2022年11月30日水曜日

白洲正子著「西行」を読んで

昭和61年4月号から昭和61年12月号までの間、「芸術新潮」に連載されたものをまとめた作品です。 ずっと本箱に眠っていたのが、この度自宅兼店舗を建て直し、そのための本棚の整理で再発見し、 ようやく読むことになった書籍です。 西行については、「願わくは花のしたにて春死なん・・・」の有名な歌こそ知っていますが、その 生涯や人となりはほとんど知らないので、当時この本を購入したのだと思います。また、日本の 文化に造詣の深い風流人である白洲正子が著者なら、この人物の深いところを知るのに打ってつけ であると、考えたのだと推察します。 さて、武士時代には格段身分が高い訳ではなく、23歳で出家して風流の道を歩んだ西行は、歴史の 表舞台という側面では、何ら際立った功績を残してはいません。しかし彼が詠んだ数々の名歌は、 文芸史上に燦然と輝いています。 当然白洲の西行探求は、彼の和歌を中心に据えたものとならざるを得ず、更にはその探求方法と して、彼女は実際に現地を訪れて彼の足跡を追う方法を、選んでいます。 それに従って読者も西行の足取りを追体験することになりますが、まず気づくことは、彼が表舞台 からはリタイヤしながら、それを全く遮断する訳ではなく、案外その影響関係の中に生きていたと 感じられることで、当時の出家が一般的にどのようなものであったか分かりませんが、少なくとも 彼の場合は、一心に仏道に帰依するというよりは、世間の煩いから一定の距離を置いて、ひたすら に感性を磨き、好きな歌の道を追求することが、仏の心に通じると感じていただろうことです。 この彼の一貫した信念を、白洲は数寄に徹した生涯と呼んでいるのだと思われます。 このように考えると西行の生涯において、多くの場合気の向く方角と見えるような移動を重ね、 各地に庵室を構えていることも、ただ風狂の赴くままと理解出来ますし、彼の謎に満ちた行動に 一定の整合性が生まれるようにも思われます。 しかし彼の傑出した人物たる所以は、これほどの作歌に徹した一生でありながら、いやそれ故に、 晩年にはより自由な境地に至り、天衣無縫の秀歌を生み出していることで、彼の生涯がある意味 日本人の精神的な理想を体現するものであると、改めて感じられました。 ただ、本書はあくまで白洲正子の解釈による西行の生涯であり、歌以外に文献の少ないこの人物に ついては、これからも色々な解釈が生まれる可能性があるに違いありません。それもまた、楽しみ ではあります。

2022年11月25日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2515を読んで

2022年10月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2515では 哲学者・鶴見俊輔の初期の論考「言葉のお守り的使用法について」(「思想の科学」創刊号) から、次のことばが取り上げられています。    言葉のお守り的使用の盛況は、合理的思索の    衰勢を意味する 鶴見は「自身の社会的立場を守るために、権勢をふるう人たちの価値観を表す言葉を自分の 上にかぶせるような言葉遣いを、「お守り的使用」」と呼んだそうです。例えば戦後なら 「民主」や「自由」など。 自分で考え、実践することを提唱した、いかにもこの哲学者らしい物言いだと思います。 何も難しく考えなくても、自分に引き付けてみれば、これはうなずけることだと思います。 例えば私なども、社会的なことを話題にする時、深く考えず「民主」や「自由」を錦の御旗 にして、いかにもそれが正当なことのように、語っていたことがあると思います。 これは、この「民主」や「自由」の概念が、私たちが実際に革命などを通して獲得したもの でなくて、敗戦後米国によって与えられたものであることも、大きく関係しているのではない かと、推察されます。だから私たちは、これらの言葉を載せれば支配的価値観から逸脱する こともなく、また、高尚な物言いが出来ていると感じるのではないでしょうか? でも鶴見の言うように、無自覚にこれらのキーワードを使っているうちは、真の自分固有の 思考にはならないでしょう。「民主」や「自由」とはそもそも何かということから、掘り下げ て行かなければならないのだと、思います。

2022年11月16日水曜日

富岡多恵子著「ひべるにあ島紀行」を読んで

著者のアイルランド旅行をモチーフにした、当地に没した「ガリヴァー旅行記」の作家スイフト の生涯に思いをはせながら綴った、思索的な小説です。 私は、アイルランドという国にも、スイフトにも明るくないので、本書がその前提の下に語り掛 ける物語の深い意味を、どれだけ理解出来たか分かりませんが、本書を読んでかえって、知識が 乏しい故の発見、驚きはあったと感じられました。 まず第一は、スイフトという人物の多面性について。彼は高位の聖職者であり、かつ作家でした。 それ故社会批評をはらむ彼の著作は、匿名で発表されざるを得ませんでした。「ガリヴァー旅行 記」でさえそうでした。 私は子供の頃に、児童読み物としてのそれしか読んだことがないので、本書を読んで、このファ ンタジーと思っていた物語の捉え方が変わりました。 それのみならず彼は、「ドレイピア書簡」という、当時アイルランドを搾取していたイングラン ドを痛烈に告発する書簡を発表して、イングランド当局ににらまれています。 どうして彼はこのような行動に出たのか?それは彼が、恐らく血縁の関係で結婚を阻まれた、 一人の女性との「激しい友情」とも関りがあると推察され、また、アイルランドの厳しい気候風 土に起因しているとも、思われます。 本書の著者富岡多恵子は、実際に現地に滞在して時空を超えた幻想の世界をさまよいながら、ス イフトの怒りや絶望の根源にあるものを、あぶり出そうとします。その過程がスリリングでした。 更には、、当時のアイルランドの貧困と窮状へのスイフトの憤りは頂点に達し、彼は貧困層の 多産する子供を、一層食材として供してはどうかという狂気じみた提案もしています。その皮肉 を突き抜けた提案を受けて、富岡の心は架空の国家ナパアイ国に飛び、幼児性愛のおぞましい現場 を幻視しますが、本書が書かれた当時のみならず、今現在でも繰り返される性的目的による児童 虐待の凄惨な事件は、私たちが目を背けたくなる人間のどうしようもない性を、示しているように 思われます。 決して結論が示されている訳ではありませんが、人が生きていくことのたとえようのない哀しみ、 しかし、それでも生きて行かなければならない現実が、肯定感を持って示されているように感じ ました。 またフィッシュマンズセーターのエピソードも、工芸というものの原点を示しているようで、印象 に残りました。

2022年11月11日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2495を読んで

2022年9月11日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2495では NHKテレビのドラマ「あなたのブツが、ここに」(脚本・櫻井剛、第8回)から、登場人物 の宅急便ベテラン社員の次のセリフが取り上げられています。    みんな生き残んのに必死なんや。数の問題ち    ゃうぞ。一個一個が切実なんや。 大量の荷物に音を上げた、シングルマザーの新米宅配員の愚痴に先輩が答えた言葉、だ そうです。 そうコロナ禍は、様々な仕事に携わる人々に、深刻な影響を及ぼしました。客足が途絶え 経営難に陥る飲食店。その他にも売り上げが極端に減って、先行きに危機感を持つ商工 業者、旅館観光業者が多数存在しました。 そうかと思うと、医療関係者は多忙を極め、前述の宅配業者なども過重労働に悲鳴を上げ たい人が多数いたことでしょう。 でもそれぞれがこの過酷な条件の中を必死に働く、いや生きるしかない。皆がそういう 思いであり、現在もそういう状況が続いている人が大勢いるでしょう。 私たちの店なども、コロナ以前の状況には遥か及ばず、このような状態がいつまで続くの かと、不安を感じることもあります。 でも先々の回復を信じて、今は歯を食いしばり皆で頑張って行くしかない。そのような 決意を新たにしている時に、上記の言葉は胸に刺さりました。

2022年11月5日土曜日

「鷲田清一折々のことば」2459を読んで

2022年8月5日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2459では 英国の思想家R・クルツナリックの『グッド・アンセスター』から、アパッチの格言の次の ことばが取り上げられています。    「我々は先祖から土地を受け継ぐのではな    い。子供たちから土地を借りるのだ』 この格言を引きながら、思想家は、私たちが「よき先祖」であったかを最終的に評価する のは、未来のすべての子供たちなのだ、と言います。 なかなか深い言葉であると思います。例えば環境問題が正にそう。 私たち現在の世代が環境破壊や汚染を進行させると、大きな被害を受けるのはつまり、未来 の世代です。 今現に地球温暖化による様々の悪い影響が、世界各地で確認されていますが、このまま環境 破壊が進むと最早取り返しのつかない状況に陥ることになります。そうなってしまってから 慌てても、対処のしようがありません。 結局未来の子供たちが、先祖である私たちの所業を嘆くことになってしまいます。現在を 生きる私たちは、自分たちの欲望や快適さ、経済効率を追求するだけではなく、持続可能性 に考慮することによって、未来の世代への目配りも忘れないようにしなければならないで しょう。 それは将来の人類への配慮だけではなく、地球環境を構成している全ての生き物への目配り であるべきです。 このことばを読んで、改めてそのことを強く感じました。