2020年3月7日土曜日

鷲田清一「折々のことば」1734を読んで

2020年2月20日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1734では
元書店員・矢部潤子の『本を売る技術』から、次のことばが取り上げられています。

   走っているからこそ考える、手や足を動かし
   ているからこそ思い付くのかも知れない。

インターネットの普及やSNSの浸透、更には電子書籍の登場によって、紙の書籍
の売れ行き不振が言われて久しく、追い打ちをかけるように書籍のネット通販が
脅威となって、既存の書店の多くが存続することに危機感を持つ今日、そうした
書店を訪れると、熱心な書店員が本を如何にして売るかということに腐心して
いる様子が、手に取るように分かる気がします。上記のことばの発信者も、その
ような一人だったのでしょう。

しかし何も書店員に限らず、訪れるお客さんに商品を提供する店に携わる者には
誰しも当てはまる、いやそういう感覚を持つべきであると、私は思いました。

日々の接客の中で、お客さんの要望を聞き取り、あるいは様子から感じ取り、その
情報を品揃えや接客態度に反映させる。また常にウインドウの装飾や商品の陳列
具合に目を行き届かせ、店の清潔さに気を配る。そういうことを目まぐるしく繰り返し
ていると、自然に気づくことがある。こういう気づきは、その店がこれからも存続して
行くために大切な要素を、多く含んでいると思います。

私も長年この仕事に携わる中で、店の営業中にはこういう心構えで過ごすことに
慣れてしまっていて、たとえ暇な時でも、なかなかじっくりと一つのことを集中して考
えることが出来ません。勢い、熟考するのは店の営業終了後になるのですが、それ
にしても、身に着いたさが、いざ考えようと思っても簡単にそういう意識のモードには
なれず、かえってトイレや風呂でほっとした時、朝目覚めた時など、思わぬところで
アイデアが浮かぶものです。つくづく貧乏性なのでしょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿