2018年6月4日月曜日

黒田基樹著「羽柴家崩壊 茶々と片桐且元の懊悩」を読んで

関ヶ原合戦から大坂夏の陣に至る、大坂城陥落、羽柴家の崩壊が、どのような経緯で
進行していったかを、当時の豊臣方の政治を担った秀頼の後見人茶々と、唯一の家老
片桐且元との確執と決裂を通して、明らかにしようとする書です。

本書の特徴は、現存する茶々から且元宛の当時の文書を実際に写真で掲載し、その
文言、内容を逐次丁寧に読み解き、解説することによって、臨場感を持って時代を包む
雰囲気や、当事者の息づかい、相手に対する想いを浮かび上がらせていることです。

その結果読む者は、まるでストーリーを追うように、これからの成り行きに思いを馳せる
ことになります。

私が本書を読もうと思ったのは、NHKの大河ドラマ「真田丸」を視聴し、次第に追い詰め
られて行く豊臣方の人々の心の動きに興味を持ったからで、最初ドラマと著者の関係に
ついての予備知識がなかったこともあって、ドラマの筋が余りにも本書と似通っている
ので、ドラマの脚本家三谷幸喜は、それほど最新の歴史解釈に造詣が深いのかと、驚か
されました。しかしこの本の後書きで、著者が「真田丸」の時代考証を担当したことを
知って、納得しました。

その意味でも本書は、私の当初の欲求を充たしてくれたことになります。

さてこの本の内容の中で、私がもっとも興味を惹かれ、著者も力点を置いているのは、
「方広寺鐘銘問題」発生直後の、且元が羽柴家の意を受けて交渉のために徳川家康の
元に赴き、和解案として秀頼、茶々が大坂城を出て、一大名に成り下がる内容の
「三ヶ条」を持ち帰り、羽柴家が承服しないだけではなく、他の重臣から、徳川方に
寝返ったという疑いを掛けられ、身の危険を感じて大坂城への出仕を取りやめた、慶長
19年9月中旬から、且元の弟の貞隆が大坂を退去した10月初めまでの、茶々と且元の
間の間接的なやり取りや心の動きです。

同じく羽柴家の存続を願いながらも、且元はたとえ大坂城を明け渡してでも、大大名と
して羽柴家が残ることを希求する名より実を選び、他方茶々たちは、あくまで大坂城に
君臨する名誉を選択し、結果滅びることになったのです。

ここらら見えて来るのは、存亡の危機に際して過去の栄光を捨て去ることの難しさ、
指導者として適格に状況に応じた正しい判断を下し、その方向に部下の意見を集約して
行くことの困難、といったところでしょうか。

現在にも通じる、永遠のテーマであるようにも、感じられます。

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