2019年1月30日水曜日

村上春樹著「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド下巻」を読んで

下巻も終盤に入り、「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」二つの物語
の関係性が、徐々に読者にも明かされます。でもその前に、この二つの物語の設定、
ストーリー展開の村上春樹らしい特異さ、イメージの喚起力について。

まずどちらの物語も、いつの時代を想定したものかが分かりません。「ハードボイルド
・・・」は、場所は東京ということは明らかですが、時制は小説が書かれた時点に限り
なく近い近未来を思わせるだけで、実際には不明です。

一方「世界の終わり」は、西洋のどこかをイメージさせますが場所は不明。時代に
至っては中世を連想させるだけで、全く不確かです。

このように物語の枠組みは曖昧ですが、その代わりそれぞれが喚起するイメージは
驚くほど豊穣です。「ハードボイルド・・・」は電脳社会を想起させ、ある種の特殊能力
を賦与されたサイボーグに等しい「私」の文字通りSFハードボイルド・ロマンで、主人公
の情報処理能力は今話題のブロックチェーンを連想させます。

他方「世界の終わり」は、中世西洋を思わせる強固な高い壁に囲まれた、本来なら
中に暮らす人々に安らぎが約束された街で、自分の影の示唆により「僕」が禁忌や
自己抑制を断ち切って脱走を試みる物語で、中世を題材とする歴史小説なら、キリスト
教的信仰心や倫理観が人々を精神的に抑圧する原因となるところを、その要因を
現代の孤独や疎外感に置き換えたような、ある意味で哲学的なゴシック・ロマンです。

二つの物語に登場し、主人公を導く女性のキャラクターの共通点、差違も興味深く、
両作品とも主人公は女性に対して精神的に受け身で、温度差こそあれ依存し、行動を
促される存在ですが、「ハードボイルド・・・」では、「私」を𠮟咤激励する老博士の子で
頭の回転が驚異的に速く、勇敢な十代の小太りの娘には、主人公は欲情するものの
セックスは望まず、逆に同年代の聡明ですが平凡な図書館職員の女性には、肉体を
求めます。

「世界の終わり」の「僕」は、彼の仕事場の図書館で彼を献身的に世話する女性に、
精神的な絆を求めます。それはどういうことか?

最後まで二つの物語ははっきりとは交差しませんが、読み終えて私は、「ハードボイルド
・・・」がある人物(おそらく著者)の脳の中の感覚的世界を表し、「世界の終わり」が
精神的世界を示しているのではないかと、感じました。

一見平易なようで、その実一筋縄では行きませんが、大変魅力的な長編小説でした。

2019年1月27日日曜日

鷲田清一「折々のことば」1346を読んで

2019年1月15日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1346では
精神科医なだいなだの『常識哲学』から、次のことばが取り上げられています。

  常識はいつか古いものとして代わられる自分
  を意識した寛容な哲学です。

考えてみると、日本のような何につけても横並びが尊重される社会で、世の中に
常識という規範がなければ、随分暮らしにくいと思います。

私たちは常々この社会の常識を尺度として、自分の言動を選択しているのでは
ないでしょうか ?

しかしその結果、皆の直接の行動や事態の収まりどころが、大なり小なりあまり
代わり映えのしないものになってしまって、面白味に欠けるという現象も起こって
来るのでしょう。

でもだからこそ、常識には「偏らない」こと、多くの人々がそれを他の人と「分かち
あっている」こと、が必要なのでしょう。

それはそれでその通りだと思いますが、ただ私が最近の常識に対して懸念する
のは、この頃のそれが簡略化や合理化をする方向に偏り過ぎる傾向にあると、
感じられることです。

確かに今の世の中、何につけてもスピードアップ、無駄を省くことが奨励される
風潮にあります。でも果たしてそれだけが正しいのか?

たとえば最近私が感じたことを例に挙げると、母の葬儀の時に一般の参列の方
からお香典をいただかないことがこの頃の風潮ということで、それはお断りする
ことにしました。

しかしその論理からいうと、それでは気が済まないので、どうしても故人にせめて
花でも手向けたいという方にも辞退を申し上げるのか、という問題が出て来ました。

結論を言うと、私はお供えの花はお受けすることにしました。それが母の遺志
であると解釈したからです。でもこの調子では、将来は全てを辞退するのが常識化
するようにも感じました。

無論簡略化することは簡単です。またそこに至る、時々による各種の事情がある
とも思います。でも基本として、故人の遺志は可能な限り尊重される風潮が残れば、
とも感じました。

2019年1月25日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1344を読んで

2019年1月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1344では
作家澁澤龍彦の小説『高丘親王航海記』から、次のことばが取り上げられています。

  病める貝の吐き出した美しい異物、それが真
  珠です。

「サド裁判」で知られる作家の最晩年の作品、若い頃の私は何か危険なものに触れる
ような感覚で読み始めましたが、その幻想と耽美の世界にすっかり魅了されたことを
思い出します。

上記のことばにしても、真珠の養殖が母貝の体内に核となる異物を埋め込むことに
よって、その美しい玉を作り出すという製造工程は誰しも知っていても、この事実をその
ような詩的な言葉に置き換え、なおかつそれが生き物の、ひいては人の生業の一つの
真理までをも言い当てていると感じさせる手際は、並大抵の才能ではないと思われます。

その独特の感性は、倫理を超えた美しさというものに至上の価値を置きながら、それで
いてその審美眼は我欲や邪念に曇らされることなく、あくまでも純粋で上品なものを追い
求めていたと、感じさせます。

「サド裁判」の意味についても、未熟な私があの当時抱いた好事的なものへの興味と
いった下世話な関心を脱して、今では純粋に文学における表現の自由を訴えたもので
あったろうと、理解できます。

それにしても現在では、ほぼ無制限と言っていいほどに性的な表現が巷に溢れ、最早
そういうタブーも無きに等しいように思われます。そのような状況になると改めて、新たな
倫理的な規範が求められるべきであると感じるのは、私だけでしょうか?

2019年1月23日水曜日

染、清流館「中井貞次の世界 イメージを染める」を観て

日展、日本現代工芸美術展で長く活躍する有力染色作家の、まとまった作品による
回顧展です。

まず染、清流館は、呉服問屋街の室町四条にある、明倫ビル6階に設けられた珍しい
染色作品専門の美術館で、私は仕事柄しょっちう前を通っていますが中に入ったこと
はなく、一度訪れてみたいと思っていました。

今回日展でなじみのこのベテラン作家の展覧会があると聞き、早速訪ねてみました。

中井氏の作品は、火山、巨木といった自然界の膨大なエネルギーを発散、あるいは
内に秘めたような存在感のある対象を、至近距離から鷲づかみにしたような表現手法
に特色があり、藍を中心とする抑えた重厚な色調と、ろうけつ染めの大づかみで大胆な
色面処理で、力強い躍動感、溢れる生命力を描き出しています。

作家自身も目指す方向性として語っているように、染色技法でしか表現することの
出来ない作品世界が、この畳敷きの落ち着いた展示場に並ぶ作品群によって、見事
に現出されているように感じました。

私の職業の白生地屋という視点から、作品に使われている生地について触れると、
今展の出品作は、浜紬など絹生地を使用した初期の数点を除き、大半は麻生地が
用いられています。

この作家の作風から見て、浜紬の温かみのある質感や美しい発色も決して悪くは
ありませんが、作家自身がそれ以降、藍の色彩の深みを引き出すためにも、麻生地
を主に用いる選択をしたのだと、感じました。

染色作家の作風、表現技法の違いによる、素材としての生地の選択の可能性に
ついても、考えさせられる展覧会でした。

2019年1月21日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1343を読んで

2019年1月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1343では、ご存知
『徒然草』から、兼好法師の次のことばが取り上げられています。

  この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほど
  の、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞
  きいるべきかは。

雪の朝、兼好がある女人に頼みごとの文を送ると、「書面にこの美しい雪のことを
一言も綴らぬ無粋な人のお願いなど、誰が聞けますか?」という返事が返って来た
と、在りし日のこのいとしい人の言動を、彼が回想している場面の描写だそうです。

詩的な情景が彷彿とされ、しかも匂い立つような優雅な描写です。

兼好もこの女性に気安さがてらに前文を端折った文を送り、彼女もそれを十分に承知
の上で彼に気をもませるというか、思わせぶりで、ちょっと揶揄するような手紙を返し
たのでしょう。無論彼が当代一流の歌人であることを承知の上で・・・。

ところで少々話はずれますが、私なども、書状を綴る時にはやはり必ず時候の挨拶を
書きます。それが慣習や儀礼と考えているためでもありますが、単にそれだけではなく、
自分が今肌で感じている季節の兆候を読み手と共有することによって、相手に共感を
持ってその手紙に記した文章に接してもらう、下準備をするためでもあります。

はっきりとした四季があって、季節の移ろいとともに生きて来た私たち日本人は、
季節感を共有することによって、親近感をも深めて来たのかも知れません。そういえば、
メールに時候の挨拶を綴ることは、ついぞありませんが・・・。

2019年1月18日金曜日

横綱稀勢の里の引退に思うこと

1月16日に、大相撲初場所で初日から3連敗した横綱稀勢の里が引退しました。
2017年初場所で初優勝を決めて横綱に昇進し、翌春場所は逆転連続優勝で人気も
最高潮に達しましたが、その時のけがが尾を引き以降は8場所の連続休場や在位
12場所で36勝など、ワースト記録を塗り替える不本意な成績で、わずか2年間の
短期在位に終わりました。

私は最近はあまり大相撲には関心がなく、他の力士の勝敗には無頓着ですが、
稀勢の里の成績だけは気になって、陰ながら応援していました。

これを機会に、どうして力士としての稀勢の里が好きであったかを振り返ってみると、
まず私が以前に比較的熱心に相撲を観ていた時にひいきにしていた力士とは、彼は
毛色が違うことに気づきます。

まずは龍虎や琴錦といったきっぷが良かったり、小兵ながら速攻一本やりの個性的
な力士、しかし彼らはあくまでわき役で、大関以上に昇進することは叶いません
でしたが、そこがまた応援のし甲斐があるのでした。

もう一人は魁傑、この力士は大関まで昇進しましたが、当時の人気力士輪島や
貴乃花に比べて華やかさがなく、生真面目さが仇になっているようなところがあって、
やはり私には応援したくなるところがありました。

その点稀勢の里は体力と実力を兼ね備え、幕内上位を占めるモンゴルを中心とする
外国人力士に日本人として一人伍する存在でした。それで私は当初はあまり関心が
なかったのですが、大関としてある程度成績を残しながら、なかなか横綱に昇進出来
ない姿を見ているうちに、だんだん応援したくなって来ました。

そのあたりから、彼の相撲に滲む人間性といったものが、感じられるようになって来た
のだと思います。横綱昇進の時には、課題の精神的な脆さも克服されて来たと感じ
られたのに、不運なけが・・・。

そして私にとっては、それ以降の悪戦苦闘の様子が彼の真骨頂であったように思い
ます。つまり決して弱音を吐かず、それが長い目で見て自分の力士生命を縮めること
であっても、横綱として出場し続けることにあくまでこだわった姿。

横綱の義務ともいえる好成績を残せなくても、多くの観客はそのひたむきさ、不器用さ
に共感を持ったのでしょう。その意味では稀勢の里は、横綱という大相撲の最高位に
上り詰めた力士でありながら、歴代の横綱の中でも庶民にとって最も、心情的に寄り
添うことの出来る力士であったのではないかと、今は感じています。

2019年1月16日水曜日

村上春樹著「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド上巻」を読んで

村上の最初の頃の長編をあまり読んでいなかったので、本作は是非読みたいと思って
いました。

この作品は、「ハードボイルド・ワンダーランド」と「世界の終わり」という二つの
物語が交互に語られる作りになっていて、「ハードボイルド・・」は近未来と思しき
世界で、計算と記憶に関する特殊な機能を脳に埋め込まれた〈私〉が、その獲得した
能力のために否応なく騒動に巻き込まれる冒険活劇。一方「世界の終わり」は中世世界
を思わせる高い壁に囲まれた閉鎖的な町で、そこに生息する一角獣の頭骨から古い夢
を読むことを仕事とする〈僕〉の、幻想的で静謐な物語です。

二つの物語は時代背景も語り口も異なり、上巻では両者の関連性も明らかではありま
せんが、ただ一角獣の頭骨というキーワードだけが、後にはこの二つの物語が絡み
合うことを予感させます。

従って上巻を読み終えた時点で読者が期待を募らせる訳は、それぞれの物語の成り
行きと、この全く性格の違う二つの話が一体どのような手際で収斂されるのかという、
重層的な興味によることになります。

そのような期待を膨らませる方法としてもこの長編小説の作りは秀逸で、動の物語と静
の物語が交互に断絶を繰り返しながら語り続けられることによって、両者の緊張はいや
がうえにも高まって行きます。

またそれぞれの物語を個別に見ても、その喚起されるイメージはまるで色彩を帯びるか
のように豊穣で、例えば「ハードボイルド・・」の〈私〉を取り巻く、計算士、記号士、
やみくろの入り乱れた暗闘は、現代のサイバー世界の攻防を想起させますし、「世界の
終わり」の一角獣の生態は、中世の人々の因習にとらわれた生活をイメージさせます。

とにかく、下巻を読むのが楽しみです。

2019年1月14日月曜日

青地伯水「現代のことば 天草とサンダカン」を読んで

2019年1月9日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、京都府立大学教授の筆者が
2018年7月に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録
されたことと、同年11月に女性史研究家・山崎朋子氏が亡くなったことに因んで、
「からゆきさん」を題材とする『サンダカン八番娼館』について語っています。

「からゆきさん」とは、主に明治期に東南アジアを中心とする海外の地に、娼婦として
売られていった天草、島原地方の貧しい家庭の少女たちを指すことばで、これらの
薄幸の女性について山崎氏が綴る同作は、この文章にも記されているように、1974年
に社会派の熊井啓監督によって映画化されて、反響を呼びました。

私がこの「現代のことば」から思い起こしたのは正に熊井監督の映画で、公開当時
18歳ぐらいであった私は、友人と観に行って少なからぬ衝撃を受けました。それ故に
今回も40年以上も前の映画のシーンの断片が、まざまざと脳裏に蘇って来たのだと
思います。

第二次世界大戦終結後10年ぐらいの間をおいて生まれ、高度経済成長期と轍を同じ
くするように育ってきた私たちにとって、明治以降の日本人がまだ地域や階層によって
は深刻な貧困を抱えていたことは、今となっては自分の無知を恥じるばかりですが、
大きな驚きだったのでしょう。

しかしだからこそこの映画は、青年期の私の楽天的な自分を取り巻く社会環境に
対する捉え方、一面的な価値観に、一石を投じてくれたのだと思います。そして山崎氏
にしても熊井監督にしても、経済成長に湧くこの国の遠からぬ過去の裏面をあえて白日
の下に晒すことによって、我々に原点の再考を促そうとしたのだと、今は感じます。

2019年1月11日金曜日

前田安正「ことばのたまゆら 闇は外へ開く力に」を読んで

2018年12月12日付け朝日新聞夕刊「ことばのたまゆら」では、「闇は外へ開く力に」
と題して、朝日新聞メディアプロダクション校閲事業部長の筆者が、建築家・高橋
正治氏の「家の中には闇が必要だ」という言葉から語り起こし、かつての家にあった
仏間や納戸、押し入れといった闇の世界でもある「異なる空間」が、人が悩みを抱え
た時に逃げ場にもなり、またあるいは闇の向こう側に光があることを感じ取り、自ら
に向き合うことが出来る空間でもあった、ということを紹介しています。

私は古い町家で仕事など大半の時間を過ごし、おまけに照明も旧式のものを使って
いるので、日中でも雨降り、曇り空で日差しの少ない日には部屋の四隅が薄暗く、
また夕方以降には家の敷地内でも、渡り廊下や中庭など闇に沈む箇所があること
に慣れています。

他方リビングのスペースは、比較的最近フローリングで洋風に改修した部分なので、
いわゆる伝統的な和風と現代的洋風の混在した中で、暮らしていることになります。
それ故に日々そのコントラストを味わっているはずですが、鈍感なのかあまり違和感
を感じません。

それでも照明の明るいリビングで夕食から食後の時間を過ごし、就寝のために町家
スペースに移動すると、部屋の暗さが身に沁み、寝間に入っても寝入りばななど、
古い木造建築特有の軋み音にハッとさせられることもあります。

上記の「異なる空間」といったことは全く意識したこともありませんが、このような現代
の住宅構造からは特異な家屋で生活し、なおかつそのような空間に安らぎを感じて
いるということは、とりもなおさず闇の空間を多く含む住居に親近性を感じていること
になるのでしょう。

もっとも、子供の頃にはこの家に住んでいなかったので何とも言えませんが、もし幼い
頃にここで暮らしていたら、闇はもっと私の人格形成に作用していたかも知れません。

2019年1月9日水曜日

改組新第5回「日展」を観て

今年も恒例の「日展」を観に行きました。京都市美術館本館の改修のため、今展も
みやこめっせ地下1階と京都市美術館別館で分割開催されています。

今回も工芸美術部門の染色と日本画部門を中心に観ましたが、まず、みやこめっせ
地下1階第1展示場の染色では、常連のお馴染みの作家に安定感があり、ベテラン
が健在であることに安堵したり、また新たな主題を選んだり、表現方法を変えたりと
新機軸を打ち出している作家に苦心の跡を感じて、勇気づけられたりしました。

京都市美術館別館の日本画部門では、残念なことに若手作家を中心に展観されて
いる1階の展示場が、作品の大きさや作品数の割に手狭で、作品から距離を取って
じっくりと鑑賞出来ないところが物足りませんでした。そういう制約もあって、特に
特筆すべき作品も見受けられませんでしたが、美術館本館の改修終了の折には、
快適な鑑賞環境でまた新たな才能を探してみたいと感じました。

それに対して、2階の展示場にはベテランの力作、受賞作が十分な間隔を取って
ゆったりと並べられ、さすがに印象に残る作品もありました。

東京都知事賞受賞の長谷川喜久「白映に赤」、文部科学大臣賞受賞の村居正之
「暮れゆく時」、京都市長賞受賞の川嶋渉「待宵月」には特に感情を動かされました。
日本画作品に求められるものも、時代の要請か従来よりも訴求力があり、それが
過ぎるとあざとくなってしまいますが、適度のインパクトのあるものが評価されるの
だと、これらの受賞作を観て感じました。

個人的には池内璋美「映ゆ」が、川面の情景を近距離から見下ろすように描き、
上方から垂れる柳と思しき夥しい葉の密生と、水面のさざ波に映える陽の光の輝き
の対比が絶妙で美しく、好ましく感じました。

2019年1月6日日曜日

西部邁著「大衆への反逆」を読んで

過日、家族や公共の介護を拒否して自死を選んだことで話題になった、経済学者で
保守主義の社会批評家、西部邁の思想については、学生時代には左翼に傾倒して
その後保守へ転向したという経歴からも、かねてより興味を持っていましたが、今般
の自死事件に触発されて、本書を手に取りました。

この論集から受け取ることが出来る、著者の戦後日本の状況に対する捉え方は、
終始一貫して明確です。つまり産業主義と民主主義によって現出された大衆化が、
この社会を甚だしく毒しているというものです。

この論を読んで、私は全てに頷ける訳ではありませんでした。勿論私自身が戦後
生まれなので実感として戦前を知らず、また戦後の価値観は表向き戦前のそれを
全否定することから始まっているので、戦後教育を受けた私が曇りない目で公正に、
戦前、戦後の良し悪しを比較することは到底不可能だと思います。

しかしそれでも現在知ることが出来る戦前の歴史的事実や、両親を含め戦前生まれ
の人々から伝え聞いた暮らしのエピソードなどから類推しても、戦後の社会や生活の
方が恵まれ、優れていると感じられる部分が多々あるように思います。

具体的に見れば、全体主義的な政治体制が覆されて、人権が重視される体制に
なったこと、相対的に庶民の生活が経済的に豊かになり、科学技術、医療技術など
も発達して生活の質が向上したこと、などです。

しかし他方今日では、資本主義の高度化による市場競争の激化や、自由主義的、
個人主義的な考え方の弊害としての家族、共同体と個人との関係の希薄化が、人々
に疎外感を生み出しています。

したがって私は、戦後我が国を支えて来た産業主義と民主主義を全面的に否定
すべきではないと考えますが、著者が本書にまとめた論述を著した時期から約30年
の歳月が流れ、我々が成功体験として信じて来たこれらの主義が、上滑りして形骸化
していないか、あるいは現在の社会状況に適応する形で運用されているかどうか、
今一度懐疑の目を向けるべきであると感じます。

その意味において西部の主張は、私たちに貴重な警鐘を打ち鳴らしてくれているの
だと思いました。

2019年1月4日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1312を読んで

2018年12月11日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1312では
精神科医・ヴィクトール・E・フランクルの名著『夜と霧』から、次のことばが取り上げ
られています。

  人生から何をわれわれはまだ期待できるかが
  問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれ
  われから期待しているかが問題なのである。

過酷なナチスの強制収容所から、強靭な思考と不屈の意志で見事生還したフラン
クルのこの体験記に、若い頃の私はどれほど勇気づけられたか、分かりません。

とかく世の中を甘く考え自らの人生への期待が先行して、これだけのことをやった
から結果がついて来るとか、それほどの努力もなしに今回うまくいかなかったから
次回はうまくいくに決まっていると考え勝ちであった私にとって、想像もつかぬ生活
環境の中でも冷静に状況を見極め、決して甘い希望や現実からの逃避に身を任せ
なかった彼の生き方は、いぶし銀のような輝きを放っていると感じられたものです。

上記の言葉を改めて反芻してみると、人生が何をわれわれに期待しているかを考え
るとは、自らの人生に使命感を持つことではないかと思われて来ます。つまり、人生
に対して精神的に受け身で依存するのではなく、積極的に関与するというように。

このことは勿論、何か物事を行う場合の判断基準として、結果だけを求めることと
それ以上に過程を大切にすることともかかわって来ると感じられます。なぜなら結果
至上の考え方はともすれば結果という事実に囚われ勝ちで、その過程にこそ主体的
な関わり方があると思うからです。

とかく結果だけが求められ、評価され勝ちな今日、過程にこそ重きを置く生き方が
出来たらと、考えています。

2019年1月2日水曜日

2019年正月、新しい年を迎えて

今年の正月は、昨年母を亡くして喪中であることもあって、恒例の伏見稲荷大社への
初詣には行かず、菩提寺にお参りしただけで静かに自宅で過ごしています。

振り返ると昨年は大雨、猛暑、台風による強風と天災も重なり、最後は家族の不幸事
と、あまり良い年ではありませんでした。仕事の上でも、気候、天候も穏やかであって
こその商いと、改めて気づかされました。

新しい年には、今年は天皇も代替わりされて元号も変わることもあって、母の忌明け
を迎えた後は、気分を一新して皆で三浦清商店を盛り上げていきたいと考えています。
どうぞご愛顧のほど、お願い申し上げます。

今年で、このブログを始めて6年目を迎えました。おかげさまで昨年末には11,000の
アクセス数を超えました。5年間続けてこのアクセス数が多いか、普通か、少ないのか、
見当もつきませんが、少なくとも私は、毎日何がしかのアクセスをいただくことを励み
として、ここまでブログを続けることが出来ました。

ブログという自分で文章を綴る行為を続けていると、その時々の日常のことや社会的
な出来事を一歩離れたところから客観的に捉えることが出来、また優れた美術や書籍
や映画から得たその時々の感動をもう一度咀嚼して、しっかりと記録や記憶に留める
ことが出来ます。

また私にとっては、日々の特定の新聞記事から想起される思いをブログに書き留める
ことも大切な行為で、そのような問題意識を持って新聞を読むことが、心の張りに
つながっていると感じます。

これからもご興味のある方は、どうぞ私のブログにお付き合いをお願いします。