2017年10月31日火曜日

「後藤正文の朝からロック 育み、次世代に手渡す大切さ」を読んで

2017年10月25日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「育み、
次世代に手渡す大切さ」と題して、筆者が専門家から聴いた、伝統野菜や固有種
と呼ばれる野菜の種と、消費者や外食産業のニーズに合わせて異品種を交雑した、
「F1」と呼ばれる雑種の野菜の種との違いについて書いていて、興味を覚えました。

つまり固有種の野菜とは、地域で受け継がれ、形質も固定された品種なので、種を
自家採取して栽培することが出来、それに対して味や形、収穫時期がそろえられ、
年に何度も栽培が可能な「F1」の場合は、一代きりの栽培にしか適さず、種はその
都度業者や農協から購入しなければならない、ということです。

私は常々、食品スーパーなどの野菜、果物売り場で、形のそろった、カラフルな
野菜や果物が、形よく大量に盛って、飾り立てるように並べられているのを見て、
この国の経済的な豊かさの象徴のように、感じることがありました。

しかし一方、自然農法で農業を営む親戚や、趣味で野菜を栽培している友人など
から、採れたての野菜や果物を頂いた時、それを食べた瞬間に、普段購入する品
とは違う温もり、滋味を感じることがあります。

経済的効率や、外見上の見栄えだけではなく、その本来の良さが大切に受け継が
れて来た品の価値を見抜き、それを選ぶことが出来る確かな目を持つこと、また
そのように守られて来た品を購入することによって、次世代へとつなげる橋渡しを
すること、何も野菜に限ったことではないと、改めて感じました。

2017年10月29日日曜日

鷲田清一「折々のことば」911を読んで

2017年10月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」911では
京漬物の老舗「西利」の副会長平井達雄の、次のことばが取り上げられています。

 「もったいない」が「手間がかかっている」という価値に変わるんです。

「おこうこのぜいたく煮」は、通常そのままで食べる漬物の沢庵が残って干からびた
時に、煮干しと一緒に煮て食べる総菜ですが、沢庵本来の味に煮干しのだしがよく
染んで、ご飯のともとして味わい深いおかずです。

同様の一手間をかけたおかずに、小魚などを油で揚げて、たまねぎと唐辛子を
加えた合わせ酢に漬け込んだ料理、「南蛮漬け」がありますが、いずれも本来の
食べ方からは二重の手間をかけることによって、更に味わいを高める発想でしょう。

特に「おこうのぜいたく煮」は、残り物に手間をかけて美味しく食べる、もったいない
の精神と、生活の知恵が融合した優れた総菜と言えるでしょう。

ところで私は、今回の「折々のことば」を読んで、二つのかっこ付きのことばを逆転
させた、「手間がかかっている」から「もったいない」と分かる、というフレーズを思い
浮かべました。

その意味は、人の手間がかかっている工芸品などを日用品として使用するように
すると、私たちの心の中にももったいないという意識が生まれて来るのではないか、
ということです。

例えば私たちは、日常の品を使い捨てという感覚で粗末に扱い勝ちですが、それが
手間のかかった品であったら、もう少し大切にするだろう、ということです。

勿論何もかもそんな品で揃えたら、経済的にも大きな負担ですし、現代の感覚では
不合理な点も多々あるでしょう。

でも、限られた地球という環境の中の資源の枯渇が言われる今日、何か一品でも
「もったいない」という感覚を思い起こさせてくれる日用品を手元に置いて使用する
ことは、意味があるのではないでしょうか?

2017年10月25日水曜日

森本あんり著「反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体」を読んで

「反知性主義」というと私たちは、最近の軽佻浮薄な世相や、ヘイトスピーチに代表
される偏狭なナショナリズムを、すぐに思い浮かべます。しかし、アメリカで言われる
「反知性主義」がこれとは少し趣きを異にし、しかもこの国の社会、政治の特性を
語る上で不可欠のものであることは、薄々感じていました。それゆえ、それが如何
なるものかを知りたいと思い、本書を手に取りました。

まず本書を読んで強く印象に残ったのは、アメリカという国の社会基盤には、今なお
キリスト教的価値観が深く根付いていることです。もっとも、ピューリタンによって
建国されたこの国の歴史を考えれば、それは至極当然のことですが、アメリカの
経済、文化に強い影響を受けているとはいえ、宗教的伝統が違う私たち日本人には、
その点がなかなか見え難く感じます。

しかし、世界第一位の経済力、軍事力を誇り、民主主義と自由主義、経済的、科学的
合理主義を信奉するこの国にあって、根強い反共産主義や反イスラム主義が見られ、
今なお進化論を否定する議論が存在するという事実は、キリスト教の影響を考慮
すれば納得がゆきます。

同様の理由からアメリカの政治もまた、キリスト教に強く影響されて発展して来たと
言います。まずアメリカの知性を象徴するハーバード大学は、ピューリタンの神学校と
して設立されました。それゆえこの国の「知性主義」は、この系譜を引くのです。

しかし建国の過程で、実権を握るピューリタンの主流派教会に対して、平等主義を
唱える信仰復興運動によって力を得た、反主流の福音主義派のキリスト教徒と、
建国の父祖となる信教の自由を求める世俗政治家が手を結び、政教分離国家が
出来上がったと言います。

つまりこの信仰復興運動に「反知性主義」の原点があるのです。以降、信仰復興運動
は「熱病」にも似て、幾度にも渡って勃興し、この国の厳格なエリート主義としての
「知性主義」に対抗して、社会的弱者の平等を求めて行きます。

このように見て行くと、アメリカの政治が獲得した民主主義や自由主義が、キリスト
教的な考え方によって勝ち取られたものであることが、分かります。

この宗教の伝統を持たない私たちの国が、アメリカ型の経済制度の移入には成功
しても、与えられた民主主義や自由主義がなかなか根付きにくいことが、納得出来
ます。

また、この度のアメリカ大統領選挙での、大方の予想を覆したポピュリストと目される
トランプ大統領の誕生は、この国の疲弊の露呈と同時に、歪んだ「反知性主義」の
現れかも知れないと、感じました。

2017年10月23日月曜日

鷲田清一「折々のことば」910を読んで

2017年10月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」910では
我が道を行く独自の雰囲気がカッコ良かった、歌手ムッシュかまやつの自伝
『ムッシュ!』から、次のことばが取り上げられています。

 自分のデッドラインさえ超えていれば、デカイ顔をしていられるのだ。

何の変哲もない私の場合は、自分の価値観を持てばと、言い換えたいと思います。

若い頃には、自分が一体何者であるかが分からなくて、卑屈になったり、かえって
生意気になったり、また他人に自分がどのように見えているのかを意識し過ぎて、
殻に閉じこもったりしたものでした。

更には、何かに寄りかかりたくて、タバコなどの嗜好品に依存したり、友人との
人間関係に過剰な親密さを求めたり、映画や小説の主人公に自分を重ねて、その
人物のような人間になろうとしたり、今振り返ってみると若気の至りと言うしか
ありません。

でもその当時は、自分の人生がどうしようもなく窮屈で、この世を居心地悪く感じて
いました。

ところが何時の頃からか、人からどう思われるかよりも、結局自分が信じるように
生きるしか無いんじゃないかと、開き直って考えることが出来るようになって、
気持ちが随分楽になったような気がします。

でも自分が信じるように生きるには、その根拠となる価値観を持たなければなら
ないはず。かくして日々の生活の中で、自身がまだまだ色々な面で至らない存在で
あることを、痛感する毎日です。

2017年10月21日土曜日

鷲田清一「折々のことば」907を読んで

2017年10月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」907では
カント哲学の研究者で、鷲田清一の恩師にあたる森口美都男の次のことばが
取り上げられています。

 それなしで人が生きていけないものについて考えるのが、哲学です。

そして、小手先では答えの出ないものについて考えるのが、ということばも、付け加え
たいところですが、私自身は何も哲学とは、なんて大上段に構えるのではなく、”本質を
求めて考える”こととは、と言いたいところです。

私たちの人生は、日々選択の繰り返しなので、あるいは我々凡人は、暇さえあれば
将来に対する不安、対人関係や我欲にまつわる悩み事に煩わされているので、
意識せずとも、絶えず何かについて考えていると言えるでしょう。

でも、ここで言うところの”物事の本質について考える”という思考方法は、それなりの
意識と習慣を持たなければ、なかなか難しいと思います。

ではこのような思考方法には、一体どんな効用があるかというと、私自身の思うところ
簡単には答えの出ないことについて、腹を据えてじっくりと考える習慣が付き、物事を
冷静かつ客観的に考えることが出来ることだと思います。更には、簡単に答えの出ない
問題があることを認識することによって、いや、世の中には、一朝一夕に答えの出ない
問題の方が遥かに多いことを知ることによって、人生に対して謙虚になれるということ
ではないでしょうか。

なかなか難しいことですが、煩悩の多い私も時には、日常の些末な事柄を離れて、こう
いう思考に没頭したいと、常々思っています。

2017年10月19日木曜日

リービ英雄著「模範郷」を読んで

米国に出自を持ちながら、母語でない日本語で小説を書く作家。

私は日本に生まれ、しかも人生の大半の時間を生まれ育った土地を離れずに生きて
来た人間として、また学生時代には外国語としての英語を学んだにも係わらず、
大部分は忘れ去り、グローバル化や情報化社会の進展の中で、時として自身が母語
だけに縛られているような感覚に囚われる人間として、リービ英雄のような作家に対し
ては、自分には縁遠い存在という認識しか持っていませんでした。

たまたま読売文学賞受賞の本作を手に取る機会を得て、父親の外交官という仕事柄
彼が日本を含めアジア各国に移り住みながら成長を遂げ、”ヒデオ”という名前が父の
友人に因む本名であることを知り、さらに日本占領下の台湾が彼の「故郷」として、
アイデンティティ形成の掛け替えのない、意味を持つことを知るにつけ、この作家が
自らの存在の意味を模索する中で、日本語で小説を書かざるを得なかった必然を、
私自身の想像力の範囲内で、理解することが出来たような気がしました。

また彼のような越境者の文学が、私のような限られた地域だけで生活している者に
とっても、日々グローバルな情報に身を晒されている現実において、さらには社会の
変化の速度が増して、世代間の価値観のギャップが著しい世相において、他者との
コミュニケーションの構築を手探りする上で、貴重な示唆を含むのではないかと、感じ
させられました。

さて4編の短編小説からなる本書の中で、私は表題作「模範郷」よりも「ゴーイング・
ネイティブ」という作品に強い感銘を受けました。

この作品はネイティブに転じるという意味を持つ英語の言い回しGOING NATIVEを
契機として、”人種上は西洋人でありながら文化上はアジア人として生き、文学を
書いた”ノーベル文学賞受賞者パール・バックについて思いを巡らせる短編で、彼女が
キリスト教の宣教師の娘として幼少期より中国で暮らし、中国人の感性や文化的伝統
を体得した初めての西洋人として、文学を表したことの越境文学者としての価値を
再評価しながら、同時に彼女の作品が中国で評価されなかった背景として、彼女が
その作品を中国語ではなく英語で発表したことに原因の一つを求め、そのことによって
著者リービ英雄自身がこれからも日本語で文学を書き続ける覚悟を再認識している
ように感じられます。

作者の文学に取り組む切実さが、滲み出る好著です。

2017年10月17日火曜日

カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞に寄せて

イギリスの作家カズオ・イシグロの本年度ノーベル文学賞受賞が決定しましたが、
私は彼の作品をこれまでに読んで、その小説の魅力にすっかり引き込まれて来た
者として、その受賞をことのほか嬉しく思いました。

彼の作品では「日の名残り」が一番好きで、第二次世界大戦前夜イギリスの政治を
リードした貴族政治家の栄光と挫折を、その執事として長年仕えた主人公が回想
する苦い郷愁に満たされた物語に、イギリス的な伝統に則った実直さ、そしてもしか
すると、作者の身中に流れる日本人的な心情が、主人公の抱く主人に対する忠誠心
に共感を持って、丁寧にストーリーを紡ぎ出させて行く様子に、愛おしさと好ましさを
感じるからです。

私は常々、自分が感銘を受けた文学作品などを、些細なことでも自身の人生と
重ねて感じ取る性癖があるので、今回は「日の名残り」の元執事の回想から、
私たちの営む白生地店の来し方についても、思いを巡らさずにはいられません
でした。

バブル崩壊後、阪神淡路大震災を経て、人々の呉服離れが急激に加速し、これから
どのようにして商売を続けて行くかと立ち止まっていた時に、折しも着物に造詣の
深い文筆家清野恵理子様より、帯揚の誂え染めの御依頼を受け、清野様の
ご尽力でその経緯が婦人雑誌等に紹介されることによって、私たちの店に誂え
染めの帯揚げという新たな商品部門が生まれました。

正に人生も、商売も人との出会い、「日の名残り」の主人公のようなほろ苦い回顧
とは限らず、時として自らの来し方を振り返ってみることは、色々な意味で自分の
人生の意味を再確認することだと、改めて感じました。

2017年10月15日日曜日

石川九楊著「<花>の構造ー日本文化の基層ー」を読んで

書家であり優れた評論家でもある石川の著述は、書をベースにした独自の視点からの
文化論に興味を感じて、時々手にして来ました。

本書も<花>という艶やかな文字を、彼がどのように調理するのかという点に引き付け
られて、ページを開きました。石川は書家という立場から、言葉が文化を形作ることを
説得力のある語り口で語ります。

本書第1章「話し言葉、書き言葉、そしてネット言葉」は、<花>そのものへの言及の
前段階として記されたものではありますが、私にとって大変興味深く感じました。

つまり書き言葉は、書くという行為を通して内省を促す度合いが強い言葉であり、
話し言葉は、話し相手の反応を観察、推し量りながら、絶えず柔軟に変化させつつ操る
言葉である。

それに対してネット言葉は、書き言葉の内省もなく、話し言葉のように相手の反応を
忖度することもなく、一方的に発信される傾向の強い言葉である。

今日のネット上の誹謗中傷、過度の個人攻撃、炎上などは、その特性によるところが
大きい、というものです。

私もブログをネット上に発信している一人として、自省の思いを強くしてこの文章を読み
ました。

さて石川は彼の持論である、日本語は中国から移入された漢字語と、日本古来の言葉を
ベースにしたひらがな語によって複合的に構成されていると説き起こします。

この言語の中で、漢字語は政治、宗教、哲学、思想を表現し、ひらがな語は、風情、情緒
などの感覚的なものを表現します。<花>という言葉も、中国語の「華」から転化した
「花」に、ひらがな語の「はな」の読みが当てられて、定着していったと言います。

その過程において「花」の言葉には、植物の花の意味合いだけではなく、季節の移ろいや
男女の性愛の意味が込められて行きます。

本書ではその具体例として、万葉仮名で記された「万葉集」や、かな文字で記された
「古今和歌集」の写真図録が掲載されて、説得力があります。

日本語がこのように入り組んだ言語構造を持ち、またそれゆえ日本文化が複雑な独自の
形で発達を遂げて来たこと。

またひらがな語に由来する感覚的なものが、今日までも流行歌に取り込まれて、人々の
感情の琴線を震わせていること。

更には、現代における合理主義の浸透や情報化社会の発達が、我々日本人の心情を
ひらがな語的な深い内省を伴わない感覚重視の傾向へと傾かせ、底の浅い世相を生み
出していること。

<花>という一字の探求から、このような結論を導き出す、著者の手わざは鮮やかです。

2017年10月11日水曜日

出入りの大工さんの廃業を聞いて

先日出入りの大工さんが突然、廃業の挨拶にこられました。

事情を聞くとご本人は独身の上、介護の必要な高齢のお母さんと二人暮らしで、過日も
仕事に出ている時にお母さんが突然体調を崩されて、対処に困ったということで、
自身も60歳を過ぎ、大工仕事も年々減少しているので、このあたりで辞めて弟家族の
近くに引っ越し、助けを借りて介護をしながらアルバイトでもして、暮らそうと思っていると
いうことでした。

決断するために大工道具も手放しすっきりしたと、寂しそうに笑っておられました。

考えてみると、この大工さんとは先々代のおじいさんの代からの付き合いで、私たちの
店の古い町家のメンテナンスを一手に引き受けてもらって来ました。具体的には、家屋の
自然災害によって傷んだ箇所の修理、年月の経過によって老朽化した部分の補修、
風呂、台所、トイレの改修、それに伴う上下水道、電気工事の請負など、この大工さんは
関連の業者に対しても顔が広かったので、何でも安心して頼むことが出来ました。

そのような事情から寂しさを禁じえないと共に、これからどうすればよいかと不安も残り
ますが、知り合いの同業者を紹介していただけるということで、いざとなったらお願い
しようと思っています。

建築の業界も、個人的に仕事を請け負う零細な工務店が、仕事を続けることがだんだん
難しくなって、生き残るのはある程度以上の規模を持つ業者に集約されて行くのでしょう
が、長年の個人的な付き合いでこちらの事情を知り尽くし、些細な事も気軽にお願い
出来るこの大工さんのような方がいなくなることは、私たちにとっても大きな喪失であると
感じずにはいられません。

2017年10月9日月曜日

京都高島屋7階グランドホール「加山又造展 生命の煌めき」を観て

版画作品でも秀作を残した日本画家加山又造は、私にとって気になる存在でした
が、日本画の作品は創画会展等で数回目にしただけでした。京都高島屋でまとまった
作品を集めた展覧会が開かれるということで、足を運びました。

まず興味深かったのは初期の作品で、動物、鳥を題材に、未来派、シュールレアリスム、
キュビスムなど、西洋の美術思潮を大胆に取り入れて、独創的な日本画を制作して
いることです。

勿論日本の若い画家が、西洋の美術運動の影響を受けることはまま見られることで、
決して特別なことではありませんが、加山の場合それが単なる模倣ではなく、血肉と
なって彼の以降の絵画の中に消化されていると感じさせるのが、とても斬新でした。

その後彼の作品は琳派、水墨画などの影響を受けて、日本の伝統的な絵画様式を
見直す方向に回帰して行きますが、その根本には若い頃に培った西洋の前衛的な
美術を通した対象の捉え方があると、感じました。

その彼の傾向が顕著に現れる例として、私は日本画にしては硬質で、鋭い独特の
線が挙げられると思います。これは分かりやすい例では裸婦に見られるもので、また
冬の木立の表現などにも用いられ、彼の絵画の魅力を決定づけるほどに、重要な
ものだと感じさせます。

つまり、従来の日本画のたおやかな線ではなく、シーレやビュッフェに見られるような
対象を切り取るような鋭い線とでも言いましょうか、そのような線を用いることによって、
加山は自身の日本画の中に、現代的な洗練と洒脱を生起させることに成功したと、
感じました。

もう一つ印象に残ったのは、私の仕事にも通じる着物の作品で、彼の父親は京都の
着物の図案家であったということで、彼も着物に強い思い入れを持っていて、自ら
実際に制作したということです。

その着物の作品は、生地に直接波や鶴、牡丹の花などが素描で描かれていて、
私などにはかえってその並外れた筆力が、ダイレクトに伝わって来るように感じ
られました。このモダンな装いを持つ日本画家も、伝統工芸の血を確かに受け継いで
いるのです。

2017年10月6日金曜日

二宮善宏著「「快傑ハリマオ」を追いかけて」を読んで

「ハリマオ」というと、50年以上も前の私がまだ年端も行かぬ子供の頃に放映された
テレビ番組なのに、その主題歌のメロディーと歌詞を今もおぼろげながら思い浮か
べることが出来る、まるで原風景のように心に残るドラマです。この本を書店で目に
した時、表紙カバーの主人公の写真にも強く惹きつけられて、思わず手に取りました。

本書が刊行され話題になっているのも、一つはテレビ放送が開始されて早や60年
以上の年月が経過し、またITという新たな情報通信、映像媒体が急速に普及して、
テレビというもののルーツと存在意義について改めて検証しようという機運が、
広がって来ているためかも知れません。

事実昨年にはNHKで、草創期のテレビ放送と深い係わりがある、黒柳徹子を主人公
にした良質なテレビドラマが放映されて、大きな反響を呼びました。これからも初期の
テレビ放送を振り返る、様々な企画が続くのでしょう。

さて「ハリマオ」放映時に私自身がまだ幼かったので、その印象はうっすらとした輪郭
しか残っていません。しかしこの本を読み進めて行くと、まだ娯楽としての劇場映画が
全盛の時代に、テレビ草創期のテレビ制作者やスタッフが、限られた予算と時間に
縛られながら、懸命に番組を作り上げようとした熱気が伝わって来ます。

敗戦後の窮乏から高度経済成長期へと突き進む、我が国の経済状況の変遷と轍を
同じくして、テレビという新しい映像媒体を育て上げようとする、使命感に燃えた
制作会社社長の陣頭指揮の下、まだ家族的な雰囲気の残る制作現場で、スタッフが
それぞれの立場で、情熱的に番組作りに励んだ姿が見えて来ます。

また「ハリマオ」の主題歌の歌い手として、当時売れっ子の三橋美智也を起用した
ことも、私のかすかな記憶からも明らかなように、ヒットを決定づけました。制作者には
先見の明もあったのでしょう。

主演の勝木敏之については、以降早く芸能界を退いたこともあって、コスチュームの
出で立ちしか思い出せません。一つの大ヒットの後、人知れず姿を消すというスターの
淋しい末路の一つの形かも知れません。

このドラマの主人公ハリマオのモデルは実在の人物で、日本からマレーに渡り、
盗賊団の首領、日本の諜報機関の協力者として活動したと言います。戦時中
軍国美談の英雄として祭り上げられた後、戦後には再びジャワ独立運動に身を捧げた
勇者として、ドラマの中で活躍するのです。

このドラマの設定、ストーリーも、敗戦後の庶民の中にくすぶる憤懣や、やるせなさを
解消する意味において、視聴者の喝采を浴びたのでしょう。

2017年10月4日水曜日

龍池町つくり委員会 45

10月3日に、第63回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回はまず中谷委員長より、学区内のホテル等の建設工事に関する報告がなされ
ました。

工事を巡り建築関係者と町内住民とのトラブルが発生している柿本町では、工事に
よって直接影響を受ける、現場に隣接する住民の要望書を町会長主導で、建築主、
設計事務所などに提出し、それに基づいて近く説明会が開催されることになりました。

役行者町の旧小松屋さんのホテル建設予定地に関しては、9月29日に解体工事
についての説明会があり、事業主はNTT、施工者は大林組ということです。ただ
近辺で他のホテル建設工事も予定されており、工事車両の錯綜が心配されます。

これらの建設問題は、これからの町内の安全や住環境にも深くかかわる問題なので、
町内住民が良く話し合った上、当事者間のコミニケーションを取って解決を図るべき
であり、そのようにすることが将来の町内の活性化につながり、また町内だけでは
解決出来ない問題は、自治連合会を通じて全地域住民で分かち合うという方針が
確認されました。

京都外国語大学との提携プロジェクトについては、南先生より当初の大原学舎を
巡る写真展示企画を一旦白紙に戻し、薬祭りにちなみ二条通の歴史と現状を学生と
一緒に調査研究することを経て、新たな企画を立案するということになりました。

公益財団法人龍池教育財団主催、龍池自治連合会共催で、11月3日に学区住民に
もっと大原学舎に対する認知度を高め、親しんでもらうことを目的に、「大原草刈り
プロジェクト」が開催されます。この企画は当日現地で午前中には草刈り等の環境
整備活動を行い、昼からはバーベキューで親睦を深めるというもので、当委員会の
寺村副委員長が主体となって計画されました。

新春恒例の「きもの茶話会」は、1月21日あるいは28日に開催を予定することになり
ました。

2017年10月2日月曜日

鷲田清一「折々のことば」886を読んで

2017年9月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」886では
”言い習わし”から次のことばが取り上げられています。

 腑に落ちない

身体と心が深い部分でつながっていることに、私が実感を伴って気づいたのは最近
のことです。

若い頃には思念や感情の方が先走って、身体というものは煩わしく思い通りに
ならないもの、かえって足かせとなるもののように感じられることが、ままありました。

例えば私は運動があまり得意ではなかったので、スポーツをする時には思うように
いかず、自分の身体をもどかしく感じていましたし、容姿にも劣等感を持つ部分が
あったと記憶しています。

また若さに任せて、仲間と騒ぎながら飲食する時にはついつい暴飲、暴食して、翌朝
の苦しさに後悔したり、何かに熱中してむやみに夜更かししてしまい、日中にぼおっと
して無気力な状態に陥ったことなどが思い出されます。そんな時には、自分の身体を
持てあましていたと思い当たります。

しかし、次第に歳を重ね最早若くはなくなって、身体の無理がきかなくなり、不摂生が
健康診断の数値や体形に現れるようになると、さすがに自分の健康が気になるように
なりました。更には父や身近な人の死が、身体や健康について取り上げた本に興味
を持たせることにも、なりました。

そうするうちに、健康について考えることは、自分の身体に問いかけることであり、
身体と心は密接につながっていると気付いたのだと思います。

上記のことばの示すもやもやした身体感覚が、特定の心の働きを見事にいい当てて
いることも、今なら納得することが出来ます。