2018年6月29日金曜日

是枝裕和監督作品「そして父になる」を観て

是枝監督の「万引き家族」が、今年度のカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した
ことを記念してテレビ放映された、第66回同映画祭審査員賞受賞作「そして父になる」
を観ました。

今回の放映作品は、監督の特別編集によると名うたれていたので、公開時とどれほど
相違があるかは分かりません。ただ、当時の映画評等で、おおよそのあらすじは知って
いたのですが、実際に観てみてラストがとても印象的でした。

エリート建築家野々宮良多、みどり夫婦の一人っ子、6歳の慶多と、電気店を営む
斎木雄大、ゆかりの長男琉晴が、二人が生まれた病院で取り違えられていたことから
始まる物語は、一見何不自由ないように見える野々宮家の父子関係の希薄さを
明らかにします。

他方決して裕福とは言えない斎木家の子供たちは、本気で向き合ってくれる両親の
影響もあって、生き生きと育っています。子供にとっては、果たしてどちらが幸せか?

斎木夫婦の言動で、同じく自営業の私が面白く感じたのは、夫婦が良多の面前で
取り違えをした病院に請求する慰謝料のことを、赤裸々に語った部分。それを聞いた
良多が、斎木家が金に困っていると勘ぐるのですが、私の経験上も商売人という
ものは、内輪で金の話しをあけすけにするようでいて、その実内心は家族の絆を
大切に感じているというニュアンスを巧みに表現していて、是枝監督の細部に至る
人間観察力を感じました。

話しをラストに戻すと、ある意味で図式化された野々宮家と斎木家の親子関係の
描写の後で、それでもそれぞれの家庭の親子の愛情と絆の形があり、個々の
家族がかけがえのないものであることを、ひらめきのように思い起こさせてくれる、
唐突ではあるが深い余韻を残すラストが、秀逸であると感じました。

2018年6月27日水曜日

赤坂憲雄著「性食考」を読んで

私が本書を手に取ったのは、私自身が還暦を過ぎて最近とみに、私たちの暮らす
現代社会が、死や生という生物である人間が本質的に背負うものを包み隠し、
あるいは、商品化して表面的、形式的に取り扱おうとしていることに、違和感を感じる
ようになって来たからです。そのような社会を覆う雰囲気は、人生も終盤を迎えた
人間に、何とはいえぬ寂しさを感じさせずにはおかないのです。

また本書のタイトルからも察せられる、性と食を結びつける思考というものも、両者が
我々の宿命的な生の営みの中でも、慣習的にネガとポジの役割を果たさせられて
いる行為でありながら、本質的には直結した関係を持つことを明らかにすることに
よって、人間の失われた野性を掘り起こそうとする試みであることに、大きな魅力を
感じたからです。

さて本書は、民俗学者の著者が我が国、世界の神話、民話から最近の科学的研究に
至るまで丹念に目を通して、人間の性と食の本然的な結びつきを明らかにしようと
するものです。

積み重ねられた論考の中で、私の心に残ったのは3点。まず1点は、中村桂子著
「生命誌とは何か」を巡る、生命誕生の歴史の科学的考察から、生物の生死と性の
結びつきを論じる部分で、原始的存在である単細胞生物には死がなく、多細胞生物に
なって初めて死が生まれる。多細胞生物では個体は死を迎えながら、生命を受け
継いで行くために、生殖活動を営むということです。

正に科学的事実から生と死と性の不可分が説明され、それに引き続き著者は、
各地の創世神話の中に、生物進化との関連性を探ります。文明化以前の人類の
本能的な智恵や直感があらわになるようで、スリリングでした。

2点目は、仏教の教化のために、我が国で一時盛んに描かれた「九相図」の生々しさ
について。これは一人の人間が死に、白骨化するまでを克明に描写し、人の世の無常、
凄惨さを示すことによって、煩悩を断つ必要を教えるための図ですが、そのリアルさを
演出するために、かえって、生と死と性の深い結びつきが図上に現出することが、
感慨深く感じました。

最後に死者に切り花を手向ける行為が、植物の生命を絶ち、その生殖器官である花を
死者に差し出すという意味で、供犠の役割を果たすという記述。死者に花を供える
ことの本来の意味が、実感として理解出来た気がしました。

2018年6月25日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1148を読んで

2018年6月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1148では
評論家渡辺京二の『原発とジャングル』から、次のことばが取り上げられています。
                             
  政治には計算がつきものであるが、つきあいに計算は要らぬ

私は友人があまり多いほうではありませんが、振り返ってみると、小学生時代に
出会った友、中高生時代に巡り合った友、大学生時代に親交を結んだ友が、今でも
付き合いの続く友達になっています。

還暦も過ぎると、小学校時代からの友人は、会えば無条件に童心に帰れる友、話す
うちに気が付けば当時のあだ名で呼び合い、私が私学に進学したこともあって、
小学校卒業後長い期間接点が少なかったので、互いの社会人生活の情報が新鮮で、
話し込むうちに気分がリフレッシュする感覚に囚われます。

中高生時代からの友人は、互いの生活環境も似ていて、社会人になってからも
付き合いがつづき、ある意味腐れ縁的な感じもある友たち。互いの人生の節目にも
関わり、若い頃には遊びが交友の中心でしたが、歳を重ねるうちに、それぞれの
健康上の問題や、社会生活上のトラブルなども起こるようになって、助け合える
ところは助け合い、励ますべきところは励まし合って、さりげなくではありますが、
それぞれの人生にとって欠かせない存在になっているように感じます。

一方大学生時代からの友人は、卒業後各地に散らばり、各々が会社勤め中心の
人生を送り、生活も落ち着き始めてから、青春時代への郷愁も芽生えて、母校の
所在地で同窓会を開くようになり、そこに今なお居住する私も、定期的に会うように
なった友たち。社会人になってから歩んできた人生は、私とはかなり違いますが、
老齢を迎える今後の生き方など共通する話題もあって、集まると話は尽きません。

私は、利害のない友人関係を、これからも大切にして行きたいと思います。

2018年6月22日金曜日

羽二重4匁のこと

ここ数年、全国の個人のお客さまから、羽二重4匁のご注文をいただきます。この
現象は私たちの店三浦清商店では、かつてなかったことです。

羽二重4匁は、詳しい説明はここでは省きますが、当店で扱う絹の羽二重という
種類の白生地の中でも最も薄い生地で、一枚をかざして見ると、生地を通して
向こう側が透けて見えるほど薄く、目方も普通の紙よりも軽くて、薄さゆえに
絹本来の光沢が浮き上がって見える、とても美しい生地です。ただ、余りにも薄い
ので、耐久性には劣る部分があります。

生地の規格は幅が92cmで、長さが46m、当店では1巻売りと、1m単位の切り売り
をしています。

従来は、絞りの着物の裏打ちや刺繍の裏打ちに使用され、そういう用途でこの
生地を求められるお客さまが大半でした。もっとも現在の用途に通じる、かんざし屋
さんからの注文も確かにありました。

さて最近は、布をピンセットでつまんで花びらの形を作り、糊で台に固定して花の
アクセサリーに仕上げる、つまみ細工が流行しています。これはかんざし屋さんの
手法にも通じるものですが、この流行の特徴は、プロではなく一般の人が自分で
好みのアクセサリーを作るというところにあります。いわゆる”もの消費”ではなく、
”こと消費”ということでしょうか。

そして、このつまみ細工に最適の羽二重4匁の白生地を販売しているところが
全国的に少なく、私たちの店に白羽の矢が立ったという訳です。

つまみ細工を一般の人に指導したり、普及のために初心者向けの本を出版して
おられる先生方も、当店を自身がご利用していただくだけではなく、広く紹介して
くださるので、私たちの店で購入していただく一般のお客さまが増えたということ
です。

従来とは違う客層の方々が店を訪れられて、私たちも新鮮な刺激を受けています。

2018年6月20日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1138を読んで

2018年6月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1138では
第76期名人戦で立会人を務めた将棋の森九段が語った、次のことばが取り上げられて
います。

  感想戦は負けた側のためにある。

将棋の対局後の感想戦は、たまにテレビで目にするぐらいですが、このことばを読むと、
その深い意義の一端が感じ取れます。

確かにその勝負に負けた人が、敗因を勝者と一緒に検証することは、敗者にとって
負けた理由を知り、自分の技量を向上させるための最良の方策となるのでしょう。

そういえば将棋とは畑違いですが、かつてプロ野球の名選手で、監督としても名将と謳わ
れた野球解説者が、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、と語っている
のを聞いたことがあります。

つまり思いがけない幸運によって偶然に勝つことはあるけれど、負けた時には必ず明確
な敗因があるという意味で、強くなるためには勝利におごらず、敗因をこそ検証すべきだ、
ということです。この格言は、勝負一般に当てはまることなのかも知れません。

更には、勝者が敗者の心情に寄り添うという点でも、感想戦で負けた人を優先させる
意味はあるでしょう。

互いに知力や技量を尽くした攻防の後、互いの健闘を讃え合う。その時に勝者の側から
敗者に近寄り、相手をねぎらうという姿勢は、その勝負の後に爽やかな余韻を残すの
でしょう。

敗者への敬意、いたわりこそ、その競い合いに格調を添えるに違いありません。

2018年6月18日月曜日

夏目漱石著「草枕」新潮文庫版を読んで

朝日新聞朝刊の一連の連載以来、久しぶりで漱石作品を読みました。初期の作品
ですが、クリエーターなどでこの作品が漱石の中で一番好きと言っている人も多い
ので、一度読んでみたいと思っていました。

さて、ページを開いてみると、彼の深い漢詩、漢文の教養に裏打ちされた饒舌体の
美文のとめどない羅列で、正直面食らうと共に、私自身漢文の素養がないので、
巻末の夥しい数の注解とにらめっこしながらの、たどたどしい読書となりましたが、
本書を読んで漱石作品の文体の独特のリズムが、漢詩の影響によって作り上げ
られていることを再確認し、また私にとって初体験と言ってもいい、漢文からなる
詩的表現の独自の透徹したみずみずしさを、知ることが出来たと感じました。

そして何より、少々くどいとも思わなくはない描写の連続の最後に立ち現れる、
文章表現の生み出すカタルシス!これについてはもう一度、最後に触れたいと
思います。

本書の描き出す場面描写の中で、最後以外で特に強く私の心に残ったのは以下の
二点です。

一つは主人公の画工が入浴している風呂場に、一糸まとわぬ若く美人の宿の出戻り
娘那美が足を踏み入れる場面。湯から発生した蒸気の煙に包まれて、仄かに浮かび
上がる彼女の形が良い裸体のシルエットの詩情を湛えた美しさ。そしてその裸身が
画工の眼前に現れる直前に、彼女が高笑いをしながら引き返し、風呂場を出て行く
というエキセントリックさ!

那美の画工への挑発とも取れるこの描写は、一歩間違えば茶番に陥る危険を
逃れて、詩的情景を現出しています。

もう一点は宿の主人の茶会に誘われた画工が、その席で相客の観海寺の和尚と
共に、主人自慢の端渓の上質の硯を鑑賞する場面。本物の美を見極める能力を
有した人物が集って、優れた骨董品を愛でる情景の優雅さを、見事に描き出している
と感じました。

さて最後の場面に戻ります。美しく充分魅力的なはずなのに、画工が肖像を描くには
何か物足りないと感じていた那美の顔貌が、いとこの外地への出征を見送りに来た
停車場で、思いがけなくいとこと同じ汽車に乗っている別れた元夫を見かけて、憐憫の
情に歪む場面。画工はその顔色の微妙な変化を観て、本当に絵を描きたいと感じます。

ただ単なる人間の外形的な美だけでは不十分で、それに情緒が付加されて初めて、
絵画や文学の対象となりうるということを、漱石は語っているのだと感じました。

2018年6月16日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1131を読んで

2018年6月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1131では
新美南吉の童話「でんでんむしの かなしみ」より、次のことばが取り上げられています。

 わたしの せなかの からの なかには か
 
 なしみが いっぱい つまって いるのです

そういえば南吉の代表作「ごんぎつね」でも、それまでの悪戯のために兵十に誤解された
きつねのごんが、誤って撃ち殺された時、兵十はごんの心の本当のやさしさを知って、
大いに悲しみを感じましたっけ。

南吉は、宮沢賢治や金子みすずと同様に、人の心の悲しみに鋭敏に反応する作家だった
のでしょう。いや悲しみに敏感であるからこそ、人一倍優しい物語や詩を生み出すことが
出来たのに違いありません。

悲しみというのは往々に、人の心に寄り添うことによって生まれる感情なので、思いやりや
優しさに結び付き易いのだと、思います。ちょうどその対極の冷酷が、無慈悲とも表される
ように。

あるいは逆に、聖母や慈母観音といった、無限の大いなる存在によって悲しみを引き受け
てもらうことは、私たちの心に安らぎを与えてくれます。悲しみとは、包容力のある感情
なのだとも、感じます。

私たちが長い人生をたどる上では、喜び以上に多くの悲しい出来事に出会わないわけ
にはいかないでしょう。せめてその悲しみを、その後の人生の糧と転化することが出来る
生き方を通せればと、考えています。



2018年6月14日木曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 村人の顔 浮かぶコーヒー」を読んで

2018年6月5日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「村人の顔 浮かぶコーヒー」と題して、調査でエチオピアを訪れる筆者が、出発する
時にはスーツケースに現地の農民の家族に喜ばれる古着をたくさん詰め、帰りには
お礼にもらった手作りのコーヒー豆や、森でとれた蜂蜜を詰める様子を記して、それに
比べて私たち日本人が、ものを大切にすべきことや、消費する品物がどこから来て、
使用後どう処理されるかについて、余りにも無頓着である現状を語っています。

確かに、戦後余り時を経ない私の幼少の頃には、まだ洋服は貴重品で、父親の服の
着古しを母が利用して私のズボンを作ってくれて、私が得意げに着ていたことを、記憶
しています。

また日本の伝統衣装である着物は、何度も更生して着用することを前提として作られて
おり、直線裁ちで仕立て直しが容易であるという特徴を持っています。

その特徴に合わせて、着物の再更生に携わる和装業界の職種も多く存在し、悉皆や、
貸し見本や、小紋染めや、洗い張りや、練りや、染み落としや等、幾つも挙げることが
出来ます。和装が日常であった時代、私たちは自分の着物を長い年月大切に着用して
いたことが分かります。

他方私たちは現在、食料品をコンビニやスーパーなどで購入し、それが一体どこで産出
されたものであるかを知らず、またゴミとして出したものがどういう経路をたどって処理
されるかを知りません。

私の店並びに住まいの地区には、昔から洛北地域の農家が直接朝に取れた野菜を
売りに来るという慣習があり、私たちもよく購入していますが、そうして手に入れた野菜
は、生産者の顔が直接見え、その季節にふさわしい旬の品なので、安心しておいしく
食べています。

便利さや効率性の優先の裏で、私たちが忘れてしまった大切なことが、色々あると感じ
ます。

2018年6月12日火曜日

「紀元會貯金誓約書」のこと

先日、町内の私の父より少し若い世代の方が私たちの店をのぞかれ、これをちょっと
見てくれと、古い冊子を私にお示しになりました。

手に取って見てみると、白地の和紙を綴じた冊子の中央に、「紀元會貯金誓約書」と
黒々と墨書がされていて、昭和16年(1941年)5月と年号も添えられていました。

その方の語られるところによると、部屋を整理していて偶然にこの冊子を見つけたと
いうことで、何でも昭和16年は第二次世界大戦の開戦の年で、当時臨戦態勢下の
わが国で国民に対して、戦争に備えた貯金が奨励されていたそうで、西隣の町内の
有力な方が音頭を取って、私たちの町内共々有志の者が集まって、共同で貯金を
しようということに決まったらしいのです。

その方のお父さんもその企てに参加され、私の祖父も参加したので、縁のある孫の
私にわざわざ見せに来て下さった、ということでした。

貴重なものをお借りして目を通すと、最初にこの時勢に敢えて共同貯金を行う趣意が
記され、続いて各自が拠出する金額、貯金の預け先、預ける期間等の詳細、また、
貯蓄期間中には子孫に至るまで、何人も決して貯金を引き出してはならないという、
この会の誓約も記述されていました。

その内容は、各人がそれぞれ金10円を出し合い、郵便局に400年間預けると、期間
終了後には当時の利率から計算して1570,344円になるという壮大なもので、面白い
ことにその頃のお金の価値も物価という形で列記され、それによると、当時白米が
1斗当たり4円65銭、白砂糖が1斤30銭、鶏卵が100匁48銭、生糸が100斤1,350円、
純金が1匁14円60銭などです。当時の貨幣価値が彷彿とされます。

冊子の最後には参加者名が自筆で署名され、捺印もされていて、私はその中に、懐か
しい祖父の名前も見つけました。

この冊子を目にして、70年以上の昔と現在の私たちが、決して断絶しているのではなく
地続きであることを、今更ながら感じさせられました。

2018年6月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1122を読んで

2018年5月28日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1122では
生命誌研究者中村桂子の『科学者が人間であること』から、次のことばが取り上げられて
います。

 速くできる、手が抜ける、思い通りにできる。・・・・・・ありがたいことですが、
   困ったことに、これはいずれも生きものには合いません。

今日の科学技術の発達、高度情報化社会の到来は、合理的な意味での人間生活には
便利で、素晴らしいことですが、私のような古風な人間には、戸惑うことも多々あります。

例えば、飛行機や新幹線で遠隔地に移動できることは、ずいぶん利便性が高いと感じ
ますが、反面目的地へ到達するまでの過程の楽しさ、目的地で宿泊しなければならない
ことによるその地の印象深さや、目的を果たしたこと自体の充実感が、かなり薄められる
と感じます。

また飛行機の離着陸、新幹線が高速ですれ違う時、あるいはトンネルに突入する時など
に一瞬感じる胸騒ぎは、このスピードが人間の身体の許容量の限界ギリギリであるため
に、このような不安が芽生えるのではないかとさえ、感じます。

さらには、パソコンやスマートフォンで瞬時に手に入る情報は、大変便利で、私もついつい
頼ってしまい勝ちですが、その手段で得た情報は、位置情報やイベント情報など、客観性
の高いものを除いて、本当に額面通りに信じて良いのか、懐疑的にならざるを得ない場合
も、多々あります。

またそのような方法で得た情報に、何か温もりのない、薄っぺらなものを感じ、充たされ
ない気分に囚われることも、しばしば思い当たります。

私が仕事柄関心を持つ、伝統工芸品と工業製品との違いにも、この感じは当てはまり、
工業製品の利便性、スタイリッシュさに、手作り品は到底かないませんが、その代わり
そこには人間的な温もりが宿り、使うほどに体や手に馴染む趣きがあります。

手作り品には、上記のことばと逆の作用が働いているのでしょう。


 

2018年6月6日水曜日

龍池町つくり委員会 53

6月5日に、第71回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、ホテル等建設問題では、5月21日にNHKのディレクターが、この地域の民泊問題
について、中谷委員長のところに取材に来られたということで、マスメディアも関心を
寄せていることが分かります。

新たな動きとしては、新町御池角の労金跡に建設されるホテルの地元説明会が、6月
7日に、学区内の下妙覚寺町、西横町、イトーピアの住民を対象に、行われるということ
です。

ホテル建設問題で、地元と建設業者の間に軋轢がある柿本町の町つくり委員から、
京都市内でも住宅地では、ホテル、マンション等が新たに建設される場合、建設業者は
地元自治会に事前に承諾を得ることが求められているのに、商業地ではそういうことは
ないのか、という質問があり、澤野連合会長がその旨市役所に、問い合わせてみること
になりました。

秋の京都外大企画では、先日大原での花見に参加した学生さんたちより、本年の
テーマである「薬祭り」にちなみ、郊外学舎の敷地で薬草の栽培に挑戦することが発表
されました。

「ゆかた祭り」は、7月16日午後6時30分から9時30分までと決定。今回からは町つくり
委員会が単独で主催することになり、準備を進めて行くことになりました。鷹山のお囃子
をメインの出し物として、マンガミュージアム、京都外大の協力も得て、祇園祭を浴衣で
楽しむことを主旨とする楽しい催しになればと、考えています。

ポスターの制作も始まり、キャッチコピーを学生さん等に募集しています。当日はミュージ
アムから、飲食物の提供もしていただけるそうで、お囃子以外のアトラクションも、現在
検討中です。

2018年6月4日月曜日

黒田基樹著「羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩」を読んで

関ヶ原合戦から大坂夏の陣に至る、大坂城陥落、羽柴家の崩壊が、どのような経緯で
進行していったかを、当時の豊臣方の政治を担った秀頼の後見人茶々と、唯一の家老
片桐且元との確執と決裂を通して、明らかにしようとする書です。

本書の特徴は、現存する茶々から且元宛の当時の文書を実際に写真で掲載し、その
文言、内容を逐次丁寧に読み解き、解説することによって、臨場感を持って時代を包む
雰囲気や、当事者の息づかい、相手に対する想いを浮かび上がらせていることです。

その結果読む者は、まるでストーリーを追うように、これからの成り行きに思いを馳せる
ことになります。

私が本書を読もうと思ったのは、NHKの大河ドラマ「真田丸」を視聴し、次第に追い詰め
られて行く豊臣方の人々の心の動きに興味を持ったからで、最初ドラマと著者の関係に
ついての予備知識がなかったこともあって、ドラマの筋が余りにも本書と似通っている
ので、ドラマの脚本家三谷幸喜は、それほど最新の歴史解釈に造詣が深いのかと、驚か
されました。しかしこの本の後書きで、著者が「真田丸」の時代考証を担当したことを
知って、納得しました。

その意味でも本書は、私の当初の欲求を充たしてくれたことになります。

さてこの本の内容の中で、私がもっとも興味を惹かれ、著者も力点を置いているのは、
「方広寺鐘銘問題」発生直後の、且元が羽柴家の意を受けて交渉のために徳川家康の
元に赴き、和解案として秀頼、茶々が大坂城を出て、一大名に成り下がる内容の
「三ヶ条」を持ち帰り、羽柴家が承服しないだけではなく、他の重臣から、徳川方に
寝返ったという疑いを掛けられ、身の危険を感じて大坂城への出仕を取りやめた、慶長
19年9月中旬から、且元の弟の貞隆が大坂を退去した10月初めまでの、茶々と且元の
間の間接的なやり取りや心の動きです。

同じく羽柴家の存続を願いながらも、且元はたとえ大坂城を明け渡してでも、大大名と
して羽柴家が残ることを希求する名より実を選び、他方茶々たちは、あくまで大坂城に
君臨する名誉を選択し、結果滅びることになったのです。

ここらら見えて来るのは、存亡の危機に際して過去の栄光を捨て去ることの難しさ、
指導者として適格に状況に応じた正しい判断を下し、その方向に部下の意見を集約して
行くことの困難、といったところでしょうか。

現在にも通じる、永遠のテーマであるようにも、感じられます。

2018年6月1日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1120を読んで

2018年5月26日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1120では
作家津村記久子との共著『大阪的』から、大阪語の作法の妙について、編集者・
ライターの江弘毅の次のことばが取り上げられています。

 「ツッコミ」は「拾う」であり、その後のコミュニケーションに接続すること。ぴしゃりと
 一言で「これが正解だ」と示すのではない。

何も大阪に限らず関西の言葉のやり取りには、こういう作法が欠かせないと思います。
まず端的に表されているのは、漫才コンビの「ボケ」と「ツッコミ」です。

ボケ役がとぼけたことを言うと、ツッコミ役がたしなめたり、チャチャを入れたり、混ぜ
返したりする、お客さんの爆笑を誘って、またボケ役がとぼけたことを言う・・・という
具合に、二人の掛け合いで漫才はリズム良く進行します。

漫才コンビのどちらが話しを主導しているかというと、それはコンビによっても違い、
またボケ役とツッコミ役が入れ代わる場合もあるようですが、要するにそれぞれの
キャラクターのアピール度や絡みの話芸の特色から、お客さんに一番受ける
進行方法を選択するということなのでしょう。

ちなみに、一人で場を盛り上げる話芸の達人明石家さんまは、会場の一般人に
突っ込みを入れてその人の面白いところを引き出し、一般人に自分を突っ込ませたり、
自分で自分に突っ込んだり、ツッコミ役とボケ役を一人でこなす八面六臂の活躍で、
いつも感心させられます。

さて笑いのプロとは全然濃度が違いますが、私たちも会話をする時には往々に、
「ボケ」と「ツッコミ」の話しのやり取りの呼吸を求めているように感じます。例えば、
何気ない話の中にわざと冗談やとぼけた要素を入れて、相手から突っ込まれること
を期待するような・・・

私はこれまでそのような話し方の態度は、自分が相手に面白いことを言って受けたい
ためと、単純に考えていましたが、上記のことばを読んで、それは会話がスムーズに
進行するように相手を思いやる態度でもあると気づかされ、納得させられる思いが
しました。