2021年10月29日金曜日

店舗兼自宅の建て直しで、思ったこと④

いよいよ、引っ越しの当日が近づいて来ました。大部分整理を済ませ、梱包をしたつもりなのに、 最後にはまだまだ引っ越し先に運ぶべきこまごましたものが残っていて、前日のぎりぎりまで 荷造りに追われました。我ながら段取りが悪いと、自嘲気味に夜遅くまで作業を続けました。 引っ越しは仮店舗と仮自宅の2か所になるので、1日目は仮店舗、2日目は仮自宅と、2日間の日程 で行いました。 まず1日目の仮店舗への引っ越しでは、その建物が20坪余りの2階建ての京町家で、仮自宅が手狭 なために、新しく建てる店舗兼自宅の自宅部分に置く家具類もこちらに移したとはいえ、十分に 収まると思っていた旧倉庫の商品が私の想定以上に多くあって、一時は2階部分にそれらが収納 出来るか危ぶまれるほどでした。結局3トントラックで3回の運搬が必要で、朝から始めて午後7時 頃までの時間を要し、引っ越しの運送会社も当初の3人の要員に、更に3人の助っ人を追加して 対応してくれて、ようやく作業が終わりました。 私自身は、最近の需要の減少から、随分と商品の在庫を減らしたつもりなのに、今なおこれだけの 量の商品があるのを目の当たりにして、改めて驚くと共に、私たちが携わる各種白生地卸・切り 売りという商売が、今更ながら多種多量の在庫を必要とすることに、気づかされました。 翌日の仮自宅への引っ越しでは、家具類は仮店舗に一時保管することにしたように、予め手狭な ことが分かっていたので、運び込む荷物の量をかなり絞り込んだつもりでしたが、2LDKのマン ションの部屋は、ことのほか狭く、収納スペースも少ないので、荷物を入れると当初は身動きも 取れない有様で、それらの荷物を選り分け、効率的に組み合わせて積み上げるなどして、ようやく 寝るためのスペースを確保する有様でした。 今までの店舗兼住居が、如何に余裕のあるスペースであったか、そしてその環境に甘えて、私たち が如何に深く考えることなくものをため込んでいたかということを、いやがうえにも実感させられ ました。 しかしそれと同時に、そのようなゆとりのあるものたちに囲まれて暮らす生活が、最早私にとって は贅沢に過ぎないことに、今更ながら気づかされました。

2021年10月25日月曜日

ジュンバ・ラヒリ著「停電の夜に」を読んで

1900年代末鮮烈なデビューを飾った、インド系のアメリカの女性作家の短編集です。 全編を読んで、多様な視点からの繊細な語り口に魅了されますが、日本人読者としての私が 特に新鮮に感じたのは、文化も生活習慣も全く違うアメリカで暮らすインド人家族の、その 社会への違和感や融け込むまでの心の揺れを、的確にすくい上げていることです。 これは単一民族を前提とする、似通った価値観、生活習慣を共有する国民が、狭い島国に ひしめき合って暮らす、私たち日本人にはなかなか実感することの出来ない心情で、また それ故に、小説という形でこのような疑似体験を得ることは貴重であると、感じました。 更に、今日の社会のグローバル化によって、私たちが国際的な感覚を身に付けることの必要 性が痛感される中にあって、このような文学がこの国で広く読まれることは、有意義なこと であると感じられました。 さて気になった個別の作品について記すと、まず表題作「停電の夜に」。妻が死産を体験 して関係がギクシャクして来た夫婦。夫は学生の身分で、妻の稼ぎで生活を維持している ことも、夫婦仲に影を落とします。たまたま、二人が住んでいる地域の電気工事のために、 5日間だけ夜の1時間自宅が停電するといいます。その時間に二人は、テーブルの上にロウ ソクをともし、1日それぞれ一つづつ互いに心に秘めていたことを打ち明け合うことにし ます。異国の地で懸命に良き家庭や社会的地位を築こうとする、二人の心の底の傷が垣間 見えて秀逸です。 「ビルサダさんが食事に来たころ」では、作者自身を投影すると思われる少女の家へ、定期 的に訪れて夕食を共にした、紛争続く祖国インドに家族を残す、父の友人ビルサダの面影の 回想が語られます。それぞれが異国から遠い祖国を想う心と、少女のアイデンティティの 芽生えが、巧みに表現されています。 最後にこの本のラストを飾る「三度目で最後の大陸」。職を得て初めてアメリカ、ケンブ リッジにやって来たインド人青年が、下宿した家の家主の百歳を超える白人高齢女性との、 最初はギクシャクした関係を経て、ついには異国で家庭を築くまでの自覚を身に着けて行く 様子を描きます。異国に投げ込まれた人間が、その国で生きて行く覚悟を定めるまでの心の 揺れを描いて、絶品です。

2021年10月20日水曜日

店舗兼自宅の建て直しで、思ったこと③

徐々に片付けは進んで行きましたが、とにかく捨てなければならないということが、前提 ですので、気分的には大変複雑でした。思い出の深い物、愛着のある物を置いておこ うと考えるとそれこそきりがないので、目をつむって、大部分の品物を処分する方に回し ました。 親以前の時代と私たちの時代では生活スタイルもかなり違い、親の持ち物には私たちが もはや使用しない物もかなりあります。でもそれらを見ていると、ありし日の祖父母や 両親の面影が思い出されて、それらの品物を捨てることが後ろ髪を引かれるように、感じ られました。 すると、我々にとって、日常用いる物、あるいは楽しみとして集める物との関係はどの ようなものなのか、という思いが頭をもたげて来ました。つまり、便利であるから日常 使いとして愛用する物、もしくは、その品物を集めることが心を満たすという意味で蒐集 した物が、本人は亡くなった後まで残され、亡くなった人を偲ぶよすがにもなり、更には 亡くなった人の習慣や嗜好を伝えるものにもなるということは、物は外部にありながら 人の体を表す、とも感じられたのです。 昨今は無駄を省く、合理性の追求という観点から、使い捨ての物が多くなり、また情報化 社会ということで、形のない情報が物に取って代わるという傾向にあります。それは一見 大変便利で無駄のないことのように思われますが、本来その人を表現する手段でもある物 というものを取り払ってしまい、その人間を形骸化させることにならないか、と感じられ たのです。 しかし他方、それらの残された物を捨ててしまうしかないという事実は、結局それらの物 には近親者、縁の人の心の中に価値を見出させるに過ぎないという現実を私たちに直視させ、 やるせなさ、無力感に襲われます。 昨今断捨離という言葉が注目されていますが、ちょうど我々の社会が物を重視する社会と IT社会の端境期にあるから、物を巡るこのような葛藤が前面に立ち現れて来ているのでは ないかと、思わずにはいられませんでした。

2021年10月13日水曜日

店舗兼自宅の建て直しの片付けで、思ったこと②

さて、建て直しの片付けの下準備を、私は実際の引っ越しの想定時期の約2か月前から、始める ことにしました。というのは、準備は商店の営業と平行して行わなければならないので、当然 営業日以外の土曜、日曜、祝日を準備のための日に当てることになるので、それくらいの期間 が必要であると、考えたからです。 私たちの店舗兼住居は、私の認識している限りでも曾祖父の代から生活し、店舗を営んでいる ので、長い期間の間に溜まった、それぞれの代の愛用品などの品物、衣類などが蓄積されてい ます。しかも今まではそこそこに収蔵スペースがあったので、忙しさにかまけ、あるいは、 両親及び先祖の遺品はなかなか処分出来ないものなので、その数と量はかなりになっていまし た。 そういう訳で、まず手つかずになっている店舗の2階部分の収納スペースや、祖父が趣味で 集めていたものなどが置いてあった離れの2階から、整理をすることにしました。 そうすると出て来たのは、店舗の2階からは、ある時期までは呉服店を営んでいたので、祖父、 父などが販売して仕立てをした後の生地の出ギレや、あるいは、白生地店で販売した後の残り ギレなどで、それらがかなりの量残されていました。これらのものを見ていると、店の歴史が 感じられて、整理に手を動かしながらも、しばし感慨にふけることもありました。 また離れの2階からは、茶碗や日常雑器、折々の儀式で使われたであろう道具類が箱に収められ て出て来て、現在においてはそれほど金銭的価値の高いものではありませんが、昔の生活が偲ば れ、それらの品物を眺めながら、祖父母や父母の若かりし日の暮らしに、思いを巡らせる場面も ありました。 その他にも、祖父母や父の若い頃、若くで亡くなった父の兄、姉、そして私が子供の頃に家族で 写したもの、更には祖父母の葬儀の時のものと、モノクロを中心に大量の写真が見つかり、また 父の兄の丹念に記された日記もあって、これらは残して、時間に余裕が出来た時に、じっくりと 見てみたいと思いました。

2021年10月8日金曜日

店舗兼自宅の建て直しの片付けで、思ったこと①

この度老朽化した店と自宅を建て直すことになり、現在その下準備のための片付けに追わ れています。 はっきりとしたことは分かりませんが、この家は明治10年頃までに建てられたということで、 木造の京町家の端くれですが、以降部分的な改修を繰り返しているので、認定はされていま せん。 近頃老朽化が露になり、雨漏り、建材の劣化も顕著になって来たので、思い切って全てを 壊して、新しい建物を建てることにしました。 私自身はこの家で育ち、最新の住環境とは言えないので不自由な部分もあり、決して住み やすくはないのですが、坪庭があって、季節の移ろいが体感出来、古びた建材にも愛着が あり、ある種自然に即した、落ち着いた住まいとも感じられるので、大変気に入っていま した。 しかし、昨今の和装業界の置かれた状況や、京都市内の地価高騰などを鑑みても、旧来の ように店舗と住まい専用の建物として建て替えることには、長い目で見てリスクも多く、 取引銀行とも相談の上、思い切って1階は店舗と住居、2階、3階をそれぞれ1LDK4室の収益 物件にすることによって、持続的に商売を続けられる環境を整えることにしました。 この決断に至るまでには、急激な環境変化でもあり、また長期の借財を抱えることにもなる ので、大変大きな葛藤がありましたが、何よりも父祖が商売を営んで来たこの地で、変わら ず商売を続けたいという思いが勝り、ある意味身を切る気持ちで、決定をしました。 そういう経緯もあって、複雑な思いを持ちながら家にあるものの整理、片付けをしている のですが、予めこれらの作業は大変であると予想はしていたものの、実際に体験すると私に とってそれらは、想像以上に労力や心労を伴うものでした。 次回はそのことについて、具体的に記してみます。

2021年10月1日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2147を読んで

2021年9月17日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2147では、 将棋棋士羽生善治の鳥海不二夫『強いAI・弱いAI』に収録された対談から、次のことばが 取り上げられています。    どうしてこの一手を指せないのか、考えない    のかという理由は、恐怖心や生存本能に基づ    いた判断であるケースがとても多い。 人は危機に敏感で、窮地に陥ることを恐れてこの手は選ばないということがよくあるが、 それに対して人工知能は、逆に恐れや不安がないので、人に指せない手を平気で指せる、 とこの歴戦の将棋棋士は言います。そして現在では、将棋の世界でAIが人を凌駕しようと している現実があります。 確かに人工知能はどんどん発達して、特定の条件の下では、人の能力をはるかに超えよう としています。それでこの頃は、近い将来AIが人間を支配、管理するようになることの 危険性や、人間の仕事がAIにとって代わられて、人間が失業することの恐れがよく取り 沙汰されます。 私は、機械技術の発展が、産業社会の高度化を生み出し、ことの善し悪しはさておき、 それに合わせて雇用も創出したように、人工知能の発達が一概に人間社会を脅かしたり、 雇用を奪ったりすることはない、と考えます。 でも、初期の工業化が労働者の搾取や公害を生み出したように、時々の技術発展に見 合う法整備や人間がその状況に適合するような環境整備が必要であると、思います。 例えばAIが発達したら、その能力を人間にとって有効かつ安全に活用するための、規範 を制定するというように。 つまり、結局は人間や自然環境に優しい、人工知能技術の開発が、求められるのでは ないでしょうか?