2018年5月14日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1098を読んで

2018年5月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1098では
平野暁臣著『「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たち』から岡本の次のことばが取り上げられ
ています。

 アメーバなんて嬉しいじゃないか。ひとつになったりふたつに分かれたり・・・変幻自在。
 自由奔放に生きている。素晴らしいじゃないか

大阪の万国博覧会の遺産である「太陽の塔」が、改修された内部の公開も始まり、再び
脚光を浴びています。私はこのトピックが、何だか嬉しく感じます。というのは、「太陽の塔」
は長年、万博公園を象徴するランドマークでありながら、そこにあるのが当たり前、特段
には気に止められない存在として、そこに孤独に佇んでいるように、この公園を訪れる
度に感じて来たからです。

私はかねてから、「太陽の塔」は従来の日本の芸術のスケールを超えた、一種神々しさの
ようなものさえ漂わせる像と感じていました。その意味では、仏像、神像に擬せられるとも
思われるのですが、前衛的芸術家が現代的な素材を用いて作り上げた、近未来的な相貌
を持つ得体の知れない像が、そのような雰囲気を醸し出すことに、人々の理解が深まる
のは一体いつののことになるのかとも、いぶかって来ました。

「太陽の塔」の内部には周知のように、生命の誕生からの進化の歴史を辿る、生命樹が
備え付けられています。内部が再公開されるということは、「太陽の塔」そのものの意味を
人々に感得させる一助になるのではないかと、密かに期待しています。

もう私の記憶も曖昧なところがありますが、晩年の岡本太郎は早く生まれ過ぎた天才と
でもいうように、その才能に見合うだけの評価を得られなかった芸術家、その破天荒さ
のみを好奇の目で見られた奇人という趣きがあったと、感じます。

現在の「太陽の塔」の人気の再沸騰は、彼の天才に我々が追い付いて来たということかも、
知れません。

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