2017年9月29日金曜日

そやま まい作「漫画 特攻 最後のインタビュー」を読んで

京都精華大学出身で京都国際マンガミュージアムとも縁が深く、私たち
町つくり委員会の企画「たついけカルタ」の作画も担当して頂いている、漫画家
そやままいさんの初の単行本化作品「漫画 特攻 最後のインタビュー」を読みました。

漫画を手に取るのは本当に久しぶりで、若い頃に心を躍らせながらページを繰った
ことなどが思い出されましたが、この本は題材も第二次世界大戦中の特攻隊員の
回想ということで、襟を正して読み始めました。

読み進める内に、当時特攻に従事した若い人々の真摯な心情が、決して特異なもの
ではなく、我々にも通じる等身大の思いとしてジワリと胸にしみて来て、この若者
たちに共感を覚えずにはおられませんでした。

あの戦争から長い月日が流れ、最早この国でも体験していない人が大多数を占める
ようになった現在、かく言う私も実際の戦争を知らない人間ですが、戦争の悲惨さや
理不尽さはなお、報道や書籍、映画、ドラマなどによって訴えられ続けてはいますが、
それらの語られ方は客観的に過ぎてよそ事のように感じられたり、遠い昔を回顧する
ような真実味の乏しさが感じられることも、少なからず見受けられるように思います。

この本は漫画本という手に取りやすさ、読みやすさという利点を持ちながら、極限状態
での人の生き様を描くという深い内容を有し、またその描かれ方も劇的な描写や
エモーショナルな表現を極力排して、淡々とした、余白の多い語りに徹することによって、
かえって主人公の心の動きを説得力を持って、読者に直に訴えかけることに成功して
いると、感じました。

描かれた特攻隊員と同年輩の若者たちにも、是非読んでほしい本です。

2017年9月27日水曜日

鷲田清一「折々のことば」881を読んで

2017年9月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」881では
真宗大谷派東本願寺の親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマである、次のことばが
取り上げられています。

 今、いのちがあなたを生きている

宗派の教理との兼ね合いは私には分かりませんが、そのことを離れても、深い意味を
持つことばだと思います。

私たちはとかく頭でっかちになって、ともすれば、自分の身体というものは自身の
所有物で、どのように扱おうと勝手であると、考え勝ちです。そしてそのような気持ちが
例えば自殺を考える時など、頭をもたげて来るのではないでしょうか?

しかしそれがもし誰かからの預かりものであると認識するなら、自ずから身体に対する
考え方も違ってくるはずです。

科学的知見にしても、身体はDNAの乗り物であり、自己という意識はそこから派生する
ものに過ぎないと推定するなら、身体は預かりものという考え方と見事に一致します。

生・老・病・死の四苦にしても、肉体的苦痛は別として、自分の身体が幸運な授かりもの
と感じられたら、随分慰められ、和らぐものもあるような気がします。

どこで伝聞したのかは忘れましたが、人類と類人猿の感じ方の違いとして、例えば
類人猿は、身体に障がいの残る深手を負っても、それ以降の生活にもたらされる不利を
嘆かない。つまり自らの運命を呪わず、将来を悲観しないということです。

単にそういう能力が欠如しているということかも知れませんが、厳しい野性の生活を
生き抜くためには、そのような能力は邪魔になるので発達しなかったのかも知れません。

このことばを読んで、そんなことを考えました。

2017年9月25日月曜日

二条城会場「アジア廻廊現代美術展」を観て

先日、「アジア廻廊現代美術展」京都芸術センター会場に行ったのに続いて、
二条城会場を訪れました。

こちらは二条城という文化的価値を持ち、幾つもの伝統的な庭園と建築物を有する、
広々とした会場を用いた現代美術の展観です。

まず目についたのは、チェ・ジョンファの大型バルーンの作品≪フルーツの木≫、
このいっぱいに様々なフルーツが生る木を模したバルーンが、普段は公開されて
いない二の丸御殿台所前の砂利敷きの地面に据え付けられ、ゆらゆらと揺れ
ながら佇みます。伝統的な空間の中でポップなオブジェが一見浮き上がるようで
いて、妙に馴染んで、独特の静かで非現実な空間を生み出しています。

次に台所内部に入り、数点の作品が展示されている中でまず視線を捉えたのは、
草間彌生の≪無限の網のうちに消滅するミロのビーナス≫、黒地に黄色で
網目模様を施したミロのビーナスの背景にも、同じ網目模様のパネルが設置されて
いて、草間にしては落ち着いた配色のビーナス像がパネルの中に溶け込むように
感じられたり、両者が呼応して明滅するように見えたり、引き込まれるような不思議な
感覚を味わわせてくれる作品でした。

度肝を抜かれたのは、キムスージャの作品≪遭遇ー鏡の女≫が全室に設置された
室内に入った時、床一面が鏡張りになっていて古色を帯びた天井板を映し込み、
それが深い奈落のように感じられて、その鏡面の上に足を踏み入れた途端、自分が
何処に立っているのか、あるいは深みに落ち込んでいくのか、まったく分からなく
なって、身体がぐらぐら揺れるような感覚に囚われました。屏風のように並べられた
連なる鏡も屈折した私自身や、周りの情景を映し出して、さらに感覚を混乱させます。
身体感覚を通して、自分とはなにかを問いかけられるような作品でした。

最後に二条城本丸の内堀の水面にガラスのオブジェが浮かぶ三嶋りつ恵の≪光は
いつでもそこにある≫という作品、この作品は文句なく風景と響き合って美しく、
オブジェを設置することによって場の魅力を引き立てるという、私にとっての現代美術
を観る上での新しい感覚を味わわせてくれました。

一風変わった、味わいのある美術展でした。

2017年9月22日金曜日

9月19日付け「天声人語」を読んで

2017年9月19日付け朝日新聞朝刊の「天声人語」では、先ごろ日本遺伝学会が
「優性」「劣性」という言葉遣いをやめ、「顕性」「潜性」と改めると発表したことを
取り上げて、「翻訳語」について考察しています。私もこのコラムを読んで心に
響くところがあり、以下に記してみます。

日頃私たちは、その言葉が「翻訳語」であるかどうかということを、あまり意識
せずに使っていますが、改めて考えると、近代以降に西洋より導入された概念、
ものの名前は大部分が翻訳された言葉であり、その影響には計り知れないもの
があります。

しかしまた、当初のその言葉の元来の意味は、なるほど翻訳というフィルターを
通過することによって変容を遂げることになるのでしょうが、その言葉が持ち込ま
れてからの時間経過が、新たな意味合いを付け加える、あるいは本来の意味を
よみがえらせることもあると、感じます。

例えばこのコラムで例示されている「農薬」という言葉も、最初は悪い印象を払拭
するために採用されたのかも知れませんが、私たちは「農薬」による健康被害や、
環境汚染を実際に体験することによって、「農薬」という名前の物質そのものが
危険な薬剤という認識を深めて行ったと思います。それは「公害」という言葉も、
然りです。

コラムの筆者も、本来「翻訳語」とはこれほど繊細で、その含意も微妙に変遷する
可能性のあるものなのに、最近の安易なアルファベット表記のカタカナへの移し
替えで事足れりとする「翻訳言葉」は、意味を曖昧にしないかと懸念していますが、
それ以前に現代のわれわれの社会を広く覆う、物事を深く考えない軽薄な風潮の
現れではないかと、改めて感じさせられました。

2017年9月20日水曜日

前店主の七回忌法要を終えて

先日、前店主(父)の七回忌の法要を菩提寺で執り行いました。

当日は、台風が刻一刻と迫って来るあいにくの天気で、接近時間によっては中止を
余儀なくされる可能性もあり、滋賀県から参加予定の親戚の方は、帰路の困難も
予想されるので、法事だけに出席して、後の食事の席は辞退するという連絡が
あったほどで、名古屋から参加してくれる妹夫婦も、帰りの新幹線が荒天による
運転休止になることも覚悟して、場合によっては私の家に泊まるつもりで、来てくれ
ました。

法要が始まる午前11時には、幸い台風の進行速度が予想より遅いこともあって、
空は全体に不穏な雲に覆われていましたが、雨も降らず、風も吹かず、本堂での
法要後、墓地のお墓の前での墓回向も無事に済ますことが出来ました。

私たちのところでは、年忌法要ではまず、主催する者が戒名を記した短冊を付した
供養の品を寺と参加者分用意し、また参加者の有志も同様に供養の品物を準備
して、寺に法要のお礼と一緒に渡すと共に、参加者にも持って帰ってもらうことに
なります。

また、参加者にあらかじめ募って、木に墨で戒名と供養する人の氏名を記した
大塔婆を寺に準備してもらい、墓回向の時に墓の背後に立てて供養をします。

法要、墓回向と雨風にも遇わず無事終了して、予め予約していた老舗の京料理店
に向かいました。かつて訪れた時の接客に好感を持ったので、今回の法事の後の
食事の席の会場に選んだのですが、秋らしい設えで、掛け軸も法事に因んだ墨書
が床の間に掛けられた部屋で、親族一同父を偲びながら、ゆったりとした時を
過ごしました。この時点でもまだ、雨風はたいしたことはなく、幸い妹たちも当日に
名古屋に帰ってもらうことが出来ました。

父の年忌法要は、親戚にもわざわざそのために集まってもらうので、準備の時点で
間違いや行き届かぬところが無いように気を使い、また当日は天候も含め滞りなく
進行するように随分気をもみましたが、終わってみると、私が父と同じ立場で仕事に
従事し、このような行事も執り行っていることもあって、折に触れて父の気持ちや
振舞いを思い返していたことに改めて気づかされる、よい機会となりました。

2017年9月18日月曜日

鷲田清一「折々のことば」875を読んで

2017年9月16日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」875では
社会学者岸政彦の「断片的なものの社会学」から、次のことばが取り上げられて
います。

 不思議なことに、この社会では、ひとを尊重するということと、ひとと距離を置く
 ということが、一緒になっています。

このことばは言い得て妙、私たちが得てして陥る、人と接する時の距離の取り方の
齟齬を、的確に表わしていると感じました。

というのは我々は往々に、尊重すべき相手に過剰に気を使って、その人の機嫌を
損ねないように、あるいは余計なわずらわしさを感じさせないように、あえて
他人行儀に振舞ったり、無関心を装ったりすることがあると感じます。

これは相手の気持ちを推し量って、不快感を与えるぐらいならそっとしておくのが
良いと判断しがちな、日本人のメンタリティーに起因すると思われますが、結果
尊重すべき相手との意思の疎通が十分に図れないという、本末転倒の事態に陥る
ことになります。

そしてそのような傾向の積み重なったものが、ひいては政治不信や人々の心に
巣くう疎外感にもつながっていると感じます。

ではどうすればいいのか?勿論簡単な解決策はないけれど、私たち一人一人が、
真に相手を尊重するためには、その人と直に触れ、相手を知ることから始め
なければならないということを、実感として認識することが必要であると、感じます。

2017年9月15日金曜日

京都国立近代美術館「絹谷幸二 色彩とイメージの旅」を観て

絹谷の絵画といえば、飛びぬけてカラフルであくまでも陽性、エネルギーが横溢する
ようなイメージがまず、思い浮かびます。ところがこの大規模な回顧展を観て、その
イメージはある意味一面的であることに気づかされました。

このような気づきは、画家の画業を通覧する回顧によって初めて得ることが出来る、
楽しみの一つなのでしょう。

まず、イタリア留学前の東京藝術大学在学時代の作品を展示する第1章 蒼の時代、
表題通り蒼を基調とした絵画が並べられていますが、彼の代名詞のような作品とは
まったく違う、孤独、不安、懐疑に彩られたクールな画面で意表を突かれます。

彼は、古都奈良の由緒ある旅館の子として生まれるも、両親が離婚したこともあって、
人生に満たされないもの、疑問を持ち続けていたといいます。その偽らざる感情の
表出が、これらの作品を生み出したのでしょうが、ここで忘れてはならないことは、
これらの初期の絵画が絹谷の作品に対して我々が抱くイメージとは随分違っても、
それらは別の基準で私たちの心に響く優れた絵画であり、画家の非凡さを余すこと
なく示していることです。

また一度初期のこれらの作品を観てしまうと、以降の明るい色彩のエネルギッシュな
絵画の見え方も変わって来て、彼のあくまで陽性で力強い表現は、アフレスコという
技法上の制約もあるに違いないのですが、初期の負の思念を乗り越えようとする
ためのものであることが見えて来ます。その意味において、彼は終始一貫して自身の
心に忠実に絵を描く画家であると感じられました。

さらにイタリア留学がいかにして、彼の絵画にこのような劇的な変化をもたらしたのか
ということについても、もっと知りたくなりました。

次に第3章 安井賞における絹谷の同賞受賞作と安井曾太郎本人の作品との比較が、
時代による具象表現の変化を具体的に示していて、興味深く感じました。

明治時代にヨーロッパに留学した安井は、まだ日本に西洋絵画が受け入れられて
日が浅いこともあって、ヨーロッパの絵画技法をいかにして日本的な感性に馴染ま
せるかということに、腐心していたように感じられます。

他方絹谷は、我が国に西洋絵画が一つのジャンルとして定着した昭和後期に同じく
留学して、最早具象表現も単なる具象では飽き足りなくなっている時代の要請も
あって、日本的な感性とも融合したまったく独創的な作品を生み出しています。

絹谷個人の画業の回顧だけではなく、明治以降の日本の西洋絵画の歴史にも思いを
馳せることの出来る、優れた展観でした。

2017年9月13日水曜日

鷲田清一「折々のことば」872を読んで

2017年9月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」872では
フランス文学者鹿島茂の「子供より古書が大事と思いたい」から、パリの古書店の
客対応について述べる、次のことばが取り上げられています。

 愛想のないのを悪意のしるしと取ってしまうのは誤りである。

店の客対応の良し悪しも、業種によって違うと思います。例えばラーメン店は
テキパキとして、客さばきが迅速であるのが好ましく感じられますし、デパートでは
店員につきまとわれるのは煩わしいけれど、こちらが商品について尋ねたい時
には、すぐ近くにいて迅速で、丁寧に対応してもらえるのが有難く思います。

でも確かに相対的には、店の人間があまりに無愛想で不親切であるのは、客に
不愉快な思いをさせますし、逆に愛想や調子が良すぎるのも、何を考えている
のか分からず、不信感を抱かせます。

私たちの店では、取り扱っている品物が白生地という素材商品で、その上に加工を
施してから用いられるのが普通なので、そのままの状態では見えにくい品質に
ついて、丁寧に説明することを心掛けています。従ってお客さまに安心を与え、
納得して頂けるような、ゆっくりと時間をかけた落ち着いた対応が相応しいと感じて、
実践しています。

ところで自分の仕事を離れて、日本では一般的に、まだ店と客の関係において、
客側に買ってやっているという意識が強く、店側もそれを過剰に意識しなければ
いけない雰囲気がある、と感じられることがよくあります。

上記の鹿島のことばには、そんな日仏の比較が含まれているのでしょう。私たちの
国でも、売り手と買い手は対等の人間という意識が醸成出来れば、もっと風通し
が良くなるのかもしれません。

2017年9月11日月曜日

「福岡伸一の動的平衡 京都で見たクマゼミの羽化」を読んで

2017年9月7日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では
「京都で見たクマゼミの羽化」と題して、子供の頃、東京でクマゼミに出会うことは
なかったが、関西旅行の際、はじめて見たこの大型のセミに魅了された、と記して
います。

私の子供の頃には、京都の街中にも確かにクマゼミが生息していましたが、
アブラゼミやニーニーゼミが多く生息し、クマゼミは限られた木に見られるだけ
でした。

だから子供の時によく昆虫採集に行った近所の空き地でも、アブラゼミやニーニー
ゼミは簡単に捕れましたが、クマゼミはその空き地の奥まったはずれの一本の木に
だけ集まっていて、囲いの柵に上って腕をいっぱいに伸ばし、捕虫網でどうにか
一匹捕れた時には、何か大した事をやってのけたような達成感を味わったものです。

最近は地球温暖化の影響か、クマゼミがどんどん増えて来て、私の家の坪庭でも
普通に見かけます。今まで当たり前のように感じて、子供の頃の感慨を思い出す
こともありませんでしたが、この文章を読んで記憶がふとよみがえりました。

そういえばかつては自宅の近所に、寺院跡の空き地もあって、そちらでは玉虫を
捕まえたこともあり、また小学生仲間で秘密基地を作って遊んだこともありました。

それらのささやかな子供の冒険心を満足させてくれた空き地も、今は全てマンション
や駐車場に代わり、跡形もありません。今回の「福岡伸一の動的平衡」を読んで、
ほのかに切ない気分がよみがえって来ました。

2017年9月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」863を読んで

2017年9月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」863では
ファッションデザイナー三宅一生の「三宅一生 未来のデザインを語る」から、次の
ことばが取り上げられています。

 ぼくにとってデザインがおもしろいのは、すぐに受けいれられるのではない、という
 ことがあります。

かつてこの日本を代表するファッションデザイナーの回顧展を、京都国立近代美術館
で観ましたが、至ってシンプルでありながら、斬新な発想の転換があり、そこから
無限の広がりが生まれて来そうな予感に、わくわくさせられるようなデザインが次々と
登場して、白昼夢のような感覚に囚われました。

そのデザイナーがこのように語ると、ズシリとした説得力があります。

一方私の携わる和装業界には、伝統的な衣裳としての着物というものが、最早忘れ
去られつつある服飾文化といったイメージが、蔓延しつつあります。

それはとりもなおさず、多くの人々にとって、和装というものが現代の社会生活には
馴染まず、成人式や卒業式といった特別な場面を除いて、普段は受け入れ難いと
感じられているということでしょう。

でも他方、文化の欧米化が進展して、生活の利便性が向上するにつれて、その反動
として伝統的な文化や生活様式を見直したいと感じる人々も、確かに少なからず存在
します。

もし和装を愛でる土壌が全く失われたのではないなら、また受け入れられる可能性も
有るということです。私たちは自分たちの仕事を通して根気よく、和装の良さを伝えて
行かなければならない。逆説的かもしれませんが、上記の三宅一生のことばに、そんな
励ましを受け取る思いがしました。

2017年9月6日水曜日

龍池町つくり委員会 44

2017年9月5日に、第63回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、京都外国語大学の南先生や学生さんたちが参加されなかったので、
各委員を中心に主に龍池学区内の問題について、話し合いました。

まず、最近京都の観光客の急激な増加による宿泊施設の不足に伴って、我が
学区内でも数件のホテルの建設工事が行われていますが、学区民と建設業者の
間で工事を巡るトラブルが少なからず発生しています。

例えば、最初はマンションを建設するという触れ込みで、途中から突然ホテルを
建設するということに変更されたりと、業者から地域住民への説明が不十分で
あったり、誠実さに欠けることも、しばしば見受けられます。

建設地点の町内会と業者の折衝だけでは進展しない案件については、中谷委員長
を中心に町つくり委員も参加して業者と交渉し、その結果を次回理事会で報告して
広く意見を聴くと共に、これから同じような事例が起こった場合の参考にするという
ことになりました。

次に町内によっては、昔から居住する住民が町内会の運営を独占的に取り行って、
新しく入って来た住民がなかなか意見を言いにくいという問題も起こっているよう
です。

この問題については、当委員会から次期理事会で各町会長に対して、若い住民の
町会運営への参加を促すよう提案するということになりました。

また町内の中に掲示板が設置されていない町内については、設置して頂くように
重ねてお願いすることになりました。

最後に寺村副委員長より、災害に備える食料品などの物資の備蓄の仕方について、
ローリングストック法という考え方の説明がありました。これは食料品など消費期限
のある物資を備蓄する場合、「購入ー備蓄ー消費ー購入ー備蓄」というサイクルを
うまく使いまわして、循環的に備蓄量を確保するというもので、具体的には備蓄品の
一部を少しづつ消費しながら、その消費分を買い足して備蓄量を一定に保つという
ものです。

災害発生時には、自治連合会が準備している備蓄物資だけでは、全く地域住民
全員の必要分を賄うことは出来ず、各自が自主的に用意する備蓄品の重要性が
増しますが、学区の自主防災会に所属する私としても、学区民に備蓄を促すために
この方法は有効性が高いと、感じました。

2017年9月3日日曜日

鷲田清一「折々のことば」862を読んで

2017年9月2日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」862では
喜劇役者古川緑波の「ロッパ随筆 苦笑風呂」から、次のことばが取り上げられて
います。

 暑さというものを、勘定に入れて下さい。

戦後、浅草でお盆興行「お化け道中」を打ち、客の好評を博するも、批評家から
「客に媚び」たと酷評され、切り返したことばだということです。

私の想像するに恐らく、戦争前夜、戦中の体制批判や娯楽が不謹慎と捉えられた
時代を引きずった批評家の言に、緑波が本来喜劇とは如何なるものかを示した
ことばなのでしょう。

私は表現という行為においては、元来堅苦しさと真摯さは違うものだと感じます。

堅苦しさは真面目ではあるけれども、往々に広がりや伸びやかさに欠け、ともすると
体制や権力に従順になって、独善的になる。喜劇においては尚更、致命的な欠陥
でしょう。

それに対して表現における真摯さとは、良識を持った表現という当事者としての
責任を果たしながらも、受け手に満足を与えることを最上の価値として取り組むこと
ではないか?

この場合観客は、その作品に魅力があれば自然と集まって来るのであり、上述の
喜劇では、恐らく戦中の閉塞感からのガス抜きという役割をも果たすことになった
のでしょう。

2017年9月1日金曜日

高橋和巳著「悲の器」河出文庫を読んで

読者が本書に興味を持つことが出来るかどうかは、ひとえに我が国の最高権威の
官立大学の教授で法学部長、刑法学の重鎮である主人公正木典膳の心情に共感
出来るものがあるかどうかに、掛かっているでしょう。

彼がもしその肩書が当然のようにもたらす輝かしき晩年を迎えて行くなら、私も
きっと、この長大な物語をあえて読み進めたいとは思わなかったはずです。

しかし一見非の打ちどころなく見えた彼のキャリアが、女性問題の醜聞でものの
見事に瓦解する時、私たちは彼の悲哀の中に、人間が存在する限り免れることが
出来ない、生きることの宿命的な業苦や罪科を感受するのです。

では一体、彼の何がいけなかったのでしょう?彼は自らの学問の専門分野に
おいては極めて有能で勤勉な人間で、学術的に輝かしい成果を上げると同時に、
第二次世界大戦前夜、戦中の厳しい思想統制を潜り抜けた中で、戦後の社会の
在り方についていかなる場合も、法律の本来持つ精神を遵守するという意味に
おいて良心的な人物です。

また大学、法曹界の中でキャリアを積んで行くことについても、大学で学問の
自由が守られない前述の戦前、戦中期には、検察官に転じて難を逃れ、戦後また
大学に復帰して法学部長に上り詰めるというように、極めて機を見るに敏な世渡り
にたけた人間です。

しかし若かりし時同じ教授の下で研鑽した同僚で、戦時思想統制の渦中に過激
思想に走り獄死した富田と、獄中転向して戦後保守与党寄りの教育委員長として
日教組、学生と敵対の上自殺した荻野に対して、自身の身の処し方から来る後ろ
めたさを忘れることが出来ず、その裏返しとして自分の地位の名誉に固執する傲岸
さが、彼の権威の失墜の引き金を引くことになります。

他方彼は、現代の感覚からすればかなり女性蔑視の考え方の持ち主で、女性に
対して自らの経済力で庇護し、付き従わせるものという先入観があります。また付け
加えれば、作中の女性たちはその立場を甘受する傾向にあります。しかし家政婦の
米山みきにとって、その寛容の限度を超えた時に、彼の破滅は始まるのです・・・。

この小説は壮大なスケールで、敗戦後の急激な価値転換の中での知識人の苦悩を
描き、多少の瑕疵や不自然さは見られますが、圧倒的な筆力でぐいぐい読者を引っ
張って行きます。

さらに現代の社会情勢と比較しても、安保関連法案を巡る解釈改憲の問題、テロ等
準備罪の新設についての議論などの法政分野のみならず、富田の獄中での狂気が
オーム真理教の教祖の成れの果ての姿を想起させるなど、執筆後50年を経過しても
社会や人の思惑や行状はあまり変わり映えしないものであることを、示してくれます。

先見の明も含む、問題作です。