2016年4月29日金曜日

鷲田清一「折々のことば」384を読んで

2016年4月29日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」384では
俳人水原秋桜子の「新編歳時記」から、次のことばが取り上げられています。

 何が悲しいといふのではなく、何となく遣瀬ないのである。

「春愁」なんて言うと、私のような俗人はすぐに五月病などという無粋な言葉を
連想しますが、あながち見当違いでもないと思うのは、新入学、新社会人になる
というような人生を画する喜びごとの余韻がそろそろ覚め始めた時期に、
目の前のたちまちの目標を見失い、あるいはこんなはずじゃなかったと悲観する
というのも、急激な変化の後の悲しみかも知れません。

ことほどさように、移り行くということは、面白く、やがて悲しいものだと、私は感じ
ます。

もしそうであるなら、四季は移ろい、人間は歳を重ね、私たちを取り巻く環境や
私たち自身も常に変化して行くものなのですから、放って置くと我々はいつも
憂いを感じ続けることになるのかも知れません。

いわゆる生きることの悲しみというような・・・

だから私たちは、移り行きの風情の余韻を味わったなら、余り悲しみに包み
込まれないうちに、新たな変化への心構えを準備することも、必要なのでは
ないでしょうか?

風流な「春愁」への感懐が、ついつい脱線してしまいました。

2016年4月27日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、猫の会得した真理

2016年4月26日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載16に、
苦沙弥先生の食べ残しの雑煮の餅に、猫の吾輩が興味を抱き、いよいよ
食いつく決意をして、かじったはいいが歯にへばりついて悪戦苦闘する
過程で、感得した所謂二つの真理が記されています。

「得がたき機会は凡ての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」

「凡ての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」

何か禅問答のようですが、第一の真理は、猫は余り乗り気ではなかった
のに、好奇心が優ってついつい餅にかじりついたこと、あるいは御三や
子供が邪魔をしなかったので、留め立てする者がなくやむをえず手を出した
という風に、どうも言い訳がましい言葉に聞こえます。

第二の真理は、気付いた時にはすでに遅し、予知するなら行動に出る前に
しなければなりません。何やら自分の間抜けさを露呈させるような言葉
です。

でも、いつもと立場が逆転して、日頃猫に笑われている人間が当の相手の
愚行を笑うのも面はゆく、私は何か複雑な心境がしました。

それだけこの猫に、感情移入しているということでしょうか?

2016年4月25日月曜日

兵庫県立近代美術館「ジョルジュ・モランディー終わりなき変奏」展を観て

テーブルの上に並べられた、瓶や器の静物画で名高い画家の回顧展です。

私が本展を訪れたのは、時々の展覧会で展示されている彼の1~2点の
静物画に触れる時、それが一見何気ない絵でありながら、なぜか惹きつけ
られるところがあると感じるからで、本展でその秘密の一端を知ることが
出来ればと考えたからです。

訪れてみるとこの展覧会は私と同様の観客の要望に答えるべく、一見単純で
実は奥深いモランディの静物画の魅力を、具体的に分かりやすく開示する
ことを目的として展覧されているようです。従って本展では必ずしも年代順に
作品が並べられているのではなく、静物画の限定された要素と空間の中で、
画家がどのような方法論で、一体何を表現しようとしたかを解き明かすべく、
展示が構成されています。

最初のセクションは、本展の中では比較的初期の作品が並べられていますが、
以降展開されて行くモランディの絵画の魅力の背景を知るために重要です。
これらの作品が制作された頃、彼は初期ルネサンスの画家の作品研究に
熱心であったようですが、後の作品に通底する簡素ではあるが量感があり、
落ち着いた色彩で調和の取れた画面には、その残り香を確かに感じることが
出来ます。

また彼に影響を与えた近代、近世の画家、セザンヌとシャルダンは、物の
形体の本質を見極める姿勢や静物画で何を表現するかという方法論において、
彼の絵画展開に大きな示唆を与えているように思われます。

モランディは静物画で気に入りの瓶、器を配列を替え、数を代え、あるいは
視点を変えて繰り返し描きましたが、本展でこれらの器類が必ずしもありのまま
の姿ではなく、この画家によって色、形状に加工が施されているものがある
ことを知りました。

そうすると彼の静物画はにわかに、色彩においても形体においても人為的に
構成された画面という意味を強めます。そしてそれらの静物画が順序立てて
並べられるとわずかな構成の違いが、観る者の心の深い部分においては、
大きな感覚の違いを生み出すことに気づきます。

また彼のもう一つの重要な仕事である、やはり静物のモノクロのエッチング
(版画)作品を観て行くと、これらの作品では器類に差す光の濃淡が、微妙な
美しい諧調で巧みに表現されていて、この世の万物の運行の内から光の要素
だけ抽出したような趣があります。

つまりモランディはテーブルと壁と器という閉じられて限定された空間の中に、
無限の宇宙の秩序を見出そうとしたのではないか?そしてその成果が観る者の
心に静かに染み入り、決して派手ではないが着実な感動を生み出すのです。

地道な仕事の繰り返しが大きな達成を生み出すことを再確認させてくれる、私に
とっては刺激的な展覧会でした。

2016年4月22日金曜日

鷲田清一「折々のことば」377を読んで

2016年4月22日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」377に
詩人工藤直子の「てつがくのライオン」から引いた、次のことばが取り上げ
られています。

 さっきと同じように首をのばして右斜め上をみると、そこには夕焼けの空が
 あった。

哲学と大上段に構えると難しいけれど、物事には色々な見方や、考え方が
あるということを学ぶことと言うと、しっくりといく気がします。

なぜなら、特に今日のような良いも悪いも色々な情報が氾濫し、社会が
目まぐるしく変化して行く時代には、自分の確かな考えが持てなくて、
あっという間に世の流れに翻弄されてしまうということが起こるように
感じるから。

あるいは逆に、先入観を持って物を見たり、一つの考えに凝り固まって
しまうと、ますます深みにはまったり、孤立してしまうということが起こる
ようにも感じられるからです。

例えば将来のことを突き詰めて考えると、得てして私たちは悲観的に
ならざるを得ないでしょう。世の中には将来に対してマイナスの情報や
状況分析があふれ、その上分からないことは往々に不安を誘うからです。
でも未来に対して色々な見方や、考え方があると信じられたら、人生への
対し方に余裕が生まれるかもしれません。

そんな方法を学ぶことが出来たら、それはある意味今現在にとって
実利的などんなことよりも、これからの人生に役立つのではないでしょうか?

2016年4月20日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、子供の行状を見ての猫の感慨

2016年4月20日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載12に、
食卓に置きっぱなしになっていた砂糖壺から、代わる代わる砂糖を匙で
自分の皿に移して、山盛りになったそれをまさに食べようとした時、丁度
起きて来た苦沙弥先生に見つかって取り上げられた、可哀想な彼の二人の
女の子の様子を見て、吾輩が感慨を述べる次の記述があります。

「こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より
優っているかも知れぬが、智慧はかえって猫より劣っているようだ。そんなに
山盛にしないうちに早く嘗めてしまえばいいにと思ったが、例の如く、吾輩の
言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃の上から黙って見物して
いた。」

人間を高みから見下ろしている猫にしてみれば、正に言いえて妙の発言です。

二人の子供、姉と妹は、好物の砂糖がたっぷり入っている壺を目の前にして、
大人の目がない千載一隅のチャンスに固唾を呑みます。後ろめたく思いながら
まず姉がおずおずと一杯自分の皿にすくう。妹が真似て一杯すくう。また姉が
すくい・・・。次第に勢いがついて来て、それを繰り返しているうちにとうとう壺の
砂糖はなくなります。さて各々の皿の大盛りのそれを平らげようとしたその時に、
運悪く苦沙弥先生が起きて来て・・・。

人間は悪いことをする時でも互いをおもんばかる動物、特に躾られた姉妹なら
日頃の教育の賜物で、お互いの目の前では公平を期すでしょう。でも好きな
ものを損しないように取り込みたいという強欲な面もあって、その葛藤が
それぞれの眼前に砂糖がうずだかく積まれた皿を作り上げた。そしてその
結果が、一さじもなめられない結末です。

猫の思考のような野性的な単純さが、時に好物にたらふくありつける恩恵を
もたらすこともあるのです。

2016年4月18日月曜日

岩城けい著「Masato」を読んで

父のオーストラリア赴任で、現地のパブリックスクールで学ぶことになった、
小学生安藤真人とその家族の物語です。

「さよなら、オレンジ」で従来の日本文学にはまれであった、海外滞在者の
寄る辺ない心情を描いて注目された、岩城けいのデビュー第二作です。

私自身海外在住経験がないので、真人のパブリックスクールでの学校生活と、
自らの日本での小学校時代を重ね合わせて考えてみました。

真人にとって、現地語(英語)を全く話すことも、理解することも出来ない状態で、
現地の一般校に単身投げ入れられることは、確かに相当な負担であった
でしょう。受け入れ側の学校の関係者にはそれなりの配慮があったとしても、
子供の世界はシビアで、異質なものを容赦なく排斥したり、弱者をいじめる
ことが往々にあるからです。

また文化の違いは価値観や習慣の違いを生み、異なる環境から訪れた者が
その地に溶け込むのを、目に見えない部分で妨げもします。

孤立無援の絶望的な気分の中で、でも真人はいじめっ子に対してもひるみ
ません。喧嘩をして、自身の正当性をうまく説明出来ないために不利な立場に
立ち、母親が校長に呼び出されて注意を受けても、じっと屈辱に耐えるしか
ありません。しかし真人の惨めな現状に甘んじない反発心は、後の彼の
人間的成長の原動力となったと感じさせます。

もし私が小学生の時そのような状況に置かれたら、果たして彼ほど毅然とした
態度を貫けたかどうか、大いに心もとなく思います。

彼がようやく友人を得、学校生活になじむのも、自分にとって興味があるもの、
好きなことがきっかけでした。サッカーを通じてジェイクと親しくなり、生き物を
介してノアと友達になります。同じアジア系ということで、最初に交流を持つ
ことになったケルヴィンとは、飼い犬を通してより解かり合えるようになります。
嗜好やものの感じ方が同じであることが、友情の原点であると気付かされます。

真人に現地での進学を決意させるのも、演劇を学びたいという理由です。
人生において生きる目的を見付けることが、その人間を成長させることを示して
くれます。

他方真人の母遼子は最後まで現地にはなじめず、彼と夫を置いて先に帰国する
ことになります。学校や仕事で必然的に現地文化を受容しなければならない
彼らと違って、家庭内の生活が主な主婦が一人取り残されるという図式は、
彼女が異文化に接することに臆病な、引っ込み思案の資質であることが示す
ように、ある意味典型的な、家族共々海外赴任した日本人会社員の妻の悲劇を、
現わしているようにも感じました。



2016年4月15日金曜日

鷲田清一「折々のことば」368を読んで

2016年4月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」368に
ビートたけしの詩集「僕は馬鹿になった。」から引いた、次のことばが取り上げ
られています。

 僕は好きな理由など考えない
 好きな理由が分かったら
 嫌いな所も見つけてしまうから

人であれ、芸術に対してであれ、それが好きであるということは、まず直感に
導かれた結果でしょう。でも私たちはどうして好きなのか、ついつい理由を
考えてみたい誘惑に駆られます。

でも理由を考え始めると、得てして当初のときめき、感動が薄れてしまう。
私も、本や、絵や、映画に心が震えるほど感動して、さてその喜びを文章で
表現しようとしたら、書くことに気を取られてしまって、あの感動は何処へ
行ってしまったのだろうと、拍子抜けすることがあります。

もっとも文章で表記しておけば、後で読み返した時、もう一度かつての
ときめきが呼び覚まされるという、功徳もあるのではありますが。

とにかく、最初に受け取った好きという心の状態をそのまま胸の中に留め置き、
雑念を捨ててその感動を増幅させるには、よほどの感受性や執着心が必要
なのではないでしょうか?

それが出来るなんて、やはりこの詩の作者は天賦の才を持っているのでしょう。

2016年4月13日水曜日

漱石「吾輩は猫である」における、車屋の黒の消沈

2016年4月13日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」
没後100年記念連載8に、主人公の吾輩が見た沈んだ黒の様子を記する、
次の文章があります。

「殊に著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪く
なった事である。吾輩が例の茶園で彼に逢った最後の日、どうだといって
尋ねたら「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」といった。」

かわいそうにあの大きく頑健な体格と、黒く艶やか毛並み、そして琥珀よりも
美しい瞳を誇った流石の車屋の黒も、見る影もありません。

彼は、吾輩を猫とも思わない横柄な態度で見下し、その上猫世界の成功者
として、栄養の行き届いた丸々とした体を誇っていましたが、何か憎めない
愛嬌も有していました。

それは物事を深く考えない楽天的で、単純な性格ゆえだったのでしょうが、
それだけに彼の悲惨な姿には、どこか憐憫の情を禁じえないところが
あります。

きっといつものように、魚屋の店先から売り物の魚をかすめ取ろうとして、
店の主人に天秤棒で手ひどく叩かれたのでしょう。

その点吾輩は、思慮深く、賢明な猫で、全盛期の黒の腰ぎんちゃくになって
いれば御馳走にあり付けたのに、見向きもしないで分不相応の欲望は
抱かず、日々に満足して健康に暮らしています。

こう考えて行くと、何だか黒の姿が、我々の世界でも時折見受けられる、
一時成功を収めて羽振りが良かった人物が、調子に乗り過ぎて身を持ち崩す
姿とも重なるように感じられて、切ない気持ちがして来ました。

2016年4月11日月曜日

寺尾紗穂著「原発労働者」を読んで

東日本大震災後のあの過酷な福島の原発事故まで、私は原子力発電という
ものに、一体どんなイメージを抱いていたのでしょうか?

唯一の被爆国の住民として、原子爆弾の恐ろしさについては、報道、映像、物語、
マンガ等に繰り返し接する中で、確固とした負のイメージが出来上がっていました。
しかし原子力発電には、平和利用の名の下に、原爆が悲惨なものであればある
ほど、何か未来志向の楽観的な希望を感じていたと思います。

その上経済発展と共に、産業活動においても、個人の家庭生活においても、益々
必要が増す電力の供給を担う手段として、またそれが火力などと比較して一見
クリーンな相貌をまとうだけに、私たちは言わば必要悪として看過して来たと感じ
ます。そしてそれらの心の持ち方の前提として、原発は安全であるということが、
絶対の必要条件であったでしょう。

しかし3月11日の大震災に伴う原発事故が、私たちの価値観を根本から覆した
ことは、言うまでもありません。

さてその中での本書は、若い気鋭の女性筆者がベールに包まれた原発労働者の
実体を、インタビューを通して明らかにしようとする書です。勿論原発労働者と
言っても仕事は多岐に渡り、多数の人々がそれぞれの役割を担っていることから、
本書で知ることが出来るのはその一端に過ぎません。

ですが電力会社が原発の安全性を過剰にアピールしながら、労働も含めた内部の
実情については極端な秘密主義を貫き、労働者自身も仕事から外されることを
恐れて、内情を話すことが出来ない環境にあるので、本書での証言は貴重であり、
原発について何も知らない私でも、その現場をおおう雰囲気を察知することが
出来ます。

まず原発労働を劣悪で不安定にしている根本には、多重請負による入り組んだ
雇用関係があります。つまり労働者は電力会社に直接雇われている訳ではなく、
下請け、孫請けと何重にも連なった末端で作業に従事しているので、それぞれの
事業体が上の顔色を窺い、具合の悪いことを隠蔽する体質が生まれます。

その上に、放射能という目に見えない危険に直に対峙しなければならないこと、
安全を確保しながら作業を進める限界を超えるスピードで、作業を行うことを求め
られること、などが続きます。

私たちはこの度の原発事故まで、原発の危険性から目を背けて来たと同時に、
原発そのものの実体を知ることも怠って来ました。ここに提示された原発労働の
非人間性は、その厳然たる事実を如実に物語っています。

2016年4月8日金曜日

鷲田清一「折々のことば」363を読んで

2016年4月7日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」363では、
知的障碍のある青年が、東京の商店街の即興で歌を作るプロジェクトで、
演奏を始める前に口にした、次のことばが取り上げられています。

 一生懸命やるかどうかわかりませんが、よろしくお願いします。

この瞬間に発せられたこの言葉にこそ、本当に如何なるものにも
とらわれない自由が、表現されているのではないでしょうか?

自由とは一見単純なようでいて、難しい観念だと思います。まず私たちが
人権を著しく制限されたり、非人間的な扱いを受けている時には、自由は
その状態から解放されるために目指すべきものとして、その獲得は明確な
目的となり得ます。

よく映画などで悪人に囚われている主人公が、丁度必死の脱出を試みる
イメージです。この場合自由は目標となり、それが見事に達成された時、
物語はハッピーエンドで幕を閉じます。

でも現実に私たちの置かれた状況は、そんなに単純ではありません。
自由は余りにも漠然としたものとして、それが何かと考える時、われわれを
途方に暮れさせます。時に自由でなければならないということが、思考や
行為の足かせとなって、私たちを苦しめます。

ところがこの青年は、「一生懸命やれるかどうか」ではなく、「一生懸命
やるかどうか」と堂々と宣言しているのです。色々なしがらみの有る中で、
控えめな謙遜を超越して、自分への素直さを何のてらいもなく出して
います。これこそ本当の自由な心情の表明ではないかと、私はうらやましく
思ってしまいました。

2016年4月6日水曜日

龍池町つくり委員会 27

4月5日に、第45回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

まず、平成27年度の収支報告が行われ、4月17日(日)に開催する、恒例の
「お花見 大原たついけ茶話会」の詳細が説明されました。

例年通り開催場所は、公益財団法人龍池教育財団大原郊外学舎、
開催時間は11時~14時、参加者は龍池学区住民と大原学舎近隣の方々で、
お花見をしながら学区民と大原地元の方々との交流を計ります。昼食は
ばら寿司とお汁を用意し、杉林さんのカルタのパネル展示もする予定です。

広報方法としては、各町の掲示板にポスター貼り出しと、チラシの各組回覧
を行います。恒例行事になって来ているので、学区民からも一定の参加者が
集まることを期待しています。

次に夏の浴衣を着ての学区民交流イベントとして、祇園祭の休山で、
地域住民も多数参加して、200年ぶりの復興を目指してお囃子の奉納などの
活動を始めている、曳山の「鷹山」の祇園囃子を、マンガミュージアムにおいて、
7月15日に集まってライブで聴くイベント案が、鷹山の活動にも参加されている
当委員の森さんより提案されました。

祇園祭の区域にありながら、現在は学区内に2基の担ぎ山しかなく、お囃子の
ある曳山は途絶えているので、祭りを通してこの復興計画を学区民の交流、
結束に結び付けることが出来れば、町つくり委員会としても大いに意義が有る
ことだと思われるということで、このイベント計画を進めて行くという方向で、
全委員の意見が一致しました。

2016年4月4日月曜日

漱石「吾輩は猫である」における、拾われた猫の心意気

2016年4月4日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」漱石没後
100年記念連載2に、苦沙弥先生の家に漸く置いてもらうことになった主人公の
子猫が、自身の心境を語る次の言葉があります。

「下女は口惜しそうに吾輩を台所へ抛り出した。かくして吾輩は遂にこの家を
自分の住家と極める事にしたのである。」

「吾輩は猫である」の猫の言動の可笑し味は、正にこんなところに現れていると
感じます。

なぜなら母猫からはぐれて餌を得る方法も見つからず、途方にくれた末、漸く
潜り込んだ苦沙弥先生宅の台所から、下女に何度も外につまみ出されながら、
どうにか主人の許可を得てこの家に居られることになったにも関わらず、当の
猫自身、しょうがないからわざわざ住んでやるというような、偉そうな物言いを
しているからです。

現にこの猫が苦沙弥先生の膝や背中に乗るというような、主人のご機嫌取りを
する場面でも、決して好き好んでやっている訳じゃないと、うそぶく始末です。

つまり、か弱く、寄る辺ない存在である猫が、我々人間の日々の行動を、高み
からまるで愚かなものを見るようにして、語っているところが面白い。また一方
登場人物の方も、この猫を取るに足らない存在と思っているから、彼の目の
前で平気で醜態を晒してしまう。それでまた、猫の興味深い話の種にされるの
です。

しょっぱなから、面白さ全開になって来ました。

2016年4月1日金曜日

夏目漱石「吾輩は猫である」の朝日新聞連載始まる

2016年4月1日付け朝日新聞朝刊から、いよいよ漱石没後100年を記念した
「吾輩は猫である」の連載がスタートしました。第1回では、以下の文章が私の
目にとまりました。

「掌の上で少し落ち付いて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの
見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。」

「吾輩は猫である。名前はまだない。・・・」で始まる名調子は余りにも有名で、
私などは漱石というと、まずこの作品を思い浮かべます。

そのくせ実際に読んだのは恐らく中学生ぐらいの時で、その時は猫が主人公と
いうある種メルヘンチックな物語に、何の屈託もなく、あたかも童話を読むような
調子で、ページを繰って行ったと記憶しています。

ストーリーはほとんど忘れてしまいましたが、そのリズミカルな文章の感触
だけが心に残っている、というような状態です。

それゆえ、また改めてこの小説を新聞連載で読むことに、初めて読むような
ワクワク感が伴うのですが、この小説のストーリー展開もさることながら、
私自身がこれまでの新聞連載で漱石作品を読み進めて来て、再び最初の
長編に立ち返るということも、この気分の高揚に大きく寄与しているように感じ
ます。

連載が始まる前の予告編で作家の森まゆみが語っていた、この小説は漱石に
とって執筆セラピーの意味があったかもしれない、という記述も頭に残っていて、
それ故の遊び心あふれるのびのびとした筆運び、また猫という自由気ままな
生き物から見た滑稽な人間の生態の描写を、これから楽しんで行きたいと思い
ます。