2022年10月24日月曜日

ルシア・ベルリン著「掃除婦のための手引書ールシア・ベルリン作品集ー」を読んで

無論、ルシア・ベルリンという作家の名は、本書で初めて知りました。そして、読後他の作家の小説 では味わえない、感触、読後感を受け取りました。しかしながら、それが何であるかは、一言で言い 表わせません。従って、書き記しながら、順を追って考えてみたいと思います。 まず、彼女の作品が自身の日常に題材を取りながら、極めて多面的であることが挙げられます。これ は彼女の複雑な生い立ちと、波乱に富む人生に起因します。彼女は1936年アラスカに生まれ、鉱山 技師であった父親の仕事の影響で、広大なアメリカ大陸の各地の鉱山町を転々としながら成長します。 母親はアルコール依存症で感情の起伏が激しく、父の第二次世界大戦での出征後は、母の実家で過ご すことになりますが、祖父は有能な歯科医でありながらアルコール依存症、叔父もまたそうである 環境で暮らすことになります。 父の帰郷後は南米に移住、貧困から一転召使付きのお屋敷での優雅な暮らしに変わり、ニューメキシ コ大学進学後在学中も含め3回の結婚をして4人の息子を設け、最終的に離婚後シングルマザーとして これらの息子を育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、救命医療の看護助手などとして働き ましたが、自身もアルコール依存症で苦しむことになります。 経歴の説明が長くなりましたが、彼女の小説の魅力の核心は、正に彼女の人生にこそあります。つま り、この入り組んだ複雑な人生を色々な角度から切り取ることによって、多様性に富んだ小説が生ま れるのです。 次に、小説創作に当たり、彼女が自らの人生に向き合う姿勢がいかなるものであるかというと、まず あるがままを受け入れ素直であること、他人の苦しみに共感し偏見がないこと、そして人生を達観し ていること、が挙げられると思います。 このような執筆態度で作品を生み出すことによって、彼女の多面的な人生を題材にした小説は、広範 な領域での人間の普遍的な姿を描き出すに至っていると感じます。 そして何より、彼女の作品を輝かせているのは、文章がまとう独特のリズム、卑俗と高貴さが程よく 混ぜ合わされた表現法、即物性と詩情を併せ持つ比喩にあると感じました。 この小説を読み終えた者に、人生への肯定感と希望を与えてくれることも含め、続編が読みたくなり ました。

2022年10月14日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2481を読んで

2022年8月28日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2481では 台湾の作家李屏瑤の小説『向日性植物』から、次のことばが取り上げられています。    手に入ったものに無頓着なのに、失ったもの    がいつまでも記憶に残るというのは、人間の    性だ。 この言葉に添えて鷲田は、「人生の時々に、自分が何と出会い、何を得、何を捨てたかは、 ずっと後でしかわからない。ただ失ったものはすぐに気づき、取り返しのつかなさに うろたえる。」と続けています。 確かに、私たちは喪失に敏感で、今手に入れているものの有難味には鈍感な者でしょう。 そういうことは、枚挙にいとまがないと思います。失って初めて、その有難さに気づくと いうような・・・。 あるいは、失ったものはずっと余韻を残し、逆に得たものは直ぐに当たり前になってしまう。 私の今回の店舗兼自宅の建て替えにしても、失った古い家屋、その際整理をした大多数は がらくたの古い品々には、亡き祖父母や父母にまつわる記憶の堆積があり、今でも思い出す ともの寂しく、ひりひりとした感覚が蘇ります。 では新しく建てた建物については、完成した当座は達成感や、真新しさへの感激はありま したが、数か月経った今となれば、コロナ禍の影響も残り商売が軌道に乗っていないことも あって、負担感の方が強くなって来ました。 しかし、商売を継続するという目的で、十分に熟考した上でこのような決断をしたのですか ら、初心に帰り、もう一度真摯に仕事に向き合って行きたいと、決意を新たにしています。

2022年10月7日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2449を読んで

2022年7月26日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2449では 随筆家白洲正子の『美の遍歴』から、装丁家・評論家青山二郎の次のことばが取り上げられて います。    「人間は、思ったり、したり、できはしな    い」 白洲が青山に、「何々しようと思うけど、どうかしら」と訊いた時、帰ってきた答えだそうで す。 色々な解釈があると思いますが、これに続くのが、ある老人が家の前にゴミを捨てられて困る ので、そこに外灯を付け、美しい草花を植えたらぴたりと止んだ、という地方新聞の記事で、 それを読んだ白洲が思ったのが、「千の『思うこと』も、一つの小さな行為の前に、いかに むなしいか」ということなので、思うことより行動すること、それもただ闇雲に阻止しようと するのではなく、人の感性に訴えかけなければならない、ということでしょうか? 私は、思い続けることが物事の成就につながることもある、と思いますが、そこは美に魅せら れた生涯を送った白洲正子のこと、この言葉の受け取り方は一般的なことではなく、美を巡る 行為の普遍性、共感力の強さを語っているように感じました。