2014年11月30日日曜日

山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」を観て

俳優 高倉健が亡くなり、追悼放映としてテレビの地上波で上映された、
1977年主演作品「幸福の黄色いハンカチ」を観ました。

若い時分に任侠映画が苦手だったので、その流れからも、この日本を
代表する俳優の映画を今まで観ないで来ました。でも「幸福の黄色い
ハンカチ」と「鉄道員」は、是非一度観たいと思っていたので、この機会に
チャンネルを合わせました。

この映画自体は最早語り継がれた存在で、ストーリーも自明ですが、
高倉健はやはり存在感がありました。

心の底にどうしようもない重いものを背負い、じっと耐え続ける男の
演技は、この俳優の独壇場だと感じました。

武田鉄矢、桃井かおり演じる行きずりの軽佻浮薄なカップルのドタバタと、
健さんとその元恋女房の互いをじっと想う心は、見事な対比をもって
描き分けられます。それは古き良き日本への挽歌でもあるでしょう。

高倉健が晩年までぶれることなく、ストイックな役柄を演じ続けられたのは、
先日のNHKのインタビューの追悼放送でも本人が語っておられましたが、
彼のたゆまぬ研鑽の賜物だったのでしょう。なぜなら、寡黙の中に耐える
男を身体で表現するには、実生活においても何らかの制約を自らに課し
続けるほかなかったと思われるからです。見事な役者人生だったのだと
推察します。

高倉健は在りし日の良き日本男児を体現する俳優だったでしょうが、
同時にこの映画は今日の世相から見ると、一方的な男の思い入れを
美化した部分があるようにも感じられました。

そういう意味でも、健さんは日本人の郷愁を演じ続けた役者だったので
しょう。

2014年11月27日木曜日

中野重治著「村の家、おじさんの話、歌のわかれ」を読んで

私は今まで、いわゆるプロレタリア文学にあまり興味を持たなかった
ので、中野重治についても、その名を聞いたことがある、というほどの
知識しかありませんでした。ただ中野というと、その経緯は知らなくとも、
転向という言葉がすぐに結び付きます。今回本書を読みたいと思った
のも、その転向というものがどのようなものであったのかを、知りたい
という気持ちが大きく働いています。

本書中の「春さきの風」は、私に当時、主義者と家族が置かれた過酷な
状況を冷徹に示してくれます。公権力の横暴によって、幼い命をいとも
簡単に失うことになった主義者の無垢な赤ん坊に象徴されるように、
主義者の家族は貧しく高潔、対して公権力の手先は狡猾で滑稽に
描かれているのがやや類型的ですが、悲惨さの中に矜持を失わない
主義者の生き様に迫真性があります。

「村の家」は、中野自身がモデルの投獄され転向したプロレタリア作家と
昔気質の父の葛藤を通して、自らの転向の経緯と転向後の心の有り様を
描く作品です。主人公は弾圧に屈せず、思想、信条を保持し続けようとする
思いと、獄中における肉体的な衰え、また家族の置かれた困難な状況に、
苦悶の末転向を決意し、出獄帰省後、頑固な父に責任の取り方としての
絶筆を勧められながら、書き続けることによる責任のまっとうを決意します。

作者の生き、考え、行動する全てのことに、現代社会に生活する
私たちとは比較にならない、責任、重圧があるように感じられます。我々
日本人は、法律上自由と権利を保障され、また本書に描かれた第二次
世界大戦前に比べて、経済的にもずい分豊かになって、肉体的、精神的な
生の実感が希薄になったのかも知れません。反面、脳内の仮想空間での
煩雑さは確実に増しているに違いありませんが、それを私たちは意識と
して感じることは出来ないのでしょう。本書を読んで、そんな取り留めもない
ことを考えさせられました。

2014年11月24日月曜日

佐々涼子著「紙つなげ!彼らが本の紙を造っている」を読んで

2011年3月11日、東日本を襲った大震災の惨禍から早や3年以上が
経過し、被災現場との距離的な隔たりもあって、この震災の現実感が
徐々に薄れ始めている私にとって、本好きという自身の嗜好からも、
本書の扱う題材の親しみやすさ、具体性は、あまたの震災本の中でも
とりわけ興味をかき立ててくれるものでした。

日本製紙石巻工場が、この国の出版用紙の生産において重要な
役割を担っているということ。これは本書によって初めて知った事実で、
この工場の被災が、震災直後、用紙不足の懸念が囁かれる主な
原因であったことも、この本を読んで納得出来ました。

さて、被災した石巻工場の従業員それぞれの体験談は、当事者にしか
語ることの出来ない具体的真実と迫真性に満ち、読む者の心にぐっと
迫って来るものがあります。

生きるか死ぬかは紙一重で、もちろん運命的なものも大きいのですが、
最も甚大な被害をもたらした津波が、地震の揺れから一定時間を置いて
襲来したこともあって、起こりうる災厄に対してより慎重で危機感を持ち、
いち早く高所へ避難した人が、死を免れたとも言えます。

また私たちの心を打つのは、生き延びた人の多くが、死んだ人々を
見殺しにしたという罪悪感を持っていることで、それほどに生死を分かつ
現場は、生き残った者と犠牲者が手の届きそうな地点にいながら、
絶望的な距離に隔てられていたという厳然たる事実です。

震災による津波で壊滅的な打撃を受けた日本製紙石巻工場は、半年での
一部稼働再開という奇跡的な復興を遂げます。到底不可能と思われた
ものを可能にする!これはひとえに、全従業員の出版用紙の供給を途絶え
させないという使命感とプライド、そして彼らの熱意を持続させた指導者の
ぶれない、明確な目標設定と、鼓舞によるところが大きいと思われます。
日本の企業もまだ捨てたものではない、そういう思いを抱かせてくれる
好書です。

2014年11月21日金曜日

今年もボージョレ・ヌーウ‘ォーの季節、到来

11月20日(木)はボージョレ・ヌーウ‘ォーの解禁日です。

一時は東の端に位置する日本では、世界で一番最初にボージョレを
楽しむことが出来るということで、一種のお祭り騒ぎのようにもてはや
されましたが、最近はその狂騒もずいぶん落ち着いて、ワイン好きが
静かにその時期の到来を待つという雰囲気に、変わって来たように
感じます。

ボージョレというと、私は毎年決まった店で決まった銘柄のワインを買って、
その年の出来具合を味わっています。

京都御苑の南に位置する(有)海老名商店は、元造り酒屋という歴史を
持ち、その店のご主人はワインブーム以前から、自らの造詣の深い
ワインを専門的に取扱い、今日に至っています。

何時頃からか私はその店を訪ねるようになり、ワインの楽しみ方について
いろいろと教えて頂きました。

そしてボージョレの時期に是非にと勧めていただいたのが、今も飲み続けて
いるこの一本です。

これはビジョー社製の新酒で他のものとごこが違うかというと、樽のままで
輸入してこの店で瓶詰めしているということで、出回っている幾多の
ボージョレと比べても、新鮮な味わいがまったく違うように感じます。

さて、今年海老名商店から届いた樽出しボージョレは、色もしっかりとして
新酒にしては力強い味わい、それでいて例年のみずみずしさはもちろん
顕在です。

杯を重ねるほどに、極東の島国に居ながらにして、新酒に沸く現地の気分を
充分味わいました。

2014年11月18日火曜日

龍池学区総合防災訓練、実施

11月16日(日)、京都国際マンガミュージアムをメイン会場として、
龍池学区の総合防災訓練が実施されました。

私は龍池学区の自主防災会の役員をしています。この防災訓練は
私たちの主催する、年一回の主要な行事です。

当日は第一次訓練として震災発生を想定して、各町内の
自主防災部長である町会長さんを中心に「地域の集合場所」に集まり、
第二次訓練として避難場所であるマンガミュージアムに、各町ごとに
避難してもらいます。

続いて今年は第三次訓練として、マンガミュージアムに備え付け
られている防災器具の使用方法の説明、AEDを使用した心肺蘇生法の
説明、三角巾の使用方法の説明と、それぞれの実際の使い方の
体験学習を行いました。

私は防災器具を担当し、停電時に使用する簡易発電機の使い方、
備え付けのテントの設置方法、タンカの使用方法を、体験をしてもらいながら
説明しました。

約70名の地域住民に参加して頂きましたが、まだまだマンション住民の方の
参加は少なく、学区内の広い層の方々に防災意識を高めてもらうことが
相変わらずの課題です。

2014年11月15日土曜日

漱石「三四郎」における、広田先生の自然と人間を巡る講釈について

2014年11月14日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
第三十一回に、広田先生が三四郎に自然と人間の関係について語る
次の言葉があります。

「君、不二山を翻訳して見た事がありますか」

「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうから面白い。崇高だとか、
偉大だとか、雄壮だとか」

「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳する事の出来ない
輩には、自然が毫も人格上の感化を与えていない」

最初、広田先生が何を言おうとしているのか、私にはよく分かりません
でした。でも考えてみると、これは当たり前のことです。

人間も所詮、自然の中の一部でしかないのですから、そんな存在が
自然を表現しようとしても、自分たちの存在する世界の思考の範疇から
抜け出すことは出来ないということでしょう。

もしそんなことが出来ると考えるのなら、それは人間の思い上がり
でしょう。当時にはそういう風潮が広がっていたのか、いやともすると
現代に生きる私たちも、人間本位のそんな思考に陥り易いに違い
ありません。そういう意味において広田先生の言葉は人間への警句と
受け取るべきでしょう。

しかし、ー人格上の言葉に翻訳する事の出来ない輩には、自然が
人格上の感化を与えていないーということは、自然に対して不遜に
なる以前の無知を戒めているのでしょうか。広田先生の言葉は、
なかなか奥深いと感じました。

2014年11月14日金曜日

フローベール著「ボバァリー夫人」を読んで

19世紀フランス文学を代表する恋愛小説です。

恋に恋する美しい人妻エマの奔放な恋愛遍歴と、その果てに自らの人生を
破滅させる様を描きます。夢と愛に生きるエマは魅力的で、彼女の
喜怒哀楽が精緻で客観的でありながら、詩情豊かな表現の積み重ねの中に
描写されて、ページを繰る者は荘厳な白日夢の中を彷徨い、ようやく
抜け出して来たような読了感を味わいます。

エマの抑えきれない熱情に、時として理性では対処出来ない人間の欲望の
性を感じますが、読み終えて一番私の心に引っ掛かったのは、彼女の夫
シャルルの何が、美しい妻を無軌道な生活へと貶める要因となったのか、
あるいはシャルルに一体彼女に対する罪はあるのかということでした。

私にヒントを与えてくれたのは、二人に子供が授かり、エマが再び夫を
愛する努力をする場面。シャルルが薬剤師オメーに勧められて、足の
不自由な村の旅館の下男に最新の矯正手術を行い、結果無残に
失敗をして下男は片足を失うことになります。エマは新しい治療に積極的に
取り組もうとする夫に頼もしさを感じ、失敗後の彼の狼狽と卑屈に、一層
幻滅を深めます。

またシャルルは、妻の不貞に気付くチャンスはいくらでもあったのに、あえて
目をつむり、現実を見ないように務めました。家政は一切妻に任せ、家計の
財政的危機にも無頓着でした。この事実は彼自身が自分の一方的な妻への
愛情に酔いしれる、呑気で夢想家の男であったこと示しているのかも知れません。

ボバァリー家の悲劇は、多情多感な妻と彼女を御することの出来ない内向きで
非現実的な夫の相乗効果によって引き起こされたと感じられます。

人はそれぞれに夢や幸福を追い求めながら、現実は往々にままならぬものです。
その世知辛い世の中で、成功を収めるのはオメーに代表される利にさとい
狡猾な人間です。この人生の不条理をこそ、フローベールは読者に語り掛けた
かったのではないでしょうか?


2014年11月11日火曜日

「ぶらりたついけスタンプラリー」開催

11月9日(日)、「ぶらりたついけスタンプラリー」が開催され、繊維コースを
選んだ子供たちが私たちの店の見学にやってきました。

まず最初に、絹、綿、麻の天然繊維の白生地を実際に手で触れて、
感触を比較してもらってから、それぞれが由来するカイコ、綿花、麻の
写真を見せて特徴を説明しました。

用途の違いなども解説して、絹生地については染上り後の品物も見せて、
白い生地がどのように変化するかも確かめてもらいました。

我が店を訪れた6人の子供たちは、おそらく彼らにとっては初体験の
白生地に触れて、わくわくしている様子がこちらにも伝わります。

質問を受け付けると、目を輝かせて素直な疑問を投げかけてくれました。

最後にあらかじめ用意をしておいた、3枚の厚紙にそれぞれ名前を
伏せて絹、綿、麻のサンプル生地を貼り付けたものを、一人一人が
比べたり、感触を確かめながら、どれがどの生地か当ててもらうゲームを
しました。

あいにくの雨模様でしたが、それぞれにカッパを着た子供たちは、
元気な声で礼を言って、店を出て行きました。

私は自店で対応したので、スタンプラリー全体の様子はその時点では
分かりませんでしたが、後日挨拶に来てくれた京都外国語大学の
学生代表の藤村君のお話では、合計27名の子供が参加して、私たちの
店の体験学習も好評だったということで、胸をなでおろしました。

2014年11月9日日曜日

この秋初めての椿の花が咲きました。

朝庭に下りると、白い椿の花が一輪咲いていました。

この秋は寒暖の差が激しく、通りの街路樹などを眺めていても
着実に葉が色づき始め、季節の移り行きが早いように感じます。

そのためでしょう。我が家の椿も例年より一足早く、花を咲かせて
くれました。

亡くなった父が椿が好きだったので、またこの花樹は町中の手狭な
坪庭の日当たりの悪い場所でもよく花を付けるので、我が家の
庭には椿が多く植えてあります。それ故、全般的に花の乏しくなる
冬に向かうこの季節、殺風景になりがちな庭に華やぎを添えて
くれます。

椿の木は花の色もはっきりとして、葉が常緑で肉厚なので力強い
印象があります。一枝だけ花瓶に活けても様になり、手軽に床に
飾って楽しむことができます。

また庭に咲くこの花には、町中といってもメジロなどの野鳥が訪れ、
愛くるしい姿とさえずりで、私たちの心を和ませてくれます。

あるいは、椿の花が花の形のままに落ち敷くのも、何とも言いようの
ない風情があります。

季節は移り、また椿が私を楽しませてくれる時候となって来ました。

2014年11月7日金曜日

龍池町つくり委員会 10

11月4日、第28回龍池町つくり委員会が開催されました。

今回のメインテーマは、11月9日(日)に迫った「ぶらりたついけスタンプ
ラリー」です。京都外国語大学の学生さんより、当日のスケジュールが
以下の通り発表されました。

午前9時45分  始めの挨拶とルール説明
午前10時    スタンプラリー開始
午前11時ごろ 子供たちが各コースの最終地点に着き、体験学習
午前11時30分 体験学習を終えて、マンガミュージアムに集合
午前11時35分 各コースのタイム、写真集計の後、結果発表
午前11時55分 終わりの挨拶
午前12時    参加賞を配布して、解散

スタンプラリーの詳細は以下の通りです。

薬コース    最終地点 薬神社  体験学習 薬神社の説明
和菓子コース 最終地点 亀屋伊織さん 体験学習 和菓子の説明
歴史コース  最終地点 仲さん宅 体験学習 歴史的建造物の見学
繊維コース  最終地点 拙宅 体験学習 白生地の見学
呉服コース  最終地点 八代仁さん 体験学習 染物体験、蔵の見学

勧誘のチラシは、御所南小学校で約1300枚配布し、また龍池学区の
5年生を中心とした子供たちの自宅には個別宅配した結果、現在の
参加予定者は20名です。これを当日25名ぐらいにはすべく、最後の
勧誘を行っています。
  

 
 

 

2014年11月5日水曜日

漱石「三四郎」における、轢死体を見た三四郎の感慨について

2014年11月4日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「三四郎」106年ぶり連載
(第二十四回)に、鉄道へ飛び込み自殺をした若い女の無残な轢死体を
目撃した三四郎が、その感慨を述べる次の下りがあります。

「三四郎の眼の前には、ありありと先刻の女の顔が見える。その顔と
「ああああ・・・・・」といった力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべき
はずの無残な運命とを、継合わして考えて見ると、人生という丈夫そうな
命の根が、知らぬ間に、ゆるんで、何時でも暗闇へ浮き出して行きそうに
思われる。」

「三四郎はこの時ふと汽車で水蜜桃をくれた男が、危ない危ない、気を
付けないと危ない、といった事を思い出した。危ない危ないといいながら、
あの男はいやに落付いていた。つまい危ない危ないといい得るほどに、
自分は危なくない地位に立っていれば、あんな男にもなれるだろう。
世の中にいて、世の中を傍観している人は此処に面白味があるかも
知れない。」

若い三四郎にとっては、さもショッキングな出来事であったに違い
ありません。人の生のはかなさ、むなしさを感じたのもむべなるかな
と思います。さぞゾッとしたことでしょう。

しかし次の瞬間、彼は件の水蜜桃の男のことを思い出して、このような
おぞましい出来事も第三者の目で傍観できる人間になれれば、
慌てふためくことなく自らの人生を味わうことが出来るのではないかと
かんがえます。

ここには、作者漱石の諧謔を好む性癖が、色濃く反映されているでしょう。
なお、「危ない危ない」など同じ言葉の繰り返しが、文章に独特のリズムを
生み出していることも、見逃せません。

2014年11月2日日曜日

京都国立近代美術館「ホイッスラー展」を観て

19世紀中葉の画家、ホイッスラーの名前は知っていましたが、このように
作品を体系立てて観るのは初めてです。期待に胸を膨らませて、会場に
向かいました。

最初に目に付いたのは、版画作品の精巧さ、美しさです。彼は地図版画の
画工から出発したといいますが、それ故でしょう、対象を捉えるデッサン力と
確かな版画技術が融合して、端正で優美な作品に仕上がっています。
彼がその後に展開する色彩の諧調を重視した、決して大仰ではない優雅で
感覚的な絵画の素地が、これらの版画作品から十分にうかがえると感じ
ました。

人物画で興味を惹かれるのは、ラファエル前派との影響関係です。彼は
ロンドン、パリを行き来して絵画を制作したといいますが、画業の盛期の
人物に往々に見られるものうげな姿態や表情には、その影響が色濃く
現れていると感じました。事実彼は、ラファエル前派の中心的な画家の
一人ロゼッティとも、親交を持っていたといいます。同時期のフランス絵画、
イギリス絵画の影響を受けながら、独自の画境を開いた様子が
見て取れます。

次に、ホイッスラーの絵画を語る上で重要な要素であるジャポニズムに
ついて。私は東洋的な文物や衣装を描き込んだ人物画より、構図上に
影響を感じさせる風景画により、彼の美的価値観と東洋的な意匠の
見事な融合を感じます。「青と金色のノクターン:オールド・パターシー・
ブリッジ」では、広重の浮世絵の橋を描く大胆な構図にヒントを得ながら、
全体を覆う藍色の濃淡の上にほの見える印象的な黄色で町の灯と
花火の瞬きを表して、幻想的で詩的な情景を描き出すことに成功して
います。彼は日本美術の外見の特徴だけではなく、ただ無心に、形や
気分のおもしろさ描き出そうとする美意識の核心を、感受していた
のではないかと思わせられました。

ホイッスラー展は、一口に西欧近代絵画といっても様々な価値を求める
絵画があり、また19世紀は美術においてもグローバルな関係が生じ
始めた時代であることを、改めて感じさせてくれました。