店主、日々のことども
2026年8月12日水曜日
2026年8月度「龍池町つくり委員会」開催
8月11日に、第8回「龍池町つくり委員会」が開催されました。
今年龍池学区が当番年である、時代祭の行列について、学区民に準備からの詳細を知ってもらう催しを
開催するかどうかについて、委員会で検討しました。委員長の私が提案したのですが、町費からの積み
立て金によって、原則9年に一回(今回はコロナ禍や順延によって12年ぶり)運営されるこの行事の
内容を、学区民に知ってもらうことには意義があると考え、提案した次第です。
私は、9月24日、25日当たりの午後6時もしくは午後7時からⅠ時間程度の予定で、当学区の行列の担当
である装束店の社長様による説明と、平安神宮からお借りすることが出来れば行列のビデオの鑑賞、
座談会方式による、以前行列に参加された方の体験談披露という内容で、この催しを提起しましたが、
各委員からは、催事に携わって頂く方との予定調整を行い、実際の時代祭の日時も迫っているので、
行列を担う学区の関係者の承諾を得られるなら、この催しを実施してみよいという結論を得ました。
8月29日に開催される「龍池えむえむ夏祭り」については、子供向けのゲームを担当するスタッフが
不足気味なので、今回委員会に参加されている南先生グループのメンバーに、重ねてお手伝いをお願い
しました。現在はその内1名の方の参加が確定したところですが、更なるメンバーの協力を期待してい
ます。
南先生グループからの報告として、10月18日(日)午前10時から12時の予定で、「アサギマダラの観察
&フジバカマ植え付け体験会」を開催するというお話がありました。これは、龍池学区の大原郊外学舎
を利用して、既に植え付けられているフジバカマが開花し、蝶が訪れると思われる同日に、蝶の観察と
翌年向けに新たなフジバカマの株を植えるという催しで、対象は当学区限定10組のファミリー、参加費
は一家族1000円というものです。8月中にチラシ、ポスターを制作してもらって、各町に配布、経費に
ついては町つくり委員会で応分を負担するということになりました。
2026年8月5日水曜日
「鷲田清一折々のことば」3602を読んで
2026年3月24日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3602では
美学者・会社員難波優輝の同紙の連載「にじいろの議」への寄稿(3月11日夕刊)から、次の言葉が
取り上げられています。
私たちは、技術を前提とするのではなく、
技術の意味を問わなければならない。
私たちは今尚、技術の発展への信仰に囚われているのではないか?新しい科学技術、医療技術が開発
されればもてはやし、それで社会が今よりも良くなると信じ込む。
確かに、技術の発展によって生活の質が向上したり、社会活動が効率的になったことは多々あるで
しょう。でもそれが万能薬であるかと言えば、違うのでは無いか?
例えば、SNSの発達は、遠く隔たる多くの人が一瞬のうちにつながり、また親しい人とも直接に会わ
なくても、逐一意思の伝達を行うことを可能にする。でもそこにはフェイクや扇動のリスクがあり、
親密な個人間の関係においても、SNSにかえって縛られたり、いじめの原因になったりするリスクが
ある。
医療技術の発達は、人間の寿命を飛躍的に伸ばし、我々の死生観を根本的に変えたように思われる
けれど、その反面、生命の尊厳への感覚を鈍らせ、ひいては倫理観の欠如や、生きる目的を見失う
ような傾向を生み出しているように感じられる。
今正に、AIが行く末の人間社会に絶大な影響力を行使し、人間を支配するようになる未来が危惧さ
ているけれども、技術の止めどない発展を前提にするのでは無く、長いスタンスでの真に人間の利益
になる技術を賢明に選択して、それのみを発展させるシステムを構築すべきではないか?そのような
思いを強くするこの頃です。
2026年7月29日水曜日
落合東朗著「香月泰男 シベリア・シリーズを読む」を読んで
作品をあまり観たことはありませんが、香月泰男の名前を知っているのは、「シベリア・シリーズ」という
彼の代表作の名を覚えているからです。また、シベリア抑留というかつて日本が経験した、第二次世界大戦
敗戦後の惨禍を私が心に留めるようになったのも、彼の「シベリア・シリーズ」がきっかけでした。
それほどに、香月といえばこのシリーズの認識を持っているけれども、具体的に彼がどのような体験を経て、
それはつまり、シベリア抑留とは如何なるものであったかも含まれますが、これらの絵画を描くに至ったか
に強く興味を引かれて、本書を手に取りました。
全体を読み終わって、まずシベリア抑留という出来事自体は、体験者にとって大変理不尽なことであるけれ
ども、この戦争全体を俯瞰して見た場合、彼らは被害者であり、かつ加害者の一面を持つことが分かります。
つまり、中国に侵攻した日本軍の兵士は、徴兵によってやむを得ず戦地に駆り立てられたにせよ、侵略戦争
の一翼を担う現地民にとっての加害者であり、敗戦後は正統の理由も無く、無理矢理に厳しい環境の中での
強制労働につかされた被害者なのです。
この事実は、戦争というものが救いの無い悪行であることを如実に示しますが、実際の抑留体験者は、如何
なる心境でこの囚われの苦行に耐えたのか・その答えが香月にとっての「シベリア・シリーズ」であると思
われます。
絵画の色彩の基調は、必然的に黄褐色と煤けた含みのある黒によって占められ、代表的な作品は、その中に
悲嘆に暮れるような重く厳めしい表情の、記念碑的な人物の顔と手が浮かび上がります。正に人間の性や業
を刻印しているように思われ、しかしそこに時折垣間見えるヒューマニティーと詩情が、沈みがちな表現に
アクセントを与えています。一度観ると忘れられない作品群です。
香月が入隊後程なく満州に派遣されて、厳しい初年兵の境遇から一転敗戦を迎え、ロシア軍の捕虜となって
早期の解放を信じながらもシベリアの極寒の地に連行されて、満足な食事も与えられずに過酷な労働に従事
させられる。望郷の念と絶望に囚われながら、死を迎える者を間近に見て、香月は何を感じ、帰国後の使命
としたか?
「シベリア・シリーズ」が明らかにするのは、彼が戦前も戦中も戦後も、変わらず誠実な画家であり続けた
ということです。
2026年7月22日水曜日
打越正行著「ヤンキーと地元 解体屋、風俗経営者、ヤミ業者になった沖縄の若者たち」を読んで
岸正彦著「生活史の方法」に触発されて、初めて読んだ生活史調査の書です。本書は、沖縄の社会の周縁部に生きる
若者の生活史の記録ですが、打越は、沖縄の暴走族の少年集団のパシリ(使い走り)となって親密な関係を築き、彼
らの生活に密着して以降の人生を追います。その結果、彼らの肉声に届く希有の調査記録が生まれたと感じます。
普通彼らの生態を描く書があったとしても、書き手が一定の距離を置いた所からのぞき込むように記述しているのが
一般的で、外面をなぞるだけで、彼らの生活の内情に十分に肉薄しきれていないのが多いと推察されます。ところが
本書では、文字通り著者が彼らの仲間内になって、一緒の生活を体験することによって、彼らと喜怒哀楽を共にし、
当事者に寄り添うようにして記述されています。
そこで明らかになるのは、貧困や劣悪な家庭環境から彼らが学習意欲や学校での居場所を失い、暴走行為で一瞬の
快楽を得るために仲間で集まってグループを結成し、グループ卒業後は解体屋など、肉体的に厳しい建設業に従事
するか、風俗経営者など違法すれすれの職業に就いて、生計を立てるということです。
生活条件が厳しいだけに、彼らの生は刹那的であり、暴飲、ギャンブル、薬物、金銭、女性トラブル、ヤクザとの
いざこざ等、彼らが身を持ち崩す危険はそこここに散見されます。また彼らの仲間の女性は、主に風俗店で働き、
一緒になった男によって搾取されたり、薬漬けにされたりの危険と隣り合わせで生きています。
このように私たち外部の者から見ると、彼らの生活は恵まれないものであるように思われますが、打越の目を通して
見ると、彼らは地元に護られて先輩後輩のしっかりとした秩序の中に生き、危ないながらも子供を中心として、幸せ
な家庭を築こうと奮闘しているように思われます。特に女性たちは、子供が生まれると、きっちりとした生活設計を
立てようとするところが健気でした。
本書の若者たちの生態から明らかになるのは、本土の発展から取り残された沖縄の旧弊、本土から受ける差別の実態
などであるでしょう。特に私たち本土の人間が知ろうとしなかった、沖縄社会の実際を目の当たりにすることが出来
たことは、大変有意義なことであると思いました。
本書を著した、暴走族の若者と親しくなれる希有の社会学研究者打越正行は、若くし2024年に亡くなったと言います。
大変残念です。
2026年7月15日水曜日
2026年7月度「龍池町つくり委員会」開催
7月14日に、第6回「龍池町つくり委員会」が開催されました。
まず、6月27日に実施した、「役行者山の会所見学会」の結果報告を行いました。午前の回、午後の
回共に、役行者山世話役の林様に紹介された方も含めてですが、参加者は定員の20名に達し、学区内
でも、祇園祭に関心のある方は多いことが確認されました。この結果を受けて、来年も役行者山の
見学会を続けるか、あるいは、鈴鹿山、鷹山の見学会を行うか、検討をすることになりました。
また新たな催事として、私から「時代祭を知ろう」の開催を提案しました。これは、龍池学区が、
コロナ禍もあり今年度が10年ぶり(通常は9年)の時代祭の当番に当たり、学区民の代表者が参列する
ことになるので、広く学区民の方に時代祭とはどのような祭りで、どのような準備を行うかを知って
もらうことが必要であると感じて、実施を提案したものです。委員会で検討の結果、開催に賛成が過半
に達したので、どのような形で実施するかも含めて、更に検討を重ねることになりました。
南先生からは、大原郊外学舎で地元の方の協力を得て、「蝶を呼ぶプロジェクト」の準備を進めている
こと。具体的には、フジバカマの苗を頂いて学舎の敷地に植えたので、今年10月にはその苗が開花して、
蝶を呼ぶことが可能で、10月に来年用のフジバカマの種蒔と同時に、学区の子供向けに、蝶の観察会を
実施する計画であるということでした。
また、南ゼミグループのゼミ生による、祇園祭に際しての役行者山手伝いについては、後祭り宵山期間
にちまき等授与品の販売の手伝い、それに先駆けて、ちまき制作、展示されている懸送品等の説明用
キャプション作りを行うということでした。
前回の委員会で提案していた「学区便利マップ」作りについては、紹介する店が全て町会に入っている
かを確認することが難しく、町会費で運営されている「町つくり委員会」で制作することは難しいと
いう結論に達し、寺井委員より学区内の史跡、石碑等を紹介するマップにしてはどうかという提案が
あって、他のメンバーの賛成もあって、その方向でマップ作りを進めていくことになりました。
2026年7月10日金曜日
2026年7月5日付け「天声人語」を読んで
同日付け朝日新聞朝刊「天声人語」では、アメリカ大リーグの「ロボット審判」導入の話題が取り上げられ
ていて、大変興味深かったので、このブログで感想を記することにしました。大リーグでは本年より、審判
のボール、ストライクの判定に、打者や捕手が異議があるときには、自分のヘルメットを手でトントンと
二度たたいて、「ロボット審判」に真偽を判定させる制度が導入されました。実際に導入されて、現在まで
5400件余りの事例の内、約半数が球審の判定が覆ったという結果が出ていますが、導入までに綿密な
準備がされたこともあって、「誤審」の批判は余り出ていないそうです。更には、野球という競技の性格上
「ロボット審判」によって2次元でのストライクゾーンの判定の正確性を求められる部分と、投手や捕手の
技術と打者の駆け引きを、審判が肉眼と経験から公平性を持って判定することが野球の醍醐味である、と
いう側面があって、観客も十分にそれを理解して、補助的手段としての「ロボット審判」を受け入れている
ようです。そしてこのような人とAIの共存の仕方が、競技を楽しみながら、正確性を記するという良い事例
になっているのではないかと、「天声人語」の執筆者は記しています。AIの急速な発達によって、これから
私たち人間はAIとどのように付き合っていくべきか、ということが色々と議論される昨今ですが、スポーツ
という限定された場面であるとは言え、示唆に富む事例であると感じられて、取り上げてみました。
2026年7月2日木曜日
「鷲田清一折々のことば」3593を読んで
2026年3月10日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3593では
20世紀フランスの哲学者アンリ・ベルクソンの『道徳と宗教の二つの源泉』から、次の言葉が取り
上げられています。
無くてはすまぬものをなおざりにしたわ
けではないが、無くてもすむ潤沢のほう
へ意を用いすぎた。
つまり蒸気機関の発明以降の産業主義は、人間が抱える切実な欲求を満たす恩恵をもたらしたが、
その一方で贅沢の追求まで突き進み、「それが満たすべきさまざまな欲求の間の軽重の度」を疎か
にしてきた、とベルクソンは言うのです。
産業革命は、私たちの生活を飛躍的に豊かにしました。それ以前の庶民の質素な生活からは、隔世
の感があります。しかし資本主義は、欲望を次々に創出していく機能を持っています。一つのこと
が満たされたなら、それに関連する次の欲望を生み出すというように。
その結果私たちは、現在では色々な工業製品に囲まれるようになって、最早新しく欲するものがなか
なか見出せない状態になっているように思われます。
そのような飽和状態は、一見豊かさを表わしているように感じられますが、その実必要でないものを
ため込んでいたり、本来なら自分で工夫して作ればいいものを敢えて既製品で代替して、無駄に労力
を惜しむことになっていることも多々あると思われます。
このような生活は、人間が知恵を用いたり、労働に勤しむ創造的で健康的な暮らし方を妨げている
ように感じられます。矢張り利便性も程度の問題。今日で言えば、AIの活用法などもこれに関わって
くるように思われます。
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