2018年3月30日金曜日

高橋順子著「夫・車谷長吉」を読んで

私が作家車谷長吉を初めて知ったのは、朝日新聞別刷の人生相談のコーナーで、
彼の回答は、一般に回答者と名の付く者には見られない、相談者を下から見上げる
ような目線で、悩める弱い立場の人に寄り添うような、しかし時として、不遜と見なす
相談者を容赦なく突き放す物言いが面白くて、いつしか彼の回答の順番を心待ちに
するようになったことでした。

これを切っ掛けに、代表作「赤目四十八瀧心中未遂」を読み、彼の小説の人生を
賭して語るような凄味が印象に残りましたが、それ以降は作品を読まずに来ました。

それで今回本書のタイトルを目にした時、記憶が蘇って思わず手にしましたが、何しろ
この本を読んで長吉の名前の読み方が、チョウキチではなく、唐の詩人李長吉に
倣ってチョウキツと読むということを初めて知るなど、気になる作家でありながら、彼に
ついて何も知らなかったことに、今さら呆れるほどです。

さて本書は、彼の伴侶であった詩人高橋順子が、夫長吉との波乱万丈の夫婦生活を
回想する本ですが、何より魅力的なのは、二人の馴れ初めを描く部分で、彼が高橋の
詩に魅せられて突然十一通の絵手紙を彼女に送り、それ以降交流が生まれて彼女
も次第に彼に惹かれて行く描写で、同じ文芸に携わる人間同士近い存在ではあり
ながら、面識のない相手に絵手紙を送る、もう決して若くはない長吉の矜持と純粋さ、
そして実際に表紙、表紙カバーや挿絵として掲載される絵手紙は、素朴な絵と飾らぬ
文字が渾然一体となって、溢れんばかりの詩情を発散しています。

長吉の文学賞受賞など曲折を孕むとはいえ、順子が彼を受け入れる大きな要因と
なったのは、文学者としての魂の呼応によるのではないかと、感じられました。また
私はこのエピソードに、平安時代の男女の和歌による交歓をも夢想させられました。

二人が結婚してからの夫婦の道行きも、長吉が癖が強く、人一倍繊細な神経の持ち主
であるゆえに、決して平坦ではありませんでした。生活苦からの強迫神経症発症、自ら
を私小説家と規定して、他人の迷惑を省みず実名で容赦なく描くために起こる舌禍。

その度に順子は夫の尻ぬぐいに追われ、世間との軋轢に翻弄されます。しかし南半球
一周の船旅や四国への遍路行など、二人にとって至福の時が訪れたことも、忘れては
なりません。

読み終わった時には、文学で結ばれた夫婦もまた良いものだと、感じさせられました。

2018年3月28日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1056を読んで

2018年3月21日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1056では
スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』から、次のことばが取り上げ
られています。

 賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを胆に銘じている。

賢明さを持って人生を歩んで行くためには、必要不可欠な心掛けであると、感じます。

人はついつい自分を過信し、思い込みを起こしやすいと、経験上も感じます。

例えば仕事の上で、出来るだけ失敗をしないように慎重を期しているつもりでも、些細
な間違いが生じる時は大抵、うっかりミスを除いて、予めの想定が思い込みによって
本来とは違っていたり、楽観的に結果を予想して思惑が外れてしまう時だと、思い当た
ります。

これらの失敗は、経験から知らず知らずのうちに生じた慢心が、正しい判断を鈍らせた
結果だと、感じます。

あるいは、人生の中の時々の些末な選択を伴う分岐点で、どちらを選ぶべきかと逡巡
する時、往々にまず最初に思い浮かぶのは、これまでの経験から即座に導き出される
方向で、しかし少し時を置いて冷静に考えると、必ずしも前回の経験がそのままで今回
のケースに当てはまるとは限らず、もっと相対的な基準で判断することが必要であると、
思い至ることが多々あります。

更には自分が正しいと信じてする発言でも、その言葉の根拠や、前提とする知識が
間違っていないかどうか、常に検証することが大切であると実感させられることが、よく
あります。

このように人は間違うもの、その自覚を常に持っていることを、私は心掛けています。

2018年3月26日月曜日

日本テレビ系水曜ドラマ『anone』を観終えて

最近テレビドラマを観るようになって、このシーズンも数本を観ました。その中でも
『anone』が一番印象に残ったので、少し感想を記してみたいと思います。

このドラマは広瀬すず主演、偽札づくりに巻き込まれていく疑似家族を描く物語です。
今なぜ、最近はあまり話題にならない偽札づくりを扱うのか、ということが少し引っ掛
かりますが、偽札を作ろうとするのが疑似家族であるという二重のフェイク感が、現代
の時代の気分を映しているのかも知れません。

偽造紙幣製造の拠点となり、疑似家族が暮らす場ともなる、林田亜乃音の元印刷工場
兼住居には、本来は縁のない廣瀬演じるハリカを始め、舵、るい子が同居して、
かりそめの家族を演じることになります。それに対して、偽札づくりを主導する工場の
元従業員中世古理市が、亜乃音の親族とは係わりを持ちながら、疑似家族の仲間入り
をしないところも、象徴的です。

中世古はかつて自分の起業したIT企業を倒産させるなど、この社会に対して憤懣を
持ち、更には完璧な偽札を作ることが可能であるという確信が、是が非でも本物と
変わらない偽札を作って世間を見返したいという願望を生み出して、どんな手段を
使ってでも亜乃音たちを巻き込み、作業を強行することになります。

偽札づくりが露見したラストで、彼がハリカに自首をうながされた時、亜乃音に共謀を
承諾させるきっかけとなった、彼女の義理の孫の過失を彼が自ら引き受けようとした
行動は、彼なりの彼女への罪滅ぼし、それまでの自分の行為に対する良心の呵責で
あると、私は感じました。

この疑似家族の中で偽札づくりを介して、孤独な少女ハリカは家族の温もりと、人を
愛することの幸せを感得しますが、例えかりそめの環境の中でも、人を信じるということ
の本当の意味を理解することが出来たことが、彼女の成長をうながしたのだと、感じ
ました。

ハリカが愛用するスケートボードの裏面に描かれた、パウル・クレーの純真さを象徴
する天使の図柄が、彼女の傷付きやすい無垢な心を映し出すようで、とても印象に残り
ました。

2018年3月23日金曜日

京都芸術劇場春秋座「石見神楽」公演を観て

3月18日に、京都造形芸術大学内の京都芸術劇場春秋座で開催された、「石見神楽」
公演を観て来ました。

この公演は、島根県の郷土芸能「石見神楽」を京都で学び、披露している「京都瓜生山
舞子連中」の発足10周年を記念して、本場島根県から石見神楽長澤社中を招き、
合同公演という形で人気演目、京都ゆかりの演目を披露するものです。

この公演の前に長澤社中の方から、私たちの店に神楽の衣裳に使用される生地の
注文を頂き、今回の公演のことも知らせて頂いたので、以前から興味はありながら
まだ観たことがなかったこともあって、是非とも観に行くことにしました。

会場の建物に入ると劇場前のホールに、神楽面、衣裳、人気演目「八岐大蛇(ヤマタ
ノオロチ)」に使用される大蛇の人形が展示されています。

神楽面は主に和紙を原料に作られていて軽量で、この神楽の激しい動きにも対応
出来るようになっているそうです。

展示されている舞の衣裳は、黒、赤の地の全体に、鮮やかな色使いの大胆な刺繍が
施されていて、豪華で重々しく、神楽の勇壮な気分を体現しているようです。

大蛇の人形は蛇腹の作りになっていて全長約17m、一匹を人が一人でが操るそうで、
この大蛇が何と8匹一斉に舞台で身をくねらせるということなので、どのような場面が
現前するのか想像もつきません。

実際に始まった公演は、八調子という軽快なリズムでテンポ良く、笛、太鼓などが
囃子を奏で、演目にちなむ勇壮なキャラクターが仰々しい面と衣装で、舞台上を回る
ようにして、激しく舞い踊ります。

煙幕とともに登場した虎が舞台から飛び降りて、観客の中の子供を襲い、うなりながら
客席のひじ置きを伝って渡り歩いたり、くだんの八岐大蛇が口から花火の火を噴き、
入り乱れてとぐろを巻いたり、のたうち回るなど、見せ場も沢山あります。

一方「瓜生山舞子連中」を中心に演じられた「恵比須大黒」は、恵比須、大黒二人の
神の面も見るからにおめでたく、鯛を釣る仕草もユーモラスで、幸福な気分にさせて
くれます。

見どころの多い、楽しい公演でした。

2018年3月21日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1053を読んで

2018年3月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1053では
民藝運動の強い影響を受けた、「もやい工藝」前店主久野恵一監修による『手仕事
のいろいろ』から、次のことばが取り上げられています。

 つくっている人の笑顔があるかどうかも大事

手工芸に携わる人には、いかにも自分の仕事が好きでたまらないと感じさせる人を
よく見かけます。

私たちの白生地店には、染織を仕事にしておられる方がよくご来店くださいますが、
こういったお客さまが本当に楽しそうに生地を選ばれるので、接客しているこちらも
思わず嬉しくなってしまいます。

その時の心境をお尋ねすると、生地を見ていると、この生地であれを染めよう、あの
生地を何に使おうと、次々と構想が頭に浮かんで来て、この時間が私にとっては
至福の時間です、とおっしゃる方がままあります。そしてそういうお客さまは、必ずと
いっていいくらい、仕事をしているとこの世の憂さを忘れます、とおっしゃいます。

その様子を見ていると、ものを作るという仕事は本当に楽しいのだろうと、つくづく
感じて、ちょっとうらやましく思うと共に、それぐらいの情熱がなければ継続出来ない
仕事に違いないと、納得させられます。

昨今は経済環境も厳しく、人間が手作りするという点でも贅沢な嗜好品と位置づけ
られるようになってしまった、工芸に携わる人々にとっては難しいしい時代であると、
私などにも実感されますが、それ故になお、これらのお客さまに満足していただける
白生地を提供したいと、切に思っています。

2018年3月19日月曜日

京都文化博物館「絵画の愉しみ画家のたくらみ」を観て

今回の京都文化博物館の展覧会は、今まで目にしたこともなかった日本近代絵画
の名品にも出会え、また絵画の楽しみ方も示唆してくれる、肩の力を抜いて親密な
気分で絵と向き合える企画でした。

また本展はその所蔵品、寄託品で構成されているのですが、ウッドワン美術館の
存在は、これまで全く知りませんでした。この美術館は、広島県廿日市発祥の
総合木質建材メーカー、株式会社ウッドワンの所蔵美術品を公開するために、
当地に設けられた美術館ということで、今回展示されている絵画を観ると、派手
ではありませんが、滋味溢れる作品を収蔵していて、一度是非訪れてみたくなり
ました。

先般尋ねたMIHO MUSEUM、アサヒビール大山崎山荘美術館などのような、
まだまだ私の知らない地方のこじんまりとした個性的な美術館を探し出して、訪問
していきたい願望に駆られました。

さて本展は、テーマ別に違う画家、あるいは年代を変えた同一の画家の作品を
数点並べ、それらを比較しながら観ることによって、絵画の楽しみ方を分かりやすく
示そうとする展覧会です。

まず冒頭、日本画、洋画の比較のコーナーでは、初見の日本洋画の先駆者
高橋由一の「官軍が火を人吉に放つ図」、日本画家橋本雅邦の「紅葉白水図」が
目に止まりました。

日本画、洋画という言葉が明治時代以降、それ以前からの日本の伝統的な様式の
絵画の総称としての日本画、他方西洋から導入された油彩を中心とする様式として
の洋画、というように規定されたものであることは知っていましたが、その初期の
両者を並べて観ると、この頃から現在に至る二つの流れの影響関係も含め、美術
における海外文化の移入ということについて、大いに考えさせられました。

その文脈では日本における裸体画の受容史、日本画、洋画それぞれの分野に
おける裸婦の描き方の相違、あるいは画家の個性による違いなども興味深く感じ
ました。

絵画の比較という楽しみ方だけではなく、個別に絵画史における名作と言っていい
作品も散見され、黒田清輝「木かげ」、岸田劉生「毛糸肩掛せる麗子肖像」などは、
その画家の絵画の魅力を堪能させてくれました。

他にも佐伯祐三、荻須高徳という、よく似たパリの街角を描く二人の画家の絵の
個性の違い、早熟の天才青木繁の早過ぎる晩年の絵画から滲み出る哀切感など、
文字通り愉しみの多い展覧会でした。
                                  2017年10月15日記

2018年3月16日金曜日

「松村圭一郎のフィールド手帳 楽しく働く方法考えては?」を読んで

2018年3月13日付け朝日新聞朝刊、「松村圭一郎のフィールド手帳」では
「楽しく働く方法考えては?」と題して、松村がフィールドワークで訪れるアフリカの
ホテルの従業員が、あまり規律に縛られず楽しそうに働いている姿と比較して、
私たちの国の働き方の問題に一石を投じています。

日本人は働くことにおいて勤勉、生真面目が代名詞になっています。また一般に、
そのような振る舞いにモラルのベースを置いているところがあります。

つまり、勤勉さや生真面目さが当たり前で、自分がそうであると感じるからには、
相手にもそのような態度を求めるところがあります。

これがサービス業ともなると、狭い国土で同一の価値観を共有するという前提の
下、顧客の気持ちを推し量って、相手に出来るだけ満足を与えるサービスを提供
するということが、理想の対応となります。

その結果、競争の激しい業種ではサービスがだんだんエスカレートして、従業員が
過重労働に陥るということも起こります。例えば先般問題になった、個人向けの
荷物の到着時間指定の競争がエスカレートして、宅配業従業員の労働時間が
法定労働時間を遥かに超過するようになった問題などは、正にこの典型でしょう。

またその他の労働の現場においても、これは私のような自営業を営む者にとって
は、あくまで報道などで接する情報から感じることに過ぎませんが、労働における
生産性、効率化がますます重視されて、色々な職場が働く者にとって息苦しくなって
来ているように推察されます。

アフリカ人の働く様子が、勿論現在の日本にそのまま当てはまるはずはないけれど、
また経済発展が人をして加速度的に労働に駆り立てるのが経済の法則であるとは
言え、せめて生きていることそのものを楽しめる心の余裕を、筆者の接するアフリカ
の人のように持つことが出来たら、これは私のささやかな願望でもあります。


2018年3月14日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1044を読んで

2018年3月9日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1044では
防災アドバイザー山村武彦の『南三陸町 屋上の円陣』から、次のことばが取り上げ
られています。

 犠牲になった人と、助かった人の間に明確な理由や共通の法則などありはしない

このことばを読んで、つい運命ということについて、考えさせられました。

震災の犠牲になった人と助かった人の間には、結果としては大きな差があります。
でも二次災害という場合には異論をはさむ余地があるにしても、たまたまその瞬間に
被災現場に居合わせ被災する、被災しないという点においては、結果としての理由は
考えられても、事前に予測できる理由は考えようがないはずです。

ということは、運命と言う以外にはないでしょう。でも親しい間柄の人を面前で失い、
自身は生き残ったという人は、不幸中の幸いとほっとする以前に、ついついなぜ自分
だけ生き残ったのかと、罪悪感に苛まれるそうです。

人は家族や友人、コミュニティーのつながりの中に、相手を思いながら生きる存在
なので、突然にその絆が断ち切られた時、そのような感情に囚われるに違いありま
せん。

その上に生死を分かつ結果の重大さが、残された人をして、自分の非を探すような
思念へと駆り立てずにはおかないのでしょう。

亡くなった人の悲しみと、亡くなった人を思う悲しみ、被災地はそれらが幾重にも積み
重なった大きな悲しみに包まれていたのでしょう。

生き残った人がそこから徐々に癒されるのは、亡くなった人との心の交流が今なお
続いていると感じられることと、運命ということばを信じられるようになることでは
ないかと、上記のことばを読んで感じました。

2018年3月12日月曜日

若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」を読んで

第158回芥川賞受賞作です。

著者は55歳から小説講座に通い始め、63歳本作品で第54回文藝賞受賞、同作で
芥川賞も受賞という遅咲きの新人で、この本の帯には、青春小説の対極、老いを描く
意味での玄冬小説と名打たれていますが、まず地の文の標準語と主人公桃子さんの
心が語る東北弁の織り成すリズムが素晴らしい、と感じます。

東北弁というと、私は文学の世界では石川啄木、宮沢賢治、寺山修司などをすぐに
思い浮かべて、素朴さ、温もり、哀切さを想起しますが、この小説ではそれらの要素も
含みながら、むしろ太古からの鼓動を思わせる力強さ、畳み掛ける活力が感じられて、
ラップミュージックにも通じる心を奮い立たせる役割を果たしている、と感じました。

さて、夫に先立たれた一人暮らしで老いを重ねる桃子さんの姿は、母を介護しながら
還暦を過ぎた私の立場からは、母の世代を思うこと、自分の将来を想像することに
つながりますが、健康が保たれている間はまだしも、心身が衰える中での高齢者の
一人暮らしは、過酷な試練を伴うものであることを、改めて感じました。

まず身体が思うように動かなくなり、病気への不安にさいなまれ、親しい人々との
交わりもほとんど絶えて、孤独や無気力、絶望感に襲われます。このような厳しい
情況の中でも、桃子さんは身体の内奥から湧き出る、自身の生まれ育った東北の
風土、文化に培われ、永く郷土の人々の口から口へと受け継がれて来た、夥しい
数の東北弁の独白に励まされ、生への希望を見出していきます。

その独白を発する地点を、柔毛突起という内蔵内の組織を思わせる名称で表現する
ところが、秀逸です。いかにもDNAに導かれた生命そのもののささやきという趣が
醸し出されています。

本作のストーリーの中で私の印象に残ったのは、疎遠になっていた娘の直美が
桃子さんからの経済的援助を条件に、母の手伝いを申し出る場面です。桃子さんは
内心、喉から手が出るぐらい娘の助けを求めていますが、自分の人生経験から、
このような形での親子関係の復活は娘のためにならないと思いとどまり、直後自分の
娘に対する対応に落ち込みます。

しかしその伏線がラストの微かな光明へとつながり、心地よい余韻を残します。
著者のこれからの活躍が楽しみです。

2018年3月9日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1039を読んで

2018年3月4日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1039では
日系アメリカ人のデザイナージョン・マエダの、B・バーモントとの共著『リーダーシップ
をデザインする』から、次のことばが取り上げられています。

 割り切った仕事ならたやすいが、思い入れるとぐっと難しくなる

マエダの父親は豆腐店の主人で、彼は父の手抜きを許さぬ仕事ぶりを間近に見て、
育ったそうです。

職人など、自分で直接もの作りに携わる仕事なら、このことばがすんなりと当てはまる
と感じますが、でもおよそ仕事と名の付くものに係わる者なら、全てに共通する感覚
だと思います。

私たちの三浦清商店も、自らものを制作する訳ではありませんが、お客さまに寄り添う
商いをモットーに、日々の仕事に取り組んでいます。

例えば白生地を産地から仕入れる場合、私たちの店の取り扱い商品の中では比較的
求められるお客さまが多い生地については、品質の安定したものを適正な価格で
仕入れ、出来るだけ在庫が途切れることがないように商品の調達に努めます。
あるいは特殊な生地については、その生地を使用される特定のお客さまを想定して、
その方の好みに合う生地を見分けて仕入れるようにすることを、心掛けています。

また白生地をお客さまの要望で誂え染めする時には、その生地を染めるのに一番
相応しい染め職人を選んで仕事を依頼し、お客さまに満足いただける染上りである
かを確認した後、その生地に相応しい仕上げを施して、お納めします。

仕入にしても、染めにしても、業界の現状では、従来の水準を維持することが益々
困難になって来ていますが、私たちは出来るだけ妥協はしたくないと、考えています。

2018年3月7日水曜日

龍池町つくり委員会 50

3月6日に、第68回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず学区内の宿泊施設等建設問題では、新たに上妙覚寺町にゲストハウスが開業
することになり、地主、事業者、町内住民の三者での話し合いの場を設けるべく、
町つくり委員会からも働きかけることになりました。

恒例の大原郊外学舎での「お花見」は、4月15日(日)開催、交通手段は京都バスの
路線バスをチャーター、お花見をしながら、昼食はちらし寿司を作り、カラオケや
大原の地場産品の販売、購入会を行う、ということになりました。早急に案内チラシ、
ポスターを制作して、広報活動に取り掛かるということです。

今年度の「龍池浴衣祭り」については、自治連三役の中で、8月開催の「夏祭り」との
間に一か月ほどの間隔しかなく、合同開催にしてはどうかという意見があり、この点
について町つくり委員会で検討がなされましたが、委員会メンバーの大勢の意見は、
「浴衣祭り」は鷹山のお囃子をメイン行事に据えており、時期は祇園祭の頃が
相応しい、また着物(浴衣)着用の機会としてもこの時期がいいのではないか、という
ものでした。

鷹山復興計画に係わるメンバーからは、将来的に鷹山の宵山日和神楽で、御池通り
以北の龍池学区内を巡ることを、学区住民の合意があれば考えたいという意見も
あり、「浴衣祭り」の件と合わせ、連合会内で説明の上、意見の集約を試みることに
なりました。

今回の委員会の前日に、中京区役所で開催された「中京区自主防災活動連絡会」
で、区役所の担当者から説明があった、「中京区マンション防災活動推進学区認定
制度」について、出席した学区の自主防災会会長の私より、委員会メンバーに
趣旨説明を行いました。

この制度は、マンション住民と地域住民の間で、防災活動に関する相互扶助の
取り決めを行うなど、交流を積極的に推し進めている学区を、「防災活動推進学区」
として区長が認定し、その後認定された学区が推薦するマンションを「地域防災協力
マンション」として所定のステッカー等で顕彰することによって、住民間の交流を更に
深めようというもので、当学区でも将来的には認定を目指して、地域活動に取り組む
ということになりました。

2018年3月4日日曜日

寺尾紗恵著「南洋と私」を読んで

店を長く留守にすることがかなわず、遠方に旅行する機会が少なく、ハワイにさえ
行ったことがないほどなので、南洋は私にとって現実感のない存在です。

ただ太平洋戦争の激戦地という兼合いから、沖縄も含めその凄惨な戦いの有り様
は、書物や映像媒体で何度となく目にして記憶に焼き付き、昨今のリゾート地と
しての賑わいに何がしかの抵抗を感じるくらいです。

その「南洋」に、「原発労働者」で原発内の労働環境の実態に深く切り込んだ
寺尾紗恵が、どのような在りし日の実像を浮かび上がらせるのか、この本に対する
私の興味はその点に尽きました。

本書を読んで私の印象に残ったのは、日本の統治期から戦中にかけての様子を
語るサイパン島の原住民や、当時その島に在住していた八丈島や沖縄にルーツを
持つ人々の体験談、そしてそれらをつなぐ存在としての日本人僧侶青柳貫孝の
足跡でした。

従来戦前に大日本帝国がその版図に治めていた地域の中で、「南洋は親日的」と
いう紋切型の言説が流布して、当時を振り返り、跡付ける書物なども少なかったの
ですが、その頃のサイパンは、原住民以外に内地人、八丈人、沖縄人、朝鮮人が
共存する入り組んだ社会で、置かれた立場によって人々の生活環境や思いは様々
であったようです。

現地の日本人が学ぶ学校で学び、日系企業で日本人と共に働いた数少ない
サイパン人の一人は、大日本帝国が現地人に「皇民化教育」の義務を課しなが、
真の日本国民としての権利は与えない、その統治政策の欺瞞性を語ります。

他方、八丈島からサイパンに移住した人々の二世、三世で敗戦後島に帰って来た
人たちは、敗戦時の命からがらの引き揚げ体験、帰島後の生活の困窮を語り、
沖縄からの移住者は、当地での内地人からの差別や現地人との共感を持った
交流、更には戦争末期の軍民巻き込んだ混乱、集団自決に連なる悲惨な結末を
語ります。

そのような激動の戦前、戦中のサイパンにあって、人を分け隔てしない仏教者と
しての立場から島民にお茶、お花を通して日本文化を伝え、現地に学校を作り、
また現地人子弟の日本留学を促すなど教育の普及に努め、戦後は八丈島に
香料工場を作って島に産業を興そうとするなど、無私を貫く優れた啓蒙家青柳貫孝
の存在が際立ちます。

忘れられた南洋の小島の歴史的事実を掘り起こしながら、日本の近代史の一側面
を照射する好著です。

2018年3月2日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1032を読んで

2018年2月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1032では
脚本家山田太一の次のことばが取り上げられています。

 私たちは少し、この世にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?

このことばには、私にも思い当たるところがあるような気がします。

現在の世の中は、私たちがやろうと思えば何でも出来る可能性があるような、一種の
全能感に囚われやすい気分に、満たされているように感じます。

まず世界が狭くなりました。交通やメディア、インターネット環境の発達、以前より
ずっと簡単に早く、世界の色々な国や地域に行くことが出来ますし、自宅に居ながら
にして世界各地で今現在起こっていることを、ニュースや情報として映像と共に知る
ことが出来ます。

更には惑星探査機や人工衛星からの画像として、宇宙空間や地球外の天体の
リアルな相貌も目に飛び込んで来ますし、高性能の顕微鏡を用いた映像など、本来
肉眼では観察出来ない世界の姿も見ることが出来ます。

これらの現象は私たちに、あたかも世界の全てを手中に把握しているような錯覚を、
抱かせやすいように感じます。

あるいは全ての人が、基本的には自由や平等の権利を有し、思い通りに生きること
が出来るはずであるというこの社会の前提と、欲しいものの大部分はお金で手に
入れることが可能であるという現在の経済環境も、私たちに思いのままに振る舞う
ことが出来る幻想を生じさせやすいのでしょう。

でも実際には、このような感覚の大部分は何の根拠もないもので、言わば私たちを
取り巻く社会環境に振り回されているのだと、思います。そんな呪縛から何とか逃れ、
冷静に自分を保つためには、上記のことばのように、期待しすぎないことが必要で
あると、感じさせられました。