2018年3月30日金曜日

高橋順子著「夫・車谷長吉」を読んで

私が作家車谷長吉を初めて知ったのは、朝日新聞別刷の人生相談のコーナーで、
彼の回答は、一般に回答者と名の付く者には見られない、相談者を下から見上げる
ような目線で、悩める弱い立場の人に寄り添うような、しかし時として、不遜と見なす
相談者を容赦なく突き放す物言いが面白くて、いつしか彼の回答の順番を心待ちに
するようになったことでした。

これを切っ掛けに、代表作「赤目四十八瀧心中未遂」を読み、彼の小説の人生を
賭して語るような凄味が印象に残りましたが、それ以降は作品を読まずに来ました。

それで今回本書のタイトルを目にした時、記憶が蘇って思わず手にしましたが、何しろ
この本を読んで長吉の名前の読み方が、チョウキチではなく、唐の詩人李長吉に
倣ってチョウキツと読むということを初めて知るなど、気になる作家でありながら、彼に
ついて何も知らなかったことに、今さら呆れるほどです。

さて本書は、彼の伴侶であった詩人高橋順子が、夫長吉との波乱万丈の夫婦生活を
回想する本ですが、何より魅力的なのは、二人の馴れ初めを描く部分で、彼が高橋の
詩に魅せられて突然十一通の絵手紙を彼女に送り、それ以降交流が生まれて彼女
も次第に彼に惹かれて行く描写で、同じ文芸に携わる人間同士近い存在ではあり
ながら、面識のない相手に絵手紙を送る、もう決して若くはない長吉の矜持と純粋さ、
そして実際に表紙、表紙カバーや挿絵として掲載される絵手紙は、素朴な絵と飾らぬ
文字が渾然一体となって、溢れんばかりの詩情を発散しています。

長吉の文学賞受賞など曲折を孕むとはいえ、順子が彼を受け入れる大きな要因と
なったのは、文学者としての魂の呼応によるのではないかと、感じられました。また
私はこのエピソードに、平安時代の男女の和歌による交歓をも夢想させられました。

二人が結婚してからの夫婦の道行きも、長吉が癖が強く、人一倍繊細な神経の持ち主
であるゆえに、決して平坦ではありませんでした。生活苦からの強迫神経症発症、自ら
を私小説家と規定して、他人の迷惑を省みず実名で容赦なく描くために起こる舌禍。

その度に順子は夫の尻ぬぐいに追われ、世間との軋轢に翻弄されます。しかし南半球
一周の船旅や四国への遍路行など、二人にとって至福の時が訪れたことも、忘れては
なりません。

読み終わった時には、文学で結ばれた夫婦もまた良いものだと、感じさせられました。

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