2018年5月30日水曜日

川上弘美著「水声」を読んで

2014年度の読売文学賞受賞作です。読み始めて、あまりにも取り留めがないようで
戸惑いました。しかし登場人物の関係性がミステリアスで、読み進めたら謎が解ける
のかと思われて来て、どんどん先を読みたくなる、私にとってそんな小説でした。

とにかく、家族、夫婦、子供の関係が、まったく社会の規範に囚われていません。
ママとパパは腹違いの兄妹で、主人公の都と弟の陵はママの実の子ではあるけれど、
本当の父親は親しい存在ではあっても、別に家庭を持って生活しているらしいのです。

いや、都と陵も母親は一緒でも、父親は別人かもしれません。しかも都と陵は、ママの
死後一度家を出ながら、もう誰も住まなくなったこの家に再び帰って来て、恋愛感情に
等しい感情を持って、二人で暮らしているのです。

ざっと記すだけで、世間の常識に囚われた私の頭は混乱して来ますが、この複雑な
関係の中でまず私の印象に残ったのは、ママとパパは本当の夫婦ではありません
でしたが、都と陵という二人の子供の存在によって母親と父親の役割を果たし、愛情を
分かち持つ家族を作り上げていたことです。

それに対して都と陵は、ママとパパの関係をなぞるようでいて、二人を仲介する子供が
存在しない故に、二人は純粋に惹かれ合う感情を持って同居しているのではないかと
いうことです。

ここで意味を増すのは、ママの不在とこの疑似家族が暮らして来た家の存在で、ママ
亡き後、この家にはパパがコレクションしした時計が並べられた開かずの部屋が設け
られ、そんな家に都と陵が帰って来ることになります。つまり、ママを巡る記憶の集積
した家に、二人は吸い寄せられるのです。

この家族の関係は、家族とはこうあるべきという社会が求める決まり事から、あまり
にも自由です。自由過ぎてつかみどころがないけれど、その分家族の絆や親子や
男女が愛し合う感情が、純粋な形で描き出されているように感じました。

また人々の心に蓄積する記憶というものもこの小説の大切なテーマで、第二次世界
大戦下の凄まじい空襲の記憶、昭和という懐かしい時代の記憶、東日本大震災を
体験するという筆舌に尽くしがたい記憶、そしてママの記憶、それら悲喜こもごもの
記憶たちが降り積もり、それぞれの人の生き方を規定して行くということを、静かに
語り掛けているように感じられて、染み入るような余韻が残りました。

2018年5月28日月曜日

京都高島屋グランドホール「第47回日本伝統工芸近畿展」を観て

高島屋で恒例の「日本伝統工芸近畿展」を観て来ました。例によって染織を中心に
観ながら、会場を回りました。会期が約1週間、そのうちの日曜日ということもあって、
会場には多くの人出があり、京都ではまだまだ工芸への関心が高いと感じました。

今展では、私は受賞作2点の先染めの紬織着物に注目しました。新人奨励賞の
大塚恵梨香「水のハーモニー」は、紬らしいシンプルな生成りの地色に、藍色を
中心の淡い縦縞、アクセントを成すもう少し濃い藍色が、斜めの点線の繰り返しで
ジグザグ模様を描き出して、あっさりとした表情の中にも、すがすがしい詩情を醸し
出しています。目を凝らすと、藍色の縦縞の間に、ほのかな黄色い線が織り込まれて
いて、微妙なニュアンスを生み出していることに気づかされます。そのような隠れた
技巧に、作者の意気込みと熱意を感じました。

京都新聞賞の津田昭子「花の交響」は、おなじみのベテラン作家の作品、これも縦縞
の着物ですが、地元に産する多彩な植物の天然染料を使用し、縞の色使いを部分に
よって変えてあるのは無論、身頃の染め分け、縞の間に織り込まれた微かな模様が
心地よい表情を生み出し、一見シンプルでありながら、豊饒な雰囲気を感じさせる
作品になっています。それぞれの作品が、手織りならではのぬくもりのある微妙な
ニュアンスを体現していて、手仕事の美を再確認する思いがしました。

いつも駆け足で会場を後にするので、これが初めての試みであるのかは定かでは
ありませんが、今回設けられていることに気づいた展示販売のコーナーでは、
出品作家が制作した陶器、ガラスなどの盃、ぐい吞みなどが販売され、希望があれば
好みの盃で日本酒を試飲することが出来るという企画もあり、またそれらの盃などを
携帯するための同じく出品染織作家、刺繍作家の仕覆なども販売されていて、
なんとかして伝統工芸品を一般の人に身近に使って貰おうという、意図の試行が企て
られていることに、主催団体の工芸の火を消さないための熱意と、危機感を見る思い
がしました。

2018年5月26日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1118を読んで

2018年5月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1118では
岩だらけの荒野の中の一か所の小さな泉という〈恵み〉を、自分たちの思いのままに
領有しようとする人々を諫めた、カナダの司祭トム・ハーパーによる寓話『いのちの水』
から、次のことばが取り上げられています。

 それは、巨大な岩で造られた聖堂の礎石の、はるか深い底から聞こえてくる、流水
 のかすかなこだまだった。

小さな泉の近くにはいつしか大聖堂が築かれ、教派が争う中、泉自身も囲い込まれて
しまったといいます。

このような人間の愚行は、しばしば見受けられると感じます。最初は〈恵み〉への感謝
のしるしであったものが、祭り上げられ、対立を生み、特定の集団によって占有されて
しまうことになる。

人々の潜在的な欲望が集積することによって、独占の意志を生み出すということで
しょうか?

人間は一人一人は善意を持ち合わせていても、ひとたび集団化すると集団の利益を
守るために多勢であることを笠に着たり、あるいは、その集団を隠れ蓑にして勝手
気ままな振る舞いに及ぶことが、往々にあるように思います。また集団内の論理を
世間一般の価値観に優先させて、独善的な行為に至ることも見受けられます。

例え何らかの集団に属していても、自分の確固とした価値基準や、しっかりとした善悪
の判断指標は持ち続けるべきだと、上記のことばを読んで感じました。

2018年5月23日水曜日

京都文化博物館「オットー・ネーベル展」を観て

私は、オットー・ネーベルという画家の作品はもとより、名前も全く知りませんでした。
それで本展も、未知の画家への好奇心も手伝って、訪れてみることにしたのですが、
一目彼の作品を観ると、まず既知の絵画に接するような懐かしさがわいて来て、
正直少し戸惑いました。

でもこの展覧会を順路に従って観て行く内に、やがて私の感慨の理由も、次第に
明らかになって来ました。というのは、ネーベルは私の好きなクレーやカンディンス
キーといったバウハウスと繋がる芸術家と交流も深く、親しい存在の画家だったの
です。

ですからまず驚かされたのは、クレーやカンディンスキーは当時、他の追随を許さ
ない個性的な絵画を制作する画家というイメージを、彼らの作品に親しむ内に、私が
勝手に作り上げてしまっていて、同時代に親交のあったネーベルの絵画に、彼らと
似通ったテーストが感じられたことが、私の予想を超えたものであったからだと、思い
ます。

しかしそのような事実に気づくことによって、彼らの活躍した時代の芸術家たちの
熱気、影響関係などを、新たに知ることが出来て、これからクレーやカンディンスキー
の絵画を観る時の私の鑑賞姿勢も、多少深みを増すように思われて、その点でも
今展を訪れたことは有意義であったと、感じました。またバウハウスに集った芸術家
たちの総合芸術を標ぼうする作品が、再現も含めて立体的に展示されていて、当時
の雰囲気を体感することが出来たことも、私にとっては収穫でした。

さて肝心のネーベルの絵画ですが、一言でいえば繊細で詩的、感情や気分、音楽
など形のないもの、あるいは風景、建物といった目に見えるものを扱っても、それに
対して人が抱く情動を写し取ろうとするような、純粋に形而上的な絵画、思想を
含まぬ抽象絵画、という印象を受けました。

それともう一点特筆すべきは、その卓越した色彩感覚で、私は「イタリヤのカラーアト
ラス(色彩地図帳)」という作品が一番気に入りましたが、色彩で気分や感情を表現
するのみならず、ある国、地方の特質まで描き出す手際には、感服しました。

ネーベルの作品を多く所有するネーベル財団は、ベルンのパウル・クレー美術館に
本拠が置かれているといいます。一度是非訪れたいと思っているこの美術館に
行けば、ネーベルの絵画にもまた再会出来るのでしょうが、彼が今日まで、このよう
な素晴らしい絵画を残しながら、我々にあまり知られてこなかったのは、彼の近しい
存在であったクレーやカンディンスキーが余りにも偉大で、彼はその陰に隠れて
しまったのではないか、そんなことも考えさせられました。

2018年5月21日月曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 葬式の支え合い国内外同じ」を読んで

2018年5月8日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「葬式の支え合い国内外同じ」と題して、筆者が調査して来たエチオピアの村の葬式
事情から、イスラム教徒とキリスト教徒が互いの宗教を尊重し合っている様子を述べ、
更には、親族を亡くした家の服喪の期間には、近隣の葬式組が遺族の世話を行う
習慣が、我が国のかつての村落社会の習慣とも共通することを、語っています。

私などは日々のニュースで、中近東やヨーロッパで、宗教上の対立が激化している
報道に触れない日がないことからも、多宗教の人々が入り混じって暮らす社会では、
宗教上の軋轢はある程度避けられないものというイメージを持ちがちですが、この
エチオピアでの事情に触れると、本来は多宗教の人々が互いを尊重し合う社会が、
自然な姿ではないかと思われて来ます。

さて私たちの国の、特に都市部の葬儀は、最近はもっぱら葬儀場で執り行われる
場合が多く、参列者からは香典を受け取ることを辞退して、親族に対しては葬儀
当日に初七日の法要を合わせて営むなど、葬式の簡略化が進んでいます。

振り返ると私の記憶でも、中学生の頃に母に連れられて行った、滋賀県の都市近郊
の田園地帯の親戚の葬儀では、遺族のために隣近所の人々が集まって朝、昼、晩
の食事を作り、他方喪主は白い裃を着用して、丁寧に一人一人の弔問客に対応し
ながら、感謝の気持ちを伝えていたものでした。

そのことから類推すると、その時代の社会情勢を反映し易い都市部の葬儀では、
遺族に対して奉仕する労力が次第に香典という金銭にとって代わり、遺族の側でも
香典返しの手間を省略するために、香典を受け取らないという方針が主流になって
来ているのでしょう。初七日を葬儀の日に同時に営むということも、親族の時間的
負担を軽減するためなのでしょう。

葬儀の本来の目的である亡くなった人を悼み、困った時の相互扶助としての遺族
への配慮といった習慣が廃れ、人の死を悲しみ、喪失感を抱えた人に心から寄り
添うといった共感力が、今日では希釈化されているように感じます。

もしかしたら、故人を悼む気持ちや、遺族に奉仕する心をお金で代替するように
なったところから、葬式の合理化は始まっているのかも知れません。

2018年5月18日金曜日

細見美術館「永遠の少年ランティーグ、写真は魔法だ!」を観て

今年の京都国際写真祭も、メインプログラムは終わりを迎えました。その間幾つもの
写真展を観て、写真表現の多様さ、その訴求力の強さを改めて認識しましたが、私は
今年度の鑑賞の掉尾に、ランティーグの写真展を選ぶことにしました。

というのは、これまで観て来た写真展では、現代という時代の要請もあって、写真を
デジタル加工した作品、写真家が訴えかけたいものを前面に打ち出した表現が目立ち、
それに対してランティーグの作品は、写真を写すという行為の原点を示してくれると、
思われたからです。

さて実際に本展を観ると、写真機がまだ一般化する以前に、魔法の小箱としてこの道具
を手に入れた裕福な家庭の少年が、家族や周囲との幸福な時間を記録するために、
以降喜々として対象にカメラを向け続ける姿が見えて来ます。そしてその写し取られた
作品を通覧すると、時代の移り行きの中で、社会の醸し出す雰囲気や、カメラや
写真技術の進歩が浮かび上がって来るのです。

改めてランティーグの写真の魅力の源泉を考える時、彼が何にも増して写真が好きで
あったこと、自らも含めた家族の至福の時間を止め置きたいという無償で継続的な想い
を持ち続けたこと、悪戯好きで実験精神に溢れていたこと、そしてたぐいまれな美的
センスに恵まれていたこと、が挙げられると感じます。

個別に見ていくと、私は特にこの頃の作品に好感を持ちますが、ランティーグが
少年時代の家族とのピクニックや遊戯など寛いだ様子、愛犬や愛猫の可愛らしい仕草
を写し取った写真は、観る者をも幸せな気分に浸らせ、心霊写真と称する、白い布を
まとった人物を二重露光と思しい手法でぼんやりと浮かび上がらせた写真などは、
いたずら心に微笑まざるを得ません。

自動車、飛行機などの文明の利器のスピード感にも強い興味を示し、自動車レースや
飛行機の飛翔する姿、また発明家の彼の兄が試作した実際に人が乗れる模型自動車や
飛行機で、兄たちが戯れる様子を躍動的に活写します。

他方今展での公開が、日本では初めてというカラー作品は、光と色の持つ効果を存分に
活用して、輝くような色彩感に溢れ、洗練された構図の愛妻のポートレートなどを写し
取って、彼の写真の新たな魅力を私たちに示してくれます。

2018年5月16日水曜日

京都国際写真祭、深瀬昌久とロミュアル・ハズメの写真展を観て

今回は、昨年も訪れた誉田屋源兵衛会場で、深瀬昌久「遊戯」とロミュアル・ハズメ
「ポルト・ノポへの路上で」の2つの写真展を、観て来ました。

まず竹院の間で開催されている深瀬昌久の写真展。彼は25年前の不幸な事故で
やむなく写真家としての活動を休止、そのまま回復することなく20年前に亡くなった
ということですが、その実験的な作品が近年国際的にも注目されているそうです。

実際に観てみると、今写真祭のチラシの表紙にもなっている、猫の顔のクローズ
アップ写真にピンと糸が張り巡らされたものを更に写真に撮ったインパクトの強い
印象的な作品など、現在から25年以上前に発表された写真とは思えない、前衛的
でスタイリッシュな作品が並んでいます。

今展にも出品されている、二重露光を用いたカラスの写真シリーズなどが代表作
ということですが、私は奥のスペースに展示されている、「私景」という枠でくくられる
写真家自身が登場する「プクプク」「ヒビワレ」「ベロベロ」などのシリーズが一番
印象に残りました。

これらの作品は、この写真家に想起される風景や、心象と重なる路面のヒビなどに
自身のポートレートをダブらせ、その上にコメント、イラストなども描き込んで、彼の
内面を写真として提示するものや、あるいは、風呂の水面に顔の半分までつけて
あぶくを立てる姿を写したセルフポートレート、更には彼と知人が顔を近づけ、舌で
互いをなめ合う様子を写すポートレートなど、一見人を食ったような作品などですが、
それぞれに写真家が自分自身を表現しようとする意図が明確に示されていて、その
茶目っ気と実験性を十分に楽しむことが出来ました。

次に黒蔵で開催されているロミュアル・ハズメの写真展。まず会場1階のこの写真家
の祖国、アフリカ、ペナン共和国の現実をものを通して表現するシリーズでは、この
国の庶民が生活の必要から愛用するポリタンク、大きなガラス瓶や中古のスクーター
を題材に選んで写真を撮るこことによって、彼らの虐げられた歴史、今尚続く厳しい
生活を見事に描き出しています。

会場2階以上は、逆に祭祀を通して彼らの文化の豊かさを表現するシリーズ。
ユニークなオブジェも用いて、観る者をアフリカのエキゾチックさに誘ってくれます。

2018年5月14日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1098を読んで

2018年5月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1098では
平野暁臣著『「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たち』から岡本の次のことばが取り上げられ
ています。

 アメーバなんて嬉しいじゃないか。ひとつになったりふたつに分かれたり・・・変幻自在。
 自由奔放に生きている。素晴らしいじゃないか

大阪の万国博覧会の遺産である「太陽の塔」が、改修された内部の公開も始まり、再び
脚光を浴びています。私はこのトピックが、何だか嬉しく感じます。というのは、「太陽の塔」
は長年、万博公園を象徴するランドマークでありながら、そこにあるのが当たり前、特段
には気に止められない存在として、そこに孤独に佇んでいるように、この公園を訪れる
度に感じて来たからです。

私はかねてから、「太陽の塔」は従来の日本の芸術のスケールを超えた、一種神々しさの
ようなものさえ漂わせる像と感じていました。その意味では、仏像、神像に擬せられるとも
思われるのですが、前衛的芸術家が現代的な素材を用いて作り上げた、近未来的な相貌
を持つ得体の知れない像が、そのような雰囲気を醸し出すことに、人々の理解が深まる
のは一体いつののことになるのかとも、いぶかって来ました。

「太陽の塔」の内部には周知のように、生命の誕生からの進化の歴史を辿る、生命樹が
備え付けられています。内部が再公開されるということは、「太陽の塔」そのものの意味を
人々に感得させる一助になるのではないかと、密かに期待しています。

もう私の記憶も曖昧なところがありますが、晩年の岡本太郎は早く生まれ過ぎた天才と
でもいうように、その才能に見合うだけの評価を得られなかった芸術家、その破天荒さ
のみを好奇の目で見られた奇人という趣きがあったと、感じます。

現在の「太陽の塔」の人気の再沸騰は、彼の天才に我々が追い付いて来たということかも、
知れません。

2018年5月11日金曜日

京都春季非公開文化財特別公開「木島櫻谷旧邸」を訪れて

今春の非公開文化財特別公開で、「木島櫻谷旧邸」を尋ねました。

この屋敷の所在地は、京都の中心から北西の衣笠の地。日本画家木島櫻谷が、私たちの
店の近くの旧宅から、当時衣笠村と呼ばれていたこの土地に移り住んだ大正初期には、
まだ緑の多い景勝地だったそうです。

京都画壇の人気画家であった彼が衣笠村に移ってから、土田麦僊、村上華岳、堂本印象、
小野竹喬ら多くの画家がこの地に移住し、「衣笠絵描き村」と呼ばれるようになったそう
です。そういう経緯も、私がこの旧邸を訪れたいと思った理由の一つでした。

さて実際に尋ねてみると、現地はすっかり市街化して風光明媚の地の面影はなく、洛星
中学高校の校舎に隣接していて、どちらかと言うと瀟洒な住宅地というイメージの場所
でした。

歳月を感じさせる重厚な木造の門から入ると、まず迎えてくれたのは、かつて櫻谷の住居
だった和館で、趣味が良く手の込んだ和風建築、襖絵などにも贅が尽くされ、彼の美意識
が充分に反映されていると、感じました。また当時使用された家具、台所用品などの生活
道具類、愛用された玩具、備品などもそのまま残されていて、大正期から昭和初期に
タイムスリップしたような、懐かしさを伴う感覚も覚えました。

次に訪れた洋館は、大正期の特色を示す和洋折衷建築、螺旋階段が美しく、当時収蔵庫、
展示室として使用され、モダンな面影を残します。私の目を引いたのは櫻谷のコレクション
と思しき伊藤若冲の水墨画が展示されていたことで、彼が早い時期から若冲に注目して
いたことに、画家としての優れた審美眼を見る思いがしました。

庭と畑、後世に造られたであろうテニスコートを通って奥の平屋に赴くと、そこは天井の
高い80畳の大画室になっています。ここでは自身の絵画制作や、画塾として弟子たちの
指導が行われたということです。当時の賑わい、熱気が伝わって来て、美を生み出そうと
苦闘する人々が発散させる緊迫した気配が、今も残るようです。

また画室では、今回の公開に合わせて櫻谷存命中に撮影された、彼と孫と思しき家族が
自宅で憩うモノクロの映像がディスプレイで上映されていて、往時を偲ぶ郷愁を益々
掻き立てられました。

2018年5月9日水曜日

龍池町つくり委員会 52

5月8日に、第70回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回も冒頭、恒例の学区内のホテル、宿泊施設の建設問題について、中谷委員長より
報告があり、従来報告されている案件に加え新たに、突抜町のミニホテルの計画の
報告がなされました。これで少なくともすでに8件が施工、計画されていることになり、
当委員会としては引き続き新規計画に対しては、町内会、地権者、事業主の三者協定
締結を強く奨励して行くことになりました。

また、今回初めて京都国際マンガミュージアムのティーズサロンで開催された「歌声喫茶」
は、参加者約60名と盛況で、新しい船出として上々のスタートとなりました。

4月15日に実施された「大原お花見」は、龍池学区民27名、大原住民の方20名、京都
外国語大学関係5名、計52名(内幼児及び児童6名)の参加があり、皆で歌を歌う
催し、昼食懇親会、フェンスの修繕、花を植えるなど、大原学舎の整備作業を行いました。
秋にも大原で同様の催しを計画しています。また大原学舎をもっと有効活用するために、
外大生にも利用をお願いすることになりました。

本年度の「龍池ゆかた祭り」は、どのような形でどの時期に開催するかを、5月10日の
マンガミュージアム、自治連合会、町つくり委員会の協議で、決定することになりました。
当委員会としては、将来の地域活性化のため、「ゆかた祭り」を継続開催して行きたいと
考えています。

秋の外大企画案について南先生より報告があり、町つくり委員会の活動を振り返る
写真展、二条通り界隈での薬祭りにまつわるウォーキング、それにちなみ薬膳茶会を行う
という案が示されました。これから担当の学生さんたちがこの催しの開催に向けて、
下調べ、準備を進めて行くということです。

2018年5月6日日曜日

鷲田清一「折々のことば」1092を読んで

2018年4月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1092では
作家・澤地久枝の『琉球布紀行』から、沖縄の伝統的な織物「読谷山花織」の復元を
成し遂げた與那嶺貞に仕事仲間の一人が言った、次のことばが取り上げられています。

 さすが学問の力だねぇ

近代に入り、芸術や個人という概念が西洋から導入されて、無名の職人の創り出す
手作りの工芸品に光が当てられ、その作り手に工芸家という自覚を促す端緒となった
のが「民藝運動」なら、その結果としておのずから、工芸家の仕事にも、作品を生み出す
ために学問的な知識が用いられることが多くなって来たのでしょう。

それまでの職人仕事は、師匠から弟子に口伝、あるいは見よう見まねによって引き継が
れ、学問による体系などなかったはずですが、一度廃れてしまった技術を復元するため
に学問的な取り組みが必要となり、更に進めば工芸の諸分野の大勢が、だんだん学校
で学問として基礎を学ぶものとなって行って、今日に至っていると思われます。

師匠と弟子の、寝食を共にする身体的対話を伴う濃密な関係性が薄れ、代わりに
客観的で個を重視する姿勢が趨勢になって来たということなのでしょうが、このことも
近代化の進行と密接に関わっているように感じられます。

そのように考えて来ると、ものの作り手の職人から工芸家への移り行きは、手仕事の
学問化と轍を一つにしているように思われますが、一方上記のことばが発せられた場面、
與那嶺が実業学校で学んだ知識を応用して幻の織物の復元に成功したという事例は、
基礎学力と手仕事の幸福な出会いを感じさせます。

社会において、若者が生きるすべを身に付ける方法として、ますます高等教育が占める
比重が高まって来ていると感じられる昨今、それ故に基礎学力の重要性、学ぶ意欲を
育む教育の必要性は高まっているのだと、このことばを読んで感じました。

2018年5月4日金曜日

文月悠光「臆病な詩人街へ出る。」を読んで

詩の世界を巡る最近の事情やウエブ上の話題に疎いので、私は文月悠光という詩人
やその詩を全く知りませんでした。この本を知ったのも京都新聞の書評で、そこに
評されているこの詩人が、現代の社会的に活躍している若者に私がイメージしている
姿よりも、遥かにシャイで生真面目であると感じられ、好ましく思ったので、本書を手に
取りました。

とはいえ、読み始めるまでこの詩人の性別も知らず、そもそもウエブに掲載された文章
を書籍化した本を読むのも初めての体験だったので、正直少し戸惑いながらページ
を繰り始めました。

しかし読み始めてまず感じたのはある意味での懐かしさ、早熟の天才詩人、しかも
うら若い女性と、むくつけき初老の男の自分を比較するのはおこがましく、気恥ずか
しいのですが、人見知りで消極的、何事においても周囲の人に依存し勝ちであった
若い頃の私の心情と、彼女のそれとに共通するものを見る思いがしたのです。

もっとも、彼女は逆境にもくじけない詩人としての才能と矜持を有し、当時の私は情け
なくも、そういうものを何一つ持ち合わせていなかったのですが・・・。

そういう訳で、俄然親近感を持って読み進めることになりましたが、彼女が初体験の
様々なことにチャレンジした心境を告白する本書は、くしくも読みながら私の若かりし
日の苦い思い出を、心に去来させることにもなったのです。

さて共通項もあると私が勝手にシンパシーを抱いている彼女の境涯の中でも、私には
全くあり得なかった深刻な悩みが、この本(元の連載)が生まれる契機となっています。

それはかつて彼女が女子高生詩人として華々しいデビューを飾り、大学進学後も才能
をもてはやされる内に、その流れに身を任せるように詩人の仕事で生計を立てる
社会人になってから、自らの立場の限界を感じて途方に暮れる部分です。

一躍社会的な脚光を浴びて、無我夢中で世間から求められる役割を演じながら、突然
自らの立ち位置が分からなくなる戸惑いは、到底私などの想像の及ぶところでは
ありませんが、健気にも彼女は、それまで詩作に専念して来たことによって欠落して
いた社会体験に果敢に挑戦し、その結果として自らの性格上の欠点に気づき、自らに
課された詩人としての役割、人に訴えかける詩の力を再認識します。

私自身の若い頃の悩みと比較しても、彼女は弱冠その若さで、遥かな精神的財産を
手に入れたと、感じました。

詩人文月悠光のこれからの活躍を、自然に応援したくなりました。

2018年5月2日水曜日

京都国際写真祭、リウ・ボーリンと宮崎いず美の写真展を観て

今回は同写真祭の企画の内、祇園の大和大路界隈の二つの写真展を観て来ました。

まずリウ・ボーリンの展覧会は、「Liu Bolin x Ruinart」と題し、世界最古のシャンパー
ニュ・メゾンとコラボレートして、同メゾンと彼らが作り出すシャンパーニュの魅力を、
ボーリン独自の手法で写し取っています。

私が彼の写真作品を観るのは恐らく今回が初めてですが、最初に驚かされたのはその
独特の制作方法で、つまり彼が主題を表現するために選んだ風景、場所などの前景に、
その風景、場所に溶け込むように全身にペインティングを施した写真家自身、あるいは
縁の人物を佇ませて、まるで場と人間が渾然一体となったような写真を撮ることです。

そのような手法の写真で、彼がルナールという魅力的な対象から浮かび上がらせた
のは、ブドウの栽培から始まる自然との共生、歴史と風格をたたえるメゾンの現場
から立ちあがって来る、スタッフのワイン造りへのひたむきさ、品格、矜持などであると、
感じました。

実際に撮影に使われたペインティングされた衣装の展示、撮影風景を記録する映像
の上映なども、彼の作品制作の過程が体感出来て、より写真作品への理解が深まると
感じました。

会場屋上の、ルナールのシャンパーニュを手軽に味わえるコーナーはまず、鴨川周辺
を見下ろせるロケーションが素晴らしく、私はワインは注文しませんでしたが、かなりの
誘惑に駆られました。

次に訪れたのは、「UP to ME」と題する宮崎いず美の写真展。そんなに広いスペース
ではありませんが、モダンなビル一棟を写真とインスタレーションで埋めています。

彼女の作品を観るのも初めてですが、宮崎自らが演じる幼さの残るおかっぱ頭の
無表情の女性(女の子)が、奇抜でユニークな設定の合成写真の中で、悪戯っぽく、
大胆、あるいは少しとぼけた仕草でポーズを取る、正に宮崎ワールド全開の楽しい
展覧会です。

作品の観せ方も趣向を凝らし、特にインスタレーション作品の、観る者自身が身を
かがめて、設置された穴から上部に顔を覗かせると、そこは青一色の空間で、雲を
思わせる飾り物も設えられていて、まるで空に浮かんでいるような感覚を味わえる
作品は、彼女の世界観を実際に体感するような趣きがありました。

更には、その穴を覗き込んだ観客の首から下の身体が、その作品を少し離れた場所
から観ている観客の鑑賞対象になっているという入り組んだ複雑さも、独特の感興を
呼び起こしてくれました。