2019年1月25日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1344を読んで

2019年1月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1344では
作家澁澤龍彦の小説『高丘親王航海記』から、次のことばが取り上げられています。

  病める貝の吐き出した美しい異物、それが真
  珠です。

「サド裁判」で知られる作家の最晩年の作品、若い頃の私は何か危険なものに触れる
ような感覚で読み始めましたが、その幻想と耽美の世界にすっかり魅了されたことを
思い出します。

上記のことばにしても、真珠の養殖が母貝の体内に核となる異物を埋め込むことに
よって、その美しい玉を作り出すという製造工程は誰しも知っていても、この事実をその
ような詩的な言葉に置き換え、なおかつそれが生き物の、ひいては人の生業の一つの
真理までをも言い当てていると感じさせる手際は、並大抵の才能ではないと思われます。

その独特の感性は、倫理を超えた美しさというものに至上の価値を置きながら、それで
いてその審美眼は我欲や邪念に曇らされることなく、あくまでも純粋で上品なものを追い
求めていたと、感じさせます。

「サド裁判」の意味についても、未熟な私があの当時抱いた好事的なものへの興味と
いった下世話な関心を脱して、今では純粋に文学における表現の自由を訴えたもので
あったろうと、理解できます。

それにしても現在では、ほぼ無制限と言っていいほどに性的な表現が巷に溢れ、最早
そういうタブーも無きに等しいように思われます。そのような状況になると改めて、新たな
倫理的な規範が求められるべきであると感じるのは、私だけでしょうか?

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