2018年3月12日月曜日

若竹千佐子著「おらおらでひとりいぐも」を読んで

第158回芥川賞受賞作です。

著者は55歳から小説講座に通い始め、63歳本作品で第54回文藝賞受賞、同作で
芥川賞も受賞という遅咲きの新人で、この本の帯には、青春小説の対極、老いを描く
意味での玄冬小説と名打たれていますが、まず地の文の標準語と主人公桃子さんの
心が語る東北弁の織り成すリズムが素晴らしい、と感じます。

東北弁というと、私は文学の世界では石川啄木、宮沢賢治、寺山修司などをすぐに
思い浮かべて、素朴さ、温もり、哀切さを想起しますが、この小説ではそれらの要素も
含みながら、むしろ太古からの鼓動を思わせる力強さ、畳み掛ける活力が感じられて、
ラップミュージックにも通じる心を奮い立たせる役割を果たしている、と感じました。

さて、夫に先立たれた一人暮らしで老いを重ねる桃子さんの姿は、母を介護しながら
還暦を過ぎた私の立場からは、母の世代を思うこと、自分の将来を想像することに
つながりますが、健康が保たれている間はまだしも、心身が衰える中での高齢者の
一人暮らしは、過酷な試練を伴うものであることを、改めて感じました。

まず身体が思うように動かなくなり、病気への不安にさいなまれ、親しい人々との
交わりもほとんど絶えて、孤独や無気力、絶望感に襲われます。このような厳しい
情況の中でも、桃子さんは身体の内奥から湧き出る、自身の生まれ育った東北の
風土、文化に培われ、永く郷土の人々の口から口へと受け継がれて来た、夥しい
数の東北弁の独白に励まされ、生への希望を見出していきます。

その独白を発する地点を、柔毛突起という内蔵内の組織を思わせる名称で表現する
ところが、秀逸です。いかにもDNAに導かれた生命そのもののささやきという趣が
醸し出されています。

本作のストーリーの中で私の印象に残ったのは、疎遠になっていた娘の直美が
桃子さんからの経済的援助を条件に、母の手伝いを申し出る場面です。桃子さんは
内心、喉から手が出るぐらい娘の助けを求めていますが、自分の人生経験から、
このような形での親子関係の復活は娘のためにならないと思いとどまり、直後自分の
娘に対する対応に落ち込みます。

しかしその伏線がラストの微かな光明へとつながり、心地よい余韻を残します。
著者のこれからの活躍が楽しみです。

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