2018年2月5日月曜日

「佐伯啓思異論のススメ 自分なりの「死の哲学」は」を読んで

2018年2月2日付け朝日新聞朝刊、「佐伯啓思異論のススメ」では、「いかに最期を
迎えるか 自分なりの「死の哲学」は」と題して、先日の評論家西部邁の自死を
受けて、超高齢化社会の到来と共に、自分なりの「死の哲学」を持つことの重要性
について、語っています。

西部と個人的な親交があり、朝日新聞紙上に追悼文を寄せた佐伯によると、西部
の自死の要因の大きなものは、自身が病院で不本意な延命治療や施設で介護を
受けたくない、家族に介護上の面倒をかけたくない、というものであったということ
です。

これは正に、私たちもこれから否応なく直面せざるを得ない、高齢化社会の重大な
問題です。私も現実に親の介護を担いながら、時折その不安が頭をよぎります。

私の親世代の人たちの中には、自身がこれほど長生きするとは全然予想して
いなくて、人生設計が大きく狂ってしまったと、感じている人もあります。

核家族化による老夫婦だけの所帯から、伴侶を先に失い一人住まいとなって、
まだ元気なうちはいいですが、更に歳を重ねて身体に変調をきたし誰かによる
介護が必要となっても、それぞれの事情で今さら親族に頼ることも出来ず、また
現在の介護制度についても実感として十分な理解が出来ていないので、身の
置き所が分からず途方に暮れる・・・。そんなことを耳にします。

私たちの世代は親の姿を見ているので、介護を巡る現在の状況はある程度把握
出来ますが、さて自分が老齢になった時のことを考えると、医学は更に進歩し、
高齢化は更に進み、自分たちはどんな最期を迎えるのか想像だに出来ません。

私が今やろうとしていることは、体調管理によって健康を出来るだけ長く保つという
ことぐらいですが、この論稿の中で佐伯が語るように、これから残された人生の中で、
一体自分がどのような最後を迎えたいのかという、死についての確固とした価値観を
醸成して行くべき時期に来ていると、改めて感じました。

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