2021年12月31日金曜日

小林武彦著「生物はなぜ死ぬのか」を読んで

昨年大腸癌の手術を受けた私にとって、死は一気に身近なものとなりました。また、高齢者 と呼ばれる65歳を迎えて、身体の衰えも次第に意識するようになり、老化現象という言葉も 実感するようになりました。そこで、生物の死を最新の科学的知見に基づいて解説すると、 どのようになるのかということに強く興味を抱き、本書を手に取りました。 まず、生物がなぜ死ぬのかを説明するためには、必然的に生物はいかに誕生したのかという ことを、知らなければなりません。本書でもそこから話が始められていますが、生命の誕生 の謎はまだ解明、実証されている訳ではありません。 しかし最新の科学の現場では、かなり研究が進んでいて、その成果が分かりやすく記されて います。詳述は避けますが、生命が誕生する環境を有する地球で無機物が有機物に変化し、 ウイルスのような他に寄生する無生物を経て、単独で存在出来、それ自身で増えることが 出来る細菌のような生物が生まれたということです。 この過程を見て行くと、正に無から有が生まれる奇跡を感じざるを得ません。類まれな条件 が揃った地球という惑星で、何段階もの偶然が重なってようやく生命が誕生する。命という ものの希少さを再認識すると同時に、昨年来全世界の人々を苦しめるコロナウイルス感染症 の猖獗が、地球全体の生態系を考えた場合必然性を持つものであり、更には私たちの肉眼に は見えない細菌の世界が、地球環境を根本で支えていることにも、思いが至りました。 こうして誕生した細菌などの単純な生命体「原核生物」から、融合によって「真核生物」が 生まれ、その多細胞化によって「多細胞生物」が生み出されるという進化の道をたどり、 今日の多様な生態系が生まれます。 そして正に生物は、自らの体をリセットして、より環境に適した、生存に有利な新しい個体 を生み出すために、死を選ぶのです。また生物は、環境に適合するために相互依存的であり、 その多様性を担保しているのが生殖行為なのです。 このように見て行くと、死というものは生命の循環の中で、誕生と一つながりの重要なもの であり、私たち人類だけが自意識を生み出したゆえに、意識的に忌避する深刻な問題となっ たと思われます。 宗教的には、メメントモリ(死を忘れるな)という言葉がありますが、この言葉こそは、 より自覚的な人間であれ、ということかも知れません。

2021年12月29日水曜日

「鷲田清一折々のことば」2221を読んで

2021年12月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」では 朝日新聞デジタル(10月21日配信)でのインタビューから、俳優手塚理美の次のことばが 取り上げられています。    ビタミンカラー色の器にひかれて購入し、そ    の器を食卓にのせたとき、「あっ、生きてる    な」と思ったんです。 この俳優は、歳が行くにつれて髪の毛の色を自然な色に戻し、物を減らすことにも取り組み ながら、ふと鮮やかな色調の器に触れ、「物をいとおしむ空間」まで閉じてはだめだと悟っ たそうです。 私も、こういう感じ方は大切だと思います。高齢に差し掛かるにつけ、着飾らず自然さを 求め、また、物を必要以上にため込まないようにする。これはこれで晩年の生き方として 必要な心構えだと感じます。 でも、そのように抑制的であるだけではなく、やはり、その中にも心の潤いや、晴れやかさ を求めることは、生きて行く上で必要なのではないでしょうか? 私は、和装という伝統産業に従事する者として、工芸品などの手仕事の温もりを感じさせる 美しい物を、何か数点生活に潤いを与える物として使用、あるいは着用することが、この ような観点からも好ましいと思います。 万事無機的な工業製品やIT機器、更には使い捨ての薄っぺらい日用品に取り囲まれている 生活の中で、たとえ数点でもこれらの愛すべき品物を人生の友とすることは、どれほどの 心の潤いや、安らぎを与えてくれることでしょう。 私はそう信じて、これからもこのことを提唱して行きたいと考えています。

2021年12月26日日曜日

「鷲田清一折々のことば」2213を読んで

2021年11月24日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2213では 画家・文筆家瀬尾夏美の『あわい行くころ』から、次のことばが取り上げられています。    色んなものが仮だとしても、    いま生きている時間が本物だということに    変わりはないはず。 震災後のくぐり抜けてきた時間を、「復旧までの仮の姿、仮の生活だと思いすぎることは、 すこし悲しい」と、瀬尾は語っているそうです。 そうですね。震災後の時間が旧来の日常とは全然違って、何とか元に戻すことを前提に、 今は耐えながら進んで行こうとしても、その後の日常は以前通りに戻るとは限らず、その ことを考えると不安になって、今の努力がむなしくなって、戸惑うということが確かに あると思います。 そのように感じてしまうと、更に今の状態がかりそめに過ぎないという寂寥感が募る、の ではないでしょうか? でも、以前の日常は戻るか分からないけれど、とりあえずそれを目標にして、努力を重ね るという今の時間も、貴重な経験であると考えると、やりがいも生まれ、その行為自体を ポジティブに捉えられるのではないでしょうか? やはり、この過程はコロナ禍からの復興も同じ、私の場合は店舗建て替えによる、仮店舗 での営業活動も同じだと感じます。 コロナ禍で売り上げ、来客数は大幅に減少し、その中での仮店舗営業で、不自由さ、もど かしさ、将来への不安は多々あります。でも、こういう状況で商売の原点に戻って、 御依頼を頂いたお客様に、色々な制約の中で、如何に満足を感じて頂けるか、その取り 組みは決して無駄ではなく、将来の営業活動に活かすことが出来ると思います。 そのように信じて今しばらく、仕事に励んで行きたいと思います。

2021年12月22日水曜日

若松英輔著「霧の彼方 須賀敦子」を読んで

私が一時期はまっていた須賀敦子の一連の作品は、私にとって追想の文学、未知なるイタリア の風土、風物を感じさてくれる書物としてありました。しかし本書を読むと、それらの作品の 背景をなす彼女の精神世界が、私のくみ取ったものよりずっと深いことに、気づかされました。 それが、本書を読んだ第一印象の感想です。 私は幼稚園でカトリック、中学以降プロテスタントの教育機関で学び、それぞれの薫陶を受け ましたが、あくまで仏教徒であり、それらのキリスト教系の宗教を、内面の問題として感じた ことはありません。 また、学校の歴史の教科で、カトリックからプロテスタントの派生の経緯を学び、更には美術 鑑賞が趣味なので、カトリックの宗教美術には慣れ親しんでいます。しかし本場ヨーロッパで、 真摯に土着宗教としてのカトリックに向き合う人の心情は、私には到底思い及ぶことが出来ない と感じます。そういう意味で本書が取り上げた主題は、私には荷が重く感じられます。 それゆえ私が本書から、須賀敦子の一連の著作が生み出された背景をなす、宗教的体験や人生 の意味、並びにそれらの作品の文学的意義を、納得出来るところまで理解しようとしても、難 しいと感じます。しかし本書に描かれる人生の節目での、彼女の信念に基づく思考、行動には、 心を動かされるところがありました。 その根幹をなすものとして、須賀は「キリスト教的な英雄的精神」を愛し、自らの人生において も実践したということが、挙げられると感じます。つまり、キリスト教における英雄は、世間 一般に言われるような、武勇による顕著な功績を残す者ではなく、単独者として「神の前にただ ひとり立つ人間」であるということです。 この信念に基づき、彼女は第二次世界大戦後のカトリックの革新運動を担う「コルシア書店」に 身を投じ、長く虐げられた人々であるユダヤ系の人と文学に共感し、帰国後は廃品回収を通じて 貧しい人々の自立を促す「エマウス運動」に傾倒したのです。そしてそれらの行動の帰結に、 一連の著作があるのです。 こうして見て行くと、須賀の作品が、追想と共に彼女の培って来た、大切な想いのあふれ出た 結晶に見えて来ます。しかし同時に、このような宗教的背景を頭に入れなくても、彼女の残した 作品たちは、今なお慈愛に満ちた穏やかな光を放ち続けるとも、感じました。

2021年12月17日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2203を読んで

2021年11月13日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2203では 作家・柳美里の随想「言葉の前に椅子を」から、次のことばが取り上げられています。    この世から剥離しかけた人を、最後にこの世    に繫ぎ止めるのは、言葉だと信じている 東日本大震災の後、福島県相馬市に移住した作家は、本数の少ない電車に乗り遅れた 高校生のために本屋を開き、時間をつぶす場所を提供した上で、このように呟いた そうです。 私自身も、普段言葉というものが日常に溢れている環境に暮らしていながら、実は言葉 には大変な力が備わっているんだということに、はっと気づかされる瞬間に遭遇する ことがあります。 例えば、尊敬する人や愛する人からかけられた言葉が、一生の思い出になったり、 生きるための目標や励みになったり、あるいはその言葉のために救われたりなど。 またその逆に、特定の人が発信した言葉が、人を深く傷つけたり、誤解を与えたり することも往々にあります。 だから私は、言葉を発するということが、大変重大な結果をもたらすこともあるという 認識を常に持って、身を処したいと感じていますし、そのように実践しているつもり です。でも、ついつい油断して、発言したことを後で後悔することも、あるのですが。 いずれにしても、言葉の力を信じたいですし、言葉というものを大切にしたいと、常々 考えています。

2021年12月11日土曜日

「鷲田清一折々のことば」2197を読んで

2021年11月7日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2197では 文化人類学者・松村圭一郎の『くらしのアナキズム』から、次のことばが取り上げられて います。    ムダを排した効率性にもとづくシステムは    いざというときに脆い。 例えば、「政治」におけるこのようなシステムの脆さが露呈したのも、今回のコロナ禍で ありました。 つまり、我が国の保健衛生が向上し、伝染病の集団感染なども最早起こらないと想定して、 各地の保健所の人員等をぎりぎりまで削減した結果、この新型コロナウイルス感染症の 急速な蔓延に対して、保健行政も迅速で適正な対応が取れず、結局一時なすすべもないと いう事態が起こりました。 また、医療行政においても、国公立の病院の少なさが、急速に増えるコロナ感染症による 中等症以上の患者を受け入れる病床の不足を生み出し、入院したくても入院出来ないと いう事態が生起したのも、医療予算の削減によるところが大きいでしょう。 無論、限られた予算を効率的に配分することは大切ですが、それにしても、不測の事態に 対して対処するだけのゆとりを持ったシステムを作り上げることが、国民生活の安全保障 という意味で必要です。 これは何も公共の政策に限らず、私たちの日常生活や、私にとっては商店の経営という 部分においても当てはまります。 即ち、日常生活においては、保険や年金等の支出がそれに相当するでしょうし、経営に おいては資本の蓄積や、持続性を考慮した経営方針がそれに当たると思います。 不測の事態に備えること、それは決して忘れてはならないことだと思います。

2021年12月7日火曜日

カズオイシグロ著「クララとお日さま」を読んで

特定の子供と暮らし、話し相手になるために作り出された、AFと呼ばれる人工知能を搭載した ロボット・クララが主人公のこの異色の小説は、言うまでもなく、単なるSF小説ではありません。 そこは手練れの作家が企画した通り、人間の本質を問う作品になっています。 まず物語の背景から述べると、舞台は欧米を思わせる近未来の社会、しかし地域性を感じさせる ものはほとんど語られず、国家という概念が今よりずっと希薄になった世界かも知れません。 だがその社会では貧富の格差が如実に存在し、クララの持ち主となる病弱な少女・ジョジーの 家庭は、家政婦を雇っている上に、AFも購入する金銭的余裕があり、娘に大学進学等将来の生活 が約束される「向上処置」を受けさせています。 他方、ジョジーの幼馴染リックの家族は、貧しいために息子にこの処置を受けさせることが出来 ず、彼は才能はあるもののほぼ大学進学の道は閉ざされ、処置を受けた子供たちから蔑みの目を 向けられています。 またこのような社会環境の中で、大人たちは概して利己的で、親子間の情愛は強いけれども、親 の側のそれは自分の思い込みで歪められているように思われまる節があります。 さてこのような世界で、クララはジョジーに見初められ、ジョジーの家で一緒に暮らすことに なるのですが、まずこの社会ではAFは、一般に単なる機械、所有物とみなされたり、逆に高度な 知性を持つ人工知能として警戒されたりしています。 そのような危うい立場の存在でありながら、クララは観察力と理解力に富み、何よりの自分の 主人であるジョジーが健康で幸福になることを、自己犠牲を厭わず願っています。この機械に 宿る純真さ、無私の優しさこそ、来るべき現実のAI社会へのイシグロの一つの問題提起ではない でしょうか? またクララのジョジーへの接し方は、概ね受け身ですが、クララ自身が太陽光から活力を得る こともあって、ジョジーの生命の危機に際して、自ら身を挺して太陽の恵みをジョジーに与え ようと画策するところに、機械としての限界を超えた勇気を見る思いがしました。 ジョジーと運命的な出会いをするところから、役目を終えてスクラップになるところまで、 クララの一生はあくまで主人に奉仕する献身的なものでありながら、同時に彼女にとって異質な 人間の世界をもっと良く理解しようとする、観察者のそれでもあったと感じました。

2021年12月2日木曜日

「鷲田清一折々のことば」2192を読んで

2021年11月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2192では 政治学者・中島岳志の『思いがけず利他』から、次のことばが取り上げられています。    日常では、行為を意思に還元することで、問    題がこじれてしまうことが多々あります。 このことばだけでは、分かりにくいけれど、人の思いや感情は、ある場合にはふとその人 を訪れるもので、例えば謝罪も、言葉を重ねるばかりなら逆に反発を呼びもし、むしろ 申し訳ないことをしたという感情に突き上げられることが、相手に伝わってはじめて成り 立つと、この政治学者は言います。 つまり意思に抑制されるよりも、感情の発露を伴って発せられることばの方が、説得力が ある場合があるということです。 確かに、行為に対して意思を持つことは大切だけれども、それだけではなく、そこに心中 からの思いが伴う時、そのことばや行為は相手に伝わるのでしょう。 だから私なりに解釈すると、何かの意思を相手に伝えようとする時、私たちは全身全霊で それが伝わるように努めなければならない、ということではないでしょうか。 私自身を振り返っても、ついつい日常の忙しさや煩雑さにかまけて、自分の伝えたいこと を相手に伝達する努力が欠けていると、感じることがあります。その結果、こちらの思いが 十分に伝わらなくて、誤解を招くということがあるのではないでしょうか。 何に対しても真摯に向き合う、ということが生きて行く上で大切なのだと、思います。

2021年11月25日木曜日

「鷲田清一折々のことば」2181を読んで

2021年10月22日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2181では 今は亡き映画監督相米慎二の遺文集『相米慎二 最低な日々』から、次のことばが取り上げ られています。    失うことや死を恐れたら、片一方の生きるっ    てことがみみっちくなる。 これは、とても肝の座った人のことばと、感じます。我々平凡な人間では、ここまで開き 直って言い放てない。なぜと言って、結局失うことや死を恐れてきゅうきゅうとしているの ですから。 しかしそのような私でも、自分なりの人生経験を積むうちに、このことばに実感として思い 当たることはあります。例えば、この度の店舗と自宅の建て替えを決断するに際しても、私 にとっては、随分思い切った行動に出る、ということになったのですから。 無論今まで通りに店を続け、生活していれば、肉体的にも、経済的にも一番負担が小さく、 それこそ、そこそこの老後を過ごせるということになったでしょう。 でも、このような状態を継続して行けば、老化に合わせて仕事は減少し、店舗の老朽化は 進んで、そう遠くないうちに廃業するという事態になったかも知れません。 しかし自分が残りの人生で何をしたいかと考えた時に、やはり出来るだけ、和装という伝統 産業の例え末端でも仕事を続け、文化の継承に務めたい、更には今の店舗兼住居のある地域 に住み続けたい、と思ったのです。 そのためには何をすべきか?その答えが、店舗兼自宅の建て替えでした。これを実行する ためには、曾祖父の代から旧自宅にため込まれた、夥しい荷物の断捨離や、またこれから 長い年月に及ぶ借入金の返済という、大きな経済的負担が生じます。 でも自分の思いを実現するためには、このような負荷もやむを得ないと、感じました。私 なりに、みみっちくない決断だと、今は思っています。

2021年11月22日月曜日

池上彰、佐藤優著「真説日本左翼史 戦後左翼の源流1945-1960」を読んで

私が本書を手に取ったのは、我が国において第二次世界大戦後一定以上の広範な支持を受けて いた左翼思想が、どうして衰退して行ったかを知りたかったからです。 それは私自身、これまで特段左翼思想に傾倒して来た訳ではなかったのですが、時にはある種 のシンパシーを感じ、それがある時期から全くの空想論という思いを強め、その心の動きと轍 を同じくするように、この国の政治運動の熱気が薄れ、社会がより良い方向に進むという期待 が急速に失われて行ったように感じるからです。 無論、私たちの社会に対する満足感が損なわれて行ったのは、高度経済成長後のバブル崩壊、 それ以降の経済的低迷という、我々が長く享受して来た豊かさの喪失によるところが大きい でしょう。 しかし決してそれだけではなく、いやそれ以上に、コロナ禍で更に露になった経済の国際的 競争力の衰退や少子高齢化、貧富の格差の拡大が顕著に示されているこの時期にこそ、政治の 果たすべき役割は重要で、そのためには、国民一人一人の左翼思想華やかなりし頃と同じよう な政治への問題意識、熱気がもう一度蘇ることが必要であると、感じるからです。そしてその ためには、かつての左翼思想興亡の歴史を知ることが不可欠であると、感じられたのです。 さて本書によると、戦時下の思想統制によって弾圧された左翼の指導者、活動家が、敗戦後 国民に救世主のように受け止められ、折しもソ連という新興の実験的社会主義国への希望が、 左翼思想への支持を後押ししたことが見て取れます。このような国民の期待を、上手く政党 支持に結びつけたのが社会党であり、長く国政における第二党の立場を守り続けました。 しかしソ連におけるスターリン批判や、後の国家体制の崩壊によって、社会主義の幻想が暴か れ、社会党は東西冷戦の終結、労働組合の支持への過度の依存によって、一般国民の支持を 急速に失い、衰退して行ったと思われます。 残った共産党は、唯一の革新政党として近年は一定の支持を獲得していますが、急進的な政党 である本質は変わらないと、著者たちは主張します。 本書を読んで、戦後日本社会に対して、左翼思想が果たした役割についての記述が少なかった ことに、物足りなさを感じました。 ただ、戦後の一定期間大衆の広範な支持を得た社会党は、この国をどのような方向へ導くべき かについて、はっきりとしたビジョンを持っていたと感じます。左翼思想がもう一度復権する ために必要なのは、正にそれであろうと思いました。

2021年11月16日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2172を読んで

2021年10月13日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2172では 歌人山崎方代の随想集『青じその花』から、次のことばが取り上げられています。    こんな所に釘が一本打たれていていじればホト    リと落ちてしもうた このことばだけ見て、意味を読み取るのは難しいところ。でも、何かホッとするような響き があって、惹かれました。 ことばに続く鷲田の解説によると、この歌人の言うに、自分には意味を掘り下げるより「精神 のコンディション」を整えることが先決で、そのためには「不仕合わせを、少しずつ生活の 意識の中に混ぜておく」ことが大切だそうです。 そう言われて、上記のことばの私をほっこりとさせる理由も、分かる気がしまいた。つまり、 このことばは、ある種人生を達観した人のことばではないでしょうか。 人生では、うまくいかないことが当たり前。それにも関わらず私たちは、何でも上手くいく ことを前提にしてものを考え、計画を立て、その結果失望を繰り返し、予定の変更を余儀なく されて、うろたえるのではないでしょうか? やはり、上手くいかなくて当然と考え、それを想定して計画を立てたり、心の準備をし、たま たま上手くいったら有難いと思う。本当はそれくらいのゆとりを持つことが必要なのだと思い ます。 でも現実社会は、そんな余裕を持った態度をそう簡単に許さない。少し気を緩めると、あっと いう間に底に突き落とされるような感覚があり、それゆえ私たちは、あくせくとして神経を すり減らしているのでしょう。 だから精神的余裕を持って人生を生き抜くには、達観や開き直りが必要。そういう心持に少し でも近づけるように、精進したいとは思っています。

2021年11月12日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2162を読んで

2021年10月2日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2162では 英国の作家G・K・チェスタトンの『正統とは何か』から、次のことばが取り上げられています。   人間は、理解しえないものの力を借りること   で、はじめてあらゆるものを理解することが   できるのだ。 今日ほど、人間が自分たちに全能感を持っていたことは、かつてなかったでしょう。なぜなら、 科学技術の目覚ましい発達によって、私たちは宇宙や自然や、生命の摂理のほとんどのことを 知っていると、考えていると思われるからです。 しかし、実際は我々の知っていることは、それらのほんの入り口に過ぎず、大部分のことは、 今なお人智を超えたところにあるに違いありません。それが証拠に、私たちは以前、地球上の ちっぽけな生命体に過ぎず、我々が考え、行動し、成し遂げたことは、宇宙のはるかかなた から眺めれば、地球の表面で、騒がしくうごめいていることに過ぎない、と思うからです。 勿論、人間がゼロから作り上げたことは、功罪両面があるとは言え、ある意味尊く、偉大では あるでしょう。でもそれらの成果を得られたのは、我々が地球という恵まれた環境の上に生活 拠点を持っているからで、その環境に守られてこそ、存分に力を発揮出来ているからに、違い ありません。 同様に、自らのなまじの力におごり高ぶり、何もかも理解しているような錯覚にとらわれて いると、そこには大きな落とし穴が待ち構えているでしょう。 自然に生かされているという感謝の気持ち、そして理解しえないものの上に自らの理解が成り 立っているという謙虚な気持ちこそ必要であると、上記のことばに触れて感じました。

2021年11月9日火曜日

D・モンゴメリー、A・ピクレー著「土と内臓 微生物がつくる世界」を読んで

本書はある意味、私のこの世界に対する認識を変えてくれる書でした。 まず「土と内臓」という、その一見突拍子もないものの組み合わせを表すこの本の題名が、その ことを端的に示していると思われます。しかし、私のような読者のみならず、夫は地形学、妻は 生物学というそれぞれの専門分野の研究者である筆者夫婦が、自らの体験に基づく驚きと気付き を本書執筆の動機としているところに、この本の読む者の知的好奇心をくすぐらざるを置かない、 魅力が集約されていると感じられます。 さて、著者たちが本書を著述するきっかけは、夫婦が新しく購入した家に、妻のアン・ピクレー が庭園を造ろうとしたことから生まれます。その自宅の敷地の土質は、到底植物の栽培に適さ ないほど、固く痩せていたのです。そこから、土質の改良の最新の知見を駆使して、アンの奮闘 が始まります。 そして短期間のうちに庭園の土が肥沃なものになり、植物が生い茂り始めた時、元々地形学が 専門で、土質にも興味を持つ夫のデイビット・モンゴメリーが、その要因について考えることに なったのです。 つまり、アンが土質改良のために施した堆肥、牛糞などの有機物、鉱物は、直接植物の根に吸収 される訳ではありません。ではどうして、それらの土を肥えさせ、植物の栄養となるのでしょう か?そして、土中に生きる細菌類がそれらを分解し、植物の根に養分を与えると共に、病害から 植物を守っていることに気づきます。 次には、アンが癌を患い、手術を受けたことをきっかけに、再発を防ぐための食生活の改善を 契機として、腸内細菌について思考を巡らせます。それによると、人間の大腸内には多くの 細菌類が生息し、私たちが食べた食物の分解を手助けすると共に、免疫細胞と協力して病原菌の 侵入を防ぎ、腸内の環境を整えています。そして、植物、人間の良好な生育条件を維持するため に、土や内臓において、目に見えない細菌類が極めて重要な役割を果たしているという共通性、 類似性に思い至るのです。 私たち人間は、地球という自然環境の中で、生物種として何も突出した存在ではありません。 我々が肉眼で確かめることは出来ませんが、夥しい微生物に満たされた流動的な空間の中で 揺蕩っている、儚い存在に過ぎないのではないでしょうか?そんなことを感じさせてくれる 好著です。

2021年11月5日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2151を読んで

2021年9月21日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2151では ライターで写真家の白石あづさの『お天道様は見てる 尾畠春夫のことば』から、スーパー ボランティア尾畠春夫の次のことばが取り上げられています。    「思う」以上の逃げ言葉があるの。何やと思     う?…答えは「想定外」ちゅう言葉よ。 なるほどこの頃は、「想定外」という言葉をよく聞きます。そしてそれは、ほとんど言い訳 とセットになっています。やれ、想定外の事態、想定外の規模、想定外のダメージ… 確かに近頃は、人智を超えるようなことがしばしば起こるけれど。でも防災という観点から は、想定外の事態に陥ることは、ある意味準備不足ということにもなります。 最悪の事態を予想して、来るべき災害に備える。それが防災の前提となる心構えです。つまり 万全の準備を心がけても、大きな災害に襲われた時には、実際には想定以上の被害やダメージ をもたらすのだから、少なくとも心の準備をしておくべき、ということです。 だから防災や災害救助に携わる当事者は、ことが起こった後、「想定外」という言葉を発し なくていいような心構えで、準備を整えなければならない。そういうことなのでしょう。 翻って私など、小と言えども店舗の経営に携わる者は、店を長く存続させ、顧客や関係者の 方々に迷惑をかけないように、危機管理も踏まえて、あらゆる事態を想定しておくべきで しょう。 今回のコロナ禍は、正にそういう事態で、前年には想定もしなかったことが突然起こり、私 自身当初は狼狽したけれども、現在は「想定外」で片づけないように、対策を模索してい ます。

2021年11月2日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2150を読んで

2021年9月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2150では ドラマ「孤独のグルメ」シリーズ9・第1話(原作・久住昌之、脚本・田口佳宏)から、主人公 井之頭五郎の次のことばが取り上げられています。    遠くにある好きな店が、変わらず続いてる    と、本当に嬉しい。そんなこの頃だ このことばには、最早捕捉の必要もないでしょう。コロナ禍にあって、特に飲食店などのどれ ほど多くの店が、廃業に追い込まれたことか!今回の事態は、殊に不意打ちの出来事であった ために、経営者、従業員もあらかじめの備えの余地もなかったことは、明白です。 ですから私も、ひいきにしていたお店が営業を続けていることを確認すると、ほっとして同時 に、有難く感じたものです。 私事になりますが、私たちの店も、直接の原因は建物の老朽化ですが、コロナ禍による需要の 減少も踏まえて、店舗を建て直すことになり、目下近隣の仮店舗で営業しています。 言うまでもなく、父親から店を引き継いでから、店舗の移転は初めてのことであり、慣れない 上に、仮店舗では何かと不自由なことも多く、今まで置かれた環境が如何に恵まれていたかと いうことを実感すると共に、早来年4月末の新店舗への復帰を心待ちにしております。 しかし、このような決断をしたのも、この店の商いをこれからも長く続けて行くためにはどう すればいいかと、考えた末のことなので、店舗を新しくするだけではなく、商品とサービスの 提供という面において、如何にお客様に愛される店を作って行くかということを、真剣に模索 して行きたいと、決意しています。    

2021年10月29日金曜日

店舗兼自宅の建て直しで、思ったこと④

いよいよ、引っ越しの当日が近づいて来ました。大部分整理を済ませ、梱包をしたつもりなのに、 最後にはまだまだ引っ越し先に運ぶべきこまごましたものが残っていて、前日のぎりぎりまで 荷造りに追われました。我ながら段取りが悪いと、自嘲気味に夜遅くまで作業を続けました。 引っ越しは仮店舗と仮自宅の2か所になるので、1日目は仮店舗、2日目は仮自宅と、2日間の日程 で行いました。 まず1日目の仮店舗への引っ越しでは、その建物が20坪余りの2階建ての京町家で、仮自宅が手狭 なために、新しく建てる店舗兼自宅の自宅部分に置く家具類もこちらに移したとはいえ、十分に 収まると思っていた旧倉庫の商品が私の想定以上に多くあって、一時は2階部分にそれらが収納 出来るか危ぶまれるほどでした。結局3トントラックで3回の運搬が必要で、朝から始めて午後7時 頃までの時間を要し、引っ越しの運送会社も当初の3人の要員に、更に3人の助っ人を追加して 対応してくれて、ようやく作業が終わりました。 私自身は、最近の需要の減少から、随分と商品の在庫を減らしたつもりなのに、今なおこれだけの 量の商品があるのを目の当たりにして、改めて驚くと共に、私たちが携わる各種白生地卸・切り 売りという商売が、今更ながら多種多量の在庫を必要とすることに、気づかされました。 翌日の仮自宅への引っ越しでは、家具類は仮店舗に一時保管することにしたように、予め手狭な ことが分かっていたので、運び込む荷物の量をかなり絞り込んだつもりでしたが、2LDKのマン ションの部屋は、ことのほか狭く、収納スペースも少ないので、荷物を入れると当初は身動きも 取れない有様で、それらの荷物を選り分け、効率的に組み合わせて積み上げるなどして、ようやく 寝るためのスペースを確保する有様でした。 今までの店舗兼住居が、如何に余裕のあるスペースであったか、そしてその環境に甘えて、私たち が如何に深く考えることなくものをため込んでいたかということを、いやがうえにも実感させられ ました。 しかしそれと同時に、そのようなゆとりのあるものたちに囲まれて暮らす生活が、最早私にとって は贅沢に過ぎないことに、今更ながら気づかされました。

2021年10月25日月曜日

ジュンバ・ラヒリ著「停電の夜に」を読んで

1900年代末鮮烈なデビューを飾った、インド系のアメリカの女性作家の短編集です。 全編を読んで、多様な視点からの繊細な語り口に魅了されますが、日本人読者としての私が 特に新鮮に感じたのは、文化も生活習慣も全く違うアメリカで暮らすインド人家族の、その 社会への違和感や融け込むまでの心の揺れを、的確にすくい上げていることです。 これは単一民族を前提とする、似通った価値観、生活習慣を共有する国民が、狭い島国に ひしめき合って暮らす、私たち日本人にはなかなか実感することの出来ない心情で、また それ故に、小説という形でこのような疑似体験を得ることは貴重であると、感じました。 更に、今日の社会のグローバル化によって、私たちが国際的な感覚を身に付けることの必要 性が痛感される中にあって、このような文学がこの国で広く読まれることは、有意義なこと であると感じられました。 さて気になった個別の作品について記すと、まず表題作「停電の夜に」。妻が死産を体験 して関係がギクシャクして来た夫婦。夫は学生の身分で、妻の稼ぎで生活を維持している ことも、夫婦仲に影を落とします。たまたま、二人が住んでいる地域の電気工事のために、 5日間だけ夜の1時間自宅が停電するといいます。その時間に二人は、テーブルの上にロウ ソクをともし、1日それぞれ一つづつ互いに心に秘めていたことを打ち明け合うことにし ます。異国の地で懸命に良き家庭や社会的地位を築こうとする、二人の心の底の傷が垣間 見えて秀逸です。 「ビルサダさんが食事に来たころ」では、作者自身を投影すると思われる少女の家へ、定期 的に訪れて夕食を共にした、紛争続く祖国インドに家族を残す、父の友人ビルサダの面影の 回想が語られます。それぞれが異国から遠い祖国を想う心と、少女のアイデンティティの 芽生えが、巧みに表現されています。 最後にこの本のラストを飾る「三度目で最後の大陸」。職を得て初めてアメリカ、ケンブ リッジにやって来たインド人青年が、下宿した家の家主の百歳を超える白人高齢女性との、 最初はギクシャクした関係を経て、ついには異国で家庭を築くまでの自覚を身に着けて行く 様子を描きます。異国に投げ込まれた人間が、その国で生きて行く覚悟を定めるまでの心の 揺れを描いて、絶品です。

2021年10月20日水曜日

店舗兼自宅の建て直しで、思ったこと③

徐々に片付けは進んで行きましたが、とにかく捨てなければならないということが、前提 ですので、気分的には大変複雑でした。思い出の深い物、愛着のある物を置いておこ うと考えるとそれこそきりがないので、目をつむって、大部分の品物を処分する方に回し ました。 親以前の時代と私たちの時代では生活スタイルもかなり違い、親の持ち物には私たちが もはや使用しない物もかなりあります。でもそれらを見ていると、ありし日の祖父母や 両親の面影が思い出されて、それらの品物を捨てることが後ろ髪を引かれるように、感じ られました。 すると、我々にとって、日常用いる物、あるいは楽しみとして集める物との関係はどの ようなものなのか、という思いが頭をもたげて来ました。つまり、便利であるから日常 使いとして愛用する物、もしくは、その品物を集めることが心を満たすという意味で蒐集 した物が、本人は亡くなった後まで残され、亡くなった人を偲ぶよすがにもなり、更には 亡くなった人の習慣や嗜好を伝えるものにもなるということは、物は外部にありながら 人の体を表す、とも感じられたのです。 昨今は無駄を省く、合理性の追求という観点から、使い捨ての物が多くなり、また情報化 社会ということで、形のない情報が物に取って代わるという傾向にあります。それは一見 大変便利で無駄のないことのように思われますが、本来その人を表現する手段でもある物 というものを取り払ってしまい、その人間を形骸化させることにならないか、と感じられ たのです。 しかし他方、それらの残された物を捨ててしまうしかないという事実は、結局それらの物 には近親者、縁の人の心の中に価値を見出させるに過ぎないという現実を私たちに直視させ、 やるせなさ、無力感に襲われます。 昨今断捨離という言葉が注目されていますが、ちょうど我々の社会が物を重視する社会と IT社会の端境期にあるから、物を巡るこのような葛藤が前面に立ち現れて来ているのでは ないかと、思わずにはいられませんでした。

2021年10月13日水曜日

店舗兼自宅の建て直しの片付けで、思ったこと②

さて、建て直しの片付けの下準備を、私は実際の引っ越しの想定時期の約2か月前から、始める ことにしました。というのは、準備は商店の営業と平行して行わなければならないので、当然 営業日以外の土曜、日曜、祝日を準備のための日に当てることになるので、それくらいの期間 が必要であると、考えたからです。 私たちの店舗兼住居は、私の認識している限りでも曾祖父の代から生活し、店舗を営んでいる ので、長い期間の間に溜まった、それぞれの代の愛用品などの品物、衣類などが蓄積されてい ます。しかも今まではそこそこに収蔵スペースがあったので、忙しさにかまけ、あるいは、 両親及び先祖の遺品はなかなか処分出来ないものなので、その数と量はかなりになっていまし た。 そういう訳で、まず手つかずになっている店舗の2階部分の収納スペースや、祖父が趣味で 集めていたものなどが置いてあった離れの2階から、整理をすることにしました。 そうすると出て来たのは、店舗の2階からは、ある時期までは呉服店を営んでいたので、祖父、 父などが販売して仕立てをした後の生地の出ギレや、あるいは、白生地店で販売した後の残り ギレなどで、それらがかなりの量残されていました。これらのものを見ていると、店の歴史が 感じられて、整理に手を動かしながらも、しばし感慨にふけることもありました。 また離れの2階からは、茶碗や日常雑器、折々の儀式で使われたであろう道具類が箱に収められ て出て来て、現在においてはそれほど金銭的価値の高いものではありませんが、昔の生活が偲ば れ、それらの品物を眺めながら、祖父母や父母の若かりし日の暮らしに、思いを巡らせる場面も ありました。 その他にも、祖父母や父の若い頃、若くで亡くなった父の兄、姉、そして私が子供の頃に家族で 写したもの、更には祖父母の葬儀の時のものと、モノクロを中心に大量の写真が見つかり、また 父の兄の丹念に記された日記もあって、これらは残して、時間に余裕が出来た時に、じっくりと 見てみたいと思いました。

2021年10月8日金曜日

店舗兼自宅の建て直しの片付けで、思ったこと①

この度老朽化した店と自宅を建て直すことになり、現在その下準備のための片付けに追わ れています。 はっきりとしたことは分かりませんが、この家は明治10年頃までに建てられたということで、 木造の京町家の端くれですが、以降部分的な改修を繰り返しているので、認定はされていま せん。 近頃老朽化が露になり、雨漏り、建材の劣化も顕著になって来たので、思い切って全てを 壊して、新しい建物を建てることにしました。 私自身はこの家で育ち、最新の住環境とは言えないので不自由な部分もあり、決して住み やすくはないのですが、坪庭があって、季節の移ろいが体感出来、古びた建材にも愛着が あり、ある種自然に即した、落ち着いた住まいとも感じられるので、大変気に入っていま した。 しかし、昨今の和装業界の置かれた状況や、京都市内の地価高騰などを鑑みても、旧来の ように店舗と住まい専用の建物として建て替えることには、長い目で見てリスクも多く、 取引銀行とも相談の上、思い切って1階は店舗と住居、2階、3階をそれぞれ1LDK4室の収益 物件にすることによって、持続的に商売を続けられる環境を整えることにしました。 この決断に至るまでには、急激な環境変化でもあり、また長期の借財を抱えることにもなる ので、大変大きな葛藤がありましたが、何よりも父祖が商売を営んで来たこの地で、変わら ず商売を続けたいという思いが勝り、ある意味身を切る気持ちで、決定をしました。 そういう経緯もあって、複雑な思いを持ちながら家にあるものの整理、片付けをしている のですが、予めこれらの作業は大変であると予想はしていたものの、実際に体験すると私に とってそれらは、想像以上に労力や心労を伴うものでした。 次回はそのことについて、具体的に記してみます。

2021年10月1日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2147を読んで

2021年9月17日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2147では、 将棋棋士羽生善治の鳥海不二夫『強いAI・弱いAI』に収録された対談から、次のことばが 取り上げられています。    どうしてこの一手を指せないのか、考えない    のかという理由は、恐怖心や生存本能に基づ    いた判断であるケースがとても多い。 人は危機に敏感で、窮地に陥ることを恐れてこの手は選ばないということがよくあるが、 それに対して人工知能は、逆に恐れや不安がないので、人に指せない手を平気で指せる、 とこの歴戦の将棋棋士は言います。そして現在では、将棋の世界でAIが人を凌駕しようと している現実があります。 確かに人工知能はどんどん発達して、特定の条件の下では、人の能力をはるかに超えよう としています。それでこの頃は、近い将来AIが人間を支配、管理するようになることの 危険性や、人間の仕事がAIにとって代わられて、人間が失業することの恐れがよく取り 沙汰されます。 私は、機械技術の発展が、産業社会の高度化を生み出し、ことの善し悪しはさておき、 それに合わせて雇用も創出したように、人工知能の発達が一概に人間社会を脅かしたり、 雇用を奪ったりすることはない、と考えます。 でも、初期の工業化が労働者の搾取や公害を生み出したように、時々の技術発展に見 合う法整備や人間がその状況に適合するような環境整備が必要であると、思います。 例えばAIが発達したら、その能力を人間にとって有効かつ安全に活用するための、規範 を制定するというように。 つまり、結局は人間や自然環境に優しい、人工知能技術の開発が、求められるのでは ないでしょうか?

2021年9月27日月曜日

吉村昭著「三陸海岸大津波」を読んで

2011年の東日本大震災は言うに及ばず、東北地方の三陸海岸が度々甚大な津波の被害を受けて 来たことは、漠然とは感じていまいた。しかし本書を読んで、その実態がより現実的なものと して、身に迫って来ました。 本書では明治29年の津波、昭和8年の津波、そして昭和35年のチリ地震津波が取り上げられて いて、それだけでもこの地方が、再三大きな津波の襲来を被っていることが分かります。 まずこの辺の地形が、複雑に入り組んだリアス式海岸で、おまけに沖合には、海底に深く切れ 込んだ海溝が横たわっているために、その付近で発生した地震による大波が、エネルギーを 失うことなく海岸部に近づき、狭い湾口から侵入して一気に陸地を駆け上がり、更には、山が 海に迫る地形のために、沿岸部に集中した村落を襲う。 また三陸海岸自体が、太平洋の外海に直に接しているために、遠く離れた地域の地震による 津波の影響を受けやすいのです。 さて、明治29年と昭和8年の津波を引き起こした地震の震源地は、三陸沖地震多発地帯です。 両津波発生前には、予兆現象がありました。魚が大量に沿岸海域に押し寄せ、思わぬ大量が 続いたり、井戸の水が枯れたり、濁ったり、夜になると沖合の波間に、ぼっと光るものが目撃 されたと言います。自然の得体の知れなさ、神秘を感じます。 また津波が来襲する直前には、速やかに遥か沖まで潮が引きます。そして少しの間をおいて、 轟音と共に巨大な波が襲い掛かって、全てを飲み込むのです。 その凄まじい破壊力に翻弄される人々、肉親を失い悲嘆にくれる人々、著者は被災者の声を 丹念に拾い、とりわけ実際に体験した子供たちの作文が、涙を誘います。 一度起こると、これだけ凄惨な被害をもたらす巨大津波ですが、困ったことには、繰り返され るとはいえ、ある程度の間隔を置いた上で、いつ何時起こるか分からない、ということです。 しかも、チリ地震津波においては、遠方で起こった地震を原因とする津波であるために、体感 による予測も難しかったのです。 現代では科学技術、建設技術の発達、災害情報網の整備、普及によって、本書で取り上げられた 事例の頃よりは、遥かに防災体制が整っています。しかし東日本大震災では、それを凌駕する 深刻な被害がもたらされました。 私たちには、災害の被害情報を継承し、個々の防災意識を高めると共に、国を挙げて危機管理 能力を高めることが、必要なのでしょう。

2021年9月24日金曜日

「青地伯水 現代のことば 表現の自由とキルヒナー」を読んで

2021年9月17日付け京都新聞夕刊、「青地伯水 現代のことば」では、「表現の自由とキル ヒナー」と題して、京都府立大学教授・欧米言語文化ドイツの筆者が、第二次世界大戦前夜 ドイツ表現主義の代表的画家といわれたエルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナーが、ナチ スによって退廃芸術家と揶揄される過程について、語っています。 まず印象的であったのは、新印象派のスーラの作品「サーカス」(1891)と、これを参照し たキルヒナーの「サーカスの乗り手」(1912)を比較した記述で、私は実際にネットで検索 して両者の画像を比較して観ましたが、構図はほぼ同様でありながら、スーラ作品には世紀 末パリにおける市民の娯楽としてのサーカスが、楽天的なイメージで描かれ、他方キルヒナ ー作品では、ドイツにおけるナチス台頭時代の不穏な雰囲気をまとって、サーカスが何か 不吉な影を感じさせるように描かれています。 たった20年ぐらいの時間の隔たりで、時代がこのように激変し、その環境から生み出される 芸術が、おのずから変容しなければならなかった事実の証左を目の当たりにして、慄然と するものを感じました。 更にはキルヒナー自身が、自尊心が極端に強く、内面の弱さを抱えていて、他者からの批判 に我慢ならず、ついには自身が彼を擁護する架空の批評家ルイ・ドゥ・マルセルを演じて、 自分の作品への擁護論文をでっち上げるに至ったというエピソードには、この才能ある画家 の神経の過敏さを実感すると共に、それゆえなおさら、彼がナチスによって誹謗中傷のレッ テルを貼られた時に、自ら死を選ばざるを得なかったことの、切実さを感じました。 芸術における表現の自由の大切さをまざまざと感じさせる、優れたエッセイであると、感じ ました。

2021年9月20日月曜日

「鷲田清一折々のことば」2139を読んで

2021年9月8日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2139では 漫画家槇村さとるとスタイリスト地曳いく子の「青春と読書」9月号の対談から、槇村の 次のことばが取り上げられています。    人の逃げ場や依存先はたいてい、くだらない    ことなの。 人が逃げたり、依存したりする先は、確かにくだらないものかもしれない。逃げる、依存 するという感情自体が、既に負い目を負っているから。 でも、それらは追い詰められた人には、大切な場所、ものであるはずです。なぜなら、 そのような窮地に置かれた人にとっては、息を抜く、安息を感じることがどうしても必要 であるからです。 だから肝心なのは、逃げ、依存した先で自分を振り返って何を感じるかでしょう。そう すれば次には、そこからどう立ち上がるべきかが見えて来ると思われます。 でも最悪なのは、逃げたり、依存したりしていることに自覚的でないこと。そんな感じで 知らず知らずに逃げていたり、依存に甘んじていたりすると、先の展望は開けないし、 どっぷりとその状況に浸って、何も感じないという状態に陥ったままであるように思い ます。 窮地を脱したり、十分に癒されたら、次のステップに進もうということに、自覚的であり たいと、思います。

2021年9月17日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2129を読んで

2021年8月29日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2129では 編集者・実業家千場弓子の『楽しくなければ仕事じゃない』から、次のことばが取り上げ られています。    あれも無駄、これも無駄、とやっていった    ら、最後はいちばん無駄な存在は自分だ、っ    てことにならないか? 要は、一体何が無駄じゃないのか、という問題。一見すると既に道順が決まっている ところを辿る以外の全てが、表面的には無駄であるように思われます。 だから、無駄にみえることをあれこれ繰り返しているうちに、有益な発見や方向性が見え て来るのではないでしょうか? ところが最近は、やれスピードだ、合理性だと、皆が暗黙の裡に急き立てられているよう に感じます。これでは結局、表面上やみくもに忙しいだけで、実質が何もついてこない ように思われます。 だから焦らず、一見無駄だと思われることにもコツコツ取り組んで、何よりもアンテナを 広げて、好奇心を失わないようにして、寄り道しながら進んで行ければと、考えています。 でも勿論、まあいいやと、そこで怠惰に流されれば、元も子もないのですが・・・。まあ とにかく、じっくり、ゆっくり、残された人生を過ごして行きたいと思っています。

2021年9月14日火曜日

カフカ著「城」を読んで

頭木弘樹氏の著書に触発されて「変身」を再読した私は、他の著作も合わせて読んでみたく なりました。それで手に取ったのが本書です。 読み始めて、やはり不思議な感触の物語であると、感じました。主人公はもとより、登場人物 の饒舌な会話体が延々と続き、後ほど知ったことですが、長編でありながら未完ということで、 明確な結末がありません。しかし私は、読み終えて確かな手応えと満足を感じ、カフカの卓越 した才能を感受しました。 主人公で測量師であるというKは、雇われてとある伯爵領の村に到着します。しかしいざ来て みると、そのような職業の人間は必要ないと言われ、城にある行政機関と折衝しようにも、 一向に埒が明かず、それどころか、得体の知れない2人の助手を付けられ、おまけに酒場娘と 同棲する羽目に陥り、寄る辺ない村での滞在を続けます・・・。 ストーリーを追うとこんなところで、しかも、Kは自らの職業にゆるぎない誇りを持ち、自分は この村にとっても大変有用な人材で、一度登用されれば重きをなすに違いないという自信の下、 村の慣習や人間関係、人々の抱く感情に全く頓着せず、あくまで自分の意志を押し通そうと する、利己的な人物です。 そして彼の滞在する村の社会環境は、村を統治する城の官僚体制が絶大な影響力を持ち、それ でいて、複雑な官僚機構はなかなか物事を決定出来ず、それに対して村民は官僚の意向を過剰 に推し量り、排他的で保守的な行動が日常になっています。このような関係性の中では、Kが 孤立するのは必然です。 カフカの死後、この小説が発表されてからの主流の解釈によると、主人公と城の関係は、ヨー ロッパ在住のユダヤ人であるカフカと宗教の微妙な関係を投影していると言われているそう ですが、私は、日本の現代社会に通じる読みとして、この国の政治体制及び、官僚制度と国民 の関係性を想起しました。 というのは、現在の我が国では、政治主導が叫ばれる中で官僚の劣化、政権への忖度が起こり、 それでいて政治家に明確なビジョンがないために、社会の停滞を招いています。そして、この 国の現代の社会体制が一応民主主義であるために、そのような政治運営を選択したのは、我々 国民であるということです。 また、国民が体制の顔色を窺い、本来あるべき公正な政治がゆがめられることは、歴史的にも 繰り返されて来たことでもありました。このように考えるとカフカの「城」は、普遍的なテー マを提示する小説であることが分かります。

2021年9月10日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2126を読んで

2021年8月26日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2126では イタリアの作家パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』から、次のことばが取り 上げられています。    最善を望むことが必ずしも正しい希望の持ち    方とは限らない 人はついつい欲深いものだから、何でも一番良い結果や状態になることを、望むもしくは 夢想しがちですが、なかなか現実は、そのようには運ばないものです。 それよりは、着実にコツコツと結果を積み上げて行くとか、次善や次々善のところで妥協 しておくことが、賢明なようです。 一段よくなれば、しばらくしてまたそこから、もう一段上を目指すことも出来る。それが 現実的な目標の立て方のように思います。 でも未熟な私が、ようやくこのように考えられるようになったのは、つい最近のことで、 ちょっと前までは、自分の実力を顧みないで、一気により高いところを目指していたよう に感じます。 その結果、失望することも多かったですし、自信を無くすことも多々ありました。でも、 年齢を重ねて、大切な人の死に接したり、自分自身の死をも意識する体験をした後、まず 生きていること自体が有難く感じられるようになって、残された命の中では、少しづつ 日々前進して行くことを心がけたいと、思うようになりました。 その想いの裏には、いささかの諦観や自分への甘さも含まれているかも知れませんが、 残りの人生、まあ出来る範囲で前を向いて進んで行きたい、と考えています。

2021年9月7日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2120を読んで

2021年8月20日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2120では 詩人茨城のり子の詩「自分の感受性くらい」から、次のことばが取り上げられています。    自分の感受性くらい    自分で守れ    ばかものよ この自立心旺盛な詩人は、心が揺れ動いても、劣等感にさいなまれても、人や時代のせい にしないで、常に自分の価値基準で判断し、信じるところを突き進めと、読者を叱咤し ます。 その姿勢は潔く、しかも自らがその生き方を実践しているので、説得力があります。 確かに私たちは物事が上手く行かない時、ついつい色々なことを他人や環境のせいにして、 自らを慰めたり、安心感を得たりします。でもそれは、後ろ向きな解決法でしかありま せん。 大切なのは、揺れ動かない価値観を持つこと、全てをそれに引き付けて、自己責任のもと に行動し、判断すること。しかし、このような心構えで生きるためには、けた外れに強い 精神力を持たなければならないでしょう。 でも、そこまでの胆力を持ち合わせない私たち市井の者共は、社会や他人に振り回される 自分に飽きれながら、せめて彼女の詩を読むことによって、心を励まされるのではないで しょうか?

2021年9月3日金曜日

「阿川尚之 現代のことば おかしみの悲しさ」を読んで

2021年8月18日付け京都新聞朝刊、「阿川尚之 現代のことば」では、同志社大嘱託講師・米国 憲法史の筆者が、「おかしみの悲しさ」と題して、アメリカのレーガン大統領や大リーグヤン キースの往年の名捕手・監督ヨギ・ベラの例を引いて、アメリカ人のユーモアについて語って います。 その言葉によると、アメリカ人は今でもユーモアを大切にし、指導者の評価基準にさえなる そうです。また、ある大学教授が授業の時に示した例として、「ユーモアの定義は、調和しな い要素の並置」が挙げられていて、作家マーク・トウェインが言った「人間のすることはすべ て哀れだ。だからユーモアの本当の源泉は喜びではなく悲しみである」という言葉と合わせて、 ユーモアは自らの人生を笑う力から生まれると結論付けています。 現在の私たちの日本では、漫才を中心としたお笑いブームということもあって、洒落や軽口、 アクションといった表面的な笑いが広く支持されているように感じます。またそういうこと から面白い人という時、このようなセンスが重視されているように思います。 ですが、ユーモアといった感覚は、どちらかと言えば日本では、落語のおかしみに近いのかと、 私は感じます。突発的な笑いを誘うものではなくて、じんわりとにじみ出て来るような。 私自身個人的には、洒落や軽口に近いおっさんギャグを発することもありますが、本当はユー モアのセンスを持ち合わせた人間でありたいと、思っています。そのためには、人生の酸いも 甘いも知りぬいた人にならなければならないのかも知れません。いやまだまだ、修業が足りま せん。

2021年8月31日火曜日

「鷲田清一折々のことば」2118を読んで

2021年8月18日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2118では 作家・関川夏央との対談『日本人は何を捨ててきたのか』から、哲学者・鶴見俊輔の次の ことばが取り上げられています。    真理を方向感覚と考える。その場合、間違い    の記憶を保っていることが必要なんだ。 確かに我々日本人は、過去の過ちや失敗を、うやむやにしてしまう傾向があるのではない か? その典型的なものが敗戦の体験で、全ての罪は軍国主義にあると考え、一般国民は逆に 犠牲者であるというような言い分が、年月が過ぎるにつれて支配的になって行ったように 感じられます。 しかしあの戦争直前には、この国に好戦的な気分が醸成され、庶民の間でも開戦を望む 機運が高まっていたように伝わりますし、真珠湾攻撃の成功は、熱狂的に受け入れられた と言われます。 勿論あの当時は、国民の生活状況や国際情勢も、現代とは全く違うので、単純に現在の 価値観であの頃の一般的なものの考え方や、行動様式を非難することは出来ませんが、 やはり、庶民も戦争に否定的でなかったことは、記憶しておくべきことだと、思います。 その後悲惨な戦争を経験して、国民の中に厭戦の気分が広がり、平和を尊いと感じる思い が広がったことは、かけがえのないことだと感じますが、そこに至る我々の思考方法の 変化については、反省の意識と共に、胸に刻み付けておくべきであると、強く思います。

2021年8月27日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2100を読んで

2021年7月30日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2100では 作家中島らもの随想集『その日の天使』から、次のことばが取り上げられています。    一人の人間の一日には、必ず一人、「その日    の天使」がついている。 とても詩的なことばです。そして同時に、救われることばでもあります。 人生はままならないもの。大きな災難、哀しみ事でなくても、いたるところにちょっと した悩み、小さな不満が隠れています。 最近は、それが当たり前に思えて来て、かえって望外の喜び事や、物事がうまく行き 過ぎると、後の反動が心配になるぐらいですが、それでも、日常の中に悩みや落ち込む ことは、絶えません。 ですが上記の言葉のように、一つの負の感情には、対になる些細な喜びや癒される感情 が付いて来ると考えると、随分気持ちが楽になります。 かつて私が観た、ビム・ベンダースの『ベルリン天使の詩』という映画で、図書館で 読書している人に優しく寄り添う天使の姿に、強く胸を撃たれましたが、正にそのような イメージを、この言葉に感じます。 要は、負の感情にさいなまれることがあっても、きっとまた救いも訪れるはずだ、という ことを信じ続けることでしょう。私も、ささやかな可能性を信じて、毎日を丁寧に生き たいと思います。

2021年8月24日火曜日

池波正太郎著「散歩のとき何か食べたくなって」を読んで

「鬼平犯科帳」「剣客商売」等で知られた、時代小説の人気作家として有名な著者による、 ひいきにした各地の食の名店を巡るエッセーです。 さすがの流麗な文章で、料理やそれに携わる人々への愛情に溢れ、読んでいて思わず、こちら も心地よくなる癒しの書です。 また折しもコロナ禍で、外食が制限される中にあって、料理店で食事をすることの楽しさ、 掛け替えのなさを、教えてくれる書でもあります。更には、単に名物料理、名店の紹介に留ま らず、著者自身の生い立ちや経歴も含めて、食を巡る優れた文化論になっています。 その観点で私の最も印象に残ったのは、著者が東京の下町出身の生粋の東京人ということも あって、在りし日の東京の食と風俗を描いた部分で、若かった頃に銀座の「資生堂パーラー」 で初めて洋食を食べたことから語り起して、当時の銀座のハイカラな佇まいと、背伸びして それに触れる著者の喜び、先端の料理を提供する料理人、スタッフの矜持を描き出すことに よって、活気に満ちた往時を再現する、あるいは、子供の頃から親に連れて行ってもらった、 蕎麦屋通いの習慣がすっかり身に付き、都内各所にある「藪蕎麦」で一杯ひっかけることが 恒例になっていると記して、東京人と蕎麦が切っても切れないものであることを、描いてい ます。 また、親戚の住んでいることから良く訪れた深川が、海に近く「江戸前」の魚介の供給地で あったこと、更にこの地の名店、泥鰌鍋の「伊喜」と馬肉鍋の「みの家」を巡るエピソードを 記して、当時のその界隈の様子を浮かび上がらせます。 東京以外の店の紹介では、やはり私の暮らす京都が気になりました。池波は、仕事柄度々京都 を訪れています。彼が足を向けたバー「サンボア」は、私も行ったことがあり、その頃は無論 主人は代替わりしていましたが、それでも歴史に裏打ちされた独特の雰囲気がありました。彼 の好みの一端を知る思いがしました。 その他にも「三嶋亭」「村上開新堂菓舗」は、今でも横目で眺めながら通り過ぎています。 往時と地続きのものを感じます。 本書が刊行されてから40年以上が経ち、著者も存命ではありませんが、本書に記されたような、 食を巡って店と客の間で醸成された濃密な文化が、途切れず残って行くことを、切に願って 止みません。

2021年8月20日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2097を読んで

2021年7月27日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2097では イタリア育ちの日本文学研究家・詩人ディエゴ・マルティーナの『誤読のイタリア』から、 次のことばが取り上げられています。    モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、直    すものなんだよ 私たちはいつごろから、身の回りのものを簡単に捨てるようになったのだろう?そう考える 時、私はまず、衣類を思い浮かべます。 私の子供の頃には、よそ行きには、よく父親の服を仕立て直したものを、着せられていまし た。その服が、子供ものにしては生地も上質なので、育ちのよさそうな子供に見えると、 周囲の大人からおだてられて、自分でも気に入っていたことを記億しています。 その時の想いが身に沁みついているのか、私は今でも洋服の物持ちがいい方で、少し品の よいものはまずよそ行きとして着用し、それから常着に降ろして、10年以上愛用している ものもあります。そんな私の感覚からすると、相対的に廉価な服を1シーズンで着つぶすと いうやり方は、性に合わないと感じます。 同様に子供の頃には、母親が、例えば古いタオルを雑巾にしたり、カレンダーを切ってメモ 用紙にするなど、色々なものを再利用するのを見ていたので、そうするのが当たり前と思っ て来ました。 でも世の中は移り変わり、大量生産、大量消費の時代になって、私自身がそれを如実に感じ たのは、電気製品の中にも、修理するよりも使い捨て、という品が増えたことでしょうか。 まあ、こういうことを言っていること自体が時代遅れなのでしょうが、ヨーロッパなどでは まだ、そのような習慣が残っているように聞いたことがあります。私たちも、品物によって は、そのように使用方法を見直すべき、と思います。

2021年8月17日火曜日

黒川創著「ウィーン近郊」を読んで

私は京都に生まれ、同地で教育を受け、就職後一時離れたことはありましたが、結局家業の 白生地店を継いだので、人生の大半をこの地で暮らしています。従って遠い異国の地で、 望郷の念を抱きながら、自死を遂げた本書の主人公の想いは、理解の及ばないところがあり ます。 しかし複雑な家庭環境や、持って生まれた体質から、故郷に安住の地を見出せなかった彼が、 唯一熱中したラグビーから国際的な視野を持つようになり、ウィーンに行き着いたという ことには、若き日の私自身にかけていたものを、彼が獲得したという意味において、一目 置く思いがしました。 ですが彼の弔いと事後処理のために、幼い子供を連れて急遽ウィーンに来ることになった、 彼の妹の兄を巡る回想を読むと、彼はこの地では母替わりか、配偶者か判然としないものの、 かなり年上の思慮深い伴侶を得て、その女性の死が彼の自死にもつながる訳ですが、慎まし いながらも自足した日々を送っていたように思われます。その意味で彼の人生は、決して 悲惨ではなかったと、私は感じました。 他方、彼と同じ家庭環境に育った妹は、自立心の旺盛な人だと感じます。単身で養子に迎え た幼児を養育しながら生計を立て、今回も一人で子供を連れてウィーンにやって来ます。 彼女の成人するまで苦労を共にした兄への想いは深く、葬送のためのウィーン訪問にも、 兄妹の強い絆と愛情を感じます。 しかし、この妹が自ら夫婦仲が悪い中で、特別養子縁組で生まれて間もない子供を迎えた ことには、釈然としないものを感じました。自身の離婚を想定してもそのようなことは可能 か?つまり、この兄妹の自由さが、私の肌に合わないのかも知れません。 さて一方、本書のもう一人の重要な登場人物で、この兄の死後の手続きや遺族のサポートを 担う、在オーストリア日本国大使館領事の男性は、主人公と同じ元外務省派遣員の立場から 外交官になったという意味で、対照をなします。彼も、この在留邦人の死者のその経歴を 踏まえて、それとは悟られないように、遺族である妹の世話を行っているように推察され ますが、この自殺事件を切っ掛けに、自身の来し方を顧みずにはおかれなかったように、 思われます。彼の生き方は、地に足が着いたものであると感じました。 ヨーロッパの国に単なる旅行者ではなく、滞在する邦人の暮らし方の一端を、知ることが 出来たことも、貴重であると感じられました。

2021年8月14日土曜日

「鷲田清一折々のことば」2088を読んで

2021年7月18日付け朝日新聞朝刊「鷲田清一折々のことば」2088では 西洋中世哲学史家山内志朗の『小さな倫理学入門」から、次のことばが取り上げられて います。    感情もまた能力なのです。愛も恩も義理も、    自然と身につくものではないのです。 私は、感情の中の原初的なものは、本来人間に備わっているものだと考えます。例えば 何かを愛しいと感じたり、美しいと思ったり、また逆に恐ろしいと感じたり、憎たら しいと思ったり・・・。 でもその感情の核のようなものを、自覚的に認識するためには、他者を思いやり、相手 の立場に立ってものを考えることが必要なのではないでしょうか? そして、そのような態度を身に付けるためには、相手の気持ちを感受するための、訓練 が必要なのだと思います。 更には、そのような訓練を積むためには、自分に好意を抱いてくれる人、温かい心の 持ち主と多く交わることが大切でしょう。だから不幸にして、悪意に満ちた人や、猜疑 心の強い人に囲まれる環境にいる人は、そのような訓練を受けることが難しいかも知れ ません。 だから、好意的な人に囲まれている人は、そのことに感謝しなければいけませんし、逆 の立場の人は、自分が置かれた環境に自覚的になって、誰かの助けを借りてでも、そこ から抜け出すことを、模索すべきなのでしょう。

2021年8月11日水曜日

私の大腸がん闘病記⑳

手術からほぼ1年の月日が流れ、私の大腸がんの闘病生活もようやく、ひと段落を迎えた ようです。まだ1年後検診を受けていないので、今後の検査のスケジュールは分かりま せんが、恐らく6か月毎か1年ごとに検査、検診を受け、もし再発しなかったら5年後には、 今回の癌は完治ということになるのでしょう。 私としては、油断することは出来ないけれども、とりあえず正常な体に戻ったと考えて、 日々の生活に勤しみたいと思っています。 しかし、この闘病生活を振り返ってみると、最初は本当に青天の霹靂、起こった事態が 全く信じられず、何か他人事のように感じたように思います。 でも手術準備が進んで行くと、後は戸惑いと不安が高じて来て、これを済ませれば確実 に回復するという思い込みだけが唯一の希望で、そのことを信じて手術とリハビリに 励みました。 ですから手術後、抗がん剤治療が必要と言われた時には、かなりのショックを受けま した。そして実際の抗がん剤治療も、長期間続けなければならないことと、断続的に 副作用が続くことによって、かなり苦しいものでした。 なぜこんな目に遭わなければならないのかと、恨みがましく感じたこともあります。 しかし、まだ私は人生にやり残したことがあるので、このままでは終わる訳にはいか ないと、自分を鼓舞する気持ちと、苦しいということは回復するということだという、 根拠のない楽観だけが、私の消沈する心を奮い立たせてくれました。 そして決して忘れてはならないのは、医療従事者の方と家族のサポートです。当たり前 のように優しく、時には厳しく、支えて頂いたことが、私の闘病生活の糧となりました。 また、健康であることの有難さも、しみじみと感じました。この思いは、これからの 人生がある意味第2の生という風に感じられることともつながっている、と感じます。 とりあえずこれで、私のつたない大腸がん闘病記を終わります。

2021年8月6日金曜日

内海健著「金閣は焼かねばならぬ」を読んで

金閣消失を巡り、放火犯で金閣寺の寺僧林養賢と、これを題材に名作「金閣寺」を著した、 作家三島由紀夫の精神世界を描く、第47回大佛次郎賞受賞のノンフィクション作品です。 三島没後50年の記念作品でもあります。 私たち京都人にとって、70年ほど前の金閣消失は、今なお心騒ぐ事件です。放火犯の青年僧 の動機は、金閣の美に魅入られたためであるという通説が一般に流布していますが、現在の 新装なった全身に煌びやかな金箔を纏う麗姿ならともかく、その頃の金閣は金箔も剥げ落ち、 今ほどの光輝もなかったといいます。 無論人の憧憬の対象は様々ですが、そういう前提もあって、今一つ説得力に欠ける動機で あると感じて来ました。本書は精神科医である著者が専門を活かして、放火犯の実行に至る 精神構造と、その過程を見事に作品に描き出すに至った三島の精神構造を、綿密にあぶり出 しています。 私は精神医学には無知なので、その指摘は逐一新鮮で、また著者は哲学にも造詣が深く、 人間の精神世界を歴史的裏付けを持って彫り深く表現することに長けているので、大変刺激 的に本書を味わうことが出来ました。 さて著者によると、吃音を持ち人一倍生真面目、後には当時宿痾であった結核を発症した 分裂気質の林養賢は、修行僧としての過酷な生活と、観光寺院としての金閣の華やかさの ギャップ、またあるいは、将来この有名な寺院の住職に成れるかもしれないという野望に 急き立てられて、次第に分裂病の発症の臨界点へと近づいて行きます。 そしてその臨界点で明確な動機もなく放火を実行し、逮捕後一定の時を経てことの重大さに 押しつぶされて、分裂病の症状を呈するようになります。 他方三島は、幼少の頃祖母によって父母からさえ切り離され、周囲から隔絶されて育つと いう特異な生育環境によって、隔離という自己と周辺世界が隔絶された感覚しか持てない 精神病理を抱えていましたが、「金閣寺」執筆に当たっては、自らを主体と設定して小説を 書き進めることによって、主人公の放火に至る時々の思いに寄り添うことが出来ない資質ゆえ に、かえって事件の現場での主人公の病理を適確に描き出すことが出来たと語っています。 二つの稀有な精神が火花を上げるその場所に、正に文学が誕生する瞬間を描き出した、読み 応えのある作品でした。

2021年8月3日火曜日

私の大腸がん闘病記⑲

このようにして私は、抗がん剤治療の数を重ねて行きましたが、8サイクルで終了という中で 7回目に達した時、副作用が一番きつい状態になりました。 点滴の後の体のだるさはそれまでになく強く、直ぐに眠気が襲って来て、3日間ほど日中ほと んど寝床から離れられませんでした。その後も点滴の副作用が残っているようで、その上に 飲み薬の副作用も重なって、体の不調が続きました。 それで8回目の点滴の前の化学療法の担当医の診察の時に、7回目の後のしんどさを思わず 訴えました。すると担当医は、7回目までで点滴による抗がん剤は、十分に私の体に入って いて、これ以上入れると許容量を超える場合もあるので、これで点滴は終わりにしよう。 8回目は飲み薬だけ飲むように。よく頑張りました。と言ってくれました。 こうして飲む薬だけによる最後の抗がん剤治療が始まり、点滴がないので比較的体の負担も 少なく、私の抗がん剤治療が無事終わりました。 ただ、終わるとすぐに体調が戻ると思っていたら、ことはそれほど簡単ではなく、手足の しびれ、腫れはそれからも長期間残り、胃腸の不調もかなり続きました。それは今になって 思い返してみると、手足の状態は4か月後もまだ少し残り、胃腸の不調も確実に3か月ぐらい は、続きました。それが本当にゆっくり、少しづつ改善して行くのです。 抗がん剤治療終了後4か月に近づいた時、既に手術後1年が近づいていて、大腸の内視鏡検査 を再び受けました。結果は、新たにポリープは確認されず、手術の縫合跡も上手く治って 来ていて、至って順調に回復していると、検査を担当した医師から言われました。

2021年7月30日金曜日

「後藤正文の朝からロック 複雑さの側に立って」を読んで

2021年7月14日付け朝日新聞朝刊「後藤正文の朝からロック」では、「複雑さの側に立って」 と題して、ミュージシャンの筆者が、コロナ禍で日本最大のロックフェスが中止になった ことから語り起して、コンサートの大小によって経済効果と言う観点から、短絡的にその 価値の有無を決めることの誤りについて、語っています。 つまり、一概にコンサートの規模の大きさだけで、観客に音楽的感銘を与える度合いを、 計ることは出来ないということです。 確かに私も、その考えに同意します。先日も誰か指導的立場の人が、オリンピックに観客を 入れることと、普通の子供のピアノ発表会を同列に比較する質問を記者から受けて、逆ギレ 的な発言をして、撤回せざるを得ない事態に陥っていましたっけ。 経済効果を含め、物事を数値で比較することは、一見分かりやすく、明解に見えます。そし て事態の数値化ということは、昨今合理性という観点から、しばしば奨励されて来ました。 でも、数値だけでは測れないものが確かにあると、私たちもそろそろ気づいて来たはずで す。それが証拠に、合理化、経済的効果、有用性を優先した判断の尺度が、温もりのない、 殺伐とした、中身の薄い現実社会を醸成して来たと、感じられるからです。 少なくとも文化、礼節、創造的活動、人と人の絆に関わることは、経済的効果を始めと する数値的な尺度を超えた価値の判断基準を、私たちは持つべきであると思います。 そのためにも私たちは、自分自身の確固とした価値観を持つことが出来るように、日頃 から知的鍛錬を怠らないようにすべきではないでしょうか。

2021年7月27日火曜日

私の大腸がん闘病記⑱

まず点滴、それから2週間の薬服用という、抗がん剤治療を重ねて行くうちに、だんだん それぞれの治療による副作用のサイクルが、体で分かって来るようになって来ました。 つまり、点滴の副作用が1週間目ぐらいには薄れ、次に服薬による副作用が増して来ます。 そしてその後1週間の休薬期間には、しばしの息抜きという具合に、体が楽になります。 このようなサイクルが自覚されて来ると、3週間後に新たな点滴が始まることが、大変 苦痛に感じるようになって来ました。点滴という重い副作用を伴う治療がまずあり、それ から服薬の副作用がじわじわと体を蝕み、やっと休薬で解放されたと思ったら、目の前に は、新たな点滴が待ち構えています。 そこでまた点滴を受けるために病院へ行くことが、どれほど苦しみに満ちたものである ことか!しかも、各治療に伴う副作用は、体の慣れによって軽減されるものもあるものの、 相対的には、回を重ねるごとにきつくなって行くのです。 最初の頃は、この治療は私にとって、癌からの治癒のために不可欠のものであり、この 治療を受けてさえいれば、必ず回復するというポジティブな意識が、治療を忌避する考え を上回っていましたたが、次第に副作用が募って来ると、果たして本当にこの治療を受け て、私の癌は治癒するのかという、疑念が広がって来ました。 それでも、私を何とか治療の継続に向かわせたのは、このままではまだ人生を終わらせ たくない、やり残したことがあるという、癌克服後の生き甲斐を設定することが出来た ことで、それを目標に何が何でも治療を完遂しようという、覚悟が出来たことでした。 癌を患った経験のない方、回復が難しいと宣告を受けながら、一縷の望みを求めて抗がん 剤治療を続けておられる方には、私の考え方は、大げさ過ぎるとか、楽観的過ぎると思わ れるかもしれませんが、まさしく当事者としては、このように感じざるを得なかったの です。

2021年7月23日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2083を読んで

2021年7月13日付け朝日新聞朝刊、「鷲田清一折々のことば」2083では 大阪釜ヶ崎で「こえとことばとこころの部屋」を主宰する詩人上田暇奈代の次のことばが 取り上げられています。    多様性って、やっぱ覚悟いりますよ。 この詩人は、多様性は「自分にとって居心地のいい人だけと一緒にいること」ではなく、 むしろ「招かざるお客さん」とどう「出会い直して」いくかが問題だ、と言います。 なるほど、同じか似た考え方を持つ人と、一緒にいることは心地いい。でも、考え方が 違ったり、立場が全然違う人と、お互いに相手を認め合った上で、共存を図ることは難し い。 でも確かに、多様性とはそういうことであるとは、理解出来ます。それゆえに、多様性を 有することは、柔軟であり、かつ強靭なのでしょう。例えば自然界における種の多様性の ように。 更には、この解釈に付け加えて、「折々のことば」の筆者自身が、多様性の実現の困難さ の筆頭が、自分自身についてではないか?なぜなら、認めたくない自分が自身の奥に居座 っているのだから、と述べています。 う~ん、正にそうなのでしょう。生い立ちや経験、自分の立場から導かれた自身の考え方 は、そう簡単には変えられない(曲げられない)ものです。しかもそれをやすやすと変え てしまったら、自分を見失ってしまうかも知れない、という不安もあります。 でもそれを、あえて客観的な視点から検証し、正すべきは正したり、考え方を変更する ことこそ、あるべき人間の姿であり、これから益々求められている、ことなのでしょう。 私自身にとっても、これはかなり困難なことではありますが、少しでもそのような姿に 近づきたいと、この文章を読んで、感じました。

2021年7月20日火曜日

私の大腸がん闘病記⑰

点滴の翌朝目覚めると、まだ体がだるいような、眠気が頭の芯から抜けないような、感覚が ありました。それに点滴の針を刺した血管の周辺に痛みがあり、これは後に知るのですが、 一度点滴の針を刺した血管にはしばらくダメージが残り、以降同じ腕でも血管を変えながら 点滴の針を刺すことになりました。 それ以外では食欲が少し落ちて、消化に良く喉を通りやすい食べ物を欲するようになりまし た。このことはあらかじめ、抗がん剤点滴の副作用として情報を得ていて、市販の病後の 介護食を通販で購入していたので、私が1日の食事の中で一番量を多く取る夕食には、介護 食の中の柔らか食を食べるようにしました。 また、水や牛乳など液体状のものを飲み込む時にも、常温より冷たいものは舌がひりひり するので、普段冷蔵庫に入っているものは常温に戻したり、温めたりして飲むようにしま した。このような食感に関する副作用は、前半では点滴の数を重ねるほどに強くなり、 後半に入ると体が馴染んで来たのか、比較的軽く感じられるようになって来ました。 他方、点滴の翌日以降はお腹が緩くなり、最初の頃は手術後の大腸の傷も癒えていないこと もあって、なかなか下痢が止まらず、1日の10回以上もトイレに駆け込むことになりました。 この下痢の症状は、点滴後1週間ほどすると、点滴自体による副作用が緩和されて来て、 下痢の症状は治まるのですが、今度は逆にきつい便秘に陥り、なかなか便が出ず、苦しむ ことになりました。 点滴をして、2週間の抗がん剤服用というサイクルで考えると、1週間ぐらいで点滴の副作用 が収まり、2週目からは服用した抗がん剤の副作用が強まって来るように感じられました。 これは、手足にしびれを感じたり、掌、足の裏が赤くはれ上がって感覚が薄れ、力が伝わり にくくなるという現象で、指は小さいものをつかみにくくなり、足裏は少し距離を歩くと 体重がかかる影響で痛くなり、そのような状態になると、あまり歩かないようにしなければ なりませんでした。また、足の裏の刺激が出来るだけ少ないように、足裏に当たる部分に クッションが入れてある靴を、新たに購入しました。

2021年7月16日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2078を読んで

2021年7月7日付け朝日新聞朝刊「鷲田清一折々のことば」2078では、コラムニスト小田嶋隆 の「通販生活」夏号への寄稿から、次のことばが取り上げられています。    われわれの人生にとって本当に必要な仕事の    半ば以上は、さして急を要さない不急の動作    のうちに内在しているものなのだ。 近頃はコロナ禍もあって、「不要不急」のことは後に回す、という趣旨の表現がしきりに 用いられていますが、このような考え方は緊急避難の策でしかなく、これを行政においても 基本に据えたために、国の姿は「ひどく貧寒」になったと、このコラムニストは述べてい ます。 確かに「不要不急」のこと以外に集中するというと、さも効率的で、無駄がないように感じ られますが、私たち人間の生活は、緊急ではないけれど、決して不要ではないことの積み重 ねによって、成り立っている部分も多いように、感じられます。 例えば人と人が顔を合わせて挨拶をしたり、コミュニケーションを図ることや、慣例として の儀式を行うために集まること、季節に合わせた設えを施し、時候に即して生活を整える ことなど。 これらのことは、即効性があり、合理的であるという意味では、無駄なことかも知れません が、それらを抜きにしては、人生は味気のないものになると、思われます。 同様に行政施策においても、私たちが長年培って来た含みや遊びを排除しては、大切なもの が失われて行くと、感じられます。

2021年7月13日火曜日

私の大腸がん闘病記⑯

抗がん剤の点滴が終わり、病院を出ました。病院が自宅から近いので、通常は自転車で 通うのですが、この日は、予め自転車にも乗らないようにと言われていたので、徒歩で 自宅に向かいました。 何か気だるいような、歩いていても宙に浮いているような感覚があって、ゆっくりと 注意して歩きました。また皮膚が過敏になっているようで、外気が表皮をなでるような ひりひりとした感覚がありました。 家に着いた時には、あまり大したことはないように思われて、そのまま仕事に取り掛か りました。疲れたような、体が重いような感じはありましたが、もう夕暮れ前だった ので、終業時間まで仕事をこなしました。 帰宅後体の変化で気づいたことは、先ほど触れた皮膚感覚が過敏になったという部分で、 水で手を洗うと、静電気で痺れるような反応を指先に感じて、驚きました。以降水を 使う時には、十分注意して慎重に指を濡らしました。 また、皮膚の過敏さに関連していると思われますが、ある程度以上硬い食べ物を噛んだ 時に、歯茎が痺れるような感覚が口内に広がりました。それで食事中にものを噛む時も、 慎重に口を動かすようになりました。 点滴をした当日は、食欲もある程度あり、手術後ということもあって、脂っこくない 消化に良いもの、刺激の少ないものを主に食べていましたが、それらの食事も普段通り スムーズに喉を通りました。 ただ、今回の抗癌剤治療のメニュー通り、点滴を受けた後には直ぐに2週間の抗がん剤 服用が始まりますので、食後には抗がん剤5錠飲まなければならず、前回の点滴なしで 薬を服用する時よりも、さらに億劫に感じました。 夜にはいつもより早く眠気を感じ、すぐに床に就きました。この頃にはまだ夜中に何回 も尿意や便意を催してトイレに行っていましたが、不幸中の幸いというか、怪我の功名 とでも言うのか、この日は1回も夜中に起きることなく、朝まで眠ることが出来ました。

2021年7月9日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2073を読んで

2021年7月2日付け朝日新聞朝刊「鷲田清一折々のことば」2073では、作家・クリエーター いとうせいこうの『「国境なき医師団」を見に行く」』から、次のことばを取り上げてい ます。    「たまたま彼らだった私」と「たまたま私で    あった彼ら」という観点こそが、人間という    集団をここまで生かしてきたのだ 異国からの難民を救援するギリシャの「国境なき医師団」の活動を取材した筆者は、難民 として祖国を追われた人々を見て、状況が少しずれれば自分がこの立場だったかもしれ ないと思い知らされます。 人は、ついつい自分の生きている社会状況や、置かれた立場を基準として、ものを考え がちです。国際的に恵まれた環境に暮らしている私たちは、人々が平和な状態で暮らして いることを、当たり前と考えがちです。 でも世界に目を向ければ、紛争によって生命を脅かされたり、政情不安によって経済的に 行き詰まり、やむを得ず祖国を脱出しなければならない人が、今なお多数存在します。 自分自身は例え恵まれた国に暮らしていても、それらの人々の窮状に目を向け、自分が その立場ならと想像力を働かせること。それこそが人類社会の倫理を担って来たのだと、 筆者は訴えます。 考えてみれば私たちが、ある意味人権意識や社会的平等という考え方に対して無頓着なの は、旧弊に縛られていたり、想像力の欠如によるところが大きいと、思われます。 国際的な視座に立ち、世界の中の一員として自分たちを見つめ直すことも、今必要とされ ることであると、この文章を読んで感じました。

2021年7月5日月曜日

私の大腸がん闘病記⑮

ブドウ糖の点滴での注入はスムーズに進み、20分ぐらい後にはそれに合わせて吐き気止めの 薬の注入が始まりました。そしてまた感覚的には20分ほど経過後、いよいよ抗がん剤の点滴 が始まりました。 この薬剤の入ったパックは、全身に物々しい防備を施した、担当の看護師によって大変慎重 に扱われ、取り違えがないように私の名前を確認して、腕につながれているチューブに装着 されました。引き続きブドウ糖の注入も継続されているので、最初はあまり体調の変化を 感じませんでしたが、徐々に何か不穏なものが体に入って来るような、気持ち悪さを感じる ようになって来ました。 点滴中にはブドウ糖が継続的に体に注入されているので、しきりに尿意を催し、またその第1 回目には手術後あまり時間が経っていないので、便意もコントロール出来なかったので、 頻繁に化学療法室内のトイレに通いました。 トイレに行く時には担当の看護師に申告して、抗がん剤の点滴を止めてもらって、しかし 点滴の針を抜くことは出来ないので、点滴用のポールを引きずりながら向かいます。用を足 すにもチューブに注意しながら便座に座らなければならず、大変窮屈でした。しかも点滴が 止めてあるとはいえ、抗がん剤のパックをポールにぶら下げているので、非常に気を使いま した。 また点滴中には、担当の看護師が薬剤のパックを交換する時以外にも、何度も私のところに 来て、様子を確認してくれました。抗がん剤を投与されている患者に、万一体調の急変が あったら、迅速に対処するという姿勢が、ありありとみえました。 最初のブドウ糖投与が始まってから約3時間ぐらいで、第1回目の点滴による抗癌剤治療が 終わりました。最後の方になって来ると、次第に悪寒がするという風で気分が悪くなって 来て、いつ終わるか待ち遠しい気持ちで、抗がん剤のパックの中の薬剤が次第に減って 行くのを眺めていました。 とにもかくにも、1回目の治療が終了しました。

2021年7月2日金曜日

「鷲田清一折々のことば」2072を読んで

待望の再開第1回、「鷲田清一折々のことば」2072では、詩人佐々木幹朗の評論『中原中也 沈黙の音楽』から、次のことばが取り上げられています。    わたしはどう生きるか、これから、という切    実な、未来に対する畏怖の思いを抜きにし    て、言葉は力を持たない。 このことばを受けて、鷲田は「言葉のほんとうの力は、人がその存在の乏しさの極まるぎり ぎりのところで、次の一歩を踏みだすのを支えるところにある。」と受けます。 確かに日常の伝達や確認、また感情の表明とは別に、影響力や共感力のあることばとは何か、 と考えた時に、上記のことばが示す指標は、端的に力あることばのあるべき姿を、語って いるでしょう。 ことにこのコロナ禍では、政治によることばの空虚さ、説得力のなさ、後手に回る歯がゆさ を皆が感じているだけに、なおさらです。 でもこのようなことばの重要さは、何も公共の空間や芸術の世界に限らず、一般人の周囲の 人々との関係性や、個人的な自らの指針を作り出す場合にも、必要なことであると感じられ ます。 とにかく、他者にしても、自分自身にしても、いわゆる人間というものを共感させ、奮い 立たせるためには、自分の全存在を賭するような気概や覚悟がいるのではないか。そして そのためには、自分の与えられた命を精一杯生きることではないか。私はこの文章を読んで、 そのように感じました。

2021年6月29日火曜日

私の大腸がん闘病記⑭

化学療法室に着いて、初めて注意深く部屋の様子を見ました。入ったところに受付と看護師 等スタッフの詰め所があり、進むと向かって左右に部屋が広がり、壁際にはベッドと背中 部分を倒すことが出来る安楽な椅子がずらっと並んでいて、それぞれがカーテンで仕切られ ています。 既に、抗がん剤の点滴を受ける患者が横たわっていたり、安楽椅子に座っている仕切られた ブースも多くあり、カーテンの隙間から垣間見えるところでは、それぞれの患者の腕には、 点滴用のチューブがつながれているようです。 私は、それらの内の空きベッドの一つに通され、しばらく待つと看護師が来て、現在の体調 等を質問されましたが、一回目の抗がん剤の服用だけでは、取り立てた副作用もなかったの で、その旨を伝えると、いよいよ点滴を始めることになりました。 点滴の用意が出来るまで、しばらくベッドに横になって、辺りの様子を伺いながら待って いると、改めてこの部屋の物々しい雰囲気と、患者を出来るだけリラックスさせようとする、 スタッフの心配りが見えて来るように感じられました。しかしそれ故に、点滴を受けること への緊張感が、いやがうえにも高まって来ました。 最初に持ってこられた点滴用のパックは、ブドウ糖ということで、それをチューブを介して 腕につなぐことになったのですが、まず腕の血管に点滴用の太い目の針を差し込む作業が、 大変注意深く行われました。 これは、後ほど抗がん剤を点滴で注入する際に、もし液が漏れたら痛みを伴ったり、腕の 組織を傷つけることになるそうで、そのような事態が起こらないように、極めて慎重に針 の挿入が行われるということでした。 とにもかくにも、点滴が始まりましたが、まずはブドウ糖の注入なので、比較的落ち着いた 気分で望むことが出来ました。

2021年6月25日金曜日

ポール・オースター「ガラスの街」を読んで

オースターという作家について、何の予備知識もなく、この小説を読み始めた私にとって、 初めと最後で物語の印象ががらりと変わった、稀有な小説でした。 最初は文字通り、アメリカの小説らしい洒脱で良質な探偵小説として、わくわくしながら 読み始めました。愛する妻と子に先立たれ、厭世的な気分でひっそりとニューヨークに 暮らす作家クインの元に、正に著者自身と名前を同じくする、探偵ポール・オースターを 名指した間違い電話がかかります。好奇心に負けてこの探偵に成り済ましたクインは、 依頼者の所へ赴き、幼少期に狂信的な父親によって、長い年月監禁されたために、今なお 心身に痛ましい傷を抱える青年を、近日精神病院を退院して、この哀れな息子に危害を 加えるために帰って来る、当の父親から護ってほしいという依頼を、青年の妻から受け ます。以降ニューヨークの街中で、青年の父親と思しい老人に対する、クインの執拗な 尾行が始まります。 ここまでは、探偵小説の定石通り。誇大妄想的な難解な思想に囚われた老人の、街中を 歩き回る不可解な行動を執念で追うクイン。彼は、老人のこれからの計画を予想しようと 推理をめぐらせ、読者は息をつめて彼を見守ります。しかしクインが老人を見失い、途方 に暮れて小説中のポール・オースターを訪ねる頃から、筋が怪しくなります。そして、 詳述は避けますが、クインは自らの使命に囚われるあまり、自分を喪失して、身を持ち 崩して行きます。 この小説で、作者は何を語りたかったのでしょうか?主人公クインと作家自身のオース ター、そしてオースターの友人らしい物語の語り手、三者が交錯して、ストーリーは複雑 を究めます。 それ故、私なりに作者の言わんとすることを推考して、クインは作者の心の中の探偵心( 好奇心とミッション遂行のための義務感、良心)ではないかと、思い至りました。これに 囚われる余りにクインは身を持ち崩し、他方、これの欠如した作中のオースターは、下ら ない作品を書いて、のうのうと生きています。恐らく、著者自身の執筆活動における内面 の葛藤を、図式化するために本書は著され、より高処に立つ語り手も、必要だったので しょう。 またこの作品にとって、ニューヨークの街そのものも、第二の主役であると思います。 クインの尾行を通して、この都市の息遣いが生き生きと描き出され、私はその描写から ソールライターの写真を想起しました。 更に著者は、日頃蚊帳の外に置かれている、この街に暮らす底辺の人々への視線を、失い ません。その姿勢が、この物語に厚みを与えていると、感じました。

2021年6月22日火曜日

私の大腸がん闘病記⑬

さて、抗がん剤の服用が始まりましたが、最初は正直目立った副作用もなく、それに伴う 体調の変化も感じられませんでした。それよりも、手術の後の痛みと共に、一定の間隔で 下痢をして、その後便が固まってなかなか出なくなるという便通の不具合や、いつも腸に ガスが溜まっていて、下腹部に膨満感があるような不快感が続いていて、そちらの方が 目下の苦痛の種でした。 ただ朝夕に毎回、かなりかさ高い抗がん剤を5錠づつも飲むことは、今まで常時薬を服用 してこなかった私には抵抗感があり、その都度うんざりしながら錠剤を口に放り込みまし た。 そうするうちに、最初の2週間の薬の服用が終わり、1週間の休薬期間も済んで、いよいよ 抗がん剤の点滴を受ける日が来ました。 予めその日の3日前ー私の場合、点滴を受ける日が月曜日で、前週の金曜日に病院で血液 検査のための採血を受けますーに採取した血液のデータが、担当医の手元にあげられて いて、それを基に診察があり、取り立てた異常な数値がないということで、その日に点滴 を受けることが決定されました。 遂に本格的な抗癌剤治療が始まるとなると、いやがうえにも緊張感が高まります。考えて みれば、今まではテレビドラマでそのような設定のシーンを見ても、それどころか、身近 につながりのある人にがん治療の体験を聞いても、気の毒に思ったり、同情することは あっても、あくまで自分は安全な場所にいて、その状況を客観視しているような立場でし た。 しかし自身が当事者になってみると、その切迫感は全く違います。何か重圧がのしかか って来るような、不安に包まれながら、抗がん剤の点滴を受けるために、化学療法室に 向かいました。

2021年6月18日金曜日

森まゆみ著「子規の音」を読んで

近代俳句、短歌の革新者正岡子規の、彼が東京で長年を過ごした、根岸周辺を取り上げる 地域誌を創刊し、この地域の環境保全にも関わった著者による、彼自身の俳句、短歌を 多数散りばめた、随想形式の評伝です。 子規の伝記、評伝の類は、既に多数刊行されていますが、これほどに彼の暮らした地域に 密着して、彼の足跡を追った評伝は初めてと思われますし、また、そこに織り込まれた彼 の俳句、短歌作品が、時々の彼の息遣いを直に伝え、読後の余韻を長く残す作品になって います。 私も子規の生涯は、他の伝記や彼の著作から予め知っていますが、この形式で描かれた 本書は、現に目の前に彼が生きて、多くの知友と文学活動を行い、そして、力尽きて逝っ たことを体験しているような、臨場感があります。 その短くも波乱に富んだ人生の中で、私の最も印象に残ったのは、彼の人を惹きつける力 です。彼は権威に媚びません。身なりを構わず、金に無頓着ですが人一倍大食漢です。旅 が好きで、文学の革新に並々ならぬ情熱を燃やし、我儘ながら人懐っこく、面倒見が良い。 ざっと彼の性格を並べましたが、本当の魅力は、実際に会ってみないと分からないでしょ う。本書を読んで、彼のごく身近に寄り添っているように感じられるだけに、その辺が 非常に歯がゆく感じられます。ただ、付記されている俳句や短歌に、そのことを憶測させ るヒントがあるように思われます。それこそが、近代の短歌形式の文学の魅力の一つで あると、感じられました。 また、子規の俳句、短歌で言えば、本書の表題にもなっていますが、彼の作品の特徴は、 読むと内部から音が聞こえて来るものが多く存在し、そのような作品に秀作が多い、と いうことです。その典型が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」で、本書を読んでこの俳句の 魅力に、改めて気づかされた思いがしました。 更には、明治29年の三陸大津波に対する子規の言動が、印象に残りました。彼は、以前に 旅をした東北の地の惨禍に大変心を痛め、病身にありながら、自らが責任ある立場にいる 新聞社の報道員を、いち早く現地に向かわせ、紙面で惨状を伝えると共に、自身も被災地 を気遣う、心打たれる俳句を作りました。 災害が多発する、現在の私たちの社会状況に照らしても、報道人としての彼の気概は、 十分敬意に値するものであると、感じられました。

2021年6月15日火曜日

私の大腸がん闘病記⑫

いよいよ抗がん剤治療を始めることになり、その治療の間、同じ外科内でも同治療を専門と する医師に、一時的に担当が代わることになりました。その医師より、抗がん剤治療という ものの概要の説明があり、実際にその治療を担う病院内の化学療法室へ行くように言われ ました。 化学療法室では、同室の責任者の看護師の方から、私が受ける治療についての具体的な説明 がありました。私の治療法はゼロックス療法と言って、まず抗がん剤の点滴を受け、そこ から2週間抗がん剤を服用し、それから1週間休薬する、そしてこのサイクルを8回繰り返す、 というものでした。 早速その時点から治療が始まるのですが、1回目はまず点滴なしで、2週間の薬の服用から始 めるということになりました。私が服用する薬の名前はゼローダと言って、少し大きい目の 錠剤を1回5錠、それをそれぞれ朝食後、夕食後1日2回飲むことになります。この抗がん剤 治療に伴う副作用についても丁寧な説明がありましたが、これについては、治療の進行に 沿って記して行きたいと思います。 病院で上記の薬の処方箋をもらい、薬局で実際に処方してもらう段になって、一つの選択を することになりました。これは、その薬には正規のものとジェネリックのものがあって、 どちらにしますかと、薬局で尋ねられたのです。 この違いは周知の通り、薬には往々に正規医薬品と、それを基に作られた後発医薬品(ジェ ネリック医薬品)があり、後発品は正規品に比べて価格が安いというものです。私の服用 するゼローダの場合、かなり価格が高く、ジェネリックにすると半額で済むので、経済的に は助かります。 しかし私は、あえて正規品にすることにしました。というのは、正規品と後発品では一般的 に薬の効能に違いはないと言われていますが、絶対という保証がある訳ではありません。 ですから私も、普通の薬であれば迷わずジェネリックを選びます。でも今回の場合、ことが がんという生死に関わる病気を治療する薬である上に、一定以上の副作用も伴うということ なので、ここは正規品の品質を信頼することにしたのです。 とにもかくにも、こうして私の抗がん剤治療が始まりました。

2021年6月12日土曜日

アンソニー・トゥー著「サリン事件死刑囚 中川智正との対話」を読んで

オウム真理教の一連のテロ事件から早20年以上の歳月が流れましたが、ちょうど地下鉄サリン 事件が阪神淡路大震災の直後ということもあり、また新興宗教の教団が、実際に毒ガスを使っ た無差別テロ攻撃を行ったという事実の衝撃も重なって、これらの事件が、私の記憶に鮮明 に焼き付いています。 そのオウム教団の主要な幹部であり、医師でもあった中川智正死刑囚が、生物兵器、化学兵器 の専門家だる、世界的毒物学者アンソニー・トゥー氏と面会を重ねるうちに、教団が如何に して凶悪な事件を引き起こすに至ったか、その中での自らの役割、また逮捕後の心境などを どのように語ったかは、私にとっても大いに興味を惹かれるところでした。 さて、トゥー氏は最初日本の警察の要請もあって、ーその理由で、彼は中川死刑囚と未決囚の 頃から、面会を重ねることが出来ましたー教団の毒ガス製造過程を知ることを目的に、面会に 出かけました。従って、彼が限られた面会時間の中で話題にしたことの大半は、誰がどのよう な方法で毒ガスを製造し、どのようにして一連の事件に用いたか、ということでした。 トゥー氏の質問に、礼儀正しく、適切に答える中川死刑囚の受け答えを読んでも、化学の知識 に乏しい私には、毒ガスの製造方法のことは分かりません。しかし、製造と使用の説明の過程 で、それを担う各信徒の役割及び行動に言及した部分では、それぞれの人物の性格や教団の 体質が自ずと浮かび、興味深く感じました。 トゥー氏が面会を繰り返すほどに、中川死刑囚の心の傷に触れない彼の節度ある態度や、質問 内容が化学に関わることに限られるという、互いの興味の対象の共通性による親しみもあって か、中川死刑囚は心を開いて行ったように思われます。 彼の同じく罪を問われる同僚信徒を思いやる言動や、このような事件を二度と繰り返さない ために、マレーシアで起こったVX炭そ菌テロ事件の捜査に、積極的に協力しようとした姿勢は、 彼の犯した罪が一切の弁明の余地のないものだるにせよ、もし彼がこの教団に入信しなければ、 どれほど社会にとって有用な人物に成り得たかを、示しているように思われます。 人間の思想信条というものが、社会情勢や置かれた環境に大きく左右されるということ、また、 宗教の力とカリスマ的な扇動者の従う者に対する絶大な力について、改めて考えさせる、鋭い 問題提起を含む書でした。

2021年6月8日火曜日

私の大腸がん闘病記⑪

さて、手術直後でまだ体の消耗が激しい中、新たな問題が生じました。それは、手術で切除 したがんの状況によるものでした。 退院後の最初の執刀医による診察の時、その医師から、切開して分かった私の体内のがんの 状況についての説明がありました。その説明によると、最初に大腸の内視鏡検査によって 発見された大腸腸壁内のがんは、予定通り無事切除出来たのですが、それ以外に大腸の外の リンパ節にも2か所がんが転移していて、それも切除に成功したとはいえ、大腸以外にがん が広がっているということは再発のリスクが高まり、つまり私のがんは、最初ステージ1と 予想されたものが、実際にはステージ3ということで、再発防止のために、これから抗がん 剤治療を受けてもらう、ということでした。 私はその話を聞いて、かなりのショックを受けました。というのは、私の今回の手術に対す る心づもりは、この手術によって一時的には痛い目に合うが、その後は回復を待つだけ、 そうすればすぐに元通りの日常生活を送ることが出来る、と言うものだったのです。 しかし今回の説明から、再発のリスクが新たに浮上して来たこと、更には、抗がん剤治療 という、私が断片的に耳にしてきた頭髪が抜けたり、激しい苦痛や、倦怠感を伴う、いわゆ るきつい治療を受けなければいけないことに、強い危惧を感じたのです。 そこでまず、この精神的な不安を乗り越えるために、気持ちの持ち方を変えなければなら ない、と思いました。それで今度は、私のがんはとりあえず全て切除することが出来たの だから、今現在は体の中にがんはない、リンパ腺に転移していたとはいえ、比較的初期の 発見だったので、抗がん剤治療をやり遂げれば再発は食い止められるはずだ、だから希望 を持って、それに専念しよう、と考えることにしました。 実際に医師には、このような状況での抗がん剤治療後の完治率は一般的に約7割で、私の 年齢や体力、状況を考慮したら、治癒する可能性は極めて高い、と励まされたのでした。

2021年6月4日金曜日

「青地伯水 現代のことば オリンピアとレニ」を読んで

2021年6月4日付け京都新聞夕刊「青地伯水 現代のことば」では、「オリンピアとレニ」と 題して、京都府立大学教授・欧米言語文化ドイツの筆者が、1936年のベルリンオリンピック の記録映画「オリンピア」を制作した、レニ・リーフェンシュタール監督の同映画撮影の 経緯、技法と、その信念を通して、ドイツ敗戦後毀誉褒貶の中に生きた、良きも悪しきも 不世出の映画人であった、彼女の生涯をあぶり出しています。 私はかねてから彼女に興味があり、また今年がコロナ禍の下に1年延期され、まだ開催の 是非に賛否両論が渦巻く、東京オリンピックの年であることから、この文章を読んで、多く の感慨を覚えました。 まず第1の点は、オリンピックとはいかなるものか、ということです。周知のように、レニ がメガホンを取ったベルリンの大会は、ヒトラーによるドイツの国威発揚のために挙行 されました。それ故レニは後年ナチス協力の責任を問われる訳ですが、ー彼女が感動的に 撮影した聖火リレーが、その後のオリンピックに定着し、今回の東京大会でも、コロナ禍の ために、様々な制約の中で行われれていることも、随分皮肉なことですーオリンピックが 平和の祭典を謳いながら、極めて政治的な行事であることを、端的に示しているでしょう。 大会の商業主義化や肥大化も含め、コロナ禍はオリンピックが誰のためにあり、如何にある べきかを、問い直しているのでしょう。 第2の点は、記録映画とは、更に大きな範疇として、芸術とは如何なるものであるべきか、 という問いです。レニは美しく、迫真的で、人々の心を動かす映画を制作するために、フェ イクややらせを厭いませんでした。しかし、逆に何を表現すべきかという一貫した強固な イメージがあり、それを現出するために一切の妥協を許さなかったことが、この映画を 洗練され、完成度の非常に高いものにした、と思われます。 記録映画の真実と虚構部分のあるべき姿、美しく人の心を感動させることと、悪しき思想に 人々を誘惑する契機となることの、矛盾と葛藤、ジレンマについても、考えさせられました。

2021年6月1日火曜日

私の大腸がん闘病記⑩

さて、今日は大腸の不調から、話を始めたいと思います。 まずこれが厄介なのは、感覚としては、消化器官のうち、口から小腸にかけては手術による 傷はないわけですから、食べるという行為に対して、自分の体の中にアンバランスが生まれ た、ということです。 つまり、食欲は十分にあり、恐らく手術によって体が消耗しているので、口は脂っこいもの など高エネルギーの食品を求めるようになり、ついつい食べようとしてしまいます。しかし 大腸の方は、まだ傷が癒えていないのですから、消化に悪いもの、精の強いものには拒否 反応を示します。 従って、自分では抑制しているつもりでも、知らず知らずのうちに食べ過ぎてしまい、その 後には激しい下痢に襲われて、体が消耗するということを、繰り返してしまいました。 また私は大腸の内、S字結腸と直腸の一部を切除したので、手術後かなり長い期間、どう やら排泄前の便を適当な形に整えたり、排便に備えて一定時間蓄えるという機能が失われた ようで、下痢が始まるととめどなくそれが続き、ようやく止まると、今度は固まった便が 肛門を通過出来ないほどの大きさにまで膨らんで、激しい便秘に襲われました。 ひどい時には、下痢が昼夜問わず16回以上も続き、それが止まると、出そうで出ない便秘が 3~4日続きました。下痢も寝不足が重なって体力を消耗させ、便秘は便秘で、下腹に不快感 と圧迫感があり、何とか排泄しようとトイレの中で力めば力むほど、疲労がたまりました。 下剤の力などを借りて、ようやくひどい便秘が解消されると、ホッとして気が緩み、また ついつい食べ過ぎてしまうという悪循環の繰り返し。とうとう、自分でも一体何をしている んだと、自己嫌悪に陥りました。

2021年5月28日金曜日

「古田徹也の言葉と生きる 比喩的表現に満ちた世界」を読んで

2021年5月27日付け朝日新聞朝刊「古田徹也の言葉と生きる」では、「比喩的表現に満ちた 世界」と題して、日本語では例えば、「お手洗い」と言う言葉が、トイレの後に手を洗う 習慣から、トイレやそこで用を足すことを意味するように、言葉には、文化によって生み 出された比喩的表現が多く存在することを、語っています。 この文章を読んで、私もなるほどと思いました。それに付随して思い浮かんだのは、文化 というものは、時代と共に移り行く部分があるので、このような比喩的な表現の一部の ものも、時代の変化によって意味が通じなくなったり、変容もする、ということです。 私が思いつくところで例を挙げると、日本人の着用する衣装が、近年は大部分が洋装に 変化したので、和装にちなむ比喩的表現が、早晩大多数の日本人に通じなくなるだろう、 ということです。 このような表現をいくらか列挙すると、「襟を正す」「袂を分かつ」「袖を引く」「片肌 を脱ぐ」「裾を合わせる」などです。 これらの言い回しは、日本人が日常に着物を着用していることによって、初めて生まれた 表現で、最早着物をほとんど着なくなった私たちでも、まだかすかに和装をした時の記憶 が残っているために、それらの言葉をかろうじて理解することが出来ますが、我々より 更に着物との縁が薄い下の世代では、早晩これらの言葉が理解不能になる、と思われます。 時代の移ろいと言えばそれまでですが、豊かな日本語の表現の一部が失われることに、 私たちの世代としては、一抹のさみしさを感じます。

2021年5月26日水曜日

私の大腸がん闘病記⑨

さて、いよいよ退院して、家に帰りました。退院できるのだと気分も高揚し、直ぐに普通の 暮らしに戻れるような感覚に囚われていました。しかし実際に生活を始めると、ことはそん なにスムーズに運ぶものではありませんでした。 私は自営業で、自宅で仕事をしているので、その意味では時間に融通が利きます。周りの人 に助けてもらって、自分のペースで仕事をすることも可能です。おまけにこの当時はー今も そうですがーコロナ禍で、来客も、注文を受けることも少なかったので、その点は手術明け の人間としては、大いに助かりました。 しかしやはり、肝心の体が思うようには動きません。全身に力が入らないというか、痛み 止めはもう飲んでいなくて、じっとしている分には自覚的な痛みはないのですが、体を動か すと何かの拍子に痛みが走り、ドキッとさせられます。また、体を横にすると、仰向けに 寝た状態から体の向きを左右に動かす時に鋭い痛みが感じられ、しばらく仰臥したまま同じ 姿勢で、寝転んでいることしか出来ませんでした。 これは夜に就寝する時も同様で、従って当分は寝返りを打つことも出来ず、安眠することが かないませんでした。そしてもう1点、切除手術を受けた大腸の調子がとても不安定で、この ことも安眠を妨げました。そのことについては、次回に書きたいと思います。 体を動かすという部分では、手術自体は開腹手術ではなく腹腔鏡手術で、体の表面が大きく 切開された訳ではなく、傷口も小さいのですが、体の内部では腹筋を切開した上で大腸を 切除しているので、やはり傷が治るには相当の時間がかかります。従って、半年ぐらいの間 腹筋に無理な力がかからないように、十分に注意してくださいと、言われていました。この ことも勿論、私の行動を大きく制限しました。

2021年5月21日金曜日

ノヴァーリス著「青い花」を読んで

ドイツロマン派の詩人ノヴァーリスの小説です。作者が夭折したために、未完に終わりまし たが、それでも魅力に満ちた作品であると、感じました。 詩や人文智が至高の存在であった時代の小説で、作者自身も貴族階級の出自、世俗的な憂い とは無縁の人の、混ざりけのない人生の理想を求めるような、あるいは夢見るような物語で、 現代の高度に発達した資本主義社会の中で、時間や金銭の算段、合理性の追求の圧力に急き 立てられ、また満ち足りない思いや疎外感に囚われる私たちにとって、はたしてこの小説が 実感を持って心に響くのかという疑念も、ないことはありませんでしたが、読み進めるうち に、主人公の一途に美と愛を求める真摯な姿が、今は疎んじられ勝ちな、文学的叡智の豊饒 な可能性を示してくれるようで、私は勇気づけられるものを感じました。 さて、この小説を読み進めるうちに気づいたり感じたことを書き記すと、まず、ヨーロッパ の詩歌が、ギリシャのそれの伝統を色濃く引き継いでいるということ。これは、近世以降に 顕著なことかも知れませんが、私たちはヨーロッパ文化というと、直ぐにキリスト教を思い 浮かべるので、その基層にはギリシャ的なものの考え方があることを、再確認させられまし た。 次に、この小説の舞台の時代においては、詩歌というものが特別な力を持っていたという こと。これは日本の宮廷文化でも言えることですが、ある時期までの社会では、言葉の力、 詩歌の力が、特に上流階級においては、必要不可欠な教養であったということ。それも当時 のヨーロッパにおいては、歌合戦の敗者が死を宣告されることもあるという、歌うことが 真剣勝負であったということです。 今日の社会では、科学的な価値観が優先され勝ちですが、人間の感情生活を豊かにする文学 的な言葉というものが、もっと見直されるべきであると、本書を読んで感じさせられまし た。 最後にこの小説の中で、主人公が一夜の旅の宿で出会った老坑夫の人柄と描かれ方が、大変 印象に残りました。この坑夫は労働者としてたたき上げて一流の職人になり、引退後は諸国 を遍歴して有用な鉱脈がないか各地の地層を調べて歩き、また主人公の良き教育者となるの ですが、自らの職業に誇りを持ち、知識の獲得に喜びを見出し、富を求めない姿に、理想化 されているとは言え、ヨーロッパのマイスター精神というものを見る思いがしました。

2021年5月18日火曜日

私の大腸がん闘病記⑧

痛いなりにも、少しずつ体が動かしやすくなり、ベッドに横になっていても、体位を変える ことが可能になってきたので、安眠出来る時間が増えました。また、手術後数日でガスが 出て、以降排便も始まり、種々の検査を受けても、順調に回復に向かっている、と言うこと でした。 まだ起き上がって、病院の廊下を点滴のポールを杖にして歩くのは苦痛で、億劫でもあり ましたが、そうすることが回復を早めると、繰り返し言われていましたので、努めて1日 数回歩くようにしました。最後の方には1日3回、各7周ぐらい歩いたと思います。その中で も、ちょうど8月16日に大文字送り火を病院の窓から見たことが、例年とは違うお盆の 過ごし方ということを、いやがうえにも感じさせられて、強く記憶に残っています。 入院中の出来事で他に思い出すのは、手術後数日中にリハビリが始まったことで、担当の 療法士さんがまずベッドの上で足のマッサージ、それから起き上がって歩くのを見守って くれます。これは一人ではついついさぼりがちになりやすい、術後患者が体を動かすこと をサポートしてくれるということでしょうが、その療法士さんの控えめな態度が、私には 好ましく思われました。その人のおかげで、回復が順調に進んだと、今は思っています。 術後8日ぐらいから、病室で寝たり起きたりしている限りでは、随分体が軽くなったと感じ られ、またその数日前には、導尿と背中の痛み止めのチューブも外されていたので、体の 自由が利くようになり、担当医からそろそろ退院も可能だがいつにしますか?と尋ねられた 時、直ぐにも問題ないと思いましたが、少し余裕を持って2日後に退院しますと、答えまし た。

2021年5月14日金曜日

「古田徹也の言葉と生きる 土地の名を病に使うなら」を読んで

2021年5月13日付け朝日新聞朝刊「古田徹也の言葉と生きる」では、「土地の名を病に使う なら」と題して、筆者の出身地水俣の地名が「水俣病」という公害病の語源になっている ことから、出身者の複雑な思いを語っています。 確かに我々は、「水俣病」は言うに及ばず、「川崎病」「チェルノブイリ原発事故」など、 病気、事故が発生した場所を冠した名称をしばしば用いて来ましたが、私自身それらの 言葉を使いながら、そう呼称されていることによる現地の人の心の痛みには、全く思い 至りませんでした。その意味で、はっとさせられました。 この事例は、私たちが他者の心の痛みに鈍感であることの、典型であると思います。人は 立場が違うと往々に、相手の心の傷に対する想像力が働かないものです。そういう点でも、 こういうことに気づかされたことは、有益であると感じました。 しかし筆者も語っている通りに、その呼称が、それぞれの病気、事故などがどのようにし て発生し、如何に認識され来たかの経緯を、社会の歴史の中に跡付けるものであり、その 名称を用いることなくして、検証も教訓も得ることも行われて来なかったことから、今更 名称を変更することは考えられず、それを使用する我々も、その事実を重く受け止める ことが大切であると、思われます。 その意味でも、それぞれの語源の地に敬意を払いながら、このような負の遺産を記憶し、 教訓として活かすことの重要性を、改めて感じました。

2021年5月11日火曜日

私の大腸がん闘病記⑦

手術後の養生期間が始まりました。背中からチューブで注入している痛み止めが効いている ので、麻酔が覚めても安静にしていれば、あまり痛みは感じませんでした。それで、本を 読んだり、テレビを見たり、ウォークマンで音楽を聴いたりして、日々を過ごしました。 ただし、体を動かそうとすると、激しい痛みが襲います。まず、ベッドから起き上がるのが 一苦労で、可動式ベッドの背中の部分を上げて、ベッドの柵にしがみつき、出来るだけ痛み が少ないように、体をねじりながら、反動を利用して起き上がります。当初はそれが、 かなりの重労働でした。 手術を受けた翌日には、病院内の廊下を歩くことを奨励されました。先ほどの要領で体を 起こし、点滴の薬を吊るした、下部に車の付いたポールにつかまりながら、病院の廊下を 歩きます。体には点滴のチューブだけではなく、たすき掛けにした痛み止めの薬の袋から、 背中の注入口に続くチューブ、導尿カテーテルによる尿を排泄するためのチューブをぶら 下げ、痛みのために体を傾かせながら、廊下を歩きました。最初は1,2周歩くのがやっとで、 数日すると、5,6周は歩けるようになりました。 ふとある時その状態で洗面所の鏡を見ると、髪はぼさぼさ、ひげはかなり伸び、沢山のチュ ーブや袋をぶら下げて、ポールを杖替わりに力なくそこにたたずむ姿は、かなりみすぼら しいものでした。我ながら情けなくなって、その後、急いで、とりあえず髭だけは剃り ました。 食事は記憶する限り、手術後丸一日は絶食、流動食から始まって、徐々に形のあるものに なって行き、入院の最後の方は、柔らかめのご飯と消化の良いおかずになりました。量が 多くなかったので、いつも全て完食出来ました。

2021年5月7日金曜日

方方著「武漢日記 封鎖下60日の魂の記録」を読んで

世界を覆いつくしたコロナ禍の震源地であり、また政治体制が違うために、渦中の実情が 私たちになかなか伝わりにくかった、中国武漢で一体何が起こり、そこに暮らす人々は、 どのような苦難を耐え忍んだのかということを、程度の差こそあれ、同じくコロナ禍に 過ごす者として是非知りたくて、本書を手に取りました。 まず本書を理解する背景として、私たちに断片的に伝わった、西側の報道機関による武漢 におけるコロナ蔓延の報道は、当地では発生からしばらく、このウイルスの危険性への 注意喚起が行われず、その結果市民の間に瞬く間に感染が広がり、次いで医療従事者にも 感染が広がって医療崩壊が起こり、死者が日に日に増して行った。他方政府(当局)は、 最初はコロナ禍への警鐘を鳴らした医師をデマを流すと非難したが、コロナ蔓延後は都市 封鎖に踏み切り、専用病院も短期間で建設していち早く封じ込めに成功、その後この ウイルスはグローバル化の影響もあって、世界中で猛威を振るい、今日に至っていると いうものです。 さてその中で、この日記です。著者は中国で実績のある女性作家で、かつてこの地方の 作家連盟の代表を務めていました。この国のような共産主義体制の中で、はたして一個人 が自由に政権にとって不都合な部分もある情報、意見を、ブログという形で、日記として 発信することが出来るのか、最初は疑問に感じていましたが、彼女は発信停止処分や、 体制擁護の人物や団体による誹謗中傷を受けながらも、ひるまず発信を続けました。 そこには作家仲間や出身大学の関係者など、彼女を支え励ます、強い絆で結ばれた周りの 知識人の助けもありましたが、結局は、自分の筋を曲げない、事実のみを伝えようとする、 彼女の正義感と作家魂のなせる業であったと、感じました。 日記の内容に関しては、コロナ禍によって刻々と死者が増大して行く様子を、緊張感を 持って描くのみならず、感染の拡大を招いた当局の隠蔽体質を一貫して批判している一方、 医療従事者の献身的な活動や、他省からの人道的支援、住民間の食料、生活必需品の共同 購入の体制が整っていることなど、庶民間の好意や温かみのある姿を、好ましいものと して描いています。 本書を読んで、コロナウイルス感染症に我々が如何に対処すべきであるかということを、 再認識出来たと共に、中国という近くて遠い国の住民の目線から見た実際の姿を、垣間 見ることが出来たと、感じました。

2021年5月4日火曜日

私の大腸がん闘病記⑥

手術台に上がり、まず体を横に向けさせられました。背中の脊椎の近くに、痛みを和らげる 薬物(痛み止め)を注入するチューブを挿入するためで、この時には、患者がチューブの 入って行く状況を直接確認出来るように、まだ患者に意識があることが必要なようです。 直接には見えませんが、何か異物がもそもそと背中でうごめくようで、あまり気持ちのいい ものではありませんでした。それ以降は、恐らく口から麻酔薬が注入されて、意識が全く 飛んでしまいました。 気が付けば自分の病室ではない、ナースステーションの隣の緊急治療室に上半身を起こし、 足を曲げながら開いた状態で固定されて、寝かされていました。まだ麻酔が効いている らしく、朦朧としていますが、痛みは感じなくて、これなら比較的楽だな、と思いました。 腕を点滴のチューブにつながれ、口には酸素吸入のマスクを装着し、その他心電図測定機器 などを付けながら、深夜から早朝までその治療室に横たわっていました。時々看護師さんが 来て、容態を確かめてくれることが、安心感につながりました。 そうして一定時間の経過後、順調なので病室に戻りましょうということになり、車椅子に 移って本来の病室に戻りました。これでまた、ほっとしたとみえて、病室のベットでしば らく眠りにつきました。 目を覚ました後、担当医の診察があり、それではこれからはリハビリにかかります、移動 する時には出来るだけ自力で起き上がって、体を動かすようにしてください、と言われ ました。これは手術の箇所の大腸が癒着しないように、早期から体を動かすことが必要で あるそうで、後ほど記しますが、それがかなりの困難を伴うものでした。

2021年4月30日金曜日

「福岡伸一のドリトル的平衡」を読んで

2021年4月29日付け朝日新聞朝刊「福岡伸一のドリトル的平衡」では、本紙に現在「新・ ドリトル先生物語」を連載している生物学者の筆者が、なぜこの物語を連載するに至った かについてのエッセーを寄せています。 その文章によると福岡は、昨年早春の自らのガラパゴス探検の折に、ピュシス(ギリシャ 語でありのままの自然を意味する)とロゴス(同、言葉、論理、あるいは人間を人間たら しめた思考)のあいだに揺れる人間の進化について、今一度見つめ直したいと思った、と 述べています。そしてそのアイデアが、彼にとって初めてのフィクションである、「新・ ドリトル先生物語」の執筆へのつながったと言うのです。 つまり、ここで言う人間のピュシスは、生、性、病、死の恣意性から本来的に逃れられ ないということで、ロゴスは、人間がその力によって、社会、都市、文明を作り、世界の 全てを制御下におきたいと希求するようになったことを指します。すなわち人間は、この 相矛盾する力に翻弄されながら、進化を遂げて来た、と言うのです。 私も幼い時からロフティングの「ドリトル先生物語」を愛読しており、また福岡の「動的 平衡」にも強い感銘を受けたので、この「新・ドリトル先生物語」の連載は、大きな期待 を持って読み続けています。 また、上述のピュシス、ロゴスという矛盾する属性に翻弄されながら、歴史を刻んで来た 人間の在り様が、正にそのことによって高度な文明を築きながら今なお、生きる上での 様々な問題を抱える私たちの姿に重なっていると私自身感じて来たので、正に時宜を得た 問題提起だと思われます。 「新・ドリトル先生物語」への期待が、ますます高まって来ました。

2021年4月27日火曜日

私の大腸がん闘病記⑤

下剤の服用を続けることで、次第に排泄される固形物が少なくなり、最終的には水様の ものだけが出るようになって来ました。それがほぼ透明になり、看護師さんに確認して もらって、オーケーが出れば終了です。 後はベッドに横になって、手術の時間が来るのを待つばかりです。しかしこの段階になっ て、いよいよ緊張が高まって来ました。手術の前に麻酔の処置が施される時には、痛む のだろうかとか、手術中は全く痛みを感じないのだろうかとか、麻酔が切れた後どれほど 痛むのかなど、主に痛みに対する不安が、心の中に暗雲のように広がって来ました。 この時、予めウオークマンに録音しておいた、グレン・グールド演奏のゴールドベルク 変奏曲を聴きました。美しく静謐な旋律が胸に染み入り、徐々に心が落ち着いて行くのを 感じました。これほどに、音楽に救われたのは、初めての体験だと思いました。 いよいよその時が来て、お呼びがかかり、車椅子に乗って手術室に向かいました。そこは 大きな空間の中に、手術室が幾室も整然と並んでいてー記憶がおぼろげですが、恐らく 10室ぐらいはあったと思いますー、これだけ一度に手術が出来るのだと感心したのが、 最初に抱いた感慨でした。 その中の私の手術が行われる手術室の手前で、病室付きの看護師さんから、先ほど挨拶を 受けた麻酔担当の看護師さんに引き継がれて、彼女の案内で室内に入りました。内部は 照明器具の下に、手術台以外は医療機器が整然と並べられた、無駄なものが一切ない無機 的な空間で、あこれは、テレビの医療ドラマで見た通りだなと、戸惑う自分を冷静に眺め るもう一人の自分がいるように、感じました。

2021年4月24日土曜日

「青地伯水 現代のことば ジローとピカソ」を読んで

2021年4月21日付け京都新聞夕刊「青地伯水 現代のことば」では、京都府立大学教授で 欧米言語文化ドイツ専攻の筆者が、「ジローとピカソ」と題して、60歳代のピカソの年若い 愛人フランソワーズ・ジローが語ったこととして、アンリ・マティスがピカソに送ったニュ ーギニア先住民が樹木状のシダから彫り出した大きな彫像のエピソードに触れ、若き日の ピカソがアフリカの仮面やオブジェを「周囲の敵意に満ちた未知の力と自分たちの間を取り 持つ一種の仲介物」と気付き、絵画とは「このよそよそしい敵意に満ちた世界と私たちの 間の仲介物として存在する呪術のひとつの形」と悟った、ことについて記しています。 私は、このピカソの芸術に対する捉え方を読んで、現代芸術につながる先験的な絵画観を、 彼こそが形作ったのだと感じました。 それまでの絵画観は、宗教画であり、歴史画であり、風景画、肖像画、静物画であっても、 画家にとって、あくまで描いたものをどう見せるかが目的であり、その作品を観た人が思想 的にどう捉えるかに、責任を持つものではなっかた、と思われます。つまり、画家が作品と 鑑賞者の間を取り持つ意識はなかったのではないか、ということです。 しかしピカソは上記の言葉で、芸術は世界と人をつなぐ仲介物であるべきだと、語ってい ます。このことは、芸術家は作品を創造することいよって、人がこの生きにくい世の中を 渡って行くためのよりどころの一つとなるべきであるということを、語っていることになり ます。つまり彼は、近代化と共に人々の自意識が高まり、疎外感が広がることによる社会的 要請もあって、自らの作品の社会的使命に、自覚的であったと言えると思うのです。 彼以降、芸術というもののまとう役割も、変容したのだと感じました。

2021年4月20日火曜日

私の大腸がん闘病記④

いよいよ摘出手術のために入院しました。約10日前後の予定です。入院して病室のベッドに 落ち着くまでは、直前にも入院しているのでスムーズでした。手術に際して、病室の担当の 看護師さん、麻酔科の看護師さん、執刀医からの説明があり、準備に取り掛かります。 面白かったのは、へそのごまを取り除くところ。大腸の手術のためには、これが必要だそう で、看護師さんが綿棒状のもので、きれいに取り除いてくれました。私は、この時点では 精神的にもまだ余裕があって、その看護師さんに「子供の頃、へそのごまを取ってはいけ ないと、親に注意されたものです。」と、軽口を叩いていました。 また、病院内の口腔歯科にも、行きました。これは手術中に、口腔内に酸素注入のための管 を挿入されるそうで、その時に歯が折れて挿入の妨げにならないように、予めチェックして おくためだそうです。私の歯は特段異常がないということでしたが、こんなことまで調べ られるのかと、徐々に手術への緊張感が高まって来ました。 更には、手術中に履くようにと、足先からふくらはぎにかけてを覆うきつい靴下状のサポー ターも渡されました。これは、手術中には長時間体を動かすことができないので、足の血管 に血栓が出来ることがあり、それを防ぐためのもの、ということです。手術が終わった後も 残しておいて、飛行機に搭乗する時など、エコノミークラス症候群を防ぐために、履いても いいよと、アドバイスをもらいました。 それから、手術の下準備として、大腸内をきれいにするための、下剤の服用が始まりました。

2021年4月16日金曜日

半藤一利著「昭和史 1926~1945」を読んで

先般亡くなった作家の代表作の一つで、授業形式の語り下ろしで分かりやすく記された、 「昭和史」シリーズの戦前、戦中編です。 綿密な資料の渉猟と関係者への取材によって、当時の息遣いが直に伝わってくるほどに、 しかし終始一貫した冷静な視点で、この国のかつて来た道を跡付ける力作です。 戦前、戦中の昭和史については、私たちは学校の歴史教科書でも習い、大まかな流れは すでに知っている訳ですが、それぞれの歴史的事件、事柄が起こる原因の詳細、背景、 因果関係は、歴史の授業が駆け足で進められたこともあって、理解出来ている部分が 限定的であると、感じて来ました。 その意味でもこの「昭和史 戦前、戦中編」は、私がかつて習った以降の新しい知見も 含めて、我が国が歩んだ歴史を徹底的に検証し、後に残すべき教訓も導き出そうとする、 意欲的な歴史書です。 さて周知のように、この時代の日本の歴史は、失敗の歴史でもありました。どうしてこの ような取り返しのつかない事態が、引き起こされたのか?これが本書の大きい主題です。 開戦から敗戦に至る経緯の本書の記述の中で、私がまず注目したのは、天皇の役割に ついて。敗戦以前の天皇は、日本の国家元首でしたが、彼がこの戦争でどのような役割 を果たしたかは、私が切実に興味を惹かれる部分でした。 本書の記述に沿って見て行くと、国家元首で軍の最高司令官であった天皇は、国益を 中心に考えながらも、軍事行動を出来るだけ控えるべきであると、考えていたように 思われます。 しかし、不利な軍事社会情勢が意図的に耳に入れられなかったこと、統治するとも命令 はせずの方針から、結局軍部、時勢に引きずられ、無謀な戦争への突入を許したと、 思われます。ただ敗戦受託の時にのみ、彼の決断は、日本をそれ以上の無意味な被害 から救った、と考えられます。 それに対して軍部は、その独断的でその場限りの無責任な体質から、勝ち目のない戦争 を推し進め、国の崩壊を招きました。更には、軍部を押しとどめることが出来ない政治家 、マスコミに煽られた国民の熱狂が、戦争を加速させました。 本書の結びの章で半藤は、日本人の気質に照らしながら、この戦争から得た教訓を記して います。第一に、国民的熱狂を作ってはいけない。その熱狂に流されてはいけない。 第二に、最大の危機において、日本は抽象的な観念論を好み、具体的で理性的な方法論を 検討しない。第三に、軍の参謀本部や軍令部に見られる、小集団エリート主義の弊害。 第四に、国際社会の中の位置づけを、客観的に把握していなかったこと。第五に、何かが 起こった時に、対処療法的な、すぐに成果を求める短兵急な発想を取る。 現代にも通じる、教訓に満ちた書です。

2021年4月12日月曜日

私の大腸がん闘病記③

大腸の内視鏡検査で採取した、腫瘍の組織はやはり悪性であることが判明し、入院して摘出 することが決まりました。 まず最初に、大腸内の小腸寄りにある小さい腫瘍を、3日間入院して内視鏡で切除、その折 に後ほど摘出するS字結腸にある悪性の腫瘍の位置にマークを付け、外科手術をしやすく するということでした。 内視鏡による腫瘍切除のための3日間の入院は、泊りがけで前回の検査と変わらない処置を 受けるようなもので、こちらの心づもりもある程度出来ていたので、比較的余裕を持って 無事終えることが出来ました。ただ処置後には、内視鏡で行ったとはいえ、大腸内の組織を 切除したので、下腹部にしばらく違和感が残りました。 その後、消化器内科から外科に担当が代わり、担当医兼手術の執刀医が紹介されて、以降 その先生が私を診察することになりました。まず家族も同席の上、病状、手術の内容、術後 の一般的な経過等について、詳しい説明がありました。 そこで示された内容は、私の症状が比較的初期に発見された大腸がんであることから、摘出 手術を受ければ完治する可能性が高いこと。しかし手術というものは、実際にはふたを開け てみないと分からない部分があるので、ことのほか病状が進行していたり、また手術に よって体に予想外の悪影響が出ることもあるので、最善の処置は尽くすが、そのことはあら かじめ承知してほしいというものでした。いやがうえにも、緊張感が高まりました。 こうしていよいよ、私の大腸がん摘出手術が始まることになりました。

2021年4月9日金曜日

舟木享著「死の病いと生の哲学」を読んで

哲学者が癌に冒され、その闘病生活において、死と生と病について巡らせた思索を、徒然に 記した書です。 私は正に彼の後を追うように、同じ大腸癌の手術、抗癌剤治療を受けた身なので、生々しく 切実な想いを持って、本書を読み終えました。私自身は、著者のように豊富な哲学の学識が ある訳ではなく、自分の病の状況を彼ほど的確に考察出来はしませんが、彼の思索に深く 共感する部分もあり、また、自分とは感じ方が違うと思った部分も、ありました。 まず共感する箇所としては、人は「健康な人の国」と「病気の人の国」のいずれかに属し、 後者に属する者が、死と生について真摯で根本的な思考をすることが出来るという部分で、 私自身の感覚としても、癌の発見によって、唐突に病人の境遇に突き落とされ、術後の鋭い 痛み、再発防止のための抗癌剤治療による継続的な肉体的苦痛に耐えながら、今まで考えも しなかった自らの死の現場を、リアリティーを持って思い浮かべた時、死というものが私に とって、ずっと身近なものになったと実感したのです。 私は今現在まだ、あるいはこれから先も、著者のように死生についての深い考察に至るかは 分かりませんが、少なくともこれから残された人生において、自らの行動や思考が、死に よって規定されることは避けられないと感じました。これこそが私にとっての、癌を患う ことによる、思考の劇的転換であると思います。 逆に著者と感じ方が違うと思った箇所は、恐らく著者と私の病状の重篤度の違いもあるので しょうが、私の癌は医師の見立てを信じる限り、完治が可能なもので、私自身その希望を 持って治療を受け、従って医師の治療方針にも信頼を寄せています。 他方著者は、治療中に他の部位の癌が発見されたこともあって、治療方針に不信を抱いて いるところがあります。この違いは、著者の孤独感や人間不審を深めていると感じられ ます。この部分についてはあくまで、置かれた状況の違いやそれによる感じ方の違いが 大きく作用し、私にしても病状が変化すれば、著者の感じ方に近づくかも知れません。 ただ病というものが、ともすれば人間を絶望に陥れ、治癒以外でそれを癒してくれるもの は、現代社会では、人と人の絆と信頼感しかないのだろうと、改めて感じさせられました。

2021年4月6日火曜日

私の大腸がん闘病記②

7月に入って、また病院からもう大腸の検査は受けられましたか、という確認の通知が来た ので、コロナウイルス感染症が一時よりは落ち着いて来たこともあり、ようやくその病院 で、検査を受ける気になりました。 それでも、実際に異常があるはずはないと、内心高をくくっていて、気休めで受けるよう な心持ちでした。 病院に行って消化器内科を受診すると、大腸の内視鏡検査を受けるように言われ、検査 までの段取りの説明がありました。それによると、大腸に内視鏡を入れるためには、まず 大腸内に溜まっている、食べかすなどの老廃物を全て取り除かなければならず、そのため 検査前日から下剤を繰り返し飲んで排便を促し、最終的には大腸の内部が空の状態になる ようにする、ということでした。 私は以前に、人間ドックで胃の内視鏡検査を受けたことがあり、その場合は事前に取り 立てて準備の必要はなかったので、大腸の内視鏡検査は、随分手間がかかるものだなと いう感慨を覚えたことを、今でも思い出します。 さて実際の大腸の内視鏡検査は、肛門からチューブ状の機器を挿入されるのですが、それ が腸内を移動する時には多少の違和感があるにしても、事前に想像したほど痛みや不快感 はありませんでした。 私自身も、モニターで内視鏡が捉える大腸内の映像を確認しながら、検査は進みましたが、 まず小腸寄りの大腸の部分でポリープが見つかり、これは後日また内視鏡で切除しようと いうことになりました。 しかしこれだけならまだ良かったのですが、内視鏡が肛門に近いS字結腸に差し掛かった 時、検査の担当医の操作の手が止まり、これは悪性かも知れないから組織を取って調べて みようと、言われました。その時担当医が思わず漏らした「残念」という言葉が、今でも 心に残っています。

2021年4月2日金曜日

貴志祐介著「我々は、みな孤独である」を読んで

書名に惹きつけられて、貴志祐介の小説を今回初めて読みました。 ホラー小説の名手ということで、過激な残酷描写には、少したじろぐところがありました が、そこは練達の筆さばき、躊躇う気持ちも片方にありながら、先を知りたい衝動にぐい ぐい引っ張られて、気が付けば読了していました。 むしろ、良識を尊重すべきであると思っている私が、このような小説に魅力を感じること に、複雑な思いが残りました。しかし、それだけ面白い小説である、ということなので しょう。 主人公の探偵茶畑徹朗(ちゃばたけてつろう)は、大切な顧客である大企業会長の依頼人 から、前世の自分を殺害した犯人を捜し出せ、との依頼を受けます。そしてその犯人は、 依頼人が見た前世の夢の登場人物の中にいる、というのです。 全く荒唐無稽な話ですが、茶畑には、自身の事務所の金を持ち逃げされた上に、麻薬取引 のトラブルで追われている元従業員のために、幼馴染の冷酷非道なヤクザに金を要求され ているという止むを得ない事情があって、この依頼を引き受けざるを得ません。 以降、前世の記憶の中の犯人捜しと、前述のヤクザと同じく元従業員を追う、メキシコの 国際的麻薬組織の凶悪なメンバーたちとの息詰まる絡まりの中で、物語は進んで行きます。 更には、前世の犯人捜しという雲をつかむような探偵劇のキーパーソンとして、霊能者 賀茂禮子の存在が重要になって来ます。彼女の託宣を通して茶畑は、宇宙的真実という 目くるめく禁断の世界に入って行きます。 ミステリーのようでホラー、オカルトの要素も含む、ある種混沌とした雰囲気をまとう 小説ですが、ここで語られる真実というものを、著者が並々ならぬ情熱を持って物語の中 で構築して行くゆえに、読者はあたかも、そのような事実もあり得るかも知れないという、 感慨を覚えます。 ましてや我々人間は、科学技術の発展によって、宇宙の真理に近づきつつあるという自負 を持ちながら、実際には、自身が宇宙の摂理の中のいかなる存在であるか、また、霊とは 何か、輪廻転生は存在するのか、といった形而上の問題には、まだまだ答えを見出せない でいます。 そのような人智の及ばぬ世界に、しばし心を誘われるという意味でも、一級の娯楽小説 であると感じました。

2021年3月29日月曜日

私の大腸がん闘病記①

さて私は、昨年の夏より大腸がんの治療を受けて来ました。しかし闘病のただ中では、 なかなか状況を語る気持ちも起こらず、このブログでも、その事には一切触れません でした。でもようやく、とりあえずの治療終了の目途も着いて来たので、自分自身への 備忘録としても、その間の経緯を断続的に、ブログに書いてみたいと思います。 まず第1回は、ことの始まりから。昨年2月に、例年通り定期的に受診している人間ドック を受けました。今まで長年受診していて、比較的大きな異常があったのは9年ほど前の 1回で、その時は血糖値が高く、このままで行くと、高脂血症、糖尿病になる確率が高まる ということでした。 その通知が受診病院から来た時には、ちょうどその前年、父が長年患う糖尿病に起因する、 脳梗塞を発端とする諸症状によって他界していたので、私のこの病気に対する危機感も 強く、早速その病院に行って医師の指導の下、食生活の改善と運動を今まで以上に行う ようにして、1年ほどで数値は改善し、事なきを得ました。 さて、長年の人間ドックの受診経験の中で、目に見えた異常はこの1回きりだったので、 昨年のドック後に、便の潜血反応が高いので至急に再受診すべしという通知が来た時、 病院に行くべきとは思いましたが、折からのコロナ禍もあって、もうしばらく様子を 見てから行っても遅くはないと、結果的にそのまま放置してしまいました。

2021年3月26日金曜日

ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史㊦」を読んで

上巻の記述の捕捉になりますが、「農業革命」期に神話が生まれ、文字が発明されて、 サピエンスが諸々の事柄を記録する手段を得たことも、特筆すべきことです。これらの事象 は、彼らの統合の規模拡大に、道を開きました。 さて、このような働きを更に加速させたのが、貨幣、帝国、宗教(イデオロギー)の出現で した。貨幣は、それまで限られた地域内の物々交換が主体であった、経済活動を飛躍的に 拡大させ、帝国の出現は、文化の地球規模での拡大を促し、宗教(イデオロギー)のある ものは、教化という目的のために、布教地域の拡大を指向し、帝国主義的侵略の原動力と なりました。 そしていよいよ、今日の我々の暮らしとも関係が深く、サピエンスの地球上での絶対的な 地位を確定付けた、「科学革命」の登場です。「科学革命」によって彼らは、自然現象及び その法則を客観的に捉え、それを応用して、工業、医学、通信交通手段を爆発的に拡大、 発展させました。 この部分の記述で興味深いのは、「科学革命」の切っ掛けとなったのが、サピエンスが自然 現象に対して自らの無知を認識し、貪欲に真理を探究するようになったため、という解説 です。つまりそれまでは、人々はこれらの事柄について宗教上の教えや先人の説に習って、 自明のことと考え疑問を持たず、従って進歩ということを信じていなかったので、新しい 知識の獲得は、おろそかになっていたのです。この事実は、私たちにとっても、先入観に よる思考の妨げの弊害を、教えてくれます。 また「科学革命」の進展には、帝国主義と資本主義が、大きな力を発揮しました。帝国は 自らの国力の増強のため、この革命を強力に援助し、資本主義の産業革命も、自らの利潤の 増大のために、これに続きました。このように見て行くと、今日の人類の繁栄は、必然の ようにも感じられます。 しかし本書が、これまでの歴史書と異なるのは、以降の記述にもよります。つまり、サピ エンスのこのような発展は、地球上の他の生物にとっても利益であるかと考える、全地球的 視野です。この点では、人類の繁栄と引き換えに、絶滅した種は数知れず、地球温暖化の 問題と合わせて、我々が罪深い存在であることは、一目瞭然です。 あるいは、サピエンスこのような飛躍的進歩を遂げて、現在は果たして昔より幸福であるか と問う、相対的視点です。この点においても、確実な答えはありません。 人類史を従来の人間中心の視点では捉えず、地球規模でその功罪を問う、我々のこれから 進むべき方向にも示唆を与えてくれる、画期的な書です。

2021年3月23日火曜日

「古田徹也の言葉を生きる 伝統も変化も踏まえつつ」を読んで

2021年3月11日付け朝日新聞朝刊、「古田徹也の言葉を生きる」では、「伝統も変化も踏まえ つつ」と題して、哲学者古田徹也が、時代の変化に即して、慣用的な日本語の言葉の使用法 を吟味することの必要性について、語っています。 例えば、具体的な例として、「未亡人」という言葉は、元々「(夫とともに死ぬべきなのに) 未だ死なずにいる人」という意味合いがあるので、現在では、この言葉の使用を控える傾向 が強まっている、ということです。 私は、この言葉が従来、隠微なニュアンスを持って、大衆小説や映画の題名に使われていて、 何か謎めいた雰囲気を有するとは感じていましたが、この文章でその元来の意味を知って、 なるほどなあ、と感心させられました。 しかし、この言葉は極端な例として、指摘のように、「女々しい」「男気」「雌雄を決する」 「雌伏」「雄大」「処女作」などの言葉は、全般に使用を慎むべきかは、日本語の豊かな 表現性を制限してしまうという意味でも、まだまだ検討を要するところでしょう。 つまり、一概にその言葉の含む字ずらやニュアンスを持って、厳密に使用を制限することは、 その言語の豊かな表現力をそぐことにもつながりかねませんが、ただ私たちは、それら微妙 な立ち位置にある言葉を使用する時には、十分に自覚的であるべきではないか。 この文章を読んで、そのように感じました。

2021年3月20日土曜日

ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史㊤」を読んで

人類史を歴史的記述のみならず、著者独自の構想によって、イマジネーション、スケール 豊かに読み解く大著です。念願叶い読むことが出来ました。 さて実際に読み始めると、本書の根幹をなすと思われる記述が、第1部「認知革命」に すでに登場します。つまり、我々ホモサピエンスの祖先が、並み居る原人たちを淘汰して、 地球上の人類の主役に躍り出た理由を解説する場面で、著者がサピエンスが他の人類種 より優れていた部分は、後には国家や国民、企業や法律、人権や平等をまでも信奉するに 至る、「虚構」というものを信じることが出来たからであると、語ってるところです。 初期のサピエンスは、他より並外れて知能が優れているか、腕力に勝っている訳ではあり ませんでした。しかし彼らは、ある時目の前にある現実だけではなく、仲間やその中での 掟を信じることが出来る想像力を獲得したのです。 これによって彼らは、集団的に敵に対抗し、組織立って生存のための課題に対処する術を 身に付けました。それが今日のサピエンスの発展につながっているのです。この部分を 読んで私は、我々人類の地球上での繁栄の要因として、おぼろげながら感じたことに、 お墨付きを与えられたような感覚に囚われました。つまり、恐らくそうであろうと感じて いても、系統立てて説明出来ないことに、明確な筋道を与えられた感覚です。 またそれと同時に、このサピエンス発展の要因の説明は、私に新たな感慨を生じさせま した。それは彼らが、各地に数多生存していた他の人類種を駆逐しながら同化もして行っ たという事実の記述で、集団行動の利点という知恵を身に付けながら、残虐な野生の本能 にも忠実であったことを知ったからです。 今日残っている神話的記述から、私たちが人間の本性として読み解けるもの、あるいは、 一見理性的に振舞っているように見える、現代人の心の底になお留まるものについて、 改めて考えさせられました。 「虚構」を信じる力は、第2部で取り上げられる「農業革命」にも生かされます。つまり サピエンスは、食料供給の安定と定住を求めて、農耕を始めます。それは人口増加をもた らし、村社会の形成を促進させますが、同時に、今まで以上の勤勉さを求められ、飢饉 などの災厄のリスクを負うことになります。 より豊かな生活を夢見る人類の共同幻想が、「農業革命」を生み出す原動力になりますが、 それ以前の狩猟採集生活の方がある意味生活の質も高く、生きるためのストレスも少な かったという事実が、アンチテーゼとして浮かび上がって来ます。

2021年3月16日火曜日

山折哲雄の朝日新聞朝刊刊頭エッセーを読んで

2021年3月2日付け朝日新聞朝刊では、本号が創刊5万号に当たる記念号のため、刊頭に哲学者 山折哲雄のエッセーが寄せられていて、その文章に感銘を受けたので、ここに取り上げてみ ます。 文中筆者は、この記念日が宇宙探査機「はやぶさ2」の地球への帰還と重なったことから、- 無限の情報を運ぶ新聞と、はるかな小惑星から微量の砂を運ぶ探査機ーその二つの物語に誘わ れたためか、明治の文豪森鴎外が書いたエッセー「空車(むなぐるま)」の初夢を見た、と いいます。 荷物を何一つのせない大八車を、屈強な男が馬の口をとって引いていく姿に接すると、職業、 身分を問わず全ての者が道を譲り、自分もこれに出会うと目で迎え、送ることを禁じ得ない、 と鴎外は書いているそうです。 ここでいう「空車」は、何を指すのか?正に何もない空(から)を運んでいるのか?それとも、 空なればこそ、無限のものを運ぶ可能性を秘めているのか? 私には、空と無限のものは、表裏一体のように感じられました。つまり、空なればこそ、無限 のものを運ぶ可能性を有し、逆に無限に見えるものでも、その本質は空である、ということで はないかと、思うのです。 この地球上、いや宇宙も含めて全てのものは、移ろい行くもの。それだからこそ、私たちは そこに永遠の真理を究めようとし、その行為自体が尊い。それゆえに私たちは空車に、畏怖の 念を抱くのではないでしょうか? 筆者が、社会的真実の追求や、科学的真理の探究に空車を重ね合わせたのは、それゆえでは ないかと、私は感じました。

2021年3月12日金曜日

筒井淳也著「社会を知るためには」を読んで

私たちは常日頃、社会という言葉を何気なく頻繁に使っていますが、では一体社会とは 何かと問われると、明確な答えを見出せないように感じます。そのような想いもあって、 社会について分かりやすく解説してくれると思われる、本書を読んでみることにしまし た。 しかし読み始めると、この本は社会とは何かを語ろうとするものではなく、社会という ものの分からなさ、そして私たちは、その中でいかに振舞えばいいかを、指南しようと する書であることに、すぐに気づかされました。でも結局、私が社会とは何かを理解し たい訳は、そこでいかに生きたらよいかを知りたいためであるので、躊躇なく読み進め ることにしました。 さて本書では、現代社会の分からなさの理由として、以下3点を挙げています。 ①私たちが「専門知識」や「専門的な仕組み」に取り囲まれていること。これは社会が、 近代以降ますます分業化、専門化され、個々の人間は、自分の携わる仕事や専門分野の 限られた知識はありますが、そこから少しずれると分からない世界が広がっており、 それをことごとく理解することは、到底不可能であるということです。 ②専門的な知識やそれを活かした仕組みが、周囲から独立して存在している訳ではない。 おまけに、それぞれの専門的な知識や仕組みは、個々に存在しているのではなく、複雑 に絡み合って社会を成り立たせており、社会そのものをますます理解できないものに しています。 ③私たちはいつの間にか、専門的な知識や仕組みが絡み合って動き続けている、この 乗り物に乗って生活している。更に、社会は絶え間なく動き続けており、私たちはそれ を理解しようとしても外部から俯瞰することは不可能で、正にその渦中から認識しよう とすることしか出来ません。また、それぞれの仕組みのつながりが緩やかで、場合に よっては色々な可能性が存在することも、社会に対する厳正な理解を妨げています。 そしてこの複雑な社会で暮らしていくためには、①人々は安定した基盤がないと、変化 に踏み出すことさえ出来ない。安定と変化は、両立させないといけない。②失敗した 人たちを非難する際には、その人が置かれていた状況を出来る限り、理解しようとして からにするべき、と語っています。 つまり、バランス感覚と柔軟性、寛容の精神と冷静な分析が、必要ということでしょう か?社会学者による科学的知見と学術的方法による考察ゆえ、一般的な処世訓とは一味 違う、人生指南になっていると、感じました。

2021年3月9日火曜日

「小川さやかのゆるり観察記 格好つけは気遣いの印」を読んで

2021年2月10日付け朝日新聞朝刊、「小川さやかのゆるり観察記」では、「格好つけは 気遣いの印」と題して、文化人類学者の筆者がタンザニアからの帰国前に、バスの 運転手らとムガンボ(行政の治安維持隊)が、バスのストライキを巡ってもめている 現場に遭遇し、流れ石に当たって頭から流血、病院で治療のために頭頂部をバリカン で剃られて、病院前のベンチでしょげていた時に、現地の友人たちにあらかじめ商売 を手伝って得た金銭を分配していたものを、彼らが小川の負傷を気遣って返すと申し 出て感激したエピソードに触れて、格好つけは贈与の形の一つだと、語っています。 私はこの言葉に、贈与という行為の普遍的な意味の一つが含まれていると感じ、感銘 を受けました。 相手に好意や感謝の気持ちを抱くから、ものをあげたくなる。もらったからあげる。 見返りを期待してあげる。シチュエーションは色々あれど、打算のみで贈与するのを 除き、この行為には多かれ少なかれ、あげる方の格好つけが含まれていると、感じる からです。 そしてその格好つけが相手に通じたら、その相手も送り主に感謝するのではないで しょうか?つまり格好つけは、相手への気遣いの印ということです。 こう考えると、人にものをあげる時には、ちょっと恥ずかしさもあるけれど、多少 なりと格好をつけたいものだと、この文章を読んで感じました。

2021年3月7日日曜日

三島由紀夫著「命売ります」を読んで

三島に肩の凝らない面白い小説があると新聞の書評欄で知り、本書を手に取りました。雑誌 「プレイボーイ」に連載されたエンタメ小説であるだけに、確かに彼の代表的な本格小説と 比べて読みやすく、後味もあっさりとしています。 しかし、解説で種村季弘が話すように、三島がある意味書き飛ばしたような小説であるだけ に、彼の無意識の本音が作中に露見しているようにも、感じられます。その点が大変興味 深かったです。 まず、三島の死生観です。本書の主人公である羽仁男は、元々コピーライターとして生計を 立てていましたが、ある日新聞の活字がゴキブリに見えて判読不能となり、人生に虚無感を 覚えて自殺を試みます。それでも死にきれなかった彼は、一度捨てた命と開き直って、自ら の命を売る商売を始めます。 周知のように後年三島は、日本の現状打破のために自衛隊の蜂起を促して、割腹自殺を遂げ ました。その自死の原因には、思想哲学的なものがあるのですが、元来彼に死への願望が あったことも、間違いないでしょう。そしてこの小説の羽仁男には、三島自身が感じる生の 無意味さと死への憧憬、そして死を恐れぬ者への礼賛の念が、投影されているようにも感じ られます。 次に、この小説の前半と後半で、羽仁男の死というものの捉え方、それに伴う行動様式が、 大きく変化していることが分かります。つまり、前半の彼は、命売りますの題名通り、命を 捨てることを恐れない、果敢さで女性を篭絡し、迫り来る危機を乗り越えて行きます。 さながらハードボイルド小説のマッチョな主人公のようです。 しかし後半では、一転彼は命を買われ、狙われる立場になり、何とか自分の命を守ろうと もがき、ひたすら逃げることになります。この心境の変化は、なぜ起こったのでしょうか? 三島は、主人公を最後までヒーローとして描くことを、良しとしなかったのでしょうか? あるいは、出来なかったのでしょうか? 読み進めて行くと、前半の華やかさ、小気味よさに比べて、後半は一気にトーンダウンした ような、宴の後のような雰囲気が漂います。私には、行間に、彼の滅び行くものへの嗜好、 共感が感じられました。あるいは本作が、日本の高度経済成長期に、雑誌に連載されたこと も、関係しているかも知れません。 いずれにしても、我が国を代表する小説家の一人である、三島のエンタメ小説は、作家自身 の経歴も含めて、色々なことを考えさせてくれる、興味深い小説でした。

2021年3月2日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2070を読んで

2021年2月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2070では 作家・朝吹真理子とファッションデザイナー・黒河内真衣子との対談「創作の海 深く深く」 から、朝吹の次のことばが取り上げられています。    でも、自分より命が長い服もあってほし    い。 現代では、洋服というと何年か着て使い捨てというイメージがありますが、昔は長い間愛用 して、そのまま成長した子供に譲ったり、あるいは加工をして小さい子供用の服を作ると いうことも、日常的に行われていたと記憶します。 特に私自身の思い出としては、父のズボンを母が加工して、子供用の半ズボンを作ってくれ たものをよく着ていて、近所の大人の人にいつもおしゃれな服装をしているね、と言われた ことを覚えています。 このように、服自体も耐久性のあるように作られ、それが長く着続けられるということは、 その存在に愛着が増して、心に余裕や豊かさをもたらしてくれるように感じます。ましてや、 限りある地球資源の持続的な利用の必要性が叫ばれている現在、ものを大切にして長く使う ことは、必然性を持つことでもあります。 元来日本人には、和装というその服飾文化において、汚れたり着古した着物の洗い張り、染 め替えなどを行い、出来るだけ長く着続ける習慣がありました。勿論昔は、ものが有り余っ てはおらず、機械化による大量生産が出来なかったという事情もあって、今とは単純に比較 出来る訳ではありませんが、私たちはものを大切にする習慣をもう一度思い起こすべきで あると思います。 そうすることによって、私たちの精神文化は、今より格段に向上すると考えます。

2021年2月27日土曜日

中野信子著「ペルソナ 脳に潜む闇」を読んで

脳科学者・中野信子の初の自伝と帯に謳われていますが、彼女の著書を読むのは初めてなの で、正直そのずけずけ物申すとも感じられる、ざっくばらんな語り口に少々戸惑いました。 しかし現在から過去へ遡る形で描かれる、彼女の魂の軌跡を読み進めるうちに、彼女が自ら の精神的な苦しみの原因を突き止めるために脳科学者になったこと、そして同じように苦し みを抱える人の助けになるために相談を受け、著書を執筆していることが分かりました。 つまり彼女は、読者を一見突き放すような物言いで論を進めながら、その実、読者の一助と なることを希求しています。その底にある優しさが、悩める読者を惹きつけるのではないか と感じました。 さて、幼少期からの彼女を苦しめたのは、コミュニケーション不全でした。彼女は一般人 よりずば抜けて高い知能の持ち主で、私もかつて、高知能の子供が周囲から孤立してしまっ て、疎外感を感じることが多々あるということを、聞いたことがあります。多分に漏れず 彼女も、親や周りの人と思考法の違いから十分なコミュニケーションが取れず、生きづらさ を感じ大変苦しんだといいます。 しかしそれだけの記述なら、他とは違う特異な人物の単なる身の上話に過ぎませんが、脳 科学者でもある中野は、自らの体験の分析を通して、現代を生きる多くの人間が抱える、 自身の承認願望や他者との意思疎通を巡る悩み、社会進出を試みる女性が受ける抵抗への 処し方等の、問題解決のためのヒントを、提示しています。 その中で私の印象に残ったのは、人間の内面はその時々、場面によって常に移ろうもので あるから、生き方の規範を持ち続けるにしても、いたずらにそうあるべき自分に固執する 必要はないというくだりと、この頃はとかくポジティブな思考がもてはやされるが、逆に ネガティブな思考に人間を逆境から立ち直らせる力や、知性深い思慮につながる力が宿る 場合がある、というくだりでした。 また芸術が、ストレス解消や心を解き放つ役割を果たすという記述にも、我が意を得たる 思いがしました。

2021年2月23日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2068を読んで

2021年1月30日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2068では 絵本画家・甲斐信枝の『あしなが蜂と暮らした夏』から、次のことばが取り上げられてい ます。    蜂は最初の六角形の一辺の長さを決める時、    自分の触角を物指しにするのです 筆者は、郊外の山麓の納屋で見つけた、蜂の巣作りと子育てを毎日まぢかで観察して、蜂 と人の間に「生きもの同士の親愛」を感じたといいます。掌(てのひら)や両腕の端から 端の幅、そして歩幅と、人もまたそれらを頼りに、みずからが棲む世界を計り、整えてき た、と。 確かに、自分の中にこの世界を計る尺度を持ち、自身の位置を定め、生き方を方向づける ことは、必要なことに違いありません。 例えば、私の白生地屋という仕事の基本には、生地の種類を見分けることと共に、生地の 長さや生地幅を計るということがあります。後者の感覚を身に付けるために、鯨尺2尺 (約76cm)の物指しで繰り返し生地の長さを計り、体に覚え込ませて行きます。 そうすることによって、生地という専門分野の世界に自らを溶け込ませることが出来、 その品物を扱う専門家としての自負も生まれて来る、と思うのです。 同様にこの世に生きる者としての私たちも、暮らしの中の色々な場面で、関わり合うもの の大きさや感触を実感として身に付けることによって、生活を成り立たせているのでは ないでしょうか? ところが昨今のIT技術によって得る画像や情報には、この実感や身体感覚が欠落していて、 何かうわべだけの情報に振り回されているように感じられることがあります。これも時代 の流れかもしれませんが、我々はやはり、これからも実際に触れることによって得る実感 を大切にすべきだと、思います。

2021年2月21日日曜日

村上春樹著「猫を棄てる」を読んで

多くの著作を生み出した、日本を代表する作家の一人であるにも関わらず、親族について 触れることは極端に少ない著者の、恐らく初めて父親について語った書です。 しかし本書は、単なるエッセーや回想録とは違って、村上一流の韜晦に満ちた文章で、彼が 一体どうゆう理由でこの本を書こうと思い、読者に何を伝えようと思ったかを、容易に理解 することは難しいと感じます。 それで私は、著者も表題に採っている、本書の最初に登場する猫を棄てるエピソードと、 最後に登場する行方不明になった子猫のエピソードをヒントに、この書を読み解いてみたい と思います。 最初のエピソードは、父親と海岸に棄てに行った猫が、自分たちより先に家に帰っている話 です。ここでこの猫を棄てに行った理由は語られませんが、その猫が家に帰り着いていたと いう予期せぬ出来事に、父親が安堵する様子が描かれています。 それは後に語られる寺に生まれた父親が、まだ幼い頃に他の寺に養子に出され、体を壊して 傷心の内に実家に戻った体験と、深く結びついていると思われますが、その後の父親の人生 について書かれた記述を読み進めて行っても、自らが一度家族から棄てられたことが、父の その後の人生に濃い影を落としていることが、読み取れます。 また他方この父親の人生は、日中戦争、太平洋戦争と続いたかつてのあの戦争に翻弄され、 夢を諦めざるを得ない結果をもたらしたことが分かります。この時の無念が、後に父と息子 との確執の要因となるのですが、結果として父の人生が深い挫折感に彩られたものであった ことが理解出来ます。 さてそこで、最後の子猫のエピソードです。著者が同じ子供の頃、自宅の高い松の木を勇ん で登って行ったこの子猫は、高い所で足がすくんで自力で降りられなくなりました。必死に 助けを求め鳴き声を上げても、父と息子はなすすべもなく傍観するしかありませんでした。 そして翌日、姿は見えぬままに鳴き声も止みました。 この体験から著者は、「降りることは、上がることよりむずかしい」という教訓を得、結果 は起因をあっさりと飲み込み、無力化して行くと結論付けます。この最初と最後の二匹の猫 の生死を分けたものは何か?それは運命としか言いようがない、かも知れません。 しかしその運命も、条件が人為的なものであったなら、転換することも可能です。著者村上 春樹は、多かれ少なかれあの戦争の影響を受けた、彼の父親世代の名も無き代表の一人と して父の人生を描くことによって、市井に暮らす庶民の側からの戦争のむごさを描き出そう としたのではないか?私には、そう思われました。

2021年2月16日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2062を読んで

2021年1月24日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2062では 「WIRED」日本版の元編集者・若林恵のコラム集『さよなら未来』から、次のことばが取り 上げられています。    未来を考えるということは「いまとちがう時    間」ではなく「いまとちがう場所」を探すこ    となのかもしれない。 ここで若林が言いたいのは、未来を考えるとは、すでに足許(あしもと)に兆し、萌芽状態 で実現していながら、十分に気づかれていないつながりやしくみを育てること、ということ だそうです。 漠然としているようですが、私は、例えば今回のコロナ禍後の世界を考えることとも、つな がっているように感じました。 つまり、それ以前には全く予想されなかった事態であるコロナ後の世界は、それ以前の世界 と全く別次元の世界である訳ではなく、以前から社会問題として兆し始めていたもの、社会 環境としてその萌芽が垣間見えていたものが、コロナ禍をきっかけに顕在化して、私たちは それらへの明確な対応を求められるようになる、ということです。 例えば、この災厄を通して、我が国における行政の危機管理能力や、医療体制の不備が明ら かになって来ていますし、国民の側でも、パンデミックに対する一人一人の危機回避のため の心構えや、防災知識の不足が明らかになって来ています。 さらには、コロナ不況による経済格差や非正規雇用の問題、今年の東京オリンピック開催の 是非を巡っては、オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森会長の失言、辞任に よって、女性差別問題の根深さが明らかになっています。 コロナ禍後には、これらの問題の改善、解決に、如何に迅速に取り組むかが、重要な課題に なることは間違いありません。

2021年2月13日土曜日

横山聡著「京都・六曜社三代記 喫茶の一族」を読んで

京都三条河原町の名物喫茶店、六曜社を担う家族の物語です。地元京都の喫茶文化を愛する 者として、また業種は違えど、私自身が三代目として家業を営む立場からしても、示唆に 富む書でした。 まず、客に愛される喫茶店とはいかなるものかという点から本書を辿ると、一番に、飽きの 来ない美味しいコーヒーとそれに合う食べ物を、客が適正と思える価格で提供することが 挙げられるでしょう。 六曜社では、初代オーナーが終戦後満州から引き揚げ喫茶店を開くに当たり、いち早くコー ヒー豆の供給先を確保し、他に先駆けて本格的なコーヒーを客に供したそうです。京都の 繁華街三条河原町という地の利も相まって、美味しいコーヒーと親しみやすい自家製ドー ナッツは、この店が客に愛される礎を築いたと思われます。 そして基本的なスタイルは守りながらも、時代に合わせたコーヒーの味を提供するという 部分では、二代目が自家焙煎を始めるなど、長く愛されるための工夫が行われています。 客が愛する喫茶店の条件の二つ目は、リラックス出来るなど、店の雰囲気が良いことです。 これは個人経営の小規模の店では、オーナーの人柄やポリシーによるところが大きいです が、六曜社の狭いながらも趣味の良い内装、調度は、それを生み出した初代の美意識を 物語り、スタッフの行き届いた接客は、従業員教育の確かさを示します。 それらが合わさって、また、そこに客たちが作り出す熱気や気の置けない雰囲気が重なって、 六曜社の魅力的な佇まいが出来上がったのでしょう。 しかし、ここまでを一つの喫茶店の成功物語として読んで来て、私が意外に思ったのは、 この経営が資産的蓄積をさほど多くは生み出していないことです。喫茶店経営の難しさを、 改めて感じさせられました。 次に六曜社の初代から三代目への経営の引き継がれ方を見ると、その自然な流れに、家族 それぞれの店への愛着が見て取れます。初代は、三人の息子に店の継承を強制していません が、三人はそれぞれに曲折を経ながらも、自然に一階喫茶、地下一階昼の喫茶、夜のバー を担い、その後は、息子の息子の一人が、三代目として経営を引き継いでいます。 個人経営の店が長く続くためには、その仕事自体が魅力的であることは勿論、親が次代を 担う者に自身が懸命に働く姿を見せ、その仕事への情熱を背中で語りかけることが必要で あると、感じました。 店が長く続くことの意味についても、改めて考えさせられました。

2021年2月9日火曜日

「古田徹也の言葉と生きる 「自粛を解禁」の奇妙さ」を読んで

2021年1月28日付け朝日新聞朝刊、「古田徹也の言葉と生きる」では、「「自粛の解禁」の 奇妙さ」と題して、昨年、一回目の緊急事態宣言が解除された頃、多くのマスメディアで 「自粛の解禁」という見出しや文言が躍ったことについて、本来は国民に自粛が自主的に 行われるように要請されたのであり、それならば「自粛の解禁」とは捻じ曲げられた、 奇妙な表現であると、指摘しています。 つまり、「要請」とは名ばかりで、実際には各県の知事などからは、「自粛を徹底させる」 、「自粛の要請に従ってもらう」、「要請を守らない場合には」といった言葉が平気で 発せられて来たので、「要請」が「禁止」や「命令」に捻じ曲げられて、自粛に対する 「解禁」という誤用が生まれた、というのです。 確かに、国民にお願いすべきことが「禁止」や「命令」にすり替えられるのは奇妙なこと で、その元には法律上の規定の問題もある訳ですが、その根本には、日本が今まで治安上 あらゆる点で安全な国で、このような危機的状態に対する対処の準備がなかったという ことでしょう。 お願いベースで、ここまで一定レベル「要請」が守られているということは、律儀な国民 性の現れだと推察されますが、法規定等はコロナ禍の最中には、最低限のことを決めて、 落ち着いた後により汎用性のある、落ち度や漏れのない法律を制定するとして、政府や 地方自治体の長は、国民に対して、現状についてのより正確な情報や、緊急事態発令の 根拠、その後の推移による運用の仕方、解除に向かうためのビジョンなどを、より分かり やすく、丁寧に発信して、このような事態に対する国民の理解を深めることが必要である と、感じます。

2021年2月5日金曜日

頭木弘樹著「食べること出すこと」を読んで

私は、本書をある種特別な想いを持って開きました。というのは、まず、日本の総理大臣 として最長の任期を務めた安倍首相が、つい先日突然の辞任を決めたのは、本書の著者と 同じ難病とされる潰瘍性大腸炎によってであり、それにも増して、私自身が大腸がんの 手術を受け、現在も再発防止のために抗がん剤治療を続けているという、大腸の病によっ て、健康であったこれまでの生活とはがらりと違う、日常を送ることを強いられている からです。 本書は、大学生の時に突然この難病を発症した著者の闘病記ですが、同じ部位に病を抱え る私が読んで、二層に分かれたとも言える感慨を覚えました。 一つは、著者の患う潰瘍性大腸炎が、炎症が治る「寛解」と炎症が再び起こる「再燃」を 繰り返す、一生付き合わなければならない不治の病で、また著者の場合は、同大腸炎の中 でも症状が重く、発症時にはかなり激しい症状を呈するからです。それゆえに著者は、 長期間に渡り社会から隔離された孤独な日常生活を送り、なおかつ出口の見えない闘病を 余儀なくされたのです。 この点に関して私の場合は、大腸がんは幸い早期発見で他の臓器への移転もなく、抗がん 剤治療を続けていると言っても治療の終わりが想定されていて、そのことが闘病のための 励みとなっています。 従って、著者の絶望や苦悩には私の思い及ばないところがあり、彼が社会から切り離され た存在として感じた、社会の特に食に関する同調圧力や、世間のこの病気に対する無理解 ゆえの無神経さには、彼に寄り添おうとしながらも実感出来ないところがありました。 しかし、著者がカフカを始めとする文学を通して、この精神的にも過酷な状況を乗り越え たことには、敬服せざるを得ませんでした。 二つ目は、著者と私に共通すると思われる、同じ部位の病によってもたらされた、突然の 肉体の変調ということです。食べることと排出することが、人間が生命活動を維持する上 で如何に重要であるか。健康であれば普段は決して感じない、これらの行為が支障なく 行われることの有難さ。また、それゆえこれらの行為に自覚的になることによって、食物 や飲み物の安全性や栄養バランスに注意を向けるようになり、社会的関心も広げるなど、 自身の肉体の変調を通して新たな世界が見えて来るという部分においては、著者に大いに 共感を覚える自分を感じました。

2021年2月2日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2063を読んで

2021年1月25日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2063では 「WIRED」日本版の元編集者・若林恵の、次のことばが取り上げられています。    人を動かす新しい体験をつくろうとすると    き、人は「動かされた自分」の体験を基準に    してしか、それをつくることはできない。 何につけても、人に感動を与えるためには、発信者自身の実感をともなうものでなければ ならないと、私も経験から感じます。 ところが昨今は、人々がバーチャルに慣らされているためか、統計のような数値的分析で 事足りると、安易に考えられがちであると、思います。 しかし例えば、デジタル的なコンテンツであっても、その発想の下には、実体験に基づく 確固とした核がなければならないと、感じるのです。 ましてや、それが受け取り手の肌身の感動や共感を呼ぶものであるためには、発信者の 感情を伝播させるような、強い動機やメッセージ性が必要であるのは、間違いありません。 そしてそれは、何も形のある創作物に限らず、人々の共感を得るためのある個人、グル ープの行為、言動においても、必要であることだと、思います。

2021年1月30日土曜日

「後藤正文の朝からロック 陰謀論者を疎外するより」を読んで

2021年1月20日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「陰謀論者を疎外する よりも」と題して、「地球は球体ではなく平面だ」という説を信じる人たちに迫った「ビハ インド・カーブ」という映画を観た筆者が、地球平面説を信じる人々を単に陰謀論者とかた ずけて排斥するのではなく、彼らという存在も組み入れた社会の形を考えるべきだとこの 映画の中で語る、物理学者たちの見解に接して、社会の分断や拒絶ではなく、対話と包摂の 可能性を諦めずに考える必要があるという思いに至ったと、述べています。 先日のアメリカの大統領選挙での、共和党支持者と民主党支持者の激しい対立からも明らか なように、昨今では社会の分断ということが大きな問題になって来ています。 特にアメリカでは、前大統領が分断を煽るような主張を繰り返し、その支持者が陰謀論とも 結び付いて、社会の中に大きな亀裂を生み出したようにも、感じられます。 しかし、このような事態になったのには、アメリカの社会に恵まれない環境に置かれたり、 不満を抱く人々が多く存在し、そのような人々の受け皿として、前回の大統領選挙で前大統領 が選ばれたという背景があり、大統領が交代したからといって、状況が直ぐに改善する訳では ありません。 この分断を解消するためには、上記の物理学者たちが言うように、極端な異説を唱える人々 をも取り込むような形での、発展的で融和的な解決法が必要でしょう。 私たちの社会でも、コロナ禍で更に明らかになった、貧富の格差の拡大や、世代間の意識の 隔たり等による考え方、意見の違いを乗り越えて、異論をも包摂する形で、より多くの人々に とって納得の行く社会を生み出すことが必要でしょう。

2021年1月26日火曜日

アンデシュ・ハンセン著「スマホ脳」を読んで

スウェーデン人精神科医による、スマートホンがいかに人間の脳に悪影響を及ぼすかを解説 した書です。 考えてみれば、十数年の前には、世間にスマホがこれほど普及するとは思いもよらず、まして や、自分自身が肌身離さず携帯しているなど、夢にも考えませんでした。 しかし使い始めてみると、その利便性は画期的で、知らず知らずのうちにその機能にすっかり 依存して、今では無くてはならないものになっています。 だがそれゆえに、便利なものにはそれに見合う弊害があり得るという疑念に、薄々気づきなが らも、現実の効能に頼り切って、そんな疑問はすっかりなおざりにして来ました。 さて、そして本書です。著者の主張が分かりやすく私たちの頭に入って来る第一の理由は、 原始時代に遡って人間の脳の発達過程を検証し、その進化の過程で獲得した脳の機能が、現在 最先端のIT技術の粋であるスマホの機能と、いかにして齟齬をきたすかを論理的に語っている からです。 即ち、人間の脳は本来狩猟採集生活に適合するように発達し、その根本構造は現在も変わって いません。しかし現代人の生活は、その頃とすっかり変わってしまい、ただでさえストレスが 溜まりやすいのに、それに輪をかけてスマホの体験を伴わない夥しい情報を垂れ流し、しかも それを視覚に訴えかける刺激的な光で表示する機能は、人間の脳を混乱させます。 ましてや、スマホに付随するSNSの機能は、その商業戦略上も利用者の好奇心や承認願望、自己 顕示欲を間断なく刺激し、その結果依存症や集中力の欠如、情緒不安定、果てはうつ症状を 生み出します。 分かりやすく、説得力がある第二の理由は、上記の説明を裏付ける実際の複数の実験結果が 丁寧に示されていることです。これによって読者は、否応なく厳しい現実に直面させられます。 ともかく、スマホが人間の脳に与える悪影響は自明のことで、特に子供、若い世代は、その 使用に十分留意しなければなりません。 また本書は、スマホの弊害を和らげる具体的な方法にも、言及しています。幼い子供には スマホを持たせない。1日の使用時間に制限をかけて、また心身を健やかに保つために、一定 以上の運動をする。 最後に、人間の脳の進化過程から著者が導き出した、人間は常に不安を抱く生き物であり、 より良く生きるためには心身を健全にして、不安と上手く付き合って行くことが必要である という結論も、納得を持って心に受け止められました。

2021年1月22日金曜日

鷲田清一「折々のことば」2055を読んで

2021年1月1日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2055では 俳優松重豊の随想・短篇小説集『空洞の中身』から、次のことばが取り上げられています。    芝居の最中に台詞が出て来ないという恐怖。    これは役者が死ぬまでうなされ続ける日常的    な悪夢の代表なんじゃないかな。 私は役者ではないので、この恐怖を切実に感じ取ることが出来るとは思えませんが、ただ、 若い頃に能楽の仕舞を稽古していて、時々舞台にも立ったので、ある程度の実感はありま す。素人の私にとっても、舞台で台詞や仕草を忘れたらどうしようというのは、大きな 不安の種だったのです。 でもプロの役者にとっては、真剣に舞台に取り組んでいるゆえの、台詞を失念することの 恐怖なのでしょうから、この緊張感ややり遂げた後の達成感は、より増幅され、それが演者 にとっての舞台の魅力にもつながっているのだと、推測されます。 この言葉を読んで、私たち市井の平凡な人間も、日常の中にその時にしかない瞬間を生き、 それを全力で全うしたいという感覚を持つことが出来れば、更に人生も充実したものになる のではないかと、感じさせられました。

2021年1月19日火曜日

ミヒャエル・エンデ著「モモ」を読んで

かねてより読みたいと思っていた、「モモ」をようやく読むことが出来ました。予想通り 児童向け小説の体裁を取りながら、大人の読書にも十分に耐える名作でした。 時間泥棒の不気味な男たちと戦う、みなしごの不思議な少女モモの物語を通して、「時間」 とは何かを問う物語ですが、この命題は現代社会において、益々重要になって来ていると 感じられます。 つまり、私たちの暮らす現代社会では、この小説が執筆された当時より、更に加速度的に 時間的余裕が失われて行っているからです。 これはよく考えると、大変不思議なことです。なぜなら、私たちは交通手段の発達によっ て、飛躍的に速く遠隔地に到着出来るようになりました。国内各地は言うに及ばず、地球 の裏側さえ一日以内で到着可能で、他惑星への移動も視野に入って来ています。 あるいは、情報通信技術の発展によって、地球横断的な通信が簡単に行えるようになり、 離れて生活する人間同士の意思疎通が、リアルタイムで計れるようになりました。 これらの科学技術の発達は、私たちに一定時間内に出来ることを、かつてでは考えられ ないほど、増大させてはずです。 また私たちの平均寿命も、医療技術の発達、豊かな食生活によって、かなり伸長しました。 このことは、私たち個々が一生涯に使用することの出来る時間を、目に見えて増加させる ことになったはずです。 しかし現実の自分の生活を振り返ってみると、私たちは以前に比べて更に、時間が足り なくなり、忙しくなったと、感じられます。これは一体どうしたことでしょう? この理由を考えるヒントとして、時間と言うものに、急き立てられれば更に速く経過し、 逆に心を落ち着ければ、ゆったりと流れると感じられる性質があることが、挙げられると 私は思います。 つまり、資本主義社会における科学技術の発達は、私たちに経済的豊かさや利便性の向上 をもたらしましたが、その反面、人々の心から精神的余裕を失わせ、疎外感や満ち足り ない思いを、増大させることになったのです。 「モモ」は、社会的風潮や価値観にとらわれない、精神的に自立した一人の自由な少女の 勇気ある行動を通して、私たち人間一人一人が時間というものの貴重さを自覚し、大切に 扱うことの必要性を、語りかける小説です。 それは即ち、私たちが如何に生きるべきかを説く物語でもあります。

2021年1月14日木曜日

「後藤正文の朝からロック 「人間中心」に急がされて」を読んで

2020年12月30日付け朝日新聞朝刊、「後藤正文の朝からロック」では、「「人間中心」に 急がされて」と題して、筆者がコロナ禍のこの1年間で、自粛期間中の時間を、気味が 悪いほどに静かで、ゆったりとしていたように感じ、自粛による様々な損失を取り戻そう と活動を再開した途端に、時計の針が勢いよく動き始めて、気が付けば年の瀬が目の前に あった、という経験を通して、彼が感じたこの二つの時間の速度の差について、考察して います。 それによると、今日の経済活動というものが、利潤の追求を至上の目的としており、利益 を得るために一層働くことを我々に求め、その結果我々の体感する時間が加速度的に早く なって行く。 それに対して、彼が昨年よく聴いた、信仰に基づく音楽などは、経済成長という名の加速 を願う人間の欲望を諫めながら、一人ひとりの存在を肯定してくれるように感じられ、 時間もゆったりと流れるように思われた。 そして彼は、祈りのような感覚を、自分の活動のすべてに行き渡らせたいと思った、と 結論づけます。 確かに時間というものは不思議なもので、何かにせかされたり、集中している時は、あっ という間に経過し、暇を持て余したり、心がくつろいでいる時には、ゆっくりと流れて 行くように感じられます。 筆者の言うように、せかされて物事を行うことは、一般的に良い結果をもたらしませんし、 心に余裕を持って事に当たる方が、満足のいく結果を生み出すといえるでしょう。特に 昨今は、私たちの社会では資本主義の進展によって、益々物事にせかされる環境に我々が 置かれているという状況になって来ているので、一度立ち止まって自身を見つめ直すこと は大切だと感じます。

2021年1月11日月曜日

ポン・ジュノ監督映画「パラサイト 半地下の家族」テレビ地上波放映を観て

第72回カンヌ国際映画祭で韓国映画初のパルムドール受賞、第92回アカデミー賞で非英語 作品初の作品賞受賞と、世評高いこの映画がテレビ地上波放映されたので、早速観てみ ました。 韓国では都会の貧しい人々の住居を象徴するらしい、ビルの半地下で暮らすキム家の4人 家族が、悪知恵を働かせて、裕福なパク家に家庭教師、運転手、家政婦として次々に入り 込む序盤の展開は、小悪党が金持ちを騙す悪漢物語のようで小気味よく、観る者もキム家 の人々の嘘がばれないかとはらはらしながら、ストーリーをついつい追ってしまいます。 ところが後半、追い出したはずの元家政婦の再訪から、パク家の人々も知らない邸宅の 地下室に、元家政婦の借金取りに追われる夫が隠れ住んでいることが判明してから、物語 は暗転し、キム家の人々も自らの策略のために、過酷な状況に突き落とされることになり ます。 この映画は起承転結のはっきりとした、分かりやすいストーリー展開でありながら、決し て感傷的にはならずに、韓国社会における貧しい人々の悲惨な状況、他方裕福な人々の 贅沢な暮らしや、貧しい人への理解のなさといった社会問題を、ユーモアを織り交ぜて 巧みに描き、それでいて家族の情愛もたっぷりと描き込むなど、脚本の素晴らしさが目に つきました。勿論、一貫して緊張感を失わせない監督の演出の巧みさ、主要俳優陣の演技 のうまさも、特筆に値します。 また、私のような韓国人以外の鑑賞者としては、彼らの民族性やものの考え方、感情の 起伏といったところまで感じさせてくれる、私たちの隣国理解を助けてくれるような、 決して内向きではない、発信力のある優れた映画だと思いました。

2021年1月8日金曜日

中沢新一著「野生の科学」を読んで

私は、中沢新一の著書を読むと、心が広く、融通無碍に開かれる気持ちがして、心地よく 感じます。しかし浅学にして、その理由はあまり分かりません。でも、これも読書の醍醐 味の一つだと思います。 今回の「野生の科学」の意味にしても、私はどこまで理解しているのか、大変心もとない 状況です。しかし幸いにして、最近読んだ2冊の本が、この言葉を理解するのにヒントを 与えてくれる気がします。1冊は、鶴見俊輔「限界芸術論」、もう1冊は、白井聡「武器と しての「資本論」」です。 前記の書で鶴見は、限界芸術を非専門的芸術家によって作成され、同じく非専門家によって 享受される芸術と定義し、その一つである各地に残る手仕事を、民芸運動を介して推奨した、 柳宗悦の例を取り上げています。 一方本書「Ⅱ知のフォーブ」の第6章『民藝を初期化する』で中沢は、同じく柳の民芸運動 を取り上げ、柳が心酔した手仕事の核心、「無心」と「用」の再認識の必要性を説いていま す。即ち、手仕事の民芸品が魅力的であるのは、作為なく無心で作られているからで、しか も日用品としての機能性を有しているからである。これらの品の美質は、今日の資本主義的 大量生産品には見出せないものである、というのです。 他方、白井はその著書において、マルクス経済学の観点から、資本主義というシステムに 内在する、全てのものを商品化し、余剰価値(利潤)を追求することを至上の目的とする 性質が、今日の息苦しい社会環境を生み出している、と主張しています。 鶴見と白井の両書を参考にして、中沢が科学全般(経済学も含む)に「野生の科学」を取り 込むことの必要性を提唱している意味を、私なりに読み解いてみると、人間の肥大化した 客観的意識が生み出した、従来の科学の限界、矛盾が明らかになった今日、私たちは、本来 人間の内面に存する心の声(野生の思考)をも考慮に入れた、新しい科学を創造することの 必要性を迫られている、ということではないでしょうか? 最後に本書に付録として掲載されている文章『「自然史過程」について』の中で、吉本隆明 が生前最後のインタビューの中で、原発擁護論を語ったことへの、中沢の吉本への敬意を 失わない反論の中で、印象的な言葉を挙げておきたいと思います。 即ち、原子核技術は、生態圏的自然の秩序を逸脱したエネルギー現象であり、失敗したモダ ン科学の象徴である。

2021年1月5日火曜日

鷲田清一「折々のことば」2026を読んで

2020年12月18日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」2026では 仏文学者渡辺一夫の随筆集『五つの証言』から、次のことばが取り上げられています。    「自己批判」を自らせぬ人は「寛容」にはな    り切れないし、「寛容」の何たるかを知らぬ    人は「自己批判」を他人に強要する。 そもそも人間というものは、自らの尺度でしか他者を評価することが出来ないので、人を 許すためには、自分にも欠点があり、完璧ではないので、その人の失敗や欠陥をあえて あげつらうことは出来ない、という認識を持つことが必要なのでしょう。 このように他者への「寛容」は、必ず自身への客観的な評価や、それに伴う反省を前提と しなければ、成り立たないでしょう。 そして、そのような「自己批判」をしたことがない人は、逆に自分を棚に上げて、他者に 厳しくそれを求めることとなり、結果「寛容」など吹き飛んでしまうのでしょう。 昨今のネット上の匿名の激しい他者批判、メディアを賑わわせる、過失を犯した芸能人へ の容赦ない糾弾には、そのような側面があると感じられます。 失敗が許されない社会は、ますます窮屈になる。ただでさえ、コロナ禍でささくれ立つ 心に、塩を擦り込むことにもなりかねません。 このような時だからこそ私たちは、自省を込めて自らの言動を振り返り、他者への「寛容」 を育みたいものです。

2021年1月2日土曜日

大野和基(編)「コロナ後の世界」文春新書を読んで

コロナ後の世界はどうなるのか、と名打った、世界の知性6人(ジャレット・ダイヤモンド、ポール・ クルーグマン、マックス・テグマーク、スティーブン・ピンカー、スコット・キャロウェイ)への 緊急インタビューをまとめた書です。 昨年初春に瞬く間に世界に広がり、各国に多くの感染者と死者を生み出した、コロナウイルス感染症 は未だ終息の目途が立たず、根本的な治療法も見つかっていないので、これからも長く我々人類は、 この感染症と向き合って行かなければならない可能性が、高まっています。 そして海外、国内移動も含めて、人と人との直接の接触を出来るだけ減らすことが、この感染症の 最良の防御法であることから、経済、社会活動が極端に制限されるなど、従来とは違う生活スタイル を生み出すことが、求められていると言えます。 このような事態に直面して、私たちは如何にパンデミック以降の世界をイメージし、対処して行く べきであるのか?これは切実な問題です。 さて本書で各人の語るところを読むと、コロナ後の世界というのは、何も特段新しい兆候が派生する のではなく、かねてから指摘、予測されていた問題点、傾向がより顕在化して、解決すべき課題と して浮かび上がって来ているように感じられます。 例えば、新型コロナウイルスの中国武漢での発生自体が、人間と野生生物の密な接触という環境問題 に、その拡大は、独裁的な国家による情報統制に深く関わっていると思われますし、あるいは経済 活動において、人と人の接触を減らすことは、リモートワークや、通信販売の普及といった、デジ タル技術の更なる向上につながると思われます。 また最近の著しい発達によって、脅威論も生まれて来ている、AI技術の利用法や、いかなる倫理観 やコンセプトで、この技術を運用するかということも、具体的に解決すべき課題となって来ます。 更には我が国に限っても、人口減少を補う方法として、女性、高齢者、外国人の就労促進が、喫急の 課題として挙げられます。 いずれにしても、我々の社会が突然のコロナ禍に襲われたと言えども、私たちは感染リスクを減らす 方策を取りながらも、そでに顕在化し始めていた課題に、決して悲観的にはならず、前向きに取り 組むべきではないか?本書を読んで、そう強く感じました。