2026年4月15日水曜日

2026年4月度「龍池町つくり委員会」開催

4月14日に、2026年第3回の「町つくり委員会」が開催されました。 まず、4月16日の「龍池自治連合会の理事会」で審議される、当委員会の令和7年度の活動報告書、 収支報告書、令和8年度の活動計画書をメンバーに配布し、内容確認をしてもらいました。 概要は、昨年度の活動として、「龍池夏祭り」への「鷹山お囃子」「歌声サロン」の出演、大原 文化センターにおいて、大原町つくり委員会との交流、京都国際マンガミュージアムでの、京響 70周年「京の音楽会」の応援、手伝いです。なお、この音楽会には、総数約100名、その内学区 民37名の参加がありました。 今年度の計画で決定しているのは、6月27日の「祇園祭 役行者山会所 見学会(役行者山をもっ と知ろう)で、午前の回 10時~11時、午後の回14時~15時の2回実施します。5月はじめに告知 と申し込み用紙を各町に配布し、5月の「龍池自治連拡大理事会」で、私から各町の町内会長に 再度説明、告知を行う予定です。 そして、活動報告書等の確認を終えてから、私の方から今年度の当委員会の新たな取り組みにつ いての2点の提案をしました。1つは、最近一戸建てであれ、マンションであれ、新しく当学区 内に住むことになった人に、如何に町内会に入会してもらうか、ということが課題になっており、 そのための入会勧誘のチラシを当委員会で作成しないか、というもので、これについては各委員 から、各町内会、一戸建て、マンションによっても事情が異なり、一律のものは作れないのでは ないかという意見が出て、今後検討していくことになりました。 2つ目は、これと関連して、学区内に新たに住むことになった人用に「龍池学区便利マップ」を 作成しないか、というもので、これは学区内のパン屋、飲食店、医院、薬局、クリーニング店、 その他の施設などを、見やすく、簡潔にまとめた地図を作って、町内会に入会した新住民に特典 として配布するという計画で、この案については、委員から一部の店を宣伝することにならない か、という懸念が表明されましたが、南先生からは大変興味深いという意見も頂き、次回委員会 までに、もし作成するならば、実際に調査活動をしてもらうことになる、町つくりゼミグループ で、実施の是非を検討してもらうことになりました。

2026年4月9日木曜日

逢坂冬馬著「同志少女よ敵を撃て」を読んで

2022年の本屋大賞第1位の作品です。本書は刊行時、いたいけな16歳のロシア人の少女が、第二次世界大戦中 冷徹非情な狙撃兵となって、敵を次々と仕留めていくというセンセーショナルな設定が大きな話題となり、 読書界を賑わわせましたが、刊行後時を待たずして、ロシアがウクライナに侵攻する所謂ウクライナ戦争が 勃発し、現在も継続しているという状況が、更に物語の現実感を上書きする現象を引き起こしています。それ 故今回文庫化されて、また読者を着実に増やしていると思われます。 ストーリーの骨格は、ソ連に侵攻したナチスドイツの兵士一団に、母や村人を虐殺された少女セラフィマが、 復讐の念を糧として一流の狙撃手となり、若い女性だけで編成された狙撃小隊の一員として激戦地を巡り、 仲間を数人失いながらも遂には、母を射殺した敵狙撃兵を仕留めるという、エンターテイメント小説の王道の ようなものですが、物語は直截的に筋書きを追うだけではなく、戦争という行為の悲惨さ、なかんずくその 渦中に巻き込まれた女性、子供など社会的弱者、あるいは、捕虜といった虐げられた立場の者たちへの非道さ から、終戦後の精神的後遺症までを丹念に描いて、ストーリーの奥行きを広げています。 例えば、セラフィマは最初、復讐の念による敵への激しい憎悪を原動力として、厳しい訓練に耐え、射撃の腕 を磨いていきますが、初めて実際に敵とはいえ生身の人間に銃口を向け、相手の命を奪った時には、精神的な 動揺を来します。しかしその抵抗感を乗り越えた時、あるいは罪悪感が麻痺するようになって、ただ無心で 身体の標的に銃弾を命中させることに、快感を覚えるようになります。そしてこの感覚は、戦後平和な時代が 訪れてから、彼女の心を苛むのです。 また彼女は、女性を守るために戦うという信念を持っていましたが、女性の敵はドイツ兵に限りません。これ 以上詳しくは述べませんが、ここには弱い立場の者に向けられた正義の視線があります。現実の戦争の足音が 迫る中で、アクションの一部に現実離れして説得力に欠ける欠点はあるとはいえ、本書は、戦争とは何かを 改めて考えさせてくれる良書です。

2026年4月1日水曜日

「鷲田清一折々のことば」3485を読んで

2025年9月23日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3485では プロダクトデザイナー秋田道夫の『センスの話』から、次の言葉が取り上げられています。    間違っても許容範囲。 つまり、「無駄遣いしていいお金」を「気持ちの予算」に組み込んでおけば、日々慌ただしい 暮らしの中で、心を穏やかに保つことが出来る、ということだそうです。 それは額の大小を問わず、常に少しの余裕を持つという意味で、これは時間管理の心得として も言えることだと思います。 たまには、目一杯の頑張りや厳しい自己管理も必要だけれども、人間いつも全力投球では、 とても続きません。色々な部分で、少しゆとりや余白を持つことは、結果として最高のパフォ ーマンスをすることにもつながります。 特に意志強固ではない私などは、趣味の時間や美味しいものを食べる至福の時を脳裏にちらつ かせて、日々の業務に励んでいます。我ながら、軟弱であるとも思いますが、その方が肩肘張 らず、仕事に打ち込めると思っています。これも一つの処世法ではないかと考えています。

2026年3月25日水曜日

辻田真佐憲著「「あの戦争」は何だったのか」を読んで

現在の政治状況や国際関係を見ても、「あの戦争」(日中戦争から第二次世界大戦に至る戦争)は、我が国 の内政、外交に今なお大きな影響を及ぼしていると思われます。それで大きな関心を持って、本書を手に取 りました。 本書を読んでまず新鮮な切り口と感じたのは、最初に「あの戦争」はいつ始まったのかということを、取り 上げていることです。私が「あの戦争」について考える時想定するのは、せいぜい満州国建国、日華事変 から太平洋戦争に至る戦争です。 しかし人によっては、米英との開戦以降を「あの戦争」(第二次世界大戦)と想起するかも知れません。 ですが、私がそのような捉え方もあるかと刮目させられたのは、本書の著者がペリー来航以降の日本開国に 至る事件を、「あの戦争」の始まりと考える見方もあると提起しているところです。 なるほど、事に成否はさておき、もしそもように考えるならば、日本の行った一連の戦争が、一方的な侵略 行為であるという想定は、揺るがせられます。なぜならあの当時、長年海外との交流を最小限に控えてきた 我が国に、米国は最新鋭の軍艦の威力を見せつけて、有無を言わせず開国を迫ったからです。もしこの事件 を「あの戦争」の始まりと考えるなら、日本は軍事的に近代化した欧米列強の脅威に突き動かされて、結果 として一連の侵略行為を遂行したことになります。 つまり、日本の戦争行為の犯罪性が、幾分薄められるという理屈です。ここまで読んで私は、その見方の 斬新さには一定の評価をしながらも、著者は我が国の戦争の正当化を目論んでいるのではないかと、一瞬 いぶかりました。しかし以降の章を読み進めると、論は日本の立場、侵略されたアジア諸国の立場、アジア における権益を巡って我が国と対立した欧米諸国の立場を、出来るだけ公正で、客観的な視点で考察し、「 あの戦争」の思想的、政治的偏向を伴わない姿を、浮かび上がらせようと努めています。 ここに至って、「あの戦争」の開始時期をペリー来航まで遡るべきことの可能性を巡る当初の提起は、歴史 を利害関係を超えた長く広い視野で見ることの必要性を、示していると気づかされます。 「あの戦争」に対する我が国の戦争責任の問題は、今なお根本的な命題としての議論の対象であり、国政を 左右する課題です。本書のようなこの問題に対する客観性を重視する捉え方は、日本の行く末を規定する ためにも、益々必要になってくるように思われます。

2026年3月20日金曜日

中村稔著「束の間の幻影 銅版画家駒井哲郎の生涯」を読んで

私は銅版画が好きなので、勿論、我が国の代表的な銅版画家である、駒井のことを以前から知っていま したし、彼の作品に興味を持って来ました。それで、本書を手に入れた訳ですが、長年読まずに置いて いたのは、通り一遍な評伝に違いないと、高をくくっていたためかも知れません。 しかし実際に読んでみて、嬉しい意味で想像は覆されました。これも後に知りましたが、著者中村稔は、 本書で読売文学賞を受賞しています。正に読み応えのある、希有な版画家の一代記で、作品だけではな く、彼に対する愛おしさが募り、もし彼が存命なら、泥酔したところは御免蒙りたいですが、一度お目 にかかりたかったという感慨を抱かせてくれました。 本書の魅力のベースになるところに、著者の技量は言うに及ばず、彼が生前の駒井と家族ぐるみの付き 合いであったことがあると思われます。著者は彼を親しい存在として敬愛していて、その才能や人物を いたずらに美化してはいませんが、冷静な筆致で彼の優れたところと欠点を、懐旧の念を持って描き出 しいます。だからきっと、この一筋縄では行かない複雑な人間を、読者にも共感を抱かせる存在として、 浮かび上がらせることに成功していると思われます。 本書を読んで感じた駒井哲郎は、才能も含めて銅版画を遣るべくして生まれた人物。製氷業で成功した 父母の元裕福な家庭に育ち、慶応幼稚舎に入園してそのまま進学、学校生活にはあまり馴染めなかった ものの、十四歳より版画を始める。東京美術学校に入学して以降、版画家を目指して研鑽を重ねて行く。 まるで、最初に定められた道を一筋に進んで行くように見えますが、彼が芸術家を志すとして、彼の 気質や性格が、銅版画家に向いていたように思われます。つまり、エッチングなどの腐蝕銅版画の技法 は、版に線を描いて銅販を腐蝕させ、出来上がった元版を紙に転写して作品を生み出す、間接的な表現 方法で、駒井の詩情に富んだ内省的な正確は、このような直接的ではなく、吟味を重ねて生み出す芸術 表現にこそ、力を発揮すると思われるからです。 彼は、自らに適した表現方法である銅版画を生涯愛し、当時は美術界で地位の低かった、この分野の 評価確立のために人生を捧げました。反面、その繊細な魂が浮世と折り合いを付ける代償として、彼は 過度の飲酒に溺れ、五十代の短い一生を終えることになりました。頁を閉じる時、私にも彼に対する 愛情が沸き起こって来ました。

2026年3月12日木曜日

2026年3月度「龍池町つくり委員会」開催

3月10日に、2026年第2回の「町つくり委員会」が開催されました。 2月の「町つくり委員会」は、懇親会を行いましたので、今回が第2回となります。 まず、3月7日に大原地区の町つくり委員会の委員の方々との顔合わせを兼ねて、南先生、寺井委員、 長谷川委員、私が大原の「町つくり委員会」に出席したことについて、報告をしました。因みに、 大原地区では原則第一土曜日に「町つくり委員会」を開催されているということで、今後も私たち から希望があれば出席してもらっても良いということでした。 当日は町つくり委員長、連合会長、副連合会長始め8名ほどの町つくり委員にお目にかかり、まず 連合会長の飛田様から、大原地区の概要について説明をして頂きました。 それによると、大原地区は、高野川の流れに沿って、南北8地域ほどから構成され、北は百井から 山がちの土地も含め、かなり広範囲の地域によって成り立っているということでした。そのため、 地区住民が今回の会場である文化センターに集まるためには、自動車が不可欠ということで、また 最近は、地域外からの移住者が増えて、住民の子供たちが通う、小中一貫校は、従来生徒数60名 くらいから現在109名に増加している、ということでした。 そのような状況から、元来の住民と移住者との交流を図るために、年に1回芋掘り大会が開催され ていて、近年は毎回100名ほどの参加者が有り、賑わっているということです。またこのセンターで 5月から6月頃、これも年1回、文化センター祭りが開かれていて、これには、年間通じて住民有志が 練習している和太鼓のサークルを始め、希望者の演奏等発表会が行われているそうです。これらの 催しには、龍池学区の住民も参加して頂いていいということでした。 また、こちらの要望である、大原郊外学舎で龍池学区の子供たちのために、何か催しを企画すると いうことについては、この地域で見られる渡り蝶アサギマダラの好む植物である、フジバカマ等を 学舎の敷地に植えて、観察会を行いたいというこちらからの提案に対して、蝶に詳しい当地の町つ くり委員長西村様より、我々の植えたフジバカマ等の管理を引き受けて頂くことになりました。 これによって、この計画は、一歩前進したと思われます。 3月14日に、龍池町つくり委員会も後援して、マンガミュージアムで開催する、京都市交響楽団の 70周年記念事業、「京の音楽会」(14:00~14:45)では、私たち町つくり委員が地域住民の来場 者を案内するために、開場時間13:30の15分前に、ミュージアムの両替町通り北側入り口に集合 することになりました。

2026年3月5日木曜日

「鷲田清一折々のことば」3466を読んで

2025年8月26日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」3466では 歴史学者井野瀬久美恵の『奴隷・骨・ブロンズ』から、次の言葉が取り上げられています。    先が読めないのは、未来だけではない。     過去もまた、予測不可能なのである。 つまり、未来がだれにも予測出来ないのと同じく、過去も今現在そのようであったと信じられて いる事柄しか、認知することが出来ないということでしょう。 私たちは、歴史を基礎教育の段階から学習することによって、歴史の流れを把握するためもあっ てか、身につけた歴史的知識を固く現実と信じ込んでいるところがあると思います。 でも今一般に流布している歴史は、あくまで現在の認識としての歴史であって、これからの遺物、 遺構や資料の発見等の研究によって、書き換えられる可能性も十分にあるということでしょう。 そう言えば、新発見によって歴史が書き換えられたという報道にも、時々接するように思います。 だから私たちは、未来予想は言うに及ばず、歴史を参考にしてこれからの施策や方針を策定する ことにおいても、私たちの今現在の認識を参考にするだけではなく、その認識されている事項が 果たして真実であるのか、疑う慎重さも持ち合わせなければならないのではないでしょうか? 何事においても、疑いを持たず闇雲に信じ込むことの危険性をひしひしと感じる、この頃です。