、これからも誠実に取り組んで行き
たいと考えています。

2020年7月14日火曜日

カフカ著「変身」新潮文庫を読んで

何年ぶりかさえ忘れましたが、再読です。先日、「絶望名人カフカの人生論」を読んで、
改めてカフカが読みたくなりましたが、まず手に取ったのがこの本でした。

初めて読んだ時には、グレーゴル・ザムザが突然虫になったという書き出しが衝撃で、
なぜそうなったかという説明もなく、また家族や周囲の人々も、その事実をすんなり
受け入れているところが不可解で、決して長くはないこの小説を、釈然としないまま
読み終えた記憶が残っています。

今回の読書では、「絶望名人・・・」でカフカが日記に自身に対して否定的な記述を多く
残していることが分かっているので、彼が自分の分身でもあるグレーゴルを、象徴的
な存在としての虫に変身させるのも理由のないことではないと、感じられました。

しかし、その変身の仕方があまりにも唐突で、しかも変身を遂げてからの物語の記述
も、沈着冷静な饒舌体で筋が進んで行くので、読者は悪夢の中にいて、一刻も早く
抜け出したい感覚に囚われます。

この小説は、カフカの素直な心情の吐露、魂の叫びから生まれたものなのかも知れま
せん。

しかしこの絶望的な物語にまだ救いが認められるのは、異形の存在である主人公の
グレーゴルと、家族の関係性においてです。彼の父は、変身した彼に憤慨し、忌み
嫌うようですが、見捨てることは出来ないと、考えています。母は、彼の姿を恐れて
いますが、間接的には気遣っています。そして妹は、彼におびえながらも、彼の世話
をしようとします。

またグレーゴルも、結局は家族にとって不利益になってしまいますが、働き手の彼を
失ったためにやむを得ず、自宅に置いた間借り人たちの家族への横柄な態度に腹を
立てて、彼らを追い出しにかかります。

つまり、最後には経済的にも、物理的にも立ち行かなくなるとは言え、家庭に異形の
ものを抱えながら、家族はその存在も含めて、暮らしを成り立たせようと努力するの
です。そこには間違いなく、家族愛があります。

また、この小説を現代の視点から見ると、介護の問題を扱った物語と思われて来ます。
家の中に介護の必要な存在を抱えて、いかにして家庭を成り立たせて行くのか?これ
は、優れて現代的な問題です。

この点について、この小説から与えられるヒントは、もしグレーゴルと家族に何らかの
コミュニケーションを取り合う手段があれば、結果はもっと良い方向に進んだかも知れ
ない、ということです。結局私はこの小説を、家族間のコミュニケーションの取りづらさ
を描いた小説と、感じました。

2020年7月10日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1850を読んで

2020年6月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1850では
岡村幸宣の『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員作業日誌2011-2016』から、
「原爆の図」を鑑賞した人が感想帖に記した、次のことばを取り上げています。

  「彼らの仕事は恐怖を芸術と祈りに変える人
  間の力の証明です」

私も初めて「原爆の図」を観た時、同様の感慨に囚われました。

実際に観るまでは、原爆の惨禍を眼前で繰り広げる絵画を目にすることに、少し躊躇
がありました。しかし、改めてこの絵の前にたたずむと、描かれている情景は、もし現実
にそういう体験をしたら、激しい衝撃を受けるに違いないのに、どこか静かに哀しみを
訴えかけて来るような、あるいは、人間の愚行を糾弾しながら、その先への希望の
可能性を希求するような、表面的な激しさよりも、底に潜む穏やかさを感じ取ることに
なったのです。

これこそが、創造芸術の力と言えるのでしょうか。例えばこの情景が写真で撮影されて
いたら、それが優れた写真家による作品であっても、そこから鑑賞者が感じ取るものは、
更に直接的で、衝撃的なものとなったと、思われます。

つまり絵画は、画家の心を通して十分に咀嚼した上で描き上げられるゆえに、また、
ましてや「原爆の図」においては、丸木夫妻の共同作業で描き出されているゆえに、
二人の思いが絡み合って、滲み出すような情感と共に、客観的な批評性も、獲得する
に至っているのではないでしょうか?

戦争の惨禍を描いた絵画では、私はこの作品に比肩しうるものとして、ピカソの
「ゲルニカ」を思い浮かべます。この記念碑的な作品も、戦争の悲惨を余すところなく
描きながら、作品自体としては鑑賞者に感動を与え、静かに反戦を訴えかけます。
優れた芸術は、現実を赤裸々に見せる以上のものを、観る者に示してくれるのだと、
改めて感じました。

2020年7月6日月曜日

「伊藤亜紗の利他学事始め 「とぼけたうつわ」の妙」を読んで

2020年6月18日付け朝日新聞朝刊、「伊藤亜紗の利他学事始め」では、「とぼけた
うつわの妙」と題して、益子焼の人間国宝・島岡達三の「形がとぼけていて釉の
調子もよく、花など一輪さして楽しめる」という言葉から、うつわという料理や花を
受けることを前提に作られる本質的に利他的な存在にとって、「形がとぼける」とは
どういうことかと、考察しています。

その島岡の言によると、件の言葉は、湯タンポとして作られた筒状の陶器を、一輪
挿しとして転用する場面で登場するので、目的を狙いきれていない、ある種の
不完全さを積極的に評価する意味ではないかと、伊藤は推測しています。

更には、禅僧のジョアン・ハリファックスが利他を論じながら、和泉式部の歌「かく
ばかり風はふけども板の間もあはぬは月の影さへぞ洩る」を引用して解説する、
家がしっかりしていれば風や雨は防げるけれど、月の光も差し込まなくなってしまう。
この壊れた屋根こそが利他であるという言葉を受け、押し付けるような共感よりも、
適度なとぼけがあるところのほうが、入っていける、と利他の効用を説いています。

引用が長くなってしまいましたが、この「とぼける」とは、日本人の感性に添うものの
在り方として、絶妙の言葉であると感じました。私たちは、日用に使うものとして、
一部の隙もなく完全なものより、少し緩んだところがあるものの方に、親しみを覚え
る傾向があると感じます。

それはどういうことかと言うと、完璧でなく余裕があるものに、安心感を抱く、という
ことではないでしょうか?つまり、ここでいう利他は、拒絶して来るものではなく、
共感出来るものに、癒しを与えられる、ということだと思います。

これは人間関係にも当てはまり、勿論失敗ばかりする人は論外ですが、一部の
隙もなく、完璧に物事を運ぶ切れ者より、ちょっととぼけたところもある、親しみの
もてる人に、好感を持つということは、ままあると感じます。

これもその相手に、こちらを受け入れる心のゆとりがあると、受け取れるからでは
ないでしょうか?

2020年7月3日金曜日

京都国立近代美術館「チェコ・デザイン100年の旅」を観て

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言明け、国公立では2館目の美術館
訪問です。

まず、今回の展覧会がそれほど話題性が高くはなく、混みあわないことが想定され
ているのか、事前予約制ではなく、適当な間隔をあけて並んでチケットを購入し、
検温後入場という段取りで、会場に入ることが出来ました。

また、チケット購入待ちの時間に、「京都市新型コロナあんしん追跡サービス登録
のお願い」のチラシが配られ、そこに印刷されているQRコードからメールアドレス等
を登録すると、来館者から新型コロナ感染者が出た場合に、通知メールが送信され
るサービスが行われている、ということでした。

さて、本展の内容ですが、チェコはボヘミアグラスに象徴されるような、伝統的に
工芸美術が盛んな土地柄で、この展覧会は、主にチェコ国立工芸美術館の優れ
たコレクションを展示することによって、近代100年のこの国の工芸の歴史を通覧
出来る催しとなっています。

この展覧会を観て私の印象に残ったのは、まずチェコが当時のヨーロッパ文化の
中心であった、フランス、オーストリアの美術思潮をいち早く取り入れ、工芸美術に
応用したことで、例えばキュビスムの影響を受け、金属の結晶こそが最も均整の
取れた美しい形であるという考え方の下に制作された、黄鉄鉱の結晶を模した陶器
の小物入れの完成度の高さには、思わず見入ってしまいました。

また、食器類をはじめそのデザイン、造形は相対的に、機能性に優れているだけ
ではなく、手作りのぬくもりを感じさせ、人が用いる製品が本来持つべき、使う人が
愛着を感じることが出来る要素を、ふんだんに有していると、感じました。

私たちの暮らす現代社会では、高度工業化の進展に伴って次第に失われつつある、
日用品のデザインのあるべき姿を、もう一度思い起こさせてくれる展覧会でした。

2020年6月29日月曜日

南嶌宏美術評論集「最後の場所」を読んで

現代美術の評論は、とにかく難解であるために、今まで敬遠して来たところがあります。
しかし今回、日本を代表する美術評論家でありキューレターであった、南嶌宏の評論集
が出たことで、この機会に思い切って読んでみることにしました。

読み終えた結論から言うと、重い読書でした。かなり難渋しました。しかし考えてみれば、
現代美術は現代社会がまとう言葉にならないものを作品として示すのですから、簡潔に
評論で語りえないのは、自明のことです。

従って本書でも、私が今まで観たことのない美術家、作品について評論した部分は、
正直意味を理解するためには、隔靴搔痒の感がありました。しかし、私が今までにその
作品に触れて、感銘を受けた美術家を扱った評論には、確かに心に響くものがありま
した。

例えば、「静聴せよ、美と共同体と芸術闘争に就いて、静聴せよ」で森村泰昌について
語った評論では、ある意味美に殉じて壮絶な自死を遂げた三島由紀夫と対比して、
森村の対象になりきり、その姿を作品として提示することによって、自己を再照射する
試みを、彼が一旦自らを殺害することによって初めて立ち上がって来る、感興を掬い
取る芸術であると喝破する部分には、森村の作品を理解するために、大いに助けに
なるところがあると、感じました。

また「絶対の孤独」岡本太郎では、彼が戦前、戦後で価値観が劇的に転換した、昭和
という激動の時代の、戦後の高度経済成長の一つの極みとしての祭典であった、大阪
万国博覧会会場に、あの太陽の塔を提示したことを例に挙げて、この国に起こった
異様な物質文明の狂騒に、太古から受け継がれる純粋な芸術の精神を掲げて、一人
立ち向かう存在であった、孤独な芸術家の肖像を浮かび上がらせています。今万博
公園に一人佇む太陽の塔を想うと、この評論も感慨深いものがありました。

南嶌の活動のもう一つの柱として、キューレターの活動があります。彼は、いくつかの
国内の主要な現代美術館の設立に関与し、話題となる展覧会を多数企画しました。

本書を読んで特に私の印象に残ったのは、熊本市現代美術館「ATTITUDE2002」に
おける、ハンセン病療養所に長く隔離されていた女性患者の所持品である人形「太郎
」の展示、同じく「生人形と松本喜三郎 反近代の逆襲」における、長らく社会的な
タブーから芸術作品として評価されなかった生人形に、光を当てたことです。

優れた現代美術が、社会的批評性を持ちうるものであることを、改めて感じさせられ
ました。

2020年6月26日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1848を読んで

2020年6月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1848では
コメディアン・志村けんの人生指南の書『志村流』から、次のことばが取り上げられて
います。

   飽きられないマンネリ、日々新たなマンネリ
   というものがあるんだ。

ご存知、新型コロナウイルス感染症で亡くなった人気のお笑いタレント。彼の死に
よって、日本の一般の人々のこのウイルスに対する警戒感が、一気に増したように
感じました。その意味でも、現在我が国でコロナ禍による死亡者数が、低い水準に
抑えられている要因の一つに、彼の死があったように思われます。コメディアンとして
残した功績と共に、その点でも彼は、私たちの社会に貢献してくれたのでしょう。

また生前の晩年の活動を見ていても、動物との触れ合い番組に、中心的存在として
出演していたり、人情味とユーモアのある優しいおじさん、というイメージがあり
ました。そして決して奇をてらったり、斜に構えたり、こざかしくもなく、地道に人を
笑わせる存在という雰囲気も。

そのイメージからして、上記の言葉は彼らしいことばであると、感じます。そうして
努力を重ねて来たのだな、というような。

そして上記の言葉が当てはまるのは、何もコメディアンの人生に限りません。いや
むしろ、一般人の生き方にこそ示唆に富むことばです。

私たちの暮らしは、日々同じことの繰り返し。時々新たなこと、特殊なことなど、日常
に変化が訪れるけれども、圧倒的に大多数の時間は、同じ日課の反復です。でも
同じであることが有難く、恵まれている、ということではないか?そしてその中でも、
日常を自分自身飽きず、周囲も飽きさせず、繰り返して行く。その結果気づけば、
随分と遠いところまで来た、ということになるのではないでしょうか?

上記稀代のコメディアンのことばは、普通の生き方の極意であるようにも、感じました。

2020年6月23日火曜日

京都市京セラ美術館「杉本博司 瑠璃の浄土」を観て

京都市京セラ美術館に、リニューアルオープン後二回目の訪問をしました。今回は
旧美術館の東側に増設された、主に現代美術などの展示を担う「東山キューブ」で
開催されている、開館記念特別展「杉本博司 瑠璃の浄土」です。

この美術館は、コロナ禍により開館が大幅に遅れて、しかも開館当初は京都府内
在住者限定の事前予約による入場受付でしたが、6月19日より以前事前予約制
とはいえ、他府県の入場者も受け付けるようになりました。しかしまだ入場者は
それほど多くはなくて、私も行く予定の日の二日前に予約をしたにもかかわらず、
当日の予約状況は、まだまだ空きがあるようでした。

「東山キューブ」は、今回初めて訪れましたが、旧館との調和に考慮しながらも
モダンな建物で、何よりも隣接する、杉本設計の透明ガラスで覆われた茶室
「聞鳥庵(モンドリアン)」を設置した池を中心とする、日本庭園のそこからの眺め
が素晴らしく、魅力的な施設となっていました。

「瑠璃の浄土」は、杉本が同館のリニューアルオープンに合わせて、同館の所在地
京都岡崎にかつていくつもの寺院があったことを踏まえて、長く私たち日本人の
宗教的な価値観の核心であった浄土思想と再生への思いを、現代の社会状況の
中で新たに希求しようとする試みです。

会場全体が一つの寺院建築のように構想されていて、各作品の展示空間は有機的
なつながりがあるように配置されていますが、その中でも私が特に強い印象を受け
た展示空間は三つです。

一つは、ニュートンのプリズム実験装置を応用して、分光された光を撮影し、作品化
したパネル「OPTICKS」を壁面に配置したキリスト教会のカテドラルのような空間。
ここでは、敬虔な雰囲気、柔らかい光に包まれた感覚を味わうことが出来ます。

次は、本展のメイン展示とも言え、会場全体の本堂にもたとえられる、杉本が
蓮華王院三十三間堂の観音像群を早朝の光の中で写真撮影して、パネル作品化
した「仏の海」の連作を、三方の壁面に並べて仏堂を再現したように配置した空間。
ここでは、荘厳さ、深遠さを感じることが出来ます。

三番目は、杉本が、かつて平安時代末期の天皇であった崇徳院が配流された、
瀬戸内海の直島に再建した、護王神社の模型と、同じく後鳥羽院が流された壱岐の
島から見た海を、写真撮影してパネル化した「日本海、壱岐」を並べた空間です。
こちらでは、何か既視感のあるような、懐かしい感覚に囚われました。

この展覧会は、鑑賞者に普遍的な意味での浄土を提示し、それぞれに再生への
希望を芽生えさせようとする企てであるように、感じられました。体全体で感じ取る
ことが求められる、かつてない美術体験でした。



2020年6月19日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1825を読んで

2020年5月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1825では
同紙5月1日夕刊の「プレミアシート」から、引退間近の老精神科医を撮った、想田和弘
監督の映画「精神0」に寄せた、映画ライター・月永理絵の次のことばが取り上げられて
います。

   顔を寄せ合い対話すること。手を重ね合わせ
   ること。それがどれほど貴重で脆いものであ
   るかを、私たちはついに知ってしまった。

今回のコロナ禍が、身近な部分で私たちに感じさせたこと。その第一に人との何気
ない交わりの大切さが、挙げられるのではないでしょうか。

それはあまりにも当たり前過ぎて、今まで気づかなかったことです。

私たちは日々、仕事の上でも、交友の上でも、近所付き合いでも、あるいは、日常の
行動や趣味においても、人と言葉を交わし、触れ合って来ました。でも、それらが禁じ
られたり、制限を加えられると、その不便さだけではなくて、私たちの心は消沈し、
さみしさ、物足りなさに囚われることに、なってしまったのです。

つくづく人間は、社会的な存在であることが、痛感されました。

そして勿論、何気ない交わりだけではなく、もっと親密な交わりが、人の生の根本的
な部分で、人の心にとって大切であることは言うまでもありません。

例えば私の場合は、自宅で介護をしていた晩年の母との対話において、目を見つめ
手を取り、語りかけるということが、母にとっても安心感を与えていると感じられました
し、私自身にとっても救われるものを感じました。

コロナ禍によって人と密に触れ合えないことは、感染のリスクだけではなく、心の部分
で人間存在をむしばむものであることを、改めて感じさせられました。

2020年6月15日月曜日

堂本印象美術館「コレクション展 おしゃべりな絵画」を観て

新型コロナウイルスによる、緊急事態宣言が明けてから二つ目の美術館として、堂本
印象美術館に行って来ました。

入館のためには感染症対策として、マスク着用の義務化、備え付けのアルコールで
消毒、館内での感染症発生の場合のための電話連絡先記入、そして体温測定が課せ
られて、ようやく入場することが出来ました。まだまだ開館のための慎重な対策が取ら
れていると、感じました。

本展は、全作品が堂本印象の絵画によるコレクション展ですが、ユニークな試みと
して、それぞれの作品の登場人物の会話やつぶやきが、具体的なセリフの形で、説明
書き毎に添えられていて、絵を観るための助けとなると同時に、鑑賞者もセリフを考え
るなど想像をめぐらして、作品を味わうことが出来るようになっています。これも楽しい
試みであると、感じました。

また、本展で私が最も印象深く感じたのは、6点の「仙人図」で、いわゆるよくある
水墨画の粗いタッチの仙人の絵とは違って、淡い彩色と繊細な線を用いた日本画の
様式で描かれていながら、独特の詩情、とぼけた風情、ユーモアがあり、東洋、西洋
の規範に囚われない印象の絵画のスタイル、および彼の人柄を彷彿とさせると、感じ
ました。

更には、「最后のガラシャ夫人」、「ルソン行途上の高山右近」などの、大阪玉造教会
の壁画下絵も数点が展示されていて、自らは仏教徒であった印象が、キリスト教に
も共感を感じ、その壁画作品に情熱を持って取り組んだ様子が見て取れて、彼の画業
の幅広さ、スケールの大きさを、改めて感じました。

2020年6月12日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1824を読んで

2020年5月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1824では
イタリアの作家、パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』から、次のことばが
取り上げられています。

   今からもう、よく考えておくべきだ。いった
   い何に元どおりになってほしくないかを。

今回のコロナ禍の襲来を振り返ってみると、まず中国での発生が伝えられ、病院
に収容される夥しい数の人々のテレビ画像、町の封鎖風景や、現地での感染の
疑いのある人々に対する、一般の人々の強い警戒感などに映像で触れて、まだ
実感のない漠然とした不安であったものが、横浜入港の旅客船での乗客感染に
よって、一挙に現実の恐怖となったことを、昨日のことのように思い出します。

それからは、全国に感染者があっという間に拡大して、他都道府県への移動や
三密の禁止、それに伴う公共施設、飲食店などの不特定多数の人々が集まる
場所の営業規制、職場への通勤も出来るだけ少なくするなど、いわゆる各自が
自宅にとどまることが求められて、その結果感染者数の増加もようやく落ち着き、
徐々に規制の解除が広がって来て、今日に至っています。

その間、グローバル化の弊害や大都市の人口の過剰な密集、医療体制の脆弱
さ、高齢化問題、貧富の格差の拡大など、私たちの現代社会が抱える様々な
問題が明らかになって来ました。

またその副産物として、SNSでの風評被害の拡散や自粛警察など、人権を抑圧
するような過剰な監視社会の様相も、広がって来ています。

コロナ感染症の収束後には、一時も早い経済的不利益を被った人々、商店、企業
の救済、回復が求められるのは言うまでもありませんが、それは全てが元通りに
なることではなく、コロナ前の旧弊を正しながら、より良い社会を目指すものに
ならなければならないでしょう。

2020年6月9日火曜日

高橋源一郎の「歩かないで、考える」を読んで

2020年5月15日付け朝日新聞朝刊、オピニオン&フォーラム面、高橋源一郎の「歩か
ないで、考える」では、作家・高橋源一郎が、今回のコロナ禍による自宅待機生活の
中で、感染症に関わる書物をまとめて読んで感じたことについて、語っています。

彼が閉じ込められた状態で本を読んで思索するのは、18歳の時に学生運動で逮捕
されて、拘置所の独房で過ごした7か月以来、そしてその体験が現在の自分を作った、
ということから語り起して、そのような状況の中で当事者が感じる、世界から取り残され
るような不安が、現在のコロナ禍で自宅待機を余儀なくされる私たち全てに通じること、
更には過去の感染症蔓延の事象が、歴史的にはその当時の社会を転換させた事実
について述べ、コロナ後の社会について、私たち自身が思索を深めることの必要性を
説きます。

その後に、彼が今回のコロナウイルス感染症について語ることは二点、一つは、私
たちが以降もこの感染症、あるいは広い意味で新たな感染症リスクと、これからも付き
合って行かなければならないということ、つまり私たちの社会は、決してコロナ前の社会
にはもう戻れないということ、それゆえウイルスとの共生を念頭に社会を構築すべきで
あり、更には、この時点でコロナ前の社会を批判的に検証すべきである、ということです。

確かに今回に限っても、新型コロナウイルスのワクチンは、まだ開発されていない段階
であり、更にこのウイルスの抗体を、多くの人が保有している訳でもないので、一時状態
が落ち着いているとは言え、このコロナウイルス感染症がいつ再度蔓延するとも限らず、
従って私たちは、当分の間このウイルスが存在することを前提に、生活モデルを作ら
なけれならないことになります。そしてその新たなモデルは、グローバル化や大都市圏
への人口の密集といった、従来の生活様式を問い直すことにもなります。

また今回のウイルス感染症は、私たちの社会が抱える、疫病リスクへの対応の脆弱さ
や高齢化問題、貧富の格差など、様々な弱点を明らかにしました。コロナ後の世界では、
これらの弱点を克服するための対策が、早急に求められることになります。

そして高橋が語る二点目は、私たちが今回の災厄が過ぎ去った後も、ここから得た教訓
を決して忘れず、来るべき次回の感染症リスクに対する対策を、恒常的に続ける努力を
しなければならない、ということです。この論考は、新型コロナウイルス感染症がもたらす
であろう社会の劇的変化について、説得力を持って語る優れた論考であると、私は感じ
ました。

2020年6月4日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1814を読んで

2020年5月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1814では
自身も血管奇形という難病を患い、同病の難病指定と患者の相互支援のために活動
して来た、特定非営利活動法人代表・有富健の『負けるものか!』(真里鈴構成・編集)
から、次のことばが取り上げられています。

   喜怒哀楽のうち、怒りと哀しみは積もるもの
   であり、喜びと楽しみは積もらない。

難病を抱える発言者のことばとして、この言葉の重みは、私などにはとても簡単に推し
量れないとしても、上記の言葉を目にした時、私は、このコロナ禍の状況の中で、何か
勇気を与えられるような、感覚に囚われました。

というのは、この言葉は一見すると、「怒りと哀しみは積もる」という深刻な事実を突き
つけるように見えて、逆に「喜びと楽しみは積もらない」という後半の部分に、逆説的
な能動性、希望をはらんでいるように、私には感じられたからです。

つまり、「喜びと楽しみは積もらない」ものだから、私たちは常に「喜びと楽しみ」を生み
出し、見つけ出す努力をしなければならない。そしてその積極的な論法から言うと、
放っておいても「怒りと哀しみは積もる」ものだから、それを前提として、打ち勝つことを
目指さなければならない、というふうに。

このように、同じ言葉でも捉え方によって、全く逆の意味を帯びる場合があり、その言葉
を私たちがどのように受け止めるかは、発言者や受け手の心の在り方や、その時々の
状況に左右されると思いますが、今まさに困難な状況の中でこの言葉は、岩の裂け目
に染み入るように、愁いを帯びた私の心に届けられるように、感じました。

言葉というものの持つ力を、まざまざと感じさせられる思いがしました。

2020年6月1日月曜日

大江健三郎著「個人的な体験」を読んで

最初、頭部に異常を持って生まれて来た新生児の父親となる覚悟が出来ず、苦悶と
葛藤の果てに、ついには、障碍を持つかも知れない子供と共に生きて行く自覚を生み
出した、男の物語。

この小説を、一文で要約するとそういうことになりますが、周知のように、作者大江
健三郎自身が同様の体験をしているとはいえ、この物語が決して現実に基づいた
私小説ではなく、多くの虚構を含む、フィクションであることは言うまでもないでしょう。

ではどうして、彼はこのような形式の小説を書き上げたのか?私が思うに、一般的な
人間ならば、このような危機的状況に追い詰められて、抱くに違いない絶望からの
再生を、この小説の話法によって、際立たせたかったのではないでしょうか。

もしそうであるなら、主人公鳥(バード)の学生時代の恋人で、それから以降も親密な
関係が続き、今回の危機でも産後の入院を続ける彼の妻をしり目に、彼が寡婦である
彼女の家に転がり込んで、性的快楽を貪る火見子(ひみこ)の存在が、重要な意味を
持ちます。

火見子とは、いかなるものを象徴しているのか?最初彼女は結婚するも、一年で夫
に自殺されて、残された家で昼夜逆転の自堕落な生活を送り、性においても見境なく、
男を受け入れる女として登場します。

そして鳥(バード)の苦境を知って、その赤ん坊の一刻も早い死を願うという彼の悲しみ
と罪悪感から、肉体的な苦痛に耐えながらアブノーマルな性交をすることによって、彼
を絶望の淵から救います。その姿は自己犠牲を厭わず、無条件に相手を受け入れる、
俗性をまとった穢れなき心の象徴のように思われます。

しかし彼女は、鳥(バード)が彼女と肉体関係を続けながら、件の子供を死に至らしめる
べく画策するうちに、次第に彼に加担し、彼との逃避行を夢想するようになります。ここ
に至って火見子は、彼をそそのかす魔性の象徴のようにも思われます。

結局彼女も、我欲に支配された一人の生身の人間という見方もありますが、私は彼女
が、鳥(バード)の心の揺れを引き立たせる、彼の心の働きの裏面を支える存在と、読み
解きました。

彼が、障碍を持つかも知れない子供と共に生きて行く覚悟を決めた物語の最後、冒頭
で意気軒高な彼が挑発したために、喧嘩になった不良少年グループと再会したのに、
最早彼らが鳥(バード)を認識出来なかったために、そのまま通り過ぎた場面、更には、
彼の義父が彼に「きみはもう、鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」と語る
場面が現すように、人生の困難と向き合う勇気を得た彼は、分別ある大人への階段を、
確実に上がったのでしょう。

2020年5月28日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1812を読んで

2020年5月11日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1812では
NHK・Eテレ「SWITCHインタビュー達人達」(4月25日)での噺家・柳家喬太郎との
対談から、美学者・伊藤亜紗の次のことばが取り上げられています。

  「身の回り」という感覚がなくなって、共有
  物が増えるんじゃないか。

この美学者が、視覚がないと世界はどんなふうになるかを考えるワークショップを
開いた時、得た洞察の一つだそうです。

なるほど、「身の回りのもの」とは、当人の視覚的認識によって、存在を保証された
ものなのでしょう。なぜなら、たとえ個人所有の特定のものを持っていても、見て
在る場所を確認出来なかったら、すぐに用いることが出来ないのですから。それ
より、幾人かで共有した方が、ずっと合理的に用いることが出来ます。

このように、「身の回りのもの」が私たちの視覚によって初めて保証されているの
なら、見ることが出来なければそれらの品へのこだわりや所有欲も生まれず、その
ような状況は、私たちの日ごろの価値観からは物足りないものに感じられるで
しょう。

でも逆に、「身の回り」へのこだわりのない世界に慣れると、他の人とものを共有
することによって満足を得、ものに関わるわずらわしさや、欲求に囚われること
なく、平穏に生きることが出来るのかも知れません。

では一体、どちらが良いか考えてみると、幸か不幸か私たちは、視覚という感覚
器官を持ち合わせているのですから、その能力の恩恵にあずかって、「身の回り
のもの」を愛でる、わずらわしさは伴うものの、ある意味豊かな生活を送るのが
相応しいのだと、私は思います。

2020年5月25日月曜日

小熊英二著「日本社会のしくみ 雇用、教育、福祉の歴史社会学」を読んで

明治以降の日本人の働き方の特徴、変遷を通して、近代日本社会の仕組みを読み
解く、気鋭の社会学者の書です。

データと関連するそれぞれの分野の専門家の研究を精査して、論を組み立てること
によって、実証的で、説得力のある著述となっています。

私にとっては、現代の社会について薄々感じていたことを、否応なく突き付けられた
具合ですが、まずインパクトが強かったのは、日本人の働き方を大学を出て、大企業
や官庁に就職し、「正社員・終身雇用」の人生を過ごす「大企業型」、地元の学校を
出た後、農業、自営業、地方公務員など、地元で職業に就き、一生を過ごす「地元型」、
長期雇用されていないで、地域に足場がある訳でもない「残余型」に分類した場合、
「大企業型」の比率は、様々な経済変動が起こったにも関わらず、ここ数十年間不変
で、近年の顕著な変化としては、農業、自営業などの衰退によって「地元型」が減り、
その代わり「残余型」が増加しているという事実が、明らかにされていることです。

この論述は、現代日本の国内の社会問題のほとんど全ての要因を網羅していると
言っても、過言ではないのではないでしょうか。

つまり、「大企業型」に属する人々は、長期雇用が実現し、年金を始め福利厚生制度
も充実ししていて、経済的に豊かに生活することが可能な、少数派の特権的な人々
です。しかも、日本の大企業の指定校制度も含む一斉採用、終身雇用という慣習に
従えば、彼らの地位は就職時点で決まるので、大企業に職を得るために、優秀な
大学に入学することが必須になります。子供たちは、早い時点からの一生を左右する
受験競争に、巻き込まれる所以です。

他方、農業、自営業の衰退は地方を疲弊させ、様々な問題を生み出しています。地方
の人口減少、機能低下、大都市の一極集中、食料問題など、益々顕著になって来て
います。

更には、農業、自営業を離れた人々が都会に流れ、非正規雇用やパートタイム労働
の「残余型」となって、貧富の格差が拡大しています。またその部分には、シングル
マザーなど社会的立場の弱い人々も、当然含まれるのです。

本書は日本社会の現状を、働き方という観点からこのように分析していますが、社会
を覆う息苦しさが、目に見えるようです。そして、一見恵まれているように見える「大
企業型」も、過重労働というリスクを抱え、また雇用制度としても、国際競争力の
高まったグローバル社会化の中で、時代遅れの感が否めません。

現状打開の前提として、著者は透明性と流動性の確保と、社会保障制度の充実を
挙げていますが、その具体的方策は思いつけない私にとっても、現状への危機感は、
確かに実感出来る本です。

2020年5月22日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1800を読んで

2020年4月28日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1800では
女優・・小林聡美の随想『聡乃学習』から、次のことばが取り上げられています。

  自分が五十になって思うのは、「こんな未熟
  モノで申し訳ない」ということである。

私は優に60歳を超えましたが、思いは全く同じです。考えてみれば、若い頃から常に、
そう感じて来たと思います。たとえ一度くらいでも、自分は自分の年齢を凌駕している
と、感じる瞬間があってほしかったものですが。

しかし青年期までは、私は自分という存在を卑下していて、自分で未熟者と感じる
度に、更に自信を無くし、行動や発言が消極的になるという、悪循環でしたが、ある
頃からは少なくとも、自分が未熟者と感じることが心を奮い立たせ、生きる励みにも
なったと思います。

それが年の功か、開き直りかは、分かりません。でも確実に言えるのは、ある意味
自分が未熟者であることを、どこかで肯定出来るようになったのかも知れません。

しかしそこが曲者、この肯定感が度を超すと、こんどは増長や現状で満足する怠惰
が顔を覗かせるでしょう。だから、倦まず飽きず、これからも未熟者の自分と付き
合って行きたいと思います。

2020年5月19日火曜日

新型コロナウイルス感染症の日本の感染者数、死亡者数から感じたこと

私たちの国では、新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が、39県で解除
され、コロナ禍もまだ予断を許さないとはいえ、ようやく下火の兆候を見せて来たよう
に思われます。

この間国内で、16000人以上の人の感染が確認され、また760人余りの人が亡く
なりました。まさに歴史的な感染症による災禍であると言えるでしょう。

しかしながら日本は、この感染症が最初に発生した、同じ東アジアに属する中国に
地理的に近く、また経済的、人的交流も盛んであるために、感染症拡大の早い時期
に国内最初の感染者が生まれたにも関わらず、その後感染が広がったヨーロッパ
諸国やアメリカ合衆国などに比べて、現在の時点で、感染者数も死亡者数もかなり
少なく抑えられています。

感染者数に関しては、我が国ではPCR検査の数がかなり少なく、これらの国々に
比べて実勢の感染者数が反映されていない、という指摘もありますが、少なくとも
死亡者数はかなり低く抑えられている、ということが出来るでしょう。

そこで私なりに、少し落ち着きを見せて来たこの時点で、日本でこれらの数が低く
抑えられた理由について、考えてみました。

まず死亡者数については、このウイルスが多くの人にとって、感染しても無症状か
比較的軽い症状で治癒する反面、高齢者や持病のある人にとっては、急速に重篤
化し、死の危険をもたらすという特徴があるので、死亡者数が多い国では、高齢者
の死亡者が圧倒的に多いという事実があります。

その点で日本では、高齢者施設の感染症予防対策が行き届き、また患者が重篤化
した場合対処する医療技術の高さもあると、推測されます。

次に感染者数に関しては、このウイルスは発症前の無症状の時点でも感染すると
いう厄介な性質があるために、感染が拡大しやすく、また密集した閉鎖的空間で
爆発的に拡大するというリスクもあるので、人の移動を極力減らし、密集を避ける
ことが一番の感染予防となり、特に通勤、通学、娯楽などでの人の集まりを制限
することが求められることになるのですが、この行動自粛ということが日本では、
強制力が比較的低いにも関わらずよく守られていて、感染拡大を防いでいるように
感じられます。

この点で私たち日本人は、周囲の目を気にして行動する性質があるので、この自粛
がよく守られているのではないかと、推測されます。ただし、それが主体的な個々の
判断による限りは好ましいことなのですが、自粛生活が長引くほどに、他人の行動を
監視、批判するような風潮が生まれ始めていることは、危惧すべきことだと感じました。

2020年5月14日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1798を読んで

2020年4月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1798では
認知心理学者・下條信輔の『潜在認知の次元』から、次のことばが取り上げられてい
ます。

   ヒトは自分の見たいものしか見(え)ない

このことばには、自戒を持ってうなずけます。

私が勘違いで失敗をする時、それは大抵思い込みによると、思われます。例えば、
従来いつもこうであったから、このように対応すべきだと考えて物事を行った結果、
今回に限りそのようにすべきではなかった、というふうに。

このような事態は、前例通りにすることに頭が慣れてしまっていて少しの違いに気づ
かなかったり、前例から推測して導いた方法の導き出し方が間違っていて、結果が
違ってしまう時などに起こります。つまり、自分の経験や予備知識に惑わされて、
正しい判断が出来なかったということで、対象を見たいようにしか見ていなかった
結果と言えるでしょう。

さらには、単純にものを見るという行為においても、私たちは見たい、見るべきだ、と
思う部分だけを見て、その他の部分は見逃しているということも、往々にあると思い
ます。それが証拠に、複数人が一つの情景を見て、後で問われるとそれぞれの答え
がまちまちである、ということも起こり得ます。

では、私たちはこのような種類の間違い、誤認を極力起こさないために、どのように
心がけるべきなのでしょう?

一つはヒトのこのような習性を自覚して、そのような前提で慎重に行動を起こすこと
であり、あるいは、我執を離れて高所から物事を見る習慣をつけ、多様な視点から
物事を判断する、柔軟な思考法を身に付けることでしょう。

これらのことは、多く読書の習慣によって、獲得出来るのではないかと、私は考えて
います。

2020年5月11日月曜日

「伊藤亜紗の利他学事始め 不安を救ってくれた言葉」を読んで

2020年4月23日付け朝日新聞朝刊、「伊藤亜紗の利他学事始め」では
「不安を救ってくれた言葉」と題して、美学者の筆者が、障害や病を持った友人たちと
ウェブ会議システムを使って「オンライン飲み会」を開催した時、現在のコロナ禍に
席巻されて身動きの取れない世界について、参加者の一人が「いま世界中の人が
障害者になっている」と答えたことに、説得力のあるものを感じた、と記しています。

つまり、「人と間近に関わることを禁じられているこの状況は、全員が「接触障害者」
になっているとも言える。接触不可という制約を抱えたまま社会的活動を維持しよう
とする姿は、失明した人が、視覚を使わないで世界を認識する方法を獲得する過程
のようだ。」と言うのです。そして、障害を持つ人の体験から生み出された確かなこの
言葉に、救われる思いがしたと記しています。

私はこのエッセイに、目を開かれるものを感じて、感銘を受けました。確かに私たち
が今直面しているこの事態は、かつて全く経験したことのないものであり、しかも
ウイルスというその相手が目には見えず、触れることも出来ず、しかし現実にどこか
に感染者がいて、自分も感染するリスクがある、という雲をつかむようで不安だけが
募り、各々が従来の基準からは社会的に孤立することを求められる、感染症の蔓延
独特の陰鬱な空気感を持ち、しかもそれがいつ終息するとも分からない、漠然とした
理不尽さを伴うものであるからです。

このような、私たちが今まで当たり前に享受していた心身の自由が突然に奪われて、
どう対処していいのか戸惑い、途方に暮れている時に、自らに課された制限を長い
時間をかけて自力で乗り越えて来た障害を持つ人々が経験を語ることが、励まし、
力を与えてくれるということに、接触は出来ない時ども、多様な社会ならではの絆の
存在を、感じる思いがしたからです。

これから、このコロナウイルス感染症との戦いが、いつまで続くとも分からない状況
の中で、我々が社会的絆を保つ秘訣の一つとして、SNSなどを使って多様な人々が
ポジティブにつながることの必要性を、改めて感じました。

2020年5月7日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1795を読んで

2020年4月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1795では
美術家・横尾忠則の『死なないつもり』から、次のことばが取り上げられています。

   強制的にさせられる努力は、もろいのです。

これは、紛れもない真実でしょう。でも、ここが厄介なところなのですが、ある物事
に取り掛かるきっかけの部分では、強制的に始めるように仕向けられる場合が
往々にあるということです。

何も最初から、自分が好きで物事を始められたら、それに越したことはありません。
でもほとんどの場合、最初はその事が好きか、分からないものです。

だから、強制的でもきっかけを与えられて、やりだしたら興味がわいて、楽しくなって、
夢中になって、どんどんそれに打ち込んで行くというのが、理想的だと思います。
つまり結局、自分の取り組み始めたことを、ポジティブに受け取り、そこから楽しみ
ややり甲斐を見つけ出して、自分の意志で努力するようになるのが、秘訣でしょう。

もう一点、強制されることの危険なところは、強いられてやる努力は、自発的な努力
に比べて、それをやる理由を考えなくていいという意味で、楽であるということです。
つまり、その理由は強制する側に一任しておけばよく、自分はただがむしゃらに努力
を続ければいいのであって、ついつい惰性に流されてそれを続けてしまう、という
ことも起こり得るでしょう。

ただしこのような場合、途中でふと、自分が何のためにこの努力を続けているのか
分からなくなった時に、突然の挫折が訪れるということです。

このように考えると、自分が現在続けている努力に対して、いち早くその理由ややり
がいを見つけ出すように心がけることも、その努力が長続きする秘訣であるように、
思われて来ます。

2020年5月4日月曜日

カミュ著「ペスト」新潮文庫を読んで

中国武漢に端を発する、新型コロナウイルス感染症の瞬く間の世界的な広がり、そして
日本でも全国的に緊急事態宣言が発動されて、今なお自粛生活を余儀なくされる中で、
先人は深刻な感染症をいかに想定し、その恐怖に直面する人々をどのように描いたか
を少しでも知りたいと思い、本書を手に取りました。

物語の舞台は、1940年代のフランス植民地アルジェリアの主要な港町オラン。この町
を突如として襲い、全面的な封鎖に至らしめた感染症は、当時圧倒的な致死率を示し
たペストと、今回のコロナ禍とは色々な部分で条件が違いますが、この本を読み終えて
まず感じたのは、感染症の猖獗がそれを目の当たりにする人間に与える不安、孤独、
絶望の普遍性です。

まず危機感をはらむ感染症の流行は、致死率の違いによる深刻度の軽重はあるに
しても、直面する人間に強く死を意識させます。しかもその元凶が目に見えず、手に
触れることが出来ないものであるだけに、人々は漠然とした不安に囚われます。更に
は、感染症は人から人に伝染して行くために、生活の色々な場面で接触する不特定の
人間が、あるいは感染者ではないかと、人間不審、疑心暗鬼を募らせて行きます。

そして遂には、感染症がその地域に蔓延すると、他地域に感染を広げないためにこの
地域は封鎖され、中に閉じ込められた人々は、恐怖と孤独と絶望、焦燥感のないまぜ
になった感覚に陥ります。

その結果として、物語のオランの住民の中には、飲食店で無闇に酒をあおって現実を
忘れようとしたり、禁じられているにも関わらず町から脱走しようとしたり、自身の感染
を確信して自暴自棄になり、見ず知らずの人を道連れにしようとして抱き付いたりする
者が現れます。これらの行為は、現在我が国で一部の人々が実行して顰蹙を買う行動
と、あまりにも酷似していて驚かされます。

他方困難な状況でも、患者の治療に専心する主要登場人物の医師、危険を顧みず民間
ボランティアとして彼を助ける篤志家の人々には、頭が下がる思いがします。この点は
現在のコロナ禍においても、私たちも大いに考慮すべき部分です。

いつかは、この感染症も終息するでしょう。その後、社会も各個人も今回の事態から多く
を学び、来るべき新たな脅威に備えることは言うまでもなく、現実のコロナ禍の渦中に
おいても、我々は他者を思いやり、自身に対しても誠実な行動をとるべきであることを、
本書は教えてくれます。

2020年4月30日木曜日

「與那覇潤の歴史なき時代 今年の桜見逃したって」を読んで

2020年4月16日付け朝日新聞朝刊、「與那覇潤の歴史亡き時代」では
「今年の桜見逃したって」と題して、筆者が現在、20年越しにアニメになった冬目景原作
の「イエスタディをうたって」を視聴していることにちなみ、その作品の魅力が、SNSの
発達していなかった時代、つまり「つながりすぎていなかった」時代の作中世界を描いて
いることにある、と語っています。

すなわち、携帯すらほとんど登場せず、スマホやタブレットは出て来ない、この作品の
世界では、すぐに答えが手に入らないゆえの登場人物の日常の豊かさがある、というの
です。

私自身の日常生活を振り返ってみても、かつては、距離を隔てた他者との個人的な通信
手段は、通常主に、手紙と固定電話だけだったのに、いつの間にか携帯電話が登場して、
その圧倒的な利便性に驚き、更には、電子メール、その他のSNSを使用するようになって、
どんどん便利になって行っても、もうそれほどの感慨はなく、それが当たり前の日常に
なっていると、感じられます。

そして、このように感覚が麻痺しているために、逆にSNSが私たちに及ぼしている影響が、
どのようなものであるかが分からなくなってしまっていると、思われます。

それゆえあえて、現在とSNS使用以前を比較してみると、他者とのつながりに限っても、
以前は自分の気持ちを人に伝えるためには、手数がかかるゆえの溜めが存在し、その
間(ま)の間に自分の考えを整理し、相手の気持ちを推し量る行為が介在したために、
お互いのコミュニケーションに含みが生まれた、と思い起こされます。

ところが現在では、SNSを使って右から左に連絡が取れる。その一方で、便利さゆえに
電話のやり取りでも迅速な応答が求められ、メールなど文字の通信の場合は、字数の
少なさゆえの気持ちの伝わりにくさなども、起こって来ます。その結果どうしても、意志
の疎通が表面的になりがちと、感じられます。

この両者の差異は必然的なものであっても、私たちはそのことに自覚的であるべきで
あると、改めて感じさせられました。

2020年4月27日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1786を読んで

2020年4月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1786では
哲学・人類学者ブルーノ・ラトゥールの『地球に降り立つ』より、次のことばが取り上げ
られています。

   権利のうちもっとも基本的なもの、それは安
   全で保護されているという感覚が持てること
   である。

私たちがまだ渦中にある、今回の全世界的な新型コロナウイルス感染症の蔓延を
眼前にして、安全というものの貴重さが、実感として身に染みて来ます。

今までは、各種ウイルス感染症のニュースに接しても、それはどこかよそ事で、対岸
の火事という感覚でしかとらえていませんでした。

しかし、危険が実際に身に迫って来ると、今まで当たり前であった安全が、本当は
歴史的に見ても希少なものであったことが、了解出来るのです。

同時に私は、この度の経験の中で、疫病の襲来から来る不安というものが、どのよう
な性質のものであるかということも、初めて知りました。

ウイルスはどこまで私の身近に迫っているのか、もし迫っているとして、誰が感染者で、
誰がそうではないか、目には見えないために全く見当もつきません。でもそれでいて
確実に、病魔はじわりじわりと近づいてきて、気が付けば目の前にいる、というような
恐ろしさ。

更には、その猖獗が一体いつまで続くのか、皆目見当がつかないこと。これは私たち
が常に経済活動をして、日々の生活を維持しなければ生きて行けない存在故に、肉体
上の生理的な恐怖だけではなく、生活上の不安も生み出します。

このような感覚を、そういう危険に今まで鈍感であった、私たち日本人が皆で共有する
ことによって、今回のコロナ禍の終息後、ありうべき次回の感染症の襲来に備える
実効的な感染症予防策及び防御策を確立することが出来れば、私たちの有する人権
も、更に厚みを増すことになるのでしょう。

今日のこのことばを読んで、以上のように痛切に感じました。

2020年4月23日木曜日

頭木弘樹編訳「絶望名人カフカの人生論」を読んで

先日、この本の編訳者頭木の著書「絶望読書」を読んで、その本に出て来るカフカの
記述に興味を覚えたので、本書を手に取りました。

私が特に関心を持ったのは、どうしてカフカの手紙や日記が人生に絶望した人を癒す
か、ということです。頭木はカフカを絶望名人と称していて、確かに本書を読んで行く
と、カフカはこれでもかというぐらい自分を否定的に捉え、親しい人に数限りなく愚痴
をこぼしていますが、ただそれだけなら絶望した人がそこに自身よりひどい状況の人
を見出して、単に憐憫の情を抱くことはあるにしても、決して心底癒されるということは
ないでしょう。

では、どうして実際に癒されるのか?その訳を考えて行くとまず、カフカの小説が生前
には認められなかったとは言え、その死後には、彼が20世紀を代表する重要な
小説家の一人であると評価されていることが、挙げられます。

つまり、彼がどれほど自分を無能呼ばわりしても、実は素晴らしい実績を残した人で
あり、たとえそのような優れた人でも実人生には夥しい報われないこともあり、マイナス
思考に陥ることもあるという、彼の人生に対する共感です。

なるほどそのような要素は、あるに違いありません。しかし決してそれだけではなく、
もっと深い要因があるように私には思われます。そしてその部分を探って行くと、カフカ
がどれほど自分自身や人生に絶望していても、自らをその状況に追い込む原因と
なっている思考や価値観に、絶対の確信を持っていることが挙げられると感じます。

それは当時の社会通念や常識に沿うものではありませんが、彼は絶対に自分の筋を
曲げません。彼は、社会的地位を求めません。ひたすら孤独と向き合い、内面生活を
描写することに心身を削る思いで取り組みます。

その結果、異性関係を含む親しい人間関係に軋轢を生み出しますが、自分自身では
それを少しでも良い方向に持って行こうと、あくまで誠実に必死に生きています。その
ような姿が、彼の手紙や日記の行間に見えます。

実際に、彼が文中ではどれだけ友人や女性関係の絶望を訴えていても、彼の死後、
彼の文学の顕彰に取り組んでくれた親友がおり、婚約を破棄されても、彼を終生想い
続けた女性がいたのです。

彼のそのような生き方が、彼の絶望の言葉にも宿り、現在人生に絶望している人に
癒しをもたらすのではないか?本書を読んでかえって次は、彼の小説が読みたくなり
ました。

2020年4月20日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1783を読んで

2020年4月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1783では
文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの『神話と意味』から、次のことばが取り上げ
られています。

   人間のもつ多様な知的能力をすべて同時に開
   発することはできません。・・・・・どの部分を用
   いるかは文化によって異なります。

なるほど、民族、生活環境の違いによるそれぞれの特性の相違は、多分に上記のことば
のような要素から生まれているのでしょう。そういわれれば、腑に落ちる気がします。

アフリカで誕生した人類は、そこにとどまるもの、そこを離れ、それぞれに地球上の様々
な土地を巡って定住の地を定める過程で、自身の知的能力の可能性から、最も適した
能力に磨きをかけて、現在の容貌、気質、国民性などを獲得したのでしょう。

そのように考えると、国際関係においても、世界の各国民が互いを完全に理解すること
は難しくても、いずれはそれぞれの長所を尊重し、短所を補完し合う関係を築くことが
出来る可能性があるようにも、感じられます。いや少なくとも、どの民族が優れていて、
どの民族が劣っているという、不毛な議論から解放されることは出来るでしょう。

また、一つの民族、一国の国民の中でも、地位や職業、経済状態の違いによって互いに
優劣を付けるという評価基準も、上記の考え方に従えば、あまり意味がないと思われて
来るに違いありません。

人間という本来知的で、柔軟な思考力、適応力を持つ存在の未来への可能性は、無限
にあると信じたくなる、ことばです。

2020年4月16日木曜日

高階秀爾「美の季想 ふたつのひなげし」を読んで

2020年4月7日付け朝日新聞夕刊、「美の季想」では、美術評論家高階秀爾が「ふたつ
のひなげし」と題して、画家クロード・モネと歌人与謝野晶子のそれにちなむそれぞれの
作品を比較、考察した、印象的なエッセイを載せています。

まず、モネが同じく彼の作品で、センセーションを巻き起こした、「印象・日の出」と同時
に第1回グループ展に出品した「ひなげし」は、冬の陰鬱さから一変して、春の訪れと共
に陽光あふれる田園の緑の野に咲き乱れる真紅のひなげしを、彼の愛する妻子と一緒
に描いて、春の華やぎを余すところなく描き出す絵であると、語ります。

次にそれから約40年後、コクリコ(ひなげし)の咲くころのフランスに、居ても立っても
たまらず、愛する夫与謝野鉄幹を追って訪れた晶子が、彼女の作品の中でも高名な歌
-ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも
雛罌粟(コクリコ)-を熱唱したことを語り、高階は二つの作品に同じ心の高揚を感じ
取った、と結んでいます。

時代を40年も隔て、男と女、フランス人と日本人と、性別、人種、文化的背景も違い、おま
けに、絵画と詩歌というように表現手段も相違していながら、二人の優れた芸術家が目
の前に広がる情景を共有することによって、同時に同じような感情の高ぶりを抱いて、
あい重なる主題の下に優れた作品を創造したということは、時代や洋の東西を問わぬ、
美の普遍性を指示してくれているようで、私はまさに両作品の創作現場に立ち会ったよう
な深い感動を覚えました。

芸術の秘密に触れるような珠玉の文章に、久々に巡り合った気がしました。

2020年4月13日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1775を読んで

2020年4月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1775では
スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』より、次のことばが取り上げ
られています。

   高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によ
   って計られる

もし高貴さの意味するところが、世俗的な尺度である身分の高さや裕福さでないなら、
確かにオルテガのこのことばは、至言であるでしょう。

このような高貴さは、私の経験からすると、必ずしも世俗的な尺度に対応するとは
限らないように、感じられます。

いやそれどころか、生まれつき身分が高かったり、急速に富を蓄え、成り上がった人
が、上記のような高貴な心を持つことは、そうでない人よりハードルが高いとも、想像
されます。なぜならそのような人は、自らの持つ権力や影響力によって、このような
要求と義務を免れることも出来る、と思われるからです。

だから逆に、世俗的に高貴な人が、心の持ち方においても高貴であれば、その人は、
真に尊敬に値する人でしょう。このような人は、社会的にも大きな影響力を及ぼすに
違いありません。

さて私たち名もなき市井の人間は、社会から課される要求ではなしに、自ら自発的に
自分に課する要求と義務を、決めることが出来るでしょうし、それを高く保つことが
自らの矜持になれば、周りの人々はごく自然に、その人に精神的高貴さを感じること
になると、思われます。

そのような人に出会う度に、私も少しでも近づければと、思います。

2020年4月9日木曜日

堀田善衛著「方丈記私記」ちくま文庫を読んで

方丈記というと私は、平安時代の終末期の天災、人災に人々が翻弄される都から
逃れ出て、小さな庵に籠り世の無常を嘆く、一人の風流人を思い浮かべます。
そしてここに描かれる無常観が、日本人の感性の一つを象徴するものであるとして、
現代に至るまで広く認識されて来ました。

しかし堀田善衛は、第二次世界大戦中の過酷な空襲体験の中で、方丈記を再読
することによって、長明が単に世の災いを嘆き傍観する趣味人ではなく、ラジカルな
視点で世を見据え、自立的に生きた能動的な意志の人であったと、再発見します。
本書では、正にそういう作家像を前提に、方丈記が読み解かれて行きます。

まず私が本書を読んで最初に印象に残ったのは、方丈記文中の大火、地震、大風、
飢饉に対して、悲惨な状況を出来るだけ正確を期して描こうとした長明の執筆姿勢
で、堀田は、彼が好奇心旺盛で、わざわざ現場まで行って、確認してからでないと
描けない人であったに違いないと、推測しています。

最近では、方丈記の災害の記述は客観的で正確であり、今日の防災の観点からも
参考になると評価されているので、50年近く前の堀田の指摘は、的を射たもので
あったことが分かります。

次に感銘を受けたのは、長明が神官職の家の次男に生まれ、詩歌、音曲の才に
長けながら、持ち前の我の強さとはみ出し精神で、とうとう神官の職には就けな
かったところで、宮廷の貴族社会の中での身の処し方に彼がなじめなかったこと、
また当時の親族間で殺人が行われるほどの官職を得ることの難しさなど、彼が
隠棲する背景を記する部分では、方丈記の成立過程を説得力を持って解き明か
していると、感じました。

最後にこのことが、堀田にとって一番訴えたかったことであると、私には思われ
ますが、長明が歌人としての才能により、貴族ではないにも拘わらず和歌所寄人
(わかどころよりゅうど)に任じられながら、藤原定家に代表される前例を踏襲する
抽象的な歌を善とせず、次第に歌人の世界の主流から外れて行くところで、自ら
の美意識に忠実で、大勢に流されない長明の生き方に、時空を超えて第二次大戦
後の荒廃から如何に生きるべきかを模索する堀田が、シンパシーを感じる部分に
は、私も共感を覚えました。

2020年4月6日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1762を読んで

2020年3月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1762では
哲学者アンリ・ベルクソンの『時間と自由』から、次のことばが取り上げられています。

  それらの物事は私と同じく生きてきたし、私
  と同じく老いたのだ。

少年時代に過ごした町を久しぶりに訪れると、外見上は根本的には変化していない
にも拘わらず、その印象があまりにも変わっていて、驚かされたことがあります。

例を挙げると、その頃暮らした家はあまりにも小さく、その家の前の道はあまりにも
道幅が狭いのでした。勿論この印象の大きな違いの主な要因は、私の身長がその
頃に比べて格段に高くなって、視点が上方に据えられたために、目の前のものを
見る感覚が変わった、ということでしょう。

でも単にそれだけでは説明出来ない要素も、確実にあります。かつてその場所で
実際に体験した私の喜怒哀楽、それに伴うものの考え方も、人生経験の中で中和
され、あるいは純粋な部分が磨滅させられて、あの頃の実在感が失われたために、
家や道が輝きを失い、小さな存在になってしまったというような。

同様に、私がかつてある出来事によって味わった感情の動きも、今改めて振り返っ
てみる時、必ず現在のものの感じ方を加味して、その体験を回顧することに、なる
のでしょう。

例えば、正義感に駆られて激しく憤ったことが、大人げなく感じられたり、すごく感激
したり、満ち足りた気分に浸ることが出来たことが、うらやましく感じられたりする、と
いうように。

これらの現実は、上記のことばでベルクソンが語るように、かつての体験も私自身
と同じように年老いた、ということを現していることになるのでしょう。人が歳を重ね
ることは、結局肉体の変化だけではなく、それまでの体験も血肉化する、ということ
なのでしょう。

2020年4月2日木曜日

「あのとき 2112 ドラえもん誕生」を読んで

2020年3月28日付け朝日新聞朝刊、時代を象徴した「ことば」への思いをつづる
「あのとき」では、朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長・前田安正が
「2112 ドラえもん誕生」と題してエッセイを記しています。

その中で筆者は、のび太の孫の孫のセワシが、子孫を窮地に追い込む、何を
してもだめなのび太の運命を変えるために、22世紀の未来からネコ型ロボット
ドラえもんを送り込むが、その時のび太の「未来が変われば、君は生まれて
こないんじゃないか」という問いかけに対して、「方向さえ同じなら、歴史の流れ
が変わっても、必ず僕らは生まれてくる」と答えた、セワシのことばが心にしみた
と、語っています。

つまり、「失敗、遠回りはいとわない。目指す方向さえ定めていれば、やがて
望みはかなえられる」と、自分にとっての応援メッセージに聞こえた、というので
す。

この記述を読んで私は、自分でも漠然と感じていた、ドラえもんの物語があんな
に多くの子供を惹きつける、秘密の核心に触れたように感じました。

つまり、のび太が劣等生で、何をしてもダメな子だからこそ、ドラえもんが彼を
助ける意味があり、そのドラえもん自身も決して完全ではないので、のび太に
とっては問題がうまく解決する訳ではないけれど、その過程を通して彼は少し
づつ人間的に成長出来るということです。

更には、のび太のような子でも、精一杯試行錯誤を続ければ、いつかは希望に
巡り合えるということを、作者がドラえもんという存在を介して語りかけている
からこそ、その姿を見る子供たちは好ましく感じるのではないでしょうか。

私も筆者のことばに接して、遅ればせながらドラえもんの物語に、勇気をもらう
心地がしました。

2020年3月30日月曜日

福田美術館「若冲誕生ー葛藤の向こうがわ」を観て

本展開催に合わせて、嵐山に行きました。桜も開花し始めて、コロナ禍の自粛ムード
の中、着物姿も含め、若い人を中心にかなりの人出がありました。東京、大阪に比べ
てこちらでは、まだ楽観ムードがあるのかも知れません。しかし、その後京都でも
大学生の複数感染が伝えられて、この感染症への警戒心は、徐々に高まって行くと
思われます。

この美術館のコロナウイルス感染対策は、発熱がある場合には入場出来ないのは
無論、マスクの着用の義務付けと、チケット購入時に、万一感染者発生の時に連絡を
取れるようにするために、住所、氏名、電話番号を書くことを求められたことです。
また併設のカフェは営業を休止していますが、入場者は中に入り、休憩することは
出来ます。

さて、この展覧会は、伊藤若冲の初期の作品で、初公開作品でもある、「蕪に双鶏図」
をメイン展示品に据えて、京都錦小路の青物問屋の主人であった30代の彼が、家業と
絵のどちらを選ぶか苦悩する中で、彼の画才を見抜いた禅僧や支援者に精神的に
支えられて、絵画の道に専念する様子を、初期から晩年までの作品で跡付け、同時に
彼の画業に影響を与えた禅僧や画家の作品、更には彼と同時代に活躍した画家たち
の作品を展示することによって、当時の画壇の活況を示すものです。

まず「蕪に双鶏図」は、上述のように画家に専念する前の作品、まだ硬いころは見
受けられますが、黄檗宗絵画の影響を受けた鮮やかな色遣い、蕪の葉の虫食い跡
まで表現する鋭い観察眼と、彼特有のち密な描写が相まって、すでに後の若冲の
絵画の発展を想起させます。

またその他では、彼の珍しい仏画の端正さや、鹿や鶏の構図の大胆さ、動きを表す
描写の巧みさ、寒山拾得や子犬のたたえるユーモアなど、水墨画の多様な表現が目
を惹きました。

円山応挙、池大雅、曽我蕭白、長沢蘆雪など、同時代の画家たちの作品も秀作が揃い、
すっかり満足して、会場を後にしました。

2020年3月26日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1757を読んで

2020年3月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1757では
作家三島由紀夫の『文章読本』から、次のことばが取り上げられています。

   昔の人は本のなかをじっくり自分の足で歩い
   たのです。

私自身随分遅読で、我ながら本を読んでいてうんざりとすることがあります。でも、
実際に本の文章から前後の脈絡を吟味して、行きつ戻りつし、あるいは一つの単語
に引っかかって前の文章に戻り、更には、その文章に表現された筋の上の展開の
意味が十分に理解出来なくて、1頁前をもう一度参照するなど、読み進めるには
かなり時間を要します。

そしてそのような読み方をしないと、本を読んだ気がしないのです。勿論、このような
遅々とした読書をしても、完全にその本を理解できた訳ではなく、しばらく時間が経つ
と細部は忘れてしまいます。でもこのような読み方をしたら、何かが自分の脳内に
染み入ったように思えるのです。

本当は、気に入った本でももっと早い速度で読んで、しかも何回も読むのがいいの
かも知れませ。でも私は、同じ本を繰り返し読むのが好きではないので、結果的にこの
ような読書法になってしまうのでしょう。

だから上記の文豪三島由紀夫のことばに、私は意を強くしました。こういう読書法には、
幾ばくか以上の意味がある。何かの拍子に昔読んだ本の内容、あるいはそこから導き
出された思いが立ち上がって来て、私に示唆を与えてくれたり、逆境の時に励まして
くれるのは、このような読書の功徳に違いない。

そう思い込んでいるからこそ、私は現代のようなスピードと効率優先の社会環境で、
あえて時代遅れの読書法を続けているのでしょう。だから当然、電子書籍に切り替える
つもりはありませんし、どこかでせかされる気がする、図書館で借りた本を読むことも
苦手です。

まだまだ時間の無駄遣いを続ける覚悟です。

2020年3月23日月曜日

加藤典洋著「9条入門」を読んで

先般亡くなった文芸評論家の著者のライフワークである、憲法九条誕生を巡る集大成
となるべきであった論考です。

著者が急逝したために、本書で解き明かされた九条の成り立ちを受けて、我々日本
国民がこれからどのように憲法と向き合って行くべきかについての、著者の考えの
表明にまで至っていないことは誠に残念ですが、誕生当時の世界情勢を鑑みても
理想的に過ぎると評される九条がなぜ生まれたかを知ることによって、私たち日本人
の築いて来た戦後社会を再解釈出来ることは貴重です。

さて本書によりますと、GHQ草案の戦争の一方的放棄の内容を含む九条を被占領下
の日本政府が受け入れたのは、ひとえに戦争犯罪を問う東京裁判の開廷が迫る中
で、昭和天皇が戦争責任を問われることを免れるためであったといいます。

そのため九条は、象徴天皇制を明記する一条とセットで示され、政府は国体護持を
優先して受け入れたといいます。

他方、GHQ最高司令官マッカーサーは、日本での他の戦勝連合国の影響力を小さく
して、アメリカに有利な占領政策を推し進めるために、いち早く日本に新憲法を制定
させ、まだ国民に強い影響力がある昭和天皇を利用しようとして、上記の草案を日本
政府に示したといいます。

またマッカーサー自身の次期アメリカ大統領選挙への野心から、この憲法に理想主義
的な条項を織り込もうとしたといいます。

また一方、現実主義的ではない憲法を提示された日本国民は、戦争の惨禍に打ち
のめされていたこともあり、更には戦前の天皇制から抜け落ちた、天皇の神性の空白
を代わりに埋める役割を担うものとして、この理想的平和主義を熱狂的に受け入れた
といいます。

そのような経緯で、新憲法は日本国民に支持されるようになりましたが、国際情勢は
冷戦の激化へと進み、憲法九条の戦争放棄と現実に折り合いをつけるために、
自衛隊が創出され、日米安全保障条約が締結されました。

このように見て行くと、今日我が国を巡る諸問題、政治、軍事的にアメリカに過度に
依存的であること、沖縄の基地問題、旧被占領地の東アジア諸国との国際関係の
問題、押し付けであるとしての憲法改正の問題、象徴天皇制の問題など、多くの問題
が新憲法制定に端を発することが分かります。

これからの憲法の在り方を的確に検証する能力を有すると思われる著者の、早過ぎる
死を惜しみたいと思います。

2020年3月20日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1749を読んで

2020年3月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1749では
笑い飯・哲夫との共著『みんな、忙しすぎませんかね?』から、僧侶・釈撤宗の次の
ことばが取り上げられています。

   先に体に浸み込んでるものの扉が後で開くよ
   うな発見の喜びってありますよね。

私たち人間が社会的な存在である以上、文化や宗教にかかわることが、我々が
自覚的に身に付ける以前から心身に浸み込んでいて、上記のことばのように後に
ふとその意味に気づかされるということは、往々にあるように感じます。

例えば宗教に関することでは、このコラムにも例示されているように、仏前、神前で
の合掌は、私たちは幼い頃に見よう見真似で覚えて、それからは慣習的にそのような
場では手を合わせて来たけれど、ある時何かのことが大変ありがたいと感じた時に、
無意識に合掌している自分に気づいて、ああ、手を合わせるということはこういうこと
なのか、と合点がいく経験などがあります。

合掌の意味に気づいたこのような時には、それを教えてくれた祖父母、両親などが
誠心から孫子の幸せを願って、そのような教えを与えてくれたことに、改めて感謝
したくなります。

同様に、「正直であること」「もったいない」「人を思いやる」などの倫理的な徳目も、
それを習った時には実際の意味は理解できず、経験を通して次第に本当の意味が
分かるようになるということは、しばしばあるように思われます。

これらの経験が、その人の人間性を育むということは、間違いないでしょう。しかし
近年では、核家族化や子供の多忙さ、合理主義的なものの考え方が、このような
気づきに先立つ教えの機会を、少なくしているように感じられるのは、残念なこと
です。

2020年3月16日月曜日

泉屋博古館「モネからはじまる 住友洋画物語」を観て

新型コロナウイルス禍により、各地の美術館、博物館で、展覧会の延期、中止が
相次ぐ中で、この会場の企画展は予定通り開催されたので、早速行って来ました。

元々京都市街の東端、東山連峰の樹木の緑にもほど近い、閑静な住宅地に位置
し、建物自体も広い敷地の中に余裕を持ってレイアウトされた、主に住友家の個人
コレクションを中心に展観する展示施設で、いつ訪れても適度の人数の鑑賞者が
静かに展示作品に見入っているというイメージがあるので、今回のような騒動の
折も、抵抗感なく訪れることが出来ました。

さて本展は、開館60周年記念名品展と題して、文明開化以降の住友家の近代化、
繁栄に力を尽くした、第15代当主・住友吉左衛門友純とその長男寛一、弟の第16
代当主友成が蒐集した、洋画44点を展観する展覧会です。

まずそのコレクションは、友純が明治30年に欧米視察を行った折に、パリで購入
した2点のモネ作品から始まり、この視察で日本の産業の近代化と同時に文化
芸術の振興の必要性を痛感した彼が、黎明期の洋画家浅井忠、鹿子木孟郎、
黒田清輝などを支援し、彼らのアドバイスにより、あるいは、つながりのある画家
たちの作品を購入することによって、形成されて行ったということです。

それゆえ、友純の絵画蒐集には、西洋の優れた作品を日本に紹介するという側面
と、日本の西洋画を振興するために、上記の黎明期の画家たちや、それに続く
青年画家たちの作品を購入するという側面があったようです。


彼のコレクション作品では、最初のモネの2点は勿論、ジャン=ポール・ローランス
の歴史画の大作、ギョーム・セニャックの魅力的な女神像、他方浅井の水彩作品
や鹿子木の大作、藤島武二の女性像が印象的でした。


寛一は岸田劉生と親交が深く、個性的な劉生の麗子像などが、ひときわ異彩を放っ
ていました。他方友成の収集品は、ブラマンク、ルオー、ルノアール、シャガール
など、小品ながら味わい深いものが多く、また私が今まで知らなかった日本人画家
の作品も、じっくりと観ると内からその良さがにじみ出てくるような佳品が、見受け
られました。


全体を観て、単にコレクター個人の鑑賞のためということではなく、日本に洋画文化
を根付かせたいという使命感や、芸術に対する真摯な想い、節度ある鑑賞姿勢が
伝わってくるような、爽やかさを感じました。

2020年3月13日金曜日

多和田葉子著「献灯使」講談社文庫を読んで

東日本大震災をイメージさせる、大災厄後の日本を舞台にした短編集です。全米
図書賞受賞の表題作「献灯使」が質、分量ともにメインの作品で、圧倒的なイマジ
ネーション力で読者を非現実の世界に誘います。

しかし現実ではないと言っても、それは現実の表層の皮を剥いだすぐ下に存在する
ようなパラレルワールドです。だから読者はあり得ないと思いながら、同時にある
意味リアリティーを感じて、作品世界に引き込まれて行きます。

まずこの特異な世界の特徴は、100歳を超える老人が肉体的にも、精神的にも、
衰えを知らず元気であることです。そのために、彼らが社会の中で生活の担い手と
なっています。

主要登場人物の義郎はそのような存在で、曾孫無名を養っていますが、この設定
は現実にはあり得ないと思われながら、イメージとして現在の日本社会が抱える
問題を、誇張したような作りです。

つまり、少し前まで我々の社会では、無病息災、不老長寿が大多数の人にとって
の人生の理想でした。しかし今日の医療技術の発達、栄養状態の向上は、人々に
想定以上の寿命延長をもたらしました。そのために現在では、自分が想像以上に
長生きしていることに戸惑う老人が増え、また認知症、高齢者介護という、新たな
問題が生じて来ています。

つまり、義郎の生活上の問題は、現代社会の老人問題が更に亢進した状態を、示し
ているとも言えます。

他方、彼に養育される無名が、健康がすぐれず、生きる能力に乏しいということは、
義郎の場合と同様に、現在の少子化を象徴しているのではないでしょうか?現代の
私たちの社会は、若い人々が安心して子供を産めない環境に、なって来ています。
その行き着く先として、生活に適応出来ない子供が、イメージされているのでしょう。
更には、老人が曾孫を養育するという設定は、家庭内の世代間断絶を表しているの
かも知れません。

さて、滅び行く子供たちの希望の星として、「献灯使」に選ばれた無名が、残念ながら
目的を果たせず本作は終わりますが、義郎をはじめ献身的に病弱な無名を支える
温かい人々の存在、また生きる能力が乏しいにも関わらず、自らに課された使命を
懸命に果たそうとする彼の意志に、私は未来への希望を見る思いがしました。

2020年3月11日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1746を読んで

2020年3月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1746では
作家、水墨画家・砥上裕將の小説『線は、僕を描く』から、次のことばが取り上げられ
ています。

   失敗することだって当たり前のように許され
   たら、おもしろいだろ?

日本の社会は、村社会の延長のようであって、元来から失敗が許されにくい社会で
あったと思います。つまり構成員の行動が周囲から監視され、また個々の構成員も
周囲の目を気にして、社会集団、家族における上下関係の倫理や、行動規範を守る
ことが絶対の価値であると、考えられているような。

それゆえ私が若い時にも、勿論自分の性格もありますが、何にしても周囲の顔色を
伺い、失敗を恐れるという窮屈さに行動を縛られていた、と思い起こします。

無論今となっては、若さの特権でそんなことを気にしないで、もっと自由に振舞い、
やりたいことをやっておけば良かった、と後悔の念を持って思い返すのですが。

しかし現代のこの国の社会を見ていると、失敗をしてはいけない、道を踏み外しては
いけない、というような雰囲気、気分が、更に充満しているように感じられます。

社会が成熟することによって生活環境が固定化して、一度正規のルートを外れる
ともはや元には戻れないというような危機感、あるいは情報化社会になってSNSでの
交流が盛んになり、格段に便利になった代わりに、かえって互いが監視し合っている
ような実体のない窮屈さに、囚われているといった。

上から押さえつけるような倫理観や社会規範は、随分軽減されたと思われるので、
若い人がのびのびと振舞える環境を、今の社会の中心を担う者たちが整えるように
心がけ、また若い人も、はっきりとした人生の目標を持って、周囲に影響されないで
自分の力をのびのびと発揮することが出来るようになれば、この社会も随分風通しが
良くなると思うのですが、実現はなかなか難しいのでしょう。

2020年3月9日月曜日

京都高島屋7階グランドホール「竹久夢二展」を観て

新型コロナウイルスの流行によって、美術展覧会の中止が相次ぐ中で、まだかろ
うじて開催されている、上記の展覧会を観て来ました。

夢二の絵画は口当たりがよく、大衆的人気があるだけに、かつての美術界では
ともすれば、毀誉褒貶にさらされることもあったようですが、今日のアートの境界
が薄れた時代には、後世にも十分に通用する独自の美人画様式を生み出した、
卓越した芸術家であると感じさせられます。

夢二というとまず、細い身体にS字ラインを有し、目、手足が大きく描かれた、情趣
たっぷりのはかなげな女性を思い浮かべますが、本展を観ると一口に美人画と
いっても、複合的な魅力の要素を含んでいることに気づかされました。

まず一つは彼の女性への憧憬の現れで、母への思慕に始まり、最初の妻、愛し
ながらも年若くで死別することになった女性、絵のモデルから恋愛関係になった
女性と、彼は女性遍歴を重ねる中で、永遠のあこがれとしての女性像を創り出し
たと思われます。

次に彼の有する幼いもの、か弱いものへの共感の情です。彼はいたいけな子供
や女性を含む社会的立場の弱い存在に温かい目を向け、その感情が彼の描く
絵に独特の情感を与えていると感じられます。

更には彼の絵画の、詩や物語を想起させるような文学的要素、私は今回後ろ姿
の女性の表現にそれを強く感じて、惹きつけられました。またそれとも関連して、
彼の歌舞伎や人形浄瑠璃といった日本の古典への素養と、江戸時代の浮世絵
や西洋画、中国文人画への幅広い興味が、彼の絵に奥行きを与えていると感じ
ました。

最後に本展には、彼が滞米中に描いた2枚の油彩画が展示されていることからも
分かるように、彼は常に新しい表現を求め、また自らの作品が広く世間に親しまれ
ることを志向して、本の装丁、日用品のデザインなども行うというふうに、時代を
先取りした総合的な創作活動を行ったことを知り、私は夢二に対して一元的な見方
しか出来ていなかったことに、改めて気づかされました。

当初予想していた以上に、深みのある展覧会でした。

2020年3月7日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1734を読んで

2020年2月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1734では
元書店員・矢部潤子の『本を売る技術』から、次のことばが取り上げられています。

   走っているからこそ考える、手や足を動かし
   ているからこそ思い付くのかも知れない。

インターネットの普及やSNSの浸透、更には電子書籍の登場によって、紙の書籍
の売れ行き不振が言われて久しく、追い打ちをかけるように書籍のネット通販が
脅威となって、既存の書店の多くが存続することに危機感を持つ今日、そうした
書店を訪れると、熱心な書店員が本を如何にして売るかということに腐心して
いる様子が、手に取るように分かる気がします。上記のことばの発信者も、その
ような一人だったのでしょう。

しかし何も書店員に限らず、訪れるお客さんに商品を提供する店に携わる者には
誰しも当てはまる、いやそういう感覚を持つべきであると、私は思いました。

日々の接客の中で、お客さんの要望を聞き取り、あるいは様子から感じ取り、その
情報を品揃えや接客態度に反映させる。また常にウインドウの装飾や商品の陳列
具合に目を行き届かせ、店の清潔さに気を配る。そういうことを目まぐるしく繰り返し
ていると、自然に気づくことがある。こういう気づきは、その店がこれからも存続して
行くために大切な要素を、多く含んでいると思います。

私も長年この仕事に携わる中で、店の営業中にはこういう心構えで過ごすことに
慣れてしまっていて、たとえ暇な時でも、なかなかじっくりと一つのことを集中して考
えることが出来ません。勢い、熟考するのは店の営業終了後になるのですが、それ
にしても、身に着いたさが、いざ考えようと思っても簡単にそういう意識のモードには
なれず、かえってトイレや風呂でほっとした時、朝目覚めた時など、思わぬところで
アイデアが浮かぶものです。つくづく貧乏性なのでしょう。

2020年3月5日木曜日

佐々木閑「現代のことば 生き方と死に方」を読んで

2020年2月12日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、インド仏教学専攻の花園
大学・佐々木閑教授が、「生き方と死に方」と題して、自ら親交があった禅僧・西村
古珠師の死について語っています。

西村師は、檀家がほとんどない寺に住職として入り、それ以来、一年三六五日、
一日も欠かさず毎朝、坐禅の会を続け、その人柄に惚れてファンがどんどん増え、
その中で癌を患って余命を宣告されてからも笑顔を絶やさず、病が悪化し、激しい
痛みで苦しみながらも坐禅の会は決して欠かさず、最後は病院で痛み止めの処置
を受けて坐禅をしたまま、57歳で亡くなった、といいます。そして檀家のほとんど
ない寺の葬式なのに、当日は境内に入りきれないほどの人がお悔やみに訪れた
そうです。

このエピソードにちなんで筆者は、生きることと死ぬことには大きな違いがあって、
生きることは日々を繰り返す道筋を指し、死ぬことはそれが突然に遮断される
ゴールを指す。自分の葬儀の方法や、墓の建て方ばかり心配する人がいるが、
それはゴールばかりを気にして、本来大切な道筋をおろそかにしていることで
ある。日々の道筋を一生懸命、誠実に過ごすことによって、ゴールは自ずと光り
輝くものである、と説きます。

確かに私たちは、ともすれば日々の生活を当たり前のことと考えて、将来のことを
色々思い描いたり、憂えたりしがちです。さすがに私は、自分の葬式の心配までは
しませんが、経験上先のことを想像しだすと、だんだん不安になって来て、悲観的
な考え方に陥りやすいように感じます。

だから出来るだけ先のことは考えず、日常を充実したものにすべく、目の前のこと
に集中しようと思うのですが、そこが曲者、ついつい先のことを考えさせられてしまう、
情報や出来事が事欠かず訪れてくるので、注意は将来に向けられてしまいがちです。

これでは、堂々巡り。やはりもう少し心の鍛錬が、必要なのかもしれません。

2020年3月2日月曜日

「おしゃれ 立ち止まり考える今」を読んで

2020年2月10日付け朝日新聞夕刊では、上記のテーマで甲南女子大学の米澤泉
教授とファッション誌編集者、軍地彩弓さんが、現代の若者のファッション指向に
ついて語っています。無論洋装が念頭にあるのですが、和装にも通じると感じられ
たので、私も興味深く読みました。

二人の論を要約すると、最近の学生はファッションや化粧への関心が低い。着飾る
ことや、体に窮屈なものは遠ざける傾向にあり、今は快適に生活することの方が
優先されている。社会がカジュアル化して週末のお出かけがなくなり、儀式、葬式
の簡略化で式服も不要となるなど、TPOの消失も大きい。

また、スマホの普及によって、流行の作り方や雑誌の役割が変わるなど、ファッショ
ン誌も変化した。以前は雑誌が新しい価値観を提供して読者をあおった部分もあっ
たが、今は夢を与えるのではなくハウツーを教えるものになっている。これまでと逆
に、メディアが読者を追いかけるようになった。

更には、若い世代は現実のものに執着しない。自分が価値を見出すものであれば、
仮想のものに率先して代価を支払う。持つことが悪という意識が生まれている。

しかし一方、最近若い世代が、信条や思想が一貫しているブランドである、日本の
ヨウジヤマモト、イッセイミヤケ、コムデギャルソンに、改めて興味を抱いていること
からも推察されるように、人とな何か、着るとは何かという根源的な問いがなされて
いるのではないか。つまり、ファッションが嫌いになったわけではなく、本質的な
ところに戻りつつある、と思われる。それゆえに若者たちが、時代に関係なくいい
ものはいいと受け入れるようになり、同時に環境意識や正しさに賢く帰結していけ
ば、新たなファッション界の隆盛が訪れるかもしれない。

以上です。多少楽観的な結論になっていて、現実がそのようにうまく運ぶかは甚だ
疑問ですが、若者の嗜好、購買行動などには、なるほどとうなずける部分が多いと
感じました。

翻って、一定以下の世代での和装離が言われだしてからもかなりの年月が経過し、
もはやほぼ全世代で和装離れが進んでいますが、確かに若い人たちの中に伝統的
な価値観に興味を持つ人も生まれて来ています。我々和装業に携わる者が、そう
いう人々が失望しないように導いて行くことも、私たちの大切な役割だと思います。

2020年2月28日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1723を読んで

2020年2月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1723では
臨床心理士・東畑開人による、同紙東京本社版1月22日付け夕刊の寄稿「大佛次郎
論壇賞を受賞して」から、次のことばが取り上げられています。

   誰かに依存していることを忘れるほどに依存
   できている状態が自立である

人間は社会的存在である以上、自立的に生きているといっても、それは周りの多く
の人の助けによって生かされていることであることは、客観的に見れば間違いの
ないことでしょう。

しかし我々は、得てして自分一人で上手くやっていると、考えがちなものです。私など
もまだ若く、某企業に勤めていた時に、エリア営業に回された最初の一年間、大変な
好成績を収めて有頂天になったことを、含羞と共に思い出します。

後から分かったその訳をいうと、新人に好成績を上げさせて自信を与えるために、
他の先輩社員がそれぞれ、支店に割り振られた営業ノルマを余分に分担して、私の
ノルマを低く抑えてくだっさていたおかげで、私が好成績を収めることが出来た、という
ことでした。

それをついぞ知らない私は、自分の好成績をかさに着て、当時周囲の先輩たちに
随分生意気なことを言っていたことを、今更ながら申し訳なく思います。でもその
事実を後に知ったおかげで、多少は周りの人の恩恵に、自覚的になれたのかも知れ
ません。

また、一昨年まで母の介護を自宅で続けて来た中で、母が体調が安定して、機嫌よく
してくれていることが、私の一番の心の慰めでしたが、調子のいい時の母は、周囲へ
の感謝を述べながらも、介護している私たちにあまり手間を掛けさせていないという
ことが、ひそかな自慢のようでした。

このような場面では、母が自立的に暮らしていると実感出来ることが、私の喜びでも
あったと、今は感じます。

2020年2月26日水曜日

頭木弘樹著「絶望読書」河出文庫を読んで

著者の頭木弘樹については予備知識がなく、本書の書名に惹かれて手に取ったので、
私はこの本に何か自分を痛めつけるような、被虐的な要素を求めていたところがあった
と感じます。

しかし実際に読むと、そのような邪な期待は見事に外れて、本書は絶望する人に福音
をもたらす可能性のある、あるいは現状は絶望していなくても、将来は絶望するかも
知れない人、つまり全ての人間に、生きる指針を与えてくれる可能性のある、慈愛に
満ちた書であることが分かります。

この本は、第一部―絶望の「時」をどう過ごすか?―、第二部―さまざまな絶望に、
それぞれの物語を!―の二部構成で、第一部は、絶望した時にその心の状態に相応
しい本を読むことの必要性を説きますが、ここで私が目を開かれたように感じたのは、
絶望した時には直ぐに回復することを目指すのではなくて、心が十分に整えらる時間
を待ってから回復に努めるべきであるということを、指摘する部分です。

現代社会に生きる私たちは、効率性や迅速さに高い価値を置くことから、何でも負の
状態にあるものは速やかに正の状態に戻すべきであると、考えがちです。しかし心と
いうものは、機械のように修理したら直ぐに元に戻るものではなくて、その傷を受け
入れ納得の上で癒しを求めるという、回復の準備期間が必要とされます。それを無理
に直そうとすると、後から絶望がぶり返すような強い後遺症に襲われることがある、と
本書は説きます。

そしてその絶望状態(回復の準備期間)に優しく寄り添ってくれるのが、絶望読書なの
です。

第二部では、絶望の種類別に相応しい文学、落語、映画、テレビドラマを解説付きで
挙げています。私はその中でも、著者自身も思い入れが強いと思われる、カフカの
日記、手紙の章が強く印象に残りました。

周知のように、後世にその文学的才能を高く評価されたカフカですが、生前はある
程度恵まれた生活環境にあったとはいえ、市井の普通の人間として暮らしたといい
ます。しかし内心は色々絶望を抱えていて、それらと折り合いを付けながら生きてい
ました。その日記、手紙に著された内心の声が、絶望に苦しむ人の救いになるといい
ます。

著者自らが若い頃に難病を患って、絶望の淵に立たされた経験が、その著す文章に
説得力を生み出すと共に、彼の同じく苦しみを抱える人を一人でも助けたいという心
の温かさが、この本の読後に爽やかな涼風を吹き抜けさせます。本書で紹介されて
いる、「絶望名人カフカの人生論」も読みたくなりました。

2020年2月24日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1722を読んで

2020年2月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1722では
経済学史家・堂目卓生の著書『アダム・スミス』から、次のことばが取り上げられてい
ます。

   経済を発展させるのは「弱い人」、あるいは
   私たちの中にある、「弱さ」である。

そう、今でこそ私たちは、経済というとすぐに、弱肉強食の新自由主義を連想します
が、本来の経済は、弱い立場の(困っている)人間がスムーズに欲求を充たす方法
を探る目的で、生まれたはずです。

私は大学の経済学部出身ですが、最初に習ったのは、需要と供給の法則、つまり
需要(人が求めるもの)の量と供給(人に提供するもの)の量は均衡する、という
経済の原則です。これは、人間の欲求に対して、必要な量のものを生産するため
の目安を導き出す方法、とも言えます。

私たちが商売をすることについても、父から聞かされてきたところによると、第二次
世界大戦の敗戦後、最初商う品物が極端に欠乏していて、配給でしか確保すること
が出来ず、配給を受けることが許可される商店は、住民の投票によって決定された
ということで、かつての得意先、ご近所の人々が、私たちの店に投票をしていただき、
商売を続けることが出来た、ということが本当に有難かった、ということでした。

人々が求める商品が極度に不足している中で、その品を取り次ぐ店として認めて
頂き、その貴重な商品を求める人々に出来るだけ公正に届けるという商行為が、
使命感のある仕事であったことが、想像されます。

あるいは経済が、人間の心の弱さ、猜疑心や虚栄心、嫉妬心などの思惑で動く
側面もあるでしょう。その一端は、地価や株式相場の異常な高騰、バブルの崩壊
などの狂騒的な現象に、現れています。

いずれにしても、人間とは本来弱い存在で、それゆえに私たちのような零細な店は、
原点に返って、真摯に謙虚に商売を営まなければならないと、改めて感じます。

2020年2月21日金曜日

原武史著「平成の終焉ー退位と天皇・皇后」岩波新書を読んで

天皇の生前退位が実現して、元号が平成から令和に代わりましたが、その時点で
振り返ると、同じ象徴天皇制と言っても、その前の昭和と平成で天皇のイメージが
大きく変化したにも関わらず、具体的にどの部分が変わったのかは、理解していな
かったことに気づきました。

本書は、2016年夏の平成天皇の退位の意向表明の「おことば」を起点として、昭和
から平成にかけて天皇制はいかに変化したか、を読み解く書です。

私自身のそれぞれの天皇に抱く印象から記すると、昭和天皇は象徴天皇になって
後も、戦前の君主としての天皇の影を色濃く引きずり、戦争で辛酸をなめた世代
には彼に対する複雑な感情があり、新左翼の学生、知識人は彼の糾弾を主張して
一定の支持を集めていました。天皇自身の立ち居振る舞いも、親しみやすさを指向
しながらなお、近寄りがたい雰囲気をまとっていたように感じられました。

それに対して平成天皇は、天皇、皇后夫妻がいつも行動を共にする仲睦ましさ、
子育てなど家庭生活も公開を辞さないざっくばらんさがあり、また被災地を訪問した
おりに、膝をかがめて被災者と同じ目線で相手を励ます謙虚さ、他者の心の痛み
に寄り添おうとする親和感がありました。

そのような前提の上で「おことば」に立ち返ると、平成天皇は、国民の象徴としての
天皇の存在の意味は、常に国民に寄り添い、その安寧と幸せを祈ることである、と
述べています。つまり自身の役目は、国民のために祈る宮中祭祀と全国津々浦々
を訪れて国民に直接触れることであり、高齢のためにその務めを果たすことに支障
を来たすゆえに交代したい、というものでした。

昭和天皇も宮中祭祀に熱心であったと聞きますが、その点は平成天皇も継承して
いるのでしょう。しかし本書を読むと、行幸啓(天皇、皇后、皇太子、皇太子妃の
外出)の性格は、昭和、平成両天皇で大きく違うことが分かります。

すなわち平成天皇、皇后は、被災地や老人ホーム、ハンセン病療養施設、水俣病
患者などの社会的弱者を積極的に慰問し、沖縄、長崎、広島、海外にも及ぶ
戦災地に、慰霊の旅を続けたのです。この象徴としての務めを自覚した献身的な
行動が、今日の平成天皇、皇后の多くの支持を集めるイメージを作ったのでしょう。

しかし同時に、この天皇の「おことば」は、実際の退位の経緯を見ると、天皇は国政
に関する権能を有しないという憲法の規定に、抵触する恐れがあります。そこにこそ
象徴天皇制の矛盾があると感じられます。