2018年3月4日日曜日

寺尾紗恵著「南洋と私」を読んで

店を長く留守にすることがかなわず、遠方に旅行する機会が少なく、ハワイにさえ
行ったことがないほどなので、南洋は私にとって現実感のない存在です。

ただ太平洋戦争の激戦地という兼合いから、沖縄も含めその凄惨な戦いの有り様
は、書物や映像媒体で何度となく目にして記憶に焼き付き、昨今のリゾート地と
しての賑わいに何がしかの抵抗を感じるくらいです。

その「南洋」に、「原発労働者」で原発内の労働環境の実態に深く切り込んだ
寺尾紗恵が、どのような在りし日の実像を浮かび上がらせるのか、この本に対する
私の興味はその点に尽きました。

本書を読んで私の印象に残ったのは、日本の統治期から戦中にかけての様子を
語るサイパン島の原住民や、当時その島に在住していた八丈島や沖縄にルーツを
持つ人々の体験談、そしてそれらをつなぐ存在としての日本人僧侶青柳貫孝の
足跡でした。

従来戦前に大日本帝国がその版図に治めていた地域の中で、「南洋は親日的」と
いう紋切型の言説が流布して、当時を振り返り、跡付ける書物なども少なかったの
ですが、その頃のサイパンは、原住民以外に内地人、八丈人、沖縄人、朝鮮人が
共存する入り組んだ社会で、置かれた立場によって人々の生活環境や思いは様々
であったようです。

現地の日本人が学ぶ学校で学び、日系企業で日本人と共に働いた数少ない
サイパン人の一人は、大日本帝国が現地人に「皇民化教育」の義務を課しなが、
真の日本国民としての権利は与えない、その統治政策の欺瞞性を語ります。

他方、八丈島からサイパンに移住した人々の二世、三世で敗戦後島に帰って来た
人たちは、敗戦時の命からがらの引き揚げ体験、帰島後の生活の困窮を語り、
沖縄からの移住者は、当地での内地人からの差別や現地人との共感を持った
交流、更には戦争末期の軍民巻き込んだ混乱、集団自決に連なる悲惨な結末を
語ります。

そのような激動の戦前、戦中のサイパンにあって、人を分け隔てしない仏教者と
しての立場から島民にお茶、お花を通して日本文化を伝え、現地に学校を作り、
また現地人子弟の日本留学を促すなど教育の普及に努め、戦後は八丈島に
香料工場を作って島に産業を興そうとするなど、無私を貫く優れた啓蒙家青柳貫孝
の存在が際立ちます。

忘れられた南洋の小島の歴史的事実を掘り起こしながら、日本の近代史の一側面
を照射する好著です。

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