2017年6月30日金曜日

井上靖著「おろしや国酔夢譚」文春文庫を読んで

1782(天明2)年、伊勢を出航した船頭大黒屋光太夫率いる神昌丸が、暴風に翻弄され
北方アリューシャン列島の小島に漂着、10年の歳月を要して広大で過酷な気候を有する
シベリアを越え、当時のロシア帝国を往還して、全乗員17名中僅か2名が故国に帰還する
までを描く冒険譚です。

全編大陸の雄大な自然を背景としたエキゾチシズムに溢れ、異国に突然投げ入れられた
主人公たちの望郷の念に彩られた、独特の魅力を発散する小説です。

この小説を読み始めて私がまず感銘を受けたのは、8ヶ月にも及ぶ漂流の後、ようやく
小島に錨を降ろし上陸したのも束の間、夜半の北方の荒波で船体が砕け、最早この船で
故郷に帰る望みが絶えた時、最初深い絶望の淵に沈みながら、光太夫が気分を取り直し、
運を天に任せようと乗組員を鼓舞する場面。人間は如何なる困難に直面しても、気の
持ち方次第でそれを克服出来る可能性が生まれるということ。また優れたリーダーは、
不安に落とし入れられた人々を一致団結させて障害に立ち向かう力を生み出すもので
あるということを感得させられて、私自身これから現実の世界を生きて行く上での勇気を
与えられたと感じました。

その時点よりこの漂流民たちは、サバイバルと同時に鎖国した日本という狭い島国の
住民意識から、自立した人間としての精神を獲得する旅を生きることになります。

自然はあくまで侵しがたく、気候はこの上なく厳しく、見るものはずべて驚きに満ちて
います。ロシア人たちは、経済的利益を得るためにこのような厳寒の地にも果敢に進出し、
異国との交易を求めます。光太夫たちが、彼らが交流を希望する国出身の漂流民という
こともありますが、ロシア人たちはこの人たちを温かく迎え、光太夫らの訴えに誠実に耳を
傾けます。またロシアが当時の日本より遥かに科学技術に優れ、文明も発達していた
ことを、彼らは目の当たりにします。

しかし光太夫たちの生きる目的はあくまで、故郷に帰ることです。様々な事情でたった2人
となった彼らが日本に帰り着いた時、そこに待ち受けていたのは閉鎖的で事なかれ主義、
暗愚に満たされた故国でした・・・。

本作が執筆されてから約50年、最近は江戸時代の私たちの国の有り様が再評価されて
いますが、国際社会との交流の中で今なお存在する閉鎖性は、この時代の我が国の
政策と深く結びついているかも知れません。現代の日本と世界との関わり方についても
考えさせられる、名作です。

2017年6月27日火曜日

「福岡伸一の動的平衡 「記憶にない」ことこそ記憶」を読んで

2017年6月22日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では「「記憶にない」
ことこそ記憶」」と題して、「記憶にない」とはどういうことかを生物学的に考察して
います。

まず私たち科学に疎い人間は、記憶というとつい脳の内部に蓄積された形ある
情報のように感じてしまい勝ちですが、記憶とはそのような物質ではなく、脳細胞と
脳細胞をシナプスで連結した回路に電気が通るたびに「生成」される、形状をなさない
ものだそうです。

そう考えると、腑に落ちる部分があります。いわく、どうして私たちの記憶はまだら状に
失われるのか?どうして思い込みによる手前勝手な記憶違いが生じるのか?記憶と
いうものが、脳細胞と脳細胞を結ぶ頼りない信号に過ぎないからに違いありません。

その事実を踏まえて、「記憶にない」ことの考察が筆者らしく卓抜です。つまり「記憶に
ない」ことは、前後の記憶があってこそ認識出来る。記憶にないことが即ち記憶で、
”欠落は、欠落を取り囲む周縁があって初めて欠落とわかる。”と喝破しています。

加齢とともに記憶力が随分と頼りなくなった私自身を振り返ってみると、かつてはよく
ご来店頂いたのに少し間が開いて、久しぶりにお目にかかったお客さまのお顔は
はっきりと覚えているのにお名前がなかなか出て来なくて、お尋ねするのも気が引け
てばつが悪い思いをすることが、しばしばあります。

この現象なども、もっとも自分の不甲斐なさを取り繕おうとしているのでは決してありま
せんが、私の場合画像の記憶は鮮明で長持ちし、名前という文字の記憶はそれに
比べて失われ易いということではないでしょうか?

いずれにしても、「記憶にない」という持って回った言い方にうさん臭さがつきまとう
のは、十分ゆえ有ることであると、筆者の生物学的考察は雄弁に物語っているよう
です。

2017年6月25日日曜日

鷲田清一「折々のことば」791を読んで

2017年6月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」791では
民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」から、次のことばが取り上げられています。

 何も彼も知りぬいていて何にも知らぬ顔をしていることが、村の中にあるもろもろの
 ひずみをため直すのに重要な意味を持っていた。

かつて宮本常一が丹念に聞き取りをした、私たちの国の村落共同体で大切にされて
来た、皆が力を合わせて生きて行くための生活の知恵には、一読して深い共感を
持ったものでした。中でも、共同体における老人の力は、欠くべからざるものであった
と、記憶しています。

今日社会の移り変わりの速度は甚だしく、科学技術の進歩も急激であるために、
一定以上の年齢を重ねると、最新のテクノロジーについて行くことが大変になります。
それ故老人の蓄積された知識より、彼らが現代社会に対して感じている戸惑いの方が
クローズアップされて、社会に対する知恵という部分においても、老人の力が軽視
される傾向にあるのではないでしょうか。

しかし他方、インターネットなどの情報通信手段で得られる知識は、膨大で広範では
あっても、表面をなぞるような浅薄なものである場合が多く、実生活に有効な形で
役立つとは言い切れないことが往々にあります。

経験に裏打ちされた老人の意見には、こういう時代だからこそもっと耳を傾けるべき
ではないか?もちろん旧弊なものや、時代にそぐわないものは、受け取る側が慎重に
選り分けなければならないけれど、この激動の社会を長く生き抜いて来た人々に
蓄積された知恵に、私たちはもっと真摯に向き合うべきではないかと、このことばを
読んで改めて感じました。

2017年6月24日土曜日

国立国際美術館「ライアン・ガンダー この翼は飛ぶためのものではない」を観て

ライアン・ガンダーの名前は今回初めて知りましたが、国際的に活躍する注目の
現代美術家ということで、是非観ておきたいと思い、大阪の展覧会場に足を運び
ました。

さて主会場に入り作品を一通り観て回ったところ、個別には印象に残った作品も
ありましたが、何か全体としてどう消化したら良いのか分からないような、漠然とした
雲をつかむような気分に陥り、途方に暮れてしまいました。

それで、新聞の展覧会評にもアドバイスされていたように、上階で同時開催されて
いる、「ガンダーによる所蔵作品展ーかつてない素晴らしい物語」の方に、鑑賞を
中断して向かいました。

この展覧会は、国立国際美術館の所蔵作品を、この美術家が自ら配置を決めて
展示した興味深い展観で、お馴染みの館蔵作品が2点づつのペアーで並べられて
いました。

その組み合わせが絶妙で、私は特に、イサム・ノグチの「黒い太陽」という彫刻作品
と吉原治良の「無題」という絵画作品の並置に、日本人のDNAとでもいうような
共通の感性を感受し、ジョセフ・コーネルの「カシオペア#1」という小箱に天体が閉じ
込められたような精巧なオブジェとアンゼルム・キーファーの星空を現す荒削りな
絵画に、宇宙の神秘を感じるなど、見慣れた作品がガンダーのインスピレーションに
よって新たな息吹を与えられていることを、目撃しました。

この2つのものの比較から新しい感覚を呼び覚ます彼の方法論を頭に置いて、もう
一度主会場の作品を観ると、まずそれぞれの緩やかに区切られた展示室に設置
された作品たちが有機的につながっており、更には全体としても漠然とした結合性を
示し、鑑賞者はあたかも脳内世界を彷徨うような感覚にとらわれることに気づき
ました。今まで味わったことのない、不思議な美術体験でした。

個別の作品では、「イマジニアリング」、「何でも最後のつもりでやりなさいーシャー
ロット」、「何でも最後のつもりでやりなさいーマヤ」の、映像と写真、冊子状のものを
配置した抒情的で繊細な表現、くりぬかれた壁面から覗き込む、広々とした白い空間
一面に夥しい黒い弓矢が突き刺さったような、静寂かつ胸騒ぎを起こさせる情景展示
が、印象に残りました。


2017年6月20日火曜日

「福岡伸一の動的平衡 家を持つ自由持たない自由」を読んで

2017年6月15日付け朝日新聞朝刊、「福岡伸一の動的平衡」では、「家を持つ自由
持たない自由」と題して、ナメクジとカタツムリが自然界に共存している現実に例えて、
持ち家が得か、賃貸が得かという、住まいを巡る我々の永遠の懸案に、筆者らしい
ウイットに富んだヒントを提供してくれています。

まず驚かされたのは、進化の順序は、殻を持つカタツムリが先で、殻を持たない
ナメクジが後ということ!つまりカタツムリの一部が殻を捨てて、ナメクジになったと
いうことです。

すなわち、カタツムリが殻を作り維持するためには、大量のカルシウムの摂取と
エネルギーが必要であり、それに対して殻を脱ぎ去れば身軽で、隙間に潜り、難を
のがれることも出来るという訳だそうです。これはまるで、現代流行りの断捨離、
省力化と言ってもいいのではないでしょうか?

でも嬉しいのは、カタツムリがみんなナメクジになった訳ではないということ。そう、
殻を持ってるやつも、持ってないやつも、それぞれが自然界に適応して生き続けて
いるということです。

それぞれが共存して生きていられる自然界の懐の深さ。あるいは、色々な生物が
共に生息する種の多様性こそが、自然の豊かさなのでしょう。

人間界でも、様々な人種、宗教、思想、年齢、職業、生き方、価値観の人々が、共に
互いを尊重し合って暮らすことが出来る社会が、健全な社会であるということと、同じ
ことなのでしょう。

それにしても我が家の庭でも、ナメクジは相変わらずよく目にしてうんざりしますが、
昔はいたカタツムリはまったく見かけなくなりました。少し寂しい気がします。

2017年6月18日日曜日

「後藤正文の朝からロック 「日本すごい」どころか・・・」を読んで

2017年6月14日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「「日本すごい」
どころか・・・」と題して、筆者が三味線を初めて手にして戸惑う様子が記されています。

現代の日本では音楽と言ったら洋楽が中心で、たとえミュージッシャンといえども、
三味線のような邦楽器に馴染がない人がいるのも無理はないことでしょう。それこそ
一般の人々には、ますます縁遠いものに違いありません。

同様に和服も、普通の人の感覚では、随分に馴染の薄いものになってしまいました。

しかし衣食住は文化の根底をなすもので、和服は長い年月私たちの服装であった
ので、この国の文化と和装は切り離せないつながりを持って来ました。

私のような京都暮らしの人間の身近な例として、住まいという点から見ても、畳敷きの
日本家屋は、和服で暮らすのに適するように作られていますし、日本庭園は、和装の
歩幅で歩きやすいように飛び石が配置されています。

もっと文化的な側面から見ると、儀式的な部分では今なお和服で執り行われる行事が
多く存在しますし、伝統芸能や芸道の世界では、和装が前提であることは、言うまでも
ありません。

文学においても、江戸時代以前は言うに及ばず、先日まで新聞連載された一連の
漱石の作品でも、着物の種類や着こなしで登場人物のキャラクターを生き生きと描写
する場面が、しばしば見受けられました。

ここしばらくの間に、日本人の生活習慣は随分変化しましたが、まだまだ私たちの心の
中には、和服の文化が息づいているはずです。一般の人々がもう一度その良さを
見直していただくお手伝いをすることが、我々に残された役割の一つではあります。

2017年6月16日金曜日

国立国際美術館「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展を観て

イタリア・ルネサンス期の絵画というと、まずフィレンツェのそれを思い浮かべます。
しかし同じ頃ヴェネツィアでも、豊かな芸術上の達成がなされたといいます。日伊
国交樹立150周年を記念して、アカデミア美術館所蔵の名品による、ヴェネツィア・
ルネッサンスの絵画展が開かれるということで、大阪まで足を運びました。

会場でまず私を迎えてくれたのは、ヴェネツィア・ルネッサンスの祖といわれる
ベッリーニの「聖母子(赤い智天使の聖母)」、初期のフィレンツェ・ルネッサンスの
絵画が全般に色彩豊かで、生の喜びに満たされている印象を与えると同時に、
いくらかまだ初々しく硬い感じを受けるのに対して、この作品では画面上部の雲に
乗っかっている赤い天使たちが、表現として洗練される以前の直接性を示しながら、
全体として色彩の対比が素晴らしく、聖母子の表情、ポーズも聖性を帯びてなお
現実の人間らしく生き生きとして、時代を超越した高い完成度を感じさせます。

この一作品を観るだけで、ヴェネツィアとフィレンツェのルネッサンス絵画の特徴の
相違を、端的に理解することが出来るように感じました。

ヴェネツィア・ルネッサンスを代表する画家ティツィアーノが活躍する時代になると、
この地の絵画はより躍動感に満ちた、大胆かつ劇的な表現、詩情豊かで感覚に
直接訴えかける傾向を強め、本展の目玉である4mを超える大作ティツィアーノ
「受胎告知」は、天上には神の啓示を示す光り輝く白いハトの周囲を天使たちが
寿ぐように乱舞し、地上ではマリアがガブリエルから神の子の宿りを告げられる
その瞬間を、力感溢れる強い筆致で劇的に描き出しています。まるで観る者を
圧倒するような迫力ある表現です。

後期のティントレット、ヴェロネーゼ、バッサーノになると、一つの画面でより多くの
ことを語ろうとして説明的な要素が詰め込まれ、その結果煩雑な印象を与える
作品が多いように感じられます。私は盛期の作品にシンプルさという意味でも
魅力を感じました。

ここまで作品を観て来ると、歴史上西洋の芸術表現というものが、キリスト教に深い
部分で規定されて来たものであることが、改めて見えてきます。ルネッサンスという
人間精神の復興が叫ばれた時代でさえ、表現の対象の中心はキリスト教に題材を
得たものであったのです。

そう考えると私たち東洋人がこれらの宗教画を観て、西洋人と同じ種類の感銘を
受けるのかは分かりません。しかし西洋の人々が、このような精神的な土壌の上に
今を生きていることを理解することは、意味があるでしょう。また彼我の違いを超えて、
同じく美しいものに感動出来るという気持ちを共有することにも、意味があるに違い
ありません。

これがすなわち、美術を通じた国際交流ということなのでしょう。

                                     (2016年11月23日記)

2017年6月14日水曜日

鷲田清一「折々のことば」778を読んで

2017年6月8日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」778では
フリーの編集者姜尚美の「何度でも食べたい。あんこの本」から、大阪の和菓子屋
「河藤」の先代店主の次のことばが取り上げられています。

 小さいからってこんな手間かかってるもんになんでこんな安い値段つけなあかん
 ねん!

そう言えば三浦清商店の初代店主の私の祖父が、店の奥から、店先で値切る玄人の
お客さんに応対している若い店員に、「値切らはるんやったら、帰ってもらい!」と叫んで
いたのを、思い出しました。今となっては、隔世の感がありますが・・・

値打ちのあるものを適正な価格で販売する。値切られたらすぐに安くするようでは、
店の信用に係わる。そんな思いがあったのでしょうが、今日では、そんな風にしつこく
値切るお客さんも無くなりました。商慣習の変化とも言えるでしょう。

でもその頃の商売人というものは、大抵の場合商品の値打ちを知っていて、それに
見合う値段を推し量りながら、同じ値切るにしても価格を提案していたと思います。
もしそうでなければ、商売上で売り手に相手にされないし、良い品物を適正な価格で
入手することが出来ない訳ですから。

話は飛んで、最近の和装業界では販売不振で商品がだぶつき、その上金融品も出回り、
品質に相応しい適正な価格が分かりにくかったり、あるいは小売り段階では、今なお、
私たちが考える商品の価値をはるかに超える高額で、販売がなされるようなことがある
ことも、耳にします。

私たちの店では、一般消費者の方に向けては、あくまで誂え染めという一点生産ですが、
品質に納得の頂けるものを適正な価格で提供するというポリシーを、これからも守って
行きたいと考えています。

2017年6月12日月曜日

「後藤正文の朝からロック 沈黙の深み」を読んで

2017年6月7日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「沈黙の深み」と
題して、音楽における休符の重要性、言葉における言わないこと、書かないこと、黙って
いることの大切さについて語られていて、心に残りました。

音楽の休符の役割については、私は門外漢で想像もつかないけれど、人と対話する
ときの沈黙や、文章を書くときの書かれざるものの重要さは、それなりに分かる気が
します。

まず接客が重要な部分をなす私の仕事では、勿論基本は取扱い商品についてお客さま
の希望を真摯に聞き、ご要望にそう商品の情報を出来るだけ正しくお伝えして、満足の
ゆく選択をして頂くことですが、その話を進めて行く過程で、言葉のやり取りの間に、
お客さまが商品を見比べ決断をされるまでの時間、あるいは逆にどの商品を選べばいい
かアドバイスを求められたときに、お客さまの抱いておられるイメージも考慮に入れながら、
満足のいく選択を促す助言を加えるための適度な間など、ちょっとした沈黙が重要な
意味を持つことがあると、実感します。

あるいは仕事に限らず会話の中で、相手にあることを伝えようとするとき、一気呵成に
説明するよりは、相手の反応を見ながら説明する方が、内容がずっとよく伝わりますし、
会話の中の間が、互いの感情の交感を醸成することもあります。

対話における言葉のやり取りの間は言わずもがな、文章における行間の効果は、さらに
重要な意味を持つでしょう。私も説明的な文章ではなく、ものを書いて自分の思いを人に
伝えようとするとき、実際に書き込む言葉によって思いを伝えることの困難をしばしば
実感します。そしてごくまれに思いが伝わる文章を書くことが出来たと感じるのは、自分が
書いた直接の言葉ではなく、決まって行間からその思いが立ち上って来るときなのです。

大切なことは目には見えないのだ、という言葉をふと思い出しました。

2017年6月10日土曜日

鷲田清一「折々のことば」776を読んで

2017年6月6日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」776では
ある死生観を信じ、安んじて死を迎えられるとはどういうことか、ということに
ついて、倫理学者大町公の著書「生きられた死生観」から、次のことばが取り
上げられています。

 暗闇に、かすかな光を見る、いや、見えるような気がする。

自然の事象や、煩わしい人間関係から切り離され、万事において生きることの
刹那に、合理的な目的を必要とするようになった私たちは、必然死という現実の
生活の突然の遮断から切り離されて、その日その日を過ごすこととなりました。

それ故私も、例えばテレビのニュースや新聞記事で人の死に触れても、何か
よそ事で、かろうじて親しい人の葬儀の場で変わり果てた故人の姿を眼前にし、
遺族の悲しみに接した時に、死ということにしばし思いを巡らせるにしても、
なかなか自分自身の死の瞬間がどのようなものであろうか、ということについて
まで思いが及ぶことはありません。

だから実際の自らの死に直面した時、私がどのように感じ、どのように振舞う
のかは、想像だに出来ません。

古来死に行く人の心の準備を助け、此岸へとスムーズに誘うために、宗教という
ものが存在したのだと思いますが、最早私自身は、全面的にそれに身をゆだねる
には、無垢で素朴な心を失い、雑念に支配されていると感じます。

ただ死ぬことによって全てが無になるのではなく、地球という生態系全体で考えた
時、肉体から分解された分子が何らかのかたちで次代の物質を形作ることを
信じて、死の瞬間に虚無と絶望から脱することが出来たらと、密かに念じるのみ
です。

2017年6月7日水曜日

龍池町つくり委員会 41

6月6日に、第59回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回は、日頃ご協力頂いている京都外国語大学南ゼミが、当委員会とどのような
関わりを持って活動をしているかということを記録するという目的で、外大側から
映像収録のカメラが入り、それに伴い、オブザーバーとして外大の学生さんにも多数
参加して頂きました。委員会での討議内容も盛り沢山だったので、かいつまんで報告
いたします。

今年度の当委員会とジョイントした、外大のイベント企画の提案が南先生からあり、
テーマは「龍池 大原 いま むかし」写真展ということで、この秋に龍池学区、大原
地区の日々の暮らしなど馴染のあるものを中心とした昔の写真を集め、京都国際
マンガミュージアム(旧龍池小学校)、大原学舎のそれぞれの場所で、同一の写真展を
開くというものです。

ターゲットとしてはお年寄りを対象に、それぞれに展示された写真を観て回ってもらう
ことによって、建物にまつわる思い出を引き出し、また展示期間中に龍池、大原の今に
ついて考えるイベントを開催することを通して、人々の交流を図るというものです。

実際の開催には、龍池地域から大原までの足の便の問題、昔の写真を集めるに際し
てのお年寄りとのコミュニケーションの取り方の問題など、色々障害もありますが、
具体的には、これからの検討課題ということになりました。

浴衣祭りについては、告知ポスターも完成して、森さんより開催に向けた説明があり、
屋台、似顔絵コーナーはマンガミュージアム、かき氷コーナーは体育振興会、売店は
少年補導委員会、テント設営は体育振興会と消防団が担当、ちまき売りは御所南
小学校、環境整備は御池中学の生徒さんに、またその他の手伝いを京都外大の学生
さんにお願いすることになりました。委員会メンバーも含むスタッフは午後5時集合と
いうことです。

次に、学区内で子供服店「キュート」を経営する本城さんより、自身が係わる「子供と
行こう!祇園まつり2017」という活動についての説明と協力要請がありました。

この活動は、母親と小さな子どもが祇園祭をもっと気軽に楽しめるように、祭りの地域に
授乳や着替えが出来る子供ステーションやトイレを設け、それらの利用を促すとめに
マップやウエッブの情報ページを作成するというもので、祇園祭に欠けていた子供連れ
への配慮に新たに目を向けるという意味で、若い人の発想に我々も大いに学ぶところが
あると、感じさせられました。

2017年6月4日日曜日

藤原辰史著「ナチスのキッチン「食べること」の環境史」を読んで

第1回(2013年度)河合隼雄学芸賞受賞作です。

私は家政学や栄養学、建築学に明るくないので、正直本書をどこまで理解出来たか、
分かりません。しかし読んでいて、大きな刺激を受けたのは確かです。以下そんな
素人の読者の感想を記してみたいと思います。

まず私にとっては、近現代史をこのような方法で読み解くことが出来るのかということが、
新鮮な驚きでした。なぜなら従来の経験からは、特に近現代史は国際関係や政治、
表立った社会の動きから、大きな流れに沿って捉えるものと、理解していたからです。

しかし本書は、キッチンという元来家庭内の私的な空間にひっそりと存在して来た
場所の、歴史的変遷を主題に据えることによって、これほど鮮やかにドイツにおける
近現代史を浮かび上がらせてみせたのです。私にとってこの読書は、一つの価値の
転換を促す体験でした。

さてこの本を読んで、身近に引き付けたところからまず感じたことは、今日私たちの
家庭でも日常のありふれた存在となり、現代的な生活の象徴となっているシステム
キッチンが、第一次世界大戦後のヴァイマル時代のドイツで、女性の自立のための
家事労働軽減を目的に誕生した事実から一目瞭然の、同じ全体主義という政治体制の
下、第二次世界大戦を枢軸国として戦った、日独両国の科学的近代国家としての
成熟度の差異です。

戦前戦中の我が国は、対外的には強力な軍備を有するアジア一の強国という地位を
築いていましたが、その反面国民一人一人の次元ではまだ多くの場合、生活や思想
心情において古い価値観を引き摺り、科学的思考や女性の地位向上という考え方は、
広く一般に認められるものではなかったと、思われます。

その当時においてドイツでは、家事というものを家政学や栄養学、建築学を駆使して
科学的に分析し、産業化も含め労働の合理化、省力化が追求されていたのです。

また外部から見れば、強制収容所の狂気に目を奪われ勝ちのナチズムも、キッチンと
いう視点から見ると、健康志向とエコロジーや合理性の追求という新たな相貌を現し、
これらの考え方はナチスの思想と深く結びついていることも、私にとっては大きな驚き
でした。

しかしこの現実は、ヴァイマルに始まる先進的で民主的な政治体制が、全体主義の
悪夢に変質する過程を示すものであり、我が国のような政治的に未成熟であった国が、
全体主義に押し流されるのとはまた違う、政治的な複雑さの帰結でもあります。

歴史理解の一筋縄ではいかぬところを、示してくれる好著です。

2017年6月2日金曜日

我が家の坪庭で巡り合った、生き物たち

昨夜、雷を伴った激しい雨が降り始め、坪庭に面した通路を急ぎ足で歩いていた
ところ、壁ぎわに小さな昆虫がへばりついていました。

ゴキブリに違いないと思い、近づいて目を凝らすと、何と小さな黒いクワガタムシ
でした!京都御苑から飛んできたのか?あるいは誰かがペットとして飼っていた
虫が逃げ出して来たのか?どこから来たのかは分かりませんが、こんな街中の
小さな庭で思わぬ生き物に遭遇して、何か楽しい気分になって、そのクワガタを
注意深く摘み上げて、雨の直接降りかからない庭の葉陰の枝につかまらせて
やりました。

思い返してみると長い年月のうちに、こんな都会の片隅の小さな庭でも、私は
色々な生き物と巡り合って来ました。まず昆虫では、ダンゴムシは春先から活発に
這いまわっていますし、時にはアリが大量に発生して閉口します。モンシロチョウ、
モンキチョウ、アゲハチョウ、アオスジアゲハ、クロアゲハは、時折ふわふわと
舞い込んで来て、目を楽しませてくれます。夏のセミの鳴き声はうるさいぐらいで、
暑さを増幅させるようです。秋には一時、美しい虫の鳴き声が耳をすませば聞こえて
来ます。

ある年の正月には、車の往来も少なく街が静かなためでしょうか。一羽のシラサギ
が、悠然と私の家の大屋根に佇んでいました。庭の椿が咲き始めるとどこで情報を
仕入れるのか、つがいの可愛いメジロが鳴き交わしながらせわしなく枝を飛び移り、
花の蜜を吸っています。梅の花が咲いた時も彼らは必ずやって来ます。他にも
シジュウカラや、何とウグイスにお目にかかったこともあります。ヒヨドリも千両の
実を食べに来て、庭の奥まった植木に巣を作ったこともありました。

庭に母の田舎の伯母さんからいただいたアマガエルを放して、雨の前の鳴き声を
楽しんだり、台風の後の庭先に、突然長い体を横たえてキョトンとした表情で舌を
動かすアオダイショウを発見して、肝を冷やしたこともありました。そう言えば大雨
の後、店の三和土にカメがのこのこと入って来て、これは縁起がいいのかと、虫の
いい期待を抱いたこともあります。

長い年月には色々な出会いがあったのだと、改めて思い出しました。