2018年6月16日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1131を読んで

2018年6月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1131では
新美南吉の童話「でんでんむしの かなしみ」より、次のことばが取り上げられています。

 わたしの せなかの からの なかには か
 
 なしみが いっぱい つまって いるのです

そういえば南吉の代表作「ごんぎつね」でも、それまでの悪戯のために兵十に誤解された
きつねのごんが、誤って撃ち殺された時、兵十はごんの心の本当のやさしさを知って、
大いに悲しみを感じましたっけ。

南吉は、宮沢賢治や金子みすずと同様に、人の心の悲しみに鋭敏に反応する作家だった
のでしょう。いや悲しみに敏感であるからこそ、人一倍優しい物語や詩を生み出すことが
出来たのに違いありません。

悲しみというのは往々に、人の心に寄り添うことによって生まれる感情なので、思いやりや
優しさに結び付き易いのだと、思います。ちょうどその対極の冷酷が、無慈悲とも表される
ように。

あるいは逆に、聖母や慈母観音といった、無限の大いなる存在によって悲しみを引き受け
てもらうことは、私たちの心に安らぎを与えてくれます。悲しみとは、包容力のある感情
なのだとも、感じます。

私たちが長い人生をたどる上では、喜び以上に多くの悲しい出来事に出会わないわけ
にはいかないでしょう。せめてその悲しみを、その後の人生の糧と転化することが出来る
生き方を通せればと、考えています。



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