2021年2月10日付け朝日新聞朝刊、「小川さやかのゆるり観察記」では、「格好つけは
気遣いの印」と題して、文化人類学者の筆者がタンザニアからの帰国前に、バスの
運転手らとムガンボ(行政の治安維持隊)が、バスのストライキを巡ってもめている
現場に遭遇し、流れ石に当たって頭から流血、病院で治療のために頭頂部をバリカン
で剃られて、病院前のベンチでしょげていた時に、現地の友人たちにあらかじめ商売
を手伝って得た金銭を分配していたものを、彼らが小川の負傷を気遣って返すと申し
出て感激したエピソードに触れて、格好つけは贈与の形の一つだと、語っています。
私はこの言葉に、贈与という行為の普遍的な意味の一つが含まれていると感じ、感銘
を受けました。
相手に好意や感謝の気持ちを抱くから、ものをあげたくなる。もらったからあげる。
見返りを期待してあげる。シチュエーションは色々あれど、打算のみで贈与するのを
除き、この行為には多かれ少なかれ、あげる方の格好つけが含まれていると、感じる
からです。
そしてその格好つけが相手に通じたら、その相手も送り主に感謝するのではないで
しょうか?つまり格好つけは、相手への気遣いの印ということです。
こう考えると、人にものをあげる時には、ちょっと恥ずかしさもあるけれど、多少
なりと格好をつけたいものだと、この文章を読んで感じました。
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