関ヶ原合戦から大坂夏の陣に至る、大坂城陥落、羽柴家の崩壊が、どのような経緯で
進行していったかを、当時の豊臣方の政治を担った秀頼の後見人茶々と、唯一の家老
片桐且元との確執と決裂を通して、明らかにしようとする書です。
本書の特徴は、現存する茶々から且元宛の当時の文書を実際に写真で掲載し、その
文言、内容を逐次丁寧に読み解き、解説することによって、臨場感を持って時代を包む
雰囲気や、当事者の息づかい、相手に対する想いを浮かび上がらせていることです。
その結果読む者は、まるでストーリーを追うように、これからの成り行きに思いを馳せる
ことになります。
私が本書を読もうと思ったのは、NHKの大河ドラマ「真田丸」を視聴し、次第に追い詰め
られて行く豊臣方の人々の心の動きに興味を持ったからで、最初ドラマと著者の関係に
ついての予備知識がなかったこともあって、ドラマの筋が余りにも本書と似通っている
ので、ドラマの脚本家三谷幸喜は、それほど最新の歴史解釈に造詣が深いのかと、驚か
されました。しかしこの本の後書きで、著者が「真田丸」の時代考証を担当したことを
知って、納得しました。
その意味でも本書は、私の当初の欲求を充たしてくれたことになります。
さてこの本の内容の中で、私がもっとも興味を惹かれ、著者も力点を置いているのは、
「方広寺鐘銘問題」発生直後の、且元が羽柴家の意を受けて交渉のために徳川家康の
元に赴き、和解案として秀頼、茶々が大坂城を出て、一大名に成り下がる内容の
「三ヶ条」を持ち帰り、羽柴家が承服しないだけではなく、他の重臣から、徳川方に
寝返ったという疑いを掛けられ、身の危険を感じて大坂城への出仕を取りやめた、慶長
19年9月中旬から、且元の弟の貞隆が大坂を退去した10月初めまでの、茶々と且元の
間の間接的なやり取りや心の動きです。
同じく羽柴家の存続を願いながらも、且元はたとえ大坂城を明け渡してでも、大大名と
して羽柴家が残ることを希求する名より実を選び、他方茶々たちは、あくまで大坂城に
君臨する名誉を選択し、結果滅びることになったのです。
ここらら見えて来るのは、存亡の危機に際して過去の栄光を捨て去ることの難しさ、
指導者として適格に状況に応じた正しい判断を下し、その方向に部下の意見を集約して
行くことの困難、といったところでしょうか。
現在にも通じる、永遠のテーマであるようにも、感じられます。
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