2016年4月13日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」368に
ビートたけしの詩集「僕は馬鹿になった。」から引いた、次のことばが取り上げ
られています。
僕は好きな理由など考えない
好きな理由が分かったら
嫌いな所も見つけてしまうから
人であれ、芸術に対してであれ、それが好きであるということは、まず直感に
導かれた結果でしょう。でも私たちはどうして好きなのか、ついつい理由を
考えてみたい誘惑に駆られます。
でも理由を考え始めると、得てして当初のときめき、感動が薄れてしまう。
私も、本や、絵や、映画に心が震えるほど感動して、さてその喜びを文章で
表現しようとしたら、書くことに気を取られてしまって、あの感動は何処へ
行ってしまったのだろうと、拍子抜けすることがあります。
もっとも文章で表記しておけば、後で読み返した時、もう一度かつての
ときめきが呼び覚まされるという、功徳もあるのではありますが。
とにかく、最初に受け取った好きという心の状態をそのまま胸の中に留め置き、
雑念を捨ててその感動を増幅させるには、よほどの感受性や執着心が必要
なのではないでしょうか?
それが出来るなんて、やはりこの詩の作者は天賦の才を持っているのでしょう。
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