2020年3月30日月曜日

福田美術館「若冲誕生ー葛藤の向こうがわ」を観て

本展開催に合わせて、嵐山に行きました。桜も開花し始めて、コロナ禍の自粛ムード
の中、着物姿も含め、若い人を中心にかなりの人出がありました。東京、大阪に比べ
てこちらでは、まだ楽観ムードがあるのかも知れません。しかし、その後京都でも
大学生の複数感染が伝えられて、この感染症への警戒心は、徐々に高まって行くと
思われます。

この美術館のコロナウイルス感染対策は、発熱がある場合には入場出来ないのは
無論、マスクの着用の義務付けと、チケット購入時に、万一感染者発生の時に連絡を
取れるようにするために、住所、氏名、電話番号を書くことを求められたことです。
また併設のカフェは営業を休止していますが、入場者は中に入り、休憩することは
出来ます。

さて、この展覧会は、伊藤若冲の初期の作品で、初公開作品でもある、「蕪に双鶏図」
をメイン展示品に据えて、京都錦小路の青物問屋の主人であった30代の彼が、家業と
絵のどちらを選ぶか苦悩する中で、彼の画才を見抜いた禅僧や支援者に精神的に
支えられて、絵画の道に専念する様子を、初期から晩年までの作品で跡付け、同時に
彼の画業に影響を与えた禅僧や画家の作品、更には彼と同時代に活躍した画家たち
の作品を展示することによって、当時の画壇の活況を示すものです。

まず「蕪に双鶏図」は、上述のように画家に専念する前の作品、まだ硬いころは見
受けられますが、黄檗宗絵画の影響を受けた鮮やかな色遣い、蕪の葉の虫食い跡
まで表現する鋭い観察眼と、彼特有のち密な描写が相まって、すでに後の若冲の
絵画の発展を想起させます。

またその他では、彼の珍しい仏画の端正さや、鹿や鶏の構図の大胆さ、動きを表す
描写の巧みさ、寒山拾得や子犬のたたえるユーモアなど、水墨画の多様な表現が目
を惹きました。

円山応挙、池大雅、曽我蕭白、長沢蘆雪など、同時代の画家たちの作品も秀作が揃い、
すっかり満足して、会場を後にしました。

2020年3月26日木曜日

鷲田清一「折々のことば」1757を読んで

2020年3月14日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1757では
作家三島由紀夫の『文章読本』から、次のことばが取り上げられています。

   昔の人は本のなかをじっくり自分の足で歩い
   たのです。

私自身随分遅読で、我ながら本を読んでいてうんざりとすることがあります。でも、
実際に本の文章から前後の脈絡を吟味して、行きつ戻りつし、あるいは一つの単語
に引っかかって前の文章に戻り、更には、その文章に表現された筋の上の展開の
意味が十分に理解出来なくて、1頁前をもう一度参照するなど、読み進めるには
かなり時間を要します。

そしてそのような読み方をしないと、本を読んだ気がしないのです。勿論、このような
遅々とした読書をしても、完全にその本を理解できた訳ではなく、しばらく時間が経つ
と細部は忘れてしまいます。でもこのような読み方をしたら、何かが自分の脳内に
染み入ったように思えるのです。

本当は、気に入った本でももっと早い速度で読んで、しかも何回も読むのがいいの
かも知れませ。でも私は、同じ本を繰り返し読むのが好きではないので、結果的にこの
ような読書法になってしまうのでしょう。

だから上記の文豪三島由紀夫のことばに、私は意を強くしました。こういう読書法には、
幾ばくか以上の意味がある。何かの拍子に昔読んだ本の内容、あるいはそこから導き
出された思いが立ち上がって来て、私に示唆を与えてくれたり、逆境の時に励まして
くれるのは、このような読書の功徳に違いない。

そう思い込んでいるからこそ、私は現代のようなスピードと効率優先の社会環境で、
あえて時代遅れの読書法を続けているのでしょう。だから当然、電子書籍に切り替える
つもりはありませんし、どこかでせかされる気がする、図書館で借りた本を読むことも
苦手です。

まだまだ時間の無駄遣いを続ける覚悟です。

2020年3月23日月曜日

加藤典洋著「9条入門」を読んで

先般亡くなった文芸評論家の著者のライフワークである、憲法九条誕生を巡る集大成
となるべきであった論考です。

著者が急逝したために、本書で解き明かされた九条の成り立ちを受けて、我々日本
国民がこれからどのように憲法と向き合って行くべきかについての、著者の考えの
表明にまで至っていないことは誠に残念ですが、誕生当時の世界情勢を鑑みても
理想的に過ぎると評される九条がなぜ生まれたかを知ることによって、私たち日本人
の築いて来た戦後社会を再解釈出来ることは貴重です。

さて本書によりますと、GHQ草案の戦争の一方的放棄の内容を含む九条を被占領下
の日本政府が受け入れたのは、ひとえに戦争犯罪を問う東京裁判の開廷が迫る中
で、昭和天皇が戦争責任を問われることを免れるためであったといいます。

そのため九条は、象徴天皇制を明記する一条とセットで示され、政府は国体護持を
優先して受け入れたといいます。

他方、GHQ最高司令官マッカーサーは、日本での他の戦勝連合国の影響力を小さく
して、アメリカに有利な占領政策を推し進めるために、いち早く日本に新憲法を制定
させ、まだ国民に強い影響力がある昭和天皇を利用しようとして、上記の草案を日本
政府に示したといいます。

またマッカーサー自身の次期アメリカ大統領選挙への野心から、この憲法に理想主義
的な条項を織り込もうとしたといいます。

また一方、現実主義的ではない憲法を提示された日本国民は、戦争の惨禍に打ち
のめされていたこともあり、更には戦前の天皇制から抜け落ちた、天皇の神性の空白
を代わりに埋める役割を担うものとして、この理想的平和主義を熱狂的に受け入れた
といいます。

そのような経緯で、新憲法は日本国民に支持されるようになりましたが、国際情勢は
冷戦の激化へと進み、憲法九条の戦争放棄と現実に折り合いをつけるために、
自衛隊が創出され、日米安全保障条約が締結されました。

このように見て行くと、今日我が国を巡る諸問題、政治、軍事的にアメリカに過度に
依存的であること、沖縄の基地問題、旧被占領地の東アジア諸国との国際関係の
問題、押し付けであるとしての憲法改正の問題、象徴天皇制の問題など、多くの問題
が新憲法制定に端を発することが分かります。

これからの憲法の在り方を的確に検証する能力を有すると思われる著者の、早過ぎる
死を惜しみたいと思います。

2020年3月20日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1749を読んで

2020年3月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1749では
笑い飯・哲夫との共著『みんな、忙しすぎませんかね?』から、僧侶・釈撤宗の次の
ことばが取り上げられています。

   先に体に浸み込んでるものの扉が後で開くよ
   うな発見の喜びってありますよね。

私たち人間が社会的な存在である以上、文化や宗教にかかわることが、我々が
自覚的に身に付ける以前から心身に浸み込んでいて、上記のことばのように後に
ふとその意味に気づかされるということは、往々にあるように感じます。

例えば宗教に関することでは、このコラムにも例示されているように、仏前、神前で
の合掌は、私たちは幼い頃に見よう見真似で覚えて、それからは慣習的にそのような
場では手を合わせて来たけれど、ある時何かのことが大変ありがたいと感じた時に、
無意識に合掌している自分に気づいて、ああ、手を合わせるということはこういうこと
なのか、と合点がいく経験などがあります。

合掌の意味に気づいたこのような時には、それを教えてくれた祖父母、両親などが
誠心から孫子の幸せを願って、そのような教えを与えてくれたことに、改めて感謝
したくなります。

同様に、「正直であること」「もったいない」「人を思いやる」などの倫理的な徳目も、
それを習った時には実際の意味は理解できず、経験を通して次第に本当の意味が
分かるようになるということは、しばしばあるように思われます。

これらの経験が、その人の人間性を育むということは、間違いないでしょう。しかし
近年では、核家族化や子供の多忙さ、合理主義的なものの考え方が、このような
気づきに先立つ教えの機会を、少なくしているように感じられるのは、残念なこと
です。

2020年3月16日月曜日

泉屋博古館「モネからはじまる 住友洋画物語」を観て

新型コロナウイルス禍により、各地の美術館、博物館で、展覧会の延期、中止が
相次ぐ中で、この会場の企画展は予定通り開催されたので、早速行って来ました。

元々京都市街の東端、東山連峰の樹木の緑にもほど近い、閑静な住宅地に位置
し、建物自体も広い敷地の中に余裕を持ってレイアウトされた、主に住友家の個人
コレクションを中心に展観する展示施設で、いつ訪れても適度の人数の鑑賞者が
静かに展示作品に見入っているというイメージがあるので、今回のような騒動の
折も、抵抗感なく訪れることが出来ました。

さて本展は、開館60周年記念名品展と題して、文明開化以降の住友家の近代化、
繁栄に力を尽くした、第15代当主・住友吉左衛門友純とその長男寛一、弟の第16
代当主友成が蒐集した、洋画44点を展観する展覧会です。

まずそのコレクションは、友純が明治30年に欧米視察を行った折に、パリで購入
した2点のモネ作品から始まり、この視察で日本の産業の近代化と同時に文化
芸術の振興の必要性を痛感した彼が、黎明期の洋画家浅井忠、鹿子木孟郎、
黒田清輝などを支援し、彼らのアドバイスにより、あるいは、つながりのある画家
たちの作品を購入することによって、形成されて行ったということです。

それゆえ、友純の絵画蒐集には、西洋の優れた作品を日本に紹介するという側面
と、日本の西洋画を振興するために、上記の黎明期の画家たちや、それに続く
青年画家たちの作品を購入するという側面があったようです。


彼のコレクション作品では、最初のモネの2点は勿論、ジャン=ポール・ローランス
の歴史画の大作、ギョーム・セニャックの魅力的な女神像、他方浅井の水彩作品
や鹿子木の大作、藤島武二の女性像が印象的でした。


寛一は岸田劉生と親交が深く、個性的な劉生の麗子像などが、ひときわ異彩を放っ
ていました。他方友成の収集品は、ブラマンク、ルオー、ルノアール、シャガール
など、小品ながら味わい深いものが多く、また私が今まで知らなかった日本人画家
の作品も、じっくりと観ると内からその良さがにじみ出てくるような佳品が、見受け
られました。


全体を観て、単にコレクター個人の鑑賞のためということではなく、日本に洋画文化
を根付かせたいという使命感や、芸術に対する真摯な想い、節度ある鑑賞姿勢が
伝わってくるような、爽やかさを感じました。

2020年3月13日金曜日

多和田葉子著「献灯使」講談社文庫を読んで

東日本大震災をイメージさせる、大災厄後の日本を舞台にした短編集です。全米
図書賞受賞の表題作「献灯使」が質、分量ともにメインの作品で、圧倒的なイマジ
ネーション力で読者を非現実の世界に誘います。

しかし現実ではないと言っても、それは現実の表層の皮を剥いだすぐ下に存在する
ようなパラレルワールドです。だから読者はあり得ないと思いながら、同時にある
意味リアリティーを感じて、作品世界に引き込まれて行きます。

まずこの特異な世界の特徴は、100歳を超える老人が肉体的にも、精神的にも、
衰えを知らず元気であることです。そのために、彼らが社会の中で生活の担い手と
なっています。

主要登場人物の義郎はそのような存在で、曾孫無名を養っていますが、この設定
は現実にはあり得ないと思われながら、イメージとして現在の日本社会が抱える
問題を、誇張したような作りです。

つまり、少し前まで我々の社会では、無病息災、不老長寿が大多数の人にとって
の人生の理想でした。しかし今日の医療技術の発達、栄養状態の向上は、人々に
想定以上の寿命延長をもたらしました。そのために現在では、自分が想像以上に
長生きしていることに戸惑う老人が増え、また認知症、高齢者介護という、新たな
問題が生じて来ています。

つまり、義郎の生活上の問題は、現代社会の老人問題が更に亢進した状態を、示し
ているとも言えます。

他方、彼に養育される無名が、健康がすぐれず、生きる能力に乏しいということは、
義郎の場合と同様に、現在の少子化を象徴しているのではないでしょうか?現代の
私たちの社会は、若い人々が安心して子供を産めない環境に、なって来ています。
その行き着く先として、生活に適応出来ない子供が、イメージされているのでしょう。
更には、老人が曾孫を養育するという設定は、家庭内の世代間断絶を表しているの
かも知れません。

さて、滅び行く子供たちの希望の星として、「献灯使」に選ばれた無名が、残念ながら
目的を果たせず本作は終わりますが、義郎をはじめ献身的に病弱な無名を支える
温かい人々の存在、また生きる能力が乏しいにも関わらず、自らに課された使命を
懸命に果たそうとする彼の意志に、私は未来への希望を見る思いがしました。

2020年3月11日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1746を読んで

2020年3月3日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1746では
作家、水墨画家・砥上裕將の小説『線は、僕を描く』から、次のことばが取り上げられ
ています。

   失敗することだって当たり前のように許され
   たら、おもしろいだろ?

日本の社会は、村社会の延長のようであって、元来から失敗が許されにくい社会で
あったと思います。つまり構成員の行動が周囲から監視され、また個々の構成員も
周囲の目を気にして、社会集団、家族における上下関係の倫理や、行動規範を守る
ことが絶対の価値であると、考えられているような。

それゆえ私が若い時にも、勿論自分の性格もありますが、何にしても周囲の顔色を
伺い、失敗を恐れるという窮屈さに行動を縛られていた、と思い起こします。

無論今となっては、若さの特権でそんなことを気にしないで、もっと自由に振舞い、
やりたいことをやっておけば良かった、と後悔の念を持って思い返すのですが。

しかし現代のこの国の社会を見ていると、失敗をしてはいけない、道を踏み外しては
いけない、というような雰囲気、気分が、更に充満しているように感じられます。

社会が成熟することによって生活環境が固定化して、一度正規のルートを外れる
ともはや元には戻れないというような危機感、あるいは情報化社会になってSNSでの
交流が盛んになり、格段に便利になった代わりに、かえって互いが監視し合っている
ような実体のない窮屈さに、囚われているといった。

上から押さえつけるような倫理観や社会規範は、随分軽減されたと思われるので、
若い人がのびのびと振舞える環境を、今の社会の中心を担う者たちが整えるように
心がけ、また若い人も、はっきりとした人生の目標を持って、周囲に影響されないで
自分の力をのびのびと発揮することが出来るようになれば、この社会も随分風通しが
良くなると思うのですが、実現はなかなか難しいのでしょう。

2020年3月9日月曜日

京都高島屋7階グランドホール「竹久夢二展」を観て

新型コロナウイルスの流行によって、美術展覧会の中止が相次ぐ中で、まだかろ
うじて開催されている、上記の展覧会を観て来ました。

夢二の絵画は口当たりがよく、大衆的人気があるだけに、かつての美術界では
ともすれば、毀誉褒貶にさらされることもあったようですが、今日のアートの境界
が薄れた時代には、後世にも十分に通用する独自の美人画様式を生み出した、
卓越した芸術家であると感じさせられます。

夢二というとまず、細い身体にS字ラインを有し、目、手足が大きく描かれた、情趣
たっぷりのはかなげな女性を思い浮かべますが、本展を観ると一口に美人画と
いっても、複合的な魅力の要素を含んでいることに気づかされました。

まず一つは彼の女性への憧憬の現れで、母への思慕に始まり、最初の妻、愛し
ながらも年若くで死別することになった女性、絵のモデルから恋愛関係になった
女性と、彼は女性遍歴を重ねる中で、永遠のあこがれとしての女性像を創り出し
たと思われます。

次に彼の有する幼いもの、か弱いものへの共感の情です。彼はいたいけな子供
や女性を含む社会的立場の弱い存在に温かい目を向け、その感情が彼の描く
絵に独特の情感を与えていると感じられます。

更には彼の絵画の、詩や物語を想起させるような文学的要素、私は今回後ろ姿
の女性の表現にそれを強く感じて、惹きつけられました。またそれとも関連して、
彼の歌舞伎や人形浄瑠璃といった日本の古典への素養と、江戸時代の浮世絵
や西洋画、中国文人画への幅広い興味が、彼の絵に奥行きを与えていると感じ
ました。

最後に本展には、彼が滞米中に描いた2枚の油彩画が展示されていることからも
分かるように、彼は常に新しい表現を求め、また自らの作品が広く世間に親しまれ
ることを志向して、本の装丁、日用品のデザインなども行うというふうに、時代を
先取りした総合的な創作活動を行ったことを知り、私は夢二に対して一元的な見方
しか出来ていなかったことに、改めて気づかされました。

当初予想していた以上に、深みのある展覧会でした。

2020年3月7日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1734を読んで

2020年2月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1734では
元書店員・矢部潤子の『本を売る技術』から、次のことばが取り上げられています。

   走っているからこそ考える、手や足を動かし
   ているからこそ思い付くのかも知れない。

インターネットの普及やSNSの浸透、更には電子書籍の登場によって、紙の書籍
の売れ行き不振が言われて久しく、追い打ちをかけるように書籍のネット通販が
脅威となって、既存の書店の多くが存続することに危機感を持つ今日、そうした
書店を訪れると、熱心な書店員が本を如何にして売るかということに腐心して
いる様子が、手に取るように分かる気がします。上記のことばの発信者も、その
ような一人だったのでしょう。

しかし何も書店員に限らず、訪れるお客さんに商品を提供する店に携わる者には
誰しも当てはまる、いやそういう感覚を持つべきであると、私は思いました。

日々の接客の中で、お客さんの要望を聞き取り、あるいは様子から感じ取り、その
情報を品揃えや接客態度に反映させる。また常にウインドウの装飾や商品の陳列
具合に目を行き届かせ、店の清潔さに気を配る。そういうことを目まぐるしく繰り返し
ていると、自然に気づくことがある。こういう気づきは、その店がこれからも存続して
行くために大切な要素を、多く含んでいると思います。

私も長年この仕事に携わる中で、店の営業中にはこういう心構えで過ごすことに
慣れてしまっていて、たとえ暇な時でも、なかなかじっくりと一つのことを集中して考
えることが出来ません。勢い、熟考するのは店の営業終了後になるのですが、それ
にしても、身に着いたさが、いざ考えようと思っても簡単にそういう意識のモードには
なれず、かえってトイレや風呂でほっとした時、朝目覚めた時など、思わぬところで
アイデアが浮かぶものです。つくづく貧乏性なのでしょう。

2020年3月5日木曜日

佐々木閑「現代のことば 生き方と死に方」を読んで

2020年2月12日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、インド仏教学専攻の花園
大学・佐々木閑教授が、「生き方と死に方」と題して、自ら親交があった禅僧・西村
古珠師の死について語っています。

西村師は、檀家がほとんどない寺に住職として入り、それ以来、一年三六五日、
一日も欠かさず毎朝、坐禅の会を続け、その人柄に惚れてファンがどんどん増え、
その中で癌を患って余命を宣告されてからも笑顔を絶やさず、病が悪化し、激しい
痛みで苦しみながらも坐禅の会は決して欠かさず、最後は病院で痛み止めの処置
を受けて坐禅をしたまま、57歳で亡くなった、といいます。そして檀家のほとんど
ない寺の葬式なのに、当日は境内に入りきれないほどの人がお悔やみに訪れた
そうです。

このエピソードにちなんで筆者は、生きることと死ぬことには大きな違いがあって、
生きることは日々を繰り返す道筋を指し、死ぬことはそれが突然に遮断される
ゴールを指す。自分の葬儀の方法や、墓の建て方ばかり心配する人がいるが、
それはゴールばかりを気にして、本来大切な道筋をおろそかにしていることで
ある。日々の道筋を一生懸命、誠実に過ごすことによって、ゴールは自ずと光り
輝くものである、と説きます。

確かに私たちは、ともすれば日々の生活を当たり前のことと考えて、将来のことを
色々思い描いたり、憂えたりしがちです。さすがに私は、自分の葬式の心配までは
しませんが、経験上先のことを想像しだすと、だんだん不安になって来て、悲観的
な考え方に陥りやすいように感じます。

だから出来るだけ先のことは考えず、日常を充実したものにすべく、目の前のこと
に集中しようと思うのですが、そこが曲者、ついつい先のことを考えさせられてしまう、
情報や出来事が事欠かず訪れてくるので、注意は将来に向けられてしまいがちです。

これでは、堂々巡り。やはりもう少し心の鍛錬が、必要なのかもしれません。

2020年3月2日月曜日

「おしゃれ 立ち止まり考える今」を読んで

2020年2月10日付け朝日新聞夕刊では、上記のテーマで甲南女子大学の米澤泉
教授とファッション誌編集者、軍地彩弓さんが、現代の若者のファッション指向に
ついて語っています。無論洋装が念頭にあるのですが、和装にも通じると感じられ
たので、私も興味深く読みました。

二人の論を要約すると、最近の学生はファッションや化粧への関心が低い。着飾る
ことや、体に窮屈なものは遠ざける傾向にあり、今は快適に生活することの方が
優先されている。社会がカジュアル化して週末のお出かけがなくなり、儀式、葬式
の簡略化で式服も不要となるなど、TPOの消失も大きい。

また、スマホの普及によって、流行の作り方や雑誌の役割が変わるなど、ファッショ
ン誌も変化した。以前は雑誌が新しい価値観を提供して読者をあおった部分もあっ
たが、今は夢を与えるのではなくハウツーを教えるものになっている。これまでと逆
に、メディアが読者を追いかけるようになった。

更には、若い世代は現実のものに執着しない。自分が価値を見出すものであれば、
仮想のものに率先して代価を支払う。持つことが悪という意識が生まれている。

しかし一方、最近若い世代が、信条や思想が一貫しているブランドである、日本の
ヨウジヤマモト、イッセイミヤケ、コムデギャルソンに、改めて興味を抱いていること
からも推察されるように、人とな何か、着るとは何かという根源的な問いがなされて
いるのではないか。つまり、ファッションが嫌いになったわけではなく、本質的な
ところに戻りつつある、と思われる。それゆえに若者たちが、時代に関係なくいい
ものはいいと受け入れるようになり、同時に環境意識や正しさに賢く帰結していけ
ば、新たなファッション界の隆盛が訪れるかもしれない。

以上です。多少楽観的な結論になっていて、現実がそのようにうまく運ぶかは甚だ
疑問ですが、若者の嗜好、購買行動などには、なるほどとうなずける部分が多いと
感じました。

翻って、一定以下の世代での和装離が言われだしてからもかなりの年月が経過し、
もはやほぼ全世代で和装離れが進んでいますが、確かに若い人たちの中に伝統的
な価値観に興味を持つ人も生まれて来ています。我々和装業に携わる者が、そう
いう人々が失望しないように導いて行くことも、私たちの大切な役割だと思います。