2018年3月2日金曜日

鷲田清一「折々のことば」1032を読んで

2018年2月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1032では
脚本家山田太一の次のことばが取り上げられています。

 私たちは少し、この世にも他人にも自分にも期待しすぎてはいないだろうか?

このことばには、私にも思い当たるところがあるような気がします。

現在の世の中は、私たちがやろうと思えば何でも出来る可能性があるような、一種の
全能感に囚われやすい気分に、満たされているように感じます。

まず世界が狭くなりました。交通やメディア、インターネット環境の発達、以前より
ずっと簡単に早く、世界の色々な国や地域に行くことが出来ますし、自宅に居ながら
にして世界各地で今現在起こっていることを、ニュースや情報として映像と共に知る
ことが出来ます。

更には惑星探査機や人工衛星からの画像として、宇宙空間や地球外の天体の
リアルな相貌も目に飛び込んで来ますし、高性能の顕微鏡を用いた映像など、本来
肉眼では観察出来ない世界の姿も見ることが出来ます。

これらの現象は私たちに、あたかも世界の全てを手中に把握しているような錯覚を、
抱かせやすいように感じます。

あるいは全ての人が、基本的には自由や平等の権利を有し、思い通りに生きること
が出来るはずであるというこの社会の前提と、欲しいものの大部分はお金で手に
入れることが可能であるという現在の経済環境も、私たちに思いのままに振る舞う
ことが出来る幻想を生じさせやすいのでしょう。

でも実際には、このような感覚の大部分は何の根拠もないもので、言わば私たちを
取り巻く社会環境に振り回されているのだと、思います。そんな呪縛から何とか逃れ、
冷静に自分を保つためには、上記のことばのように、期待しすぎないことが必要で
あると、感じさせられました。

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