2018年2月26日月曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 土に帰らぬ「私たち」のゴミ」を読んで

2018年2月20日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「土に帰らぬ「私たち」のゴミ」と題して、エチオピアの人々が家や街中でゴミを土間の
床や空き地に無造作に捨てる様子を見て、最初は彼らの衛生観念の無さを思い
ながら、実は先進国と言われる国に暮らす我々の生活習慣の方に問題があるのでは
ないかと、現地で松村が感じたことについて、語っています。

先日の、鷲田清一「折々のことば」1018と関連した話題で、心に響くものがありました。

私たちの生活は、経済成長に伴う工業化の進展につれて、物質的にどんどん豊かに
なって行きましたが、それは取りも直さず工業製品の消費量が飛躍的に増えた、という
ことでもありました。あるいは、必要量以上の食品が供給され、有り余るそれらが無駄
に捨てられるということでもあります。

そのような状況の中で、捨てられる膨大なゴミが廃棄物の処理能力を超え、自然環境
にも悪影響を及ぼすようになったので、それを少しでも緩和するために、住民一人
一人が環境に配慮したゴミの減量を、求められるようになりました。

それに対してエチオピアでは、捨てられたゴミに環境を汚染する工業製品の廃棄物は
なく、また住民にとって必要量以上の余剰の食料品の廃棄物もないので、それらの
ゴミは無造作に捨てらても充分、自然環境に還元することが出来るということです。

総合的な判断からは、一概に言えないところもあるでしょうが、自然環境に対する
適合性という点では、エチオピアの人々の暮らしぶりの方が、私たちより遥かに優れて
いると、思われます。

自分たちの尺度や価値観だけを持って、相手を評価したり決めつけることは、独善に
陥るだけでなく、正しく物事を判断する目を鈍らせる。特に自分たちが先進的である
と自負している者に限って、そういう陥穽に陥りやすいのではないでしょうか?そんな
ことを感じました。

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