2023年3月23日木曜日

鈴木忠平著「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたか」を読んで

かつて名バッターとして鳴らした落合博満が、中日ドラゴンズの監督として好成績を残した8年間 を、当時のスポーツ紙の担当記者であった著者が、関係者へのインタビューを交えて振り返り、 とかく批判や軋轢に晒されながらも、球団に残した足跡を伝えるドキュメンタリーです。 私たちがファンとしてプロ野球球団を応援する時、チームの勝負や成績に一喜一憂するのみなら ず、特定の選手個人や監督に注目して試合の流れを追い、チームにおけるそれぞれの役割や関係性 を確認しながら、一つの組織が優勝という最終目標に向かって戦う過程を、楽しむ場合があります。 プロ野球が長いペナントレースを争う団体球技であり、団結して戦うチームを作り上げた球団が、 最終的に優勝という美酒を味わうことから、私たちはプロ野球チームを自分たちの属する社会組織 になぞらえ、贔屓のチームに感情移入することによって、自己の目的実現を疑似体験することが 出来るのかも知れません。 もしそうであるならば、プロ野球球団の監督は、単なるスポーツチームの監督のみならず、多くの ファンにとって、社会的影響力のある存在です。中日ドラゴンズ監督時代の落合は、その意味で 特別な存在だったのでしょう。彼の在任中チームは8年連続Aクラスに入り、リーグ優勝4回、日本一 も経験しました。成績は申し分ありません。 しかし彼は8年間をもって、本人の同席しない球団発表で解任されました。そこには、勝ち続ける けれども球場のファンの入りが悪いこと、監督、選手の給料の高騰、そして最終的には、球団との 不和がありました。 落合はファンサービスをしない監督でした。勝つことが一番のファンサービスであると考えていま した。それは勝利至上主義につながり、突然説明もなく主力選手をスターティングメンバ―から外し たり、日本シリーズで8回まで完全試合をしていた先発投手を、9回に交代させることもありました。 そのような勝利のための非情さも、彼のイメージを悪くしました。 しかし本書を読むと、彼が情に流されたり、体制に迎合せず、鋭い観察眼を用いて合理的に勝利を 追求し、選手にも他人に頼らない真のプロフェッショナルになることを求めた結果、プロ野球チーム の一つの到達点にまでこのチームを押し上げたことが、分かりました。 監督の指導法にも色々な形があります。少なくとも彼は、完成度の高いチームを作り上げた優れた 野球監督だったのです。惜しむらくは、彼の野球スタイルが日本人の好むものではなかったこと、彼 にプロの監督としての自分の考え方を、世間に発信する力が欠けていたことです。

2023年3月17日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2670を読んで

2023年3月11日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2670では 写真家・齋藤陽道の子育て日記『せかいはことば』から、次のことばが取り上げられています。   「なんにもない日、おめでとう!」 この写真家は、東日本大震災以降、今日「おはよう」と言えるのも、見えない誰かに支えられ てのこと、ちっとも「あたりまえ」でないと、考えるようになったそうです。 そうですね。東日本大震災では幸いにも被災しなかった、私たちにとっても、コロナ禍以降、 当たり前な日常が大変貴重なものと、思えるようになりました。 このようなパンデミックの渦中で、自分自身が、家族が、関係のある人々が、息災に過ごせて いるということ。或いは、他の自然災害にも見舞われずに無事、日常を送れていることは、本当 に有難いことです。 ただ、自分の行っている経済活動に関しては、まだ残念ながら普通の日常が戻って来ていない と言えます。これはそれぞれの業種によってばらつきがあり、私たちの携わる和装業界は、最早 日常品を取り扱うのではなく、限られた趣味の品を取り扱う立場になっているので、立ち直り が遅れているとは十分に想像がつきます。 でもあるいは、パンデミック以降生活スタイルが変わって、私たちが提供する商品は、これから は今までのように必要とされないかもしれません。でも呉服という伝統文化が、全ての人々から 全く見放されることはないと信じて、日々精進していきたいと考えています。

2023年3月9日木曜日

「鷲田清一折々のことば」2632を詠んで

2023年1月31日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2632では 歴史学者・磯田道史の『歴史の愉しみ方』から、ある露天商の次のことばが取り上げられてい ます。    「この商売、店が客に1本とられることもあ    れば逆もある。気にせんでいい」 ちょっと説明が長くなりますが、磯田が古本市で買った色紙が、軍部が進める大陸政策を厳し く批判した衆議院議員・斎藤隆夫が、国会除名後の思いを記したものと判り、国を誤らせぬ よう命がけで訴えた斎藤の思いに涙し、そのような品を破格の値で得たことを、その露天商に 感謝の思いで伝えたところ、露天商は以上のように答えたそうです。 私たちの商売は、お客様と損得をかけて渡り合うものではないので、私自身とは立場が違い ますが、この露天商と歴史学者のやり取りには、商売というものの真剣勝負としての一側面が あるので、ここでこのことばを紹介しました。 露天商は、真贋の分からないものを、或いは、当たりはずれは時の運と考えているかもしれま せんが、少なくとも自分の勘で仕入れ、歴史学者は目利きとして、玉石混交の品の中から懸命 に価値のあるものを選び、拾い上げる。 この真剣なやり取りの中で、歴史に埋もれていたものが発見され、日の目を見て、広く紹介 されることになる。これもある種の商売の醍醐味、なのに違いありません。

2023年3月1日水曜日

村上龍著「愛と幻想のファシズム(下)」を読んで

「愛と幻想のファシズム」上下刊を読了しましたが、本作ではカリスマ鈴原冬二が、日本を支配 した後の世界は描かれていません。従って現代の世に、人類の狩猟生活時代の精神を蘇らせると いう企ても、未完のままです。 しかし、この小説の提示する一見荒唐無稽な構想は、世界が危機的状況に陥った現在のような 社会状況においては、示唆に富むものがあると感じられます。 その捉え方は、読者各人によって様々であると思われますが、私は、実際の国際社会における 日本国の自主独立ということについて、考えさせられました。 第二次世界大戦後日本は、周知のように日米安全保障条約によって、米国の軍事的庇護の元急激 な経済成長を遂げ、現在の国際的な地位を築き上げました。しかし、外交部分では、米国の政策 に追従する国という印象を拭えず、経済分野においても、強い影響関係にあることは否定出来ま せん。 現在、米ソ冷戦後の米国一強を経て、アメリカの国際的影響力が低下し、東アジアにおいて代わり に中国の経済力の増大と軍事的脅威の拡大、また、北朝鮮、ロシアの好戦的国家の存在が軍事的 緊張を強いる中で、日本の軍事力増強も緊急の課題となっています。 そのような状況の中で、日本の米国からの自立ということを考えると、それを成し遂げるために は、高度な政治力や国民の強い覚悟が必要であると、感じられます。 本書における鈴原冬二の行動は、暴力と狡知というメタファーを介して、そのことの実現の可能性 や是非を、読者に問いかけていると感じたのです。 ウクライナが隣の大国ロシアに軍事侵攻されたという事実、中国が台湾への軍事的挑発を繰り返す 現実は、国際的な平和が希求される現在においても、軍事的脅威が絶えないことを示しています。 他方コロナ禍においては、医薬品、医療技術の安全保障も痛感され、ウクライナ戦争による食料、 石油、天然ガス等の資源価格の高騰は、資源輸入国である日本の心もとなさも実感されます。 少なくともこれからは、米国一辺倒の政治、経済、軍事依存からの脱却が求められるでしょう。 その困難さをも、本作は反面教師的に暗示していると、私には思われました。