2016年4月26日付け朝日新聞朝刊、夏目漱石「吾輩は猫である」連載16に、
苦沙弥先生の食べ残しの雑煮の餅に、猫の吾輩が興味を抱き、いよいよ
食いつく決意をして、かじったはいいが歯にへばりついて悪戦苦闘する
過程で、感得した所謂二つの真理が記されています。
「得がたき機会は凡ての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」
「凡ての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」
何か禅問答のようですが、第一の真理は、猫は余り乗り気ではなかった
のに、好奇心が優ってついつい餅にかじりついたこと、あるいは御三や
子供が邪魔をしなかったので、留め立てする者がなくやむをえず手を出した
という風に、どうも言い訳がましい言葉に聞こえます。
第二の真理は、気付いた時にはすでに遅し、予知するなら行動に出る前に
しなければなりません。何やら自分の間抜けさを露呈させるような言葉
です。
でも、いつもと立場が逆転して、日頃猫に笑われている人間が当の相手の
愚行を笑うのも面はゆく、私は何か複雑な心境がしました。
それだけこの猫に、感情移入しているということでしょうか?
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