2021年11月25日木曜日

「鷲田清一折々のことば」2181を読んで

2021年10月22日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2181では 今は亡き映画監督相米慎二の遺文集『相米慎二 最低な日々』から、次のことばが取り上げ られています。    失うことや死を恐れたら、片一方の生きるっ    てことがみみっちくなる。 これは、とても肝の座った人のことばと、感じます。我々平凡な人間では、ここまで開き 直って言い放てない。なぜと言って、結局失うことや死を恐れてきゅうきゅうとしているの ですから。 しかしそのような私でも、自分なりの人生経験を積むうちに、このことばに実感として思い 当たることはあります。例えば、この度の店舗と自宅の建て替えを決断するに際しても、私 にとっては、随分思い切った行動に出る、ということになったのですから。 無論今まで通りに店を続け、生活していれば、肉体的にも、経済的にも一番負担が小さく、 それこそ、そこそこの老後を過ごせるということになったでしょう。 でも、このような状態を継続して行けば、老化に合わせて仕事は減少し、店舗の老朽化は 進んで、そう遠くないうちに廃業するという事態になったかも知れません。 しかし自分が残りの人生で何をしたいかと考えた時に、やはり出来るだけ、和装という伝統 産業の例え末端でも仕事を続け、文化の継承に務めたい、更には今の店舗兼住居のある地域 に住み続けたい、と思ったのです。 そのためには何をすべきか?その答えが、店舗兼自宅の建て替えでした。これを実行する ためには、曾祖父の代から旧自宅にため込まれた、夥しい荷物の断捨離や、またこれから 長い年月に及ぶ借入金の返済という、大きな経済的負担が生じます。 でも自分の思いを実現するためには、このような負荷もやむを得ないと、感じました。私 なりに、みみっちくない決断だと、今は思っています。

2021年11月22日月曜日

池上彰、佐藤優著「真説日本左翼史 戦後左翼の源流1945-1960」を読んで

私が本書を手に取ったのは、我が国において第二次世界大戦後一定以上の広範な支持を受けて いた左翼思想が、どうして衰退して行ったかを知りたかったからです。 それは私自身、これまで特段左翼思想に傾倒して来た訳ではなかったのですが、時にはある種 のシンパシーを感じ、それがある時期から全くの空想論という思いを強め、その心の動きと轍 を同じくするように、この国の政治運動の熱気が薄れ、社会がより良い方向に進むという期待 が急速に失われて行ったように感じるからです。 無論、私たちの社会に対する満足感が損なわれて行ったのは、高度経済成長後のバブル崩壊、 それ以降の経済的低迷という、我々が長く享受して来た豊かさの喪失によるところが大きい でしょう。 しかし決してそれだけではなく、いやそれ以上に、コロナ禍で更に露になった経済の国際的 競争力の衰退や少子高齢化、貧富の格差の拡大が顕著に示されているこの時期にこそ、政治の 果たすべき役割は重要で、そのためには、国民一人一人の左翼思想華やかなりし頃と同じよう な政治への問題意識、熱気がもう一度蘇ることが必要であると、感じるからです。そしてその ためには、かつての左翼思想興亡の歴史を知ることが不可欠であると、感じられたのです。 さて本書によると、戦時下の思想統制によって弾圧された左翼の指導者、活動家が、敗戦後 国民に救世主のように受け止められ、折しもソ連という新興の実験的社会主義国への希望が、 左翼思想への支持を後押ししたことが見て取れます。このような国民の期待を、上手く政党 支持に結びつけたのが社会党であり、長く国政における第二党の立場を守り続けました。 しかしソ連におけるスターリン批判や、後の国家体制の崩壊によって、社会主義の幻想が暴か れ、社会党は東西冷戦の終結、労働組合の支持への過度の依存によって、一般国民の支持を 急速に失い、衰退して行ったと思われます。 残った共産党は、唯一の革新政党として近年は一定の支持を獲得していますが、急進的な政党 である本質は変わらないと、著者たちは主張します。 本書を読んで、戦後日本社会に対して、左翼思想が果たした役割についての記述が少なかった ことに、物足りなさを感じました。 ただ、戦後の一定期間大衆の広範な支持を得た社会党は、この国をどのような方向へ導くべき かについて、はっきりとしたビジョンを持っていたと感じます。左翼思想がもう一度復権する ために必要なのは、正にそれであろうと思いました。

2021年11月16日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2172を読んで

2021年10月13日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2172では 歌人山崎方代の随想集『青じその花』から、次のことばが取り上げられています。    こんな所に釘が一本打たれていていじればホト    リと落ちてしもうた このことばだけ見て、意味を読み取るのは難しいところ。でも、何かホッとするような響き があって、惹かれました。 ことばに続く鷲田の解説によると、この歌人の言うに、自分には意味を掘り下げるより「精神 のコンディション」を整えることが先決で、そのためには「不仕合わせを、少しずつ生活の 意識の中に混ぜておく」ことが大切だそうです。 そう言われて、上記のことばの私をほっこりとさせる理由も、分かる気がしまいた。つまり、 このことばは、ある種人生を達観した人のことばではないでしょうか。 人生では、うまくいかないことが当たり前。それにも関わらず私たちは、何でも上手くいく ことを前提にしてものを考え、計画を立て、その結果失望を繰り返し、予定の変更を余儀なく されて、うろたえるのではないでしょうか? やはり、上手くいかなくて当然と考え、それを想定して計画を立てたり、心の準備をし、たま たま上手くいったら有難いと思う。本当はそれくらいのゆとりを持つことが必要なのだと思い ます。 でも現実社会は、そんな余裕を持った態度をそう簡単に許さない。少し気を緩めると、あっと いう間に底に突き落とされるような感覚があり、それゆえ私たちは、あくせくとして神経を すり減らしているのでしょう。 だから精神的余裕を持って人生を生き抜くには、達観や開き直りが必要。そういう心持に少し でも近づけるように、精進したいとは思っています。

2021年11月12日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2162を読んで

2021年10月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2162では 英国の作家G・K・チェスタトンの『正統とは何か』から、次のことばが取り上げられています。   人間は、理解しえないものの力を借りること   で、はじめてあらゆるものを理解することが   できるのだ。 今日ほど、人間が自分たちに全能感を持っていたことは、かつてなかったでしょう。なぜなら、 科学技術の目覚ましい発達によって、私たちは宇宙や自然や、生命の摂理のほとんどのことを 知っていると、考えていると思われるからです。 しかし、実際は我々の知っていることは、それらのほんの入り口に過ぎず、大部分のことは、 今なお人智を超えたところにあるに違いありません。それが証拠に、私たちは以前、地球上の ちっぽけな生命体に過ぎず、我々が考え、行動し、成し遂げたことは、宇宙のはるかかなた から眺めれば、地球の表面で、騒がしくうごめいていることに過ぎない、と思うからです。 勿論、人間がゼロから作り上げたことは、功罪両面があるとは言え、ある意味尊く、偉大では あるでしょう。でもそれらの成果を得られたのは、我々が地球という恵まれた環境の上に生活 拠点を持っているからで、その環境に守られてこそ、存分に力を発揮出来ているからに、違い ありません。 同様に、自らのなまじの力におごり高ぶり、何もかも理解しているような錯覚にとらわれて いると、そこには大きな落とし穴が待ち構えているでしょう。 自然に生かされているという感謝の気持ち、そして理解しえないものの上に自らの理解が成り 立っているという謙虚な気持ちこそ必要であると、上記のことばに触れて感じました。

2021年11月9日火曜日

D・モンゴメリー、A・ピクレー著「土と内臓 微生物がつくる世界」を読んで

本書はある意味、私のこの世界に対する認識を変えてくれる書でした。 まず「土と内臓」という、その一見突拍子もないものの組み合わせを表すこの本の題名が、その ことを端的に示していると思われます。しかし、私のような読者のみならず、夫は地形学、妻は 生物学というそれぞれの専門分野の研究者である筆者夫婦が、自らの体験に基づく驚きと気付き を本書執筆の動機としているところに、この本の読む者の知的好奇心をくすぐらざるを置かない、 魅力が集約されていると感じられます。 さて、著者たちが本書を著述するきっかけは、夫婦が新しく購入した家に、妻のアン・ピクレー が庭園を造ろうとしたことから生まれます。その自宅の敷地の土質は、到底植物の栽培に適さ ないほど、固く痩せていたのです。そこから、土質の改良の最新の知見を駆使して、アンの奮闘 が始まります。 そして短期間のうちに庭園の土が肥沃なものになり、植物が生い茂り始めた時、元々地形学が 専門で、土質にも興味を持つ夫のデイビット・モンゴメリーが、その要因について考えることに なったのです。 つまり、アンが土質改良のために施した堆肥、牛糞などの有機物、鉱物は、直接植物の根に吸収 される訳ではありません。ではどうして、それらの土を肥えさせ、植物の栄養となるのでしょう か?そして、土中に生きる細菌類がそれらを分解し、植物の根に養分を与えると共に、病害から 植物を守っていることに気づきます。 次には、アンが癌を患い、手術を受けたことをきっかけに、再発を防ぐための食生活の改善を 契機として、腸内細菌について思考を巡らせます。それによると、人間の大腸内には多くの 細菌類が生息し、私たちが食べた食物の分解を手助けすると共に、免疫細胞と協力して病原菌の 侵入を防ぎ、腸内の環境を整えています。そして、植物、人間の良好な生育条件を維持するため に、土や内臓において、目に見えない細菌類が極めて重要な役割を果たしているという共通性、 類似性に思い至るのです。 私たち人間は、地球という自然環境の中で、生物種として何も突出した存在ではありません。 我々が肉眼で確かめることは出来ませんが、夥しい微生物に満たされた流動的な空間の中で 揺蕩っている、儚い存在に過ぎないのではないでしょうか?そんなことを感じさせてくれる 好著です。

2021年11月5日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2151を読んで

2021年9月21日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2151では ライターで写真家の白石あづさの『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』から、スーパー ボランティア尾畠春夫の次のことばが取り上げられています。    「思う」以上の逃げ言葉があるの。何やと思     う?…答えは「想定外」ちゅう言葉よ。 なるほどこの頃は、「想定外」という言葉をよく聞きます。そしてそれは、ほとんど言い訳 とセットになっています。やれ、想定外の事態、想定外の規模、想定外のダメージ… 確かに近頃は、人智を超えるようなことがしばしば起こるけれど。でも防災という観点から は、想定外の事態に陥ることは、ある意味準備不足ということにもなります。 最悪の事態を予想して、来るべき災害に備える。それが防災の前提となる心構えです。つまり 万全の準備を心がけても、大きな災害に襲われた時には、実際には想定以上の被害やダメージ をもたらすのだから、少なくとも心の準備をしておくべき、ということです。 だから防災や災害救助に携わる当事者は、ことが起こった後、「想定外」という言葉を発し なくていいような心構えで、準備を整えなければならない。そういうことなのでしょう。 翻って私など、小と言えども店舗の経営に携わる者は、店を長く存続させ、顧客や関係者の 方々に迷惑をかけないように、危機管理も踏まえて、あらゆる事態を想定しておくべきで しょう。 今回のコロナ禍は、正にそういう事態で、前年には想定もしなかったことが突然起こり、私 自身当初は狼狽したけれども、現在は「想定外」で片づけないように、対策を模索してい ます。

2021年11月2日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2150を読んで

2021年9月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2150では ドラマ「孤独のグルメ」シリーズ9・第1話(原作・久住昌之、脚本・田口佳宏)から、主人公 井之頭五郎の次のことばが取り上げられています。    遠くにある好きな店が、変わらず続いてる    と、本当に嬉しい。そんなこの頃だ このことばには、最早捕捉の必要もないでしょう。コロナ禍にあって、特に飲食店などのどれ ほど多くの店が、廃業に追い込まれたことか!今回の事態は、殊に不意打ちの出来事であった ために、経営者、従業員もあらかじめの備えの余地もなかったことは、明白です。 ですから私も、ひいきにしていたお店が営業を続けていることを確認すると、ほっとして同時 に、有難く感じたものです。 私事になりますが、私たちの店も、直接の原因は建物の老朽化ですが、コロナ禍による需要の 減少も踏まえて、店舗を建て直すことになり、目下近隣の仮店舗で営業しています。 言うまでもなく、父親から店を引き継いでから、店舗の移転は初めてのことであり、慣れない 上に、仮店舗では何かと不自由なことも多く、今まで置かれた環境が如何に恵まれていたかと いうことを実感すると共に、早来年4月末の新店舗への復帰を心待ちにしております。 しかし、このような決断をしたのも、この店の商いをこれからも長く続けて行くためにはどう すればいいかと、考えた末のことなので、店舗を新しくするだけではなく、商品とサービスの 提供という面において、如何にお客様に愛される店を作って行くかということを、真剣に模索 して行きたいと、決意しています。