2017年5月31日水曜日

鷲田清一「折々のことば」766を読んで

2017年5月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」766では
旋盤工でもあった作家小関智弘の「どっこい大田の工匠たち」から、次のことばが
取り上げられています。

 野に雑草という名の草がないように、工場には雑用という名の仕事はない

このことばを読んで、私は手前味噌ながら、すぐに私たちの小規模な自営業の仕事を
思い浮かべました。

私も白生地の販売は勿論ですが、生地の仕入、検品、切売するための検尺及び墨うち、
お染を承った場合には、色選び、各職人さんの所へ生地を持って回る悉皆などを自分で
行います。さらに請求書の発行など、経理上の顧客管理も担当しています。

また店と住居が京町家で隣接しているので、日々の店の神棚や先祖の仏壇のお守、
休日には坪庭の植木の手入れや日頃行き届かない部分の掃除、またお盆、正月など
季節の節目にはその設えなどを、家族の助けを借りて行います。

考えてみれば直接商売に結び付かないものも含めて、次から次へと色々な仕事があって、
きっちりとやろうと思えばきりがないように感じますが、適当に折り合いを付けて日常を
過ごしています。

店の商売においても、多岐に渉る部分を自分で担当している訳ですが、そのお蔭で
仕事の全体像を把握出来、また私の手助けをしてくれる従業員の働きも、直に目にする
ことが出来るので、皆の力で店を切り盛りしていることが実感できます。

家に係わる諸事も、煩雑といえばその通りですが、例年日々変わらず繰り返している
ことが、生きているということだと感じられます。

いずれにせよ決して合理的で、効率的な生き方ではありませんが、日々無事に過ごして
いることが、有難く感じられる人生ではあると、思っています。


2017年5月29日月曜日

大阪・阪急百貨店うめだ本店「ぬぬぬパナパナのぬぬ展2017」を観て

阪急百貨店本店9Fアートステージで開催されている、「ぬぬぬパナパナのぬぬ展」
を観て来ました。

この展示会は、お客さまでもある浦令子さんが、布の作り手とそれを愛用する人を
つなぐ場として、前身の企画からは13年、今のネーミングになってからも6度目を迎える
催しで、従来は大阪と東京で開催されて来ましたが、今回は浦さんの体調の関係も
あって、大阪展だけが開かれることになったそうです。

ユニークなネーミングの由来は、八重山諸島の方言で、ぬぬは布、パナパナは端々と
いう意味で、布を媒介にして両端に位置する作る人、用いる人が交歓する空間を
プロデュースする意図が込められているそうです。

以前から浦さんよりお誘いを受けていながら、自営業を営む身の忙しさもあってついつい
行きそびれていましたが、今回で一応休止されるということで、思い切って会場を訪れ
ました。

ところが驚いたことに、何と浦さんがつい先日お亡くなりになったということを知り、会場
に置かれた、在りし日の飾らぬ浦さんの遺影を前に、思わず呆然としました。

初めて目にする展示品は、着物、帯、ストールなど全て作り手が天然素材で手間ひま
かけて作り上げた品物で、布の風合いや色つや、手触りから、一目で上質な手工芸品と
分かります。

そのような品を実際に所有することが出来ればと、思わずため息が漏れますが、制作の
手間や原料費を考えると決して高価過ぎることはないにしても、品質にこだわらなければ
廉価の品が豊富に存在する現代の時代に、それをあえて購入してもらうにはハードルが
高いと感じられます。

浦さんは作り手と愛用者をつなぐことによって、本当に良い品物を納得の上で購入出来る
環境を作ろうと考えられたのでしょう。そのような試みがこれからも続けられることを願い
つつ、浦さんのご冥福をお祈りします。

2017年5月26日金曜日

京都国立近代美術館「メアリー・カサット展」を観て

印象派の女性画家というと、すぐにベルト・モリゾの名は思い浮かびますが、正直
メアリー・カサットという画家については、まったく知りませんでした。それで本展が
開催されると知った時、好奇心に動かされて、是非会場に足を運びたい思ったの
です。

全体を観終えてまず感じたのは、今まで数々の印象派展を鑑賞して来たので、
恐らくカサットの作品にも一度ならずお目にかかっているはずなのに、私の心の
中で印象派という固定観念の中に完全に埋没して忘却してしまっていた、この
ような確乎とした画業を達成した女性画家がいたことを改めて知った驚きでした。

印象派というとモネ、ルノアールが真っ先に想起され、この二人の絵画世界を
イメージするだけで、大体事足りるように思い勝ちですが、その派に属するとされた
個々の画家の画業の軌跡をじっくりと辿ることによって、逆に印象派と括られた
画家たちの活動を、美術史的な大局から見ることにもつながると感じました。

カサットが印象派の絵画運動に加わるのは、ドガとの出会いがきっかけということ
ですが、まだ女性の職業画家が少なかった時代、自身の志を遂げるため、弱冠
20歳そこそこでアメリカから遠い異国の地パリに赴き、当時画壇で支配的な絵画に
飽き足りず、新しい美術運動に身を投じたという姿は、その一見華やかで、穏やか
そうな彼女の絵画の芯に、絵画への並々ならぬ情熱、女性らしい柔軟な強さが
秘められていることを感じさせます。

代表作の一つ「桟敷席にて」では、上品で典雅に見えて、凛とした女性の容姿が
美しく描き出されています。

またカサットの絵画の魅力を語る上で欠かせないものとして、母子や子供たちの
姿を描いた作品が挙げられます。これらの主題を描いた画家は他にも多く存在
しますが、彼女の絵には女性ならではの母子間の親密さの卓越した仕草の表現や、
子供たちへの母性的なやさしさの眼差しが感じられて、観る者に思わずそばに
寄り添いたくなるような懐かしさを感じさせます。

特に「眠たい子どもを沐浴させる母親」では、母子の衣裳を白に統一した明るい
画面に、膝の上の眠たげな子供を濡らした布でやさしくぬぐってやろうとする
母親の夏の午後の一時を、いかにも印象派風の幸福感に満たされた気分の中に
描き出して、味わい深い作品となっています。

2017年5月24日水曜日

鷲田清一「折々のことば」762を読んで

2017年5月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」762では
ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」から、次のことばが取り上げられて
います。

 実に、射られるということがどんな意味か、私は今こそ知ったのである。

私たち日本人にとっては、ある程度馴染の心の用い方であっても、西洋からの訪問者に
とっては正に驚きの、心身を一致させた境地の体現だったのでしょう。

私たちは元来、新しいことを学習するに際して、その理由付けよりも、先ず形を体に覚え
込ませるという方法で学ぶことが、習慣づけられて来ました。だからなぜそれを学ぶかと
いうことよりも、形を習得することによって、自ずからその帰結が見えて来るという態度で、
物事に取り組むことが自然であったように感じます。

しかし西洋的な考え方では、あることを学習するに際して、まずそれを目指す理由があり、
そこから目標としてのゴールが設定されて、そこに至る最短かつ効率的な技術を習得する
というプロセスで、物事に取り組まれるのが一般的であるように感じます。

なるほどこの方法の方がずっと合理的で、特に西洋由来の学問、スポーツを習熟する
ためには、こういうアプローチが最適であるように思われます。

一方、そのようにして得た知識、技術を厳しい状況の中で存分に活用する、例えば窮地
に立たされた場面や、大きなプレッシャーが掛かる状態で、持てる能力を最大限に発揮
するためには、強い精神力というものが必要になって来るでしょう。このような精神力を
涵養するためには、私たちが馴染んで来た形から心を学ぶという習得法が適していると、
私は信じます。

私が家業に就いた時、仕事は見て盗めと教えられました。最初は随分戸惑い、空回りの
繰り返しでした。しかし年月が経ち、仕事が体に馴染んでくるに至り、それは生半可では
なく、血肉の一部になってくれているように感じます。私には決して人より秀でたところは
ないけれど、父祖から引き継いだこの店の在り方には、幾ばくかの矜持を持っている
つもりです。

2017年5月22日月曜日

織田作之助著「夫婦善哉 正続他十二編」岩波文庫を読んで

かねてから一度読みたいと思っていた、織田作之助の短編集を読みました。やはり、
「夫婦善哉」が素晴らしいと感じました。

男女の人情の機微と人々の飾らぬ交情、庶民的な美味しいものを扱う飲食店を始め
として、随所に覗かれる大阪情緒、時に口ずさまれる浄瑠璃の詞、浪速の雰囲気が
たっぷりと詰まっています。その柔らかく温かみのある気分の中で、駄目な亭主と
しっかり者の女房のかりそめの夫婦生活が、面白おかしく語られるのです。

しかし、主に女房の蝶子の立場から語られるこの小説を読んでいると、必ずしも彼女
だけが一方的に正しく、亭主の柳吉だけに非がある訳ではないと、気付かされます。

蝶子は貧しい生い立ちにも明るく、芸妓としての才覚から売れっ子となりますが、
惚れた弱さ、親に勘当された妻子持ちの柳吉を自分の力で、一人前の男に仕立て
上げようとします。でも彼女の男勝りで一途な性格からすると、意志薄弱で遊び好き
とはいえ、問屋の跡取り息子でありながら、子供を置いて家を放り出された柳吉の
苦悩を理解することが出来ず、結果いくら蝶子が彼のために奔走しても、彼の遊蕩を
助長し、空回りすることになります。

他方柳吉は、本来は商才もないことはありませんが、蝶子に惚れて親に勘当され、
彼女と別れて家に帰りたい思いと、蝶子と一緒にいたい思いの間を揺れ動き、進退
窮まると自暴自棄になって、二人でやっと貯めたなけなしの金を遊興に使ってしまい
ます。

このように互いが互いのことを慕いながら、ちぐはぐな愚行を繰り返すこと。この
悲喜劇は世間の夫婦の有り様を、ある種誇張して描き出しているのではないか?

というのは、たとえ一緒に暮らす夫婦といえども、人間一人一人のものの感じ方、
価値観は同一ではなく、ましてやそれが男女である限り、更に二人の間には根本的な
差異が横たわっているのであり、その違いを超えて互いが互いを想うことこそ、夫婦に
とって大切なことであると、思われるからです。

またこの作品では、蝶子とその父種吉、母お辰の親子関係が人情味あふれて素晴ら
しく、特に貧しいといえども、陰に日に少しでも蝶子の役に立とうとする種吉の様子に、
あるべき親子の姿を見る思いがして、感動を覚えました。

2017年5月20日土曜日

鷲田清一「折々のことば」756を読んで

2017年5月17日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」756では
ノンフィクション作家最相葉月の「セラピスト」から、次のことばが取り上げられています。

 沈黙は苦手である。まばたきの回数が増え、口の中が渇く。そのうち背中ががしがし
 とこわばり、後頭部が重くなる。

私はこの作家のノンフィクション作品が好きで、何冊か読んでいます。「セラピスト」も
読んだのですが、自分の心の中の切実な問題を端緒に、心理療法とは如何なるもので
あるかに切り込んで行く姿勢に、ノンフィクション作家としての誠実さを感じました。上記の
ことばも、作者のそのような資質から発せられた言葉なのでしょう。

私も若い頃には、内気で引っ込み思案な性格でした。家業に携わった当初は、お客さま
との応対や、仕入先、職人さんとのやり取りが苦手で、なかなか自信が持てませんでした。
特に人と面と向かって話をする時、会話の間に生まれる沈黙には、何とも言えない気まず
さを感じました。

それゆえに、出来るだけ沈黙の瞬間が訪れないように、やたらと必要以上の会話を続け
たり、言葉が途切れた際には、かつてならタバコを吸うとか、手近なものをもてあそぶとか、
随分落ち着きのない仕草をして、後から自己嫌悪に陥りました。

なぜそれだけ沈黙を恐れたかというと、今から考えるとその間に相手に不快な思いをさせ
たくないということだったのでしょうが、裏を返せば自分の人生経験の浅さから、相手が
その瞬間に自分と同じような気づまりを感じているに違いないと過剰に意識して、かえって
自分自身を精神的に追い詰めていたのだと思います。

今は会話の中の沈黙も、状況に応じて普通に受け入れることが出来、それに伴って相手
との言葉のやり取りも自然に行うことが出来るようになりましたが、しかし人と意思疎通を
図る場面では、かつての沈黙を恐れる心情の中に含まれていた、相手の気持ちをおもん
ばかる心は常に失わないようにしたいと、考えています。

2017年5月16日火曜日

「京都国際写真祭2017」アニエスベーフォトコレクションを観て

「京都国際写真祭2017」も、とうとう会期末を迎えました。京都ならではと言っても
いい、地域の特色を生かした多様な会場で、またそれぞれの場に相応しい写真家と
テーマの選定の上に開催された各写真展は、展示作品そのものの魅力もさること
ながら、場の雰囲気との相乗効果によって、これまでの写真鑑賞では体験したことの
ないときめきを私にもたらしてくれたと、感じました。

さて最後に私は、JR京都伊勢丹の美術館「えき」で開催されていた、「アニエスベー
フォトコレクション」を観に行きました。この展覧会は、ファッションデザイナーとして
著名なアニエスベーが、自らのアートコレクションから、この写真祭の今年のテーマ
「LOVE」にちなんだ作品をセレクトして、展観するものです。会場構成も彼女自身が
行ったということで、会場に張り出された、会期中に事情があって自らが立ち会えない
ことを残念に思うというコメントからも、彼女の強い想いがうかがえます。

彼女によってコレクションされ、今回セレクトされた写真作品(一部映像作品を含む)
は「LOVE」というテーマ設定もあって、相対的に明るく、みずみずしいイメージの
作品が多く見受けられると感じました。その中でも、愛というものを穏やかに、静かに
観る者に語りかけて来る写真が多いのは、彼女の好みを反映しているのでしょうか?

私自身もこのテーマを情熱的に激しく訴えかけて来る作品よりも、この会場の作品の
ように抑制の効いた表現を用いたものの方が好ましく感じるので、全体を通して心地
よい気分で、観て回ることが出来ました。

その中でも、直接の抱擁や赤裸々な裸体の描写ではなく、そこに登場する恋人たちの
仕草や場の雰囲気、あるいは切り取られたイメージの中から、愛のエッセンスがにじみ
出て来るような写真に特に惹かれたのは、私の日本人的な感性のなせるところかも
知れません。色々な国の写真家の色々な感受性や美意識が、作品を通して一堂に
提示され、鑑賞者はそれを比較、あるいは自らに引き付けて楽しむことが出来る。
これも国際写真祭ならではの醍醐味ではないでしょうか。

2017年5月14日日曜日

京都市美術館「若冲の京都 KYOTOの若冲」を観て

伊藤若冲の生誕300年を記念して催された展覧会です。

近年、若冲の展覧会は色々なかたちで企画されていますが、本展は、彼が18世紀の
自由な気風に満たされた京都の、錦小路の裕福な青物問屋の長男に生まれ、彼の
独特の絵画の魅力が、その地域環境や生い立ちに強く影響を受けていることを、示そう
とするものです。

私がまず本展に好感を持ったのは、展示作品をグループ分けした表題部分に、印象的な
説明文が添えられているだけで、各作品には、作品名など最小限の標記が付されるに
止められていることで、鑑賞者が自由に、ゆったりとした気分で、作品に向き合うことが
出来るように意図されているからです。

というのは、近頃の展覧会では、作品をより良く理解して味わってもらうために、各作品に
長い説明書きが付けられていることが多く、それはそれで余りなじみのない作者、作品の
場合には一助となりますが、ともすれば説明に気を取られて、肝心の作品をじっくりと観る
集中力が鈍ることがままあると、思うからです。

殊に若冲の作品の場合、私には見慣れたものも多く、本展のようにいちいち説明書きに
囚われずに観るのはかえって新鮮で、自分で新たな魅力に気付くことも出来、また彼の
発想の自由さ、絵の奔放さを示すことを、一つの大きなテーマとしているこの展観にとって
も、相応しい展示方法と感じられたのです。

そういうことで、私が以前に観たことのある作品に新たな魅力を感じ取ったものとしては、
先日細見美術館で観た水墨画の数点があります。「花鳥図押絵貼屏風」や「鶏図押絵貼
屏風」は、細見美術館のこじんまりとして親密な空間で観た時も、十分惹きつけられました
が、本展の広い展示室で屏風に左右を囲まれるような状況に身を置いて観ると、構図の
大胆さ、筆致の力強さ、繊細さ、対象の捉え方のユニークさや、そこはかとないユーモアが
さらに強調されるようで、より強い印象を受けました。

また初めて観た作品としては、やはり水墨画の「象図」に感銘を受けました。決して小さく
はない軸中の画面に、収まり切らずはみ出すように描かれている象。それでいて、身の
置き場がないように、申し訳なさそうな縮こまった姿勢でじっと佇んでいます。若冲の絵を
描くことが好きでたまらないという思いが、にじみ出ているような作品でした。

このような画家がこの地に生まれたことを、何か少し誇らしく感じました。
                                   (2016年10月8日記)

2017年5月12日金曜日

「京都国際写真祭2017」吉田亮人展、ラファエル・ダラポルタ展などを観て

今回は、「京都国際写真祭2017」の元・新風館会場と京都文化博物館別館会場で、
吉田亮人、スーザン・バーネットとラファエル・ダラポルタ、ルネ・グローブリの作品を
観て来ました。

まず元・新風館会場に着くと、仮囲い壁面に野外展示されたバーネットの作品が
迎えてくれます。これは、今回の写真祭のテーマ「LOVE]をモチーフにした、Tシャツを
着た人々の一人づつの後ろ姿を写し撮った写真作品で、私たちが常日頃抱くイメージ
からは、後ろ姿が個性を表すという認識が抜け落ちがちですが、このそれぞれの人が
自分の思いを表現したTシャツをまとい、思い思いのポーズを取る写真を観ていると、
後ろ姿が人の生き方を雄弁に物語ることを、改めて気づかせてくれます。

会場内奥では、吉田亮人の年下の従兄弟と、生まれた時から共に生活した祖母との
日常の姿を記録した写真作品が展示されています。年の離れた二人が仲睦まじく
手をつないで買い物をし、この孫息子が祖母にスプーンで食事を与え、お風呂に
入れてあげる姿は、微笑ましくも人と人の絆の確かな温もりを感じさせてくれますが、
現実はその孫が突然失踪して、自ら命を絶ったことを既に知っている私たち鑑賞者は、
作品を観て行く内に、次第に切ない思いに囚われます。最後の小さく区切られた
コーナーでは、失踪後一年余りして従兄弟の死体が発見された、現場周辺の樹木に
覆われた景色が写真で再現され展示されて、観る者が彼の最後の想いに、想像を
巡らせざるを得ない仕掛けになっています。人の心の不可解さ、生きるということの
悲しみを感じさせられました。

京都文化博物館別館会場のダラポルタの、世界最古の洞窟壁画が残るといわれる
ショーヴェ洞窟の内部を、大規模な4Kによる超高画質モニターで再現した映像作品は、
息を飲むような迫力で観る者を圧倒します。この大自然の相貌を眼前にすると、人類
なんてほんのちっぽけなものに感じられますが、その壁面に確かに刻印された古代の
人間の残した壁画という足跡は、目の前に映し出された時私たちをほっとさせると
同時に、彼らが長い年月連綿と受け継ぐことになる、生き続けるという不屈の意志の
形象とも感じられて、勇気を与えられました。

グローブリの自らの新婚旅行での、妻との濃密な関係を綴ったエロチックでしかも洒脱
な写真作品は、彼の地の芸術の洗練を否応なく感じさせて、私は羨望の眼差しを向け
ざるを得ませんでした。

2017年5月10日水曜日

鷲田清一「折々のことば」743を読んで

2017年5月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」743には
詩人長田弘の随筆集「幼年の色、人生の色」から、次のことばが取り上げられています。

 正しい大きさの感覚が、認識を正しくするのだ。

このことばを読んで、私ははっとしました。確かに、科学技術が高度に発達した今日では、
人間が認識するものの大きさや空間の感覚が、曖昧になって来ているように感じられる
のです。

例えばこの「折々のことば」の筆者も記しているように、私たちが日常的に目にする
テレビに映し出される映像や、写真に写し取られている画像は、自在に焦点距離を調節
して提示されているので、なかなか実感としての大きさがつかみ取れません。

さらには顕微鏡写真や水中の映像、宇宙からの映像など、私たちが本来持っている
想像力を凌駕した画像、映像が眼前に示されて、自分自身の認識力を混乱させられて
ただ茫然と眺めていると、感じることもあります。

あるいは距離感についても、テレビや写真で私たちが自分の目や足で実感出来る以上
のものが、簡単に提示されますし、インターネットなどの情報通信の部分でも、情報が
瞬時に行きかうという意味で、場所と場所の間の距離感が曖昧になって来ているように
感じます。

このような現実の中で、正しい大きさの感覚を持つことは、人が一己の存在としての
自己としての認識を持ち続けるためには、どうしても必要なことでしょう。そのためには、
実際にものに触れ、自分の目で実物を見て回り、実地に体験するという時間を多く
持つことが不可欠度だと、上記のことばを読んで、改めて感じました。

2017年5月7日日曜日

春の非公開文化財特別公開で、寂光院へ行って来ました。

ゴールデンウィークの一日、春の非公開文化財特別公開で大原寂光院へ行って
来ました。

なぜ寂光院へ行こうと思ったかというと、火災で大きく損傷した旧本尊の木造地蔵
菩薩立像が、この特別公開に合わせて公開されているからです。

平成12年に起きた周知の本堂の火災で、重要文化財の旧本尊は著しく焼損しまし
たが、消防隊員による細心の注意を払った懸命の消火活動と、事後の保存処理
によって、黒く焼けただれながら外形を保ち、重文指定が継続されることになったと
いうことで、日頃は新たに作られた収蔵庫に安置されて非公開ですが、この期に
公開されるので、是非訪れてみたいと思ったのです。

折しもこの日は五月らしい好天に恵まれ、大原の里のすぐ近くに迫る山々も青々と
した新緑に包まれ、生命の息吹を発散するようです。辺りに広がる田畑からは、鳥
やカエルの鳴き声が楽しげに聞こえて来ます。町中から少し離れた山里ののんびり
とした風情を満喫する気分でした。

しばらく山沿いの坂を登って、目指す寂光院に到着しました。石垣に囲まれた静かで
落ち着いた佇まいです。石段を上がって境内に入ります。

非公開文化財特別公開の場所は一般の拝観ルートとは別に設定してあって、まず
入ってすぐの会場で竹内栖鳳ら明治から昭和の京都画壇の画家の絵画作品を鑑賞し、
お目当ての地蔵菩薩立像を拝みに奥の収蔵庫へと向かいます。

寺の他の建築物の中では新しい収蔵庫の中に入ると、透明ガラスの仕切りの奥に、
くだんの地蔵菩薩が御供え物などに囲まれて、丁重に安置されていました。

前身漆黒に彩られていますが、その立ち姿はそれゆえかえって、美しく優雅で、たお
やかな輪郭が強調されて、神秘的な趣きがありました。手前に並べられた、この立像
の体内から取り出された3000体以上の小さな地蔵菩薩像も、そこに込められた信仰
の深さを示しているようで、思わず私は手を合わせました。

2017年5月5日金曜日

「京都国際写真祭2017」荒木経惟展を観て

今回は、京都五山の一つの禅宗寺院、建仁寺塔頭両足院が会場の荒木経惟ー
机上の愛ー展を観て来ました。

建仁寺は祇園の大和大路に面し、私は正月によく、商売の神様京都ゑびす神社に
初詣に行ったので、その向かい側にある建仁寺の門の前は通ることがあったの
ですが、実際に境内に入るのは初めてで、どのような所か期待を持って、会場に
向かいました。

折しも境内には堂々とした法堂周りに牡丹が咲きほこり、寺院の古色を帯びた
落ち着いた雰囲気の中に、上品なあでやかさを添えています。

横目で見ながらしばらく進むと、石垣の上に連なる美し白壁の塀が目に入り、
塀沿いに折れて少し石段を上がったところに、目指す両足院がありました。

会場の座敷に足を踏み入れた時、まず目に飛び込んで来たのは、庭に面する
ガラス戸から射し込む溢れんばかりの光、それから、荒木自筆と思われる力強い
筆致の「机上の愛」の掛け軸、写真作品は畳の上低い位置に設えられた、簡素で
瀟洒な白木作りのケースに納められて、覗き込むように鑑賞することになります。

作品は題名が示す通り、机上に並べられた裸体の人形、怪獣や爬虫類のおもちゃ、
それに切り花や鉢植えの植物を、色々に組み合わせて写し取った写真です。

いわば静物写真とも言えるのですが、そこは荒木経惟の作品だけあって、一筋縄
では行きません。机に並べられたそれらのものたちが、まるで命を持っているかの
ようになまめかしく、エロスさえ感じさせます。それはこの写真家が被写体に対して、
生身の人体と同じ愛を感じ取っているということではないでしょうか?

そう感じた時、私は先日観たメイプルソープの写真を、すぐに思い浮かべました。
彼の作品では、肉体をオブジェのように構成しながら、そこには確かな美しさと愛が
表現されていました。それに対して荒木は、物質の中に生身のエロスを見出して
いるのです。

洋の東西、写真家の感性によって、美や愛が様々に描き出されることを、目の
当たりにしたような気がしました。

作品展を鑑賞後、目の前に広がる美しい回遊式庭園を巡って、満ち足りた思いで、
会場を後にしました。

2017年5月3日水曜日

龍池町つくり委員会 40

5月2日に、第58回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

冒頭、寺村副委員長より、本年度のテーマ「わ」を図形化して、これからの活動の
方針についての説明があり、引き続いて今年の「たついけ浴衣まつり」の計画に
ついて、担当の森さんより報告がありました。

本年は、7月16日(日)に昨年と同様京都国際マンガミュージアムで、18:00から
20:30まで実施。紙芝居、和太鼓、鷹山のお囃子は前年通り行いますが、似顔絵
コーナーの代わりに杉林さんのカルタとジョイントして、京都トキワ荘のマンガ家
さんの協力も得て、当日参加した子供たちに、龍池カルタをあしらった紙に思い
思いの着色をしてもらったタンブラーもしくはあんどんを制作して購入してもらう、
企画を計画しているということです。

そのタンブラー、あんどんの販売価格、費用負担の方法などは、告知ポスターを
少なくとも6月6日までに完成させなければならないということで、それまでの検討
課題とすることになりました。

なお、鷹山の関係資料が現在、京都市歴史史料館に展示されており、また鷹山の
祇園祭巡行は、2021年を目指して準備されているということです。

京都外国語大学の南先生からは、6月の当委員会に今年度の合同企画の
方向性を発表するという報告があり、また予算が下りたので、ゆかた祭りに学生
さんが着用するオリジナル浴衣を、当学区の協力を得て制作したいという提案が
ありました。

懸案である、龍池教育財団大原学舎の有効活用についても、南先生、谷口先生の
お力も借りて、幅広くアイデアを求めて行くことになりました。

2017年5月1日月曜日

鷲田清一「折々のことば」733を読んで

2017年4月23日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」733では
陶芸家大樋陶冶斎(十代大樋長左衛門)の次のことばが取り上げられています。

 思いが止まらない

この言葉が、89歳の老陶芸家の口から発せられたということに、価値があると思い
ます。

名跡を息子に譲り、すでに功成り名遂げた上で、なおかつ新しい作品を生み出す
意欲も、情熱も、創造性も失わない。それどころか、後から、後から、どんどん新たな
発想が湧き出て来る。

優れた芸術家には、しばしば見受けられることだと思うけれど、私自身にとっても、
そのような老境を迎えられたらと、夢想します。

このような気概や心境は、何かの制作や研究に携わるような、形のあるものを
継続的に生み出し、あるいは追究している人に、比較的訪れやすい心の状態だとは
感じますが、しかし必ずしもそういう人々だけではなく、日常の中で自分の取り組む
仕事を通して、自身の生きる社会的な意味を問い続けることが出来る人なら、同じ
ような精神状態に至ることも、決して不可能ではないと思います。

そのための心の持ち方としては、例えば私の携わる仕事なら、目先の損得勘定に
振り回されず、広い意味で、この業種の存在意義を少しでも高めて行くことに価値を
見出すという気概で、日々の業務に取り組んで行くことが必要であると、思います。

しかし突きつけられた現実は厳しく、なかなか、そのような心境にはたどり着けそうに
ありません。60歳そこそこで、89歳の境遇を思い描くのも、随分とおこがましいこと
なのでしょう。