2018年2月28日水曜日

アサヒビール大山崎山荘美術館「有元利夫展ー物語をつむぐ」を観て

かねてより尋ねたいと思っていた大山崎山荘美術館で、これも好きな画家であり
ながらあまり作品を観たことのなかった、有元利夫の作品展が開かれていると
いうことで、勇んで会場に向かいました。

阪急大山崎駅で降りると折しも送迎のマイクロバスが停まっていたので、初めての
訪問で道順も分からないことから、乗ることにしました。発車して間もなくJR大山崎
駅で停車、そこを立つと直ぐに天王山への登りに入り、時を経ず美術館前の停車場
に到着しました。山中の山荘というイメージにも係わらずことのほか駅に近く、帰り
は歩くことにしました。

山荘美術館は、趣味人の実業家加賀正太郎が英国風に贅を尽くして立てさせた
だけあって、噂通りに瀟洒な造りで美しく、室内に佇むと近代史上の人物になった
ような思いがします。

また二階テラスからの桂川、宇治川、木津川と男山を望む眺望は雄大で、この地が
豊臣秀吉が明智光秀を破った山崎の戦の古戦場、いわゆる"天王山"の地である
ことを思い合わせると、稀有壮大の気に囚われる心地がしました。

さて有元利夫展では、この画家が安井賞を受賞して一瞬の輝きを放ちながら、
わずかな活動期間でこの世を去るという悲劇に見舞われたことから、その生涯も
作品も半ば伝説化されているところがありますが、実際に作品を観ると、ヨーロッパ
のフレスコ画の影響を受けて、絵の具に顔料を使うことによって絵肌はざらつきを
帯び、その上わざと古色を出すために渋みのある色を使った彩色の上に、かすれや
むらが作り出されています。

その表現が作品に得も言われぬ落ち着きを与えているのですが、つい先日観た
絹谷幸二の作品は、同じフレスコ画の影響を受けながら有元とは対照的に活力に
満ち色鮮やかで、画家それぞれによる資質の違いが感じられて、興味深く思い
ました。

また有元の絵の代名詞とも言える、古風なドレスをまとったふっくらとした女性は、
劇場と思しい舞台の上に立ち、引き上げられた幕の下で様々な静的なポーズを
取っています。この悠久の時間が一瞬に凍結され、また永遠の時に還元される循環
を切り取るような表現が、有元の絵の魅力であると感じました。いずれにしても、そこ
からどのように彼の絵は展開したのかと思いを馳せると、改めてその早すぎる死が
惜しまれます。

他にも加賀の遺志を引き継いだ、アサヒビール株式会社初代社長山本為三郎が
「民藝運動」を支援した縁による、代表的な民藝の作家たちの工芸作品の常設展示、
安藤忠雄設計の「地中の館」(地中館)でのモネ、ピカソ、モディリアーニの作品展示
など、見どころの多い展観でした。

2018年2月26日月曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 土に帰らぬ「私たち」のゴミ」を読んで

2018年2月20日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「土に帰らぬ「私たち」のゴミ」と題して、エチオピアの人々が家や街中でゴミを土間の
床や空き地に無造作に捨てる様子を見て、最初は彼らの衛生観念の無さを思い
ながら、実は先進国と言われる国に暮らす我々の生活習慣の方に問題があるのでは
ないかと、現地で松村が感じたことについて、語っています。

先日の、鷲田清一「折々のことば」1018と関連した話題で、心に響くものがありました。

私たちの生活は、経済成長に伴う工業化の進展につれて、物質的にどんどん豊かに
なって行きましたが、それは取りも直さず工業製品の消費量が飛躍的に増えた、という
ことでもありました。あるいは、必要量以上の食品が供給され、有り余るそれらが無駄
に捨てられるということでもあります。

そのような状況の中で、捨てられる膨大なゴミが廃棄物の処理能力を超え、自然環境
にも悪影響を及ぼすようになったので、それを少しでも緩和するために、住民一人
一人が環境に配慮したゴミの減量を、求められるようになりました。

それに対してエチオピアでは、捨てられたゴミに環境を汚染する工業製品の廃棄物は
なく、また住民にとって必要量以上の余剰の食料品の廃棄物もないので、それらの
ゴミは無造作に捨てらても充分、自然環境に還元することが出来るということです。

総合的な判断からは、一概に言えないところもあるでしょうが、自然環境に対する
適合性という点では、エチオピアの人々の暮らしぶりの方が、私たちより遥かに優れて
いると、思われます。

自分たちの尺度や価値観だけを持って、相手を評価したり決めつけることは、独善に
陥るだけでなく、正しく物事を判断する目を鈍らせる。特に自分たちが先進的である
と自負している者に限って、そういう陥穽に陥りやすいのではないでしょうか?そんな
ことを感じました。

2018年2月23日金曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 贈り物に三つの義務」を読んで

2018年2月13日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「贈り物に三つの義務」と題して、バレンタインデーのチョコレートのプレゼントや
携帯電話でのメールのやり取りを例にとって、マルセル・モースの『贈与論』における
贈り物の三つの義務について語っています。

贈り物の三つの義務とは、与える義務、受けとる義務、お返しをする義務、ということ
だそうです。

私たちは他人に物をもらうと、反射的に何のためにもらったか考えてしまいます。
もし理由が分からなければ、もらうことに戸惑ったり、場合によっては辞退することも
あります。

何故なら、”只より高い物はない”とよく言われますが、理由もなくもらうことは、慣習上
の理解を超えることですし、不用意にもらってしまうと、その見返りとしてもらったもの
以上のものを要求されはしないかと、考え勝ちなのだと思います。

そこで連想するのは、テレビドラマの見過ぎかも知れませんが贈賄のシーンで、
利権を狙うずる賢い人間が、決定権を持つ公職に就く人物に賄賂を渡し、「相手に
受け取らせればしめたものだ」と、うそぶく場面です。このケースなども、三つの義務
の中のお返しする義務に関わってくるでしょう。

また逆に、人に何かをしてもらって大変嬉しく感じた場合、私たちは往々に感謝の印
として、相手に贈り物をしたくなります。これなどは、与える義務に関係しているの
かも知れません。

これらのことからも明らかなように、贈答は単なるもののやり取りではなく、そこに人の
心が関わってくるだけに、複雑な意味を持っているのでしょう。

最近はお歳暮、お中元などの簡素化が言われ、ものを贈り、贈られることも随分少なく
なってきましたが、大切なのは本当に贈りたいと思う相手に感謝の気持ちを込めて贈り、
受け取る側も贈る側の気持ちを汲んで受け取る、ということではないかと、この文章を
読んで感じました。

2018年2月21日水曜日

門井慶喜著「銀河鉄道の父」を読んで

第158回直木賞受賞作です。

まずこの作品を評するに月並みですが、宮沢賢治の父の視点から賢治の生涯が
描かれているのが新鮮でした。

何故なら言うまでもなく、国民的詩人、童話作家である彼の作品批評、伝記は数多く
刊行されていますが、一生を独身で通した彼の生家、肉親との関係をその内側から
見て、描き出そうとした試みは、初めてのように思うからです。

勿論この試みに価値が生まれるのは、賢治の創作の源泉が家族との関係性と深く
関わっているからです。小説という方法で想像力を膨らませた、彼の父の視点から
記された賢治の生涯は、以降の私たちの彼の作品理解に奥行きを与えてくれると
感じました。

まず全編を通して父の視点が読者に感受されるのは、賢治と父政次郎の関係です。
政次郎は、その父が傾いた宮沢家の家運を復興した質屋の二代目、小学校卒業後
家業に従事して商売を盛り上げ、財力も有り、町会議員を務める町の有力者になり
ます。

一方浄土真宗の熱心な信者で社会奉仕活動も行い、自身の子供に対しても厳格な
父親ではありますが、教育については開明的で理解もあります。そして何より、賢治
に対しては、子供の頃伝染病の隔離病棟に単身泊まり込んで看病するほど、溺愛
しています。

一方長男賢治は小学校の時は成績抜群、困った人に金を貸して生計を立てる質屋を
嫌って勉学の道に進もうとしますが、病弱な上、世間知らずで人付き合いも苦手、
仏教系の新興宗教に傾倒するなど、なかなか腰が定まりません。

政次郎に対してはその愛情を全身に受けながら、コンプレックスを感じ、その裏返しと
して父の仕事を嫌い、宗教上も対立します。

しかしこのような親子の関係を見て行くと、賢治の文学に通底する慈愛は、彼が父
から与えられたものの反映ではないかと、感じられて来ました。

賢治の創作に、家族の中で大きな影響を及ぼしたもう一人の人物である上の妹トシ
は、彼よりも利発な女性ですが、幼少より彼の鉱物探しに付き従い、長じて結核を
発病後は彼の献身的な看病を受け、彼に詩文の創作を促して旅立ちます。

トシの病臥と死が、賢治の中に溜まりに溜まった文学創造の力を解き放ったことから
も明らかなように、彼女は彼にとって文学上のミューズだったのでしょう。

最後に本作終盤の政次郎が孫たちに語る、賢治の詩「雨ニモマケズ」の解釈には、
少し違和感を感じました。彼は肉親に対してほとんど恬淡とした表面的な顔しか見せ
なかったかも知れませんが、その内心には、愛や社会救済に対する燃え立つ渇望
を抱いていたに違いありません。

2018年2月19日月曜日

鷲田清一「折々のことば」1018を読んで

2018年2月11日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1018では
仙台市環境局などが開催した《せんだい資源ナーレ》で、作品「SOURCE」に添えて
リサイクルの思想を書きつけた、美術家高谷廉の次のことばが取り上げられています。

 あなたが捨てたもので、あなたが作られている。

ものを捨てるという行動は、一見何気ないことのように見えて、実は深いものを含んで
いると、最近は感じます。

それこそ昔は、忙しさにかまけてためこんでしまったものを、無造作に一度に捨てると
いうことがよくありましたし、日々の生活の中でものを捨てる場合も、屑籠やごみ箱に
何も考えずに反射的に捨てるということが当たり前であったと、今は思います。

ところが昨今は、自然環境を守ることの大切さが色々な場で語られ、ゴミを処理する側
の地方公共団体も、ゴミの減量やリサイクルを奨励するようになって、私たちの中にも
環境保全の意識が芽生え、ゴミに対する考え方もだいぶ変化して来ました。

私にしても、仕事や日常生活の中で出るゴミを間違いなく分別して捨てること、あるいは
食品用のトレーなどのかさばるゴミを適当な大きさに切って、一つのゴミ袋に出来るだけ
効率よくゴミを詰め込むようにすること、更には一度に大量のゴミを出すのではなく、
分散して出すようにすることを、心掛けています。

そのように自分で実際に行動してゴミの減量を図ると、私の気持ちにも幾分変化が
起こったようにも感じます。つまり公共の一員であることをこれまでより意識するように
なり、またゴミの捨て方に注意を払うことで、日常の些細な行動に良い意味での心の
張りが生まれるといったことです。

上記の本日のことばの意味からは、少しずれているかもしれないけれど、私はこの
ことばを読んで、すぐにこんなことを連想しました。

2018年2月16日金曜日

国立国際美術館 ブリューゲル「バベルの塔」展を観て

オランダのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が所蔵するピーテル・ブリューゲル1世
の代表作の一つ「バベルの塔」と、ヒエロニムス・ボスの「聖クリストフォロス」「放浪者
(行商人)」を中心とする展覧会です。

まずこれらの世界的に貴重な作品が、日本のしかも身近な美術館で鑑賞出来ることを
喜びたいと、思います。

さしあたり展覧会全体を観ての感慨として、ブリューゲル、ボスの作品が地元ネーデル
ランド(オランダを含む)にあることは当然としても、彼らの代表的な作品が他にもオースト
リア、スペインなどに存在するとという事実から、かつて植民地の貴重な美術品が
ヨーロッパの旧宗主国に所蔵されていることとはまた違った、ヨーロッパ諸国の成立を
巡る複雑な歴史の一端を想像させられて、大変興味深く感じました。

この展覧会はボス、ブリューゲル登場の背景として、15~16世紀ネーデルランド絵画の
名品の展示から始まりますが、これらの絵画が相対的に堅実な彩色を施した硬く、緻密
な描写を特徴としているのに対して、確かにボス、ブリューゲルの作品はその伝統を継承
しながらも、構想、着想の奇抜さ、大胆さ、スケールの大きさにおいて、群を抜いています。
両者の絵画が、特別視される所以でしょう。

ボスの奇想は、私はついつい若冲などの日本の奇想と比較してみたくなりますが、日本の
画家の奇想が、ユーモアや熱情など感情のほとばしりとして出現すると感じられるのに
対して、ボスのそれは例えや比喩など、思念が暴走して生み出された産物と感じられて、
彼我のものの感じ方、考え方の違いを見る思いがして、面白く感じました。

ブリューゲルの版画からは、版画制作が時代の要請であったことと同時に、彼がボスの
影響を色濃く受けたことが分かります。後期の彼の絵画にも、ボスの観察眼や、発想は
脈打っているのでしょう。

かつて私はブリューゲルのもう一点の「バベルの塔」を、所蔵美術館であるウィーンの
美術史美術館で観ましたが、その絵画の塔の大きさに圧倒されたのに対して、今回の
作品では、その緻密さに感動しました。

画家は愚行でもある人間の営みを大所高所より俯瞰する一方、一つ一つの行為を慈し
み、その総体としての営為を誇らしくさえ感じています。雄大なスケールと、緻密さの見事
な融合に、神々しささえ感じさせられました。

オランダ美術の魅力を堪能出来る、展覧会でした。
                                  (2017年8月15日記)

2018年2月14日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1017を読んで

2018年2月10日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1017では
19世紀米国の思想家ラルフ・ウォルドー・エマソンの『自己信頼』から、次のことばが
取り上げられています。

 善良さにも、ある程度の気骨は必要だ―そうでなければ、善良さは何も生まない。

人間にとって善良であるということは、しばしば錦の御旗になると感じます。

例えばある人が善良であると言えば、それは最良の価値で、その人の人間性も
すべて素晴らしいと思ってしまい勝ちです。

でもここで語られているように、善良であるということには、それを保証する責任が
伴うのでしょう。

曰く、何か重大な過失が起こった時、善意の行為だから仕方がないというのは
言い訳に過ぎませんし、同様に善良ということも生半可なことや、かりそめのこと
では、かえって相手を傷つけるたり、貶める場合があるのではないでしょうか?

「善良さ」と大上段に構えると私にはうまく言い表せませんが、これを仮に「優しさ」と
すると、どうでしょう。

相手に対する「優しさ」も盲目的なものや、責任を伴わないもの、あるいは自分本位
なものや、その場限りのものは、決して相手のためにならないでしょう。むしろ相手に
本当の意味で「優しさ」を示すためには、厳しい対応や突き放すような姿勢が求め
られることもあるはずです。

同様に、人が善良であるためには、それ相当の覚悟が伴う。上記のことばを読んで、
それを肝に銘じたいと思いました。



2018年2月12日月曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 「アフリカは暑い」という願望」を読んで

2018年2月6日付け朝日新聞朝刊「松村圭一郎のフィールド手帳」では、「「アフリカは
暑い」という願望」と題して、文化人類学者である筆者が調査で訪れる、アフリカの
気候に対する私たち一般の日本人の先入観を例にとって、いつもと違う場に身を置き、
そこから自分たちを眺めることの大切さについて、語っています。

現代では通信技術の発達によって、私たちを取り巻く社会はすっかりグローバル化し、
家の中に居ながらにして世界各地の情報に接することが出来るようになりました。

そのため長年外国を訪れたことのない私なども、いっぱしの情報通の気分になって、
世界中の地域の気候風土がおおよそどんなものであるか、また今各地でどのような
政治問題や事故、災害が起こっているかなどを、最低限把握しているように感じて
しまいがちです。

しかし耳から入り、目から飛び込む情報や映像には、おのずと限界があります。体験
に基づかない情報の場合、私たちはついついそれを自分たちの尺度や思い込みで
整理して、都合よく解釈してしまうものだからです。特に日本が極東の島国であること
は、このようなものの見方を助長しているに違いありません。

例えば、ここで取り上げられている「アフリカは暑い」という命題も、私たちはこの大陸
の木々が鬱蒼と茂るジャングルや、野生動物がたわむれるサバンナの映像をしばしば
目にし、また干ばつや熱帯性の伝染病の蔓延のニュースに接して、アフリカに対する
イメージを固定化してしまい、それに当てはまらない情報がよしんば出て来ても、意識
に留めないか、例外的なこととしてやり過ごしてしまうのではないでしょうか?

では、このような偏狭なものの見方を少しでも緩和するには、どうすればいいのでしょう
か?ここで語られている現地から逆に日本を見てみるという、相対化された視点を持つ
ことが最善ではありますが、それは誰にでも容易なことではありません。

少なくとも色々な視点から著わされた書物を読み、またネットやメディアからもたらされる
膨大な情報を取捨選択する眼力を養い、柔軟なものの見方を鍛えることが必要なの
ではないでしょうか?

2018年2月9日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1013を読んで

2018年2月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1013では
作家須賀敦子の名随想「コルシア書店の仲間たち」から、次のことばが取り上げ
られています。

 私たちはすこしずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを
 知った

若い頃に感じた孤独は、圧倒的にさみしさや、絶望を伴うものでした。何故なら、
その当時この感情には必ず、焦燥や不安、現状への不満が付随していたからだと、
今は思います。

しかしいつの頃からか、落ち着いた、満ち足りた心の状態の中での孤独は、決して
悪いものではないと、感じるようになりました。そのような孤独は、私たちを内省や
他の人の心を思いやる気持ちに誘い、更には何か考えをまとめなければならない
情況などで、心に浮かんだ断片に一つの形を与えるのを静かに後押ししてくれると、
思うからです。

勿論今でも、時としてさみしさを伴う孤独感に苛まれることはあります。でも幸いにも
それは一過性で、現在の私にとって孤独は親しみ深いもの、それに包まれていると
居心地の良いものと感じられることが多いと、実感しています。

それは私が、ある程度の諦念を持って自分の人生を眺めるようになったからかも
知れませんが、長い年月の中で、様々な経験がそんな達観を私にもたらしたのだ
とも感じます。

ある時期私は、須賀敦子の自らの充実したイタリア時代を振り返る珠玉の随想本
のシリーズを、まるで渇きを癒すように読みふけったことがあります。きっとその経験
も、今日の私の孤独との対し方に影響を与えていると、上記のことばを読んで改めて
気づかされました。



 

2018年2月7日水曜日

龍池町つくり委員会 49

2月6日に、第67回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

冒頭の中谷委員長の連合会等の報告事項では、まず学区内の宿泊施設建設
問題、蛸薬師町の民泊建設では、町内住民全員参加で家主も含めた三者協定が
締結されるという進展をみました。

他方、柿本町の第二のホテル建設問題では、事業者の社長に直接、現状を訴える
手紙を送付し、それにより地元説明会に初めて、事業者側の責任ある立場の人物
が参加するようになったということです。ただ、重大な影響を受ける第二工事の近隣
三軒の住民への対処について、依然課題が残っています。

先日の連合会理事会で、京都市の担当者より、学区内の御池通り新町に和花の
花壇を設置する計画があり、地域住民にその世話の協力を要請する報告があり、
順調に推移すれば御池通り沿いに、同様の花壇を増やしていきたいということです。

過日実施された、「新春きものde茶話会」の参加者は、一般学区民11名、幼児・児童
2名、京都外大関係9名、龍池カルタ関係1名、町つくり委員7名、お手伝いの方2名の
合計30名で、着物レンタル数は、9着ということでした。マンション住民の参加者は
相変わらず少数で、地区運動会には多くの参加をみるのに、他の行事にはなぜ
参加者が少ないのかということが、また課題として残りました。

町つくり委員会が後援している、「歌声喫茶ユニオン」を開催している喫茶店が、
参加者の高齢化により、設備に不自由が出て来たので、代替の場所としてマンガ
ミュージアムの施設を使用出来ないかという提案が中谷委員長よりあり、澤野連合
会長からミュージアム側に可否を尋ねて頂くことになりました。

2018年2月5日月曜日

「佐伯啓思異論のススメ 自分なりの「死の哲学」は」を読んで

2018年2月2日付け朝日新聞朝刊、「佐伯啓思異論のススメ」では、「いかに最期を
迎えるか 自分なりの「死の哲学」は」と題して、先日の評論家西部邁の自死を
受けて、超高齢化社会の到来と共に、自分なりの「死の哲学」を持つことの重要性
について、語っています。

西部と個人的な親交があり、朝日新聞紙上に追悼文を寄せた佐伯によると、西部
の自死の要因の大きなものは、自身が病院で不本意な延命治療や施設で介護を
受けたくない、家族に介護上の面倒をかけたくない、というものであったということ
です。

これは正に、私たちもこれから否応なく直面せざるを得ない、高齢化社会の重大な
問題です。私も現実に親の介護を担いながら、時折その不安が頭をよぎります。

私の親世代の人たちの中には、自身がこれほど長生きするとは全然予想して
いなくて、人生設計が大きく狂ってしまったと、感じている人もあります。

核家族化による老夫婦だけの所帯から、伴侶を先に失い一人住まいとなって、
まだ元気なうちはいいですが、更に歳を重ねて身体に変調をきたし誰かによる
介護が必要となっても、それぞれの事情で今さら親族に頼ることも出来ず、また
現在の介護制度についても実感として十分な理解が出来ていないので、身の
置き所が分からず途方に暮れる・・・。そんなことを耳にします。

私たちの世代は親の姿を見ているので、介護を巡る現在の状況はある程度把握
出来ますが、さて自分が老齢になった時のことを考えると、医学は更に進歩し、
高齢化は更に進み、自分たちはどんな最期を迎えるのか想像だに出来ません。

私が今やろうとしていることは、体調管理によって健康を出来るだけ長く保つという
ことぐらいですが、この論稿の中で佐伯が語るように、これから残された人生の中で、
一体自分がどのような最後を迎えたいのかという、死についての確固とした価値観を
醸成して行くべき時期に来ていると、改めて感じました。

2018年2月2日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1006を読んで

2018年1月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1006では
1月10日朝刊のインタビュー「花で語る」から、華道池坊次期家元池坊専好の次の
ことばが取り上げられています。

 少なさは寂しいことでも貧相なことでもありません。

私は華道の全くの門外漢ですが、床の間などに生けてある花を見るのは好きです。

特に状況や場面にもよりますが、一輪の花が素朴な花瓶に生けてあるのを見ると
心が和みます。例えばその家の庭で今年初めて咲いた椿が一輪、無造作に投げ
入れてあるというような・・・。

さりげなさの中に心がこもっていて、その花を生けた方の、季節の便りを感じ取る
喜びを見る人と一緒に分かち合おうという思いが、伝わって来るように感じるの
です。

だから上記のことばには、素人なりに我が意を得た心持ちがしました。

最近は装飾用の花にしても、プレゼント用の花束にしても、私たちの生活空間が
洋風になっていることもあって、洋花で華麗に飾り立てたものが一般的になって
います。

それはそれで場に相応しく、私たちの心を晴れやかにしてくれるのですが、時と
して在来種を用いた飾り気のない生け花の醸す精神性や潔さが恋しくなるのは、
私がやはり、日本人だからでしょうか?