2019年4月29日月曜日

KYOTOGRAPHIE2019 誉田屋会場を訪れて

いよいよ「KYOTOGRAPHIE2019」が始まり、手始めに室町の誉田屋源兵衛会場に
行きました。

まず入ってすぐの竹院の間で、「ピエール・セルネ&春画」展を観ました。セルネは
フランス人パフォーマンスアーティスト兼写真家で、本展では、さまざまなカップルの
ヌードを被写体として、モノクロのシルエットで表現した写真作品を出展、対して浦上
蒼穹堂・浦上満コレクションによる珠玉の春画を同時に陳列することによって、
鑑賞者は洋の東西、時空を隔てた作品を対比して観ることが出来ます。

春画は精緻に表現された秀品揃い、一方セルネの作品はシルエットが大胆に切り
取られた、写真というより抽象絵画を思わせる作品、対比するにも余りにも隔たって
いて戸惑いましたが、会場の解説にあった人類の普遍的な行為の類似性の抽出の
試みということで、ある程度納得できました。でも正直なところ、春画の素晴らしさに
思わず引き込まれてしまったのが実情でした。ただ、洋の東西の美意識の相違は、
はっきりと感じられました。

次に会場奥の黒蔵で開催されている「ベンジャミン・ミルピエ|Freedom in theDark」
展に向かいました。こちらは国際的に有名な元ダンサー・振付家・映画監督、ミルピエ
の初個展で、自身がロサンゼルスで構えたダンスカンパニーのダンサーを撮影した
モノクロの写真作品と、サウンドを伴う映像作品を展観しています。

まず写真作品は二重露光や画像のぶれなどを駆使して、暗い背景にダンサーの
全身や部分の躍動感、スピード感を浮かび上がらせることを試みた作品で、黒蔵の
特異な空間とも相まって、美しさと共にある種幻想的、あるいは瞑想的な雰囲気を
生み出すことに成功しています。

他方映像作品は、魅力的なサウンドを伴って、画面の中を数人の男女のダンサーが
各々に離れて、あるいは絡まり合いながら、ひたすらにダンスを踊ることによって、
観る者も思わず踊り出してしまうような、さらには、画像内に吸い込まれてしまうよう
な感覚を生じさせます。これは正に、ミルビエの魔法の術中に囚われることを意味
するのではないでしょうか?

2019年4月26日金曜日

「川添愛のことばスムージー 「平成的」どんな印象」を読んで

2019年4月24日付け朝日新聞朝刊、「川添愛のことばスムージー」では、「「平成的」
どんな印象」と題して、私たちの中には確かな「昭和」のイメージがあるのに、
「平成」とは何かというと、現時点では明確な答えが出てこないことについて、語って
います。

この論でも結論付けられているように、我々は終わりを迎えたとはいえまだ「平成」
のただ中にいるので、時を隔てた「昭和」のように、客観的なイメージを抱くことが
出来ないのかも知れません。

しかし考えてみると、「昭和」は戦前と戦後で大きな価値の断絶があったことからも
分かるように、文字通り激動の時代であって、少なくとも極端な価値観の転換は
なかった「平成」とは、比較のしようがないと思われます。

そして戦後生まれが大半を占める現代において、私たちが「昭和的」と感じるのは、
あくまで戦後の「昭和的」であって、戦前のそれとは180度違います。だから我々が
時代を客観的にイメージ出来るのは、現在とは少し距離を隔てた前の時代という
ことになるのでしょう。

戦前、戦中の出来事や、その時代の国民の生活や価値観の忘却が盛んに言わ
れるのも、当時を実際に生きた世代の減少に従って、避けがたいことではあり
ます。しかし、私たちが「昭和的」というものをイメージする時、戦前からの価値の
転換という特質は、しっかりと心に留めておかなければならないと考えます。

それでもあえて、「戦後の昭和的」と「平成的」のイメージの良質な部分を比較する
なら、「平成」は大きな自然災害に多く見舞われた時代ではあったけれど、それゆえ
国民にボランティアという意識を芽生えさせた時代であったと、私は思います。

2019年4月24日水曜日

鷲田清一「折々のことば」1431を読んで

2019年4月12日付け朝日新聞朝刊、鷲田清一「折々のことば」1431では
認知症を患った夫を巡る家族の物語、中嶋京子著『長いお別れ』から、次のことば
が取り上げられています。

  ええ、夫はわたしのことを忘れてしまいまし
  たとも。で、それが何か?

この小説中で彼女の夫が認知症だと知って、気の毒がって声をかけて来た人に、
その妻が答えたことばです。

私もこの作品を読んで、認知症という重いテーマを扱いながら、読後感に何か温か
く、爽やかもものが残ると感じましたが、上記のことばは、作品に流れる旋律を端的
に示すことばだと、思います。

つまり、家を出た娘たちも含め家族全員が、認知症を患った夫あるいは父のことを
気遣い、また主に介護を担う妻は、例え名前は忘れられても、確実に夫婦としての
絆は保たれていると信じているからです。

この家族には、夫婦の愛情や親子の情愛がしっかりと保たれている。そのような
家族関係の中での介護の物語であるからこそ、読後にポジティブな余韻を残すの
でしょう。

私も一定期間認知症の兆候のある母の介護を担い、名前までは忘れられません
でしたが、老いた母が日々衰えて行く姿に、やるせない思いを感じたこともありま
した。しかし、介護を続けながらも私が最後のところで救われたのは、母と私の間に
間違いなく親子の絆が保たれていると、実感出来たためでした。

母の介護を終えて、改めて私は、生活環境においても、また母の病状の進行の
程度においても、最後までそばで看取ることが出来たことを、有難く感じます。

2019年4月22日月曜日

国立国際美術館「クリスチャン・ボルタンスキー」展を観て

パリ生まれで国際的に活躍する、現代を代表する美術家の大規模な回顧展です。
日本でも、「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」「「瀬戸内国際芸術祭」
に参加して、よく知られたビジュアルアートの現代美術家ということですが、私は
これまで作品を鑑賞したことがなかったので、期待を持って会場に向かいました。

のっけから不気味な男が足を投げ出し、座った身体をくのじに折って、苦しそうに
咳き込み、血を吐く映像作品「咳をする男」に度肝を抜かれます。

一体これは何を表そうとしているのか、訳の分からないうちに、背後から響くドラム
のような心臓の鼓動の音にも急き立てられて、白昼夢のようなボルタンスキーの
提示する幻想の世界に入り込んでいきました。

それからは、文字通り夢うつつの空間をさまようように、印象的な作品たちを巡り
ましたが、その中でも特筆すべきは、まず、「影(天使)」や「影」の薄暗がりの天井
や壁面に影絵のように不気味なマペットのシルエットが回転、あるいは浮遊しな
がら浮かび上がる作品。これらの作品は、何か幼い頃の得体の知れない怖さの
記憶を、呼び覚ますように感じられます。

次に壇を設え、飾られた人物の顔写真を照明で飾り立て、あたかも何かの宗教
の祭壇をイメージさせる、「モニュメント」のシリーズや「聖遺物箱(プリーム祭)」
の作品群。これらは匿名的な顔写真を、何か聖性をおびたものに感じさせます。

更には、まだ着ていた人の体温が残るような夥しい古い衣服が、三方の壁に
ぎっしりと、しかも無造作に吊り下げられた作品「保存室(カナダ)」。この作品に
は、大量殺戮を暗示するような不気味さがあります。

最後に、砂漠と雪の大地で、細長い棒に取り付けられた数百の風鈴が風に揺れ
る様子を撮影した、映像作品「アニミタス(チリ)」と「アニミタス(白)」。この作品は
今回の展示の中で、一見私たち東洋人の感性に最も呼応するもののように感じ
られましたが、映像という痕跡だけを残そうとするその試みは、もののはかなさ
よりも記憶の確かさ示そうとする意図において、西欧的な自我を現わしているの
かも知れません。

全体を観終えて、得体の知れない不気味さの中にも、懐かしさや温もりを感じ
取ることが出来るのは、ボルタンスキーが過去の歴史における人間の愚行を直視
しながらもなお、人間への根本的な信頼を失っていないからかだと感じました。

2019年4月20日土曜日

カズオ・イシグロ著「忘れられた巨人」を読んで

一昨年度ノーベル文学賞受賞作家の最近作です。『日の名残り』『わたしを離さない
で』と、彼の名作を読んで来て、ノーベル賞受賞を喜ぶと共に、最近作も是非読み
たくなりました。遅ればせながら、やっと手に取った次第です。

描く対象によって自在に作品のジャンルを変えるイシグロですが、本書は中世のイギ
リスを舞台にした歴史ファンタジーです。

しかしファンタジーとは言っても、彼にかかると単なるおとぎ話には終わりません。
寓意、隠喩が散りばめられて、普遍的な人間のさがを問う、重厚な長編小説となって
います。

勿論、読み物としても良く出来ていて、冒険に富む老夫婦の道行きが、長い道のり
読者を飽きさせませんが、前述したようにメタファーに満ちた小説なので、この作品に
描かれていることの意味は何かと考える時、色々な解釈が可能であるように思われ
ます。

私なりの理解で読み進めて行くと、まず、この小説における龍や鬼や妖精は何を表す
のかという問題に行き当たります。

この作品の世界の中で、人間はこれら異形の生き物たちを恐れながらも共存してい
ます。私はこれらのものは、中世の人間がその存在を固く信じていた、因習や迷信、
人智を超える力によって与えられる災いなどであると推察します。

このように考えると、この物語の影の主役とも言える、人々にブリトン人とサクソン人
の争いを忘却させる存在である雌龍は、アーサー王が暴力で築いた秩序を長い間
人々に盲信させる、魔法の装置ということになります。

しかしこれが荒唐無稽でないのは、私たち現代人でさえ近年までアーサー王を英雄
と信じ込んで来た事実が示すように、都合の悪い歴史は権力者などによって常に
葬り去られる危機にあることを、暗示しているのかも知れません。

他方、雌龍がもたらした、この物語にとってのもう一つの重要な忘却の作用である、
主人公の老夫婦アクセルとベアトリスの過去のわだかまりの記憶は、龍の死によって
その記憶が蘇った時に老妻の死という悲しい別離をもたらしますが、二人はその結末
をあらかじめ予期しながら、お互いの愛を確認するために、記憶の復活を強く望んで
いた節があります。

この忘却によってではなく、明確な記憶の上に和解を生み出し、愛を貫こうとする
主人公夫婦の姿に、イシグロは人類の未来への希望を託している、と私には感じ
られました。

2019年4月18日木曜日

「川添愛のことばスムージー その「ちょっと」は」を読んで

2019年4月10日付け朝日新聞朝刊、「川添愛のことばスムージー」では
「その「ちょっと」は」と題して、我々日本人の「ちょっと」という言葉の微妙なニュアン
スの使用法について、語っています。

「ちょっと」は本来、「少し」という意味です。でもこのコラムの指摘によって私も気づか
されたのですが、我々はまるで当たり前のように、まったく正反対と言ってもいいよう
な意味の使い分けをしているのです。

例えば、「ちょっとは何々したらどうか」という使い方をする時には、文字通り「「少し
は」という意味で使っています。この場合、「何も沢山しなくてもいいけれど、せめて
少しぐらいはしなさいよ!」というように、「少し」を強調するために「ちょっと」を使っ
ているように思われます。

それに対して、このコラムで取り上げられているのは、相手にこちらの気持ちを伝え
る場合の「ちょっと難しい」という表現や、ある人物の人となりを相手に伝える時など
に用いる、「ちょっとした有名人」といった言い回しです。

それぞれに、「ちょっと」と言いながら、「極めて」とか「かなり」というような、本来と
は正反対の意味で使われています。

ではどうしてそんな使い方をするのかを考えてみると、「ちょっと難しい」の場合は、
相手の気持ちをおもんばかって、やんわりと否定しているように思われますし、
「ちょっとした有名人」の場合は、幾分かの語る対象に対する皮肉を込めているよう
にも感じられます。

このように考えると、やはり日本語は難しい。結局話し手が、相手の立場や思いを
考慮にいれながら自分の気持ちを伝えようとするので、このような微妙なニュアンス
の言い回しが生まれるのではないでしょうか?

日本語の繊細さに、気づかされた気がしました。

2019年4月16日火曜日

松屋銀座での『和トセトラ』出店を終えて

私たちの店の初めての試み、銀座の百貨店での催事参加も、無事終了しました。

4月14日、15日の2日間出店ということで、13日夕方に東京着、閉店後百貨店の
担当者と雑誌七緒の編集者の方を交えて翌日からの進め方の打ち合わせをした
後、予め送っておいた商品サンプル、色見本帖などを並べるなど、ブースの設営
準備を終えて、その日は宿泊先のビジネスホテルに帰りました。

いよいよ14日当日、午前10時開店からしばらくすると、徐々に会場を訪れる人の
数も増えて来て活況を呈し、ついに、私たちの店のブースに立ち寄るお客さまも
現れました。

お客さまには、用意したテーブルを挟んで私の対面に座っていただき、受注の
手順は、まず並べてある帯揚げの白生地の商品サンプルを示しながら、生地の
種類、着用時期の説明をして好みの品を選んでいただき、それからご持参いただ
いた帯締め等の色見本通りに染めるのか、あるいはこちらが用意している色見本
帖から好みの色を選ぶのかを選択していただいて、注文をお受けすることになり
ます。

その注文書を京都に持ち帰り、選んでいただいた生地に染色を施し、染上がった
ら全部まとめて松屋に送り、この百貨店の呉服売り場で受け取っていただくか、
自宅発送を希望されるお客さまには、松屋から発送することになっています。

14日、15日2日間の結果は、注文をお受けしたお客さまが全部で28人、1人で
複数枚注文された方もあるので、帯揚の枚数としては30枚以上になりました。また
注文者以外にも、私が初めて東京に出張したということでわざわざ訪ねて来て
いただいた従来からのお客さまもあり、お陰様で盛況のうちに終えることが出来ま
した。

さらに雑誌七緒にゆかりのある方々が多く出店している関係上、七緒の縁で交流
のある業界の方々とも直接にお目にかかることが出来て、有意義な時を過ごす
ことが出来たと感じました。

地元関西では和装についてとかく暗いニュースが多く、私たちも意気消沈しがち
ですが、このような活気のある催しを間近にすると、元気も湧いて来ます。最後に
なりましたが、この催しに私をお呼びいただいた七緒編集部、松屋担当者等、
関係の方々に感謝申し上げます。


2019年4月12日金曜日

4月4日付け「天声人語」を読んで

2019年4月4日付け朝日新聞朝刊、「天声人語」では、世田谷美術館で開催されて
いる田沼武能の、”焼け跡から復興をへて五輪を迎えるまでの十数年間のこの国の
首都をとらえた写真展”「東京わが残像」を観て、当時の子供たちの生き生きとした
表情に感銘を受けたことが、綴られています。

昭和31年生まれの私も、これらの写真の子供たちと重なるところがあるので、この
文章に懐かしさを感じながら、子供の日々を思いました。

終戦直後の混乱からはある程度の月日を隔てて生まれ、私の子供時代は一見平穏
な日々でしたが、子供には分からないところで社会はまだ貧困や政治的な動揺を
抱え、それ故に今から思い返すと、当時の大人たちが試行錯誤を重ねながら精一杯
生きていた姿が瞼に浮かびます。

そのような社会の雰囲気は、子供には自覚はなくとも自ずから伝わるもので、例えば
私の小学校時代を回想すると、家庭的には当時は仕事と生活が同じ場所で営まれ
ている家族が多く存在していたので、子供たちの生活も、親の仕事に影響を受ける
割合が高く、子供一人一人に大人びたところやバイタリティーがあったと、思い出され
ます。

また社会全体に貧しい故の上昇志向や、生活をより良くしたいという意識があり、その
結果政治的関心も高く、社会的問題に対して能動的にコミットしようとする人も多く
存在したように思います。そしてそのような問題意識は、子供たちにも確実に伝わって
いたのでしょう。

何も、当時の全てを肯定しようというのではありません。貧困に由来する様々な問題
や、社会的不公正も多く存在したのは事実です。でも社会全体からあの頃の熱量が
失われてしまったことは、寂しく感じます。

2019年4月10日水曜日

雑誌七緒の『和トセトラ』に参加するために、松屋銀座に参ります。

突然ですが私、七緒の『和トセトラ』に参加するために、東京に行ってきます。発端は
昨年暮れでした。七緒の鈴木編集長より直接に電話を頂き、来年4月の『和トセトラ』に
出店しないかというお誘いがありました。

この催事のことは私は存じませんでしたが、松屋銀座の『銀座の「きもの」市』に合わ
せて、季刊誌七緒掲載の和装関係の店が期間限定で出店する催しということで、今回
は5回目、4月10日(水)から4月15日(月)まで開催されるということです。

鈴木編集長から、縁の深い三浦清商店さんも今回は是非参加して欲しい、という熱の
こもった勧誘を受け、丁度母の介護からも解放されて、時間的な余裕も生まれて来て
いたので、思い切ってお誘いに乗ってみることにしました。

それにしても、私が他府県で出張販売をするのは今回がまったく初めてで、増してや
東京に行くのも数十年ぶりです。すっかり変貌した東京でおのぼりさん状態になるのは
必須で、我ながら思いやられます。

しかし三浦清商店を東京の方に少しでも知って頂きたく、またお客さまが、小さなもの
でも自分で誂え染めのオーダーをする楽しさをお伝えしたくて、敢えて、初めての
百貨店の店頭に立ちます。

販売するのは帯揚げの白生地を4種類、この素材にお客さまご持参の色見本、もしくは
当方が用意する色見本帖から色を選んでい頂いてご注文をお受けし、京都の染屋で
染色を施して後日松屋銀座の店頭でお受け取り頂くか、もしくは直接ご自宅にお届け
します。また、好評の『買いもの七緒 着物まわり買いもの帖』の2019年度版新色帯揚
げの先行販売も行います。どうぞご期待ください。

私が出店し、会場の松屋銀座8階イベントスクエアでお目にかかれるのは、4月14日
(日)10時~19時30分と、15日(月)10時~17時です。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年4月8日月曜日

高野秀行・清水克行対談「世界の辺境とハードボイルド室町時代」を読んで

かつて辺境に潜入ルポするノンフィクション作家、高野秀行の「謎の独立国家 ソマリ
ランド」を読んで感銘を受けた私は、また日本の辿って来た歴史にも大いに興味を
掻き立てられるので、本書の現代ソマリランドと日本の室町時代がよく似ているという
謳い文句に惹きつけられて、この高野と中世史専攻の歴史学者、清水克行の異色の
対談本を手に取りました。

本書を読むと、断片的に浮かび上がる室町時代の社会慣習や人々の生活が、現代の
私たちのそれとは余りに違うので、自ずとその頃の日本人のものの考え方がいかなる
ものであり、どうして現代人とはかけ離れているのかということに、興味は及んで行き
ました。

中世人と現代人の生活条件の違いを比較する時、まず挙げられるのは、現代社会に
おける政治、経済制度や医療、科学技術の発達、教育制度の充実などでしょう。そう
考えると、現代人の生活環境は中世より遥かに充実し、物質的にも格段に豊かに
なっていることが分かります。

しかし、現代人の精神生活が、それに比して向上しているかは分かりません。いや、
現代人の多くは、必要以上の緊張感や閉塞感、疎外感に苛まれているように思われ
ます。そうすると中世の人間が、たとえ因習や迷信、禁忌に強く縛られていたとしても、
現代人と比べてある意味で生き生きと活力を持って、生活していたことが推察されます。

また室町時代の人々と、世界各地の辺境の人々の生活やものの考え方が似ている
なら、日本の中世人の特質は、広く人類に内在する資質とも考えられます。では我々
日本人は、どのようにして現代に連なる気質を身に付けて行ったのか?あるいはどう
して、中世人の特質を失って行ったのか?

それは簡単に回答を得られる問題ではありませんが、本書を読んでいて感じ取れる
のは、一つは中世には家族、地域コミュニティーの絆が強く、人々にははっきりと認識
出来る自分の居場所があったこと。そして現代では、その関係性が益々希薄になって
いること。もう一つは、本書でも最も印象に残った表現ですが、中世を境に人々の未来
と過去に対する認識が変わったこと。

つまり、中世以前の人間は、過去の方向を向きながら後ずさるように手探りで未来へと
進み、それ以降の人間は、未来の方向に向かって進むようになった、というのです。
これは、人間が自分たちの生き方に自信を持ったということを意味しますが、それは
同時に、過信を生み、不安の増幅ということにもなって行くのでしょう。とにかく、刺激に
満ちた書でした。

2019年4月5日金曜日

朝日新聞「論壇時評」を読んで

2019年3月28日付け朝日新聞朝刊の「論壇時評」をもって、3年間続いた歴史社会
学者、小熊英二の担当は最後ということですが、平成も終わりに近づき、今回の
「この30年の日本 世界の変化になぜ遅れたか」というタイトルで記述された論稿
には、私は考えさせられるところがあると、感じました。

冒頭彼は、国際社会の中での我が国の女性の議員や企業経営者比率の低さ、
同性婚や死刑廃止という人権的なテーマに対する取り組みの遅れを示して、なぜ
日本の社会は変化に取り残されたのか、と問います。

その答えは彼によると、まず日本が今まで経済大国の地位にあり、これまで国際
社会の変化に過敏に反応しなくても十分に国内だけでやり過ごして来られたこと、
その端的な例としてこの国では、就職に際して英語など国際コミュニケーションの
能力が、さほど重視されて来なかったことを挙げています。

それとも関連してまた政治問題においても、ヨーロッパでは「外国語を自在に操り
世界を飛び回っているエリートと、自国を出ることなく、地元の人を相手にして一生
を過ごす人」の貧富の格差が深刻であり、我が国では「大企業社員とそれ以外」
の格差が重要な課題である、と語ります。

確かにこれまでの日本では、国際社会の荒波を直接には受けない、豊かで閉ざ
された社会であるという恵まれた環境が、世界の変化に対する適応を遅らせて
来たのでしょう。その結果が、今日の国際標準からの立ち遅れという形で現れて
いることになります。

また我が国の若者たちはSNS世代ということで、国際社会に開かれた価値観を
持ち、権威主義や女性差別を嫌う傾向を持つけれども、その考え方は多様性や
公正を求める社会運動には結び付かず、共感と寛容という世界の若者共通の
傾向は、日本では現状維持に働いているのではないか、と述べています。

かつての政治の季節の挫折を経て、経済的な豊かさは人々から物事を深く考える
問題意識を奪ったのかもしれません。そのただ中を生きて来た人間として、私にも
問い掛けられているものは大きい、と感じました。

2019年4月3日水曜日

龍池町つくり委員会 60

4月2日に、第79回「龍池町つくり委員会」が開催されました。

今回の委員会は、「花見月きもの茶話会」が実施された直後なので、まず結果報告と
振り返りについて。参加者は、外部の方7名、地域の方10名、京都外大関係7名、委員
7名、マンガミュージアム関係4名の計35名。50名の参加を予定して準備をしていたの
で、地域の方の参加を促す方法に課題が残りました。

一方、手伝ってもらった外大生の感想は、着物を着て参加するという貴重な体験が
出来た、あるいは、お茶の稽古が役に立ったなど、好評でした。また委員の間では、
今回の経験で得たものを、今年も予定している7月15日の「龍池浴衣まつり」に反映
させることの必要性が、確認されました。

澤野連合会長からは、いよいよ日にちの迫った、4月4日の本庶佑先生の「名誉学区
民表彰式」への参加と協力依頼がありました。

最後に中谷委員長から、学区の宿泊施設建設問題について、現在多数の施設の
建設が続いているが、現状に目を奪われるだけではなく、これから建設の可能性が
ある場所についても、いち早く対処するために、注意を怠らないようにしなければなら
ない。このような問題に対しては町内が結束し、建設中のトラブルへの対処だけでは
なく、完成後の運営に関してのしっかりとした協定を結ばなければいけない。また、
学区内でのこの問題に対する共通認識を作り出すために、各町内の会則の見直し
も必要、という話がありました。

今月より学区内のマンション住民の方が一人、当委員会に参加していただくことに
なりました。地域住民とマンション住民の交流の活発化を課題の一つに挙げる委員会
としても、貴重な意見が伺えることを期待しています。

2019年4月1日月曜日

京都国際マンガミュージアム「花見月きもの茶話会」に参加して

3月31日に、京都国際マンガミュージアム・グラウンドで、「花見月きもの茶話会」が
開催されました。

龍池町つくり委員会が主催ということもあって、私もお手伝いがてら、着物で参加
しました。午前10時開始ということで、早朝にはまだ雨も降っていて、先行きが危ぶ
まれましたが、幸い私が会場に向かった午前9時前後には天候も回復し、無事グラ
ウンドでの開催ということになりました。

グラウンド内の桜の木のほど近くに赤い毛氈を掛けた床几を二つ用意し、木の前
には野外でお茶を点てる用に、野点傘と立礼のお茶道具一式を配置して、訪れた
お客さんは桜とお点前を愛でながら、桜をかたどった生菓子とお茶を賞味して頂く
ことになります。

桜は五分咲きぐらいでしたが、花のピンクとグラウンドの芝の緑、毛氈の赤がマッチ
して、春らしい艶やかな気分を醸し出していました。

お茶と菓子のお運びは、協力して頂いている京都外国語大学南ゼミの女子学生の
皆さんが、華やかな着物姿で手伝ってくださいました。

私たちは烏丸通りからグラウンドに入る入口で受付を担当、予め来場を予定されて
いた地域の方々の受付を済ませると、受付の場所をミュージアム館内からの出入り
口に移して、この催しを知らない入館者の勧誘を図ることにしました。

結果として、来場者はスタップも入れて27名ほどと限られていましたが、着物でお茶
を頂くという趣旨に賛同して来場された方々は、その趣向を楽しんで頂けたようです
し、飛び入りの外国人の若いカップルなども、京都らしい雰囲気を満喫して頂いた
ようでした。

私自身は慣れない着物姿による、風が強く不安定な天候の中での長時間の受付の
仕事は、さすがに寒さが身に沁みましたが、その後温かいお茶を頂くと気分も和み、
和服ならではのくつろいだ時間を楽しむことが出来ました。