2023年5月30日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2660を読んで

2023年2月19日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2660では 18世紀の啓蒙思想家・ルソーの『エミール(中)』から、次のことばが取り上げられています。    人間を社会的にするのはかれの弱さだ。 そうです。きっと人間がもし弱みを持たない、絶対的な自信に包まれた存在であるなら、彼は 他人の助けなど求めないし、我が道を進むことを選ぶでしょう。 でも人間がそのような完璧な存在ではないから、社会性が生まれ、人類が発展して来たのも 間違いありません。弱いからこそつながり、助け合い、高度な文明を築き上げて来たのです。 ところが、複雑な社会化が成し遂げられた最近になって、私たち現代人は、個人的にも万能感 とでもいうような思い上がりの感覚に囚われて、全てのことを自ら1人で決定し、遂行している ような幻想に陥り勝ちになっているのではないでしょうか? これは、社会生活のあらゆる場面で、機械化や情報化がすすんで、表面的には自分が能動的に 係わりたいと考える多くのこが達成可能となり、必要とする情報が直ぐに入手出来るように なったことに起因すると思われますが、実際にはそれは社会生活全体の中のほんの上皮の部分 でのことに過ぎないのに、私たちは得てしてその感覚に囚われて、驕りの気分に浸されてしまう のだと思われます。 大切なことは、自分が弱い存在であることを自覚すること、その上で多くの人の助けによって 自分の生活が初めて成り立っていることを意識して、社会活動を営むことだと思われます。

2023年5月9日火曜日

山折哲雄著「愛欲の精神史」を読んで

季刊雑誌に長期連載されたものを一冊にまとめた浩瀚の書で、仏教発生のインドから、伝来の道筋に 沿って日本まで、エロスをテーマにして、それぞれの精神史を探究する書です。 その考察に当たり、ガンディーと空海がキーパーソンとして取り上げられていますが、本書の内容が 豊富で、膨大であるため、ここでは私が特に興味を惹かれた、空海の日本にもたらした密教のエロス の思想が、「源氏物語」「とわずかたり」という女流文学に与えた影響について、記した部分への 感想を述べたいと思います。 まずその前提として、少し遡ることになりますが、インド人の精神世界に存在する激しい性の肯定、 渇望は、当然その地に生まれた仏教の根底にもあり、その宗教が中国、日本へと伝来する過程で、 それぞれの民族性、風土に合わせて、そこに埋め込まれた性的な倫理観も、変容を遂げて行きます。 こうして日本にもたらされた空海の密教の内部にも、顕在的ではなく隠微な形としてエロスの思想が 含まれており、胎蔵界曼荼羅や普賢十羅刹女像には、女性化した男性を巡る多数の女性という関係性 で、エロチシズムが発現していると著者は言います。 この構図は、正に源氏物語のストーリー展開にも当てはまり、著者の紫式部は、密教思想の影響を 受けて、このあまりにも有名な物語を著したと、山折は推測します。 ここで私が感銘を受けたのは、主人公の光源氏が現代の感覚ではまだまだ幼く、性的渇望を必要と しない高貴な身分の人物であるために、女性的な魅力を持つ男性であるということで、このように 解釈すると、源氏物語のストーリーの構図が理解しやすいと感じたことです。 さて時代が下って、待賢門院璋子、そして「とわずかたり」の著者後深草院二条の生涯を見ると、 1人の男と多数の女性の図式は、一人の女性と多数の男の図式に代わって、生む性としての魅力的な 女性に群がる高貴な男性というパターンが、文学作品に現れるようになります。 ただこの図式においても、若さと美貌を武器とする魅力的な女性の権勢は一時的で、彼女らの後半生 においては、性の過剰と老いへのむなしさが、心を支配することになります。 いずれにしても、仏教の古典文学への影響を理解するのに適した、書であると感じました。

2023年5月3日水曜日

「鷲田清一折々のことば」2654を読んで

2023年2月23日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2654では 社会哲学研究者・玉手慎一郎の論考「強い制度志向と倫理のアウトソーシング」(「現代思想」1月号) から、次のことばが取り上げられています。    倫理的な行動や態度を要求することなしに、    端的に望ましい帰結が生み出されるように制    度を設計しようという考え方が広がっている これも合理的で、早急に結果を求める最近の風潮の現れでしょうか?でも、このような形の制度設計が なされると、人が自らの倫理観に照らして、内省的な態度で行動を起こすという習慣が失われてしまい かねません。その結果余計に、他者を信じられない殺伐とした社会になって行くのではないでしょうか。 例えば分かりやすい例では、道路わきに設置してある農産物の即売所で、従来なら台に野菜が並べられ て、その傍らに設けてある料金箱に購入者が任意で代金を入れるようになっていたのに、最近では販売 機を設置して、料金を投入しなければ野菜が取り出せないシステムが増えてきているように感じます。 これは勿論、前述のようなシステムでは、料金を支払わずに品物を持ち帰る人が増えて来ているという 悲しい現実への対応策ということなのでしょうが、販売機システムが当たり前になると、益々人の倫理 観が衰えて行く様に感じます。 では多少の損をしても、人の善意に期待する制度を維持すべきだとは、とても無責任には言えませんが、 少なくとも、そのような美徳に期待するシステムを残せるような慣習を保つ努力は、続けて行くべきだ と思います。