本書は新しく発見された新資料を含め、自筆草稿などに基づき、中原中也の詩の
創作過程を明らかにすることによって、息づかいも伴う新しい詩人像を浮かび上が
らせようとする、刺激的な試みです。著者自身が中也の詩を熟知する詩人であれば
こそ、なし得た仕事なのでしょう。
私は中也の詩に、その一見のリズムや口当たりの良さから、しばしば気軽に親しんで
来ましたが、その詩がいかにして生まれたかについては、彼がたぐいまれな才能を
持つ詩人というイメージから、閃きに任せて次から次に生成されるものと、安易に考え
ていました。しかし本書を読むと、彼もまた命を削り詩の創作と向き合った様が見えて
来ます。
また彼の詩を目の前にすると、大抵のものが流れるように読み下せることから、ただ
作為なくそこに提示されているようなイメージを抱きますが、本書によって中也が、
いかにしてその詩を読者に訴えかけるかということを計算し尽くした作法で、詩の節や
連を組み立て、言葉を配置していたかが理解されて、彼の詩から受ける印象にも精妙
さが増すように感じました。
更に私は、彼の詩は研ぎ澄まされた響きを持つ故に、彼が実際の体験で味わった
喜怒哀楽から、あえて距離を置くスタンスで詩を創作する詩人であると思い込んで
いましたが、本書で語られる彼の体験と詩作の関係を読むと、決してそうではないこと
が明らかになります。
つまり中也の短い人生の転換点は、中学落第、恋人長谷川泰子との破局、長男文也
の死、精神病院への入院とすると、小学生で投稿短歌が新聞に掲載された早熟の
天才少年が、文学に溺れて地元の名門中学を落第して故郷を離れることによって、
次第に詩で生きて行く自覚を生じ、恋人と長男との別離は彼の詩に陰影や奥行を
生む・・・。
私には彼が、実体験で度重なる悲劇を、生きることの悲しみとして詩の形に抽出する
ために、あの独特の無音の詩のリズムを編み出したとさえ、感じました。
詩人にしても、小説家にししても、近年はその創作に人生の全てを賭したと感じさせる
作家がめっきり少なくなりましたが、中原中也は正にそのような存在であったので
しょう。そう言えば彼が詩作の影響を受けた、石川啄木も、宮沢賢治も、ランボーも、
ヴェルレーヌも、残らずそのような存在でした。
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