2021年6月29日火曜日

私の大腸がん闘病記⑭

化学療法室に着いて、初めて注意深く部屋の様子を見ました。入ったところに受付と看護師 等スタッフの詰め所があり、進むと向かって左右に部屋が広がり、壁際にはベッドと背中 部分を倒すことが出来る安楽な椅子がずらっと並んでいて、それぞれがカーテンで仕切られ ています。 既に、抗がん剤の点滴を受ける患者が横たわっていたり、安楽椅子に座っている仕切られた ブースも多くあり、カーテンの隙間から垣間見えるところでは、それぞれの患者の腕には、 点滴用のチューブがつながれているようです。 私は、それらの内の空きベッドの一つに通され、しばらく待つと看護師が来て、現在の体調 等を質問されましたが、一回目の抗がん剤の服用だけでは、取り立てた副作用もなかったの で、その旨を伝えると、いよいよ点滴を始めることになりました。 点滴の用意が出来るまで、しばらくベッドに横になって、辺りの様子を伺いながら待って いると、改めてこの部屋の物々しい雰囲気と、患者を出来るだけリラックスさせようとする、 スタッフの心配りが見えて来るように感じられました。しかしそれ故に、点滴を受けること への緊張感が、いやがうえにも高まって来ました。 最初に持ってこられた点滴用のパックは、ブドウ糖ということで、それをチューブを介して 腕につなぐことになったのですが、まず腕の血管に点滴用の太い目の針を差し込む作業が、 大変注意深く行われました。 これは、後ほど抗がん剤を点滴で注入する際に、もし液が漏れたら痛みを伴ったり、腕の 組織を傷つけることになるそうで、そのような事態が起こらないように、極めて慎重に針 の挿入が行われるということでした。 とにもかくにも、点滴が始まりましたが、まずはブドウ糖の注入なので、比較的落ち着いた 気分で望むことが出来ました。

2021年6月25日金曜日

ポール・オースター「ガラスの街」を読んで

オースターという作家について、何の予備知識もなく、この小説を読み始めた私にとって、 初めと最後で物語の印象ががらりと変わった、稀有な小説でした。 最初は文字通り、アメリカの小説らしい洒脱で良質な探偵小説として、わくわくしながら 読み始めました。愛する妻と子に先立たれ、厭世的な気分でひっそりとニューヨークに 暮らす作家クインの元に、正に著者自身と名前を同じくする、探偵ポール・オースターを 名指した間違い電話がかかります。好奇心に負けてこの探偵に成り済ましたクインは、 依頼者の所へ赴き、幼少期に狂信的な父親によって、長い年月監禁されたために、今なお 心身に痛ましい傷を抱える青年を、近日精神病院を退院して、この哀れな息子に危害を 加えるために帰って来る、当の父親から護ってほしいという依頼を、青年の妻から受け ます。以降ニューヨークの街中で、青年の父親と思しい老人に対する、クインの執拗な 尾行が始まります。 ここまでは、探偵小説の定石通り。誇大妄想的な難解な思想に囚われた老人の、街中を 歩き回る不可解な行動を執念で追うクイン。彼は、老人のこれからの計画を予想しようと 推理をめぐらせ、読者は息をつめて彼を見守ります。しかしクインが老人を見失い、途方 に暮れて小説中のポール・オースターを訪ねる頃から、筋が怪しくなります。そして、 詳述は避けますが、クインは自らの使命に囚われるあまり、自分を喪失して、身を持ち 崩して行きます。 この小説で、作者は何を語りたかったのでしょうか?主人公クインと作家自身のオース ター、そしてオースターの友人らしい物語の語り手、三者が交錯して、ストーリーは複雑 を究めます。 それ故、私なりに作者の言わんとすることを推考して、クインは作者の心の中の探偵心( 好奇心とミッション遂行のための義務感、良心)ではないかと、思い至りました。これに 囚われる余りにクインは身を持ち崩し、他方、これの欠如した作中のオースターは、下ら ない作品を書いて、のうのうと生きています。恐らく、著者自身の執筆活動における内面 の葛藤を、図式化するために本書は著され、より高処に立つ語り手も、必要だったので しょう。 またこの作品にとって、ニューヨークの街そのものも、第二の主役であると思います。 クインの尾行を通して、この都市の息遣いが生き生きと描き出され、私はその描写から ソールライターの写真を想起しました。 更に著者は、日頃蚊帳の外に置かれている、この街に暮らす底辺の人々への視線を、失い ません。その姿勢が、この物語に厚みを与えていると、感じました。

2021年6月22日火曜日

私の大腸がん闘病記⑬

さて、抗がん剤の服用が始まりましたが、最初は正直目立った副作用もなく、それに伴う 体調の変化も感じられませんでした。それよりも、手術の後の痛みと共に、一定の間隔で 下痢をして、その後便が固まってなかなか出なくなるという便通の不具合や、いつも腸に ガスが溜まっていて、下腹部に膨満感があるような不快感が続いていて、そちらの方が 目下の苦痛の種でした。 ただ朝夕に毎回、かなりかさ高い抗がん剤を5錠づつも飲むことは、今まで常時薬を服用 してこなかった私には抵抗感があり、その都度うんざりしながら錠剤を口に放り込みまし た。 そうするうちに、最初の2週間の薬の服用が終わり、1週間の休薬期間も済んで、いよいよ 抗がん剤の点滴を受ける日が来ました。 予めその日の3日前ー私の場合、点滴を受ける日が月曜日で、前週の金曜日に病院で血液 検査のための採血を受けますーに採取した血液のデータが、担当医の手元にあげられて いて、それを基に診察があり、取り立てた異常な数値がないということで、その日に点滴 を受けることが決定されました。 遂に本格的な抗癌剤治療が始まるとなると、いやがうえにも緊張感が高まります。考えて みれば、今まではテレビドラマでそのような設定のシーンを見ても、それどころか、身近 につながりのある人にがん治療の体験を聞いても、気の毒に思ったり、同情することは あっても、あくまで自分は安全な場所にいて、その状況を客観視しているような立場でし た。 しかし自身が当事者になってみると、その切迫感は全く違います。何か重圧がのしかか って来るような、不安に包まれながら、抗がん剤の点滴を受けるために、化学療法室に 向かいました。

2021年6月18日金曜日

森まゆみ著「子規の音」を読んで

近代俳句、短歌の革新者正岡子規の、彼が東京で長年を過ごした、根岸周辺を取り上げる 地域誌を創刊し、この地域の環境保全にも関わった著者による、彼自身の俳句、短歌を 多数散りばめた、随想形式の評伝です。 子規の伝記、評伝の類は、既に多数刊行されていますが、これほどに彼の暮らした地域に 密着して、彼の足跡を追った評伝は初めてと思われますし、また、そこに織り込まれた彼 の俳句、短歌作品が、時々の彼の息遣いを直に伝え、読後の余韻を長く残す作品になって います。 私も子規の生涯は、他の伝記や彼の著作から予め知っていますが、この形式で描かれた 本書は、現に目の前に彼が生きて、多くの知友と文学活動を行い、そして、力尽きて逝っ たことを体験しているような、臨場感があります。 その短くも波乱に富んだ人生の中で、私の最も印象に残ったのは、彼の人を惹きつける力 です。彼は権威に媚びません。身なりを構わず、金に無頓着ですが人一倍大食漢です。旅 が好きで、文学の革新に並々ならぬ情熱を燃やし、我儘ながら人懐っこく、面倒見が良い。 ざっと彼の性格を並べましたが、本当の魅力は、実際に会ってみないと分からないでしょ う。本書を読んで、彼のごく身近に寄り添っているように感じられるだけに、その辺が 非常に歯がゆく感じられます。ただ、付記されている俳句や短歌に、そのことを憶測させ るヒントがあるように思われます。それこそが、近代の短歌形式の文学の魅力の一つで あると、感じられました。 また、子規の俳句、短歌で言えば、本書の表題にもなっていますが、彼の作品の特徴は、 読むと内部から音が聞こえて来るものが多く存在し、そのような作品に秀作が多い、と いうことです。その典型が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で、本書を読んでこの俳句の 魅力に、改めて気づかされた思いがしました。 更には、明治29年の三陸大津波に対する子規の言動が、印象に残りました。彼は、以前に 旅をした東北の地の惨禍に大変心を痛め、病身にありながら、自らが責任ある立場にいる 新聞社の報道員を、いち早く現地に向かわせ、紙面で惨状を伝えると共に、自身も被災地 を気遣う、心打たれる俳句を作りました。 災害が多発する、現在の私たちの社会状況に照らしても、報道人としての彼の気概は、 十分敬意に値するものであると、感じられました。

2021年6月15日火曜日

私の大腸がん闘病記⑫

いよいよ抗がん剤治療を始めることになり、その治療の間、同じ外科内でも同治療を専門と する医師に、一時的に担当が代わることになりました。その医師より、抗がん剤治療という ものの概要の説明があり、実際にその治療を担う病院内の化学療法室へ行くように言われ ました。 化学療法室では、同室の責任者の看護師の方から、私が受ける治療についての具体的な説明 がありました。私の治療法はゼロックス療法と言って、まず抗がん剤の点滴を受け、そこ から2週間抗がん剤を服用し、それから1週間休薬する、そしてこのサイクルを8回繰り返す、 というものでした。 早速その時点から治療が始まるのですが、1回目はまず点滴なしで、2週間の薬の服用から始 めるということになりました。私が服用する薬の名前はゼローダと言って、少し大きい目の 錠剤を1回5錠、それをそれぞれ朝食後、夕食後1日2回飲むことになります。この抗がん剤 治療に伴う副作用についても丁寧な説明がありましたが、これについては、治療の進行に 沿って記して行きたいと思います。 病院で上記の薬の処方箋をもらい、薬局で実際に処方してもらう段になって、一つの選択を することになりました。これは、その薬には正規のものとジェネリックのものがあって、 どちらにしますかと、薬局で尋ねられたのです。 この違いは周知の通り、薬には往々に正規医薬品と、それを基に作られた後発医薬品(ジェ ネリック医薬品)があり、後発品は正規品に比べて価格が安いというものです。私の服用 するゼローダの場合、かなり価格が高く、ジェネリックにすると半額で済むので、経済的に は助かります。 しかし私は、あえて正規品にすることにしました。というのは、正規品と後発品では一般的 に薬の効能に違いはないと言われていますが、絶対という保証がある訳ではありません。 ですから私も、普通の薬であれば迷わずジェネリックを選びます。でも今回の場合、ことが がんという生死に関わる病気を治療する薬である上に、一定以上の副作用も伴うということ なので、ここは正規品の品質を信頼することにしたのです。 とにもかくにも、こうして私の抗がん剤治療が始まりました。

2021年6月12日土曜日

アンソニー・トゥー著「サリン事件死刑囚 中川智正との対話」を読んで

オウム真理教の一連のテロ事件から早20年以上の歳月が流れましたが、ちょうど地下鉄サリン 事件が阪神淡路大震災の直後ということもあり、また新興宗教の教団が、実際に毒ガスを使っ た無差別テロ攻撃を行ったという事実の衝撃も重なって、これらの事件が、私の記憶に鮮明 に焼き付いています。 そのオウム教団の主要な幹部であり、医師でもあった中川智正死刑囚が、生物兵器、化学兵器 の専門家だる、世界的毒物学者アンソニー・トゥー氏と面会を重ねるうちに、教団が如何に して凶悪な事件を引き起こすに至ったか、その中での自らの役割、また逮捕後の心境などを どのように語ったかは、私にとっても大いに興味を惹かれるところでした。 さて、トゥー氏は最初日本の警察の要請もあって、ーその理由で、彼は中川死刑囚と未決囚の 頃から、面会を重ねることが出来ましたー教団の毒ガス製造過程を知ることを目的に、面会に 出かけました。従って、彼が限られた面会時間の中で話題にしたことの大半は、誰がどのよう な方法で毒ガスを製造し、どのようにして一連の事件に用いたか、ということでした。 トゥー氏の質問に、礼儀正しく、適切に答える中川死刑囚の受け答えを読んでも、化学の知識 に乏しい私には、毒ガスの製造方法のことは分かりません。しかし、製造と使用の説明の過程 で、それを担う各信徒の役割及び行動に言及した部分では、それぞれの人物の性格や教団の 体質が自ずと浮かび、興味深く感じました。 トゥー氏が面会を繰り返すほどに、中川死刑囚の心の傷に触れない彼の節度ある態度や、質問 内容が化学に関わることに限られるという、互いの興味の対象の共通性による親しみもあって か、中川死刑囚は心を開いて行ったように思われます。 彼の同じく罪を問われる同僚信徒を思いやる言動や、このような事件を二度と繰り返さない ために、マレーシアで起こったVX炭そ菌テロ事件の捜査に、積極的に協力しようとした姿勢は、 彼の犯した罪が一切の弁明の余地のないものだるにせよ、もし彼がこの教団に入信しなければ、 どれほど社会にとって有用な人物に成り得たかを、示しているように思われます。 人間の思想信条というものが、社会情勢や置かれた環境に大きく左右されるということ、また、 宗教の力とカリスマ的な扇動者の従う者に対する絶大な力について、改めて考えさせる、鋭い 問題提起を含む書でした。

2021年6月8日火曜日

私の大腸がん闘病記⑪

さて、手術直後でまだ体の消耗が激しい中、新たな問題が生じました。それは、手術で切除 したがんの状況によるものでした。 退院後の最初の執刀医による診察の時、その医師から、切開して分かった私の体内のがんの 状況についての説明がありました。その説明によると、最初に大腸の内視鏡検査によって 発見された大腸腸壁内のがんは、予定通り無事切除出来たのですが、それ以外に大腸の外の リンパ節にも2か所がんが転移していて、それも切除に成功したとはいえ、大腸以外にがん が広がっているということは再発のリスクが高まり、つまり私のがんは、最初ステージ1と 予想されたものが、実際にはステージ3ということで、再発防止のために、これから抗がん 剤治療を受けてもらう、ということでした。 私はその話を聞いて、かなりのショックを受けました。というのは、私の今回の手術に対す る心づもりは、この手術によって一時的には痛い目に合うが、その後は回復を待つだけ、 そうすればすぐに元通りの日常生活を送ることが出来る、と言うものだったのです。 しかし今回の説明から、再発のリスクが新たに浮上して来たこと、更には、抗がん剤治療 という、私が断片的に耳にしてきた頭髪が抜けたり、激しい苦痛や、倦怠感を伴う、いわゆ るきつい治療を受けなければいけないことに、強い危惧を感じたのです。 そこでまず、この精神的な不安を乗り越えるために、気持ちの持ち方を変えなければなら ない、と思いました。それで今度は、私のがんはとりあえず全て切除することが出来たの だから、今現在は体の中にがんはない、リンパ腺に転移していたとはいえ、比較的初期の 発見だったので、抗がん剤治療をやり遂げれば再発は食い止められるはずだ、だから希望 を持って、それに専念しよう、と考えることにしました。 実際に医師には、このような状況での抗がん剤治療後の完治率は一般的に約7割で、私の 年齢や体力、状況を考慮したら、治癒する可能性は極めて高い、と励まされたのでした。

2021年6月4日金曜日

「青地伯水 現代のことば オリンピアとレニ」を読んで

2021年6月4日付け京都新聞夕刊「青地伯水 現代のことば」では、「オリンピアとレニ」と 題して、京都府立大学教授・欧米言語文化ドイツの筆者が、1936年のベルリンオリンピック の記録映画「オリンピア」を制作した、レニ・リーフェンシュタール監督の同映画撮影の 経緯、技法と、その信念を通して、ドイツ敗戦後毀誉褒貶の中に生きた、良きも悪しきも 不世出の映画人であった、彼女の生涯をあぶり出しています。 私はかねてから彼女に興味があり、また今年がコロナ禍の下に1年延期され、まだ開催の 是非に賛否両論が渦巻く、東京オリンピックの年であることから、この文章を読んで、多く の感慨を覚えました。 まず第1の点は、オリンピックとはいかなるものか、ということです。周知のように、レニ がメガホンを取ったベルリンの大会は、ヒトラーによるドイツの国威発揚のために挙行 されました。それ故レニは後年ナチス協力の責任を問われる訳ですが、ー彼女が感動的に 撮影した聖火リレーが、その後のオリンピックに定着し、今回の東京大会でも、コロナ禍の ために、様々な制約の中で行われれていることも、随分皮肉なことですーオリンピックが 平和の祭典を謳いながら、極めて政治的な行事であることを、端的に示しているでしょう。 大会の商業主義化や肥大化も含め、コロナ禍はオリンピックが誰のためにあり、如何にある べきかを、問い直しているのでしょう。 第2の点は、記録映画とは、更に大きな範疇として、芸術とは如何なるものであるべきか、 という問いです。レニは美しく、迫真的で、人々の心を動かす映画を制作するために、フェ イクややらせを厭いませんでした。しかし、逆に何を表現すべきかという一貫した強固な イメージがあり、それを現出するために一切の妥協を許さなかったことが、この映画を 洗練され、完成度の非常に高いものにした、と思われます。 記録映画の真実と虚構部分のあるべき姿、美しく人の心を感動させることと、悪しき思想に 人々を誘惑する契機となることの、矛盾と葛藤、ジレンマについても、考えさせられました。

2021年6月1日火曜日

私の大腸がん闘病記⑩

さて、今日は大腸の不調から、話を始めたいと思います。 まずこれが厄介なのは、感覚としては、消化器官のうち、口から小腸にかけては手術による 傷はないわけですから、食べるという行為に対して、自分の体の中にアンバランスが生まれ た、ということです。 つまり、食欲は十分にあり、恐らく手術によって体が消耗しているので、口は脂っこいもの など高エネルギーの食品を求めるようになり、ついつい食べようとしてしまいます。しかし 大腸の方は、まだ傷が癒えていないのですから、消化に悪いもの、精の強いものには拒否 反応を示します。 従って、自分では抑制しているつもりでも、知らず知らずのうちに食べ過ぎてしまい、その 後には激しい下痢に襲われて、体が消耗するということを、繰り返してしまいました。 また私は大腸の内、S字結腸と直腸の一部を切除したので、手術後かなり長い期間、どう やら排泄前の便を適当な形に整えたり、排便に備えて一定時間蓄えるという機能が失われた ようで、下痢が始まるととめどなくそれが続き、ようやく止まると、今度は固まった便が 肛門を通過出来ないほどの大きさにまで膨らんで、激しい便秘に襲われました。 ひどい時には、下痢が昼夜問わず16回以上も続き、それが止まると、出そうで出ない便秘が 3~4日続きました。下痢も寝不足が重なって体力を消耗させ、便秘は便秘で、下腹に不快感 と圧迫感があり、何とか排泄しようとトイレの中で力めば力むほど、疲労がたまりました。 下剤の力などを借りて、ようやくひどい便秘が解消されると、ホッとして気が緩み、また ついつい食べ過ぎてしまうという悪循環の繰り返し。とうとう、自分でも一体何をしている んだと、自己嫌悪に陥りました。