2021年10月20日水曜日

店舗兼自宅の建て直しで、思ったこと③

徐々に片付けは進んで行きましたが、とにかく捨てなければならないということが、前提 ですので、気分的には大変複雑でした。思い出の深い物、愛着のある物を置いておこ うと考えるとそれこそきりがないので、目をつむって、大部分の品物を処分する方に回し ました。 親以前の時代と私たちの時代では生活スタイルもかなり違い、親の持ち物には私たちが もはや使用しない物もかなりあります。でもそれらを見ていると、ありし日の祖父母や 両親の面影が思い出されて、それらの品物を捨てることが後ろ髪を引かれるように、感じ られました。 すると、我々にとって、日常用いる物、あるいは楽しみとして集める物との関係はどの ようなものなのか、という思いが頭をもたげて来ました。つまり、便利であるから日常 使いとして愛用する物、もしくは、その品物を集めることが心を満たすという意味で蒐集 した物が、本人は亡くなった後まで残され、亡くなった人を偲ぶよすがにもなり、更には 亡くなった人の習慣や嗜好を伝えるものにもなるということは、物は外部にありながら 人の体を表す、とも感じられたのです。 昨今は無駄を省く、合理性の追求という観点から、使い捨ての物が多くなり、また情報化 社会ということで、形のない情報が物に取って代わるという傾向にあります。それは一見 大変便利で無駄のないことのように思われますが、本来その人を表現する手段でもある物 というものを取り払ってしまい、その人間を形骸化させることにならないか、と感じられ たのです。 しかし他方、それらの残された物を捨ててしまうしかないという事実は、結局それらの物 には近親者、縁の人の心の中に価値を見出させるに過ぎないという現実を私たちに直視させ、 やるせなさ、無力感に襲われます。 昨今断捨離という言葉が注目されていますが、ちょうど我々の社会が物を重視する社会と IT社会の端境期にあるから、物を巡るこのような葛藤が前面に立ち現れて来ているのでは ないかと、思わずにはいられませんでした。

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