2017年10月21日土曜日

鷲田清一「折々のことば」907を読んで

2017年10月19日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」907では
カント哲学の研究者で、鷲田清一の恩師にあたる森口美都男の次のことばが
取り上げられています。

 それなしで人が生きていけないものについて考えるのが、哲学です。

そして、小手先では答えの出ないものについて考えるのが、ということばも、付け加え
たいところですが、私自身は何も哲学とは、なんて大上段に構えるのではなく、”本質を
求めて考える”こととは、と言いたいところです。

私たちの人生は、日々選択の繰り返しなので、あるいは我々凡人は、暇さえあれば
将来に対する不安、対人関係や我欲にまつわる悩み事に煩わされているので、
意識せずとも、絶えず何かについて考えていると言えるでしょう。

でも、ここで言うところの”物事の本質について考える”という思考方法は、それなりの
意識と習慣を持たなければ、なかなか難しいと思います。

ではこのような思考方法には、一体どんな効用があるかというと、私自身の思うところ
簡単には答えの出ないことについて、腹を据えてじっくりと考える習慣が付き、物事を
冷静かつ客観的に考えることが出来ることだと思います。更には、簡単に答えの出ない
問題があることを認識することによって、いや、世の中には、一朝一夕に答えの出ない
問題の方が遥かに多いことを知ることによって、人生に対して謙虚になれるということ
ではないでしょうか。

なかなか難しいことですが、煩悩の多い私も時には、日常の些末な事柄を離れて、こう
いう思考に没頭したいと、常々思っています。

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