2018年4月30日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1090を読んで

2018年4月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1090では
音楽家大友良英と大学病院医師稲葉俊郎の対話『見えないものに、耳をすます』から、
稲葉の次のことばが取り上げられています。

 電車が人身事故で止まった時、車内で誰かが舌打ちしたりする光景が、すごく怖い
 んです。

私は電車通勤をしていないので、この状況が実感としては分かりません。ただし以前
日頃時間に正確な私たちの店の従業員が、始業時間に遅れた理由として人身事故に
よる通勤列車の遅延を上げた時に、亡くなった人に対して、何かいたたまれない思い
が心をかすめたことは、記憶しています。

むしろ上記のことばから私がすぐに思い浮かべたのは、ある時仕事の関係者の死去の
知らせが届いて、とっさに、通夜か葬儀に行くための自分のスケジュール調整を、真っ
先に考えてしまったことです。

勿論、少し時間が経過すれば、亡くなった方の人となりや、仕事での関わりが次第に
思い出されて来て、心からその人の死を悼む悲しい気持ちも生まれて来たのですが、
それ以前に、即物的なスケジュールという自己都合のことに、思いを巡らしてしまった
ことを、我ながら申し訳なく感じたのでした。

私たちは日々時間に追われ、心を急き立てられて、感情さえ細分にして、日常をやり
過ごしているのかも知れません。その様子はあたかも、心に蓋をかぶせたとでもいう
ように、無表情で先を急ぐ無言の人の列を想起させるかも知れません。

忙しさの中にもしばし立ち止まり、自分の心の中を覗き込むことが出来る余裕が欲しい
ものだと、このことばを読んで改めて感じました。

2018年4月28日土曜日

京都国立近代美術館「岡本神草の時代展」を観て

神草の舞妓の絵は、一目見ると強烈な印象を残します。官能的でミステリアス、退廃的で
叙情的・・・。若くして死を迎えたこともあって現存する作品は少なく、半ば伝説的な存在
でもありますが、その回顧展が開かれるということで、期待を持って会場に向かいました。

会場に入ってすぐの初期の作品には、初々しさと同時に生真面目さが滲み、この絵が
どうして後年のあの舞妓に発展するのか、不思議な気分がします。彼の以降の心境の
変遷を覗いて見たいような欲求がふくらみ、益々期待が高まりました。

また「お貞子ちゃん写生」のような愛くるしい小型犬を描いた墨彩の作品もあり、彼の
人柄を彷彿とさせます。

それから私の目を引いたのは、竹久夢二の模写が数点あったことです。夢二は当時、
絶大な人気を誇る流行画家であったということはよく聞きますが、また一方、テレビの
美術番組のインタビューで、日展系の日本画の大家が「彼は日本画家ではない」と語る
のを、聞いたことがあります。

そのことからも、神草が模写を試みるほどに夢二の影響を受けた事実に、時代の空気
のようなものを感じました。

彼のよく知られた作品「口紅」は、さすがに艶やかで絢爛豪華。今回観るとなまめかしさと
同時に、きゃしゃで頼りなげな様子も感じられましたが、逆に同時に展示されている草稿
からは、舞妓の姿態の構図を描き出す力強い線が見られて、彼の絵の技量の確かな
基底を感じました。

彼の作品の中でも最も謎めくのは、「拳を打てる三人の舞妓」、第3回国画創作協会展の
ために制作されながら完成が間に合わず、中央の舞妓だけ切り取り出品されたと言い
ます。60年以上の時を隔てて残りの部分が見つかり、随分話題になりました。

本展では部分草稿、草稿断片、習作、最近発見された未完作を並べて、この作品に
取り組んだ当時の神草の息づかいを明らかにしようとしています。この一連の彼の苦闘
の跡を眺めると、この画家が自分の納得のいく作品を完成するために、とことんまで
突き詰めた執念のようなものを感じ、厳然とした気分になりました。

本展では、神草が美人画に最も特色を現した大正時代の同時期に、彼と競うように活躍
した画家たちの同様の作品も展示されていますが、全体を観終えると、この時期画家
たちが時代を覆う一種熱病のような空気に冒されて、居ても立っても居られず、このような
異様な女性を描く衝動に突き動かされたように思えて来ます。

これほどある時代の気分を活写した美術展も、希でしょう。
                                     (2017年11月12日記)

2018年4月25日水曜日

京都新聞ビル印刷工場跡「ローレン・グリーンフィールド GENERATION WEALTH」を観て

今回は「京都国際写真祭2018」の催しの中から、京都新聞ビル印刷工場跡(B1F)の
「ローレン・グリーンフィールド GENERATION WEALTH」を観て来ました。

まず、京都新聞ビルは私の住まいのすぐ近くで、いつも前を通っているのですが、
その地下に印刷工場があったなんて全く知りませんでした。この度初めて地下に
下りて、その空間が醸し出す独特の雰囲気に魅力を感じました。

印刷工場跡は、地階いっぱいに広がる大きなスペースで、印刷機械は既に撤去
されていますが、かつてそこがどのような用途で使われていたかがすぐに想像される
ような、壁面は黒ずみ、インクの臭いが染みついて、装飾的なものは一切なく、しかし
廃墟というにはまだ、人々がそこで労働した温もりが微かに残っている、都市的で
ありながら、ノスタルジーを誘う場所でした。

さてグリーンフィールドは、アメリカに象徴される高度な消費文明の中で、富や名声に
翻弄される人々を写真や映像作品として提示することによって、社会の実相を明らか
にしようとする作家で、今展でも「GENERATION WEALTH」と題して、欲望にまみれた
人々の生態や愚行を赤裸々に活写しています。

展示方法も、上記工場跡の広い空間の中央部分を縦に貫くように並べられた、透明の
壁面に設置された大きな写真作品が、背後からの照明によってほの暗い空間の中から
次から次へと浮かび上がるような演出がなされていて、鑑賞者は作品を観ながら
知らず知らずの内に、彼女独自の作品世界に迷い込んでしまいそうな感覚に囚われ
ます。

この展覧会が語り掛けて来るものは余りにも多岐にわたり、一言で感想を言い表す
ことは出来ませんが、本来人間を豊かにすることが目的であったはずの資本主義が、
経済成長というその手段を振りかざして、人々を欲望の虜にし、結果として社会や一人
一人の心を阻害している姿が、端的に表現されていると感じました。

お前たちそろそろ目覚めよ!と、本展は語り掛けて来ると、感じました。

2018年4月23日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1081を読んで

2018年4月16日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1081では
作家宮内悠介の4月2日付け朝刊の随想《「未知」はいくらでもある》から、次のことばが
取り上げられています。

 ぼくたちがいるのは、すべてがわかった世界ではなく、何がわからないかがわかり
 にくくなった世界なのだ。

確かにこのことばは、至言だと思います。

私たちが今現在暮らす社会では、メディアから情報が湯水のごとく入って来て、また
インターネットで検索すればたちどころに答えが表記されて、ともすれば何もかも
分かっている、正解がすぐそこにある、ように感じさせられてしまうきらいがあります。

でもちょっと立ち止まって考えると、一体全体何が分かっているのか、何の答えを手に
入れたのかと、いぶかしさが込み上げて来るはずです。

そこに残るのは、がらんどうのような空虚、戸惑い、虚しさだと、何度感じさせられた
ことでしょう?

また私たちは往々に、何もかも知っている、未来も見通せると錯覚してしまうと、自分に
全能感のようなものが宿っているとように思い込んでしまって、傲慢になって利己的な
振る舞いをしたり、逆に肥大化した自意識に対する自分という存在のちっぽけさに絶望
して、自暴自棄になったり、生きる気力を失ったりするものだと、思います。

要は生きて行く上で、自身の心を常に謙虚に保つこと、また実際の経験によって得た
知識、実感を何にも増して大切にすることが肝要ではないかと、上記のことばを読んで
感じました。

2018年4月20日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1076を読んで

2018年4月11日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1076では
フランスの作家サン=テクジュペリの『人間の土地』から、次のことばが取り上げられ
ています。

 真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。

そういえばあの名作、『星の王子さま』でも、本来人と人とが出会うはずのない場所
での、語り手と王子さまとの一時のめぐり逢いが、はかなくて詩的な物語を現出させ
ていました。

よく知られているように、テクジュペリは作家であると同時に、草創期の飛行機の
パイロットでもありました。かつて読んだ彼の伝記によると、ヨーロッパとアフリカを
結ぶ航空便のパイロットを、長く勤めていたそうです。

彼が搭乗した初期の飛行機は基本的に一人乗りで、現在のものに比べ性能も、
装備も未熟で、パイロットの技量の良し悪しが安定的な飛行を保つために占める
割合が大きく、また天候の急変やアクシデントによる墜落、不時着の危険は
日常茶飯事で、パイロットには技術と同時に勇敢さが求められたといいます。

ましてや彼が航行した当時のアフリカ大陸は、まだまだ未開で治安も悪く、飛行
ルートの大半は人間の生存に適さない砂漠地帯だったので、墜落と不時着のリスク
を思い合わせると、正に命がけの仕事だったそうです。

このような彼が生きた死と背中合わせの環境が、飛行中の孤独の中での思索を通し
て、人と人の絆や、人間関係の妙味を、作家の心中に染み渡らせたに違いありま
せん。

そして彼の果敢な人生が、一見正反対の印象を抱かせる珠玉の作品を生み出した
ことに、後世に生きる私たちは驚きと同時に、喜びを噛みしめることになるのです。

2018年4月18日水曜日

美術館「えき」KYOTO 「蜷川実花 UTAGE」を観て

「KYOTOGRAPHIE京都国際写真祭2018」がいよいよ始まり、早速アソシエイテッド・
プログラムの「蜷川実花UTAGE」を観に行きました。

この展覧会は、国際的に活躍する女性写真家蜷川実花が、京都の五花街の舞妓、
芸妓をモデルに、京都の伝統と美を切り取ろうとする写真展で、彼女らしく豪華な
セットを組み、極彩色の背景の中に、艶やかな花街の女性たちを浮かび上がらせて
います。

会場に入ってまず驚かされるのは、展示壁面に至るまで蜷川の写真を刷り込んだ
装飾で埋め尽くされ、あたかも会場全体が一つのセットのような趣きを呈することで、
その中にそれぞれきらびやかな伝統衣装に身を包み、化粧を凝らしてポーズを取る
舞妓、芸妓たちの美しい写真作品が並べられて、その空間に一歩足を踏み入れる
だけで、観客は陶酔感とでも言っていいような夢見心地の気分に誘われます。

しかし少し浮ついた気持ちで一つ一つの作品を観て行くと、趣向を巡らせ原色の
発散する背景を背にしても、そこに写る舞妓、芸妓たちの存在感がなお一層色あせ
ないことに突如として気づかされて、はっとします。

彼女たちの可憐さ、艶やかさ、色っぽさ、しかしそこはかとなく漂う寂しさ、はかなさが、
静かに浮かび上がって来るのを感じました。そしてけばけばしく人工的なセットが、
花街の女性が本来まとうそこはかとない情緒をあぶり出すことに、新鮮な驚きを覚え
ました。

とはいえ同時に、今日の社会において、最早舞妓、芸妓というものが、本来とは違う
イメージ、役割を担わざるを得なくなっていることを、これらの写真は図らずも提示
しているとも、感じました。

伝統文化の中の変わらないもの、変わりゆくもの、そのようなことについて考えさせ
られる展覧会でした。

2018年4月16日月曜日

松山大耕「現代のことば 自由」を読んで

2018年4月11日付け京都新聞夕刊、松山大耕「現代のことば」では、「自由」と題して
山手線の車内広告が知らず知らずの内に乗客に指し示す、ステレオタイプの理想の
生き方という虚構から説き起こして、人間にとって幸せとは何か、ひいては人の自由
とは何かについて、考察しています。

この論を読み進めると確かに、車内広告が提示する、英会話、マンション、婚活、
予備校などの情報通りに自分の生き方を選択して、よしんば全て思い通りに成果を
得ることが出来たとしても、果たしてそれがその人にとって本当の幸せであるのか、
という疑念が浮かび上がって来ます。

私たちは狭い土地の上でひしめき合って暮らしながら、また膨大な情報が氾濫する
社会環境の中で、ついつい自身の生活を周囲と比較して、あるいはメディアが提示
する幸福の条件を、あたかも自分の幸せのために必須のものと勘違いして、日々
あくせくと働いている、という構図も見えて来ます。

自由という言葉の意味も筆者の指摘のように、解放という観念に過剰に囚われて、
何かの制約から解き放たれること、勝手気ままに振舞うことという解釈が大手を
振ってまかり通っていると、感じられます。

元来西洋的な概念としての自由にしても、それには責任や義務が必ず伴うもので
あり、それらの倫理的制約の上に初めて自由は存在するのだと、何かの本で読んだ
覚えがあります。

私たち日本人は、一神教的な絶対的な価値としての倫理観をイメージしにくいため
に、現代資本主義社会特有の見せかけの自由に振り回されて、物質的欲望や、皮相
な自己実現といった誘惑に因らわれやすいようにも感じます。

このような一見自由できらびやかな、誘惑の多い社会環境に暮らすが故に、我々は
なお一層、自分自身の心を冷静に保つ努力をしなければならないのでしょう。




2018年4月14日土曜日

佐々木幹郎著「中原中也 沈黙の音楽」を読んで

本書は新しく発見された新資料を含め、自筆草稿などに基づき、中原中也の詩の
創作過程を明らかにすることによって、息づかいも伴う新しい詩人像を浮かび上が
らせようとする、刺激的な試みです。著者自身が中也の詩を熟知する詩人であれば
こそ、なし得た仕事なのでしょう。

私は中也の詩に、その一見のリズムや口当たりの良さから、しばしば気軽に親しんで
来ましたが、その詩がいかにして生まれたかについては、彼がたぐいまれな才能を
持つ詩人というイメージから、閃きに任せて次から次に生成されるものと、安易に考え
ていました。しかし本書を読むと、彼もまた命を削り詩の創作と向き合った様が見えて
来ます。

また彼の詩を目の前にすると、大抵のものが流れるように読み下せることから、ただ
作為なくそこに提示されているようなイメージを抱きますが、本書によって中也が、
いかにしてその詩を読者に訴えかけるかということを計算し尽くした作法で、詩の節や
連を組み立て、言葉を配置していたかが理解されて、彼の詩から受ける印象にも精妙
さが増すように感じました。

更に私は、彼の詩は研ぎ澄まされた響きを持つ故に、彼が実際の体験で味わった
喜怒哀楽から、あえて距離を置くスタンスで詩を創作する詩人であると思い込んで
いましたが、本書で語られる彼の体験と詩作の関係を読むと、決してそうではないこと
が明らかになります。

つまり中也の短い人生の転換点は、中学落第、恋人長谷川泰子との破局、長男文也
の死、精神病院への入院とすると、小学生で投稿短歌が新聞に掲載された早熟の
天才少年が、文学に溺れて地元の名門中学を落第して故郷を離れることによって、
次第に詩で生きて行く自覚を生じ、恋人と長男との別離は彼の詩に陰影や奥行を
生む・・・。

私には彼が、実体験で度重なる悲劇を、生きることの悲しみとして詩の形に抽出する
ために、あの独特の無音の詩のリズムを編み出したとさえ、感じました。

詩人にしても、小説家にししても、近年はその創作に人生の全てを賭したと感じさせる
作家がめっきり少なくなりましたが、中原中也は正にそのような存在であったので
しょう。そう言えば彼が詩作の影響を受けた、石川啄木も、宮沢賢治も、ランボーも、
ヴェルレーヌも、残らずそのような存在でした。

2018年4月12日木曜日

大根仁監督映画「バクマン」を観て

かねてより好評と聞いていたこの映画を是非観たいと思っていましたが、今回、DVD
を借りて観てみました。

高校生の漫画家の卵コンビの成長物語で、王道の青春ストーリーの雰囲気を醸し
出していますが、今この時代にこのような熱い物語を違和感なく紡ぎ出せるのは、
漫画というジャンルそのもののエネルギーによるのではないかと、感じさせられ
ました。

というのは、一昔前にはスポーツを題材にした青春物がもてはやされ、一世を風靡
しましたが、現代のクールな世相の中で、スポーツでの成功を目指す熱い主人公の
物語が、果たして多くの人々の共感を得られるかと言うと、大いに疑問だと思うから
です。

私たちは今やスポーツの物語ではなく、実際のスポーツ観戦を通して、感動や共感を
得ようとするに違いありません。フィクションよりリアル、それがこの時代の人々の
好みにより適うように思われます。

他方漫画には、フィクションでありながら、ビジュアルというリアリティーや伝わりやすさ
があり、小説よりも格段に受け入れられやすいと言えます。現に既存の文学作品の
漫画化も盛んに行われています。

しかし見かけとは裏腹に、漫画の創作の現場はアナログの世界。その当たり前さが
逆に新鮮で、この映画を観る普段は覚めた観客も、ついつい熱い物語に引き込まれる
のではないでしょうか?

主人公真城最高の佐藤健、高木秋人の神木隆之介の配役も絶妙、漫画家として
下積みの経験を持つ、リリーフランキーの漫画雑誌編集長もいい味が出ていました。

実写とCGを重ねた漫画創作過程の描写も、斬新かつ重層的で、忘れがたいシーン
でした。

2018年4月9日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1067を読んで

2018年4月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1067では
英国のホスピスを訪れた神宮寺(長野)の住職に、緩和ケア専門ナースのジョアンが
「死を支える」ことの意味について答えたことばを、神宮寺の寺報「未来への遊行帳」
終刊号から引いています。

 3つ目の耳を持ち、彼ら(患者たち)が言っていることではなく、言わないでいること
 (言えないでいること)を聴きなさい

私は緩和ケアの現場というものを知りませんが、それに限らず往々に、人というもの
は自分が悩んでいる時、あるいは窮地に立たされた時など、自身が本当に困って
いること、訴えたいことなどをなかなか吐露出来ないものだと、感じることはよくあり
ます。

そういえば赤ちゃんがむずかる時、その子は何かを訴えているけれど、周りにいる
大人はそれがどういうことかをなかなか理解出来なくて、右往左往することがあり
ます。

無論赤ちゃんは言葉を発することが出来ないので、適切に意思を伝えることも叶わ
ず、一番身近な人、例えばお母さんがやっと到着し、日頃の様子からその子が今
何を訴えているかを推し量って対処することによって、とうとう泣き止むなどということ
が起こります。

上記のことばからすぐにそんな情景が思い浮かぶということは、三つ子の魂百までと
でも言うか、人は元来肝心の時に、自分が訴えるべきことを訴えることが出来難い、
存在なのかも知れません。

あるいは、本当に大切なこと、物事の本質に関わることは、言葉として表現出来ない
ものなのかも知れません。

人と人のコミュニケーションは奥深く、難しいものだと、改めて感じました。

2018年4月6日金曜日

あべのハルカス美術館「北斎ー富士を超えてー」展を観て

江戸時代の我が国を代表する画家(浮世絵師)の一人である、葛飾北斎の主に晩年の
作品に重点を置いた展覧会です。

本展の特色としては、イギリスの大英博物館との国際共同プロジェクトであること。周知
のように、明治維新後江戸期の優れた美術作品が多く海外に流出し、大英博物館も
多数の浮世絵コレクション等を有しているので、北斎の展覧会を共同で企画することに
よって、国内、海外に目を行き届かせた、充実した展観が可能になったということです。

その意味では、国際化の時代だからこそ、日本に生まれた卓越した画家の全容を見渡
せる展覧会を開催することが可能になるという、芸術の世界化、普遍化を象徴する企画
とも言えるでしょう。

さて、日本一の超高層ビルあべのハルカスの16階に位置する、あべのハルカス美術館
を訪れるのは初めての体験で、14階でエレベーターを降りて高層のそれより上階へと
続く長いエスカレーターに乗ると、天上へ昇るような気分を味わうことが出来ました。

残念ながらその日はあいにくの荒天で、眺望を楽しむことは出来ませんでしたが、この
ような高層にある美術館もまた一興であると、感じました。

本展では北斎の肉筆、錦絵共に優れた作品が多数出品されていますが、彼の代名詞
とも言える錦絵作品にしても、これほど多くをじっくりと観るのは初めてで、構図の大胆
さ、洒脱さ、線の繊細さ、優美さを、存分に堪能することが出来ました。

特に錦絵における彼の線は、版画による再現性という制約もあるためか、一本づつは
細い線を駆使しながら、全体として力強くダイナミックな表現をなし得ているところに、
大きな魅力を感じました。

その意味で彼の風景描写の中でも、やはり私が注意を惹かれたのは波の表現で、線を
用いて絶え間なく流動する波と飛沫を描き出すために、数種類の表現法が試みられて
いますが、それぞれに高い完成度を示しています。彼の波の集大成と言われる上町
祭屋台天井絵「涛図」は、単なる波の表現を超えて、宇宙的な深淵を覗き込むような
気分に、観る者を誘います。

晩年の北斎の制作活動を支えたと言われる、三女応為の作品の出品も本展の特徴で、
彼女の父に引けを取らぬ優れた絵画を観ると、90歳まで描き続けた最晩年の彼の画業
が、陰で力添えする人があってこそなったに違いないことに思い至って、かえって北斎
が身近に感じられました。
                               (2017年10月29日記)

2018年4月4日水曜日

龍池町つくり委員会 51

4月3日に、第69回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

最初に中谷委員長より、歌声喫茶の開催場所が、4月から喫茶ユニオンよりマンガ
ミュージアム内の龍池サロンに変更になることが、報告されました。これは、ミュージ
アム側のご厚意によるところです。

更に、上妙覚寺町に計画されている民泊については、3月24日に説明会が開催され、
議事録及び、家主、事業者、町内の三者協定書が作成されることになりました。
これからこのような問題が発生した場合の基準として、委員会では三者協定書の作成
を奨励することになりました。

4月15日に開催する「大原お花見」は、現在学区からの参加申込者が約20名、地元
大原からも約20名が参加される予定です。50名が乗車可能のバスをチャーターして
いるので、当委員会と京都外大の関係者は参加者にカウントしていませんが、まだ余裕
があります。引き続き参加者を募集しています。大原学舎の施設について寺村副委員
長より、壊れた部分の修理、花を植えるなどの整備、電気系統の点検の提案があり
ました。

「龍池浴衣祭り」を担当している森委員より、祇園祭の神輿の文献資料の配布と説明が
あり、その文献には江戸時代に、龍池学区の町内が神輿の巡行に深く係わっていたと
いう記述があり、現在では祭りと学区全体との関わりが希薄になりがちですが、過去に
は強いつながりがあったことが、報告されました。学区内のコミュニケーションを、祇園祭
を通して活性化させようという試みも、ゆえ有るものであることが示されたと言えます。

京都外大の南先生より、秋に計画されている「外大企画」の概要の説明があり、それに
よると二条通の薬祭りをテーマにして、各地にある薬祭りについての展示、薬膳茶と
お菓子の接待、薬にまつわるスタンプラリーなどを行おうというものです。細部は、当
委員会の意見も聞いて、これから詰めて行くということです。

2018年4月2日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1062 を読んで

2018年3月27日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1062では
国文学者・中西進との対談「天災と人災」から、歴史学者・磯田道史の次のことばが
取り上げられています。

 「無い」という状態を知っているからこそ、「有る」ことがありがたい。

私たちはそれが随分幸せなことでも、その状態に慣れきってしまうと、往々にその
有難味が分からなくなるものです。

分かりやすい例では、自分が健康であることが当たり前になってしまうと、病気に
なったり、けがをしたりして、身体に変調をきたし、苦しかったり、痛みがある時の
状態が想像も出来なくなります。

このような場合には、ついつい自身の体調管理がおろそかになって過労に陥ったり、
あるいは他者の健康上の弱みが理解出来なくて、相手に対して知らず知らずの内に、
思いやりのない振舞いをすることになったりします。

やはり、健康では「無い」状態に思いを馳せることが出来るということが、自分自身や
周囲の人に対しても、健康で「有る」ことの有難さを理解して、それに適う行動や態度
を示すことにつながると、思います。

同様に社会が平和で、天災にも遇わないということが当たり前になってしまうと、身が
危険にさらされないことが普通になってしまって、ついつい平和を守ることの大切さや、
災害に備えることの必要性が顧みられなくなります。

私たちは常に平和で「有る」ことの有難さ、災害に遭遇しない状態で「有る」ことの幸い
さを、噛みしめるべきなのでしょう。

それは日々を無事に過ごしていることの有難味を実感することにもつながると、上記
のことばを読んで感じました。