2017年5月10日水曜日

鷲田清一「折々のことば」743を読んで

2017年5月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」743には
詩人長田弘の随筆集「幼年の色、人生の色」から、次のことばが取り上げられています。

 正しい大きさの感覚が、認識を正しくするのだ。

このことばを読んで、私ははっとしました。確かに、科学技術が高度に発達した今日では、
人間が認識するものの大きさや空間の感覚が、曖昧になって来ているように感じられる
のです。

例えばこの「折々のことば」の筆者も記しているように、私たちが日常的に目にする
テレビに映し出される映像や、写真に写し取られている画像は、自在に焦点距離を調節
して提示されているので、なかなか実感としての大きさがつかみ取れません。

さらには顕微鏡写真や水中の映像、宇宙からの映像など、私たちが本来持っている
想像力を凌駕した画像、映像が眼前に示されて、自分自身の認識力を混乱させられて
ただ茫然と眺めていると、感じることもあります。

あるいは距離感についても、テレビや写真で私たちが自分の目や足で実感出来る以上
のものが、簡単に提示されますし、インターネットなどの情報通信の部分でも、情報が
瞬時に行きかうという意味で、場所と場所の間の距離感が曖昧になって来ているように
感じます。

このような現実の中で、正しい大きさの感覚を持つことは、人が一己の存在としての
自己としての認識を持ち続けるためには、どうしても必要なことでしょう。そのためには、
実際にものに触れ、自分の目で実物を見て回り、実地に体験するという時間を多く
持つことが不可欠度だと、上記のことばを読んで、改めて感じました。

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