2019年1月4日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1312を読んで

2018年12月11日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1312では
精神科医・ヴィクトール・E・フランクルの名著『夜と霧』から、次のことばが取り上げ
られています。

  人生から何をわれわれはまだ期待できるかが
  問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれ
  われから期待しているかが問題なのである。

過酷なナチスの強制収容所から、強靭な思考と不屈の意志で見事生還したフラン
クルのこの体験記に、若い頃の私はどれほど勇気づけられたか、分かりません。

とかく世の中を甘く考え自らの人生への期待が先行して、これだけのことをやった
から結果がついて来るとか、それほどの努力もなしに今回うまくいかなかったから
次回はうまくいくに決まっていると考え勝ちであった私にとって、想像もつかぬ生活
環境の中でも冷静に状況を見極め、決して甘い希望や現実からの逃避に身を任せ
なかった彼の生き方は、いぶし銀のような輝きを放っていると感じられたものです。

上記の言葉を改めて反芻してみると、人生が何をわれわれに期待しているかを考え
るとは、自らの人生に使命感を持つことではないかと思われて来ます。つまり、人生
に対して精神的に受け身で依存するのではなく、積極的に関与するというように。

このことは勿論、何か物事を行う場合の判断基準として、結果だけを求めることと
それ以上に過程を大切にすることともかかわって来ると感じられます。なぜなら結果
至上の考え方はともすれば結果という事実に囚われ勝ちで、その過程にこそ主体的
な関わり方があると思うからです。

とかく結果だけが求められ、評価され勝ちな今日、過程にこそ重きを置く生き方が
出来たらと、考えています。

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