2022年2月25日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2280を読んで

2022年2月1日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2280では 朝日新聞「ひと」欄(1月21日朝刊)から、元中日ドラゴンズの名投手・山本昌の次のことば が取り上げられています。    でも、僕は知っているだけで、できていなか    った 入団5年目、修業で米国にだされ、派遣先の球団職員から告げられたアドバイスに、最初は そんなことはとっくに知っていると思っていたのが、実は本当には体得していなかったことに 思い至り、それから投球術に開眼したと、彼は語っているそうです。 誰しも、知識としては知っていると思っていることが、実際には真の意味で理解してはいな かったと、後に気づくことがあるものだと思います。 本当の意味で物事を知ることは、体験に基づかなければならないのだと感じます。だから色々 なことを体験し、実践することによって、真の意味の知識は獲得されて行くのだと思います。 それは何も肉体的実践によるものとは限らず、例えば勉学にしても、ただ丸暗記するだけでは なく、その知識を応用したり、あるいは間違った答えを気づきによって更新することの繰り 返しから、だんだんと身に付いていくのだと思います。 このように、実践、行動、主体的な学びを、実用的な知識につなげて行ければと、感じます。

2022年2月18日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2274を読んで

2022年1月26日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2274では 作家・坂口安吾の評論「恋愛論」から、次のことばが取り上げられています。    ほんとうのことというものは、ほんとうすぎ    るから、私はきらいだ。 ここでは、人は死んだらそれまでとかの、「あたりまえすぎる」ことを言ってどうなる か、ということが語られているそうです。 確かに、当たり前過ぎることは、それなりの真理を含んでいますが、でもそう言って しまうと限定されて、それ以上の広がりがないように感じます。 それよりも、他の可能性を信じて、試行錯誤を続けたり、思い切って飛び込む方が、 遣り甲斐があり、ずっと楽しいと思います。 でも現実は、そんなに甘くないのも事実。あんまり楽観的に突き進むと、きっと痛い目 に遭ったり、取り返しのつかないことになります。 ですから、要は上手くバランスを取ること。この言で行くと、ほんとうのことも念頭に 置きつつ、可能性も信じてチャレンジするということではないでしょうか? そして年が若いということは、それだけ常識より可能性の方に比重を置いて、行動出来 るということだと思います。 私などは、そろそろ老境に差し掛かっているので、常識に少し多い目に軸足を置かなけ ればならないのでしょうが、でももう少し、非常識なチャレンジもやってみたいなとは、 密かに思っています。

2022年2月15日火曜日

レイチェル・カーソン著「沈黙の春」を読んで

化学薬品による、環境破壊を告発した伝説的名著です。いつかは読もうと思いながら、ようやく 読み終えました。 まず私にとって驚くべきは、1962年という早い時期に、本書が著されたことです。この時期は、 日本では高度経済成長のただ中で、東京オリンピックの2年前、当時小学生であった私の記憶 では、母の郷里の滋賀県の農村部で夏休みを過ごした時に、時間を指定して家屋内に留まるよう 有線放送のアナウンスがあり、窓ガラス越しに見ていると、周囲一体にヘリコプターによる農薬 散布が実施されて、飛んでいるトンボが酩酊状態で窓ガラスに激突する、忘れられない場面を 目撃しました。しかしその当時は無論、その事の重大さに全く、思い及びませんでした。 この頃のアメリカは、日本に比べて遥かに先進の地で、従って、化学薬品による汚染問題も懸念 されつつあったと想像されますが、未だ深刻な事態に至っているという一般の認識は乏しく、 それ故、カーソンの声高な告発は、重大であったと推測されます。今本書を読むと、その主張の 主意は至極もっともで、なぜ当時の人々は、その弊害に思い至らなかったのかと、歯がゆく感じ ます。 でもこれは、後世の人間の傲慢な感想というもので、人類は経験を積み、失敗を繰り返して知識 を蓄積し、事態を改善して行ったと言えます。しかし、化学薬品による環境破壊は、出来るだけ 速やかに解消されるべき重要な問題で、それだけにカーソンの告発には、大きな価値があるの です。 人間が危険な化学薬品を積極的に使用する要因として、カーソンは2つのことを挙げています。 1つは、皮肉なことに、皆がもっと良い、楽な生活を求めるため、もう1つは、私たちの経済の 一部、並びに生活様式が、このような恐ろしい薬品の製造や販売を要求するためです。この適確 な指摘は、人間の業、並びに資本主義的生産様式の弊害をあぶり出します。 また、昆虫防除に化学薬品を使い出してから、人間が見落としている2つの重大なこととして、 1つは、自然そのものの行うコントロールこそ、害虫駆除に本当の効果があること、もう1つは、 ひとたび環境抵抗が弱まると、ある種の昆虫は、爆発的な増殖を示すことを挙げています。 この指摘などは、現在地球の環境保全のために提唱されている、SDGSのスローガンともつながる ものです。正に、時代を経ても、色あせない名著です。

2022年2月9日水曜日

辻村深月著「琥珀の夏」を読んで

辻村深月の作品を読むのは、初めてです。カルトと思しい閉鎖的な教育団体の過去の行状を 通して、私たちの社会の在り様を問う重いテーマにも関わらず、一気に読ませるストーリー テラーとしての才気は、流石です。 しかしテーマが壮大なだけに、キャラクター設定や話の運びの細部の違和感や、物語の終わ りに、まだ問題が解決されていないようなもやもやが残る物足りなさはありましたが、私 たちの幼少体験と記憶を巡る問題、そして教育の理想について、大いに考えさせられる小説 でした。 ミステリー仕立てでもあったため種明かしは避けますが、物語の発端は、かつてこの団体の 子供たちが集団生活を行っていた施設の敷地跡で、少女の白骨遺体が見つかったことです。 その事件の解明に、自らも小学生の時その施設での短期合宿を体験した女性弁護士・法子が 係わって行くことになるのですが、当然の成り行きとして、当時の記憶を遡ることから話は 進んで行きます。 さてこの団体の教育理念は、子供は親から切り離されて集団生活をし、先生の指導の下自主 的に問答という話し合いを繰り返して生活方針を決め、考え方を深めて行きます。私もかつ て子供の集団生活と専門の教育者による教育が理想的な環境を生み出す、という言説に触れ たことがあります。その時にも、親から切り離される子供は果たして幸せなのか、という 疑問を感じました。この小説も正に、この問題が重い影を落とします。 即ち、小学生の時短期合宿に参加した法子は、この教育方針にある種の理想を見て、そこで 垣間見た合宿生活を送る内部の子供に、親愛の情を抱きます。しかし実際に内部で暮らす 子供は、この団体が不祥事を起こしたこともあって、孤立を深めて行きます。 子供の生育には、出来ることなら肉親の愛情を持った見守りが、必要なのではないか?また 教育には理想は大切ですが、それだけに囚われるのは弊害も大きいのではないか?ましてや それを指導する大人も生身の人間であるから、なおさらです。 主人公法子は、殺人を疑われるかつての内部の友達夏美の心を開くことによって、この団体 の過ちを明らかにすると共に、夏美の心に救いをもたらします。それはとりもなおさず、 法子の記憶をも、闇の中から救い出すことになります。

2022年2月1日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2267を読んで

2022年1月19日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2267では 作家・姜信子との往復書簡『忘却の野に春を想う』から、歴史社会学者・山内明美の次の ことばが取り上げられています。    季節の暮らしをしてみること、それがきっと    人間の骨格をつくっていくんだ 私も現在、店舗兼自宅の建て替えのために、マンションで仮住まいをしていて、このことば の語るところの意味を、痛切にかみしめています。 私の元住まいは、京町家であったために、老朽化して隙間風が吹き込み、敷地内で建物が 分散して建っていたいたために、冬寒く、仕事をするにも、生活するにも、決して効率的で も便利でもありませんでした。 その代わり、所々にある坪庭や建具の夏、冬に向けての交換が、季節の移ろいを感じさせて くれましたし、行事に即した設えの準備、床の間の掛け軸の交換、店の前や土間、庭や離れ の掃除などの日々の雑務が、日常を過ごしている実感を与えてくれました。 ところがマンション住まいでは、これらのことを感じたり、したりする暇や必要が全くなく、 何か生きているという実感がとても希薄なのです。 慣れればおしまい、かえって負担が少なく、楽である、と言えばそれまでですが、私には これらの諸々がなくなることがとても寂しく、張り合いがなくなるように感じられてなりま せん。 そしてこのような季節の感覚や雑務が、これまでは確実に、私という人間を形作ってきたと 思うのです。新しい家が出来たら、前とはかなり住まい方が変わりますが、どのように折り 合いを付けて行くか、それがもっぱら、現在の懸念材料の一つです。