2021年3月9日火曜日

「小川さやかのゆるり観察記 格好つけは気遣いの印」を読んで

2021年2月10日付け朝日新聞朝刊、「小川さやかのゆるり観察記」では、「格好つけは 気遣いの印」と題して、文化人類学者の筆者がタンザニアからの帰国前に、バスの 運転手らとムガンボ(行政の治安維持隊)が、バスのストライキを巡ってもめている 現場に遭遇し、流れ石に当たって頭から流血、病院で治療のために頭頂部をバリカン で剃られて、病院前のベンチでしょげていた時に、現地の友人たちにあらかじめ商売 を手伝って得た金銭を分配していたものを、彼らが小川の負傷を気遣って返すと申し 出て感激したエピソードに触れて、格好つけは贈与の形の一つだと、語っています。 私はこの言葉に、贈与という行為の普遍的な意味の一つが含まれていると感じ、感銘 を受けました。 相手に好意や感謝の気持ちを抱くから、ものをあげたくなる。もらったからあげる。 見返りを期待してあげる。シチュエーションは色々あれど、打算のみで贈与するのを 除き、この行為には多かれ少なかれ、あげる方の格好つけが含まれていると、感じる からです。 そしてその格好つけが相手に通じたら、その相手も送り主に感謝するのではないで しょうか?つまり格好つけは、相手への気遣いの印ということです。 こう考えると、人にものをあげる時には、ちょっと恥ずかしさもあるけれど、多少 なりと格好をつけたいものだと、この文章を読んで感じました。

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