2022年9月30日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2413を読んで

2022年6月19日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」では 漫画家やなせたかしの『アンパンマンの遺書』から、次のことばが取り上げられています。    正義は或る日突然逆転する。    正義は信じがたい。 漫画家はアンパンマンの原点として、自らの軍隊生活と戦後の価値観の劇的な転換を体験して 感じた、上記のことばを挙げます。 確かに正義を振りかざす言説ほど、いかがわしいものはありません。例えば至近では、ウクラ イナ侵攻を巡るロシアのプーチン大統領の主張など。 あるいは、近頃のネットの言論では、ロシアのウクライナ侵略の原因として、ロシアの立場を 支持する物言いを初め、コロナワクチンを巡っても、陰謀論が渦巻いています。 私たちは何が正しく、何が間違っているか、冷静に客観的に判別する目を持つことが必要で しょう。そしてその際には、正義をかざすものはまず疑うべきでしょう。なぜなら、人は全能 の神ではなく、必ず誤るものだからです。 アンパンマンは完全無欠のヒーローではなく、敵役のバイキンマンも根っからの悪人ではあり ません。それ故にアンパンマンは闇雲に正義を振りかざすのではなく、弱い人に寄り添い、 ひもじい人には、パンで出来た自らの顔をちぎって与えるという自己犠牲を厭わないのでしょ う。 正義を疑うことは、今特に必要であると感じます。

2022年9月23日金曜日

浅羽道明著「星新一の思想 予見・冷笑・賢慮のひと」を読んで

我々の世代なら、誰もが通過儀礼のように体験したと感じられる、星新一のショートショート。そして、 最相葉月の初の本格的評伝「星新一 ー1001話をつくった人」で、作家自身が作品から与えるイメージ とはかなり違う、複雑な人生を生きた人であったことを知ったのでした。 しかし、それにしてもなお、今回初の本格的な作品論である本書を目の前にして、彼の諸作を系統立て て評論することが可能であるということに、驚きがありました。つまり、彼のショートショートは、 機知と意外性に富んだ設定、ストーリー展開で私たちを楽しませ、予想を超えた結末で期待を裏切り ませんが、読者にはおおむねそれぞれの作品が、完結した断片と受け取られるからです。 しかし本書を読み終えて、著者が星新一の夥しい作品群を総括して、現代の寓話と結論付けたことには、 納得させられるものがありました。これは著者の並外れた星新一愛と、精緻な作品の読み込みによって 初めて可能となったもので、その点には大いに敬意を表したいと思います。 またこのような星の作品評価が生まれる契機となったのは、作品発表から適宜な年月が経過したからと いうことも、忘れることが出来ません。なぜなら今日に至って、一見脈絡なく書き散らかされたように 見える作品たちが、現代を照らすずば抜けた予見性を有することが、明らかになったからです。 いわゆるインターネットの飛び交うIT社会の弊害、AI化の急激な進展に伴う人間疎外の問題、星の諸作 は今読むと、来るべき未来に警鐘を鳴らし、私たちが対処すべき課題を問いかけて来ます。その作品の 寓意性は、イソップ童話にも比して、人間の営為の核の普遍的なものを、浮かび上がらせているのでは ないでしょうか? こう考えると星新一には、父親の創業した製薬会社の社長を一時勤めながら、事業に失敗したという 負い目を感じさせる過去があり、作家になってからも、読者を飽きさせない商人的な資質を持ち続けた という本書の指摘から、彼の作品群は、読者の期待に応えたものの集積という側面があることが分かり ます。 つまり、星新一という卓越した理系の頭脳を有する人物が、読者の願望を集約したものとして創作した 夥しい諸作品が、結果として人間の普遍的なものを指し示すことになったという事実に、大変興味を 感じさせられました。 知的刺激に富む書でした。

2022年9月16日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2410を読んで

2022年6月16日付け朝日新聞朝刊、「「鷲田清一折々のことば」2410では 『伊勢物語』の最後に引かれる、歌人在原業平の次の歌が取り上げられています。    つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふ今    日とは思はざりしを これを現代語に訳すると、いつか最後に歩む道だとは前から聞いていたが、まさかそれが 昨日や今日だとは思いもしなかった、ということだそうです。 人は誰しも、必ず死を迎えるものですが、それがいつだかは分からない。しかしある日、 予期せぬ事故や病気を患い、思うように動けなくなったり、寝たきりになったり、そして 思いがけぬ時に、生が途絶えるということもままあるものです。 そういうことを、昔の人は無情と言ったのでしょうが、現代は医療技術の発達や社会環境 の安定によって、死というものが余計に見えにくくなって、それに伴い私たちも日常的に 意識することが少なくなって、その結果死を制御出来るもの、人生はある程度思い通りに 設計出来るもの、といった感覚を抱くようになっていると感じます。 しかし本質的に人間は生き物であって、死はいつ訪れるか分からない理不尽なもののはず です。私たちはその根本的な感覚を決して失わず、与えられた時間を精一杯生きるべきだ と思います。

2022年9月6日火曜日

ジョセフ・コンラッド著「ロード・ジム」を読んで

逞しく勇敢だが、筋を曲げることの出来ない、不器用な一人の男の行状を、壮大なスケールで描く 冒険譚です。 1900年前後に執筆された作品ですが、コンラッドは、小説家ではフィッツジェラルドやヘミング ウェイ、フォークナー、更にはエリオット、ジイド、ガルシア=マルケスなどに影響を与え、映画 界でもオーソン・ウェルズやヒッチコック、ワイダ、フランシス・コッポラといった錚々たる監督 が、彼に影響されて映画を制作したということで、本書を読んでも、以降の欧米の小説や映画の ヒーローの原型を見る思いがしました。 一般に物語のヒーローというものは、勇敢で屈強、勧善懲悪を貫く存在ではありますが、心に弱さ や闇を抱えているものです。それ故ストーリーに奥行きが生まれ、読者、観客は、その作品に感情 移入しやすくなります。本書の主人公ジムも、冒険者としての類まれな資質を持ちながら、極端に 自らの名誉を重んじるという性格によって、結局は破滅に導かれることになります。 その生涯は壮絶な悲劇とも言えますが、彼の生き方には一本真っ直ぐな筋が通っているという意味 で、読み終わった後に、読者は清々しい気分に包まれます。こういう読後感においても、この作品 は後続の先駆をなすと思われます。 さてこの小説のもう一つの魅力の柱は、冒険的場面の優れた情景描写です。インド洋から太平洋を 股にかける主人公の遍歴の中で、嵐を目前にして今まさに沈まんとする老朽船の描写の迫真の筆遣 い、東南アジアの島で展開される、現地人と侵入して来た白人のならず者グループとの血生臭い 戦闘を、手に汗握る場面として眼前に現出させる迫真の描写力には、感心させられました。この 部分においても、現代の冒険小説の先駆であると感じられました。 この小説では、ジムの後見人ともいえる、自らも船の船長であるチャールズ・マーロウが、ジム 本人や関係者から話を聞いたり、目にしたことを語り聞かせるという方法で、物語が進められます。 その方法によって、ジムの言動に客観的な視点が加えられ、あるいは、マーロウの彼に寄り添う 感情を通すことによって、ジムというヒーロー的人物の輪郭が、くっきりと浮かび上がるように 感じられます。 彼とは正反対の人間である私もやはり、ジムの人間的な欠点には、共感するものを感じました。