2020年3月5日木曜日

佐々木閑「現代のことば 生き方と死に方」を読んで

2020年2月12日付け京都新聞夕刊「現代のことば」では、インド仏教学専攻の花園
大学・佐々木閑教授が、「生き方と死に方」と題して、自ら親交があった禅僧・西村
古珠師の死について語っています。

西村師は、檀家がほとんどない寺に住職として入り、それ以来、一年三六五日、
一日も欠かさず毎朝、坐禅の会を続け、その人柄に惚れてファンがどんどん増え、
その中で癌を患って余命を宣告されてからも笑顔を絶やさず、病が悪化し、激しい
痛みで苦しみながらも坐禅の会は決して欠かさず、最後は病院で痛み止めの処置
を受けて坐禅をしたまま、57歳で亡くなった、といいます。そして檀家のほとんど
ない寺の葬式なのに、当日は境内に入りきれないほどの人がお悔やみに訪れた
そうです。

このエピソードにちなんで筆者は、生きることと死ぬことには大きな違いがあって、
生きることは日々を繰り返す道筋を指し、死ぬことはそれが突然に遮断される
ゴールを指す。自分の葬儀の方法や、墓の建て方ばかり心配する人がいるが、
それはゴールばかりを気にして、本来大切な道筋をおろそかにしていることで
ある。日々の道筋を一生懸命、誠実に過ごすことによって、ゴールは自ずと光り
輝くものである、と説きます。

確かに私たちは、ともすれば日々の生活を当たり前のことと考えて、将来のことを
色々思い描いたり、憂えたりしがちです。さすがに私は、自分の葬式の心配までは
しませんが、経験上先のことを想像しだすと、だんだん不安になって来て、悲観的
な考え方に陥りやすいように感じます。

だから出来るだけ先のことは考えず、日常を充実したものにすべく、目の前のこと
に集中しようと思うのですが、そこが曲者、ついつい先のことを考えさせられてしまう、
情報や出来事が事欠かず訪れてくるので、注意は将来に向けられてしまいがちです。

これでは、堂々巡り。やはりもう少し心の鍛錬が、必要なのかもしれません。

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