2018年4月30日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1090を読んで

2018年4月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1090では
音楽家大友良英と大学病院医師稲葉俊郎の対話『見えないものに、耳をすます』から、
稲葉の次のことばが取り上げられています。

 電車が人身事故で止まった時、車内で誰かが舌打ちしたりする光景が、すごく怖い
 んです。

私は電車通勤をしていないので、この状況が実感としては分かりません。ただし以前
日頃時間に正確な私たちの店の従業員が、始業時間に遅れた理由として人身事故に
よる通勤列車の遅延を上げた時に、亡くなった人に対して、何かいたたまれない思い
が心をかすめたことは、記憶しています。

むしろ上記のことばから私がすぐに思い浮かべたのは、ある時仕事の関係者の死去の
知らせが届いて、とっさに、通夜か葬儀に行くための自分のスケジュール調整を、真っ
先に考えてしまったことです。

勿論、少し時間が経過すれば、亡くなった方の人となりや、仕事での関わりが次第に
思い出されて来て、心からその人の死を悼む悲しい気持ちも生まれて来たのですが、
それ以前に、即物的なスケジュールという自己都合のことに、思いを巡らしてしまった
ことを、我ながら申し訳なく感じたのでした。

私たちは日々時間に追われ、心を急き立てられて、感情さえ細分にして、日常をやり
過ごしているのかも知れません。その様子はあたかも、心に蓋をかぶせたとでもいう
ように、無表情で先を急ぐ無言の人の列を想起させるかも知れません。

忙しさの中にもしばし立ち止まり、自分の心の中を覗き込むことが出来る余裕が欲しい
ものだと、このことばを読んで改めて感じました。

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